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2024年06月30日

ダーヴィット・ヒルベルト
6/30改訂【現代数学の父・高木貞治の師・そしてフォンノイマンを評価】

こんにちは。コウジです。
ヒルベルトの原稿を改訂します。


今回の改定点はリンク切れ情報の改定です。
ご覧ください。(以下原稿)


数の概念
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ダーヴィット・ヒルベルト【1862年1月23日 〜 1943年2月14日】


 

ヒルベルトの名前を英語でつづるとDavid Hilbertとなり
ドイツ語:でつづるとˈdaːvɪt ˈhɪlbɐtとなります。誰しもが認める
「現代数学の父」がヒルベルトです。遅ればせながら、
誰しもが認める大物をご紹介します。
ヒルベルトは当時プロイセン王国領だったケーニヒスベルク
(今はロシア領であるカリーニングラード)に生まれました。


ヒルベルトはケーニヒスベルク大学に進学し学びますが、この大学では別途、カントが(別の時代に)学び、学長を務めていたような歴史ある大学です。もともとドイツ騎士団だった人物が設置した大学で、第二次大戦後はソビエト連邦領として統治されていました。


記事を書いている2022年にはウクライナとロシアの紛争が続いていますがロシアの領土を巡る経緯は非常に根深いものがあると感じさせる地方です。思えば旧東ドイツも第二次大戦後は実質的にロシアの支配下あったとも言えます。


プロイセン王国ではありますが、後の時代には他国であったような地方でヒルベルトは生まれ学びました。後に多彩な才能がヒルベルトを育てました。特にウェーバーはドイツ数学の影響をヒルベルトに与えたと言われています。


更に、同大学でヘルマン・ミンコフスキーとアドルフ・フルヴィッツと刺激を与えあう関係を持ちます。なかんずくミンコフスキーとは「最良にして、本当の友人」と感じるような関係を築きました。


またヒルベルトは偉大な数学者を多数、指導輩出しています。教育者として非常に優れています。ヒルベルトはゲッティンゲン大学で色々な人を指導していきました。


ゲッティンゲン大学に居た一人であるヨハネス・ルートヴィヒ・フォン・ノイマン(のちのジョン・フォン・ノイマン)の論文を評価していて、ノイマンは後に原子爆弾やコンピュータの開発で特筆される業績を残します。


また、後述する「ヒルベルト空間」の名付け親はノイマンだと言われています。「三次元ユークリッド空間」を発展させていったのです。ヒルベルトは当時22歳であったノイマンをゲッティンゲン大学に招いて育てたのです。


また日本人では東大の高木貞治がドイツ留学時代ヒルベルトの指導を受けたと言われています。思い返せば恐縮ながら、私も高木貞治の教科書を使っていたので、日本で数学を志す若者もヒルベルトの影響を受けていたのです。明文化すると少し感慨深いです。


ヒルベルトの業績で大きいと思えるのは数学概念の統合計画」と言える仕事だと思えます。それは不変式論、抽象代数学、代数的整数論、積分方程式、関数解析学、幾何学の公理系の研究、一般相対性理論などで個別にあった公理を整理して応用を考えました。


また現実の現象(人間の頭の中での認識群)との相関を考えた時に、多岐に及ぶ業績を「結びつける試み」であると思えます。
ヒルベルトの「公理論と数学的な整合性の証明」に関する
一連の計画はヒルベルト・プログラムと呼ばれ、
現代で理解されています。


後にフォンノイマンも議論を続け、ヒルベルト空間と呼ぶ空間を3次元ミンコフスキー空間から発展させています。また、ヒルベルトの零点定理などに名前が残っています。


何よりヒルベルトはドイツの数学レベルを世界最高の水準ひきあげた数学者達の一人でした。一流の数学者でした。そんなヒルベルトは、晩年にナチスドイツによるユダヤ人迫害を目の当たりにしています。ドイツの数学研究所からユダヤ人たちが一人一人いなくなっていく様子に心を痛めていたそうです。



〆最後に〆


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以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
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2022/04/06_初回投稿
2024/06/30_改定投稿


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(対応英訳)


Hilbert's name is spelled in English as David Hilbert and German: as ˈdaːvɪt ˈhɪlbɐt. The undisputed "father of modern mathematics" is Hilbert. I will introduce the big game that everyone recognizes, though it is late. Hilbert was born in Königsberg (now Russian territory Kaliningrad), which was then the Kingdom of Prussia.


Hilbert goes on to study at the University of Königsberg, which is a historic university where Kant studied (at another time) and was the president. The university was originally set up by a man who was the Teutonic Order, and was ruled as the Soviet Union territory after World War II. In 2022, when I wrote the article, the conflict between Ukraine and Russia continued, but it is a region that makes me feel that the history of Russia's territory is very deep-rooted. If you think about it, it can be said that the former East Germany was also under the control of Russia.


Although it is the Kingdom of Prussia, Hilbert was born and learned in a region that would have been another country in later times. Later, various talents raised Hilbert. In particular, Weber is said to have influenced Hilbert with German mathematics. In addition, he has an inspiring relationship with Hermann Minkowski and Adolf Hurwitz at the university. Above all, he had a relationship with Minkowski that made him feel "best and true friend".


Hilbert has also produced many great mathematicians. He is very good as an educator. Hilbert taught various people at the University of Göttingen. He appreciates the paper of one of them, Johannes Ludwig von Neumann (later John von Neumann), who later made remarkable achievements in the development of atomic bombs and computers. In addition, it is said that Neumann is the godfather of "Hilbert space" described later.


He developed the "three-dimensional Euclidean space". Hilbert invited Neumann, who was 22 at the time, to the University of Göttingen to raise him. It is said that Teiji Takagi of the University of Tokyo received guidance from Hilbert when he was studying in Germany. Looking back, I'm sorry to say that I also used Teiji Takagi's textbook, so young people who aspired to mathematics in Japan were also influenced by Hilbert. I am a little deeply moved when it is written.


What seems to be a big achievement of Hilbert is the work that can be said to be the integration plan of mathematical concepts. It is an invariant theory, abstract algebra, algebraic integer theory, integral equations, functional analysis, research on axioms of geometry, general relativity theory, etc.


When considering the correlation with the phenomenon (recognition group in the human mind), it seems to be an "attempt to connect" a wide range of achievements. Hilbert's program, a series of plans for proof of mathematical consistency with Hilbert's public theory, is called the Hilbert Program and is understood today. Later, von Neumann continued his discussion, developing a space called Hilbert space from the three-dimensional Minkowski space. In addition, the name remains in Hilbert's zero point theorem.


Above all, Hilbert was one of the mathematicians who raised the level of mathematics in Germany to the highest level in the world. He was a leading mathematician. Hilbert witnessed the persecution of Jews by Nazi Germany in his later years. He was hurt by the disappearance of each Jew from the Deutsche Mathematics Institute.

2024年06月29日

ピエール・キューリ_6/29改訂【ピエゾ効果や磁性損失を研究して定式化した優れた実験家】

こんにちは。コウジです。
Pキューリの原稿を改訂します。


今回の改定点はリンク切れ情報の改定です。
ご覧ください。(以下原稿)


数と数式
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ピエール・キューリ【1859年5月15日生まれ 〜 1906年4月19日没】



ピエール・キューリって有名


ご紹介するピエールはマダム・キューリの
旦那様
ですが、調べていけばいくほど良い男です。


ピエールはフランスのパリに生まれましたが、


学校に行きたがらず、お医者だった


お父様や家庭教師等に勉強を


教えてもらって自宅で勉強していました。


特に数学で優秀さを発揮して、とりわけ幾何学で光る所を見せるようになっていき、16歳でパリ大学に入学します。そしてなんとピエールは18歳で学士号を得てしまいます。今の日本では現役学生が入学試験を受ける年齢ですね。びっくりです。ご家庭の事情で博士号習得はあきらめて物理研究室の助手として働きます。原子に対して知見が集まりつつあった未開の時代に数々の業績を残しています。


 

パリ大学鉱物学助手時代に圧電効果


圧電効果とピエゾ効果発見


ピエールは同じ大学の兄ジャックと協同研究進めます。水晶等の結晶に圧力差が生じた時に電位差が発生する現象を定理化して「圧電効果」または「ピエゾ効果」と呼ばれる法則を明確に定式化して、公表しました。更に、彼等はもう一つの現象も示します。水晶に電界を加えた時に形が変わるという現象を発表しましています。



現代の工業製品での応用


現在の工業製品ではこの応用である水晶振動子がデジタル回路で使われています。固有周波数を持つので時計やコンピュータの回路で時間(クロック)の基準となっているのです。最新機器は衛星情報で時刻を補正しますが、得ている衛星情報の基準が厳密な水晶発振器だったりします。
現場の精度を議論出来る仕組みである、
振動子をピエールは作りました。


 

ピエールと磁性


ピエールは磁性に対して更に研究を進めています。その中で自差係数を計測するための精密なねじりばかりを使っていますが、その装置は後に精密計測で世界中の研究者に広く使われています。ピエール・キュリーは博士論文のテーマとして強磁性、常磁性、反磁性について研究をおこないました。特に常磁性への温度特性を「キュリーの法則」として定式化しています。。その式に出てくる物質固有の定数は「キュリー定数」と呼ばれています。更に強磁性体の磁性損失も明らかにしています。「キュリー点」です。キュリー天秤も作りました。沢山の業績を残していますね。


 

そんな沢山の成果をあげていましたが、


ピエールは薄給に甘んじ出世に興味をもたず教育功労勲章も断っていました。そんなピエールを外国では高く評価していて、1893年には英国のケルヴィン卿が訪問してきています。その後ピエールはポーランド人のマリア・スクウォドフスカ(後のキューリ夫人)と出逢い結婚しています。何度もピエールは恋文を送っていたようです。簡素な下宿で温かい時間を過ごしていました。その後は夫婦共同で放射性物質の研究をしていて、ポロニウムとラジウムを発見、放射能という用語の提案を行っています。そして遂にピエールは学生と共に核エネルギーを発見します。


原子核の遷移は熱を生んでいたのです。学生との発見は続き、アルファ線、ベータ線、ガンマ線を見付けています。それぞれの放射線の帯電特性に気付いた訳です。


 

こうした成果をピエールがあげていく中で、過度の研究の中でピエールの心身のダメージは徐々に蓄積していきました。リウマチの症状で毎晩ピエールは激痛に襲われて悲鳴をあげていたそうです。妻マリアとベクレルと共にノーベル物理学賞を受賞した際には体調不良で授賞式に出られませんでした。



そして運命の日が来ます。1906年4月19日木曜日です。


当時パリ大学教授になったばかりのピエールは昼食後2時半頃に目的地に徒歩で移動していました。パリの狭い道を多くの馬車が混走していました。道を渡り損ねた彼は馬車にひかれてしまい、頭蓋骨にひどいダメージを負って即死してしまうのです。一瞬の悲劇でした。フランスは宝を失います。


彼の死後に妻マリアは2度目のノーベル賞を得ています。また娘のイレーヌ・ジョリオ=キュリーとその夫で研究所の助手だったフレデリック・ジョリオ=キュリーも放射性元素の研究でノーベル賞を受賞しています。もう1人の娘エーヴは、母の伝記を書き残しました。孫の ヘレン ランジュバン ジョリオ はパリ大学の核物理学教授で、同じく孫の ピエール ジョリオ は生化学者です。


そして今ピエールとマリの魂はパリのパンテオンの


地下聖堂に眠ってます。他のフランスの産んだ


偉人達と共に。フランスの名誉と共に。


夫婦で深い安らかな眠りを続けています。




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(2021年9月時点での対応英訳)



Pierre Curie is the famous Madame Curie husband


, but the more you look up, the better he is.


Pierre was born in Paris, France, but he didn't want to go to school and was studying at home with his father, a doctor, and a tutor. He entered the University of Paris at the age of 16, especially as he demonstrated his excellence in mathematics, especially in geometry.


And Pierre gets his bachelor's degree at the age of 18. In Japan today, it's the age at which active students take entrance exams. That's surprising. Due to family circumstances, I give up my PhD and work as an assistant in the physics laboratory. He has made many achievements in the undeveloped era when knowledge about atoms was gathering.


He works with his brother Jack, who was also an assistant in mineralogy at the University of Paris. The phenomenon that a potential difference occurs when a pressure difference occurs in a crystal such as quartz is theoremized, and the law called "piezoelectric effect" or "piezo effect" is clarified and published. In addition, they show another phenomenon. We are announcing the phenomenon that the shape changes when an electric field is applied to the crystal. In current industrial products, this application, the crystal unit, is used in digital circuits. Since it has a unique frequency, it is the standard for time (clock) in clock and computer circuits.



Pierre is researching magnetism


 

. Among them, he uses only precision torsion to measure the deviation coefficient, but the device was later widely used by researchers all over the world for precision measurement.


Pierre Curie studied ferromagnetism, paramagnetism, and diamagnetism as the theme of his dissertation. He especially formulates the temperature characteristics for paramagnetism as "Curie's law". .. The substance-specific constants that appear in the formula are called the "Curie's constant". Furthermore, the magnetic loss of the ferromagnet is also clarified. It is a "Curie point". He also made a Curie balance. You have a lot of achievements.


Although he had achieved many such achievements, Pierre was content with a low salary and was not interested in his career and refused the Order of Educational Achievement. Such Pierre is highly evaluated in foreign countries, and in 1893, Sir Kelvin of England visited. Pierre then met and married the Polish Maria Squadovska (later Mrs. Curie).


Pierre seems to have sent a love letter many times. He had a warm time in a simple boarding house. After that, my husband and wife were jointly researching radioactive materials.


He discovered polonium and radium and proposed the term radioactivity. And finally Pierre discovers nuclear energy with his students. Nuclear transitions were producing heat. His discoveries with his students continued, finding alpha, beta, and gamma rays. I noticed the charging characteristics of each radiation.


As Pierre achieved these achievements, Pierre's physical and psychological damage gradually accumulated through his excessive research. Pierre was screaming every night because of the symptoms of rheumatism. When he won the Nobel Prize in Physics with his wives Maria and Becquerel, he was ill and could not attend the award ceremony.



And the day of his destiny will come.


It is Thursday, April 19, 1906. Pierre, who had just become a professor at the University of Paris at the time, was walking to his destination around 2:30 after lunch. He was crowded with many carriages on the narrow streets of Paris. He fails to cross the road and is run over by a carriage, causing terrible damage to his skull and dying instantly. It was a momentary tragedy. France loses treasure.


His wife Maria has won the Nobel Prize for the second time after his death. Her daughter, Irene Joliot-Curie, and her husband, an assistant at the institute, Frederick Jorio-Curie, have also won the Nobel Prize for her work on radioactive elements. Another daughter, Ave, wrote down her mother's biography. Her grandson her Helen her Langevin her Jorio is a professor of nuclear physics at the University of Paris, and her grandson her Pierre her Jorio is a biochemist.


And now the souls of Pierre and Mali are sleeping in the crypt of the Panthéon in Paris. With other great men from France. With the honor of France. The couple continues to sleep deeply and peacefully.

2024年06月28日

マックス・プランク
6/28改訂【実証主義に対して実在論を展開してプランク定数を定めました】

こんにちは。コウジです。
プランクの原稿を改訂します。


今回の改定点はリンク切れ情報の改定です。
ご覧ください。(以下原稿)


比熱実験キット
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マックス・プランク【1858年4月23日生まれ ~ 1947年10月4日没】



その名は正確には



マックス・カール・エルンスト・ルートヴィヒ・プランク
(Max Karl Ernst Ludwig Planck)


【現在の国で言えば】ドイツ生まれのプランクは


前期量子論の主要メンバーの一人です。


ベルリン大学でヘルムホルツと共に教授職を務めた際には、当時の重鎮だったヘルムホルツと同列に話が出来る事に対してプランクは大変な名誉を感じていたそうです。ヘルムホルツから評価を受けた時などはとても嬉しかったとこぼしていたと言われています。因みに、この時のプランクの教授就任はキルヒホッフの死去に伴うもので、就任前に大学側はボルツマンヘルツに打診をしていたそうです。そしてプランクは黒体放射の研究からエネルギーと輻射波の関係を導き、プランクの法則として理論化します。



学問的方法論の観点から語れば、


エルンスト・マッハの実証主義に対し


プランクは実在論を展開しています。


プランクは微視的な物理公式を特徴づける定数である「プランク定数」を提唱しています。即ち微視的な知見において、不連続な物理量を上手に理論に取り入れて微細な定数を導入して体系化しているのです。プランクの提唱した一連の考え方はとても大事な概念で、量子力学の根幹をなしています。現代の我々が後付けで考えてみると、取り得る状態が不連続だから行列力学で使えます。そして状態の時間発展が量子力学体系の中で記述出来て、微視的な状態間の遷移が「定量的に」表せるのです。こうした様々な新概念が提唱されたのです。そんな、



プランクらの時代における改革には、まさに
「パラダイムシフト」という言葉が使えます。
思想体系において大きな変換が起きました。
まず、考え方のハードルをクリア出来た事は
物理学にとって大きな一歩であったと言えます。


そしてプランクは戦争の時代を生きたので幾多の悲劇を味わいました。人道的見地から、アインシュタインへのユダヤ人迫害に対して当時の独裁者であるヒットラーに直接意見を述べています。そして、プランクの長男は第一次世界大戦で戦死しています。プランクの二男はヒットラーを暗殺に加担したので処刑されてしまいました。加えてプランク自身も国賊の親として批難を受けていました。更には、、他にプランクには二人の娘さんが居ましたが、共に孫娘を産んだ後に亡くなっています。


こうして色々とあったプランクの人生ですが、プランクの残した業績は決して消えていません。プランクの名前を残しているプランク定数は今でも世界中で議論の中で使われていて、彼の名を冠した研究所は21世紀になっても最先端の研究を続けています。




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問題点に対しては適時、
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To be exact, its name is
Max Karl Ernst Ludwig Planck.


[Speaking in the current country] German-born Planck is one of the main members of the early quantum theory.


When he was a professor with Helmholtz at the University of Berlin, Planck was very honored to be able to talk with Helmholtz, who was a major figure at the time. He is said to have complained that he was very happy when he was evaluated by Helmholtz. By the way, Planck's appointment as a professor at this time was due to Kirchhoff's death, and it seems that the university side had consulted with Boltzmann and Hertz before his appointment. Planck then derives the relationship between energy and radiant waves from the study of blackbody radiation and theorizes it as Planck's law.



From an academic methodology perspective


, Planck develops realism against Ernst Mach's positivism. Planck advocates the "Planck's constant," which is a constant that characterizes microscopic physical formulas. That is, in microscopic knowledge, he skillfully incorporates discontinuous physical quantities into theory and introduces minute constants to systematize them.

The series of ideas proposed by Planck is a very important concept and forms the basis of quantum mechanics. When we think about it later, it can be used in matrix mechanics because the possible states are discontinuous. And the time evolution of states can be described in the quantum mechanical system, and the transition between microscopic states can be expressed "quantitatively".


You can use the term paradigm shift. A major transformation has occurred in the ideological system. First of all, it can be said that clearing the hurdle of thinking was a big step for physics.



And since Planck lived in the era of war


 

, he experienced many tragedy. From his humanitarian point of view, he speaks directly to Hitler, the dictator of the time, about the persecution of Jews against Einstein and others. And Planck's eldest son was killed in action in World War I. Planck's second son helped Hitler assassinate and he was executed. In addition, Planck himself was criticized as a parent of national bandits. In addition, Planck had two other daughters, both of whom died after giving birth to a granddaughter.


In this way, Planck's life has changed, but his achievements have never disappeared. Planck's constant, which retains Planck's name, is still used in discussions around the world, and his institute continues to do cutting-edge research into the 21st century.


2024年06月27日

ディーゼル
: 6/27改訂‗Rudolf Diesel、1858/3/18 - 1913/9/29

こんにちは。コウジです。
ディーゼルの原稿を改訂します。


今回の改定点はリンク切れ情報の改定です。
ご覧ください。(以下原稿)


HONDA製エンジン
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パリ生まれのディーゼル


ディーゼルはフランスの製本業を営んでいた父のもとに
パリで生まれます。1870年の普仏戦争勃発に伴い、
多くのドイツ人はフランスから退去させられました。
ディーゼル一家もロンドンに移住します。


12歳の時にルドルフは、ドイツ語の教育を
受ける為にアウクスブルクの母方の叔父と叔母の下へ
送られました。1873年にトップの成績で学校を卒業し、
工業学校を経てミュンヘン工科大学へ進みます。

そもそも、私は
太田氏の小説「ほかほかのパン」で
ディーゼルの名前を思い出しました。


ルドルフ・ディーゼルに対するイメージは
ヤンマー社の彦根研究所で初期型のエンジン
を見た時の思い出しかありませんでした。


調べてみると、実の所は色々な足跡を残しています。
ルドルフ・ディーゼルは、ディーゼルエンジン
の発明者として知られていますが、彼の足跡は
その発明にとどまりません。以下に、
彼の主な業績や足跡を紹介します。



ディーゼルエンジンの発明:


ルドルフ・ディーゼルは、1892年に初めてディーゼルエンジンの特許を取得しました。これは内燃機関の一種であり、蒸気機関と比較して効率が高く、燃料の消費量が少ない特徴を持っています。ディーゼルエンジンは、自動車、船舶、発電所など広範囲にわたる産業で使用されています。


技術革新の推進: ディーゼルは、燃料の消費を最小限に抑えつつエネルギーを効率的に変換する方法を探求しました。彼の発明は、産業革命以降の技術革新に大きな影響を与えました。



産業界への貢献:


ルドルフ・ディーゼルは、彼の発明を実用化するために努力し、産業界にその技術を普及させました。これにより、機械化された生産プロセスが可能となり、産業の発展に寄与しました。



教育活動:


ディーゼルは後進の育成にも力を注ぎました。彼はエンジニアリングの教育に熱心であり、多くの学生や技術者を指導しました。



社会的影響:


ルドルフ・ディーゼルの発明は、エネルギーの効率的な利用によって社会に大きな影響を与えました。それにより、交通手段や産業活動の発展が促進され、経済の成長に寄与しました。



遺産と認識:


ディーゼルエンジンの普及と彼の業績に対する認識は、
世界中で広く認識されています。彼の名前は、
エンジンや自動車産業、エネルギー分野など、
多くの分野で永遠に記憶されるでしょう。
私が彦根で見た遺産は一端に過ぎません。


これらは、ルドルフ・ディーゼルが残した
主な足跡の一部です。
彼の業績は、
現代の産業社会においても
重要な役割を果たしています。





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以下アドレス迄お願いします。
問題点には適時、
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2024/04/05_初稿投稿
2024/06/27‗改訂投稿


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Diesel born in Paris


Diesel was born to his father who was a bookbinder in France.
Born in Paris. With the outbreak of the Franco-Prussian War in 1870,
Many Germans were expelled from France.
The Diesel family also moves to London.


At the age of 12 Rudolf received a German education.
I went to my maternal uncle and aunt in Augsburg to receive the test.
Sent. He graduated from school at the top of his class in 1873,
After attending technical school, he entered the Technical University of Munich.
In the first place, I
In Mr. Ota's novel "Hot other bread"
I remembered the name Diesel.


What is your impression of Rudolf Diesel?
Early engine at Yanmar's Hikone Research Institute
All I could remember was when I saw it.


If you look into it, you'll find that it actually leaves a lot of footprints.
Rudolf Diesel is a diesel engine
Although he is known as the inventor of
It's not just his invention. less than,
We will introduce his main achievements and footprints.


Invention of the diesel engine:


Rudolf Diesel patented the first diesel engine in 1892. This is a type of internal combustion engine that has higher efficiency and consumes less fuel than a steam engine. Diesel engines are used in a wide range of industries, including automobiles, ships, and power plants.


Driving innovation: Diesel explored ways to efficiently convert energy while minimizing fuel consumption. His inventions had a major impact on technological innovation after the Industrial Revolution.


Contribution to industry:


Rudolf Diesel worked hard to put his invention into practice and popularized it in industry. This enabled mechanized production processes and contributed to the development of industry.


Educational activities:


Diesel also focused on training the next generation. He was passionate about engineering education and mentored many students and engineers.


Social impact:


Rudolf Diesel's invention had a huge impact on society through the efficient use of energy. This facilitated the development of transportation and industrial activities, contributing to economic growth.


Heritage and recognition:


The spread of diesel engines and recognition of his achievements were
Widely recognized all over the world. his name is,
engines, automobile industry, energy field, etc.
It will be forever remembered in many fields.
The heritage that I saw in Hikone is just one part of it.


These were left behind by Rudolf Diesel
Some of the main footprints. His achievements are
Even in modern industrial society
plays an important role.


 

2024年06月26日

ハインリヒ・R・ヘルツ
6/26改訂【電磁現象の実用化の為に送受信の装置を実現した先駆者】

こんにちは。コウジです。
R・ヘルツの原稿を改訂します。


今回の改定点はリンク切れ情報の改定です。
ご覧ください。(以下原稿)


電磁気学入門
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ハインリヒ・R・ヘルツ【1857年2月22日生まれ ~ 1894年1月1日没】



独逸のヘルツ


ハインリヒ・R・ヘルツのRは
ルドルフ(Rudolf )のRです。


もともと、ヘルツは気象学に関心を持っていました。
1878年ミュンヘン工科大学では指導教官が気象学者のベゾル
でしたが、そこではさしたる業績を残していないようです。
その後の師ヘルムホルツのもとで
液体の蒸発の論文や新型の温度計に関する
論文をまとめた程度だと言われてす。



エーテルに対する理解の変遷


所で、19世紀終わり頃迄は電磁波の伝達物質としてエーテルという物質を想定していました。確かに波を伝える伝達物質、別の言葉を使うと媒質といった物があり波は伝わります。


水という媒質があり表面で波紋が伝わり、空気という媒質があって音が伝わる訳です。1881年にマイケルソンが実験でエーテルを否定したタイミングでヘルツはマクスウェルの方程式を再度考え直します。電磁波の存在を煎じ詰めて実用的なアンテナを考案しました。


現代の整理された考え方によると、電磁波は真空中であっても伝わります。例えば太陽光は大気圏に届く前に真空中を伝わってくるのです。そこにはエーテルは存在しません。エーテルの仮定は観測にかからないばかりか、地球の自転運動・公転運動に対して説明がつかないのです。



ヘルツのその他の業績 


何よりも、ヘルツが大事な「時代を担っていた一人」である
という点を強調します。その時代には実験が繰り返され、
電磁気学の分野で光と電磁波をつなぐ

理論がもやもや生み出されていたのです。
それを支える手段が模索されていたのです。


ヘルツは電磁波を発信する
装置を開発して電磁波の送受信
の実験を繰り返しました。
マクスウェルの理論を現実の生活の中の仕組みと
関連させることを考えてみると、
電波を発信する仕組みと受信する仕組みが必要です。


例えば、磁場中で帯電体が振動運動をした時に
電場と磁場が生成されて、光速度に近い
伝番をする筈です。それを観測にかけるには
「出来るだけ簡単で解析しやすい送信部と受信部」
を設計してシステムの構築をしなければいけません。
ヘルツはそうしたシステムを構築したと言えるのです。
その過程では例えば、

送受信間にガラスを置くと
電磁波が通じ難くなると確認しました。即ち、
電磁波というものがあって、それを使うと離れた
空間の間を送受信出来て、電磁波が透過しやすいもの
とし難いものがあると示したのです。大きな一歩でした。


そして、実験で人々にガウスマクスウェル
の理論を現実の世界とより近づけました。
ヘルツは周波数の単位に名を残しています。






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Hertz of Germany


Heinrich R. Hertz's R is Rudolf's R.


Originally, Hertz was interested in meteorology. At the Technische Universität München in 1878, the instructor was the meteorologist Bezor, but he does not seem to have made much of a mark there. It is said that he only compiled a treatise on liquid evaporation and a new thermometer under his teacher Helmholtz after him.



At the transition of understanding of ether


Until the end of the 19th century,People had assumed The Existance,Ether  as a transmitter of electromagnetic waves. surely


There is a transmitter that transmits waves, or in other words, a medium, and waves are transmitted. There is a medium called water, and ripples are transmitted on the surface, and there is a medium called air, and sound is transmitted.


Hertz reconsiders Maxwell's equations when Michaelson denies ether in an experiment in 1881. He devised a practical antenna by decocting the existence of electromagnetic waves.


According to modern organized thinking, electromagnetic waves are transmitted even in a vacuum. For example, sunlight travels through a vacuum before it reaches the atmosphere. There is no ether there. Not only is the assumption of ether unobservable, but it cannot explain the rotation and revolution of the earth.



Other achievements of Hertz


Separately, Hertz developed a device for transmitting electromagnetic waves and repeated experiments to send and receive electromagnetic waves.
Considering the relationship between Maxwell's theory and the mechanism in real life, we need a mechanism to transmit and a mechanism to receive radio waves. For example, when a charged body vibrates in a magnetic field, an electric field and a magnetic field are generated, and the number should be close to the light velocity. In order to observe it, it is necessary to design a "transmitter and receiver that are as simple and easy to analyze as possible" and build a system.


It can be said that Hertz built such a system. In the process, for example, I confirmed that placing glass between transmission and reception makes it difficult for electromagnetic waves to pass through. In other words, he showed that there are electromagnetic waves that can be used to send and receive between distant spaces, making it easy for electromagnetic waves to pass through and difficult for them to pass through. It was a big step.


And in his experiments he brought Gauss Maxwell's theory closer to the real world. Hertz has left its name in the unit of frequency.


2024年06月25日

J・J・トムソン
‗6/25改訂【電子の単位を明確にして同位体を示した優れた実験家】

こんにちは。コウジです。
J・J・トムソンの原稿を改訂します。


今回の改定点はリンク切れ情報の改定です。
ご覧ください。(以下原稿)


電子デバイス_echo_dot
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J・J・トムソン【1856年12月18日生まれ~1940年8月30日没】



その名はジョゼフ・ジョン・トムソン


;Sir Joseph John Thomson。


イギリスのJJトムソンは同位体の発見者です。


指導者としてはラザフォードオッペンハイマーボルンの師でした。JJトムソンは物理学の発展に大きく貢献しました。先ずケンブリッジ大学を卒業し、4年後にキャヴェンディッシュ研究所の所長を務めます。さらに、電子の実在を形にしていった一人でもあります。電子を発見したかについては異論があるかも知れませんがいくつかの洗練された実験で、JJトムソンは電子の単位量を決めて特定原子の同位体を示しました。



トムソンによる電子の追及
【陰極線から電子線へ】


J Jトムソンの生きた時代の大きな関心は電子でした。ニュートン力学が確立され、それをもとに色々な議論が進んでいた時代に、トムソンは原子核などの束縛を受けていない所謂「自由電子」の振る舞いを明らかにしていきました。トムソンが考えていた時代、初めは陰極線と電子線という言葉さえうまく使い分けられていなかったようです。


電子が沢山放出されるような現象を作り上げて、飛んでくる電子を観測していくイメージです。電子線と呼んだ方が細いイメージです。一昔前の実験装置で「真空ガラス」で電子の流れが可視化できている姿を陰極線、最近の電子ビームで半導体加工の為に電子を飛ばす時には電子線と表現する人が多いです。物理の常識が変化して着目している点が変化しているとも言えます。


原子核の周りをまわっているような「束縛された電子」は当時でも今でも観測の対象とすることはとても難しいのです。また、JJトムソンの子供も後に、電子の波動性を証明してノーベル賞を受けています。


そして、いくつもの偉業を遂げ


J・J・トムソンの亡骸は


ニュートンの墓のすぐ近くに眠っています。


英国の生んだ偉人として。


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時間がかかるかもしれませんが、必ずお答えします。
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Its name is Joseph John Thomson


[Sir Joseph John Thomson].


This JJ Thomson of England is a discoverer of  the isotopes. As a leader, he was a teacher of Rutherford, Oppenheimer, and Born, and contributed greatly to the development of physics.


At first,JJ Thomson graduated from Cambridge University and will be the director of the Cavendish Laboratory four years later. And , He is also one of the people who shaped The Reality of Electrons. There may be some disagreement about the discovery of the electron, but in some sophisticated experiments,Joseph  Thomson determined the unit amount of the electron and showed the isotope of a specific atom.



J Thomson's pursuit of electrons


The history of  John Thomson and electronics is closely related. In an era when Newtonian Mechanics was established and various discussions were proceeding based on it, we clarified the behavior of so-called "free electrons" that are not bound by atomic nuclei. At the beginning, it seems that even the terms cathode ray and electron beam were not used properly.


It is an image of observing flying electrons by creating a phenomenon in which a lot of electrons are emitted. It is a thinner image to call it an electron beam. It is very difficult to observe "bound electrons" that seem to orbit around the nucleus even now. The child of JJ Thomson also later received the Nobel Prize for proving the wave nature of electrons.


And now, the corpse of JJ Thomson, who has achieved several feats, is sleeping in the immediate vicinity of Newton's tomb. He was a great man born in England.


2024年06月24日

田中館 愛橘(たなかだて あいきつ )
6/24改訂【日本物理学の黎明期にイギリスとドイツで物理学を学び日本に紹介し、ケルビン卿を敬愛した偉人|多くの人材を育て「種まき翁」と呼ばれた男|フォノグラムを研究】

こんにちは。コウジです。
田中館 愛橘の原稿を改訂します。


今回の改定点はリンク切れ情報の改定です。
ご覧ください。(以下原稿)


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田中館 愛橘(たなかだて あいきつ)【1856年10月16日生まれ ~ 1952年5月21日没】



日本物理学創設期の人
田中館愛橘


その名は田中館・愛橘と書いて


たなかだて・あいきつ、と読ませます。


生まれた年は旧暦の時代で安政3年9月18日です。
【新暦で1856年10月16日です】
没年は新暦での昭和27年です。


先祖に南部藩の赤穂浪士
と呼ばれた方が居たそうですから、
そうしたイメージから語り出したいと思います。
田中館は時代の変革期に生まれました。


 

田中館愛橘の生い立ち


ご紹介する田中館愛橘の父方は
兵法師範の家系であり、
愛橘は藩校である作人館に学びます。
作人館での同窓生には原敬がいて後輩には
新渡戸稲造がいました。


存じませんでしたが
立派な学校ですね。東京に出て慶應義塾に通い
ますが学費が高額なので東京開成高校に進みます。


今で言えば東大教養学部のイメージでしょうか。
そこで愛橘は山川健次郎から物理学を学びます。


政治にも関心を持っていたようですが、山川から諭され、
日本での理学の遅れを挽回せんと愛橘は物理学を志しました。


1879年に東大で外国人教師であるメンデンホールが
(ユーイングと共に)トーマス・A・エジソンの発明した
フォノグラフを日本に紹介しましたが、田中館愛橘は
早速試作を行いました。その音響や振動の解析を行っています。


音を音質と音量に分けて考えたり、
フィルター処理をする作業が日本で始まったのです。
1880年にはメンデンホールによる重力観測に参加し、
東京と富士山で観測作業を行いました。


当時の世界一の性能を持っと言われたた
電磁方位計を研究開発しました。


そんな時期に、、


突然、福岡に帰っていた父・稲蔵が割腹自殺したとの
知らせを受けて田中館愛橘は明治16年12月に帰郷します。


土地や家などを売り払い東京三田での愛橘の教育の為に
一家総出で引っ越しをしたようなお父様でした。
そのお父様がなくなったのです。


そしてその年に東京大学助教授となりました。詳細は
いつか調べてみたいです。この時期気になる動きです。
時代の変革期に各人が考え抜いていたはずです。



田中館愛橘とケルビン卿


その後、田中館愛橘はイギリスでケルビン卿に師事し、
大きな影響を受け、生涯を通じてケルビンを敬愛しました。


その後1890年にヘルムホルツのいた
ベルリン大学へ転学、電気学などを修めます。


この時代の電気に対する理解は、項を改めて
マクスウェルらと関連して語っています。


電磁気学は力学と異なり色々な人々の多様な知見が
次々重なり形成されていった歴史があるのです。


力学のように第一法則、第二法則、
として電磁気学では出来ていません。


 

愛橘は東京帝大理科大学教授となり後に
理学博士の学位を受けます。更にデンマークのコペンハーゲン
で開かれた万国測地学協会 第14回総会で
地磁気脈動や磁気嵐の発表をします。



田中館愛橘の業績


時代柄もあって、田中館愛橘は陸軍や海軍に対して貢献します。地磁気測量では指導の中心的な役割を果たしています。


旅順での戦闘の際には敵情視察用の繋留気球の制作を依頼されています。それが愛橘と航空研究のきっかけ
となりました。


田中館愛橘は中野の陸軍電信隊内での気球班で気球研究を始め、制作および運用法を指導しています。試行錯誤の末に気球を完成させ、旅順戦で戦闘に使用しています。


そして田中館愛橘が60歳になり、教授在職25周年のパーティで愛橘は辞職する旨を伝えました。後の東大での定年退職制度に繫がっていきます。


また、田中館愛橘は数多くの人材を育てました。教え子としては長岡半太郎中村清二本多光太郎、木村栄、田丸卓郎、寺田寅彦などが居ます。それ故、愛橘は「種まき翁」、「花咲かの翁」と呼ばれたそうです。
95歳7か月の天寿を全うしました。




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Tanakadate Aikitsu,


whose name is Aikitsu, is written as Aikitsu.


Born on September 18, Ansei 3 in the lunar calendar. [October 16, 1856 in the new calendar] The year of death is 1952 in the new calendar. It seems that his ancestor was called Ako Ronin of the Southern Clan, so I would like to start with that image. He spent his youth in a period of change.


By the way, Tanakadate Aikitsu's father is a family of military art masters, and Aikitsu learns from the clan school, Sakujinkan. The alumni at the Sakujinkan was Takashi Hara, and his junior was Inazo Nitobe. I didn't know about it, but it's suary a good school.


He went to Tokyo and go to Keio University, but the tuition fee is high, so he went to Tokyo Kaisei High School. Is it the image of the Faculty of Liberal Arts at the University of Tokyo now? There, Aitachibana learns physics from Kenjiro Yamakawa.



Yonger days of Tanakadate


In his younger days,Aikitsu have been interested in politics, but Yamakawa advised him to make up for the delay in Japanese science, and Aitachiya decided to pursue physics. He introduced Edison's invented phonograph to Japan in 1879 with Mendenhall, a foreign teacher at the University of Tokyo, but Tanakadate Aikitsu made a prototype immediately. He is analyzing the sound and vibration.


He started working in Japan to divide sound into sound quality and volume, and to filter it. In 1880, he participated in gravity observation at Menden Hall and carried out observation work in Tokyo and Mt. Fuji. Aitachi made an electromagnetic directional meter, which was said to be the world's number one high-precision directional meter at that time.


 

Tanakadate Aikitsu returns home after being informed that his father, Inazo, who had returned to Fukuoka in December 1884, committed suicide by seppuku. And that year he became an assistant professor at the University of Tokyo. Details will be investigated later. Because it is a movement that is worrisome at this time.



Tanakadate and Baron Kelvin


After that, Tanakadate Aikitsu studied under Sir Kelvin in England and was greatly admired Kelvin throughout his life. After that, he transferred to the University of Berlin, where Helmholtz was, in 1890 and studied electrical engineering. His understanding of electricity in this era will be discussed later in the context of Maxwell et al.


Unlike mechanics, electromagnetism has a history of  accumulating diverse knowledge of various people one after another made electromagnetism. It has not made as the first law or the second law of mechanics.


Aitkitsu became a professor at the University of Tokyo Science University and later received a doctorate in science. He will also present geomagnetic pulsations and geomagnetic storms at the 14th General Assembly of the International Association of Geodesy Sciences in Copenhagen, Denmark.


 

Job of Tanakadate


Also, due to his time, Tanakadate Aikitsu contributes to the Army and Navy. He plays a central role in his guidance in geomagnetic surveying. During the battle in Lushun, he made a mooring balloon for hostility inspection. That was the catalyst for Aikitsu and his aviation research.


Tanakadate Aikitsu started balloon research in the balloon team within Nakano's Army Telegraph Corps, and is instructing production and operation methods. After a lot of trial and error, the balloon was completed and used in battle in Lushunkou.


 

When Tanakadate Aikitsu turned age 60, he announced that he would resign at the party of his 25th anniversary as a professor. He will be involved in the retirement age system at the University of Tokyo later. In addition, Tanakadate Aikitsu has nurtured a large number of human resources.


His students include Hantaro Nagaoka, Seiji Nakamura, Kotaro Honda, Hisashi Kimura, Takuro Tamaru, and Torahiko Terada. Therefore, They called Aitkitsu"Seeding old man" and "Hanasakika old man". He completed his life of 95 years and 7 months.


(NOTE)Transition Words,
"In the same time,on the other handsin addition for exanple" is Important.

2024年06月23日

ニコラ・テスラ
6/23改訂【磁場の単位を残し、それを社名として名を残したアメリカの天才】

こんにちは。コウジです。
テスラの原稿を改訂します。


今回の改定点はリンク切れ情報の改定です。
ご覧ください。(以下原稿)


電気モーター(教育玩具)
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ニコラ・テスラ【1856年7月10日生まれ ~ 1943年1月7日没】



 発明家テスラ


テスラはオーストリア帝国に生まれ
工夫を重ね、
誘導モーターを発明します。


そのモーターを広める為に
アメリカに渡って、かのエジソン
のもとで働いていましたが独立して
高電圧の変換をして発表をしたり
回転界磁型の電動システムを実用化して
供電社会の礎を築いたりしました。



テスラとエジソン


テスラとエジソンとの間には次第に対立関係が生まれますが、2陣営の対立は送電方式の考え方の違いが大きかったようです。エジソンが直流による電力事業を考えていたのに対してテスラは交流による電力事業に利点があると考えていました。実際に交流が主流になるのです。


幸運な事にテスラは多才でした。例えば
テスラはプレゼンテーションが上手でした。


学会での発表を聞いていたジョージ・ウェスティングハウスが感銘を受け、テスラは資金供給を受け始めます。最終的にはナイアガラの滝を使った発電システムの実現に繋がり、テスラは成功を収めました。ナイヤガラの滝を眺めて誰しも壮大な景色に心を動かされると思いますが、その時の感動を事業のアイディアへ繋げていく思考がテスラならではの凄さですね。事業計画のプレゼンテーションをする時に説得力を持ちますね。後は「本当に出来るの?」と聞かれている内容を説明していく説得力も大事です。そのアイディアや説得力をテスラは持っていました。


数々の事業を成功へ導いたテスラですが、色々な別れがあり晩年は寂しい老後を送っていた様です。テスラは生涯独身でした。内向的な性格が影響しているようです。


そしてテスラの名は今、磁場の単位として使われている他に、会社の名前として名を残しています。数トンの重さがあったと言われる彼の発明品や設計図はFBIが写しをとった後に母語へと返されています。



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Inventor Tesla


Tesla was born in the Austrian Empire and invented an induction motor. After that, he traveled to the United States to spread the motor in addition, worked under Edison, but independently converted high voltage and made presentations and put into practical use a rotating field type electric system. It laid the foundation for a power supply society.



Tesla and Edison


A confrontational relationship with Edison gradually arises, but it seems that the confrontation between the two camps was largely due to the difference in the way of thinking about the power transmission method. While Edison was thinking of a DC power business, at that time, Tesla thought that an AC power business would have an advantage. In fact, exchange becomes mainstream.


Fortunately, for example Tesla was good at presenting.


George Westinghouse, who was listening to the conference presentation, was impressed and began to receive funding.


Ultimately, Tesla was successful in realizing a power generation system using Niagara Falls.


He is Tesla, who has led many businesses to success, but he seems to have had a lonely old age in his later years due to various farewells. Tesla was single all his life.


And in addition to being used as a unit of magnetic field, Tesla's name is now left as the name of the company.


Tesla's inventions and blueprints, which are said to have weighed several tons, have been returned to their native language after being copied by the FBI.



2024年06月22日

山川 健次郎
6/22改訂【後進を育てた日本物理学黎明期の先駆者・東大総長】

こんにちは。コウジです。
山川 健次郎の原稿を改訂します。


今回の改定点はリンク切れ情報の改定です。
ご覧ください。(以下原稿)


難しくない物理学
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山川 健次郎【1854年9月9日生まれ ~ 1931年6月26日没】



山川健次郎の人生


山川 健次郎は日本初の物理学者です。その家は会津藩の家老家で戊辰戦争では健次郎は白虎隊に所属していました。自刀していった仲間もいた中で、山川健次郎は落ち延びました。その後に米国へ国費留学を果たし、イェール大学で物理学を修めます。日本に戻り、最終的には東大総長・京大総長を務めます。



山川健次郎と辰野金吾


私の家祖が会津藩・彰義隊でしたので個人的に彼になんとなく親近感と敬意を持っていました。山川健次郎は国費留学生として イェール大学で学位を修めます。また、東京駅の設計に携わった建築家・辰野金吾とは奥様を通じて親戚関係となっています。



山川健次郎のお人柄と研究成果


山川健次郎のお人柄を表すエピソードとして
日露戦争に関するものがあります。当時、
彼は東大で総長を務めていましたが、
愛国心に満ちた健次郎は陸軍に詰め寄り、
一兵卒として従軍させろ」と担当を困らせたそうです。
個人・家族・所属国家と意識が繋がっていたのですね。
その時にはもはや、賊軍だった頃の意識は無いのでしょう。


山川健次郎の時期の物理学会は諸外国との交流を感じさせません。特にコペンハーゲン学派が中心となって次々と新しい知見をもたらしていた時代に日本の物理学は黎明期にありました。欧州よりもむしろ日本に開国を促した米国に目を向けていたのです。それが精一杯だったのでしょう。「お雇い外人」は殆ど米国人です。


そして山川の時代まで欧州は遠く、新大陸はまだ
未開の部分が今より多い時代です。
米国の独立戦争が1861年から1865年だったことも
思い返してみましょう。


後の時代に原子核内の相互作用を解き明かしていく若者達を育てていく時代だったのです。山川健次郎と同年代のカメリー・オネスローレンツは師に恵まれ論敵に恵まれて、マッハボルツマンの構築した知見の中で考えを進めていたのです。大きく異なる環境から日本の物理学はスタートしています。


山川健次郎自身の研究成果は伝えられていません。研究内容をまとめた論文も広く知られていません。あるのでしょうか。それよりも寧ろ、後輩達を育てながら次の時代への為の土壌を育んでいたと考えるべきでしょう。


また、この時代に千里眼を巡る話題が世間を騒がせていましたがそれに対して山川健次郎は批判的で冷静な立場をとっていたと伝えられています。今も昔も千里眼という不可思議な現象は「議論して解明できる内容ではない」と考える方が良いようです。



〆最後に〆


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Yamakawa Kenjiro's life


Kenjiro Yamakawa is Japan's first physicist. The house was the old family of the Aizu clan, and Kenjiro belonged to Byakkotai during the Boshin War. Kenjiro Yamakawa fell asleep while he had his own sword. He then went on to study abroad in the United States and studied physics at Yale University. He will return to Japan and eventually serve as President of the University of Tokyo and President of Kyoto University.



Kenjiro Yamakawa and Kingo Tatsuno


My ancestor was the Aizu clan Shogitai, so I personally had a sense of familiarity with him. Kenjiro Yamakawa is a government-sponsored international student and he completes his degree at Yale University. He also has a relative relationship with the architect Tatsuno Kingo, who was involved in the design of Tokyo Station, through his wife.



Yamakawa Kenjiro's personality
and research results


There is an episode about the Russo-Japanese War as an episode that shows the personality of Kenjiro Yamakawa. At that time, he was the president of the University of Tokyo, but the patriotic Kenjiro rushed to the Army and asked him to serve as a soldier. Your consciousness was connected to your individual, your family, and your nation. At that time, I wouldn't be aware of what I was when I was a thief.


The Physical Society of Japan during Kenjiro Yamakawa's time does not make us feel any interaction with other countries. In particular, Japanese physics was in its infancy at a time when the Copenhagen school was playing a central role in bringing in new knowledge one after another.


It was an era of nurturing young people who would unravel the interactions within the nucleus in later times. Kamerlingh Ones and Lorenz, who were of the same age as Kenjiro Yamakawa, were blessed with teachers and controversial opponents, and were advancing their thoughts based on the knowledge built by Mach and Boltzmann. Japanese physics starts from a very different environment.


Kenjiro Yamakawa's own research results have not been reported. A paper summarizing his research is also not widely known. Is there? Rather, it should be considered that he was raising his juniors and nurturing the soil for the next era. In addition, it is said that Kenjiro Yamakawa took a critical and calm position against the topic of clairvoyance that was making a noise in this era. Even now and in the past, it seems better to think that the mysterious phenomenon of clairvoyance is "not something that can be discussed and clarified."


2024年06月21日

アンリ・ポアンカレ
6/21改訂【数学・物理学・天文学で独自の領域を開拓】

こんにちは。コウジです。
ポアンカレの原稿を改訂します。


今回の改定点はリンク切れ情報の改定です。
ご覧ください。(以下原稿)


ポアンカレ予想
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アンリ・ポアンカレ【1854年4月29日生れ ~ 1912年7月17日没】



 ポアンカレ予測


その名を書下すと、ジュール=アンリ・ポアンカレ


(Jules-Henri Poincaré)。多様体における考察である


ポアンカレ予想で、よく知られています。また、


小さなトリビア話なのですが、J・ポアンカレは


フランス大統領の従兄弟でもありました。


 

 ポアンカレの業績と評価


ポアンカレは数学、物理学、天文学において
名を残しています。残した業績は大きいのです。
しかし、


その数学的立場には賛否両論があります。


一般の見方ならば分からない程度の賛否両論のでしょうね。

ポアンカレは第一回ソルベーユ会議にも出席していて、
マリ・キューリとの写真は色々な所で紹介されています。
どんな話をしていたのか興味深いですね。
探せるものなら議事録探して分析したいです。


ポアンカレの思考方法で独自性を見出せるでしょう。


他、ポアンカレの業績としては


位相幾何学の分野でのトポロジーの
概念形成などもあります。ヒルベルト形式主義よりも
直感に重きを置くスタイルは、いかにも数学者らしい、
とも思えますが、特定の人からみたら
意味不明に思えたりするのでしょう。また、
とある数学的な発見時に、思考過程を詳細に残し、
思考プロセスの形で心理学的側面の研究に
影響を残したとも言われています。


 

また、以下の著作は何時か時間が出来たら


読んでみたいと考えているポアンカレの著作です。


個人的な課題ですね。


・事実の選択・偶然_寺田寅彦訳_岩波書店


・科学と仮説_湯川秀樹・井上健編_中央公論


・科学の価値_田辺元 訳_一穂社




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Poincare Prediction


The name is Jules-Henri Poincaré. Consideration in manifolds


Poincare conjecture, well known. Also, although it is a small trivia, J. Poincaré was also a cousin of the President of France.



Poincare's achievements and evaluation


Poincare has made a name for himself in mathematics, physics and astronomy. The achievements he left behind are great. However, there are pros and cons to his mathematical position. Pros and cons may not be understood by the general public.


Poincaré also attended the first Solbeille conference, and his photographs with Mari Cucumber are featured in various places. It's interesting what he was talking about. When I have time, I would like to find and analyze the minutes. You will find uniqueness in Poincare's way of thinking.


Other achievements of Poincare include the formation of the concept of topology in the field of topology. His style, which emphasizes intuition over Hilbert formalism, seems to be a mathematician, but he may seem irrelevant to a particular person. It is also said that at the time of his mathematical discovery, he left behind his thought process in detail and influenced the study of psychological aspects of the thought process.


In addition, the following works are Poincare's works that I would like to read when I have some time. It's a personal issue.


 Selection of facts ・ By chance _ Translated by Torahiko Terada _ Iwanami Shoten


 Science and Hypothesis_Hideki Yukawa / Ken Inoue _Chuo Koron


Value of science_Translated by Hajime Tanabe_Ichihosha


2024年06月20日

実験から超電導を示した
稀代の実験家・カメリー・オネス【低温物理学への道を】6/20改訂

こんにちは。コウジです。
カメリー・オネスの原稿を改訂します。


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物性物理学講義
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カメリー・オネス【1853年9月21生まれ ~ 1926年2月21日没】



 ライデン大学のカメリー・オネス


その名はより正確にはヘイケ・カマリン・オンネス


(Heike Kamerlingh Onnes)今日、 日本では


カーメルリング・オンネス、カマリン・オンネスや、


カマリン・オネスなど数パターンでカタカナ表記さ


れていますが、本稿ではカメリー・オネスとします。


 

ライデン大学実験物理学教授」この称号が


カメリー・オネスの人生をよく表しています。


彼は生涯オランダのライデン大学で教鞭をとり、


実験によって新しい世界を切り開きました。


また、ライデン大学には同じ年に生まれた理論家の


ローレンツ_が居ます。理論・実験で


ライデン大学は時代を切り開いたのです。


後に、ボルツマンの弟子のエーレンフェスト


アインシュタインがライデン大学に集います。


カメリー・オネスはドイツのハイデルベルク大学
に留学してキルヒホッフ等の師事を受けたと
言われていますが、特に帰国後にライデン大学
「ファン・デル・ワールスと出会い、彼との
議論を通じ、低温における物理現象に
興味を抱くようになった」【Wikipediaより】
と言われていて、ライデン大学での繋がりが
低温物理学に興味を抱く大きなきっかけ
だったようです。



低温電子物性の幕開け


特に温度を下げていく過程で電子の振る舞いが
どうなるか。それに対しての回答として
カメリー・オネスは超電導現象を示しました。
実験的に再現性のある現象を示す事で
更なる理論の土台を築いたのです。


格子間を運動する電子が電気的性質、磁気的特性を
温度変化に応じてどう変えていくか考えが異なりました。
異なる考えがあった時にカメリー・オネスは
事実を実験によって明確に示したのです。
絶対零度では抵抗はゼロになりました。
一つの予想を実験結果で証明したのです。




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To be more precise, the name is Heike Kamerlingh Onnes. Today, in Japan, it is written in katakana in several patterns such as Carmelling Onnes, Kamerlingh Onnes, and Kamerlingh Onnes, but in this article, Kamerlingh Onnes is written in katakana. will do.


"Professor of Experimental Physics, University of Leiden" This title is a good representation of Kamerlingh Ones' life. He taught at Leiden University in the Netherlands throughout his life and opened up a new world through his experiments.


Leiden University also has a theorist, Lorenz, who was born in the same year. Leiden University opened the era with theory and experimentation.
Then, Boltzmann's disciples Ehrenfest and Einstein gather at Leiden University.


Kamerlingh Ones is said to have studied at Heidelberg University in Germany and studied under Kirchhof and others. Especially after returning to Japan, he said, "I met Van der Waals and through discussions with him, physical phenomena at low temperatures. "I became interested in Cryogenics" [Wikipedia], and it seems that the connection at Leiden University was a big reason for my interest in cryogenic physics.



behavior of electrons


What happens to the behavior of electrons, especially in the process of lowering the temperature? In response, Kamerlingh Ones showed the superconducting phenomenon.
He laid the foundation for further theory by showing it as an experimentally reproducible phenomenon.


They had a different idea of ​​how electrons moving between lattices change their electrical and magnetic properties in response to changes in temperature.
Kamerlingh Ones made the facts clear through his experiments when he had different ideas.
At absolute zero, the resistance is zero.
He proved one conjecture with experimental results.


2024年06月19日

ローレンツ変換で名を残し、
6/19改訂‗アインシュタイン等と議論して育てたローレンツ

こんにちは。コウジです。
ローレンツの原稿を改訂します。


今回の改定点はリンク切れ情報の改定です。
ご覧ください。(以下原稿)


↑ Credit ; Wikipedea ↑


ドラえもんの理科面白後略
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H・A・ローレンツ【1853年7月18日生まれ ~ 1928年2月4日没】



ライデン大学のローレンツ


その名は正確にはHendrik Antoon Lorentz。


です。オランダに物理学で有名なライデン大学


がありますが、ローレンツはライデン大学の出身者です。


後にエーレンフェストがコロキウムを開いていきますが、


そんな大学を理論の面で育んでいった一人が


今回ご紹介するローレンツです。


 

この大学では他に、


エンリコ・フェルミ
西周(日本の哲学者)、
ヘイケ・カメリー・オネス_
アルベルト・アインシュタイン
クリスティアーン・ホイヘンス
フィリップ・シーボルト(博物学者)、
ポール・エーレンフェスト


が学んだり、教えたり、議論をしたりしていました。


他、オランダで個人的に関心があるのは


デルフト工科大学です。そこは現在、


低温物理学で有名な拠点ですので別途、


機会があれば取りあげたいと思います。



ローレンツの主な業績


さて話戻ってローレンツですが、


電気・磁気・光の関係を解きほぐしました。


手法としては座標系の変換を効果的に使います。


特にアインシュタインが特殊相対性理論


を論じる際に起点の一つとして使った、


「光速度不変の定理」はローレンツが導いた


変換に関する考察があって成立しています。


無論、アインシュタインは、


その人柄と業績を高く評価していて、


ローレンツを「人生で出会った最重要な人物」


であったと語っています。



ローレンツの人脈


ローレンツとアインシュタインはエーレンフェストの家でよく語り合っていたと言われています。時間が出来たら寄合って、その時々の関心のある議題について語り合っていたのでしょう。有益な夜の時間が過ごせたはずです。このブログで今ご紹介している写真はそんな中での風景です。きっと。


ローレンツの業績は、電磁気学、電子論、


光学、相対性理論と多岐にわたります。


弟子のゼーマンが電子に起因するスペクトル線


が磁場中で分裂する事実を示した時には


理論的論拠を与えノーベル賞を受けています。


荷電粒子を考えた時には


@静電場からの力が働き
A静磁場からの力が働き
B電場中で速度vで働くとき力が働き、


その総和としてローレンツ力が表現されます。


また、ローレンツ変換は相対論を語る時の


基礎になっています。更に、双極子の性質を表


すローレンツ・ローレンツの式などでローレンツは


名前を残しています。その中で


特に印象深い業績はやはり変換に関する物でしょう。



ローレンツの独自性


ローレンツは座標系の変換の中で局所時間
と移動体の長さの収縮を議論していきます。そこから、
「ローレンツ収縮」といった言葉も生まれてます。
理論への要請として、
マイケルソン・モーレの実験を理論から
説明するには光速度普遍の枠組みで
事実を組み立てなければなりません。
これが可能な理論的土台として
ローレンツ変換は秀逸だったのです。


最後に、そのご臨終の話を語りたいと思います。


ローレンツの葬儀当日は追悼の意を込め、


オランダ中の電話が3分間電話が止められました。


英国王立協会会長だったアーネスト・ラザフォード


お別れの言葉を述べる中で多くの人が


ローレンツを惜しみました。





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Lorenz of Leiden University


Its name is Hendrik Antoon Lorentz to be exact. Leiden University is famous for physics in the Netherlands, and Lorenz is from there. Ehrenfest will open the colloquium later, but one of the people who nurtured such a university in terms of theory is Lorenz. Besides at this university


Enrico Fermi,
Nishi Amane (Japanese philosopher),
Heike Kamerlingh Ones_
Albert Einstein,
Christiaan Huygens,
Philipp Siebold (naturalist),
Paul Ehrenfest


Was learning, teaching, and discussing. Another personal interest in the Netherlands is the Delft University of Technology. It is currently a well-known base for cryogenic physics, so I would like to take up it if there is another opportunity.



Lorenz's main achievements


Now back to Lorenz, I unraveled the relationship between electricity, magnetism, and light. His technique is to effectively use coordinate system transformations.


In particular, the "light velocity invariant theorem" that Einstein used as one of the starting points when discussing special relativity was established with consideration of the transformation derived by Lorenz. Of course, Einstein praised his personality and achievements and described Lorenz as "the most important person he met in his life."



Lorenz connections


Lorenz and Einstein are said to have often talked at Ehrenfest's house. When I had time, I would have come together and talked about the agenda of interest at that time. You should have had a good night time. The photos I'm introducing in this blog are the scenery in such a situation.


Lorenz's achievements range from electromagnetism, electron theory, optics, and theory of relativity. When his disciple Zeeman showed the fact that electron-induced spectral lines split in a magnetic field, he gave a theoretical rationale and received the Nobel Prize. When he thought of charged particles


@ Force from electrostatic field works
A Force from static magnetic field works
B When working at speed v in an electric field, force works,


Lorentz force is expressed as the sum. Lorentz transformations are also the basis for talking about relativity. In addition, Lorentz has left its name in the Lorentz-Lorenz formula, which expresses the properties of dipoles. The most impressive of these is probably the one related to conversion.



Lorenz's uniqueness


Lorenz discusses the contraction of local time and mobile length in the transformation of the coordinate system. From there, the word "Lorentz contraction" is also born. As a request to his theory, to explain Michaelson Moret's experiment from theory, we must construct the facts in the framework of universal light velocity. The Lorentz transformations were excellent as the theoretical basis for this.


Finally, I would like to tell you the story of the end.


On the day of Lorenz's funeral, telephone calls throughout the Netherlands were suspended for three minutes in memory. Many missed Lorenz as Ernest Rutherford, president of the Royal Society, said goodbye.


2024年06月18日

A・A・マイケルソン
6/18改訂【稀代の実験|エーテルを想定した干渉実験を実施】

こんにちは。コウジです。
マイケルソンの原稿を改訂します。


今回の改定点はリンク切れ情報の改定です。
ご覧ください。(以下原稿)




干渉実験(解釈)


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【1852年12月19日 ~ 1931年5月9日】



稀代の実験家マイケルソン


その名を全て書き下すとAlbert Abraham Michelson。


ユダヤ系の血を引くアメリカ人です。


マイケルソンは物理学の中でも特に光学に対して


関心を示し、干渉計を発明しました。。その後、


有名な干渉実験を実現します。マイケルソンはその後も


様々な研究者と実験をしていきますが、光の干渉を原理


として使っていて光路が長い程、精度が高くなります。


そこで、マイケルソン達の装置は大がかりな物に


なっていきますが、結果として様々な外乱に晒され、


誤差との戦いが続きました。装置を据え付ける地盤、


微振動、感光装置、その他に様々な


配慮を払わねはならなかったのです。



実験の時代背景 


こうした実験が行われた背景としてはそもそも、


マイケルソンの時代にエーテルという光の伝播媒質


が論じられていました。光が波であれば当然、


媒質は考えていく物です。ローレンツの理論


での変換は干渉のずれを収縮が打ち消す、


といった結果をもたらします。エーテルを想定した


マイケルソンの実験結果は様々な議論に繋がり


媒質としてのエーテルは現在、否定されています。


この有名な実験が広く認められ、マイケルソンは


アメリカ人として初のノーベル物理学賞を受けます。


近年、マイケルソンの実験手法は
別の成果をもたらしました。
2015年9月、2基のマイケルソン
干渉計を使い、直接的に重力波を
観測にかけたのです。
稀代の実験家の拘りが数十年後に
結実したと言えるでしょう。
【参考.国立天文台のサイト】




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Exprimentist Michelson


Albert Abraham Michelson if you write down all the names. He is an American of Jewish descent.


Michelson was particularly interested in optics in physics and invented the interferometer. .. After that, he realizes the famous interference experiment. Michaelson will continue to experiment with various researchers, but he uses the principle of light interference, and the longer the optical path, the higher the accuracy. There, Michaelson's equipment became a large-scale one, but as a result, it was exposed to various disturbances, and the fight against error continued. We had to pay attention to the ground on which the device was installed, micro-vibration, photosensitive devices, and so on.



Backglound of the Experiment


n the first place, the light propagation medium called ether was discussed in Michaelson's time as the background to these experiments. Of course, if the light is a wave, it is something to think about. The transformation in Lorenz's theory results in the contraction canceling out the deviation of the interference. Michelson's experimental results assuming ether have led to various discussions, and ether as a medium is currently denied. This famous experiment was widely recognized and Michaelson received the first American Nobel Prize in Physics.


In recent years, Michelson's experimental methods have yielded other results. In September 2015, Michelson used two Michelson interferometers to directly observe gravitational waves. It can be said that the insistence of a rare experimenter came to fruition decades later.

2024年06月17日

ジョン・A・フレミング
【マクスウェルの弟子は真空管を発明しました】

こんにちは。コウジです。
フレミングの原稿を改訂します。


今回の改定点はリンク切れ情報の改定です。
ご覧ください。(以下原稿)


ミルスペック真空管
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ジョン・A・フレミング【1849年11月29日 ~ 1945年4月18日】



マクスウェル仕込みのフレミング


まず、イギリスに生まれたフレミングはケンブリッジで


マクスウェルの師事を受けました。フレミング曰く、


マクスウェルの講義は


「逆説的で暗示的な言い方」(Wikipediaより引用)


を含んでいて非常に分かり辛くて不明瞭であったそうです。


当然、そんな講義は学生に不人気で時には


講義を聴いていたのはフレミング一人の時もあったそうです。


物理屋さんにありがちな、とぼけた類のエピソードですね。


酷いと言えば酷い話です。こんな人達。でも、大事。


 

フレミングの業績


フレミングは左手の法則で有名です。簡単に言えば


「左手で直交3軸を作った時に、長い指から・
電(でん)・磁(じ)・力(りょく)です。


より、細かく説明すると磁場中に電気が流れていると


その電気導線に対して力が生じます。


電(でん)・磁(じ)・力(りょく)をそれぞれ
q(でん)・B(じ)・F(りょく)で考えて


荷電粒子の速度をvとすると、


外積:×を使ってF=q(v×B) です。


高校レベルの天下り的な覚え方ですが、
現象として実験事実に即していると考えると
非常に洗練された結果であるとも言えますね。


フレミングは実験で自然界から事実をひき出しています。


また、真空管の発明者としても有名です。
今日の電子工学の始まりだとも言われています。
工学の世界で色々な発明を重ねました。そんなフレミングは子供にこそ恵まれませんでしたが2度の結婚をして、アメリカテレビジョン学会の初代会長を務めたりしながら余生を過ごしました。原稿改定の際に気付いたのですが、
晩年ナイトの叙されています。更には
IEEE(アイ・トリプル・イィ)の前身団体で
評価を受けています。
そんな昔話でした。


 



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Fleming prepared by Maxwell


First, born in England, Fleming studied at Maxwell in Cambridge. According to Fleming, lecture of Maxwell's lecture was very confusing and unclear, including "paradoxical and suggestive language" (quoted from Wikipedia). Naturally, such lectures were quite unpopular with students, and it seems that Fleming was the only one who sometimes listened to the lectures. It's a kind of blurry episode that is common in physicists. It is a surely terrible story.



Fleming's achievements


Fleming is famous for his left-hand rule. Simply put, "When you make three orthogonal axes with your left hand, it is from a long finger, electricity, magnetism, and force. To explain it in more detail, electricity flows in the magnetic field. If so, a force will be generated on the electric conductor.


Considering electricity, magnetism, and force in q (electrivity), B (magnetism), and F (force), respectively, and letting the velocity of the charged particle be v, the outer product: F = q (v × B) using ×. It's an AMAKUDARI way of remembering at the high school level, but it can be said that it is a very sophisticated result considering that it is in line with the experimental facts as a phenomenon.


Fleming is also famous as the inventor of vacuum tubes. He is said to be the beginning of today's electronics. He made various inventions in the engineering world. Fleming wasn't blessed with children, but he got married twice and spent the rest of his life as the first president of the American Television Society.

2024年06月16日

皆が知っている発明家トーマス・A・エジソン【実は「99%の汗と1%の才能」の人】

こんにちは。コウジです。
エジソンの原稿を改訂します。


今回の改定点はリンク切れ情報の改定です。
ご覧ください。(以下原稿)


世界の伝記_エジソン
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アメリカ育ちのエジソン


エジソンはアメリカの発明家です。彼の逸話を聞くと、


閃きの喜びとか達成時の感動が沸き起こります。


エジソンの発明品は蓄音器、電灯、活動写真と


多岐にわたります。研究所はニュージャージの


メンロパークにありました。その街は


今では有名な発明家であったエジソンにちなんで


街の名前がエジソンと改名されている程です。


また、個人的な話になり恐縮ですが、


初めて私が買ったCDが


ボン・ジョビの「New Jersey」でした。


何となく私が想像してた同州の楽しそうで


何かを生み出す活気のある雰囲気は


エジソンが研究所を構え、活動する中で


生まれた部分もあるのですね。きっと。


そんなエジソンは幼少時代から苦労を重ねています。
彼が残した有名の言葉を改めて書き下します。


「天才は99%の汗と1%の才能(で出来ている)」


睡眠時間を削り、時に発想に浸り現実を忘れ
次から次へと発明を繰り返しました。図書館に籠り
独学で色々なことを学び正規の教育を受けずに
試行錯誤を繰り返します。例えば、算数で「1+1=2」
と教わっても「二つの粘土を混ぜた時に一つになるのに
何故この場合は1ではなく2なのか??」という視点
を持ち反論しています。こんな話が語りつかれている
自体がいかにもアメリカ的なのかな?と思いますが、
思考の柔軟性を保ち続ける為には
必要な吟味であるとも言えます。


 

発明家エジソン


その後、投票記録の機械、株式相場表示機、


電話、蓄音機、白熱電球と発明を続けます。


蓄音機を世間に広めた時は


「機械の中に人が居るわけがない!」と


驚きの反論を受けたほどです。


晩年は会社経営から身を引き、


霊界との交信が出来るか、といった


関心を持ち試行錯誤していました。


多くを残して84歳で亡くなっています。


まさに語り継がれ続けている偉人です。


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Edison raised in the United States


Edison is an American inventor. Listening to his anecdotes gives rise to the joy of inspiration and the excitement of achieving it. Edison's inventions range from gramophones, lamps, and activity photographs. His laboratory was in Menlo Park, New Jersey. Personally, I'm sorry to say that the first CD I bought was Bon Jovi's "New Jersey." Somehow, the lively atmosphere that I imagined in the state that seems to be fun and creates something was born while Edison set up a research institute and was active. surely. Edison has been struggling since he was a child. He rewrites his famous words he left behind.


"Genius is 99% sweat and 1% talent (made of)"


He cut down on his sleep, sometimes immersing himself in ideas, forgetting reality, and repeating his inventions one after another. He stays in the library, learns various things by himself, and repeats trial and error without receiving formal education. For example, even if I was taught "1 + 1 = 2" in mathematics, I argue with the perspective of "Why is it 2 instead of 1 in this case when two clays are mixed and become one?" Is it really American that such a story is told? However, it can be said that it is a necessary examination to maintain the flexibility of thinking.


Inventor Edison
He then continues his invention with voting machines, stock quotes, telephones, gramophones, incandescent light bulbs. When he spread the gramophone to the world, he was surprised to hear that "there is no one in the machine!" In his later years, he withdrew from company management and was interested in communicating with the spirit world through trial and error. He died at the age of 84, leaving much behind. He is a great man who has been handed down.

2024年06月15日

W・C・レントゲン
6/15改訂【第一回のノーベル賞受賞者・電子の蛍光現象を実用化】

こんにちは。コウジです。
レントゲンの原稿を改訂します。


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ご覧ください。(以下原稿)


X線撮影技術
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レントゲンの発明者レントゲン


レントゲンと言えば、その人の名よりも


その名を使った装置が思い浮かぶでしょう。


以下ではレントゲンという言葉は


人の名前として使っていきます。


 

レントゲンはドイツ生まれの偉人です。
彼の時代にはハインリヒ・R・ヘルツ
によって真空放電や陰極線の議論が
なされていました。


今風に考えたら
対象は単なる粒子とか波ではなく、
2面性をもった「波動関数で記述される
電子の一団である」と言えますが。
レントゲンの時代には電子の実在は不明確でした。
数キロボルトの電圧を加えた真空管において
蛍光現象が見受けられるのが陰極線です。


一般の電流の知識からは+方向からー方向
(プラス方向からマイナス方向)へ電流が流れますが
陰極線は―方向から+方向に現象が
確認出来るのです。+と−の間に遮蔽物
を置くと遮蔽物から+方向で現象が見られません。
つまり電子はマイナス方向から出ていたのです。



レントゲンの業績


そして、レントゲンは遮蔽物の画像を研究します。


まずレントゲンは実験結果を重視してます。


X線が人体を透過した後の写真を


大衆に見せました。ネーチャやサイエンス


といった有名雑誌に投稿し、議論して


事実を明らかにしていきました。


その方法は先ず磁場に作用する


陰極線の実験を積み重ねます。


陰極、陽極、検出対象として
色々な物資を試し、X線の特性を極めて
鉛は通さずガラスは透過する
といった事実を明確にします。


説明が細かくなり恐縮ですが、
陰極線の陰極・陽極間に検出対象があり、
検出対象から放射されるのがX線です。


検出対象に蛍光物資を使った所が
レントゲンのオリジナリティですね。


また波長に着目すると波長が1pm ~ 10nm程度の
電磁波であるという事実も重要です。
そうした仕組みで磁場から力を殆ど受けない
X線を発見して、突き詰めていったのです。


 

レントゲンの人となり


その後の成果で原子が崩壊・融合する過程で


放射線が出てくる知見が集約されてくる訳ですが、


後の素粒子での議論につながる種が、


レントゲンによって沢山まかれていた訳です。


また、レントゲンを偲ばせるエピソード
を3つ、ご紹介します。


まず、レントゲンは自らの独自技術に
対して特許を申請しなかったと言われ
ています。科学の成果は万人が享受すべき
だというレントゲン独特の考えです。


また、レントゲンは第一回目の
ノーベル賞を受けていますが、
賞金に手を付けず、
全て大学に寄付しています。


そして愛妻家だったと思われます。
レントゲン自身はガンで亡くなりますが
年上だった奥様に先立たれてから
数年後の事でした。今でもよく
紹介されている写真は奥様の手を
X線が透過した姿でした。
皮膚を透過したX線が骨の形を
リアルに映し出し、その薬指には
はっきりと結婚指輪が見えます。





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X-ray inventor,Roentgen


Speaking of Roentgen in Japan, the device of that name comes to mind rather than the person's name. In the following, Roentgen will be used as a person's name.


In the Roentgen era, vacuum discharge and cathode rays were discussed by Heinrich R. Hertz and others. If you think about it in a modern way, it can be said that the object is not just a particle or a wave, but an electron described by a wave function with two sides. It was unclear in the X-ray era. It is the cathode ray that shows the fluorescence phenomenon in a vacuum tube to which a voltage of several kilovolts is applied. From general current knowledge, from + direction to-direction


The current flows in the (plus direction to minus direction), but the phenomenon can be confirmed in the cathode ray from the-direction to the + direction. If a shield is placed between + and-, the phenomenon will not be seen in the + direction from the shield. In other words, the electrons were coming out from the minus direction.



Roentgen’s achievements


And X-rays study images of obstructions. First of all, Roentgen attaches great importance to his experimental results. He showed the public a picture of what X-rays had passed through the human body. He posted to well-known magazines such as Nature and Science, discussed and revealed the facts. The method first accumulates experiments on cathode rays that act on a magnetic field.


He experimented with various materials such as cathodes, anodes, and objects to detect, clarifying the fact that lead does not pass and glass does.


Excuse me for the detailed explanation, but there is a detection target between the cathode and anode of the cathode ray, and X-rays are emitted from the detection target. The place where fluorescent materials are used as the detection target is the originality of X-rays.


Focusing on the wavelength, the fact that the wavelength is an electromagnetic wave of about 1pm-10nm is also important. With such a mechanism, I discovered X-rays that do not receive force from the magnetic field and pursued them.



Roentgen's portrait


Subsequent results will bring together the knowledge that radiation is emitted in the process of atom decay and fusion, but many species that will lead to discussions on elementary particles later were sown by Roentgen.


We will also introduce some episodes that are reminiscent of X-rays. First, Roentgen is said to have not applied for a patent on his proprietary technology. It is an X-ray peculiar idea that the results of science should be enjoyed by everyone.


Roentgen has also received his first Nobel Prize, but he hasn't touched the prize money and donated everything to the university.


And he seems to have been a beloved wife. Roentgen himself died of cancer, a few years after his older wife. The photo that is still often introduced is the X-ray transmission of his wife's hand. X-rays that penetrate his skin realistically reflect the shape of the bone, and his ring finger clearly shows the wedding ring.

2024年06月14日

L・E・ボルツマン
6/14改訂【エントロピー(S=k LogW)を考えていった男の葛藤と業績】

こんにちは。コウジです。
ボルツマンの原稿を改訂します。


今回の改定点はリンク切れ情報の改定です。
ご覧ください。(以下原稿)


 

L・E・ボルツマン【1844年2月20日 〜 1906年9月5日】


アホでもわかるエントロピー
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ボルツマンの生い立ち


その名はLudwig Eduard Boltzmann。


ボルツマンはオーストリア・ウィーン出身の


物理学者にして哲学者です。


カノニカルな(統計的な)議論の他に


電磁気学や熱力学、それらを扱う


数学の研究でボルツマンは業績を残しました。


ボルツマンは芸術の都ウィーンに生まれ、


子供時代にピアニストである


A・ブルックナーからピアノを学んでいます。


 

指導者としてのボルツマンの業績としては


エーレンフェストが博士論文を書く時の


指導が挙げられます。後程もう少し言及しますが


エーレンフェストの定理にはボルツマンの


信念が込められていると言えるでしょう。また、


科学史から見てもボルツマンの原子認識の流れ


は大きな一歩だったと言えます。ここでの一歩が無ければ


素粒子やブラウン運動のイメージは


湧かなかったでしょう。


 

ボルツマンの研究業績


そんなボルツマンの墓には


S=k LogWと書かれています。


そこでいうSとはエントロピーというパラメターで


対象系の乱雑さを表します。


k(またはkBと記載します)という


パラメターを定めて


ボルツマンが定量化した概念です。


クラウジウスが使ったエントロピーを


ボルツマンが再定義した、とも言えます


「乱雑さ」は統計力学において


温度T、容積V、圧力P等と関連して


ボルツマンの関係式として定式化されました。


 

ボルツマンの研究業績の中で特に


私が関心をもつのは


原子論に関しての現象把握です。


観測に直接かからない


「原子」は色々な見方をされていました。


そんな原子に対して


ボルツマンは「乱雑さ」または


「無秩序」の度合いという


新しい物理量である「エントロピー」を使い


原子の実在に近づいていったのです。


結果として


対立する考えが物理学会で生じていて


原子モデルを使うボルツマンと、


実証主義で理論を進める


エルンスト・マッハの間で論争が続きます。


原子論モデルを大きく進めるプランクの登場まで
その後、何年間も必要なのです。
もやもやした状態は続きます。 


そして、エーレンファストの定理で
「原子」と「量子」は見事に関連が示されます。


しかし、残念なことに、、こうした全体像を
ボルツマンが見ることは出来ませんでした。


ボルツマンは晩年に精神障害に悩み


自ら命を絶つという悲しい最期を遂げています。


ここで、暫し物理学は大きな


壁に突き当たっていたように思えます。


沢山の天才達が問題の大きさに畏怖したのでしょう。


 

ボルツマンはピアノが好きでした。


花を手向ける場所がありますよね。



〆最後に〆


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Boltzmann's upbringing


Its name is Ludwig Eduard Boltzmann.


Boltzmann is a physicist and philosopher from Vienna, Austria. In addition to canonical (statistical) discussions, he has made significant contributions to the study of electromagnetism, thermodynamics, and the mathematics that deals with them. He was born in Vienna. As a child, he learned the piano from pianist A. Bruckner.


Boltzmann's achievements as a mentor include teaching Ehrenfest when writing his dissertation. It can be said that Ehrenfest's theorem contains Boltzmann's belief. Also, from the history of science, it can be said that Boltzmann's flow of atomic recognition was a big step. Without one step here, the image of elementary particles and Brownian motion would not have come out.



Boltzmann's research achievements


S = k Log W is written on Boltzmann's tomb.


S here is a parameter called entropy, which represents the disorder of the target system. It is a concept quantified by Boltzmann by defining a parameter called k (or described as kB).


It can be said that Boltzmann redefined the entropy used by Clausius. "Randomness" was formulated as Boltzmann's relational expression in relation to temperature T, volume V, pressure P, etc. in statistical mechanics.


Among Boltzmann's research achievements, I am particularly interested in understanding phenomena related to atomism. Atoms that are not directly observed have been viewed in various ways.


For such an atom, Boltzmann approached the existence of the atom by using "entropy", which is a new physical quantity of "randomness" or "disorder".


As a result, conflicting ideas have arisen at the Physical Society of Japan, and controversy continues between Boltzmann, who uses atomic models, and Ernst Mach, who pursues positivist theory. It will take many years after the advent of Planck, which greatly advances the atomist model.


And, unfortunately, Boltzmann had a sad end in his later years, suffering from a mental illness and dying himself.


Here, for a while, physics seems to have hit a big wall. Many geniuses would have been afraid of the magnitude of the problem.


Boltzmann liked the piano. He has a place to turn flowers.

2024年06月13日

レイリー男爵
6/13改訂【「空は何で青いの?」という子供の疑問に答える理論を確立】

こんにちは。コウジです。
レイリー男爵の原稿を改訂します。


今回の改定点はリンク切れ情報の改定です。
ご覧ください。(以下原稿)


光の物理
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レイリー男爵 ; J・W・ストラット【1842年11月12日~1919年6月30日】



 レイリー卿について


この原稿ではURLに爵位である


”Baron Rayleigh”を使っています。


その名を改めて書下すと、第3代レイリー男爵


ジョン・ウィリアム・ストラット


John William Strutt, 3rd Baron Rayleigh


 

分かり易い業績で紹介していくと、レイリー卿は


晴れた日の空の青さを説明しました。


子供が、「空はなぜ青いの?」って聞いた時に、


どうこたえるか考えてみて下さい。。



その業績


専門的に言えば散乱光の研究をしていた訳です。


そんなレイリー卿は入射波と反射側の散乱波を考え、


それらの波長と空気中の分子の性質を考えたのです。


結果、昼間の空は青く、夕方は赤いのです。


レイリー散乱と呼ばれる考え方です。


別途、ご紹介している


クィーンのブライアンの研究とも関連しています。


そもそも、光を波長の観点から考え直して「赤く見える光の波長」や「青く見える光の波長」を明確にして議論していった事実と、地上との温度差の事実を関連付けて考えています。その関連を考えた時点で自然現象が物理的議論の枠組みで説明できたのです。


またその他のレイリー卿の業績は、


地震の表面波の解析(レイリー波)、


ラムゼーと研究したアルゴンの発見、


初期段階の熱放射理論である


レイリー・ジーンズの法則等があります。


 

その人柄


別の一面としてレイリー卿は量子論や相対論に厳しい立場をとっていたと言われています。実際の所レイリー卿は長い事、エーテルを考え続けていた様です。当時の考えでは否定する事は出来ない物だったとも言えるでしょう。実際にその何年後も実験的にエーテルを実証しようとしています。私はレイリー卿の肩を持ってしまいますが、実験事実の蓄積が無い状態で軽はずみに決断を求めるのは危険です。精査した考えを納得のいく説明で語っていかなければいけません。それだから、考えを育む時間も大切なのです。


またレイリー卿の素晴らしい栄誉を連ねていくと


コプリメダル受賞、ノーベル賞受賞、


第2代キャンデビッシュ研究所所長、


標準局(イギリス国立物理学研究所)の


運営理事会議長と続きます。何より


人材を育てた業績は大きく、ジョセフ・ジョン・トムソン


ジャガディッシュ、チャンドラ、ボースを育てました。


爵位としてのレイリーは彼の長男で物理学者だったロバート・ジョン・ストラが受け継いでいます。物理学者が受け継いでいる事実が好印象でした。きっと息子さんと御弟子さんが議論したりもしたんでしょうね。そう考えたいです。



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[2021年9月時点での対応英訳]



About Sir Rayleigh


In this manuscript, the URL "Baron Rayleigh" is used.


To rewrite the name, John William Strutt, 3rd Baron Rayleigh.


Introducing his easy-to-understand achievements,


This Sir Rayleigh explained the blueness of the sky on a sunny day.


Think about how your child will respond when asked, "Why is the sky blue?" ..



 


Achievements made by Sir Rayleigh's 


Technically speaking, he  had studyed scattered light." Sir Rayleigh" considered the incident waves and the scattered waves on the reflecting side, their wavelengths, and the properties of the molecules in the air. As a result, the daytime sky is blue and the evening is red. This is a concept called Rayleigh scattering. It is also related to Queen's Brian's research, which is introduced separately.


Other achievements of Sir Rayleigh include analysis of surface waves of earthquakes (Rayleigh wave), discovery of argon studied with Ramsey, and Rayleigh-Jeans' law, which is an early stage thermal radiation theory.



 Personality of Sir Rayleigh


It is said that Sir Rayleigh took a strict position on quantum theory and relativity. Everybody knows Sir Rayleigh  had been thinking about ether for a long time. It can be said that he was an undeniable thing at that time. He is actually trying to experimentally demonstrate ether years later. He will carry Sir Rayleigh's shoulders, but it is dangerous to lightly seek a decision without the accumulation of his experimental facts. He must explain his scrutinized ideas with a convincing explanation. That's why time to nurture his ideas is also important.


In addition, "Sir Rayleigh's wonderful honors will be followed by the Copley Medal, the Nobel Prize, the 2nd Director of the Candevis Institute, and the Chairman of the Steering Board of the Standards Bureau (National Institute of Physics, England)". He has cultivated talent above all, and his achievements have been great, and he has cultivated Joseph John Thomson and Jagdish Chandra Bose. And Rayleigh's title is inherited by his eldest son and physicist Robert John Stra. I was impressed by the fact that physicists have inherited it. I'm sure his son and his disciples had a discussion. I want to think so.

2024年06月12日

お雇い外人のトマス・メンデンホール
6/12改訂【明治時代の創設期に東京大学で若者を育てました】

こんにちは。コウジです。
メンデンホールの原稿を改訂します。


今回の改定点はリンク切れ情報の改定です。
ご覧ください。(以下原稿)


トマス・メンデンホール【1841年10月4日〜1924年3月23日】


「明日の地震学(書籍)」
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メンデンホールはいわゆる「お雇い外国人」さんです。
工部省の475人に次ぐ296人を文部省が招へいしていました。
その中の一人です。
名前の綴りはThomas Corwin Mendenhallです。
アメリカのオハイオ州生まれです。


アメリカから先だって来日していた動物学者、
E・S・モースの推薦でメンデンホールは1878年に
東京帝大の物理教師となります。
黎明期の日本教育に先鞭をつけたのです。


メンデンホールは設立されたばかり東大理学部観象台の観測主任となり気候を観測しました。実際に1879年1月から2年間にわたり東京本郷で気象観測に従事したのです。メンデンホールは直接気象に関わるのみではなく日本で地震が頻発する環境に着目し、そうした事情を考慮して、観象台に地震計を設置を導入していきました。


当時の日本では一般にそうした観測環境に対しての知見が乏しかったかったのです。結果として地震観測に関する業績を残し、日本地震学会の設立につながっていきます。メンデンホールはこの側面でも日本の教育に貢献をしています。


こうしてメンデンホールは日本物理学の黎明期において 気象学。地震学を確立していきました。一方で単位系の確立をしていった人です。 また富士山頂で重力測定や天文気象の観測を行い、日本に地球物理学を広げていきました。


日本の物理学者では特に、田中舘愛橘がメンデンホールから力学、熱力学を学んでいます。師ともいえるメンデンホールとの出会いは田中館愛橘に多大な影響を与えたと言われています。


例えば、1879年(明治時代)にメンデンホールを通じてエジソンのフォノグラフの情報を得て、実際に田中舘は試作をしています。音響や振動の解析を試みてい定量的な解析が日本で始まったのです。また、田中舘はメンデンホールによる重力測定に参加し、東京と富士山で作業しました。


メイデンホールは2年の赴任の後にアメリカへ帰国をしましたが、海岸陸地測量局長時代にアメリカの州境と国境のを測定して定めました。緯度、経度で州境が引かれている現在のアメリカの州の形を作ったのです。


メイデンホールの業績は評価されていて、アラスカの氷河のひとつに今でもメンデンホール氷河という名前が残っています。メイデンホールの局長時代の仕事に関連して命名されています。



〆最後に〆


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(対応英訳)


Mendenhall is a so-called "hired foreigner" and the spelling of the name is Thomas Corwin Mendenhall. He was born in Ohio, USA. At the recommendation of E.S. Morse, a zoologist who had come to Japan earlier than the United States, Menden Hall became a physics teacher at the University of Tokyo in 1878. He pioneered Japanese education in the early days.


Menden Hall was just established and he became the chief observer of the Observatory of the Faculty of Science at the University of Tokyo, observing the climate. He actually engaged in meteorological observations in Hongo, Tokyo for two years from January 1879.


Menden Hall focused not only on the weather directly but also on the environment where earthquakes occur frequently in Japan, and in consideration of such circumstances, we introduced seismographs on the observatory. In Japan at that time, I generally wanted to have little knowledge about such an observation environment. As a result, he left behind his achievements in seismic observation and led to the establishment of the Seismological Society of Japan. Menden Hall also contributes to Japanese education in this aspect.


Thus Mendenhall was a meteorologist in the early days of Japanese physics. We have established seismology. He, on the other hand, is the one who established the system of units. He also expanded geophysics to Japan by measuring gravity and astronomical meteorology at the summit of Mt. Fuji.


Among Japanese physicists, Tanakadate Aikitsu is learning mechanics and thermodynamics from Mendenhall. It is said that the encounter with Mendenhall, who can be said to be a teacher, had a great influence on Aitachi.


For example, in 1879 (Meiji era), Tanakadate actually made a prototype after obtaining information on Edison's phonograph through the Mendenhall. He tried to analyze acoustics and vibrations, and quantitative analysis began in Japan. In addition, Tanakadate participated in the gravity measurement by Mendenhall and worked in Tokyo and Mt. Fuji.


Maiden Hall returned to the United States after two years in office, but he measured and determined the borders and borders of the United States when he was Director of the Coastal Land Survey. He created the shape of the current American state, which is bordered by latitude and longitude.


Maidenhall's achievements have been well received, and one of Alaska's glaciers still retains the name Mendenhall Glacier. Named in connection with his work as director of his Maiden Hall.

2024年06月11日

ギブズ
6/11改”a physicist must be partially sane”

こんにちは。コウジです。
ギブズの原稿を改訂します。


今回の改定点はリンク切れ情報の改定です。
ご覧ください。(以下原稿)


熱学・統計力学
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ウィラード・ギブズ【1839年2月11日生れ ~ 1903年4月28日没】



その名は


ジョサイア・ウィラード・ギブズ


Josiah Willard Gibbsです。


米国コネチカット州に生まれて


イェール大学で博士号をとります。


その博士号はアメリカ大学での


最初の工学博士だったそうです。ギブズは


米国における先駆者だったのですね。


そして理学博士でなくて工学博士って所が


アメリカっぽいなと思いました。また、


物理学者ギブスの父は同名で


宗教文学(解説はWikipedia)


の教授です。古き時代のアメリカですね。


その後、


ギブスは修行時代として、


パリ、ベルリン、ハイデルベルクで


一年ずつ滞在します。


今の感覚ではピンとこないのですが、


彼の人生で地元を離れたのは


この三年間だけだったそうです。



ギブズの業績@統計手法


ギブスの業績として大きいものは物理学への


「統計手法」の導入でしょう。


個々の粒子固有の性質は別に考え、


粒子集団が持つ性質を統計的に


まとめあげていく事でその性質が


熱力学的な特性につながっていくのです。


その考えをまとめた論文を読んだ


マクスウェルは大変感動をして、


自身の思いを伝えるために石膏模型


を作ったと言われています。そして、


その抽象的な模型をギブスへ送ったのですが、


模型は今でもイェール大学で


大切に保管されているそうです。



ギブスの業績Aベクトル解析


1880年から4年間の間にギブズはそれまでと違う研究を完成します。
アイルランドの数学者である
ウィリアム・ローワン・ハミルトン 考案の

「四元数」 の考え方と、
ドイツの数学者ヘルマン・ギュンター・グラスマンの
「広延論(Ausdehnungslehre)」
の考え方を組み合わせて
「ベクトル解析」
という数学分野を切り開きました。


現代数学で群、体、環といった言葉を使いこなして
四元数は記述されます。
時代的な変遷から言うと

@運動エネルギーでさえギブス以前は4元数で語られていた。
Aギブス・ベヴィサイド・ヘルムホルツがベクトル解析を広める。
B現代工学の中で4元数の体系が再評価・活用されている。

実際に私が4元数に再会したのは制御工学での
プログラミングの中でした。
個人的な見解としては
「ベクトル解析の手法の方が単純な直感に訴える。」

その一方で個人的見解として
「4元数は演算を単純に出来る。(簡便)」

皆さんの学習・仕事の中で適時、
2パターンを役立てていって下さい。


また、ベクトル解析の成立に関しては
独立して、オリヴァー・ヘヴィサイドの業績もある
ようなのですが後日、詳細を調査します。



ギブスのスタンス


数理的手法を物理学に取り入れたギブスですが、


その立場(スタンス)を表現している言葉をご紹介します。


A mathematician may say anything he pleases,
but a physicist must be at least partially sane.


【(私の訳)


数学者は望むがままに物事を言えますが、


物理学者は何とかして、しゃっきりと


物事を伝えなくてはいけないですよ。】


数学者と物理学者は社会から
求められている物が違うので
視点を変えていかねばいけないと駄目です。



ギブズの暮らし 


最後に、戸田先生の教科書
【岩波書店から出ていた熱・統計力学の本】
でギブスの人柄を伝えるエピソード
が載っていたので
ご紹介します。


イェール大学の司書だった
義理の弟さん夫婦とのエピソードです。
(小さな物語の始まりです)


「ギブスは結婚をしないで父の残した家に
妹夫婦と共に住んでいました。
その家は彼の研究室から近い場所、
道を渡ったところにあって、
ギブスは午前の講義を終えた後に、
食事の為に家に戻っていました。


お昼を食べた後にギブスは
研究室に帰ってそこで過ごし、
夕方五時頃に散歩をしながら帰宅
するという、静かな暮らし
を送っていました。何年も。何年も。


そして、
ギブスは妹の家事を手伝い、
一緒に料理もしました。
特に、不均一系の研究をしていたギブスは
サラダを混ぜる仕事がとても得意だったそうです。」


うまく作業できた時には大層、
ご機嫌になれたでしょう。
そんな静かで温かい生活を重ねていました。




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His name d Gibbs


Its name is Josiah Willard Gibbs. Born in Connecticut, USA, he holds his PhD from Yale University.


His PhD was the first PhD in engineering at an American university. Gibbs was a pioneer in physics in the United States.


And he thought that the doctor of engineering,


not the doctor of science, was American.


And the father of physicist Gibbs is a professor of


religious literature (to Wikipedia)


with the same name. He's an old American, isn't he?


After that, Gibbs will stay in Paris, Berlin and Heidelberg


for one year each as his training period.


It doesn't seem like it's right now, but he's been away from home


for the last three years in his life.



Gibbs achievements


One of Gibbs' major achievements is the introduction of "statistical methods" into physics. Apart from the unique properties of individual particles, by statistically summarizing the properties of the particle population, those properties lead to thermodynamic properties.


It is said that Maxwell, who read the treatise summarizing his thoughts, was very impressed and made a plaster model to convey his thoughts. He sent the abstract model to Gibbs, who is still kept at Yale University.



Gibbs's stance


He is a Gibbs who has incorporated mathematical methods into physics,
Here are some words that express that position (stance).
A mathematician may say anything he pleases,
but a physicist must be at least partially sane.


[(My translation)
Mathematicians can say things as they wish,
The physicist manages to be crisp
He has to tell things. ]


Mathematicians and physicists have


different perspectives because


the things that society demands are different.



Gibbs life


Lastly, I would like to introduce an episode that conveys Gibbs' personality in Professor Toda's textbook [Book of Thermal and Statistical Mechanics from Iwanami Shoten].
(Beginning of a small story)


Gibbs lived with his sister and his wife in the house left by his father without getting married.
The house was near his lab, across the road,
After Gibbs finished his morning lecture, he returned home for a meal.
After having lunch, Gibbs lived a quiet life, returning to his lab and
spending time there, taking a walk around 5 pm and returning home. For years. For years.


Gibbs then helped his sister with the housework and cooked with her.
In particular, Gibbs, who was studying heterogeneous systems, was very good at mixing salads.


He would have been in a good mood when he was able to work well.
He lived such a quiet and warm life.



2024年06月10日

エルンスト・マッハ
6/10改訂【実証論の立場から認識の問題を議論】

こんにちは。コウジです。
マッハの原稿を改訂します。


今回の改定点はリンク切れ情報の改定です。
ご覧ください。(以下原稿)


法実証主義
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【1838年2月18日 ~ 1916年2月19日】



マッハの人生についての概観


別途ご紹介している石原さんはアインシュタイン直後の時代の一人、今回はご紹介するエルンスト・マッハはアインシュタインに影響を与えた一人です。アインシュタインは晩年67歳の時に「回顧録」の中でマッハの著作に対して「1883年の本「力学史」は若いころの私の心を大いに揺さぶりました。」と記しています。その存在と考え方は当時の物理学会と思想の世界に大きな影響を与え、後の認識論に影響を与えました。ボルツマンプランクがマッハとの議論を土台にして独自の論理を展開していきます。


またマッハは実証主義の立場から他分野の研究者たちにも影響を与えました。たとえば、心理学者のフロイトは「精神も物質に還元することが出来、したがって精神は物理学と科学によって理解することが出来る。」【アーサー・ミラー著「137」参照】と固く信じていました。そうしたフロイトの分析に対して当のマッハは
「ヴァ〇ィナをあたかも世界を見通せる望遠鏡であるか

のごとくに用いている。だが、そんなことはヴァ〇ィナ本来
の機能ではない。その目的に使うにはあれは狭すぎる。」
(上述の「137」より)


マッハは最終的には国の政治に参加していたようです。そんな議論を進めたマッハの業績はとても大きいと思います。また、マッハは最初の科学史家だと言われています。昔から正しいと言われてきた科学に関わる方法論を一つ一つ再定義・確認して議論していったのです。



マッハの業績と独自性


エルンスト・マッハはオーストリアに生まれた


物理学者です。その研究範囲は


数学・物理学・感覚分析・心理分析に及びます。


マッハの残した業績はまさにパラダイム
シフトと呼べます。それは時間と空間の
概念に対しての挑戦でした。そもそも、
ニュートン以降の時代に、空間の概念は
絶対空間・絶対時間が主流でした。
背景として神様の概念に端を発する世界観
があったのです。宇宙も自然も神の作り
たもうた産物だと万人が考えていました。


所がマッハの考え方は徹底的に相対的です。
マッハの考え方によると空間は全て相対的で絶対空間という概念は設けません。論理的に考えて絶対空間の意義を感じない所が凄いのです。時間に関しても同様で絶対空間で流れる時間に意義を感じていません。後に議論される双子のパラドックスを知ると、複数の時間系を考える時にもっと我々には設定が必要な筈なのですが、そこまで議論を進めるべきなのです。


アインシュタインはそこを考え抜き相対論
に至ります。新しい考えを哲学的思考
方法で打ち出し、明確なメッセージ
を伝えたマッハの業績は素晴らしかったです。
晩年のマッハをアインシュタイン
表敬訪問しています。


 

マッハの進めた認識改革


またマッハは物理学に於ける認識の変革


にも大きく関わりました。ボルツマン


プランクらの実在論に対してマッハは


実証主義を展開し、自然に対する測定を


通じた認識の問題を議論しました。


観測者の感覚を重視した認識に対して


独自の立場を明確にしています。事物を


認識するのは認識者であって「個人個人の


感覚を通じて認識する過程」を含めて


マッハは議論を進めていったのです。そして、


音速をこえる時の画像は万人に説得力を持ちます。
Photography of bow shock waves around a brass bullet, 1888


 ↑ cf; Wikipedia  パブリック・ドメイン ↑


我々は未だに音速を表現する際に「マッハ」


という単位で彼の名前を使い続けています。


それは後世・我々が出来た小さな評価だった


とも言えるのでは無いいか、と私は思っています。


論敵も多かったマッハでしたが、しっかりと


今に残る確かな足跡を残しています。



〆最後に〆


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Mach life


Mr. Ishihara, who I introduced earlier, was one of the people immediately after Einstein, and Ernst Mach, who I will introduce this time, was one of the people who influenced Einstein. Its existence and way of thinking had a great influence on the Physical Society of Japan and ideas at that time, and influenced later epistemology. Boltzmann and Planck develop their own logic by referring to the foundation of Mach's argument. It seems that Mach eventually participated in national politics. I think Mach's achievements in promoting such discussions are very large. Mach is also said to be the first historian of science. He redefined, confirmed, and discussed science-related methodologies that have long been said to be correct.



Mach achievements and uniqueness


Ernst Mach is an Austrian-born physicist. His research interests cover mathematics, physics, sensory analysis, and psychological analysis.


The achievements left by Mach are just a paradigm
You can call it a shift. It's time and space
It was a challenge to the concept. in the first place,
In the post-Newton era, the concept of space was
There was only absolute space and time.
A world view that originates from the concept of God as a background
There was. The universe and nature are made by God
Everyone thought it was a product of humanity.


However, Mach's way of thinking is completely relative.
According to Mach's idea, all spaces are relative and do not have the concept of absolute space. It is amazing that I think logically and do not feel the significance of absolute space. The same is true for time, and I don't feel the significance of time flowing in absolute space. Knowing the twin paradox that will be discussed later, we should have more settings when considering multiple systems, but we should proceed to that point.


Einstein thinks about it and comes to the theory of relativity. Mach's achievements in delivering his new ideas in a philosophical way and delivering a clear message were wonderful. Einstein pays a courtesy visit to Mach in his later years.



Mach's cognitive reform


Mach was also heavily involved in the transformation of cognition in physics. Mach developed positivism against the realism of Boltzmann, Planck and others, and discussed the problem of cognition through measurement of nature.


He takes a unique position on the observer's sense-oriented perception. It is the recognizer who recognizes things, and Mach proceeded with the discussion, including the process of recognizing things through individual senses. Images when the speed of sound is exceeded are persuasive to everyone.


We still continue to use his name in the unit "Mach" when expressing the speed of sound. I think it can be said that it is a small evaluation that we have made in posterity.


He was Mach, who had a lot of controversy, but he has a solid footstep that remains.


2024年06月09日

E・W・モーリー
5/29改訂【アメリカで稀代の実験家が光速度に関する事実を実験検証】

こんにちは。コウジです。
モーリーの原稿を改訂します。


今回の改定点はリンク切れ情報の改定です。
ご覧ください。(以下原稿)



おもしろ理科実験
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【1838年1月29日 ~ 1923年2月24日】



稀代の実験家E・W・モーレー


その名を書き下すとエドワード・ウィリアムズ・モーリー


(モーレーとも書く時もあります)


ニュージャージー州出身。晩年のオッペンハイマー

とかエジソンと同郷ですね。個人的印象としては


米国4台研究拠点の一つです。他は


カリフォルニア・シカゴ・コネチカット州だと思えます。


其々で最先端の議論が繰り広げられてきました。


何より、モーリーはマイケルソン・モーリーの実験で有名です。
(マイケルソンはファーストネームでなく別人の名前です)


別項でも記述しましたが、この実験ではエーテルの


存在に起因する「光速度の変化」は見てとれませんでした。


その事が結果として「光速度普遍の原理」に


繋がっていったのが歴史的な事実です。




モーレの歴史的な位置付け


更に話を掘り下げていくと、


この話は等速運動をする


慣性系においてローレンツやアインシュタインが


考えていたような系の間の関係式へとつながり、


その関係式が更に考える為の材料となって


相対論の理論体系が構築出来ています。


理論の起点と確認点はあくまで実験で


確かめられた自然界の事実なのです。


こういった理論と実験の両輪を考えていく


ダイナミックさが物理学の醍醐味です。


その議論の中で

モーレの仕事は大きな役割を果たしました。

 

その他。モーレーは、熱拡散に関する研究を行い、


磁場中の光速に関する研究を行い、実績を残しています。


 

〆 


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If you write down the name, Edward Williams Morley,

A physicist born in New Jersey, USA. Speaking of New Jersey, it's the same hometown as Oppenheimer and Edison in his later years. As a personal impression

It is one of the four research bases in the United States. The other seems to be California, Chicago, Connecticut. There must have been discussions in each case. Above all, Morley is famous for Michaelson Moret's experiments.

As described in another section, the "change in speed of light" due to the presence of ether could not be seen in this experiment. It is a historical fact that this led to the "universal principle of the speed of light" as a result.

Further digging into the story, we can derive the relational expression between the systems that Lorenz and Einstein thought in the inertial system that moves at a constant velocity, which becomes the material for further consideration and the theory of relativity. The system has been built.

The starting point and the confirmation point of the theory are the facts of the natural world confirmed by experiments. The dynamic of thinking about these two wheels of theory and experiment is the real thrill of physics.

others. Morley has a track record of conducting research on thermal diffusion and research on the speed of light in a magnetic field.



2024年06月08日

J・C・マクスウェル
6/8改訂【場の理論をまとめ、電磁波が光速となる事を示した】

こんにちは。コウジです。
マクスウェルの原稿を改訂します。


今回の改定点はリンク切れ情報の改定です。
ご覧ください。(以下原稿)


マクスウェル方程式
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【1831年6月13日 ~ 1879年11月5日】



マクスウェルの人物概要


その名を細かく記載すると、J・C・マクスウェル


:James Clerk Maxwell_。


マクスウェルは電磁気学を確立しました。


何より場の理論の基礎を作りあげ、


電場と磁場の関係をマクスゥエル方程式


で関連付けてまとめ上げ、


定式化をしたのです。更には、


直行する電場と磁場からなる「電磁波」


の関係を数式として確かにして、


媒体である光の進行相度が


光速度となる事を理論的に導きました。


物理学の視点で考えたら、
時代が大きく変わる時期です。そして
ベートーベンはもう居ない時代なのです。
(彼の人生は1770年12月16日頃 - 1827年3月26日)



天才肌のマクスウェル


個人的な意見として電磁気学に関わる人物は
何故だか高潔な心持を持っているように思えます。
特にマクスウェルに対してはそう感じます。


大英帝国のエディンバラで生まれたマクスウェルは
文理の面で、それぞれ早熟な才能を示ました。


14歳の時に書いた詩が地元の新聞に掲載されています。
言語学・修辞学の高度な習得を感じさせますね。


また同時期に、焦点を用いて「卵形線」を定義して、
「ピンと糸」を使った工夫で描き出す手法を提案していて、
論文に纏めています。マクスウェルに限らず当時の
物理学者は今よりも多面的に現象を論じ、
考えてていてた傾向はあるようです。
そんな時代を差し引いても天才肌ですね。
マクスウェルも光学・熱力学で業績を残します。


(ノッティングヒルで)マクスウェルは1860年から1866年までこの家に住んだ。
  マクスウェルのもっとも実りある時期で、重要な仕事はここで行われた。電磁気学
  だけでなく、気体分子運動論、三原色の原理、カラー写真の研究もここで
  行われた。」(太田浩一「ほかほかのパン」より引用)


電磁波が光学的に縦波・横波で議論されています。
現代では高校レベルの知識ですが
当時、説明するのは大変だったと思います。



マクスウェルの残した業績


マクスウェルの業績で個人的にもっとも


評価したいのは何よりも「場の考え」の確立です。


静的な意味での場と時系列で変化する


動的な意味での場は大きく違うと思えます。


マクスゥエルは後者の意味での「場」を


定式化して後の理論家達に


進むべき道を示したパイオニアでした。


実際に後のアインシュタインニュートンよりも


マクスウェルを近しく感じています。共に「場」を


考えていった系譜の人々なのではないでしょうか。


ニュートンよ許したまえ」という言葉を使い、


アインシュタイン絶対時間を否定して


相対性理論を構築していくのです.


先ほど電磁波が「光速で伝わる」と述べましたが、


電磁波を「情報」と置き換えて考えると


より分かりやすいかもしれません。


その時々の「場」の状態を決めている情報が


光速度で伝わっていく表現を


作っていった一人がマクスウェルなのです。


(晩年マクスウェルは)
「ケンブリッジ、アバーディン、ロンドンを通じて労働者
 の為の講義を退職後の1866年まで熱心に続けた。
 学生よりも労働者に学問への熱意を感じたようである。」
(太田浩一「ほかほかのパン」より引用)


そして偶然ですが、マクスウェルの没年に


アインシュタインが生まれています。


マクスウェルが亡くなったのは40代なので


もう少し活躍して欲しかったと思います。


残念至極。 



〆最後に〆


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Maxwell's personal profile


To elaborate on its name, James Clerk Maxwell.


Maxwell established electromagnetics.


There, he laid the foundation for field theory, and formulated the relationship between electric and magnetic fields by associating them with the Maxuel equation. Furthermore, he confirmed the relationship between the orthogonal electric field and the "electromagnetic wave" consisting of the magnetic field as a mathematical formula, and theoretically derived that the progressive phase is the speed of light.



Genius skin Maxwell


Born in Edinburgh, the British Empire, Maxwell showed precocious talent both in literature and in science. A poem he wrote when he was 14 was published in a local newspaper. He makes us feel the advanced acquisition of linguistics and rhetoric.


At the same time, he proposed a method of defining an "oval line" using focus and drawing it with a device using "pins and threads", and summarized it in a treatise. It seems that physicists at that time, not just Maxwell, tended to discuss and think about phenomena from a more multifaceted perspective than they do now. It's a genius skin even if the times are subtracted.


Maxwell also makes a mark in optics and thermodynamics. Electromagnetic waves are optically discussed as longitudinal waves and transverse waves. Today, it's high school level knowledge, but I think it was difficult to explain at that time.



Achievements left by Maxwell


What I personally want to evaluate most about Maxwell's achievements is the establishment of the "electromagnetic field idea". It seems that the electromagnetic field in the static sense and the electromagnetic field in the dynamic sense that change over time are very different.


Maxuel was a pioneer who formulated the "electromagnetic field" in the latter sense and showed the way to later theorists.


In fact, later Einstein feels closer to Maxwell than Newton. I think they are people of genealogy who both thought about "electromagnetic field". Using the phrase "Forgive me, Newton," Einstein denies absolute time and builds the theory of relativity.


And by chance, Einstein was born in the year of Maxwell's death.


Maxwell died in his 40s, so I hope he's a little more active. Twice


2024年06月07日

ウィリアム・トムソン
6/7改訂【B・K OM, GCVO, PC, PRS, PRSE】

こんにちは。コウジです。
Wトムソンの原稿を改訂します。


今回の改定点はリンク切れ情報の改定です。
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大学入試熱力学
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【1824年6月26日 ~ 1907年12月17日】



多くの業績を残したトムソン


始めに、本稿のURLは”Baron Kelvin”を使っています。


名前としてはトムソンなんですが、ケルビン男爵


としての別名も持っていたからです。


その名を詳細に記すと、


初代ケルヴィン男爵ウィリアム・トムソン


William Thomson, 1st Baron Kelvin OM, GCVO, PC, PRS, PRSE


 

トムソンは熱力学や電磁力学で


沢山の研究成果を残してます。


彼は僅か10歳でグラスゴー大学へ入学しました。


トムソンの父がグラスゴー大で教鞭を


とっていた事実はある様ですが、


それを別にしても早熟ぶりに驚かされます。


その後、トムソンはケンブリッジで勉学を進め、


22歳でグラスゴー大学の教授になり、


イギリスの大学で初めての物理学研究室


を立ち上げました。


 

トムソンの広めた諸概念


1845年の論文では、ファラデーの理論を


数学的に整え回路近辺の空間を考えてます。


この発表は後のマクスウェルに示唆を
与えたと言われています。後の電磁場
の考え方に原型を与えたのでしょう。


また、トムソン(ケルビン卿)は数学的表現である
「ベクトル」
を「使い始めた」
人であると言われています。


時代的にはハミルトンがベクトルの概念を使っている


ようですが、ハミルトンは四次元空間の定式化


の中で使っています。これに対してケルビン卿は


ベクトルの概念を使って実際に起きている
磁気現象を
数学上で(ベクトル表現で)
より現実的に対応させているのです。
ケルビン卿はそういった
三次元的な(現実的な)概念を提唱しました。


また、

物理学者としては別にJ・J ・トムソンが居ます。


更に、電磁気学から量子力学への移行する中での
業績としては磁性に関するものがあります。
ファラデーが見つけた常磁性という概念を
説明する為にトムソン卿は感受性・透磁率
といった概念を固有の物質で考えていきました。


後に「スピン」等の概念を考える土台を
トムソンが作っていったと言えないでしょうか。



多くを残したトムソン


そして、トムソン卿は沢山の物理学者と議論しました。
例えば、無名だったピエール・キューリを見出し、
交流し真価を認めました。また、別項でご紹介して
いますが、日本初期の物理学者である田中舘愛橘を育て、
彼がトムソンを敬愛していた事でも広く知られています。





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Thomsom did many  advanced work


First, the URL for this article uses "Baron Kelvin". He's named Thomson, but he also had an alias as Baron Kelvin.


To elaborate on its name, William Thomson, 1st Baron Kelvin OM, GCVO, PC, PRS, PRSE


Thomson has left a lot of research results in thermodynamics and electrodynamics. He entered the University of Glasgow at the age of only 10.


It seems that Thomson's father was teaching at the University of Glasgow, but apart from that, he is amazed at his precociousness. After that, Thomson studied in Cambridge, became a professor at the University of Glasgow at the age of 22, and set up the first physics laboratory at a university in the United Kingdom.


In his 1845 treatise, he mathematically arranged Faraday's theory and considered the space near the circuit.


This announcement suggests to Maxwell later
It is said to have given. Later electromagnetic field
Probably gave a prototype to the idea of.


Also, Thomson is a mathematical expression "vector".
Is said to be the person who "started using".



Works of Thomson 


It seems that Hamilton uses the concept of vector separately, but Hamilton uses it in the formulation of four-dimensional space. Sir Thomson, on the other hand, uses the concept of vectors to mathematically (in vector representation) the phenomena that are actually occurring.


In addition, there is another physicist, JJ Thomson.


In addition, one of the achievements in the transition from electromagnetism to quantum mechanics is related to magnetism. To explain the concept of paramagnetism that Faraday found, Sir Thomson considered the concepts of sensitivity and permeability with unique substances. It can be said that Thomson laid the foundation for thinking about concepts such as "spin" later.


And Sir Thomson discussed with many physicists.
For example, he found the unknown Pierre Cucumber,
He interacted and acknowledged its true value. Also, I will introduce it in another section.
However, it is also widely known that Tanakadate Aikitsu, a physicist in the early days of Japan, was brought up and Tanakadate admired Thomson.


2024年06月06日

G・R・キルヒホフ
6/6改訂【反射熱と放射エネルギーと電気回路でそれぞれ法則を確立】

こんにちは。コウジです。
キルヒホフの原稿を改訂します。


今回の改定点はリンク切れ情報の改定です。
ご覧ください。(以下原稿)


エネルギーマイスター
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【1824年3月12日 〜 1887年10月17日】


 

その名は正しくはグスタフ・ロベルト・キルヒホフで
Gustav Robert Kirchhoff,とつづります。


1824年に現在のロシア領カリーニングラードである
ケーニヒスベルクで生まれました。


生まれ故郷にあるケーニヒスベルク大学で学び、
26歳でブレスラウ大学員外教授に就任しています。


キルヒホッフについて伝えられている内容は
主に業績となりますので、本稿は時代背景
をもとにし研究内容を中心とした
記述を纏めたいと思います。


私自身がドイツ系の人になったつもりで
出来るだけ正確に記載したいと考えています。
日本語の文化圏で暮らしている我々には
想像しづらい思考回路なのです。


ロシアをドイツ語圏と見てるのは強引だと思いますが、
そこの考察は後程。;)



実際にキルヒホッフの業績の中で有名なものは
@電気回路におけるキルヒホッフの法則、
A放射エネルギーについてのキルヒホッフの法則、
B反応熱についてのキルヒホッフの法則です。

それぞれにとても大事な考察だったといえるでしょう。


まず第一に、回路におけるキルヒホッフの法則が最重要です。
別言すれば一番知られています。


当然と言えば当然の事実を明言化しているだけだ、
とも言えるのですが


「回路網中での任意の接続点への流入電流の和は 0(零)である」
というのが第一の法則です。


正確にはキルヒホッフの第一法則というべきでしょうが、
本稿では単純に「第一の法則」または「第一法則」と省略します。


キルヒホッフの時代には自由電子運動論を裏付ける
理論はありません。電子を直接観測にかけるどころか
原子や電子のサイズも想像がつかないで、
あくまで電子は一つのモデルでした。


キルヒホップに考えた時に、正直者のドイツで学んだ人は
出来る事実で話を組み立てます。


つまり出来るだけ正確に観測を続けて
結果を蓄積して、観測事実の相互関係を定量化するのです。


当時は電源と抵抗の単純な回路を考えた時に
夫々を要素と考えて回路に落とす作業自体にも
議論があったでしょう。


つまり、我々が当たり前に書いている回路図も
国際度量衡といった枠組みが無くて、ヨーロッパの一部の
人々が使うだけの不可思議な記号だったのです。


知る人ぞ知る知見だったとも言えます。そんな回路上での一点を
考えたら入り込む電流と出ていく電流の総和が等しい。
(実験事実によると)ゼロとなるという事実が第一法則なのです。


この法則は今、電気工学(ひいては現代産業)
で幅広く活用されています。


そして次に、キルヒホッフの電圧則はキルヒホッフの第2法則
とも呼ばれます。回路を考えたときに回路網中の任意の
閉ループを考えてみて構成する部分的な電圧を計測したとき、
任意の分け方で考えた起電力の総和と電圧降下の総和は等しいのです。


抵抗、電球、電線電池からなる回路で何が電気を起こしていて、
何が消費するか考えてみてください。


そして再強調しますがこの時代には電子の存在は今より不確かです。


今の学生が教科書を読んだときに漫画的な丸い物体
(模式的な電子の姿)を見て想像するような作業ができないのです。


力学と比べて電磁気学や熱学はまとめ難い側面があります。
実際には電圧を生じる電池のような物質があり、
電気を流し抵抗を持つ同線等の要素を細かく考えていくことで、
回路間の色々な場所での電圧降下を考えていき、
キルヒホッフは第二法則を確立することが出来たのです。


そして1859年にキルヒホッフは黒体放射における
キルヒホフの放射法則を発見しました。


電子の運動でオームの法則に従い議論されるのに対して、
熱放射は空間での現象に対しての考察です。


また、
別の空間的な考察としてキルヒホッフには
分光学での考察も行っています。


フラウンホーファーが発見したいわゆるフラウンホーファー線
(太陽の光線を分解した時に現れる特徴的な吸収)が
ナトリウムのスペクトルと同じ周波数帯に見受けられると示し、
(今で言う分光学的方法で)太陽の内部にある
と思われる元素を同定できることを示しました。


他に音響学、弾性論に関しても
キルヒホッフは先進的な研究を行っています。



〆最後に〆


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(対応英訳)


His name is correctly Gustav Robert Kirchhoff, spelled Gustav Robert Kirchhoff. He was born in 1824 in what is now Russian Kaliningrad, Königsberg. He studied at the University of Königsberg in his hometown and became a non-professor at the University of Breslau at the age of 26.
Since the content reported about Kirchhoff is mainly his achievements, this article will summarize his research content based on his historical background. I would like to describe it as accurately as possible as if I were a German person. ;)


In fact, the most famous achievements of Kirchhoff are (1) Kirchhoff's law in electric circuits, (2) Kirchhoff's law on radiant energy, and (3) Kirchhoff's law on heat of reaction. It can be said that each was a very important consideration.

First of all, Kirchhoff's law in the circuit is of utmost importance. In other words, it is the best known. Of course, it can be said that it only clarifies the facts of course, but the first rule is that the sum of the currents flowing into any connection point in the network is 0 (zero). am. To be precise, it should be called Kirchhoff's first law, but in this article, it is simply abbreviated as "first law" or "first law". There is no theory to support the theory of free electron motion in this era.


Far from directly observing the electrons, I couldn't imagine the size of the atoms and electrons, and the electrons were just one model. When thinking this way, honest and learned in Germany build up the story with the facts that can be done. In other words, we continue to observe as accurately as possible, accumulate observation results, and quantify the interrelationship of observation facts. At that time, when considering a simple circuit of power supply and resistance, there would have been discussion about the work itself of considering each as an element and dropping it into the circuit. In other words, the circuit diagram we take for granted was a mysterious symbol that was only used by some people in Europe, without a framework such as the General Conference on Weights and Measures. It can be said that it was a knowledge known to those in the know. Considering one point on such a circuit, the sum of the incoming current and the outgoing current is equal. The first law is the fact that it is zero according to the experimental facts. This law is now widely applied in electrical engineering (and thus modern industry).


And then, Kirchhoff's voltage law is also called Kirchhoff's second law. When considering a circuit, when considering an arbitrary closed loop in the circuit network and measuring the partial voltage, the sum of the electromotive force and the sum of the voltage drops considered by any division are equal. Think about what is producing and consuming electricity in a circuit consisting of resistors, light bulbs, and electric wire batteries. And again, the existence of electrons in this era is more uncertain than it is now. When a current student reads a textbook, he cannot do the work that he imagines by seeing a cartoon-like round object (a schematic electronic figure). Compared to mechanics, electromagnetism and thermal physics are difficult to summarize. In reality, there is a substance such as a battery that generates voltage, and by carefully considering factors such as the same line that conducts electricity and has resistance, Kirchhoff considers the voltage drop in various places between circuits. I was able to establish the second law.


And in 1859 Kirchhoff discovered Kirchhoff's law of radiation in blackbody radiation. Whereas the motion of electrons is discussed according to Ohm's law, thermal radiation is a consideration of phenomena in space. In addition, as another spatial consideration, Kirchhoff is also considering spectroscopy. The so-called Fraunhofer line discovered by Fraunhofer (the characteristic absorption that appears when the sun's rays are decomposed) is shown to be found in the same frequency band as the spectrum of sodium, inside the sun (in what is now called a spectroscopic method). It was shown that the element that seems to be in can be identified. He also conducts advanced research on acoustics and elasticity.

2024年06月05日

R・J・E・クラウジウス
6/5改定【熱力学の第一法則を定めエントロピーを定義|エントロピー】

こんにちは。コウジです。
クラウジウスの原稿を改訂します。


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熱力学の基礎
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【1822年1月2日 〜1888年8月24日】


クラウジウスはドイツ系の人で、名前をつづると
Rudolf Julius Emmanuel Clausius, です。


クラウジウスはプロイセン王国領生まれました。今で言う、ポーランド地域の生まれです。お父様は牧師として務める傍ら、小学校の校長を務めていました。そこでクラウジウスは学び始めます。ベルリン大学の時代に熱力学に関心を抱き始め、初の論文をまとめます。


それは、当時の物理学の中心となっていた熱(温度)、圧力、 対象となる物質の体積(占めている空間)、およびその質量に関する関係の考察でした。


ニュートン力学が広く知られ、その質点モデルをもとに人々が分子であるとか、原子であるとかいう概念を想像していくうえで、知見をまとめていっている段階での考察です。


手探りの中で気体分子の(またはその幾つかの合成物の)
性質を突き詰めていった人の一人がクラウジウスなのです。


今で言う化学と熱力学の境界線はどう考えられていたのでしょうか。
概念形成の歴史を考えていく中で一つの転換点となっている
気もします。後に放射線を使って原子を少しでも可視化したりする前の、
関連概念の形成時代があったのです。


斯様な考え方で考えていくと、クラウジウスの諸業績の中で第一に思いつくものは熱力学に対する業績で、特に、エントロピーの概念が最も大きいのではないでしょうか。気体分子を単純化して特定環境下(温度下)での個々の質点の位置と運動量で考えていった時にエントロピーはボルツマンが後程、再定義しています。


熱力学第一法則・第二法則の定式化も定式化しました。クラウジウスによるとエントロピーの定義は次のように示されます。


 dS = {dQ }/ {T}


1824年、カルノーは、「熱量は保存され、熱が高温から低温へと移動するときに仕事が発生する」という理論を組み立てました。この理論は1840年代後半、W・トムソンによって世に広まりました。一方、同じ頃に、熱そのものが仕事に変化し、また仕事も熱に変化するというジュールの測定結果が、おなじくW・トムソンなどによって世に認められるようになりました。


しかし、この2つの理論は互いに矛盾するように思われました。そのため、W・トムソンは初め、ジュールの測定結果のうち、「仕事が熱に変化する」という箇所については否定的な見解を示していました。


これに対しクラウジウスはジュールの理論を受け入れ、熱と仕事は互いに変換可能だと考えました。しかし、カルノーの理論を完全に捨て去ることもしませんでした。クラウジウス独自の考察から、熱に関する2つの原理が生み出されました。 


またクラウジウスの不等式の概念は内部エネルギーや散逸を考えていく上でおおきな足掛かりとなりました。



〆最後に〆




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(対応英訳)


Clausius is of German descent, spelling his name
Rudolf Julius Emmanuel Clausius,.


Clausius was born in the Kingdom of Prussia. He was born in Poland in these days. While his father was a minister, he was the principal of an elementary school. There Clausius begins to learn. He began to take an interest in thermodynamics during his time at the University of Berlin and summarized his first treatise.


It was a consideration of the relationship between heat (temperature), pressure, volume of the target substance (occupied space), and its mass, which were the core of physics at that time. Newtonian mechanics is widely known, and it is a consideration at the stage of summarizing the findings in imagining the concept that people are Molecules or Atoms based on the mass model, and it is in the process of groping.


Claudius is one of the people who scrutinized the properties of gas molecules (or some of their compounds). What was the boundary between chemistry and thermodynamics as it is now? I feel that it is a turning point in thinking about the history of concept formation. There was an era of the formation of related concepts before later using radiation to visualize atoms as much as possible.


Considering this way of thinking, the first thing that comes to mind among Clausius's achievements is his Achievements in Thermodynamics, and in particular, the concept of Entropy is probably the largest. When he simplified the gas molecule and thought about the position and momentum of each mass point in a specific environment (under temperature).


Boltzmann later redefined
Formulation of the first law and the second law of thermodynamics.and,


the definition of entropy is


dS = {dQ} / {T}


In 1824, Carnot constructed the theory that heat is conserved and work occurs when heat moves from hot to cold. This theory was popularized by William Thomson in the late 1840s. On the other hand, in the same period, Joule's measurement result that heat itself turns into work and work also turns into heat came to be recognized by the same Thomson and others. However, the two theories seemed to contradict each other. As a result, Thomson initially gave a negative view of Joule's measurements of "work turns into heat."


Clausius, on the other hand, accepted Jules' theory and thought that heat and work could be converted into each other. But he did not completely abandon Carnot's theory. This gives rise to two principles of heat.

2024年06月04日

ヘルムホルツ
6/4改定【神経科医にして物理学者|熱力学の方向性に対して議論・研究】

こんにちは。コウジです。
ヘルムホルツの原稿を改訂します。


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【1821年8月31日生まれ - 1894年9月8日没】

 

多才な人だったヘルムホルツ



ヘルムホルツの名を全て書き下すと、


Hermann Ludwig Ferdinand von Helmholtz。


神経科医にして物理学者です。


学位を修めた際には無脊椎動物の神経繊維と


神経細胞に関して研究していました。


その後、軍医さんとしてポツダム連隊に配属されます。


その後にベルリン大学で教えるという


キャリアを重ねています。


そんな中で沢山の弟子を育てています


その中の一人ヘルツはヘルムホルツのもとで


電気力学ついて考察を進め、電磁波の存在を示します。


ヘルムホルツの活動は多岐にわたるのです。


そもそも神経活動の伝搬物質は微細電流で、


神経活動の研究には電圧測定は不可欠です。


ヘルムホルツの研究で別の側面をご紹介すると、


熱と仕事の関係があげられます。


ジュール等による熱の仕事当量に対してのデータから、


今で言う熱力学第1法則を導出しています。


学会で論文・力の保存についてを発表しています。


エネルギーの相互関係 



マイヤージュールケルビン卿も別途、研究を進めていたエネルギー保存則に関する成果です。また、ヘルムホルツは化学反応の方向性についても仕事をしています。2つの物資を考えると、熱は必ず接触面で温かい物質から冷たい物質に伝わります。不可逆的な現象です。その不可逆性を考えてヘルムホルツは熱力学に関する知見を化学にあてはめ、自由エネルギー、温度、エントロピーを使って全エネルギーを定義して議論しました。化学反応が起こるには方向性があるのです。別途、研究を進めていたギブズの成果でもありますのでギブズ-ヘルムホルツの式として呼ばれています。


ヘルムホルツによる波の定式化



また。ヤングの光の三原色に加えて残像の効果を考え、色盲さんの説明が出来る様になりました。音については、人の感じる音色が周波数と、ゲイン(幅)から決まると説明しました。更には、母音に含まれる振動数が基本で、声道の形によって更に個性が出てきて共鳴音の効果が異なるのだと指摘しました。また、田中舘愛橘がベルリン大学へ留学していた時に電磁気を教えていたことでも知られています。


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 Helmholtz's activities are diverse


If you write down all the names of Helmholtz,
Hermann Ludwig Ferdinand von Helmholtz.


I am a neurologist and a physicist. When he completed his degree, he was studying nerve fibers and cells in invertebrates.


After that, he will be assigned to the Potsdam Regiment as a surgeon. He has since continued his career teaching at the University of Berlin. Meanwhile, he is raising a lot of disciples. One of them, Hertz, goes on to consider electromechanics under Helmholtz and shows the existence of electromagnetic waves.


Helmholtz's activities are diverse. In the first place, the propagating substance of neural activity is a minute current, and voltage measurement is indispensable for studying neural activity. Another aspect of Helmholtz's research is the relationship between heat and work.


Helmholtz derives the first law of thermodynamics, which is now called, from the data on the work equivalent of heat by Joule and others. And he is presenting his treatise and preservation of power at an academic conference.



Job of Hermholtz


Meyer, Jules, and Sir Kelvin are also the results of the energy conservation law that they were studying separately. Helmholtz also works on the direction of chemical reactions. Considering two materials, heat is always transferred from a warm substance to a cold substance on the contact surface. It is an irreversible phenomenon. Given its irreversibility, Helmholtz applied his findings on thermodynamics to chemistry, using free energy, temperature, and entropy to define and discuss total energy. There is a direction for a chemical reaction to occur. It is also called the Gibbs-Helmholtz formula because it is the result of Gibbs, who was conducting research separately.



Formalizm of wave by Hermholtz


Also. Considering the effect of afterimages in addition to the three primary colors of Young's light, I can now explain Mr. Colorblind. Regarding sound, I explained that the timbre that people feel is determined by the frequency and gain (width). Furthermore, he pointed out that the frequency contained in the vowel is the basis, and the effect of the resonance sound is different depending on the shape of the vocal tract. It is also known that Tanakadate Aikitsu taught electromagnetics when he was studying abroad at the University of Berlin.


2024年06月03日

A・H・ルイ・フィゾー
6/3改訂【光速度を始めて測定|ドップラー効果を考察】

こんにちは。コウジです。
フィゾーの原稿を改訂します。


今回の改定点はリンク切れ情報の改定です。
ご覧ください。(以下原稿)


科学の実験
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【1819年9月23日生まれ 〜 1896年9月18日没】



フランス生まれのフィゾー


その名は正確には、


アルマン・イッポリート・ルイ・フィゾー


(Armand Hippolyte Louis Fizeau,


フィゾーは地上での光速度を始めて


測定した人で、フランス人です。
別途、振り子の等時性を示したフーコーという
別人と同じ時代を過ごしています。少し興味深い。
優れた実験化を生み出した「当時の時代背景」

いつか焦点を当ててみたいです。


 

フィゾーの実験として有名な物は1849年に


回転歯車を使った公開実験です。


明快に原理を示して光速度を数値化しました。


フィゾーの示した数値が重要なのは、


後に明らかになっていきますが


光が電気と関係してるからです。


マクスウェル_が電磁気学をまとめる中で、


自分の理論での計算結果とフィゾーの示した値が


とても近い事実に気付きます。それはきっと、


現代風に言えば、電磁波の伝播速度が


光速度に近い、という事実なのでしょう。


媒質が真空であれば一致する筈です。


 

 フィゾーの業績


また、フィゾーはドップラー効果も予見してます。こ


の「ドップラー効果」という言葉はスマホ入力で


一発変換されています。


そんな当たり前の言葉なのですが、


もともとはフィゾー達が


確かにしていった概念なのです。


 

今の我々は簡単に考える作業も、時代が変われば


大変な困難に直面したはずです。特に


新規の概念を手探りで考えていく中での実験は


大変だったであろうと思えます。


フィゾーが実験を繰り返す困難は測り知れません。


当時は未だ


「指向性の強い(光が拡散せず、広がらない)」


レーザー光線も無かったでしょうし、


当然デジタルのカウンターなども無いので、


計測系のイメージだけでも大変だったでしょう。


私が何より興味深いのはフィゾーの


頭の中にある理論的な考察が


閃きによって実験に昇華するプロセスです。


フィゾーは理論的な原理を優れた実験で


わかり易く示したのです。






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Fizeau born in France


The name is exactly
Armand Ippolito Louis Fizeau
(September 23, 1819-September 18, 1896)


Fizeau is the first person to measure the speed of light on the ground and is a Frenchman.


A famous Fizeau experiment was a public experiment using rotary gears in 1849. The principle was clearly shown and the speed of light was quantified.


Fizeau's numbers are important because, as we will see later, light is related to electricity.



Job of Fizeau


Later, as Maxwell summarizes electromagnetism, he finds that the results of his theory and the values ​​Fizeau show are very close. Perhaps it is the fact that the propagation speed of electromagnetic waves is close to the speed of light in modern terms. If the medium is a vacuum, it should match.


Fizeau also foresaw the Doppler effect. The word "Doppler effect" is converted in one shot by smartphone input. It's such a natural word, but it was originally a concept that Fizeau and his colleagues had made sure.


Even the tasks that we think easily now must have faced great difficulties in different times. In particular, I think it would have been difficult to experiment while groping for new concepts.


The difficulty for Fizeau to repeat his experiment is immeasurable. At that time, there would not have been a laser beam with "strong directivity (light does not diffuse and does not spread)", and of course there was no digital counter, so it would have been difficult just to imagine the measurement system.


What is most interesting to me is the process by which the theoretical considerations in Fizeau's mind are sublimated into experiments by inspiration.


I think Fizeau demonstrated his theoretical principles in a good experiment.



2024年06月02日

レオン・フーコー
6/2改訂【実験で振り子の慣性を考察|媒質中の光速度を導出】

こんにちは。コウジです。
フーコーの原稿を改訂します。


今回の改定点はリンク切れ情報の改定です。
ご覧ください。(以下原稿)


シンプル振り子実験セット
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【1819年9月18日生まれ ~ 1868年2月11日没】



フーコーの有名な実験


「フーコーの振り子」という装置


を発明した事でフーコーは有名です。


振り子の運動に地球の運動を反映させるのです。


色々な国の科学博物館で見る事が出来ます。


中国でも韓国でもアメリカでも見る事が出来ます。


日本でも国立科学博物館を初めとして、


全国の数十か所で見る事が出来ます。


振り子の運動は地球の時点とは独自に


繰り返される慣性に縛られた運動であるので


地球の運動が進むにつれて、東西南北とずれるのです。


そのずれは24時間後に元の位置に戻ります。


地球の自転方向と逆に少しずつずれていって


24時間後に元の位置に戻るのです。


対象とする振り子を北極か南極に設置すると


一番分かり易いです。赤道上では分かりにくいです。


そういった誰にでもわかる優れた実験を駆使して


地球の自転を実験的に明らかにしました。


1851年のパンテオンでの公開実験で


最終的に仮説を実証してみせます。


 

実験構築を行ったフーコー


フランス生まれのフーコーはパリで


印刷業を営んでいた父のもとに生まれます。


幼い頃から科学工作が好きでした。


子供時代は病弱で医学を志していましたが血液恐怖症


だったりした為、お医者様になるのは断念したそうです。


10代になり、写真技術の改良をしていたフーコーは


物理学者アルマン・フィゾーと知り合いになり交流を深めます。


フィゾーとは良い関係を持ち続け


初めの時期は協同研究をしていました。


 

1847年頃からフィゾーとフーコーはそれぞれ独自に


研究を進めます。歯車を使いフィゾーが光速度を求め、


回転している鏡を使いフーコーは


媒質中の光速度の差異を求めました。


私が何より興味深いのはフーコーやフィゾーの


頭の中にある理論的な考察が


閃きによって実験に昇華するプロセスです。


大抵の考えは実験で確認するまで


分からないことが沢山出てきます。


特定の理論はあくまでモデルの


一つなので、より厳密に考えていったら、


その時に知られてるモデルが適用できない場合


もありうるのです。必要に応じて


適用モデルの修正が必要です。


等時性の理論をフーコーは優れた実験で


わかり易く示したと言えます。


それはとても秀逸な実験でした。




 



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Foucault's famous experiment


The name Foucault is famous for its device called "Foucault Pendulum". The movement of the pendulum reflects the movement of the earth. You can see it at science museums in various countries. You can see it in China, South Korea, and the United States.


You can see it in dozens of places nationwide, including the National Museum of Nature and Science in Japan. Because the movement of the pendulum is a movement bound by inertia that repeats independently from the time of the earth.


As the movement of the earth progresses, it shifts from north, south, east, and west. The deviation will return to its original position after 24 hours. Gradually deviate from the direction of rotation of the earth


It will return to its original position after 24 hours. It is easiest to understand if the target pendulum is installed in the North Pole or the South Pole. It is difficult to understand on the equator. We have experimentally clarified the rotation of the earth by making full use of such excellent experiments that anyone can understand. We will finally prove the hypothesis in a public experiment at Pantheon in 1851.



experimental construction of Foucault


Foucault was born to his father, who was in the printing business in Paris, France. He has been fond of scientific crafts since he was a child. He was sick and aspired to medicine when he was a kid, but he gave up on becoming a doctor because he had blood phobia.


As a teenager, Foucault, who was improving his photographic skills, became acquainted with physicist Hippolyte Fizeau and deepened his interaction. He continued to have a good relationship with Fizeau and was doing collaborative research in the early days.


From around 1847, Fizeau and Foucault will carry out their own research. Using gears, Fizeau calculated the speed of light, and using a rotating mirror, Foucault calculated the difference in the speed of light in the medium.


What is most interesting to me is the process by which the theoretical considerations in Foucault and Fizeau's mind are sublimated into experiments by inspiration.


There are many things that most ideas cannot be understood until they are confirmed by experiments. A specific theory is just one of the models, so if you think more strictly,


It is possible that the model known at that time is not applicable. The application model needs to be modified if necessary. Foucault can be said to have demonstrated his theoretical principles in an easy-to-understand manner through excellent experiments. It was a very good experiment.



2024年06月01日

ジョージ・ストークス
6/1‗改訂【流体力学・光学・数学それぞれで大きな業績】

こんにちは。コウジです。
ストークスの原稿を改訂します。


今回の改定点はリンク切れ情報の改定です。
ご覧ください。(以下原稿)


流体力学入門
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【1819年8月13日 ~ 1903年2月1日】



ストークスの名を正確に記すと、


Sir George Gabriel Stokes, 1st Baronet。


SIRの称号を得ていてケンブリッジでは


ルーカス職を務めています。 特に


流体力学や光学、数学でストークスは


顕著な仕事を残しました。



具体的なストークスの業績



業績として、ストークスと言われて思い出すのは流体力学だという人は多いのではないでしょうか。特にNS(ナルビエ・ストークス)の式(表式)と呼ばれる表現式が有名です。実際に表式に慣れてくれば、その式がニュートンの第二法則と対応していることが実感できてきます。ただ、「回転」、「発散」といったベクトル力学特有の表現が実感し辛い部分ではあります。


ただ、慎重に議論をなぞっていくと流体の粘性だとか、それが非圧縮性の流れであるとか言った「言い回し」が段々と理解出来てきて、全体像がつかめた気分になってくるから不思議なものです。


実際には、流体に対して多数のセンサーを配して実験がされることは余り無くて、厳密な適用はされにくいのですが、定性的な理解には大いに役だちますし数値解析でシミュレーションしていくことも出来る価値ある表式なのです。



ストークスの人脈



最後に、ストークスに関連した繋がりをご紹介します。現在、有名となっている「ストークスの定理」はもともとウィリアム・トムソン(ケルビン卿)がストークスに伝えたと言われています。そして、ストークスはその定理の有用性を認め、ケンブリッジ大学での数学の優等試験(トライポス)での諮問の中でその式を使いました。


絶対零度の単位で名を残すケルビン卿とストークスがつながるのです。そして、その試験を受けていたのは後の電磁気学の権威者となるマクスウェルだったのです。もちろん、マクスウェルは優秀な成績でこの試験に合格したと言われています。


絶対零度の人・ストークス・電磁気学の人・・・とつながるのです。物理の中では全然別の分野だったと思われた3人が関連していたのですが、こんな話からも当時のイギリスでは議論が盛んだったことも伺われますし、物理の世界は繋がっているのだなぁ、と実感できる筈です。




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2021/10/03_初稿投稿
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(2021年10月時点での対応英訳)



Accurately write the name of Stokes


He holds the title of Sir George Gabriel Stokes, 1st Baronet, SIR and holds the Lucas position in Cambridge. Stokes left a remarkable job, especially in fluid mechanics, optics, and mathematics. Specific Stokes achievements


 

As a result, many people think that what is called Stokes is fluid mechanics. In particular, the expression formula called NS (Narvier Stokes) formula (table formula) is famous. As you become more accustomed to the formula, you will realize that it corresponds to Newton's second law. However, the expressions peculiar to vector mechanics such as "rotation" and "divergence" are hard to realize.


However, if you trace the discussion carefully, you will gradually understand the "phrase" that the viscosity of the fluid and that it is an incompressible flow, and you will feel that you have grasped the whole picture. It's strange. In reality, it is rare to experiment with a large number of sensors placed on a fluid, and it is difficult to apply it exactly, but it is very useful for qualitative understanding and simulated by numerical analysis. It is a valuable expression that can be taken.



Stokes connections


Finally, I would like to introduce the connections related to Stokes. It is said that William Thomson (Sir Kelvin) originally introduced the now-famous "Stokes theorem" to Stokes. Stokes then acknowledged the usefulness of the theorem and used it in his consultation at the University of Cambridge's Mathematics Honors Exam (Tripos).


Sir Kelvin and Stokes, who leave their names in units of absolute zero, are connected. And it was Maxwell, who later became an authority on electromagnetism, who was taking the test. Of course, Maxwell is said to have passed this exam with excellent grades. It connects with people at absolute zero, Stokes, people with electromagnetics, and so on.


Three people who seemed to be in completely different fields in physics were related, but from such a story, it can be said that there was a lot of discussion in England at that time, and the world of physics was connected. You should be able to realize that you are there.