また、当ブログへのアクセスを増やしたいのでツイッター再開してます。4つのアカウントで運用。2アカウントフォロー制限解除。目的はブログとの連携。3/13(土)朝の時点で4日前とのフォロワー数と比べると、、、、
@コウジ@kouji@SyvEgTqxNDfLBX_3002→3067_
Aバンドリ好き太郎@ev2Fz71Tr4x7b1k_2209→2286_
B浩司@BLLpQ8kta98RLO9_1951→2211_
Ckouji kazeno@KazenoKouji_2029→2085_
・合計で考えると4アカウント合計で_【9191→9649】【合計で458垢/114単垢】それだから一日あたりで考えて、単アカウントで26の増加ですね。明日には全てのフォロー機能が解除されると期待します。2つのブログへのSNSからの紹介流入を増やします。焦らずに。
【以下原稿】
エドワード・テラーは水爆の父と呼ばれ、
晩年のオッペンハイマーと対立します。
エドワード・テラーはハンガリーのブタペストで弁護士の父と4か国語を使う母から生まれました。ユダヤ系であったエドワード・テラーの父は職を追われ、ハンガリー・ドイツ・アメリカと移住を重ねました。ただ、学問の世界では良い出会いに恵まれています。ハイゼンベルグの下で博士論文を書き、ボーアとの居たコペンハーゲンで有益な時間を過ごします。
アインシュタインと共にエドワード・テラーは原爆の研究をアメリカ政府に働きかけ、実際にその計画は進んでいきます。そんな中、友人のランダウがソ連政府に逮捕された時期に反共思想を持ちます。オッペンハイマーとの確執の始まりが続きます。特に兵器としての利用に関してはエドワード・テラーとオッペンハイマーは対極の立場をとります。
実際、
エドワード・テラーは原爆・水爆と兵器の開発の中心に居ました。水爆を「My・Baby」と呼んでいたと言われています。その立場は変わらず、生涯その事を悔いることはなかったと言われています。
以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが
必ず返信・改定をします。
nowkouji226@gmail.com
【舞台別のご紹介】
2020/09/22_初稿投稿
2020/12/19_改定投稿
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