2021年03月31日
L・E・ボルツマン_【2021/03/31_原稿投稿】
また、当ブログへのアクセスを増やしたくてツイッターしてて、以下の4アカ計で考えて3/31(水)朝の時点で、前日と比較すると【11051⇒11144】です。こんなペース。焦らず作業。
@コウジ@kouji_Aバンドリ好き太郎_B浩司_Ckouji kazeno
【以下原稿です】
オーストリアにあるボルツマンの墓には
S=k LogWと書かれています。
ここでいうSとはエントロピーというパラメターで
事象の乱雑さを表します。
k(またはkBと記載します)というパラメター
を定めてボルツマンが定量化した概念です。
乱雑さは統計力学で温度T、容積V、圧力P等と関連して
ボルツマンの関係式として定式化されました。
ボルツマンの研究業績の中で特に私が関心をもつのは
原子論に関しての関わりです。当時、観測に直接かからない
原子は色々な見方をされていました。そんな原子に対して
ボルツマンは「乱雑さ」または「無秩序」の度合いという
新しい物理量を使い原子の実在に近づいていったのです。
結果として
対立する考えが学会で生じていて
原子モデルを使うボルツマンと、
実証主義で理論を進める
エルンスト・マッハの間で論争が続きます。
そして、残念なことに晩年は精神障害に悩み、
自ら命を絶つという悲しい最期を遂げています。
彼はピアノが好きでした。
花を手向ける場所がありますよね。
以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。
nowkouji226@gmail.com
【舞台別のご紹介】
2020/09/05_初回投稿
2021/01/02_改定投稿
【学術論文を書く時は英語必須です】
J・J・サクライ_【2021/03/31_原稿改定】
また、当ブログへのアクセスを増やしたくてツイッターしいて、以下の4アカ計で考えて3/24(水)朝の時点で、2日前と比較すると【10249⇒10575】です。こんなペース。Aカウントでフォロー停止を受けています。焦らず作業します。
【フォロ禁の解除後は、別基準で「ロボット操作」の判断をしているる様です。】
@コウジ@kouji_Aバンドリ好き太郎_B浩司_Ckouji kazeno
【以下が投稿原稿です】
Jサクライの日本語表記は桜井純で日本生まれ。私が使っていていた教科書でカタカナ表記でしたので個人的にはカタカナ表記が好きです。ミドルネームに由来するのでしょうがもう一つ「J」をつけて記載する事が多いです。響きも良いですね。JJサクライは新制高校に在学していた16歳の時期に留学生選抜試験に合格し、アメリカに渡りました。学問好きの少年だったのでしょう。その後、ニューヨークにある高校を卒業した後に、ハーバードを主席で卒業しています。
その後、JJサクライはコーネル大の院
で研究を進め、在学中に弱い相互作用の
考えを提唱しています。彼の研究では
弱い相互作用と強い相互作用が出てくるので
少し言及します。そもそも自然界には
4つの力があると言われていて、
ここでの2つは4つの内の2つなのです。
具体的に弱い力は、働く範囲が陽子直径
より小さいのです。また、素粒子や準粒子が
ボゾンを交換して相互作用する中で
弱い力は強い力や電磁学に比べ
数桁小さな力として作用します。
弱い相互作用は標準模型での
全てのフェルミ粒子とヒッグスボソン
に作用します。特にニュートリノは
重力と弱い相互作用のみを使って
相互作用します。弱い相互作用は
束縛状態をもたらしません。これは
重力が天文学的スケールで月と地球
の間の相互作用に関与していたり、
電磁力が原子レベルで互いに力を
与えあったりする束縛状態とは
異なるのです。また、弱い相互作用
とは違い強い核力は原子核の内部で
非常に強い束縛状態を持ちます。
別言すれば、弱い相互作用は
結合エネルギーに関与しません。
JJサクライはこうしたメカニズムを深く研究しました。そして49歳で突然、他界してしまいました。少し調べてみましたが、その死因に対しては情報が残されていません。何はともあれ、惜しい人材を失ったこととなり残念です。謹んでご冥福をお祈り致します。
合掌。
以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
この頃は全て返信できていませんが
頂いたメールは全て見ています。
適時、返信・改定をします。
nowkouji226@gmail.com
【舞台別のご紹介】
2020/11/11_初稿投稿
2021/01/21_改定投稿
D・J・ボーム_【2021/03/31_原稿投稿】
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【以下が投稿原稿です】
ヘブライ語表記ではדייוויד ג'וֹזף בוֹהם, דוד יוֹסף בוֹהם。
偶然でしょうがボームはロシア革命の年に生まれていますね。そんな時代背景もボームの人生に影響を残しています。ハンガリー系ユダヤ人の父とリトアニア系ユダヤ人の母の間に生まれ、UCBバークレー校でオッペンハイマーの教えを受けます。学生時代に当時の知人の影響で思想的に影響を受け、異なった社会モデルを持つ急進的な主義の考えをボームは抱きます。後にはその為にFBIにマークされたりします。
第2次世界対戦の時にはボームは
師オッペンハイマーに従い
マンハッタン計画に参加します。
その計画は
陽子と重陽子の衝突研究を進め、
濃縮ウランを作り原爆を製造
する計画で実行に移されました。
戦後、ボームはプリンストン大学で
アインシュタインと共に働いていましたが、
いわゆるマッカーシズムにあい、
プリンストン大学を追われます。
社会主義者としての過去の活動を
当局に問題視されたのです。
アインシュタインはボームに彼の助手
として大学に残る事を勧めますが、
願い叶わず、ボームはブラジルの
サンパウロ大学に移りました。
研究者としてボームは幾多の成果を
残しています。
先ず量子力学の解釈の面で
ボーム解釈。EPRパラドックスの提唱。
そして電磁気学でのAB効果です。
それぞれの分野の考えに
今も残る影響を与えています。
〆
【舞台別のご紹介】
以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。
nowkouji226@gmail.com
2020/10/31_初稿投稿
2021/03/31_改定投稿
ハンス・アルプレヒト・ベーテ_【2021/3/31_原稿改定】
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【以下が投稿原稿です】
ベーテはユダヤ系なのでナチス政権下で苦労します。
国を追われイギリスに逃れ、マンチェスター大学で職を得ます。第二次大戦の間はオッペンハイマーの招きでUCB(カリフォルニア大バークレー校)の特別会議に参加します。そこでは核兵器の開発が始められ、ロスアラモス研究所が出来るとベーテは理論部門の監督を務めます。戦後はトルーマン大統領が水素爆弾の開発を断行した流れでベーテは引き続き開発において重要な役割を果たします。
その他、ベーテの業績としては大きく二点があげられると思います。一つは恒星の内部で核融合反応が起きうる指摘をして、重力と釣り合う内側からの力を考えたことです。加速器で実現される様々な現象を説明していく内に超高圧下・超高温下で起こり得る原子核の崩壊状態をベーテは理論立てて説明して新たな知見としました。
また、ベーテのもう一つの業績は量子電磁気学に繋がっていくラムシフトを非相対論的に厳密に突き詰めていって極めて正確な計算をしていったのです。この面でファインマンは弟子にあたります。ベーテは大変な時代を生きた偉大な理論家でした。「原子核反応理論への貢献、特に星の内部におけるエネルギー生成に関する発見」でノーベル賞を受けています。
以上、間違い・ご意見は
次のアドレスまでお願いします。
最近は返信出来ていませんが
全てのメールを読んでいます。
適時返信のうえ改定を致しします。
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【舞台別のご紹介】
2020/11/23_初版投稿
2020/01/21_改定投稿
UCB関連の物理学者_【2021/03/31_原稿投稿】
ヤフーブログ終了の教訓から登場場所の整理をしていますが(http://wwwのドメインを信頼した作業です)、それに伴い、以下にSEO対策で「UCB関係」の原稿を投稿します。国別の整理を終わらせ所属研究機関を整理している中での作業です。この整理を進めた後に、学問分野別の整理を行い、年代別の整理を行う作業を何度も繰り返していきたいと思います。
作業すればするほどに別途紹介したい人が思い付くでしょうから、その度毎に新しい人をご紹介して、時期に応じたトピックも盛り込んでブログを進めていきたいと考えています。ブログとして改定履歴を全て沢山残していましたが、古い改定履歴は整理してトピックスを中心に残していく積りです。
また、当ブログへのアクセスを増やしたくてツイッターしてて、以下の4アカ計で考えて3/22(月)朝の時点で、2日前と比較すると【9971⇒10249】です。こんなペース。
@コウジ@kouji_Aバンドリ好き太郎_B浩司_Ckouji kazeno
焦らず作業しましょう。この作業は4アカウント合計で一万を超えている点を考えて、一区切りついたと考えて良いでしょう。
【以下が投稿原稿です】
↑Credit:https://www.gettyimages.co↑
特にUCBはマンハッタン計画の遂行拠点として役割を果たしました。日本人としては、細かくいえばUCBではなくUCLAですが、ロサンゼルス校にJJサクライが所属していた事が有名ですね。教科書での紹介もあったかと思います。内容は追って増補していく事になると思います。ご覧ください。
オットー・シュテルン_1888年2月17日 ~ 1969年8月17日
J・R・オッペンハイマー_1904年4月22日 ~ 1967年2月18日
ハンス・アルプレヒト・ベーテ_1906年7月2日 ~ 2005年3月6日
D・J・ボーム_1917年12月20日 ~ 1992年10月27日
J・J・サクライ_1933年1月31日 ~ 1982年11月1日
〆
【纏めサイトTOPへ】
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以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。
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2021/03/22_初版投稿
2021年03月30日
ウィラード・ギブズ_【2021/03/30_原稿再投稿】
ヤフーブログ終了の教訓から登場場所の整理をしていますが(http://wwwのドメインを信頼した作業です)、それに伴い、以下にSEO対策で「ギブズ」の原稿を投稿します。国別の整理を終わらせ所属研究機関を整理している中でリンク切れを発見、作り直しました。この整理を進めた後に、学問分野別の整理を行い、年代別の整理を行う作業を何度
も繰り返していきたいと思います。
作業すればするほどに別途紹介したい人が思い付くでしょうから、その度毎に新しい人をご紹介して、時期に応じたトピックも盛り込んでブログを進めていきたいと考えています。ブログとして改定履歴を全て沢山残していましたが、古い改定履歴は整理してトピックスを中心に残していく積りです。
また、当ブログへのアクセスを増やしたくてツイッターしてて、以下の4アカ計で考えて3/22(月)朝の時点で、2日前と比較すると【9971⇒10249】です。こんなペース。
@コウジ@kouji_Aバンドリ好き太郎_B浩司_Ckouji kazeno
焦らず作業しましょう。この作業は4アカウント合計で一万を超えている点を考えて、一区切りついたと考えて良いでしょう。
【以下が投稿原稿です】
その名は正しくはジョサイア・ウィラード・ギブズ_Josiah Willard Gibbsです。
米国コネチカット州に生まれイェール大学で博士号をとります。
その博士号はアメリカ大学における最初の工学博士だったそうで、
米国における物理学の先駆者だったのですね。
その後、ギブスは修行時代として、パリ、ベルリン、ハイデルベルクで
一年ずつ滞在します。今の感覚では想像出来ないのですが、
彼の人生で地元を離れたのはこの三年間だけだったそうです。
ギブスの業績として大きいものは物理学への統計の導入でしょう。個々の粒子の個別の性質は別として、体系の集団が持つ性質を統計的にまとめあげていく事でその性質が熱力学的な特性につながっていくのです。その考えをまとめた論文を読んだマクスウェルは大変感動をして、その思いを伝えるために石膏模型を作ったと言われています。そして、その抽象的な模型をギブスへ送ったのですが、模型は今でもイェール大学で大切に保管されているそうです。
数理的手法を物理学に取り入れたギブスですが、その立場(スタンス)を表現している言葉をご紹介します。
A mathematician may say anything he pleases,
but a physicist must be at least partially sane.
【(私の訳)
数学者は望むがままに物事を言えますが、
物理学者は何とかして、しゃっきりと
物事を伝えなくてはいけないですよ。】
数学者と物理学者は視点を変えていかねばいけないと。
最後に、戸田先生の教科書【岩波書店から出ていた熱・統計力学の本】
でギブスの人柄を伝えるエピソードが載っていたのでご紹介します。
(小さな物語の始まりです)
ギブスは結婚をしないで父の残した家に妹夫婦と共に住んでいました。
その家は彼の研究室から近い場所、道を渡ったところにあって、
ギブスは午前の講義を終えた後に、食事の為に家に戻っていました。
お昼を食べた後にギブスは研究室に帰ってそこで過ごし、
夕方五時頃に散歩をしながら帰宅するという静かな暮らし
を送っていました。何年も。何年も。
そして、
ギブスは妹の家事を手伝い、一緒に料理もしました。
特に、不均一系の研究をしていたギブスは
サラダを混ぜる仕事がとても得意だったそうです。
うまく作業できた時には大層、ご機嫌になれたでしょう。
そんな静かで温かい生活を重ねていました。
〆
【舞台別のご紹介】
以上、間違い・ご意見は
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最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
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2020/10/31_初稿投稿
2021/01/18_改定投稿
2021年03月29日
ボローニャ大学の関連人物_【2021/03/29_投稿】
登場場所の整理(http://wwwのドメインでの作業)に伴い、以下にSEO対策で「ボローニャ関係 」の原稿を投稿します。所属研究機関で一区切り。私自身、整理してみて学んだ所が多いです。この後、個別研究機関に対しての整理、学問分野別の整理、年代別の整理を行う作業を何度も繰り返していきます。
作業すればするほどに別途紹介したい人が思い付くでしょうから、その度毎に新しい人をご紹介して、時期に応じたトピックも盛り込んでブログを進めていきたいと考えています。ガリレオやコペルニクスが登場予定です。後程、ご覧下さい。
また、当ブログへのアクセスを増やしたくてツイッターしてて、以下の4アカ計で考えて3/29(月)朝の時点で、前日と比較すると【10933⇒11009】です。こんなペース。焦らず作業。
@コウジ@kouji_Aバンドリ好き太郎_B浩司_Ckouji kazeno
【以下が投稿原稿です】
↑credit:pixabay↑
始めに
イタリア関連でボローニャ大学をご紹介します。現在は10万人を超える学生が在学していてヨーロッパ最古の大学群に属すると言われています。その起源は信じられないくらいに古いのです。中世大学と呼ばれている学群の仲間で特にボローニャ大学は「母なる大学」(Alma Mater Studiorum) と呼ばれ、近代大学の原点だと言われています。特にボローニャ大学で学んだダンテはルネサンス文化の先駆者であると言われていて物理学へとつながっていく世界観を作っていった部分があるのではないでしょうか。ご覧ください。
年代順のご紹介
ガリレオ・ガリレイ
コペルニクス
ジョヴァンニ・カッシーニ
〆
以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をしていきます。
nowkouji226@gmail.com
ルイ・ド・ブロイ_【2021/03/28_原稿投稿】
ヤフーブログ終了の教訓から登場場所の整理をしていますが(http://wwwのドメインを信頼した作業です)、それに伴い、以下にSEO対策で「ドブロイ」の原稿を投稿します。フランス関連の
物理学者を整理する中での投稿ですが、ドブロイはフランス貴族の血をひき、新しい概念を提唱しています。初めは理解されませんでしたが、博士論文の査読をアインシュタインに頼んだところ、博士論文のレベルではなくてノーベル賞級の考え方だ!と評価を受けた逸話を盛り込んでいます。ご覧下さい。
また、当ブログへのアクセスを増やしたいのでツイッターしてますが、4つのアカウントでフォロー制限受けてます。3/21(日)朝の時点で前日とのフォロワー数と比べると、、、、
@コウジ@kouji@SyvEgTqxNDfLBX_3289→3337_Aバンドリ好き太郎ev2Fz71Tr4x7b1k_2412→2453_
B浩司@BLLpQ8kta98RLO9_2101→2109_ Ckouji kazeno@KazenoKouji_2169→2191_
・4アカウント合計で_【9971⇒10090】⇒【合計で119増四垢/30増単垢。こんなペース。】特に、今週はフォロバ明けなので焦らず作業しましょう。
【以下が投稿原稿です】
フランス貴族、公爵の血を引いてます。その血筋は由緒正しいのです。そもそも、ルイ14世により授爵頂いた名門貴族・ブロイ家の血筋であって、ルイ・ド・ブロイは直系子孫です。兄の没後は子供が居なかった事情もあり、正式に侯爵家の当主を務めています。ルイ・ド・ブロイはフランスの首相を二期務めた第4代当主アルベール・ド・ブロイの孫です。それだから、生誕時にルイの父は当時公子でした。こんな逸話が沢山あるのですね。そんなルイ・ド・ブロイは独自に優れた仮説を進め、ド・ブロイ波の考えにたどり着くのです。
そのルイ・ド・ブロイの考えは初めは中々理解されませんでした。関連して超有名なエピソードがあります。ルイ・ドブロイの博士論文の審査過程で教授達がド・ブロイの考えを理解出来ずアインシュタインに意見を求めた所、ド・ブロイの考えは博士論文よりもノーベル賞に値する。と評価され、更に考えを進めていく事が出来たのです。その考えはパラダイムシフトでした。当時の物理学の世界を変えたのです。
実際に数年後にルイ・ド・ブロイはノーベル賞
を受賞します。いつの時代も中々、
新しい考えは理解出来されないものですね。
【学術論文を書く時は英語必須です】
〆
以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近は全て返信出来てませんが
必要箇所は適時、改定をします。
nowkouji226@gmail.com
【舞台別のご紹介】
2020/08/19_初回投稿
2020/11/25_改定投稿
2021年03月28日
マリ・キュリー_【2021/03/28_原稿投稿】
また、当ブログへのアクセスを増やしたいのでツイッターしてますが、4つのアカウントでフォロー制限受けてます。3/20(土)朝の時点で前日とのフォロワー数と比べると、、、、
@コウジ@kouji@SyvEgTqxNDfLBX_3228→3289_Aバンドリ好き太郎ev2Fz71Tr4x7b1k_2378→2412_
B浩司@BLLpQ8kta98RLO9_2089→2101_ Ckouji kazeno@KazenoKouji_2161→2169_
・4アカウント合計で_【9856⇒9971】⇒【合計で115増四垢/29増単垢。こんなペース。】焦らず作業。
【以下が投稿原稿です】
その名はマリア・スクウォドフスカ=キュリー
Maria Salomea Skłodowska-Curieですが
フランス語でマリ・キューリと呼ばれる
事が多いです。彼女は物理学と化学で
2度ノーベル賞を受けています。
マリ・キューリの父は研究者でしたが
貴族階級の出自故に、帝政ロシアの
支配下の元で教壇に立つことを禁じ
られていました。
マリ・キューリは10歳をなる前に
大変苦労します。父の非合法の講義
が発覚して職・住を失い、母の結核
による他界があり、更には投機での
失敗もあり、親戚等の世話になります。
そんな時期にマリ・キューリにも恋をした時代があったようです。当時、マリ・キューリは家庭教師を生業としていましたが、カジュミェシュ・ゾラフスキという青年と恋仲に落ちます。共に避暑旅行に出かけたりして幸せな時間を過ごしましたが、最終的には破局を迎えました。この事がマリ・キューリのパリ行きに繋がった様です。
パリでもマリ・キューリは苦労します。
屋根裏部屋に住んで寒い時には
持っている全ての服を着ながら
勉学に励みます。そんな生活は
大学の学部を卒業する迄、続きました。
そんなマリ・キューリに
漸く光明がさします。
知り合いを通じてピエール・キューリ
と出会ったのです。
そのピエール・キューリは国外で
評価を受けていて1893年には英国の
ケルヴィン卿が訪ねてくる程でした。
ところがピエール・キューリは
勲章を辞退するような性格で
ひたすら研究に励んでいました。
そんな二人が惹かれ合い、認め合い、
マリの帰国後もピエールは恋文を
贈り続け、遂には簡素な結婚式をあげます。
幸せなん結婚生活だったと思います。
祝いの宴もなく、結婚指輪も無い、
つつましい形式でしたが
祝い金で買った自転車に乗り、
フランスの片田舎へと新婚旅行に旅立ちます。
料理を頑張り、長女に恵まれながらも学問を続け、ベクレルの見出した放射線に対して二人は研究していきました。そこで。光や温度といったパラメターではなくウラン含有量の含有量が放射現象には本質的であるとの結論を得ます。その後、マリとピエールの夫妻は元素の精製に心血を注ぎます。
同位体の存在に近づいていったのです。
関心のある精製にキューリー夫妻は全てを注ぎ込みます。結果として、夫ピエールは度重なる発作に苦しみ、妻マリは神経衰弱から睡眠時遊行症に陥ります。その中で第二子を流産してしましました。そうした犠牲を払い、新しい概念の提唱に至ります。すなわち、特定元素は別の元素へ変化し得る、という事実です。
そして、その過程で放射線を放出して一見エネルギー保存の法則に相反する変化を起こしますが、それを追ってラザフォードらが研究成果を次々に発表します。そして夫ピエールが放射線に医学的効果を期待出来ると発見をしていくのです。ラジウムの効果でした。
当初は、妻マリーの博士学位習得が放射線研究の目的であったのですが最終的にはマリー・ピエール・ベクレルの3人に対してノーベル賞が贈られます。苦労してきた二人にとって、まさに栄誉の極みでした。
所が、その後突然の不幸が訪れました。夫ピエールが46歳の若さにして交通事故で命を落とすのです。妻マリーは悲痛にくれます。当然でした。その後、傷が癒えるまでに多くの物が必要でしたが、最終的に妻マダムは夫ピエールの大学での職位と実験室の後任を引き継ぎます。研究者として活動を始めたのです。
この内容に関してはいずれ追記したいと思います。
いつか、書き足すに値する部分だと思えます。
ケルビン卿・カメリーオネス・アインシュタインといった
当時の綺羅星の物理学者が彼女と交流を持ちました。
そして、何より悲しかったのは放射線のもたらした弊害です。研究の過程で放射線被曝が重なりマリーは頭痛・耳鳴り・怪我がなかなか治らないといった障害に悩まされ続けます。そして終には死に至りますが、当時はまだその関連性が明確ではなかったようです。
波乱に満ちたマリー・キューリの人生は幕を閉じましたがその後人々は彼女の残した物を高く評価しています。1995年、夫妻の墓はパリのパンテオンに移されました。フランス史の偉人の一人として今でも祭られています。そして、物理の世界の偉人として世界中で語り継がれています。
【舞台別のご紹介】
以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。
nowkouji226@gmail.com
2020/10/14_初稿投稿
2021/01/15_改定投稿
2021年03月27日
J・R・オッペンハイマー__【2021/03/27_原稿改定】
また、当ブログへのアクセスを増やしたくてツイッターしてて、以下の4アカ計で考えて3/27(土)朝の時点で、前日と比較すると【10740⇒10797】です。こんなペース。焦らず作業。
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【以下が投稿原稿です】
オッペンハイマーは原爆の父と呼ばれている側面もありますが、UCB(カリフォルニア大学バークレー校)では学生からオッピーと呼ばれていた側面もありました。彼の人生は喜怒哀楽に満ちています。
個人的な着眼点としては彼もユダヤ系の血を引いているという点です。ヒットラーが民族としてのユダヤ人に焦点を当て迫害し、敵視していた現実は動かしがたい事実です。強制収容所に連行されるような世相の中でユダヤ人達は非常な危機感を感じていたはずです。その危機感の中で20世紀初頭の歴史は、天才たちが育ち・団結して新しい物を生み出していたのではないでしょうか。この考えは幾多の人が繰り広げてきたのではないかと思えますが、再度私も強調します。具体的にはアインシュタイン ・マックス・ボルン・D・J・ボーム ・E・パウリ そしてオッペンハイマーです。
(今は此処迄しか思い浮かびませんが後日、追記することになるでしょう)
そうしたメンバーがもたらした今世紀初頭の物理学の進展は急でした。その進展は物理学に留まらず、工学、産業、果ては19117年ロシア革命に始まった社会体制の変化にも繋がっていったと言えるのでは無いでしょうか。今世紀初頭の閉塞感は、それを打ち破る様々な努力によって大きく様変わりしていると思えます。
さて実際、オッパンハイマーは最終的に6つの言葉を操ります。少年時代には鉱物学・数学・地質学・化学に関心を示しハーバードを三年で終えてケンブリッジに留学します。そこから理論物理学のゲッティンゲン大学に進みボルンと出会います。オッペンハイマーはボルンの指導の下で研究を進め共同でボルン・オッペンハイマー近似等の業績を上げます。
その後、アメリカに戻りカリフォルニア工科大学やUCBで教鞭をとりますが、第二次大戦勃発に伴いオッペンハイマーはロスアラモス国立研究所の初代所長に任命されます。ここで原爆を開発したのです。この仕事は、世界のパワーバランスを変え、後の世界を大きく変えました。
晩年、オッペンハイマーは成し遂げた仕事の意味を自問し、後悔の言葉さえ残しています。戦争時代の原爆開発・使用は国としてのアメリカの中で必要と判断されていましたが現代ではそれを使い各国が持つだけで攻撃対象とされたり外交で脅迫の道具として使われていたりします。そういったことにつながった発明をオッペンハイマーは「罪」として捉え水爆の開発には反対していたりもしました。オッペンハイマーには別の罪(?)もあります。オッペンハイマーは冷戦時代なので学生時代からの共産党とのつながりを指摘され、最終的には赤狩りの標的とされ続けていました。常時FBI(司法省管轄のアメリカ連邦捜査局)の監視下にあったのです。1965年、がんの為にニュージャージーの自宅で静かに生涯を終えました。
合掌
以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近は全て返信出来てませんが
必要箇所は適時、改定をします。
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【舞台別のご紹介】
2020/09/21_初稿投稿
2021/01/12_改定投稿
ポール・ランジュヴァン_【2021/03/27_原稿投稿】
ヤフーブログ終了の教訓から登場場所の整理をしていますが(http://wwwのドメインを信頼した作業です)、それに伴い、以下にSEO対策で「ランジュバン」の原稿を投稿します。フランス関連の物理学者を整理する中での投稿ですが、フランスにおいて相対性理論を広げた人物です。本質に迫る議論をしていたのではないでしょうか。エルンストマッハが慣性質量と重力質量の違いに言及して以来、今でも未解決の部分が残る分野だと思えます。ご覧下さい。
また、当ブログへのアクセスを増やしたいのでツイッターしてますが、4つのアカウントでフォロー制限受けてます。3/20(土)朝の時点で前日とのフォロワー数と比べると、、、、
@コウジ@kouji@SyvEgTqxNDfLBX_3228→3289_Aバンドリ好き太郎ev2Fz71Tr4x7b1k_2378→2412_
B浩司@BLLpQ8kta98RLO9_2089→2101_ Ckouji kazeno@KazenoKouji_2161→2169_
・4アカウント合計で_【9856⇒9971】⇒【合計で115増四垢/29増単垢。こんなペース。】焦らず作業。
【以下が投稿原稿です】
ランジュバンは双子のパラドックス
で有名ですね。その矛盾の指摘は、
初めアインシュタインが指摘した
2つの慣性系での時間差から始まる
話ですが、ランジュバンが双子の例え
に置き換えて分かりやすくしました。
そんな時代の人です。無論、
ソルベー会議等に参加しています。
研究者としてはキャヴェンディッシュ研究所でジョゼフ・ジョン・トムソンのもとで学んだ後にソルボンヌ大のピエール・キュリーの下て、学位を得ました。磁性の研究をする一方で水晶振動子を開発して超音波を発生させるメカを実用化しました。
また、マリ・キューリとの恋仲も知られていたようです。ゴシップネタで恐縮ですが。そして、何年か後には二人の孫同士が結婚してます。
また、ランジュヴァンはソナーの発明でも知られています。潜水艦の関係者なら多大な恩恵を受けている訳ですね。
〆
以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。
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【舞台別のご紹介】
2020/10/31_初版投稿
2021/01/18_改定投稿
2021年03月26日
ポール・ディラック_ 【2021/03/26_原稿改定】
ヤフーブログ終了の教訓から整理をしていますが(http://wwwドメインを信頼した作業です)、それに伴い、「ディラック」の原稿を改定します。イギリス関係の人物を整理する作業です。このブログのTOP画像では真ん中に位置している若者です。誰しもが認める天才です。議論は苦手かもしれませんが数学センスはピカイチです。ご覧下さい。
また、当ブログへのアクセスを増やしたくてツイッターしてて、以下の4アカ計で考えて3/26(金)朝の時点で、前日と比較すると【10656⇒10740】です。こんなペース。焦らず作業。
@コウジ@kouji_Aバンドリ好き太郎_B浩司_Ckouji kazeno
【以下が投稿原稿です】
イギリスのディラックは
とても謙虚で無口な人でした。
ノーベル賞が決まった際には、
有名になる事を恐れて受賞辞退を
考えていた様です。そんな人なのですが、
20世紀初頭の天才達がひしめく中で
ファインマン、ハイゼンベルク 、
シュレディンガー等と量子力学を確立します。
シュレディンガーとは
同じタイミングでノーベル賞を受賞します。
ディラックの性格形成を語る上で家庭環境は
大きな要素だったようです。まず、1924年に
ディラックの兄が自ら命を断っています。
色々考えた末だったのでしょうか。
ディラック自身も、その父と会話し辛い
場面が多々あったようです。そして無口に。
しかし、ディラックは闇に沈まずに数学
を駆使して輝かしい成果を残しています。
特にデルタ関数とブラケット記法は
素晴らしい。多大な足跡を沢山残しました。
ブラケット記法とは日本語で「括弧」
の記号を使った表記です。その定式化では
カギカッコ<>の形の 「<」 の部分
だけを「ブラベクトル」と呼び
カギカッコ<>の形の 「>」 の部分
だけを「ケットベクトル」と呼びます。
非常に分かり易い表現でブラの部分が
行列に相当してケットの部分がベクトル量に相当するイメージです。作用した結果のブラ・ケットが固有値を持つ場合に固有状態を持つと表現されます。ここでのベクトルがヒルベルトベクトル(無限次元に対応)であることが学生時代の私にとって感動的でした。一瞬にして物理量に対応する状態が記述された気がしました。他方でデルタ関数は観測が一瞬にして波束の収縮を引き起こす様子を表現していると思います。
ディラックはイギリスの伝統を受け継いだ人でもあります。
ケンブリッジではルーカス教授職を務めました。この名誉は初代・アイザックバローから始まり二代目・アイザック・ニュートンと続き、最近では宇宙論で名を成したスティーヴン・W・ホーキング博士が受け継いでいます。
以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが
必ず返信・改定をします。
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2020/08/17_初稿投稿
2020/12/31_改定投稿
A・H・ルイ・フィゾー_【2021/03/26_原稿改定】
また、当ブログへのアクセスを増やしたいのでツイッターしてますが、4つのアカウントでフォロー制限受けてます。3/19(金)朝の時点で2日前とのフォロワー数と比べると、、、、
@コウジ@kouji@SyvEgTqxNDfLBX_3195→3228_
Aバンドリ好き太郎@ev2Fz71Tr4x7b1k_2361→2378_
B浩司@BLLpQ8kta98RLO9_2075→2089_
Ckouji kazeno@KazenoKouji_2156→2161_
・4アカウント合計で_【9787⇒9856】⇒【合計で69増四垢/17増単垢。こんなペース。】焦らず作業。
【以下が投稿原稿です】
その名は正確には、アルマン・イッポリート・
ルイ・フィゾー(Armand Hippolyte Louis Fizeau,
1819年9月23日 - 1896年9月18日)
地上で光速度を始めて測定した人で、
フランス人です。
フィゾーの実験として有名な物は1849年に回転歯車を使った公開実験です。明快に原理を示して光速度を数値化しました。
フィゾーの示した数値が重要なのは、後に明らかになっていきますが、光が電気と関係してるからです。後にマクスウェルが電磁気学をまとめる中で、自分の理論での計算結果とフィゾーの示した値がとても近い事実に気付きます。それはきっと、今風に言えば、電磁波の伝播速度が光速度に近い、という事実なのでしょう。
また、フィゾーはドップラー効果も予見してます。この言葉はスマホ入力で一発変換されていますが、フィゾー等が確かにしていった概念なのです。
フィゾーが実験を繰り返す困難は測り知れません。当時は未だレーザー光線も無かったでしょうし、当然デジタルのカウンター等も無いので、計測系のイメージだけでも大変だったでしょう。
私が何より興味深いのはフィゾーの
頭の中にある理論的な考察が
閃きによって実験に昇華するプロセスです。
フィゾーは理論的な原理を優れた実験で
わかり易く示したと思います。
以上、間違い・ご意見は
次のアドレスまでお願いします。
最近は返信出来ていませんが
全てのメールを読んでいます。
適時返信のうえ改定を致しします。
nowkouji226@gmail.com
【舞台別のご紹介】
2020/12/01_初版投稿
2021/01/07_改定投稿
2021年03月25日
アーネスト・ラザフォード_【2021/03/25_原稿改定】
また、当ブログへのアクセスを増やしたくてツイッターしてて、以下の4アカ計で考えて3/25(木)朝の時点で、3日前と比較すると【10249⇛10656】です。こんなペース。焦らず作業。
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【以下が投稿原稿です】
その名は正確にはアーネスト・ラザフォード_
Ernest Rutherford, 1st Baron
Rutherford of Nelson, OM, FRS,
初代のネルソン卿_ラザフォード男爵です。
ラザフォードはニュージーランドに生まれ数学でマスタの学位をとった後で奨学金を得てイギリスのケンブリッジ大学に進みます。そこでラザフォードはJJトムソンの指導のもとで気体の電気伝導の研究をします。
研究を進めるうちにラザフォードはウランから2つの放射線、
α線とβ線が出ている事を発見します。ラザフォードは後に透過性の非常に強い放射線が電磁波である事を突き止め、半減期の概念を提唱します。
ラザフォードが考えた半減期の分かり易い
例として、岩石の年代測定があります。
特定の岩石に含まれる物質から出てくる
放射線量を計測すれば、
半減期の概念を使って形成から今迄、
どのくらい時間が経っているか推定
出来るのです。
ラザフォードは更に研究を続けました。
ガラス管にα線を集め、そのスペクトル
分析からα線とはヘリウム原子核である
と突き詰めています。そして、
1911年にはガイガー・マースデンとα線の
散乱実験を行いました。有名なラザフォード
の原子模型が提唱されたのです。
原子には中心に原子核があり
その周りを電子が運動している
現代でも使えるモデルです。
またラザフォードはその人柄から
原子物理学の父と呼ばれています。
キャンデビッシュ研究所では
若い研究所員たちに「ボーイズ!」
と呼びかけていました。また彼は
夏の砂浜でもスーツのジャケット
を脱がないスタイルでした。
そして、
原子番号104の元素は今、彼を偲んで
ラザホージウムと呼ばれています。
以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。
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2020/10/26_初回投稿
2021/01/17_改定投稿
【舞台別のご紹介】
ジョン・A・フレミング_【2021/03/25_原稿投稿】
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【以下が投稿原稿です】
まず、フレミングはケンブリッジで
マクスウェルの師事を受けました。
フレミングは左手の法則で有名です。
簡単に言えば「左手で直行三軸を作った時に
長い指から・電(でん)・磁(じ)・力(りょく)です。
より、細かく説明すると磁場中に電気が流れていると
その導線に対して力が生じます。
電(でん)・磁(じ)・力(りょく)をそれぞれ
q(でん)・B(じ)・F(りょく)で考えて
荷電粒子の速度をvとすると、外積:×を使って
F=q(v×B) です。高校レベルの天下り的な覚え方
ですが、現象として実験事実に即していると考えると
非常に洗練された結果であるとも言えますね。
また、真空管の発明者としても有名です。
今日の電子工学の始まりだとも言われています。
工学の世界で色々な発明を重ねました。
以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが
必ず返信・改定をします。
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2020/09/23_初稿投稿
2020/12/21_改定投稿
【舞台別のご紹介】
N・L・S・カルノー_【2021/03/25_原稿投稿】
また、当ブログへのアクセスを増やしたいのでツイッターしてますが、4つのアカウントでフォロー制限受けてます。3/17(水)朝の時点で2日前とのフォロワー数と比べると、、、、
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Ckouji kazeno@KazenoKouji_2147→2156_
・合計で考えると4アカウント合計で_【9689⇒9787】
【合計で98垢/25単垢。9/15朝にまたフォロバで規制食らいましたので、こんなペースで小休止。】焦らず作業。
【以下が投稿原稿です】
その名は正確にはニコラ・レオナール・サディ・カルノー
: Nicolas Léonard Sadi Carnot。
理論的な熱機関カルノーサイクルから考え続けました。
カルノーの関心は蒸気機関にありました。
当時の産業界は蒸気機関を
理論的に説明出来ていなかったのです。
ニュートン力学で出てくる力の他にその力を加え続けた距離を考えて仕事量の概念を作ります。重い荷物を「数cm引きずる」のと「数km引きずる」のでは大きな差があり感覚的に理解出来ます。
例えば、物体を動かす力と動いたときに発生する摩擦熱の間には関係があり、それらを結びつけるのにカルノーは仕事量の概念を使いました。他、比熱、熱容量、といった概念が出来て様々な現象が繋がっていったのです。
ただ残念な事に、
非常に短い人生を送っていて
36歳の時に病死してしまいます。
カルノーが評価を受けたのは死後でした。
クライペロン・トムソン卿が評価し、
その後にマッハが評価をしています。
以上、間違い・ご意見は
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全て読んでいます。
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2020/11/01_初回投稿
2021/01/17_改定投稿
【舞台別のご紹介】
2021年03月24日
ルイ・コーシー_【2021/03/24_原稿投稿】
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・合計で考えると4アカウント合計で_【9689⇒9787】
【合計で98垢/25単垢。9/15朝にまたフォロバで規制食らいましたので、こんなペースで小休止。】焦らず作業。
【以下がもともとの原稿です】
その名は正確には、オーギュスタン=ルイ・コーシー
(フランス人)Augustin Louis Cauchyです。
コーシーは数学者で、天文学、光学、流体力学に大きく貢献しています。
コーシーの生まれた時代にフランスでは
革命が起きていて
それを避ける為に家族は郊外に居を移します。
彼の生まれた時期でした。
コーシーの一家がパリ郊外に移り住んだ時に
近くにラプラスが住んでいました。
コーシーの父とラプラスが交流を進める中で
ラプラスはコーシーのセンスに気づきます。
素晴らしい出会いだったのです。
やがてコーシーの一家はパリに戻って
サロンでの交流をしたりします。
コーシーはそんな中で土木学校を卒業して
港を作る仕事をしていたようです。
思想的には両親の影響を受け保守的なところがあり、
シャルル10世の国外退去に伴い、
共に流浪の時代を送ります。
そこでコーシーはボルドー公の家庭教師
などをしていました。
研究においては置換方法にコーシーは工夫を凝らし
群論に繋がる研究成果を纏めています。
また解析学の面では、その厳密な性格から
ε・∂(イプシロン・デルタ)論法の原型となる考えを
作り出しました。結果として、
解析学では厳密な定式化を進め、
現代の数学の礎を作ったのです。
級数の置換をスマートに進めていたと思います。
連続・非連続をつないでいったと
言えないでしょうか。
私も複素平面・留数定理…と
学んでいった事を思い出します。
現代で使っている解析学では
コーシーが作り上げたものが多いです。
コーシー・リーマンの方程式・コーシー列・
コーシーの平均値の定理・
コーシーの積分定理等、枚挙にいとまがありません。
その業績は広くたたえられ、
エッフェル塔にその名を残しています。
以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。
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2020/10/31_初回投稿
2021/01/17_改定投稿
【舞台別のご紹介】
シャルル・ド・クーロン_【2021/03/24_原稿投稿】
ヤフーブログ終了の教訓から登場場所の整理をしていますが(http://wwwのドメインを信頼した作業です)、それに伴い、以下にSEO対策で「クーロン」の原稿を投稿します。クーロンの業績で電磁気学が定量的に議論され、不可思議な力が利用されていく物となっていきます。その業績は多岐にわたります。ご覧下さい。
また、当ブログへのアクセスを増やしたいのでツイッターしてますが、4つのアカウントでフォロー制限受けてます。3/17(水)朝の時点で2日前とのフォロワー数と比べると、、、、
@コウジ@kouji@SyvEgTqxNDfLBX_3167→3195_
Aバンドリ好き太郎@ev2Fz71Tr4x7b1k_2317→2361_
B浩司@BLLpQ8kta98RLO9_2058→2075_
Ckouji kazeno@KazenoKouji_2147→2156_
・合計で考えると4アカウント合計で_【9689⇒9787】
【合計で98垢/25単垢。9/15朝にまたフォロバで規制食らいましたので、こんなペースで小休止。】焦らず作業。
【以下が投稿原稿です】
クーロンの名前は正確には
シャルル=オーギュスタン・ド・クーロン
(Charles-Augustin de Coulomb)
と記載されます。彼はフランス人です。調べてみると
もともとクーロンは測量の仕事などもしていました。
時代がら色々な分野に功績を残しています。
まず、力学的な側面では摩擦に関する研究があります。
「部品間で摩擦とロープの張力」を考慮して
機械全体での動きを論じています。
工学的な側面と表面物性からアプローチして
細かく見てみたいところではありますが、
当時の視点からは革新的な研究だろうと思えます。
電磁気的な側面では「ねじり天秤」での実験が有名です。
微細な力を検知出来るような仕組みで
導体表面での帯電状態を計測したのです。
生活の視点では、力学は目で見て分かりやすく、
電磁力学は目で見て分かり辛いと言えます。
それだから、今でも静電気でびっくりしたり、
手品の種として電気的性質が使われたりします。
当然、今でも高電圧の配線は子供の手の届かない所
に敷設され、運用されているのです。
結果的に電荷に働く力は距離の事情に反比例すると示し
クーロンの考えは後の電磁気学、
長い目で見れば場の理論につながっていきます。
〆
以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。
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2020/09/29_初稿投稿
2021/01/13_改定投稿
【舞台別のご紹介】
2021年03月23日
ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ_【2021/03/23_原稿投稿】
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@コウジ@kouji@SyvEgTqxNDfLBX_3122→3167_
Aバンドリ好き太郎@ev2Fz71Tr4x7b1k_2302→2317_
B浩司@BLLpQ8kta98RLO9_2048→2058_
Ckouji kazeno@KazenoKouji_2094→2147_
・合計で考えると4アカウント合計で_【9566→9689】【合計で123垢/31単垢。朝にまたフォロバで規制食らいました。小休止。】焦らず作業。
【以下が投稿原稿です】
ラグランジュはフランスに生まれ革命の時代を生きました。
同時代のラボエジェが処刑された事に際しラグランジュは何故自身が生き延びたか自問自答したのではないでしょうか。何故なら彼はマリー・アントワネットの先生を務めていたからです。
学問の世界ではラグランジュは多大な業績を残しています。物理学者というより数学者として力学体系の整理をしてラグランジュ形式と言われる理解を進めています。私も学生時代にラグランユアンと呼ぶ関係を多用しました。解析力学と呼ばれる分野で、ラグランジュ方程式につながります。後の数論につながる議論もしていますし、時代がら天体に関する研究もしています。
ラグランジュの解析的な考えが有効だったのは各種物理量を
一般化して変分と呼ばれる類の数学的な形式につながるからです。後の量子力学はニュートンの作った微積分だけではなく物理量の関係をラグランジュの使ったような関係で表現します。また、ラグランジュはエネルギー保存則から最少作用の原理を導きその考えは力学に留まらずに電磁気学・量子力学でも使われています。こういった定式化でのパラダイムシフトが後の体系に不可欠です。
ラグランジュの未定乗数法や定式化されたラグランジュアン
は誰しもが認める見事なものです。そして、ラグランジュの名は今でもエッフェル塔に刻まれています。彼の残した仕事と栄誉と共に。
以上、間違い・ご意見は
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最近は返信出来ていませんが
全てのメールを読んでいます。
適時返信のうえ改定を致しします。
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【舞台別のご紹介】
2020/10/02_初稿投稿
2021/01/07_改定投稿
2021年03月22日
フランス関係の物理学者【2021/03/22_原稿投稿】
また、当ブログへのアクセスを増やしたいのでツイッターしてますが、4つのアカウントでフォロー制限受けてます。3/15(月)朝の時点で前日とのフォロワー数と比べると、、、、
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Aバンドリ好き太郎@ev2Fz71Tr4x7b1k_2302→2317_
B浩司@BLLpQ8kta98RLO9_2048→2058_
Ckouji kazeno@KazenoKouji_2094→2147_
・合計で考えると4アカウント合計で_【9566→9689】【合計で123垢/31単垢】焦らず作業します。ご覧下さい。
【以下原稿】
今回、時間が出来たのでフランス関係の人々を纏めました。
フランス人として意識していませんでたが、
蒼々たるメンバーですね。年代順にご覧下さい。
【最新の原稿は随時更新していきます。】
ブレーズ・パスカル_1623年6月19日 ~ 1662年8月19日
ロバート・ボイル_1627年1月25日 ~ 1691年12月31日
ダニエル・ベルヌーイ_1700年2月8日 ~ 1782年3月17日
ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ_1736年1月25日 ~ 1813年4月10日
シャルル・ド・クーロン_1736年6月14日 ~ 1806年8月23
ポール・ランジュヴァン (Paul Langevin、1872年1月23日 – 1946年12月19日
アンドレ=マリ・アンペール_André-Marie Ampère, 1775年1月20日 - 1836年6月10日
ルイ・コーシー_1789年8月21日 ~ 1857年5月23日
N・L・S・カルノー_1796年6月1日 ~ 1832年8月24日
レオン・フーコー_Foucault_1819年9月18日 ~ 1868年2月11日
マリ・キュリー_1867年11月7日 ~ 1934年7月4日
ルイ・ド・ブロイ_1892年8月15日~1987年3月19日
以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。
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2020/12/04_記
2021年03月21日
ランダウ_【2021/03/21_原稿投稿】
また、当ブログへのアクセスを増やしたいのでツイッター再開してます。4つのアカウントで運用。全アカウントフォロー制限解除。目的はブログとの連携。3/14(日)朝の時点で前日とのフォロワー数と比べると、、、、
@コウジ@kouji@SyvEgTqxNDfLBX_3067→3122_
Aバンドリ好き太郎@ev2Fz71Tr4x7b1k_2286→2302_
B浩司@BLLpQ8kta98RLO9_2011→2048_
Ckouji kazeno@KazenoKouji_2085→2094_
・合計で考えると4アカウント合計で_【9449→9566】【合計で117垢/29単垢】焦らず作業します。
【以下原稿】
ランダウは有名なユダヤ系ロシア人の科学者で
日本でも教科書を目にしたことがあるのではないでしょうか。
さて、ランダウは石油技術者の父と教育者の母から生まれます。
12歳で微分法を理解し、14歳で国立大学に入学、
物理数学科と化学学科を同時に履修します。
19歳で学士の称号を得るとレニングラード物理工学研究所で
電磁場注中での電子性質である量子電磁気学を研究していきます。
その後。コペンハーゲンにあるボーアの研究所で大きな影響
を受けました。その後、ケンブリッジでディラック・カピッツァ
と共同研究を進め所謂「ランダウ反磁性」の研究をまとめます。
その後にチューリッヒでパウリと共同研究をした後に
ランダウはレニングラードに戻りました。
ランダウの幸せだった時期を中心に記載しましたが
モスクワの研究所で要職を務めていながらスターリン批判
をしたことで刑務所に服役したり交通事故にあったりしています。
水素爆弾の製造にも不本意ながら加担しています。そして
60歳でこの世を去ります。
ただ、ランダウの業績は不変です。準粒子・フェルミ流体や
ギンツブルグ&ランダウ理論は低温凝縮系の世界を
大きく進ませました。
以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
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2020/09/24_初稿投稿
2020/12/21_改定投稿
【舞台別のご紹介】
以上、間違い・ご意見は
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問題t年に関しては適時、
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2020/09/24_初稿投稿
2021/03/14_改定投稿
【舞台別のご紹介】