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2023年03月31日

時代別(順)での物理学者のご紹介3/31更新
コペルニクス以前の時代から

こんにちはコウジです!
「時代別のご紹介」の原稿を改定します。


SNSは戦略的に使っていきます。そして記述に誤解を生む表現がないかを
チェックし続けてます。ご意見・関連投稿は歓迎します。
【以下改訂した原稿です】


【↑ Credit; Pixabay ↑】



以下に時代別(順)に


物理学者を羅列します


ご覧下さい。


 

まだ力学の原理も電磁気学の原理も使えない時代に、


手触りの他に大きさを確かめ重さを確かめ、夜には


天文観察から始めて、現象を数値化していきました。


そして人々は現象を定式化していきました。


そんな時代から順次ご紹介致します。


 

17世紀以前の生まれ


ピタゴラス_BC582 ~ BC496
デモクリトス_BC470  ~BC399
アルキメデス_BC287頃 ~ BC212
プトレマイオス_ 83年頃 - 168年頃
N・コペルニクス_1473年2月19日 ~ 1543年5月24日
ゲオルク・レティクス_1514年2月16日 〜 1574年12月4日
ティコ・ブラーエ_ 1546年12月14日-1601年10月24日
ジョルダーノ・ブルーノ_1548年 ~ 1600年2月17日
ガリレオ・ガリレイ_1564年2月15日 ~ 1642年1月8日
ヨハネス・ケプラー_1571年12月27日 ~ 1630年11月15日
ルネ・デカルト_1596年3月31日 〜1650年2月11日
ブレーズ・パスカル_1623年6月19日 ~ 1662年8月19日

ロバート・ボイル_1627年1月25日 ~ 1691年12月31日
クリスティアーン・ホイヘンス_1629年4月14日 ~ 1695年7月8日
アイザック・バロー_1630年10月 ~ 1677年5月4日

ロバート・フック_1635年7月28日 ~ 1703年3月3日
アイザック・ニュートン_1642年12月25日 〜 1727年3月20日
建部賢弘(たけべ かたひろ)_1664年(寛文4年)6月 〜 1739/8/24
P・V・ミュッセンブルーク_1692年3月14日 ~ 1761年9月19日

コリン・マクローリン_1698年2月 ~ 1746年6月14日



18世紀生まれ 


ダニエル・ベルヌーイ_1700年2月8日 ~ 1782年3月17日
ベンジャミン・フランクリン_ 1706年1月17日 ~ 1790年4月

L・オイラー_1707年4月15日 ~ 1783年9月18日
平賀源内_1728 ~ 1780年1月24日(番外編)
ジェームズ・ワット_ 1736年1月19日 ~ 1819年8月25日

ルイ・ラグランジュ_1736年1月25日 ~ 1813年4月10日
C・A・クーロン__1736年6月14日 ~ 1806年8月23日
アントニオ・ヴォルタ_1745年2月18日 ~ 1827年3月5日
ジャック・C・シャルル_1746年11月12日 – 1823年4月7日
ジョン・ドルトン_1766年9月6日~1844年7月27日
トマス・ヤング_ 1773年6月13日 ~ 1829年5月10日

アンドレ・アンペール_1775年1月20日 ~ 1836年6月10日
ヨハン・C・F・ガウス_1777年4月30日 ~ 1855年2月23日
ハンス・エルステッド_1777年8月14日 ~ 1851年3月9日
オーギュスタン・J・フレネル_1788年5月10日 ~ 1827年7月14日
G・S・オーム_1789年3月16日 ~ 1854年7月6日
ルイ・コーシー_1789年8月21日 ~ 1857年5月23日
マイケル・ファラデー_1791年9月22日 〜 1867年8月25日
N・L・S・カルノー_1796年6月1日 ~ 1832年8月24日



19世紀生まれ


C・A・ドップラー_1803年11月29日 ~ 1853年3月17日
H・レンツ_1804年2月12日 ~ 1865年2月10日
W・R・ハミルトン‗1805年8月4日 ~ 1865年9月2日



J・R・マイヤー_1814年11月25日 ~ 1878年3月20日
J・P・ジュール1818年12月24日 〜 1889年10月11日
Sir・G・G・ストークス_1819年8月13日 ~ 1903年2月1日

L・フーコー_1819年9月18日 ~1868年2月11日
A・H・ルイ・フィゾー_1819年9月23日 〜 1896年9月18日



L・F・ヘルムホルツ_1821年8月31日生まれ - 1894年9月8日没
R・J・E・クラウジウス_1822年1月2日 〜1888年8月24日

G・ロベルト・キルヒホフ_1824年3月12日 ~ 1887年10月17日
W・トムソン_1824年6月26日 ~ 1907年12月17日


J・C・マクスウェル_1831年6月13日~1879年11月5日
E・W・モーリー__1838年1月29日 ~ 1923年2月24日
エルンスト・マッハ_ 1838年2月18日 ~ 1916年2月
ウィラード・ギブズ_1839年2月11日 ~ 1903年4月28日


トマス・メンデンホール‗1841年10月4日〜1924年3月23日
J・W・ストラット_1842年11月12日 ~ 1919年6月30日

E・ボルツマン_1844年2月20日 〜 1906年9月5日
W・C・レントゲン_1845年3月27日 ~ 1923年2月10日

トーマス・A・エジソン_1847年2月11日 ~ 1931年10月18日
J・A・フレミング_1849年11月29日 ~ 1945年4月18日


A・A・マイケルソン_1852年12月19日 ~ 1931年5月9日
H・A・ローレンツ_1853年7月18日 ~ 1928年2月4日
カメリー・オネス_1853年9月21日 ~ 1926年2月21日
アンリ・ポアンカレ_1854年4月29日 ~ 1912年7月17日
山川 健次郎_1854年9月9日 ~ 1931年6月26日
ニコラ・テスラ__1856年7月10日 ~ 1943年1月7日

田中舘愛橘_1856年10月16日 ~ 1952年5月21日
J・J・トムソン_1856年12月18日~1940年8月30日
ハインリヒ・R・ヘルツ_1857年2月22日 ~ 1894年1月1日
マックス・プランク_1858年4月23日 ~ 1947年10月4日
ピエール・キューリ_1859年5月15日 ~ 1906年4月19日


ダーヴィット・ヒルベルト-1862年1月23日 ~ 1943年2月14日
ヴィルヘルム・C・W・ヴィーン_1864年1月13日 ~ 1928年8月30日
ピーター・ゼーマン_1865年5月25日 ~ 1943年10月9日

長岡半太郎_1865年8月19日 ~ 1950年12月11日
マリ・キュリー_1867年11月7日 ~ 1934年7月4日
ロバート・ミリカン_1868年3月22日 ~ 1953年12月19日
ゾンマーフェルト_1868年12月5日 ~ 1951年4月26日
中村清二_1869年10月28日~1960年7月18日


本多光太郎_1870年3月24日 ~ 1954年2月12日
アーネスト・ラザフォード_1871年8月30日~1937年10月19日
ポール・ランジュバン_1872年1月23日 ~ 1946年12月19日
F・ハーゼノール_1874年11月30日 – 1915年10月7日

高木 貞治_1875年4月21日 ~ 1960年2月28日
ヘンリー・ノリス・ラッセル_1877年10月25日 〜 1957年2月18日

寺田寅彦_1878年11月28日 ~ 1935年12月31日
大河内正敏 _1878年12月6日 ~ 1952年8月29日
A・アインシュタイン_1879年3月14日 ~ 1955年4月18日


ポール・エーレンフェスト_1880年1月18日 ~ 1933年9月25日
石原敦_1881年1月15日 ~ 1947年1月19日
マックス・ボルン_1882年12月11日 ~1970年1月5日

F・W・マイスナー_1882年12月16日 ~ 1974年11月16日
アウグスト・ピカール__1884年1月28日 ~ 1962年3月24日
ピーター・デバイ_ 1884年3月24日 ~ 1966年11月2日
西川 正治_1884年12月5日 ~ 1952年1月5日
ニールス・ボーア_1885年10月7日~1962年11月18日
シュレディンガー_1887年8月12日 ~ 1961年1月4日
オットー・シュテルン_1888年2月17日 ~ 1969年8月17日
ハリー・ナイキスト_1889年2月7日 ~ 1976年4月4日
ヴァルター・ゲルラッハ_1889年8月1日 ~ 1979年8月10日
エドウィン・P・ハッブル_1889年11月20日 ~ 1953年9月28日


仁科 芳雄_1890年12月6日 ~ 1951年1月10日


J・チャドウィック_1891年10月20日 ~ 1974年7月24日
ルイ・ド・ブロイ_1892年8月15日~1987年3月19日
アーサー・コンプトン_1892年9月10日~1962年3月15日
サティエンドラ・ナート・ボース_1894年1月1日 ~ 1974年2月4日



20世紀生まれ


J・F・ジョリオ=キューリー_ 1900年3月19日 〜 1958年8月14日
ヴォルフガング・E・パウリ_1900年4月25日 ~ 1958年12月15日

アーネスト・O・ローレンス_1901年8月8日 ~ 1958年8月27日
エンリコ・フェルミ_1901年9月29日 ~ 1954年11月28日
ハイゼンベルク 1901年12月5日 ~ 1976年2月1日
ポール・ディラック_1902年8月8日 ~ 1984年10月20日
和達清夫_1902年(明治35年)9月8日 ~ 1995年1月5日

E・ウィグナー_1902年11月17日 ~ 1995年1月1日
セシル・パウエル_1903年12月5日 ~ 1969年8月9日
フォン・ノイマン_1903年12月28日 – 1957年2月8日

J・R・オッペンハイマー__1904年4月22日 ~ 1967年2月18日
朝永振一郎_1906年3月31日 ~ 1979年7月8日
ハンス・アルプレヒト・ベーテ__1906年7月2日 ~ 2005年3月6日
湯川秀樹_1907年1月23日 ~ 1981年9月8日
エドワード・テラー__1908年1月15日 ~ 2003年9月9
レフ・ランダウ_1908年1月22日 ~ 1968年4月1日
ジョン・バーディーン_1908年5月23日 ~ 1991年1月30日
ニコライ・N・ボゴリューボフ_1909年8月21日 ~ 1992年2月13日
ネイサン・ローゼン_, 1909年3月22日 – 1995年12月18日


坂田 昌一__1911年1月18日 ~ 1970年10月16日
武谷三男_1911年10月2日 ~ 2000年4月22日
矢野 健太郎_1912年3月1日 ~ 1993年12月25日

D・J・ボーム_1917年12月20日 ~ 1992年10月27日
R・P・ファインマン__ 1918年5月11日 〜1988年2月15日



アイザック・アシモフ_1920年1月2日 ~ 1992年4月6日

久保亮五_1920年2月15日 ~ 1995年3月31日
竹内均_1920年7月2日 ~ 2004年4月20日

南部 陽一郎_1921年1月18日 ~ 2015年7月5日
フィリップ・W・アンダーソン_1923年12月13日 ~ 2020年3月29日
中嶋 貞雄_1923年6月4日 ~ 2008年12月14日
江崎玲於奈_1925年3月12日 ~ 【ご存命中】
小柴昌俊 _1926年9月19日 ~ 2020年11月12日
西島 和彦_1926年10月4日 ~ 2009年2月15日
小出昭一郎_1927年3月25日 ~ 2008年8月30日

広重 徹 1928年8月28日 ~ 1975年1月7日
大貫 義郎_1928年 ~ ご存命中

マレー・ゲルマン_1929年9月15日 ~ 2019年5月24日


レオン・クーパー__1930年2月28日 ~(ご存命中)
有馬朗人_1930年9月13日 ~ 2020年12月6日

ロバート・シュリーファー _1931年5月31日 ~ 2019年7月27日
ロジャー・ペンローズ_1931年8月8日生まれ ~ (ご存命中)
_J・J・サクライ __1933年1月31日 ~ 1982年11月1日
ムツゴロウさん【本名:畑 正憲_1935年4月17日 -生まれ_ご存命中】
村上陽一郎_1936年9月9日生まれ-(ご存命中)
B・D・ジョゼフソン_1940年1月4日〜 (ご存命中)
益川敏英_1940年2月7日生まれ~2021年7月23日
S・W・ホーキング_1942年1月8日生まれ~2018年3月14
小林誠‗1944年4月7日生まれ 〜 ご存命中
ブライアン・ハロルド・メイ_1947年7月19日~ご存命中
大栗 博司‗1962年生まれ個人情報非公開〜ご存命中




間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
全て読んでいます。
適時、改定・返信をします。


nowkouji226@gmail.com


2020/09/14_初稿投稿
2023/03/31_改定投稿


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2023年03月30日

大栗博司【おおぐり ひろし‗1962年生まれ 〜 ご存命中】

はじめに


今回、ご存命中ですが、私自身の興味が止められず
思いっきり現役の学者さんをご紹介します。
カリフォルニア工科大学の大栗博司氏です。
特に個人的な面識はありませんが
研究内容・研究室運営・期待感が圧倒的で魅力的なのです。


その研究内容


私にとって最も興味深い一面は研究内容です。大栗氏は
現代物理学での最先端だと言える「ひも理論」を研究しています。
竹内均の「超ひも理論」を読んで、私が初めて理論を考え始めた時期には
ひも理論が10次元の視点を持っている点が面白く思えました。

相対性理論力学からが4次元までの拡張をしていった延長線上で、10次元がある
ように思えたのです。その時期はひも理論は詳しく追いかけていません。
今でも理論を語れるとは思えないほどですが、どうしても気になっていました。

その後、2023年の2月の終わりに日経新聞で改めて紹介されているのを見て
本記事の記載に至りました。この理論の紹介は外せません。

特に初学者が分かり易い言葉を使って、今も進んでいる物理学が伝われば幸いです。

日経記事ではカリフォルニア工科大学のジョン・シュワルツらが「超弦理論」で1984年に大きな成果を上げた時期に、大栗氏が「米国から3ヶ月遅れの船便で届く論文を心待ちにし、むさぼるように読んで魅了されました」と伝えています。カッコ内は大栗氏の言葉でしょう。ご自身の関心を拡げたわけです。新しい情報に食らいつくことは大事です!
【新聞からの引用部分は太字にしています(以下同様)】

その後、大栗氏は東京大学に進み理論を極めていきます。大栗氏は語ります。「理論物理学者には実際に密接に関わって新現象や新粒子を見つけるタイプと、長い目で見て理論的枠組みや普遍的な数学的手法を開発するタイプが居ます。僕は後者の方です。」 そして、量子力学と相対性理論を合わせて考える究極の統一理論の考えだします。具体的には重力を量子力学に取り組んでいこうと考え、宇宙誕生のメカニズムを踏まえて、大栗氏は紐理論の研究を進めるのです。

大栗氏の華麗な足跡


大栗氏は京都大学でマスターをとり、東京大学でドクターをとります。
その後、プリンストン、シカゴ大、京都大UCBなどを経て
カリフォルニア工科大学で教鞭をとっています。
シカゴ大学で大栗氏を誘ったのは南部陽一郎でした。

(カリフォルニア工科大学では今でも教えています)また、
パリ第六大学で客員成就をされていた時期もあったそうです。
科学史の舞台となった場所が次々出てくるのです。

その研究室での活動は活発で現在でも各国から
研究者を受け入れて議論を進めています。
カリフォルニア工科大学内で
ご自身のブログも開設されていて
数年前まではブログも頻繁に更新していたようです。
大栗氏は語っています。

「超弦理論が究極の理論として正しい解であるかは分からない。しかしこれまでに試された理論の中では最良である。」と考えは変わらなかった。「不易流行という言葉があります。」。

『不易(本質的)なものを目指して「統一理論(重力と量子力学の統合)」の世界に至る為に、超弦理論という「流行」へ飛び込んだ』と大栗氏は述べています。もっとも正しいと思える道を突き進んでいるのです。


【スポンサーリンク】


以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
問題点に対しては
適時、返信・改定をします。


nowkouji226@gmail.com


2023/03/30‗初稿投稿


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2023年03月29日

舞台別のご案内
3/29改訂(国ごと・大学ごと)

こんにちはコウジです!
「舞台別」の原稿を改定します。
近日中に、最近ゲッチンゲン大学についても
考察してます。【遅い改定で失礼してます】


記述に誤解を生む表現がないかを
チェックし続けてます。ご意見・関連投稿は歓迎します。
【以下改訂した原稿です】



はじめに


古今東西、様々な科学の議論がなされてきました。ここでは舞台別に話を整理しています。物理学が発展してきたのはヨーロッパで、同じ時代のアジア・アフリカ諸国とは格段の違いが出てきます。


近代文明の道具・思想として物理を始めとした
理学系の道具立ては世界情勢を大きく変えてきました。


そして、科学技術が世界共通の財産である、
と言いたいですね。いつまでも。



<国別>


アメリカイェール大UCB/UCLA、等】
イギリス
オックスフォード大・ケンブリッジ大、等】
イタリア
(含ギリシャ)ボローニャ大学・
パドヴァ大学・ミラノ大学、等】
オーストリア_【ウィーン大学・グラーツ大学、等】
オランダライデン大・デルフト工科大、等】
スイス_【ジュネーヴ大学・ETHZ、等】
ドイツ【ベルリン大学・ゲッチンゲン大学、等】
デンマーク【コペンハーゲン大学・ボーア研究所、等】
日本東京大学・京都大学、等】
フランスソルボンヌ大学、等】




以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。


nowkouji226@gmail.com


2020/11/01_初稿投稿
2023/03/29_改定投稿


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3/30・ひも理論と現代の理解
3/31・時代順のご紹介更新

2023年03月28日

【Topics】3/28更新・Indexされない実例|本サイトで2022年度からは問題点としてます

こんにちはコウジです!
「Indexされない」の原稿を改定します。


SNSは戦略的に使っていきます。そして記述に誤解を生む表現がないかを
チェックし続けてます。ご意見・関連投稿は歓迎します。
【以下改訂した原稿です】


【↑ Credit; Pixabay ↑】



本稿はメモです(Noindexは問題です)



明文化できていなかった問題


以前から気になっていて明文化できていなかった問題です。


Googleサーチ・コンソールに対して検索リクエストをした際に


「URL が Google に登録されていません」というメッセージが出て


その後、数か月後にリクエストをしてもやはり同じメッセージ


が出てしまう問題です。私は2020年10月ごろから当サイトを運営していて


ドメインパワーも、そこそこ上がってきているので、今の私が


リクエストを受け付けてもらえないのなら、最近ブログを立ち上げた


人たちは尚更、この問題に問題を感じているのではないかと予想されます。


そんな関心からの記録です。


問題は文字数でしょうか。話題なのでしょうか。



具体的なIndexされないページの例


以下に当該メッセージの出た例を記載していき、


何か共通点・法則性が出てきたら纏め直して対応案を作ります。


オレンジに色を変えた部分は改善が出来ています。


ただ、結果的に「インデックスされている」という意味で問題解決


しているだけで「何が悪くてインデックスされないか」という


問題の本質が解決できていません。



デモクリトス・2022/3/22にGoogleへ再依頼⇒4/30にOK
コペルニクス・2022/4/30にGoogleへ再依頼⇒10/15にOK
デカルト・2022/10/15にGoogleへ再依頼⇒10/15にOK
アイザック・バロー・2022/04/01にGoogleへ再依頼⇒10/18にOK
ベルヌーィ・2022/04/06にGoogleへ再依頼⇒10/24にOK

エルステッド・2022/4/19にGoogleへ再依頼⇒11/15にOK
フーコー・2022/4/30にGoogleへ再依頼⇒11/18にOK
メイデンホール・2022/5/10にGoogleへ再依頼⇒11/28にOK
マイケルソン・2022/5/16にGoogleへ再依頼⇒12/3にOK
テスラ・2022/5/21にGoogkeへ再依頼⇒12/8にOK
長岡半太郎・2022/02/24にGoogleへ再依頼⇒5/28にOK
ヒルベルト・2022/06/06にGoogleへ初申請⇒12/14にOK
中村清二・2022/06/01にGoogleへ再依頼⇒12/21にOK

M・ボルン・2022/03/10にGoogleへ再依頼⇒6/10にOK
ピカール・2022/06/12にGoogleへ再依頼⇒’23/1/8にOK
フォン・ノイマン・2022/04/02にGoogleへ再依頼⇒7/3にOK
H.A.ベーテ・2022/7/6にGoogleへ再依頼⇒1/31にOK
エドワード・テラー・2022/7/8にGoogleへ再依頼⇒2/2にOK
ランダウ・2022/7/9にGoogleへ再依頼⇒2/3にOK
竹内均・2022/7/20にGoogleへ再依頼⇒2/14にOK
ムツゴロウ・2022/03/03にGoogleへ再依頼⇒8/5にOK
益川敏英・2022/04/24にGoogleへ再依頼⇒8/8にOK
ホーキング・2022/4/25にGoogleへ再依頼⇒8/9にOK


Indexされない問題の要因と今後の対策


先ず結論として
「インデックスされなくても半年くらいで大丈夫」
です。断言します。


今回のIndexされない問題は、数年来今話題になっている


「Google側のアルゴリズム対応」


が主因であると思われます。生活様式。情報習得様式が


大きく変化しているなかで、グーグルが対応に追われて、


個々のインデックスの優先順をつけて処理しているだけ、と言えます。


 

もっと言えば(Coolに考えたら)グーグルは昔と変わらないけれども


ネット社会が変わってきていて我々リクエストする側が


問題であると考えるようになってきているとも言えます。


定量的な指標として、検索リクエストしてから検索表示されるまでの時間


が明らかに定量化できる数字で、皆さんは昨今、その数字を問題視します。


私の感覚では「大まかに半年くらい待てば流石にインデックスされる」


と期待できると言えます。(上記実績から、斯様に判断)


 

状況としては直ぐに変わらないと思えるのでGoogleを超えた所で


ツイッターやコ・ワーキングスペースでの議題とするとか、


自分のブログから発信する仕組みを作るとかしていきたい


と考えています。


 


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以下アドレスまでお願いします。
問題点に対しては適時、
改定・訂正を致します。


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2023年03月27日

フランス関係の人々
3/27更新【パスカル・ラプラス・キューリ夫妻・等のご紹介】

こんにちはコウジです!
「フランス関係」の原稿を改定します。


SNSは戦略的に使っていきます。そして記述に誤解を生む表現がないかを
チェックし続けてます。ご意見・関連投稿は歓迎します。
【以下改訂した原稿です】


【↑ Credit; Pixabay ↑】


↑Credit;Pixabay↑



始めに


フランス関係の人々を纏めました。


フランス共和国。その人口は、おおよそ6千3百万人弱。


日本の半分に満たないですね。反して国土は広く


食物自給率も高いです。その話を知った時は意外でした。


そして以下の登場人物はフランス人ですが、


この中で多くの人を今迄、


私はフランス関連の人として意識していませんでた。


整理してみると蒼々たるメンバーですね。


パスカルもクーロンもラプラスも居ます。


そんな歴史を持った国です。


そしてキューリ夫妻もピカールも居ます。


そんなフランスの歴史を感じさせます。


そしてフランスの誇りを感じさせます。


年代順にご覧下さい。



時代順のご紹介


ブレーズ・パスカル_1623年6月19日 ~ 1662年8月19日


ロバート・ボイル_1627年1月25日 ~ 1691年12月31日【フランス人教師に師事】


ダニエル・ベルヌーイ_1700年2月8日 ~ 1782年3月17日

ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ
_1736年1月25日 ~ 1813年4月10日

シャルル・ド・クーロン
_1736年6月14日 ~ 1806年8月23日


ジャック・C・シャルル_1746年11月12日 - 1823年4月7日


ピエール・ラプラス_1749年3月23日~1827年3月5日


アンドレ=マリ・アンペール_1775年1月20日 - 1836年6月10日


オーギュスタン・J・フレネル_1788年5月10日 ~ 1827年7月14日


ルイ・コーシー_1789年8月21日 ~ 1857年5月23日


N・L・S・カルノー_1796年6月1日 ~ 1832年8月24日


レオン・フーコー_1819年9月18日 ~ 1868年2月11日


A・H・ルイ・フィゾー_1819年9月23日 ~ 1896年9月18日


アンリ・ポアンカレ_1854年4月29日 ~ 1912年7月17日


ピエール・キューリ_1859年5月15日 ~ 1906年4月19日


マリ・キュリー_1867年11月7日 ~ 1934年7月4日


ポール・ランジュバン_1872年1月23日 ~ 1946年12月19日


アウグスト・ピカール__1884年1月28日 ~ 1962年3月24日

ルイ・ド・ブロイ
_1892年8月15日~1987年3月19日


矢野 健太郎_1912年3月1日 ~ 1993年12月25日


J・F・ジョリオ=キューリー_ 1900年3月19日 〜 1958年8月14日




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以下アドレスまでお願いします。
問題点に関しては適時、
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2023年03月26日

日本人物理学者のまとめ
3/26改訂【理研の3太郎からの日本物理学史】

こんにちはコウジです!
「日本人物理学者」の原稿を改定します。


SNSは戦略的に使っていきます。そして記述に誤解を生む表現がないかを
チェックし続けてます。ご意見・関連投稿は歓迎します。
【以下改訂した原稿です】


【↑ Credit; Pixabay ↑】


【↑_Credit:Mike Swigunski】


ここでは日本人物理学者を纏めています。
その人口は2020年時点で1億2581万人(世界第11位_Wikipedia情報)
で狭い国土に多くの人々が暮らしています。


特に東京に3700万人が生活していると言われています。
諸説ありますが歴史的には神武天皇の即位を建国
とする考えがあり、その考えに従うと
BC660年から統一国家として存続しています。


日本において、物理学がヨーロッパ中心から
アメリカ中心に移る時代に、以下の先駆者たる
日本人が着実に物理学への理解を進めていたのです。


人口に占める割合で考えたら物理学者が多い気がします。
そう考えると、物理好きの国民かも知れませんね。
そして、今も多くの論文を作り出しています。


建部賢弘_1664年(寛文4年)6月 〜 1739/8/24
平賀源内_1728 ~ 1780年1月24日(番外編)

山川 健次郎_1854年9月9日 ~ 1931年6月26日
田中舘愛橘_1856年10月16日 ~ 1952年5月21日
長岡半太郎_1865年8月19日 ~ 1950年12月11日
中村清二_1869年10月28日~1960年7月18日

本多光太郎_1870年3月24日 ~ 1954年2月12日
高木 貞治_1875年4月21日 ~ 1960年2月28日
寺田寅彦__1878年11月28日 ~ 1935年12月31日
大河内正敏 _1878年12月6日 ~ 1952年8月29日
石原純_(あつし)_1881年1月15日 ~ 1947年1月19日
西川 正治_1884年12月5日 ~ 1952年1月5日
仁科 芳雄_1890年12月6日 ~ 1951年1月10日

和達清夫_1902年(明治35年)9月8日 ~ 1995年1月5日
朝永振一郎_ 1906年3月31日 ~ 1979年7月8日

湯川秀樹_1907年1月23日 ~ 1981年9月8日_
坂田 昌一_1911年1月18日 ~ 1970年10月16日
武谷三男_1911年10月2日 ~ 2000年4月22日
矢野 健太郎_1912年3月1日 ~ 1993年12月25日
久保 亮五_1920年2月15日 ~ 1995年3月31日
竹内均_1920年7月2日 ~ 2004年4月20日

中嶋 貞雄_1923年6月4日 ~ 2008年12月14日
南部 陽一郎_1921年1月18日 ~ 2015年7月5日
江崎玲於奈_1925年3月12日 ~ 【ご存命中】
小柴昌俊_1926年9月19日 ~ 2020年11月12日
西島 和彦_1926年10月4日 ~ 2009年2月15日
小出昭一郎_1927年3月25日 ~ 2008年8月30日
広重 徹 1928年8月28日 ~ 1975年1月7日
大貫 義郎_1928年 ~ ご存命中
有馬朗人_1930年9月13日 ~ 2020年12月6日

J・J・サクライ_1933年1月31日 ~ 1982年11月1日
ムツゴロウさん【本名:畑 正憲_1935年4月17日 -ご存命中】
村上陽一郎_【1936年9月9日生まれ-(ご存命中)】

益川敏英_1940年2月7日生まれ~2021年7月23日
小林誠‗1944年4月7日生まれ 〜 ご存命中



バカラ、スポードなどの洋食器のことならSohbi


以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
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2023年03月25日

ドイツ(deutschland)
関連の物理学者3/25改訂【ケプラー・オッペンハイマーなど】

こんにちはコウジです!
「ドイツ関係」の原稿を改定します。


SNSは戦略的に使っていきます。そして記述に誤解を生む表現がないかを
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【以下改訂した原稿です】


【↑ Credit; Pixabay ↑】


↑Credit:Pixbay↑



正式には「ドイツ連邦共和国_Deutschland。その人口は8300万人で歴史的にも現在の工業技術面でもヨーロッパで指導的な役割を果たしています。この国の人々が居無ければ後の量子力学の発展もなかったような気もします。単純に考えて、ゲルマンの生真面目な血筋は物理学に向いている気がします。


実際、ケプラー・ガウス・プランク・ハイゼンベルグと続いていく系譜は物理学の成立に不可欠だと言いきれます。所が、、ヒットラーの台頭の中で物理学者は苦労します。白いユダヤ人と呼ばれた人も居ますし、アメリカ等の国外へ亡命をした人も多いです。大きな損失でしたね。


その後の進展は科学史上の遺産【マックスプランク研究所など】に大きく依存している、と思えてしまいます。ドイツでの新しい研究成果に期待します。ご覧下さい。


N・コペルニクス_1473年2月19日 ~ 1543年5月24日_独系ポーランド人


ヨハネス・ケプラー_1571年12月27日 ~ 1630年11月15日


ヨハン・C・F・ガウス_1777年4月30日 ~ 1855年2月23日_

ハインリヒ・レンツ_1804年2月12日 ~ 1865年2月10日_
ドイツ系ロシア人


J・R・マイヤー_1814年11月25日 ~ 1878年3月20日


H・L・F・ヘルムホルツ_1821年8月31日生まれ - 1894年9月8日没


R・J・E・クラウジウス_1822年1月2日 〜1888年8月24日


G・ロベルト・キルヒホフ_1824年3月12日 ~ 1887年10月17日


ヴィルヘルム・C・レントゲン1845年3月27日~1923年2月10日


ハインリヒ・R・ヘルツ_1857年2月22日 ~ 1894年1月1日


マックス・プランク_1858年4月23日 ~ 1947年10月4日


W・C・ヴィーン_1864年1月13日 ~ 1928年8月30日


ゾンマーフェルト_1868年12月5日 ~ 1951年4月26日


高木 貞治_1875年4月21日 ~ 1960年2月28日_ヒルベルトに師事


A・アインシュタイン _1879年3月14日~1955年4月18日【後に亡命】


マックス・ボルン_1882年12月11日 ~1970年1月5日【後に亡命】


F・W・マイスナー_1882年12月16日 ~ 1974年11月16日


ピーター・デバイ_ 1884年3月24日 ~ 1966年11月2日


オットー・シュテルン_1888年2月17日 ~ 1969年8月17日


ヴァルター・ゲルラッハ_1889年8月1日 ~ 1979年8月10日


W・E・パウリ_1900年4月25日 ~ 1958年12月15日


ハイゼンベルク 1901年12月5日 ~ 1976年2月1日


J・R・オッペンハイマー_1904年4月22日 ~ 1967年2月18日


ハンス・アルプレヒト・ベーテ__1906年7月2日 ~ 2005年3月6日


エドワード・テラー _1908年1月15日 ~ 2003年9月9日【後に亡命】



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2023年03月24日

3/24【トピックス】記事の相互リンクに対して

本記事はブログを運営する上で記載するべき事柄の整理です。
ご関心のない方は読み飛ばしていただいて結構ですが、
ご意見やご要望を頂けたら幸いです。

 

さて本題。
ブログ内リンクは時代別の物理学者ご紹介を基準に考えてます。

自分が研究を考えていた時代の原体験を大事にして
夫々の物理学者の足跡を考えていきます。
私だったらどう考えるのだろう?といった風に感えるのではなく
出来るだけ客観的に業績をご紹介する事を目指します。

ただし、読者諸氏が前向きになれる言葉は盛り込みます。
考え方の強制はしません。

夫々の人物を起点に関連人物へリンクを貼っていく計画です。

アインシュタインのようなタイプの学者でさえ、
ローレンツやエレンファストと影響を与えあいます。
また、マッハ哲学の影響もご紹介していきたいのです。

そして、文章の最後に時代別や舞台別の関心を記載して
夫々の物理学者たちの関心・立ち位置を考え直していきます。
読者諸氏もぜひ、それぞれの国でのつながりを感が直して欲しいです。
そうした方針で私は考えています。

 


観葉植物ならHanaPrime


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2023年03月23日

オランダ関係の物理学者
3/23更新【ホイヘンス・ライデン瓶・ローレンツ・そして幾多の議論】

こんにちはコウジです!
「オランダ関係」の原稿を改定します。


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オランダは人口1700万人でGDPでは世界のベスト10に入りませんが
一人あたりのGDPで考えると7位となり
幸福度の高い生活を送っています。(2021年4月時点)


黄金時代と呼ばれた時代もあり、
長い内戦の時代も経てきた国です。日本とは
東インド会社での貿易関係が有名ですね。


世界観を変えていく議論が繰り広げられました。
そして、今でも議論は
続いています。
今の時点での投稿では殆どライデン大学の関係者ばかりですね。


現在ではデルフト工科大学で超電導関係の成果が
続々と伝わってきています。追って補足出来たらいいですね。
ご存命中の人も含めて紹介していきたい部分です。
オランダに長期滞在した人を含めて紹介させて下さい。
以下、列記します。



C・ホイヘンス
_1629年4月14日 ~ 1695年7月8日


P・V・ミュッセンブルーク_1692年3月14日 ~ 1761年9月19日

H・A・ローレンツ
_1853年7月18日 ~ 1928年2月4日


ヘイケ・K・オンネス
_ 1853年9月21日~1926年2月21日


ピーター・ゼーマン_1865年5月25日 ~ 1943年10月9日

A・アインシュタイン
_1879年3月14日~1955年4月18日【長期滞在】


ポール・エーレンフェスト
_1880年1月18日 ~ 1933年9月25日


ピーター・デバイ_ 1884年3月24日 ~ 1966年11月2日

エンリコ・フェルミ
_1901年9月29日 ~ 1954年11月28日


P・ディラック
_ 1902年8月8日~1984年10月20日【長期滞在】


ハイゼンベルク
1901年12月5日 ~ 1976年2月1日【長期滞在】


他、フィリップ・シーボルト、西周



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2023年03月22日

3/22・今後の記事投稿頻度に関して【正の側面と負の側面を考えていきます】

記事投稿・改訂頻度の現実


記事を改訂する頻度に関して、
結論からいうと年に一度になっていきそうです。

無論、私が本ブログに対して愛情をかけていけるか
といった問題も含んでいる話なのです。
そうした考えだけで進めると興味はどんどん膨らんで
話を纏める為に時間を兼ねけなければいけない筈です。

ところが、私は悲しいサラリーマン。
他のサラリーマンよりもよりも休みを取りやすい部署
ではありますが、自宅で使える時間は限られています。

そうした半面で、改訂したい内容は増えていきます。
とある物理学者の人生を見返した時に、
調べれば調べる程に@「残した仕事の関りと」
A「私自身が深めていく理解」がある為に
関連した投稿はどんどん増えていくしかないのです。

投稿頻度を左右する詳細


ここで、問題を整理してみます。簡単化の為に
正の側面と負の側面を考えてみます。

投稿が増やせない事情


・一年は365日しかない
・私は子育てをしていて会社に通勤している
・通勤時や会社での隙間活動ではメモも取りにくい

投稿・改訂を充実させた方が良い事情


・分野や主人公の隣人を考えたら7人程度の追加紹介は続けていく
・関連文献やトピックスを出来るだけ紹介していく
・ページ内リンクを出来るだけ整理してサイト訪問者へ親切にする

以上、色々考えたら今の半年ごとの更新は難しいので
一年ごとの更新としていきます。特に国ごとや研究機関ごとで
問題を整理し直す機会は重要ですし、日常的に生じてくる
トピック的な紹介は全てのブログで大事な世界だと思えます。

今後ともよろしくお願いいたします。


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3/23・オランダ関係のリンク更新
3/24・記事の相互リンクに対して
3/25・ドイツ関係のリンク更新
3/26・日本関係のリンク更新
3/27・フランス関係のリンク更新
3/28・Indexされな記事に対して更新
3/29・舞台別のご紹介の更新
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2023年03月21日

イギリス関係の人々3/21更新
ニュートン・マクスウェルからディラック・ホーキング

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はじめに


イギリスは人口6600万人の立憲君主国でGDPや購買力でも世界の十指に入る力を持っています。国際的に確固たる地位を英国は築いています。何よりそれは世界中に植民地をもって富とネットワークを蓄積してきたからに他なりません。そうした土台の一つとして自然科学の世界をリードしてきた面があるのではないでしょうか。


イギリス人が口にする「Royal Duty」という言葉には庶民には実現出来ない高度な文化的活動も含まている気がしてしまいます。特に物理学はヨーロッパ全域で議論されていましたが、特にイギリスで培われた部分が大きいです。誰しもが認める偉大な議論の歴史があります。今回、列挙出来て少し光栄です。ご覧下さい。



年代順のご紹介


ロバート・ボイル_1627年1月25日 ~ 1691年12月31日
アイザック・バロー_1630年10月 ~ 1677年5月4日
ロバート・フック_1635年7月28日 ~ 1703年3月3日
アイザック・ニュートン_1642年12月25日 ~ 1727年3月20日
コリン・マクローリン_1698年2月 ~ 1746年6月14日
ジェームズ・ワット_ 1736年1月19日 ~ 1819年8月25日
ジョン・ドルトン_1766年9月6日~1844年7月27日
トマス・ヤング_ 1773年6月13日生まれ ~ 1829年5月10日
マイケル・ファラデー_1791年9月22日 〜 1867年8月25日
W・R・ハミルトン‗1805年8月4日 ~ 1865年9月2日

J・P・ジュール1818年12月24日 〜 1889年10月11日
ウィリアム・トムソン_1824年6月26日 ~ 1907年12月17日
J・C・マクスウェル_1831年6月13日 ~ 1879年11月5日

J・W・ストラット__1842年11月12日 ~ 1919年6月30日
ジョン・A・フレミング_1849年11月29日 ~ 1945年4月18日

田中舘愛橘_1856年10月16日 ~ 1952年5月21日
J・J・トムソン_1856年12月18日~1940年8月30日
E・ラザフォード_1871年8月30日 ~ 1937年10月19日
マックス・ボルン_1882年12月11日 ~1970年1月5日【英国へ亡命】

ニールス・ボーア_1885年10月7日~1962年11月18日【英国へ留学】
J・チャドウィック_1891年10月20日 ~ 1974年7月24日【英国へ留学】
アーサー・コンプトン_1892年9月10日~1962年3月15日【英国へ留学】
S・ナート・ボース_1894年1月1日 ~ 1974年2月4日【王立協会会員】
ポール・ディラック_1902年8月8日 ~ 1984年10月20日【英国へ移住】
セシル・パウエル_1903年12月5日 ~ 1969年8月9日
J・R・オッペンハイマー__1904年4月22日 ~ 1967年2月18日【英国へ亡命】

H・A・ベーテ_1906年7月2日 ~ 2005年3月6日【英国へ亡命】
レフ・D・ランダウ_1908年1月22日 ~ 1968年4月1日【英国へ留学】

P・アンダーソン_1923年12月13日~2020年3月29日【英国で勤務】
ロジャー・ペンローズ_1931年8月8日生まれ ~ (ご存命中)

B・D・ジョゼフソン_1940年1月4日〜 (ご存命中)
S・W・ホーキング_1942年1月8日~2018年3月14日
ブライアン・ハロルド・メイ_1947年7月19日~ご存命中




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3/22・記事の更新頻度に関して
3/23・オランダ関係のリンク更新
3/24・記事の相互リンクに対して
3/25・ドイツ関係のリンク更新
3/26・日本関係のリンク更新
3/27・フランス関係のリンク更新
3/28・Indexされな記事に対して更新
3/29・舞台別のご紹介の更新
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3/31・時代順のご紹介更新

2023年03月20日

今後の更新方針について【@TOPICで個別人物A固定記事B投稿記事を拡充】

人物第一


先ず本稿はあくまで、このブログに対しての方針ですので
ご関心のない方は読み飛ばしてください。そんな内容です。
定期購読者の方に対してのメッセージなのです。
【ご意見を頂ければ幸いです。】
本稿は本ブログの今後の進め方を出来るだけ明確にしたい
という目的のもとに書いていきます。主題は「人物」です。

私にとって更新は目的へのステップです。
具体的には
「科学史を通じて考える事の楽しさを伝え、
少しでも各人の理解を進める手助けをして、
私自身も物理の理解を深めたい」 のです。

そんな私が愛すべき物理学者達を出来るだけ
本人に近い形で伝えていきたいと思っている
のです。人物の記載中心で地道に進めます。
そうした観点での投稿です。

固定記事の定期更新


忘れてはいけないと考えていることは
今まで伝えてきた記事の更新です。

書きっぱなしにするのではなくて内容を吟味し直す
作業を続ける事によって、色々なタイミングでの
視点から文章を見直し、補足できる内容がないか
考えていきます。

Topic記事を投稿に関連


上記の固定記事を考えてみたら、(私の観点で考えたら)
未来永劫にも更新を続ける機会を持ちたいと思います。
私が他界したらブログ自体は姪っ子か娘にあげます。

個別の物理学者に対して何時も知識をリフレッシュして
新しい情報を追加していきたいのです。その為には期毎の、
あるいは半年毎の更新が望ましいと思いつつ今に至ります。

最近読んだ本の中にエーレンファストが死の数日前に
涙ながらにディラックに語りかける場面がありました。
そうした小さな感情の場面を残す手立てが欲しいです。

また、関連事項、関連人物がどんどん出てきてくる事態は
嬉しいと言えば嬉しい状況なので盛り込みたいです。

そこで、Topic記事や書評記事を個別人物にリンクさせて
いこうと考えました。色々な記事は全て個別人物の更新時に
あわせて更新します。

具体的な更新計画


最後に(予告編的として)今後の計画を明示します。

3/20・今後の更新方針について(TOPICを個別人物に対応)
3/21・イギリス関係のリンク更新
3/22・記事の更新頻度に関して
3/23・オランダ関係のリンク更新
3/24・記事の相互リンクに対して
3/25・ドイツ関係のリンク更新
3/26・日本関係のリンク更新
3/27・フランス関係のリンク更新
3/28・Indexされな記事に対して更新
3/29・舞台別のご紹介の更新
3/30・ひも理論と現代の理解
3/31・時代順のご紹介更新

4月以降は時代別の更新再開です。


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以下アドレスまでお願いします。
問題点には適時、返信・改定をします。


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3/19投稿・ゲッチンゲン大学関連の物理学者【グリム兄弟や鉄血宰相ビスマルクを輩出】

ゲッチンゲン大学について


ゲッチゲンゲン大学をご紹介します。
正式にはゲオルク・アウグスト大学ゲッティンゲン。
ゲオルク・アウグストは同大学の設立者に由来します。


1737年の設立で法学、哲学、数学、物理学で
数々の実績を残し人材を育ててきました。
その中には日本人を含め
各国の物理学者・数学者が含まれます。


第二次大戦中はケンブリッジとゲッチンゲンの間で
互いの都市を爆撃しないようにしようという
紳士協定が結ばれていたと伝えられています。


また、
「ガチョウ娘に…」という本の中で紹介されています。
ゲッチンゲン大学の博士号習得時にガチョウ娘の銅像に
キスを送る伝統があります。

ゲッチンゲン大学関連の人物


グリム兄弟(童話作家)フッサール(哲学者)ビスマルク(鉄血宰相)
ウィリアム・クラーク(北大の初代教頭)ハインリヒ・ハイネ(詩人)

トマス・ヤング_ 1773年6月13日 ~ 1829年5月10日(留学)
ヨハン・C・F・ガウス_1777年4月30日 ~ 1855年2月23日

マックス・プランク_1858年4月23日 ~ 1947年10月4日
ダーヴィット・ヒルベルト-1862年1月23日 ~ 1943年2月14日
ヴィルヘルム・C・W・ヴィーン_1864年1月13日 ~ 1928年8月30日
本多光太郎_1870年3月24日 ~ 1954年2月12日
マックス・ボルン_1882年12月11日 ~1970年1月5日
ピーター・デバイ_ 1884年3月24日 ~ 1966年11月2日
オットー・シュテルン_1888年2月17日 ~ 1969年8月17日
仁科 芳雄_1890年12月6日 ~ 1951年1月10日

ヴォルフガング・E・パウリ_1900年4月25日 ~ 1958年12月15日
エンリコ・フェルミ_1901年9月29日 ~ 1954年11月28日
ハイゼンベルク 1901年12月5日 ~ 1976年2月1日
ポール・ディラック_1902年8月8日 ~ 1984年10月20日(大学院修了の年に留学)
E・ウィグナー_1902年11月17日 ~ 1995年1月1日
フォン・ノイマン_1903年12月28日 – 1957年2月8日
J・R・オッペンハイマー‗1904年4月22日 ~ 1967年2月18日
マリーア・ゲッパート=マイアー‗1906年6月28日 - 1972年2月20日
エドワード・テラー__1908年1月15日 ~ 2003年9月9


Hegerfeldt, Gerhard C.(私が最近注目している研究者)
クライン(数学者| 1849年4月25日 - 1925年6月22日)

最後に


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2023/03/19_初版投稿

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2023年03月18日

ブライアン・ハロルド・メイ
3/18改訂【クィーンのブライアン】

こんにちはコウジです!
「ブライアン」の原稿を改定します。


SNSは戦略的に使っていきます。そして記述に誤解を生む表現がないかを
チェックし続けてます。ご意見・関連投稿は歓迎します。
【以下改訂した原稿です】



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【1947年7月19日生まれ ~ ご存命】



クイーンのブライアン


有名なロックバンド・クィーンのブライアンですが、
その名を英語で書き下すと Brian Harold May、
CBEです。勲章を頂いているのでCBEがつきます。


CBEって分かり辛いので補足しますと騎士団時代の
表現での司令官で、階級としてはナイトに次ぐ立場です。
部下に将校と団員がいる位置づけです。


所謂、女王陛下を守る騎士団の仲間達ですね。
For God and the Empire がモットーです。


ブライアンは学生時代に天文学、宇宙工学を専攻
していました。2007年に研究を再開して論文を
書き博士号をとったので物理学者として取り上げています。



ブライアンの音響へのアプローチ


ヘルムホルツの時代から音響解析がより定量的なものとなり、振動数・音の振幅・増減比が記録可能な情報として共有されています。5セントコインでギターを奏でるブライアンは彼なりに物理学を駆使してギターの中での「音を出す仕組み」を解析していって作りこんでオリジナリティーを突き詰めていく作業をしています。無論、学者が同様の試みを今まで何度もしてきたと思いますがブライアンの取り組みは著名なロックバンドの主要メンバーとしての活動でした。楽器メーカーとのコラボレーションも可能ですし、一線級の技術者や職人との会話もブライアンの財産となっていった筈です。無名時代からギターを自作していた日々が最上級の経験の中で更に進化していったのです。他の誰にもできないい「音」を確立していったと感じています。



ブライアンの天文学への取り組み


ロック活動で暫く研究活動を休止していたブライアンは天体に関する研究としてカナリア諸島の天文台で研究を進め、母校インペリアル・カレッジでの審査を通過して博士号を得ました。また別の機会に語りたいと思います。




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2023/03/18_改定投稿


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(2021年11月時点での対応英訳)



Queen Brian


Brian of the famous rock band Queen, but his name is written in English as Brian Harold May, CBE. He has a medal, so he gets a CBE. Since CBE is difficult to understand, I would like to add that he is a commander in the expression of the Knights era, and is in a position next to Knight as a class. It is positioned that there are officers and members under his subordinates. So-called members of the Knights who protect Her Majesty. For God and the Empire is our motto.


Brian majored in astronomy and space engineering when he was a student. He has taken up as a physicist because he resumed his research in 2007, wrote a dissertation and earned a PhD.



Brian's approach to acoustics


Since the time of Helmholtz, acoustic analysis has become more quantitative, and frequency, sound amplitude, and increase / decrease ratio are shared as recordable information. Brian, who plays the guitar with a nickel coin, uses physics in his own way to analyze and create the "mechanism that produces sound" in the guitar, and is working to pursue originality. Of course, I think scholars have made similar attempts many times, but Brian's work was as a key member of a prominent rock band. Collaboration with musical instrument makers is possible, and conversations with first-class engineers and craftsmen should have become Brian's property. The days of making his own guitar since his unknown days have evolved further in his top-notch experience. He feels that he has established a "sound" that no one else can.



Brian's commitment to astronomy


Brian, who had been suspended from his research activities for a while due to his rock activities, proceeded with his research at the Canary Islands Observatory as a research on celestial bodies, passed the examination at his alma mater Imperial College, and obtained his PhD. rice field. He also wants to talk about him on another occasion.



2023年03月17日

小林誠_
3/17改訂【CKM行列でフレバー・亜粒子を記述】

こんにちはコウジです!
「小林誠」の原稿を改定します。


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【1944年4月7日・愛知県生まれ〜ご存命中】


先ず、本件は物理学者の小林誠に対しての記事で
イラストレータの小林誠に対しての記事ではありません。


小林誠は理研創設時の時代に理化学研究所で活躍し、
ノーベル賞で名をはせた名古屋大学の理学部教授です。
言われてみたら、なのですが、
元内閣総理大臣の海部俊樹と顔つきが似ています。
海部俊樹と小林誠は従兄弟の関係で、
小林誠は幼少時代に
父を亡くしているので
従兄弟の居る海部家で生活していた時があるそうです。
無口な小林誠を年上の海部は「マー坊」と呼び
可愛がっていたそうです。

小林の研究での真骨頂と言えば素粒子物理学が発展
していく中での成果でしょう。いわゆる「CKM行列」
と呼ばれる定式化が絶妙です。素粒子の一つである
フレーバーが変化していく前後の関係を数学的に記述します。
BCS理論のBがバーデン教授であるようにCKM行列の
Kが小林博士という訳です。また、
反応の対象となるのは亜原子と呼ばれる素粒子で
大きさスケールで考えたら原子核の
構成要素のサイズだと考えて大きな間違いはありません。


初学者はむしろ、空間的な大きさよりも
相互作用の反応が及ぶ距離や
ファインマンダイアグラムと呼ばれる
反応の順序(過程)を大事にしてください。無論、波動関数が空間的に広がっていく様子を大まかに把握しておくことは有益です。


小林は名古屋大学の坂田晶一の指導の元で博士号をとります。当時の研究テーマは「軽粒子ハドロン散乱と流れ代数和則」でした。その後は京都大学などで研究を重ねますが、更に人脈に恵まれ増川敏英らと議論研究を続けます。加速器を使った理論物理学の発展をしていきます。加速器で個別粒子のエネルギー状態を通常と異なるレベルにして、そうした状態の挙動から知見を得るのです。


研究対象の亜粒子は弱い相互作用に関与するウィーク・ボゾンとクォークで、反応の前後を「CKM行列」を使って定式化したわけです。


また、小林誠は教育に関して発言してます。2008年に教科書検定に対して政治家に「読む気を失わせる」内容だと意見しているのです。その意見は至極納得出来るものです。


理論の初学者が理論体系を理解していく作業では、興味関心を持って「体系が分かったぞ」と思えることが最重要です。例えばニュートンの力学系が理解出来て実験結果に合致していくモデルは後に仕事をしていく上で活用できます。業務の体系を早く理解して論理的に作業や交流が出来るのです。


ただし理路整然と物事が理解、感動出来るのは一部の生徒だけで、多くの生徒は体系の理解が面倒で、理解するだけで疲れて何も残らないものです。


より重要なのは体型が納得出来るストーリーだと小林は説きました。私が考えても「構築された理論の体系性」よりも「理論で感動出来るストーリー」なのだと思えます。お仕着せの学習で生徒の作業能力を高めるだけでは教育として不完全です。






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2023/03/17‗改訂投稿


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2023年03月16日

S・W・ホーキング
3/16改訂【筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患いながら星の進化を研究】

こんにちはコウジです!
「ホーキング」の原稿を改定します。


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【1942年1月8日生まれ ~ 2018年3月14日没】



ホーキング博士の研究領域


ホーキング博士は相対論を含めて宇宙の理論を研究しました。
特にブラックホール、量子的効果、その生成から消滅に
至るまでを突き詰めていった博士です。


博士の御両親は共にオックスフォードに学んていた
こともあり、ホーキング博士もオックスフォードで
物理学を学びます。各国の王族や次期指導者と共に
勉学を修めたわけです。大学時代はボート部に所属して
大学院進学時は成績も芳しくなかったようです。
そして、ホーキング博士はケンブリッジに進みます。


何より博士は若くして筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患い、
大きな困難に立ち向かいます。当時は命を落とす病である
といわれ、意思伝達・行動範囲拡大の為に独自の技術使い、
デバイスを使いこなしていきます。



ホーキング博士の研究態度


研究の面ではブラックホールに関する研究を進めて
星の進化を考え、中心部に存在するであろう
特異点を考え「特異点と時空の幾何学」の論文
をまとめ上げます。その特異点の考え方にには
幾つかの段階がありますが、端的には
「光的捕捉面 (trapped null surface)」
なるものを考えてみます。エネルギー密度を考えると
「測地線」というものが考えられるか考えられないか、
という議論を繰り広げたのです。その議論は
相対論的に古典力学を考える範疇の話であって、
量子論的な相対論の考えを最新の科学では進めています。


またホーキング博士は、タイムマシーンの実現の為には
無限のエネルギーが必要であるとの考えを持っていて、
タイムマシーンの実現可能性を否定しています。
タイムマシーンは夢のある話ですが当然困難もある
と言ってみたかったのですね。



ホーキング博士の最後


また私に印象深かったのは安楽死に対する意見です。
権利を認めていながらも、ホーキング博士の立場
として出来る事をしたいという前向きな立場
をとっていて共感出来る部分がありました。
ホーキング博士は不自由な体でブラックホールや
人口知能技術に思いを巡らせていたのです。


そして、最後の時が来たのです。
偉人の人生も終わりを迎える時が来ました。
ホーキングはケンブリッジ大学近くの自宅で
最期を迎えました。そして今、ホーキングは
ニュートンの墓の近くで眠っています。


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2020/10/09_初稿投稿
2023/03/16_改定投稿


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(2021年11月時点での対応英訳)



Dr. Hawking's research area


Dr. Hawking studied the theory of the universe, including relativity. He is a doctor who has scrutinized black holes, quantum effects, and their creation and extinction.


Dr. Hawking also studied physics in Oxford, as both his parents had studied in Oxford. He studied with the royal family and the next leaders of each country. He belonged to the rowing club when he was in college, and when he entered graduate school, his grades were not good. Then Dr. Hawking goes to Cambridge.


Above all, he suffers from amyotrophic lateral sclerosis (ALS) at a young age and faces great difficulties. At that time, it was said to be a life-threatening illness, and he will master his unique technology and devices in order to communicate and expand his range of activities.



Dr. Hawking's research attitude


In terms of his research, he will proceed with research on black holes, consider evolution, consider singularities that may exist in the center, and compile a paper on "Singularity and Space-Time Geometry". There are several stages in the idea of ​​the singularity, but in short, let us consider what is called a "trapped null surface". He argued whether or not a "geodesic" could be considered when considering the energy density. The argument is a category of relativistic classical mechanics, and the latest science is advancing the idea of ​​quantum relativity. Dr. Hawking also denies the feasibility of a time machine because he believes that infinite energy is required to realize a time machine. Time machine is a dream story, but of course there are also difficulties.



The end of Dr. Hawking


Also impressed with me was his opinion on euthanasia. Although I acknowledged my rights, there was a part that I could sympathize with because I took a positive position that I wanted to do what Dr. Hawking could do. Dr. Hawking was crippled and pondered about black holes and artificial intelligence technology.


And the last time has come.
It's time to end the life of a great man.
Hawking at his home near Cambridge University
He has reached the end. And now Hawking
He is sleeping near Newton's tomb.


 

2023年03月15日

益川敏英
3/15改訂【C-P対称性に関する理論で素粒子を整理】

こんにちはコウジです!
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【1940年2月7日生まれ~2021年7月23日】



益川敏英の生い立ち


益川敏英は1940年に名古屋に生まれました。


先の大戦の終戦にほど近いので苦労しています。
5歳の時に名古屋大空襲で自宅が焼夷弾を受け
非常に恐ろしい経験をしています。


その為、(憲法)「9条科学者の会」に名を連ね、
平和運動に情熱を捧げていたそうです。


そんな益川さんは高校時代に科学雑誌で坂田 昌一
「坂田モデル」を作り上げた事を
知り、大いに
興味を抱き名古屋大学理学部に進みます。


当然、坂田研に所属して研究を進め、そこで後の盟友となる
小林誠と出会います。そして
坂田研で博士論文をまとめ上げた後に、
そのコンビは共に京都大学で研究を進めるのです。



益川敏英の感心事


特に、当時の大きな感心事だったC-P対称性に関する理論的
枠組みの構築をテーマとして選び、
自宅で風呂に入っている時に
坂田さんは
クォークを6種類考えた時に理論が完結する
というアイディアをえました。因みに、この時に観測されていた
クォーク
3種類だったので理論が先行していた訳です。


そんな益川氏はノーベル賞受賞の際にはスピーチを英語で行う
慣例を守らずに、日本語でスピーチを行いました。
そんな
益川さんが理路整然とした議論の枠組みを作り、
物静かな小林さんと深い議論をしていった結果として
小林-増川理論は出来上がり、素粒子の理解
が進んだのです。


本稿の画像としては名大の風景を使っています。
二人はノーベル賞を京大時代に
とりましたが、
その師は名大の人で出会いも名大
でした。


いつも気持ちは名大にあった思います。
その一人益川さんが天に召されました。
享年81歳。謹んでご冥福をお祈りいたします。


 


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2021/07/31_初稿投稿
2023/03/15_改定投稿


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History of Toshihide Maskawa


Toshihide Maskawa was born in Nagoya in 1940. He is struggling because he is close to the end of the last war. He had a very scary experience when his home was incendiaryd by the bombing of Nagoya at the age of five. Therefore, he was listed in the (Constitution) "Article 9 Society of Scientists" and was passionate about the peace movement.


Mr. Maskawa learned that Shoichi Sakata created the "Sakata model" in a scientific magazine when he was in high school, and was very interested in it and proceeded to the Faculty of Science at Nagoya University. Naturally, he belongs to Sakata Lab and pursues research, where he meets his later ally, Makoto Kobayashi. After compiling his doctoral dissertation at Sakata Lab, the combination will proceed with research at Kyoto University.



Toshihide Maskawa's Impressions


In particular, he chose the theme of building a theoretical framework for CP symmetry, which was a big impression at the time, and when he was taking a bath at home, Mr. Sakata got the idea that the theory would be completed when he thought about six types of quarks. ..


By the way, there were three types of quarks observed at this time, so the theory preceded them. When Mr. Maskawa won the Nobel Prize, he gave a speech in Japanese instead of following the convention of giving a speech in English. Mr. Maskawa created a framework for coherent discussions,


As a result of deep discussions with Mr. Kobayashi, who is quiet, the Kobayashi-Masukawa theory was completed, and the understanding of elementary particles was advanced. The image of this article uses the scenery of Nagoya University. The two won the Nobel Prize during the Kyoto University era, but the teacher was a Nagoya University person and met at Nagoya University. I think my feelings were always at Nagoya University.


One of them, Mr. Maskawa, was called to heaven.


He is 81 years old.


He sincerely prays for his soul.


2023年03月14日

B・D・ジョゼフソン
3/14改訂【量子力学的効果をデバイスで具現化】

こんにちはコウジです!
「ジョゼフソン」の原稿を改定します。


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 ジョセフソン接合を生み出したジョセフソン


その名を書き下すと”Brian David Josephson”。


今回、存命中の方を紹介しています。


ジョセフソン博士は今もイギリスでご存命の研究者でジョセフソン接合等
発案で広く知られています。ジョセフソン接合物理学を理解
し始めた人が量子的な
効果を確認出来るデバイスです。
彼は私が
大学院時代に興味を持った凝縮系の大家です。


ジョセフソン接合等の考えは様々な知見に繋がっています。
もう少し細かく記述すると、そのジョセフソン接合とは
超伝導体の間に常伝導体を挟み、電子の
波動的性質を顕在化させる仕組みです。



 量子力学における二面性


そもそも、量子力学的には電子は


波動的性質と粒子的な性質を併せ持ちます。


例えば、
そこにおける波長から設計したのが
SQUIDと呼ばれるデバイスで
高感度の磁気センサーや
量子コンピュータのデバイス候補
として応用されます。


また、ジョセフソンは常温核融合に対して研究を進めています。更には科学の枠組みを超えて探求を続けています。そのジョセフソンが関心を持つ側面にはシュレディンガーニールス・ボーアパウリなども関心を持ったと言われますが「物理」「生命」「化学」の境界領域で意識に対しての考察に挑んでいるのです。



 ジョセフソンの信条


ジョセフソン曰く、(彼は王立協会創立のモットー nullius in verba(一切の権威を認めない)を信条としており、)「科学者が全体としてある考え方を否定したとしても、その考え方が不合理だという証拠にはならない。むしろ、そのような主張の基盤を慎重に調査し、どれほどの精査に耐えるかを判断すべきだ」【出典・Wikipedia】


個人的にはジョセフソンの方向性を支持します。不可解な現実を
不可解な現象をオカルトネタで終わらせる積りはないです。
今不可解だと考えられている現象には因果関係がある半面で
人間の知見も完全ではないと認めれば、それらに対して
真摯に直面して解明していく事こそ正しい姿だと思います。




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2023/03/14_改訂投稿


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Josephson who created the Josephson junction


The name is written down as "Brian David Josephson".


This time, we are introducing those who are still alive. Dr. Josephson is still a living researcher in England and is widely known for his ideas such as Josephson junction. I am a condensed landlord who was interested in graduate school. The idea of ​​Josephson joining has led to various findings. This Josephson junction is a mechanism in which a normal conductor is sandwiched between superconductors to reveal the wave-like properties of electrons.



Two-sidedness in quantum mechanics


In the first place, in quantum mechanics, electrons have both wave-like and particle-like properties. For example, a device called SQUID designed from the wavelengths there is applied as a device candidate for high-sensitivity magnetic sensors and quantum computers.


Josephson is also conducting research on cold fusion. He and even he continues his quest beyond the framework of science. It is said that Schrödinger, Niels Bohr, Pauli and others were also interested in Josephson's quest, but he challenged the consideration of consciousness in the boundary area of ​​"physics", "life" and "chemistry". I'm out.



Josephson's creed


According to Josephson, [(he believes in the Royal Society's founding motto nullius in verba), "even if scientists deny an idea as a whole, that idea is unreasonable. Rather, we should carefully examine the basis of such claims and determine how much scrutiny they can withstand. "・ Source ・ Wikipedia】 I personally support that direction. There is no way to end a mysterious reality with an occult story. If we admit that the phenomena that are considered incomprehensible now have a causal relationship, but human knowledge is not perfect, I think that it is the correct figure to face them seriously and elucidate them.


2023年03月13日

村上陽一郎_
3/13改訂【楽器を愛したクリスチャン文化人】

こんにちはコウジです!
「村上陽一郎」の原稿を改定します。


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【1936年9月9日生まれ-(ご存命中)】


日本での論壇を率いた村上陽一郎


村上洋一郎は日本の論壇を率いた方で、

別途ご紹介している広重 徹



共著の著作を沢山残しています。

 


専門は物理学史 、科学哲学 、安全学と多彩に表現出来ますが、
昨今はコロナで『ペスト大流行』の著書が取りあげられること
があります。科学者として試行錯誤する様子を分析・解説しています。


村上陽一郎をクリスチャンとして理解すると一貫性をもって、
その人生が理解できます。国際基督教大(ICU)で式典
開かれた際には美智子皇后も参列されたそうです。
秋篠宮家からICUに御通学される時代へと繋がっていく話だといえます。


また、物理学者には楽器が好きな人が結構居るのですが、村上洋一郎も高校時代からチェロを好みます。私も研究室のT君が楽器を抱えて研究室を出入りしていたのを思い出してしまいました。ボルツマン_もアインシュタインも音楽をたしなみました。結構あるある話です。 


村上陽一郎と音楽



物理学者は一人での思索の時間を多く持ち、人との話し合いの時間も持ちます。音楽に没頭する時間と、それぞれの時間は少しずつ重なっている気がするのです。音楽のリズムと理論構築のリズム、及びその構築には共通点があります。アインシュタインの言葉に曰く

「 The most beautiful thing we can experience is the mysterious,

it is the source of the all TRUE art and science 」




話し戻して、村上洋一郎の活動は多岐にわたります。河合隼雄と文化論に対して議論を交わし仕事を残したり、高橋義人とグノーシス(キリスト教と教義体系が異なる宗教です)の教えを語り合ったり、ユングやパウリの訳を日本に紹介したりしていました。其々の御人柄・人生を知れば知るほど共鳴している部分が分かってきて面白い筈です。そして、村上洋一郎はラッセルやケプラーを論じて啓蒙活動を進めました。


以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが
必ず返信・改定をします。


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Yoichiro Murakami, who led the forum in Japan


Yoichiro Murakami is the leader of the Japanese discourse, and has left many books co-authored with Tetsu Hiroshige, which is introduced separately.
His specialty can be expressed in various ways such as history of physics, trial and error, philosophy of science, and safety, but when understood as a Christian, he can understand his life consistently. Empress Michiko was also present when the ceremony was held at International Christian University (ICU). I think this is a story that will lead to an era when the Akishinomiya family goes to school at ICU. Also, some physicists like musical instruments, but Yoichiro Murakami has also liked the cello since high school.

Yoichiro Murakami and music


Under such circumstances, he also has time to think and talk with people. I feel that the time spent in music and the time spent in each time overlap little by little. The rhythm of music, the rhythm of theory construction, and their construction have something in common. According to Einstein's words
"The most beautiful thing we can experience is the misterious it is the source of the all TRUE aet and science" Returning to the story, Yoichiro Murakami's activities are diverse. He discussed cultural theory with Hayao Kawai and did his work, talked with Yoshito Takahashi about the teachings of Gnosticism (a religion with a different doctrinal system from Christianity), and introduced the translations of Jung and Pauli to Japan. I was doing it. The more you know each person's personality and life, the more you will understand the parts that resonate with each other, which should be interesting. Then, Yoichiro Murakami discussed Russell and Kepler and proceeded with his enlightenment activities.

2023年03月12日

ムツゴロウさん【本名:畑 正憲】3/12改訂
【動物王国の主で九州男児の東大卒】

こんにちはコウジです!
「ムツゴロウさん」の原稿を改定します。


SNSは戦略的に使っていきます。そして記述に誤解を生む表現がないかを
チェックし続けてます。ご意見・関連投稿は歓迎します。
【以下改訂した原稿です】




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【1935年4月17日生まれ -ご存命中】




 ムツゴロウさんの人生


2023/3/2現在で87歳ご存命中の方で


恐縮ですが、ムツゴロウさんの


一面を紹介したいので投稿します。


私は少年時代に面白い人生だと思いました。


ムツゴロウさんという愛称で知られて


いますが、中身は九州男児です。


大分県でバンカラな青春時代を過ごします。


私はその様子をムツゴロウさんの著書である


「ムツゴロウの青春期」で読みました。


ムツゴロウさんが高校時代に今の奥様に出合い結ばれる様子


生き生きと描かれ、同時に東京大学を目指し


猛勉強する様子が描かれていました。



若き日のムツゴロウさん


ムツゴロウさんが九州で高校生活を送っていた時代に


「君等が知っちょるか知らんか(私は)知らんが」


という口癖の先生が居て、物理学への魅力を伝えていて、若き日のムツゴロウさん達が集まって話を聞いていて、友達同士で話して共鳴して奮起するストーリーだったかと思います。そしてムツゴロウさんは猛勉強するのです。小説の終わりでは東京大学に合格するのです。


後で時間を作りムツゴロウの青春期に続く著作の結婚紀、冒険記等も読んでみたいと思っていますが、ムツゴロウさんは東京大学を卒業後に文筆での人生を選び、当時の学研社で活動を始めます。そこに至るまでに色々と考えたと思います。


東大で在学中には駒場寮に暮し医学・動物学・等を学びます。そもそも物理学科という呼び方ではなく東大はT類・U類・・・と分けていたので(私が知ってた時代。)対象が無機質の剛体であろうがアメーバであろうが研究対象といえば研究対象な訳です。最高学府の頂点として東大は様々な学科を少数精鋭で網羅しています。そもそも微視的な視点に立ち見てみたら其々に性質があり、寿命があるのです。


「意志を持ってるかもしれないアメーバ」


だったり


「半減期を持っている原子核」


を研究している訳です。そんな見方も出来ますよね。
話戻ってムツゴロウさんですが、何時か時間をとって調べて書き足したいです。彼の人生は喜びと失望に満ちています。徹夜でマージャンをしたり、事業で破産をしたり、お子さんの性格で思い悩んだりしています。そんな中でムツゴロウさん突き進んでいます。もう少し見続けていたい生き様だと感じます。


ムツゴロウさんには
6億円あると言われていた借金がありましたが、
それも全て返済して現在も動物に関わっています。
リンク:有限会社ムツ牧場




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以上、間違い・ご意見は
次のアドレスまでお願いします。
問題点には適時、
返信改定を致しします。


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Mutsugoro's life


2021/08/21 I am sorry that I am alive as of now, but I would like to introduce one side of Mr. Mutsugoro, so I will post it.
I thought it was an interesting life when I was a boy.


Known by the nickname of Mr. Mutsugoro, the contents are Kyushu boys. He spends his youth in Oita prefecture. I read the situation in Mr. Mutsugoro's book "Mutsugoro's Youth". It was a lively picture of Mr. Mutsugoro meeting his current wife in high school, and at the same time, a picture of studying hard toward the University of Tokyo.



Young mudskipper


There was a teacher who had a habit of saying, "Do you know or don't know (I) don't know?", Telling the charm of physics, and young mudskippers gathered and listened. I think it was a source of excitement by talking with friends and resonating with each other. And study hard.


Later, I would like to make time to read the marriage history and adventures of Mutsugoro's youth, but Mr. Mutsugoro chose his life as a writer and started his activities at Gakken at that time. I think he thought a lot before he got there.


At the University of Tokyo, I live in Komaba Dormitory and study medicine, zoology, etc. In the first place, the University of Tokyo is not called the Department of Physics, but it is divided into Class I, Class II, etc. (the era I knew). That's why.


As the pinnacle of the highest school, the University of Tokyo covers various departments with a small number of elites. In the first place, if you look at it from a microscopic point of view, each has its own characteristics and has a limited lifespan. I am studying "amoeba that may have a will" or "nucleus that has a half-life". You can see that as well.


Returning to the story, Mr. Mutsugoro, I would like to take some time to investigate and add. Because his life is full of joy and disappointment. Under such circumstances, Mr. Mutsugoro is pushing forward. He feels that he is a way of life that he wants to keep watching for a while.


Mr. Mutsugoro had a debt that was said to be 600 million yen, but he repaid all of it and he is still involved in animals.
Link: Mutsu Ranch Co., Ltd.


posted by コウジ at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

2023年03月11日

J・J・サクライ
3/11改訂【ハーバードを首席卒業、夭折てしまった天才物理学者】

こんにちはコウジです!
「JJサクライ」の原稿を改定します。


SNSは戦略的に使っていきます。そして記述に誤解を生む表現がないかを
チェックし続けてます。ご意見・関連投稿は歓迎します。
【以下改訂した原稿です】



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【1933年1月31日生まれ ~ 1982年11月1日没】



Jサクライとアメリカ


Jサクライの日本語表記は


「桜井純」で日本の東京生まれの人です。


私が使っていていた教科書でカタカナ表記でしたので個人的には
カタカナ表記がしっくりきて、好きです。ミドルネームに由来する
と思われますが、
もう一つ「J」をつけて記載する事が多いです。
何故ミドルネームがJなのかは未だ調べています。


(以下、少し呟いてみます)よく言及されるのですが、英国の物理学者J・J・トムソンを真似て「J」に由来するという一説があります。ただ、科学史の観点から私は納得いきませんでした。


「電子線を考え抜いたトムソン(別途、トムソン卿って人が居ます)」と「相互作用に対して考え抜いていた桜井さん」は物凄く似通った所があるのですが、それを裏付ける一次情報が得られていないのです。探すことに時間を使わない言い訳としては、桜井さんは日本での活躍が少なく、夭折してる(早くに亡くなっている)という事情もあって日本における交流が少ないと予想出来るからです。仮にご家族が追記集をまとめたりしていたら読んでみたいのですが、そういう類の話も聞きません。


そもそも、そういった話が聞かれない時点で仮に、
ご遺族が居たとしてもJJサクライの「J」についての由来は明らかにしたくないと
考えている場合も予想されるからです。
追及点を掘り下げる際の
科学史での難しい所を実感しました。
(そして、文字を小さくして呟いてみました)


いずれにせよJJサクライの響きは良いですね。


JJサクライは新制高校に在学していた16歳の時に留学生選抜試験に合格し、アメリカに渡りました。学問好きの少年だったのでしょう。その後、ニューヨークにある高校を卒業した後に、ハーバードを主席で卒業しています。



JJサクライと弱い力

その後、JJサクライはコーネル大の大学院で研究を進め、在学中に弱い相互作用の考えを提唱しています。彼の研究では弱い相互作用と強い相互作用が出てくるので少し言及します。そもそも自然界には4つの力があると言われていて、ここでの2つは4つの内の2つなのです。



初学者は4つの力を考える時に「力の働く範囲




力の大きさ」を別々に把握しないといけません。

 

具体的に弱い力は、働く範囲が陽子直径より小さいのです。また、素粒子や準粒子がボゾンを交換して相互作用する中で弱い力は強い力や電磁学に比べて大きさが数桁小さな力として作用します。 


弱い相互作用は標準模型での全てのフェルミ粒子とヒッグスボソンに作用します。フェルミ粒子とボーズ粒子を合わせて「素粒子」と呼びますが、相互作用の議論では素粒子間に働く力が議論されるのです。 


特にニュートリノは重力と弱い相互作用のみを使って相互作用します。弱い相互作用は束縛状態をもたらしません。重力が天文学的スケールで月と地球の間の相互作用に関与していたり、電磁力が原子間レベルで互いに力を与えあったりする束縛状態とは異なります。また、弱い相互作用とは違い強い核力は原子核の内部で非常に強い束縛状態を持ちます。別言すれば、弱い相互作用は結合エネルギーに関与しません。



JJサクライの突然の他界 


JJサクライはこうしたメカニズムを


深く研究していきました。


そして49歳で突然、他界してしまいました。


少し調べてみましたが、その死因に対しては


情報が残されていません。何はともあれ、


惜しい人材を失ったこととなり残念です。


4つの力の理解と加速器を初めとした応用研究は未だ
続いています。次々問題が出てきます。
そんな議論に
参加して欲しかったです。
謹んでご冥福をお祈り致します。


合掌。





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J Sakurai and America


The Japanese notation for J Sakurai is "Jun Sakurai", a person born in Tokyo, Japan. She used katakana notation in the textbook I was using, so I personally like the katakana notation. She seems to be derived from her middle name, but she is often listed with another "J". I'm still investigating why her middle name is J.


(Hereafter, I will mutter a little) There is a theory that it is derived from "J" by imitating the British physicist JJ Thomson. However, I was not convinced from the perspective of the history of science. "Thomson who thought out the electron beam (I'm Sir Thomson separately)" and "Mr. Sakurai who thought out about the interaction" have very similar points, but I got the primary information to support it. I haven't.


As an excuse not to spend time searching, Mr. Sakurai is less active in Japan, and she is dying (she died early), so it can be expected that there will be little interaction in Japan. Because. I would like to read it if my family is compiling a collection of additional notes, but I do not hear such stories. In the first place, it is expected that he does not want to clarify the origin of JJ Sakurai's "J" even if there is a bereaved family at the time when such a story is not heard. I realized the difficult part in the history of science when digging into the pursuit point. (And she tried to make the letters smaller and muttered)


In any case, the sound of JJ Sakurai is good.


JJ Sakurai passed the international student selection test at the age of 16 when he was in a new high school and went to the United States. He must have been an academic boy. Then, after he graduated from high school in New York, he graduated from Harvard as chief.



JJ Sakurai and weak force


Since then, JJ Sakurai has been conducting research at Cornell University's graduate school, advocating the idea of ​​weak interactions while still in school. I will mention a little because his research shows weak and strong interactions. It is said that there are four powers in the natural world in the first place, and the two here are two of the four.


When considering the four forces, beginners must grasp the "range of force" and the "magnitude of force" separately.


Specifically, the weak force has a working range smaller than the proton diameter. In addition, while elementary particles and quasiparticles exchange bosons and interact with each other, weak forces act as strong forces or forces that are several orders of magnitude smaller than electromagnetics. Weak interactions affect all fermions and Higgs bosons in the Standard Model.


Fermions and bosons are collectively called "elementary particles", but in the discussion of interactions, the forces acting between elementary particles are discussed. Neutrinos in particular interact only with gravity and weak interactions. Weak interactions do not result in bound states.


This is different from the bound state where gravity is involved in the interaction between the Moon and the Earth on an astronomical scale, and electromagnetic forces exert forces on each other at the interatomic level.


Also, unlike weak interactions, strong nuclear forces have a very strong bound state inside the nucleus. In other words, weak interactions do not contribute to binding energy. JJ Sakurai has studied these mechanisms in depth. And at the age of 49 he suddenly passed away. He did some research, but no information was left about the cause of death. Anyway, it's a pity that he lost a regrettable talent.



Sudden Last of JJ 


Understanding of the four forces and applied research including accelerators are still ongoing. Problems come up one after another.


He wanted me to participate in such a discussion. It was


We sincerely pray for your souls.


Gassho.


2023年03月10日

R・ペンローズ
3/10改訂【ブラックホールにおける特異性を示しノーベル賞を受賞】

こんにちはコウジです!
「ペンローズ」の原稿を改定します。


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【1931年8月8日生まれ ~ (ご存命中)】


 芸術家肌のペンローズ


 
その名はロジャー・ペンローズ

;Sir Roger Penrose OM FRS。


英国の物理学者ですが、




まだご存命の方なので

簡単に取り上げたいと

思います。有名人の

ブライアンとは少し

系統が違う気がするのです。


(芸能系ではない


純理論の学者さんです。

ムツゴロウさんとも

雰囲気が違いますね)

ロジャー・ペンローズは精神科医にして遺伝学者の父を持ち、父方母方共に沢山の学者、芸術家がいる家庭に生まれました。ロジャー自身も学者としてケンブリッジに進みます。

ホーキングと共にブラックホールにおける特異点を示し、
後に2020年のノーベル賞を受賞します。授賞理由は
「ブラックホールと相対論の関係」に対しての評価でした。

 ペンローズの研究業績


研究業績で気になってしまうのは認識に関する仮説に関してです。脳内での活動については個人的に昔から気になっている部分ではあるのですが、ロジャー・ベンローズの話の展開に、ほんの少しの違和感を覚えるのです。

ロジャーの主張は著書:皇帝の新しい心_で示されているのそうですが脳内の情報処理には量子力学が関わる。即ちユニタリー発展(U)と波束の収束(R)が含まれている仮定のもとに、片方のRに対する議論が欠けているという立場で話を進めているのです。

無論、脳内の活動は大きさスケールで考えた時に量子力学の対象となると思えます。脳内の伝達物質の一つは情報を与える電子であったりするからです。

その系統の話をきちんと読み通してはじめて分かる話なのか、考え落としを含んでいる危うい話なのか、失礼ながら気になってしまうのです。

本稿の中で私が使っている「違和感」が本物の違和感なのか取り越し苦労の違和感なのか確かめたいと思います。その意味で非常に興味深いです。




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Artist skin pen rose


Its name is Roger Penrose OM FRS.

He's a British physicist, but he's still alive, so I'd like to take a quick look. He feels a little different from the celebrity Brian.

(I'm a non-entertainment scholar of pure theory. The atmosphere is different from that of Mr. Mutsugoro.)

Roger Penrose was born into a family with a psychiatrist and geneticist father, and many scholars and artists on both his paternal and maternal sides. Roger himself goes to Cambridge. He, along with Hawking, showed his singularity in black holes and later won the 2020 Nobel Prize. The reason for his award was his appreciation for the relationship between black holes and relativity.

Penrose research achievements


What is worrisome about his research achievements is the cognitive hypothesis. I've always been concerned about activities in the brain, but I feel a little uncomfortable with the development of Roger Ben Rhodes' story. The claim is shown in Roger's book: The Emperor's New Heart, but quantum mechanics is involved in information processing in the brain. That is, under the assumption that unitary development (U) and wave packet convergence (R) are included, we are proceeding from the standpoint that there is a lack of discussion on one R. I'm rude and worried whether it's a story that can only be understood by reading through the story of that system properly, or a dangerous story that includes oversight. I would like to confirm whether the "uncomfortable feeling" I use in this article is a genuine uncomfortable feeling or a discomfort of having a hard time moving. In that sense, it's very interesting.



2023年03月09日

ロバート・シュリーファー
3/9改訂【超電導を理論化したBCS理論を提唱】

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【1931年5月31日 ~ 2019年7月27日】



 BCS理論を構築したシュリーファー


BCS理論を作った3人の中の一人が


シュリーファーであって、


BCS理論でのSはシュリーファのSです。


BCS理論自体の説明は他のメンバーである
バーディーンクーパーのご紹介の中で
解説していますので繰り返しません。
超伝導を微視的に解説した理論です。



 シュリーファーと超電導の研究


シュリーファは少年時代は手作りロケットを制作したり、アマチュア無線が好きだったりする電子工学好きな少年でした。そんなシュリーファはMIT(マサチューセッツ工科大学)で半導体の研究を当初進めていました。特に半導体表面での電子の振る舞いを研究していたのです。そして後に超伝導現象の研究に移ります。


シュリーファ達がBCS理論をまとめた後、世界での研究は常温での超伝導実現に向けた研究が進んでいます。常温高圧環境下で現象を起こしたりする試みがなされていて、マイナス百数十ケルビンまで転移温度は近づいてきています。


現実には実現が難しい様な高圧をかけた時に、常温で超電導現象が実現した報告もあります。私が研究していた時代には青学の秋光先生や東工大の細野先生が挑んでいました。


それぞれご存命かと思われますので詳細は控えます。


科学史と言うより最前線に近いかと思えますので。


ご本人達にしてみれば


「今でも研究してますよ!」って気持ちも


あるのではないかとと思えるのです。



 シュリーファーの晩年


話し戻って、シュリーファは1957年から米国代表の立場で英国バーミンガム大学とコペンハーゲンのボーア研究所で超電導の研究を続けています。そして残念な事に、晩年に自動車事故を起こし人を殺めてしまい、懲役を課されています。カリフォルニア州サンディエゴにある刑務所で懲役に服しました。素晴らしい研究のセンスとうっかりミスを犯してしまう性格は共にシュリーファの人生に影響を与えました。出来れば緊張感を持って生活を送って頂きたかったです。こんな話をするのは事故当時シュリーファは免許停止中だったからです。立場のある人間であれば尚更、責任を持った行動が求められます。


それだから、この話を知ってとても残念です。バーディン教授の人を集める性格とシュリーファー教授の人を遠ざけてしまう性格は対象的に思えてしまうのです。バーディンは仲間とトランジスタを開発して、別途BCS理論をつくりあげて仲間の輪を広げました。その過程で出会った日本人、中嶋貞雄をアメリカに呼んでもてなしていたりします。朗らかなアメリカ人のイメージです。反面、シュリーファーは立派な立場をいくつも受けた後に人を殺めてしまいました。朗らかなアメリカ人として単純に語れない人生です。こんな話を我々は大きな教訓として考えるべきだと思います。




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2020/09/17_初稿
2023/03/09_改定


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Schrieffer of BCS theory


One of the three who created the BCS theory is Schrieffer, and the S in BCS theory is Schrieffer's S.



Research on Schrieffer and superconductivity


When he was a boy, Shrifa was a boy who loved electronics, making handmade rockets and ham radio. Such Schrifa was initially conducting research on semiconductors at MIT (Massachusetts Institute of Technology). He was especially studying the behavior of electrons on the surface of semiconductors. And he later moved on to study superconducting phenomena.


After Schrifa et al. Summarized the BCS theory, research in the world is progressing toward the realization of superconductivity at room temperature. Attempts have been made to cause phenomena in a normal temperature and high pressure environment, and the transition temperature is approaching to minus one hundred and several tens of Kelvin.


There is also a report that the superconducting phenomenon was realized at room temperature when a high voltage that was difficult to realize in reality was applied. When I was studying, Professor Akimitsu of Seigaku and Professor Hosono of Tokyo Institute of Technology were challenging. I will refrain from detailing each of them as they may be alive. I think it's closer to the front line than the history of science. For the people themselves, I think they may have the feeling that they are still researching!



Schrieffer's later years


Returning to the story, Schrifa has been studying superconductivity at the University of Birmingham in the United Kingdom and the Bohr Institute in Copenhagen since 1957. And unfortunately, in his later years he had a car accident, killed a person and was sentenced to imprisonment. He was sentenced to jail in San Diego, California. Both his great sense of research and his inadvertent mistaken personality have influenced Shrifa's life. He wanted him to live a life with a sense of tension if possible. I tell this story because Shrifa was out of license at the time of the accident. If you are a person in a position, you are even more required to act responsibly.
So I'm very sorry to know this story. The character of gathering Professor Bardeen and the character of keeping Professor Schrieffer away seem to be symmetrical. Bardeen developed a transistor with his companions and created a separate BCS theory to expand the circle of his companions. I invite Sadao Nakajima, a Japanese who I met in the process, to the United States for hospitality. It is an image of a cheerful American. On the other hand, Schrieffer killed a person after receiving several good positions. It's a life I can't talk about as a cheerful American. I think we should consider this story as a big lesson.


2023年03月08日

有馬朗人_
3/8改訂【複雑な原子核の状態を簡易に数式化】

こんにちはコウジです! 「有馬朗人」の原稿を改定します。


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何より紹介の内容を吟味します。日本語として読みやすい文章になっているか、 なおかつ論理が追いかけやすいか、そして記述に誤解を生む表現がないかをチェックし続けます。 【以下改訂した原稿です】


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 有馬氏へお悔やみ


東大学長を務めた有馬朗人氏が


2020/12/8に亡くなりました。享年90歳。


謹んでお悔やみを申し上げます。



有馬朗人は原子核物理学の世界で業績をあげ、特に 有馬・堀江理論(配位混合の理論)、 相互作用するボゾン模型の提唱、 クラスター模型への貢献、 の3つの業績が大きな業績です。


有馬朗人の業績


特に相互作用するボゾン模型は有馬朗人が オランダの研究機関に居た1974年に発表していて、別名で


「相互作用(する)ボソン近似」の名で


ご存知の方も多いのではないでしょうか。 粒子の入れ替えに対して波動関数の符号が 反転しない対象に対して、いわゆる 「第二量子化」された時の議論で 有馬朗人の考えた近似は使われます。


以上の説明は一般の人には分かりづらいかもしれませんが 原子核の状態を記述するには古典的な(ニュートン的な)記載 では不十分で、波動関数を使うだけではなくて群論や 電磁気的な側面を考慮して議論を進めていきます。


そして、有馬さんは現象を嚙砕いて数式化して 難しい原子の世界を簡単な数式で表現したのです。 



また、政界においても活躍され、 特にゆとり教育の推奨が知られています。 有馬朗人が勧めたかった当初の教育は 世界史と日本史を共に学ぶ事で 知識をより豊かに身に着けていく様な 試みであって、現場に話が伝わった時点では 全く別の解釈として伝わっていました。 有馬朗人はその解釈を非常に 遺憾に感じて居たようです。



他にも色々と語りたかったでしょう。 ご冥福をお祈りします。




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2020/12/07_初稿投稿 2023/03/08_改定投稿



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(2021年11月時点での対応英訳)


Condolences to Mr. Arima


Akito Arima, the president of the University of Tokyo, died on December 8, 2020. He is 90 years old. We would like to express our deepest condolences. Akito Arima has made great achievements in the world of nuclear physics, and is particularly famous for his three achievements: Arima-Horie theory (theory of mixed coordination), proposal of interacting boson models, and contribution to cluster models.


Achievements of Akito Arima


In particular, the interacting boson model was announced by Akito Arima in 1974 when he was at a research institute in the Netherlands, and many of you may know it under the alias of "interacting boson approximation". ..


Akito Arima's approximation is used in the discussion of so-called "second quantization" for objects whose wavefunction signs do not invert with respect to particle replacement. It was


It is also active in the political world, and is especially known for recommending Yutori education. The initial education that Akito Arima wanted to recommend was an attempt to acquire more knowledge by studying both world history and Japanese history, and when the story was conveyed to the field, it was a completely different interpretation. It was transmitted as. Akito Arima seems to have felt very regretful about his interpretation.


He would have wanted to talk a lot more. He prays for souls.


2023年03月07日

レオン・クーパー
_【超電導理論での電子挙動をモデル化】

こんにちはコウジです!
「クーパー」の原稿を改定します。


投稿作業としては関連リンク、内部リンクの改定、個別の人物の追加をしています。
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何より紹介の内容を吟味します。日本語として読みやすい文章になっているか、
なおかつ論理が追いかけやすいか、そして記述に誤解を生む表現がないかをチェックし続けます。
【以下改訂した原稿です】



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【1930年2月28日 ~(ご存命中)】



 クーパと超電導


初めに、本稿は関連用語の解説が中心となリます。
今後も含め
分かり易い内容にしたいので
超伝導現象を科学史の観点から改めて
まとめ直した方が
有益だろうと感じたからです。


既に内容をご承知の方にはしつこく感じるかと。
そうでしたらごめんなさい。


クーパーはジョン・バーディーン等と共にBCS理論を確立しました。
クーパーはユダヤ系です。賢い人達ですね。そもそも
BCS理論の大事な考え方
であるクーパー対という
考え方を
クーパーは26歳の時に纏めています。


さて、本題です。1911年のK・オンネスの発見により
通常の伝導性とは異なる
超伝導状態が存在すると明らかに
なりました。
定量的には絶対零度近くの
273℃=ゼロ・ケルビン(k)
に近づくと超伝導現象が起きます。


その時は抵抗値ゼロです。


例えばニオブ(Nb)は9.22ケルビンで
超伝導状態になります。超伝導状態への
転移を上手く説明した理論がBCS理論で
あって、BCSでのCはクーパーの名前に
由来します。



超電導の別の側面 


ここで別の側面から超伝導状態を考えます。温度を下げ相転移温度で現象が起きると電流を流した時に抵抗値がゼロになりますが同時に相転移温度で磁界に対して変化が生じます。現時点での応用としてリニアモーターカーがあげられます。細かくは超伝導体の内部で内部磁場がゼロになり、外部からの磁界を遮断します。


超伝導状態になった時に磁石が浮かぶ写真は有名な例えですね。更に磁石は極性を持ちますから、ラダーと呼ばれる軌道で極性を切り替えていく事でリニアモーターカーは進むのです。この完全反磁性またはマイスナー効果と呼ばれる現象は超伝導現象での特徴の一つです。


ここで関連して磁力線について整理したいと思います。ご存知の通り磁石はN極とS極からなり磁力を持ちます。一般的に模式図で示される様に磁力線は片方から他方へゆったりした曲線で繋がっていきます。


所が超伝導現象では内部へ磁力線が侵入出来ない様な現象が起きます。相転移の前後で形が突然変わります。更には変化の違いで第一種超伝導体 と第二種超伝導体に物質によって分かれます。これらの現象を理解する為にクーパー等が確立したBCS理論が基礎になっていくつのです。


クーパーのアイディアは電子が対(つい)になるというもので、対になった電子がスピンを打ち消しあって超電導状態を作るというものです。その電子の対は今でも超電導の学者達の間で「クーパ対」と呼ばれています。


この考えが発展していき、現代では相転移の温度がどんどん高くなっています。実用上は常温常圧下で相転移を起こすことが大事になっていますので液体ヘリウムよりも安価な液体窒素で冷やせる事が望ましいのです。


実際、液体窒素の沸点は−196℃ですので現在は、液体窒素で冷やす事で相転移を実用出来る素材を中心に研究が行われて居ます。そして、現在では現象発生に対して「ゆらぎ」のメカニズムをより解明していこうという取り組みが進んでいます。さらなる今後の進展に期待しましょう。


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Cooper and superconductivity


First, this article focuses on explanations of related terms. I wanted to make the content easy to understand, including in the future, so I felt that it would be useful to reorganize the superconducting phenomenon from the perspective of the history of science.


Do you feel persistent to those who already know the contents? If so, I'm sorry.


Cooper established the BCS theory with John Bardeen and others. Cooper is of Jewish descent. He's smart people, aren't he?


In the first place, Cooper summarized the idea of ​​Cooper pair, which is an important idea of ​​BCS theory, at the age of 26.


Well, the main subject. The discovery of K. Onness in 1911 revealed that there is a superconducting state that is different from normal conductivity.
Quantitatively, a superconducting phenomenon occurs when approaching minus 273 ° C = zero Kelvin (k) near absolute zero. At that time, the resistance value is zero. For example, niobium (Nb) becomes superconducting at 9.22 Kelvin. The theory that well explains the transition to the superconducting state is the BCS theory, where C comes from Cooper's name.



Another aspect of superconductivity


Now consider the superconducting state from another aspect. When the temperature is lowered and a phenomenon occurs at the phase transition temperature, the resistance value becomes zero when a current is passed, but at the same time, the phase transition temperature changes with respect to the magnetic field.


The current application is a linear motor car. In detail, the internal magnetic field becomes zero inside the superconductor, blocking the external magnetic field. The picture of a magnet floating when it is in a superconducting state is a famous analogy. Furthermore, since magnets have polarity, the linear motor car advances by switching the polarity in a trajectory called a ladder. This phenomenon called the complete antimagnetism or the Meissner effect is one of the characteristics of the superconducting phenomenon.


Here, I would like to organize the lines of magnetic force in relation to this. As you know, a magnet consists of N pole and S pole and has magnetic force. Generally, as shown in the schematic diagram, the lines of magnetic force are connected by a loose curve from one side to the other.


However, in the superconducting phenomenon, a phenomenon occurs in which the lines of magnetic force cannot penetrate inside. The shape changes suddenly before and after the phase transition. Furthermore, it is divided into type 1 superconductors and type 2 superconductors depending on the substance due to the difference in change. The BCS theory established by Cooper et al. Is useful for understanding these phenomena.


This idea has evolved, and the temperature of the phase transition is getting higher and higher in modern times. In practice, it is important to cause a phase transition under normal temperature and pressure, so it is desirable to cool it with liquid nitrogen, which is cheaper than liquid helium. In fact, since the boiling point of liquid elements is -196 ° C, research is currently being conducted focusing on materials that can be used for phase transition by cooling with liquid nitrogen. At present, efforts are underway to further elucidate the mechanism of "fluctuation" in response to the occurrence of phenomena. Let's look forward to further progress.

2023年03月06日

マレー・ゲルマン
__3/6改訂【クォークの名付け親、ファインマンの論敵】

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 ニューヨーク生まれのゲルマン


ゲルマンは米ニューヨーク生まれの理論家です。
素粒子論の世界でノーベル賞を受けています。


ゲルマンの名を本来はゲル-マンと書きますが、
【Gell-Mannと書きますが、】


本稿ではゲルマンとしています。
記述が楽で、読みやすいからです。


ゲルマンはイェール大で学士号を受け、MITで博士号を受けました。
その後、プリンストン高等研究所、コロンビア大、シカゴ大、
カリフォルニア工科大で研究を続けます。サンタフェ研究所の設立者
の一人でもあります。ゲルマンの研究実績としてはクォークの提唱
が大きかったですね。加速器の開発後には様々な粒子が
未整理のまま次々と発見され、それらの関係と性質は
未解決な部分が残るままに、問題が蓄積されていきます。


それらを整理・理解する手段がクォークだと言えるでしょうか。
ゲルマンの理解体系では対象性が使われていて、
ストレンジネスやカラーといった概念で素粒子が理解されていきます。

秩序ある奥深い理論だと思います。



 ゲルマンとファインマン


さて、ゲルマンの業績として素粒子の分類に関する側面を取り上げてきましたが、ゲルマンの研究での真骨頂は粒子の反応に関しての研究ではないでしょうか。関連してR・P・ファインマンという論敵がいました。あくまで伝えられている内容なのですが、ゲルマンとファイン・マンの論争はまるで子供の喧嘩みたいにも思えます。激怒したファイン・マンが、「貴様の名前綴りからハイフォン消すぞ!」【Gell-Mann改めGellmannとするぞ!の意】と怒鳴りつけたら、「ゲルマンがお前の名前をハイフォン付きで書いてやる!」【Feynman改めFeyn-Manとしてやる!の意】と言い返す有り様だったようです。アメリカ人の感覚なのでしょうか。西部劇の勢いなのでしょうか。ただ少し理解出来るかも、と思ったのは互いの愛する家族を侮辱していたのですね。瞬間的に家祖も汚す発想は、頭の切れる天才同士の喧嘩だったのでしょう。より効果的な屈辱の与え方を考えて。。。
いや、やはり激怒して
子供じみた喧嘩してたのかもしれません。;)


そんなゲルマンとファイン・マンは
それぞれに素晴らしい業績を残しました。


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Germanic born in New York


German is a theorist born in New York, USA.


He has received the Nobel Prize in the world of particle physics.


Originally the name of German is written as Gell-Man,


[I write Gell-Mann, but]


In this paper, it is German.


It's easy to write and easy to read.


German received a bachelor's degree from Yale University and a PhD from MIT. He then continues his research at Princeton Institute for Advanced Study, Columbia University, University of Chicago, and California Institute of Technology. He is also one of the founders of the Santa Fe Institute. Quark's proposal was a big part of his German research achievements. After the development of the accelerator, various particles are discovered one after another without being organized, and problems are accumulated while the unsolved parts of their relationships and properties remain. Can we say that quarks are the means to organize and understand them? In German's understanding system, symmetry is used, and elementary particles are understood by concepts such as strangeness and color.
I think he is an orderly and profound theory.



Germanic and Feynman


Now, as German's achievements, we have taken up the aspect of the classification of elementary particles, but I think the true value of German's research is the research on particle reactions. Relatedly, there was an opponent named R.P. Feynman. It's just been told, but the Germanic and Fineman controversy seems like a quarrel between children. Furious Fine Man said, "I'll erase the haiphong from your name spelling!" [Gell-Mann will be changed to Gellmann! When yelling, "German will write your name with a haiphong!" [Feynman will be changed to Feyn-Man! It seems that it was like saying back. Is it an American feeling? Is it the momentum of the Western drama? I thought it might be understandable, but it was insulting each other's loved ones. The idea of ​​instantly polluting the ancestors was probably a quarrel between smart geniuses. Think about how to give more effective humiliation. .. ..
No, I'm still angry
It may have been a childish quarrel. ;)


Such Germanic and Fine Man
Each has made great achievements.

2023年03月05日

大貫 義郎_【群論を取り入れて素粒子を整理】
3/5改訂

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↑Credit:Wikipedia↑


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大貫義郎の人脈


大貫義郎は名古屋大で坂田昌一に教えを受けました。


群論を使った素粒子論の構築を行いました。
そもそも低温物理学
では名古屋で発展してきた部分
が大きいです。
本ブログの別項で中嶋貞雄バーディン
エピソードをご紹介しましたが、
後にノーベル賞を
受賞する二人、
益川敏英と小林誠は大貫義郎が育てました。


名古屋大学でのつながりが素粒子論で大きな
役割を果たしていたと言えるでしょう。



大貫義郎の研究業績


大貫義郎は素粒子を構成する素子の対象性に着目して、
数学的手法として
群論」を使って整理していきました。


群論の中では「要素と演算」を意識して考えていき、
それらを使って単位元や逆元を考えていくのです。


素粒子の反応過程で関わる現象は多岐にわたり、
個別の要素に拘っているだけでは話が進まないのです。
反応に関わるグループを詳細に分類して個別の反応要素を
考えるよりもまず、一団の性格を見極めたうえで、
グループの性質に応じた個別粒子の役割をしっかり
考えていく作業が群論を使ったアプローチで
可能になっていったのです。
そのアプローチが大貫義郎の業績です。

より詳細には、坂田モデルにおける基本粒子同士の
入れ替えに対して
素粒子としての性質が変わらない
いう考え方を足掛かりに群論を組み立てたのです。


そうした考え方を駆使して議論を組み立てて、
大貫義郎はクォークを明確に分類し、整理していったのです。


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〆さいごに〆


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Onuki Yoshiro's personal connections


Yoshiro Onuki was taught by Shoichi Sakata at Nagoya University and constructed the theory of elementary particles using group theory. In the first place, in cryogenic physics, there is a big part that has developed in Nagoya. I introduced the episodes of Sadao Nakajima and Bardeen in another section of this blog, but Yoshiro Onuki raised the two Nobel Prize winners, Toshihide Maskawa and Makoto Kobayashi. It can be said that the connection at Nagoya University played a major role in particle physics.



Yoshiro Onuki's research achievements


Yoshiro Onuki focused on the symmetry of the elements that make up elementary particles, and used "group theory" as a mathematical method to organize them.
There are a wide variety of phenomena involved in the reaction process of elementary particles, and it is not possible to proceed just by focusing on individual elements. Rather than classifying the groups involved in the reaction in detail and considering the individual reaction elements, group theory was used to first identify the character of the group and then firmly consider the role of the individual appearance according to the nature of the group. The approach made it possible. That approach is the achievement of Yoshiro Onuki.


More specifically, we constructed a group theory based on the idea that the properties of elementary particles do not change when the basic particles are replaced with each other in the Sakata model.


By making full use of such ideas, Yoshiro Onuki clearly classified and organized quarks.


2023年03月04日

広重 徹
3/4改定【科学史の社会的側面を深掘りしていった先人】

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【1928年8月28日生まれ ~ 1975年1月7日没】



 広重徹の育った時代


広重博士は京都大学の理学部を卒業した後に
大学院をドロップアウトしてます。


戦争の時代に青春時代を過ごし、
占領下で多感な時期を過ごし、
世相として色々あった時代に
研究者としてのスタートをしていたので
大変だったろうかと思います。


広重徹は初め素粒子論を専攻していたそうです。



 広重徹と科学史


広重徹は特に科学史の中で社会的側面に焦点をあてて
研究をしていました。村上陽一郎
本を書いたり
ランダウローレンツの業績を
翻訳して
日本に紹介していたりしました。


それだから文章を読んだ時に、きっと感じます。
広重徹の守っていた立場があるのです。


社会の中で科学史が意味を持ちます。
科学史の大きな役割を感じます。
社会から過度な期待がある半面で、
ある意味で無理解な評価があるのかな、
覚悟しながら冷静に話して一般の人々に
理解してもらう事が大事です。


何よりも、その理解の中で文章を読んでいる人に整理した形でその時々の「全体像」を伝えて、当時の現象理解と問題点を出来るだけ考えられるように出来るようにします。そうすれば、歴史を語りながら、科学技術の発展に繋がっていくのです。


科学の理解には助けがあると非常に有益な場合があります。新しい知見を身に付けていく中で概念の形成過程を詳細に追いかける事で、より深く科学が理解できるのです。私も科学史の文章を作っている一人だと考えると、少し身の引き締まる思いがします。




[caption id="attachment_5003" align="aligncenter" width="300"]名大 名古屋大学[/caption]

話し戻って、広重徹は30代で博士課程を終えて(於、名古屋大学)、40代で早くして亡くなります。もう少し話しが聞きたかったなぁ、って感じですね。その後、斯様な議論はあまり無いかと思うのです。


また、広重徹の奥様が自分史を残していたのでリンクを残します。広重徹のお人柄が偲ばれると同時に終戦後の世相が感じられて興味深いかと思えます。リンクがある間に是非、ご覧下さい。


http://www.asahi-net.or.jp/~fv9h-ab/kamakura/DrMiki.html





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 (2021年11月時点での対応英訳)



The era when Tetsu Hiroshige grew up


Dr. Hiroshige dropped out of graduate school after graduating from the Faculty of Science at Kyoto University. .. .. I think it was difficult because he spent his youth in the era of war, spent a sensitive time under the occupation, and started as a researcher in various times as a social situation. It seems that Tetsu Hiroshige initially majored in particle physics.



Tetsu Hiroshige and the history of science


Tetsu Hiroshige's research focused on social aspects, especially in the history of science. He wrote books with Yoichiro Murakami and translated the achievements of Landau and Lorenz and introduced them to Japan.


So when he reads the text, he surely feels.


There is a position that Tetsu Hiroshige protected. He feels the great role of the history of science in society. While he has excessive expectations from society, it is important to talk calmly and get the general public to understand, while being prepared to have an incomprehensible evaluation in a sense. Above all, if it is possible to convey an organized "overall picture" to the person reading the text in that understanding so that they can understand the current phenomenon and think about problems as much as possible, while talking about history, It will lead to the development of science.


Considering that I am one of the authors of the history of science, I feel a little tight. Returning to the story, Tetsu Hiroshige finished his doctoral course in his thirties (at Nagoya University) and died early in his forties.


I feel like I wanted to hear a little more. After that, I don't think there are many such discussions. Also, since Tetsu Hiroshige's wife left her own history, I will leave a link. At the same time as the personality of Tetsu Hiroshige is remembered, it seems interesting to feel the social situation after the end of the war. take a look.


http://www.asahi-net.or.jp/~fv9h-ab/kamakura/DrMiki.html

2023年03月03日

小出昭一郎
3/3改訂【金属錯塩の光スペクトルを研究】

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【1927年3月25日生まれ ~ 2008年8月30日没】


小出昭一郎は多くの専門書を残した事
で知られています。東京に生まれ
東京帝大で学びました。第5回
ソルベー会議が開かれた年に生まれています。


教育に時間を捧げた人生だったのでしょうか。研究成果としては余り伝わっていません。ただ、金属錯塩の光スペクトルを研究していたようです。そこで手掛かりとして錯体について調べを進めてみます。錯体とは広義には、「配位結合や水素結合によって形成された分子の総称」(Wikipedia)狭義には、「金属と非金属の原子が結合した構造を持つ化合物」(Wikipedia)


何だか亀の甲羅みたいな記号が沢山出てきます。
そこからもう少し考えてみると、
光の吸光や発光に伴い対象物資内の
「状態遷移に関する情報」が得られるのです。
そしてそこから、電磁気特性や、
触媒の効果が理解出来るかと。


具体的に主な錯体としては
アンミン錯体_テトラアンミン銅錯体_[Cu(NH3)4]^2+
シアノ錯体_ヘキサシアニド鉄錯体_[Fe(CN)6]^4-[Fe(CN)6]^3+
ハロゲノ錯体-テトラクロリド鉄錯体_[Fe(CN)6]^4-[FeCl4]-
ヒドロキシ錯体 - アルミン酸_[Al(OH)4]-(または_[Al(OH)4(H2O)2]-
などがあるようです。ただ、当時の日本物理学は
本丸を攻めきれてはいなかったのですね。


プランクの黒体輻射理論発表から数十年がたち、
欧州ではハイゼンベルグが1925年に書いた論文を皮切りに
急速に各国
で議論が交わされていた時代です。


小出昭一郎の暮らした敗戦国日本は
戦前・戦後の混乱の中で情報がどこまで
取れていたのでしょうか。


リアルタイムで議論が進まない環境で、
ソルベー会議の成果をタイムラグのある中で
把握しています。学会誌を見る度に興奮した筈です。


小出昭一郎はそんな中でも量子力学の
理解を進め国内に広めていたのです。
そして、何より後進を育てていたのです。
小出昭一郎は多くの教科書で
物理の世界を紹介していました。



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Shoichiro Koide left behind many specialized books
Is known for. He was born in Tokyo and studied at Tokyo Imperial University. He was born in the year the 5th Solvay Conference was held.


Was he a life devoted to education? The results of his research have not been well communicated. However, he seems to have been studying the optical spectrum of metal complex salts. So he goes on to investigate the complex as a clue. In a broad sense, a complex is a "generic term for molecules formed by coordination bonds or hydrogen bonds" (Wikipedia). In a narrow sense, it is a "compound having a structure in which metal and non-metal atoms are bonded" (Wikipedia).


There are many symbols like the shell of a turtle. If you think about it a little more, you can get information about the state transition in the object as the light absorbs and emits light. And from there, can we understand the electromagnetic characteristics and the effect of the catalyst?


Specifically, the main complex
Ammine complex_Tetraamminecopper complex_ [Cu (NH3) 4] ^ 2 +
Cyanide complex_Hexacyanide iron complex_ [Fe (CN) 6] ^ 4- [Fe (CN) 6] ^ 3 +
Halogeno Complex-Tetrachloroauric Acid Complex _ [Fe (CN) 6] ^ 4- [FeCl4]-
It seems that there are hydroxy complexes – aluminate _ [Al (OH) 4]-(or _ [Al (OH) 4 (H2O) 2]-, etc. However, Japanese physics at that time was not able to attack Honmaru. It was.


Decades have passed since the announcement of Planck's theory of blackbody radiation, and in contrast to the times when discussions were taking place in other countries, Japan, the defeated country where Shoichiro Koide lived, was able to obtain information in the prewar and postwar turmoil. Was it?
In an environment where discussions do not proceed in real time, we grasp the results of the Solvay Conference with a time lag. Every time I read an academic journal, I should be excited.


Even so, Shoichiro Koide promoted his understanding of quantum mechanics and spread it throughout the country.
And, above all, he was raising the younger generation.
Shoichiro Koide introduced the world of physics in many textbooks.



2023年03月02日

西島 和彦
3/2改訂【素粒子のパラメターであるストレンジネスを提唱】

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【1926年10月4日生まれ ~ 2009年2月15日没】



 西島和彦の生い立ち


西島和彦は茨城県に生まれました。
東大を卒業後に大阪市立大学で教鞭
をとります。その後、イリノイ大学の後に
東京大学、京都大学で教鞭をとります。


そんな経歴の中において、西島和彦の業績として特筆すべきは
ストレンジネスの提唱でしょう。ストレンジネスは
素粒子の性質を吟味していく中で有用な概念です。


西島和彦が活躍した当時は電荷量バリオンといった
値が知られていたようですが、それに加えてストレンジネスといった
パラメターを西島和彦は導入して、素粒子の性質を語る
礎を固めていったのです。



  素粒子と西島和彦


西島和彦が素粒子を考えていく中で、特定の粒子と反粒子が
対になって生成される場合が多く見受けられたりしましたが、
そのメカニズムは説明されていませんでした。生成にかかる時間を
考察して、反応の中間に存在するであろう中間子を考察
していったのです。保存される量として質量の他に別の量を
考えていき、散乱断面積の計算を追従し辻褄(つじつま)
の合う理論を構築します。果てしない思考の作業です。


西島和彦は学生時代に中野董夫、
マレー・ゲルマンとストレンジネスを法則化
しました。強い相互作用や電磁相互作用
において反応の前後でストレンジネスが
保存されるのです。そうした物理量を一つ一つ
生み出していく事がとても大事です。



 西島和彦とストレンジネス


西島和彦らが考え出したストレンジネスは直接観測にかかる
ものでは無く、反応の前後で、ストレンジクォークと
反ストレンジクォークの数を使って定義されます。


そして、ストレンジネスを使った中野西島ゲルマン・モデルは
坂田模型やSU3と呼ばれるモデルへ、クォークモデルと繋がり
素粒子の振る舞いを明らかにしていくのです。


そして、統一的な現象理解へと繋がるのです。




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以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
この頃は全て返信できていませんが
頂いたメールは全て見ています。
適時、返信・改定をします。


nowkouji226@gmail.com


2020/11/12_初稿投稿
2023/03/02_改定投稿


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(2021年11月現在での対応英訳)



History of Kazuhiko Nishijima


Kazuhiko Nishijima was born in Ibaraki prefecture.
He teaches at Osaka City University after graduating from the University of Tokyo
Take. Then he came after the University of Illinois
He teaches at the University of Tokyo and Kyoto University.


In such a career, the most notable achievement of Kazuhiko Nishijima is the advocacy of strangeness. It seems that values ​​such as charge amount and baryon were known at that time while examining the properties of elementary particles, but in addition to that, Kazuhiko Nishijima introduced parameters such as strangeness and the foundation for talking about the properties of elementary particles. Was solidified.



Elementary particles and Kazuhiko Nishijima


While Kazuhiko Nishijima was thinking about elementary particles, it was often seen that specific particles and antiparticles were formed in pairs, but the mechanism was not explained. He considered the time it took to generate and the mesons that would be in the middle of the reaction. He considers other quantities in addition to mass as the quantity to be conserved, and follows the calculation of the scattering cross section to construct a theory that fits the bill. He is an endless task of thinking.


Kazuhiko Nishijima made strangeness a law with Tadao Nakano and Murray Gell-Man when he was a student. Strangeness is preserved before and after the reaction in strong and electromagnetic interactions. It is very important to create such physical quantities one by one.



Kazuhiko Nishijima and Strangeness


The strangeness devised by Kazuhiko Nishijima et al. Is not directly related to observation, but is defined using the number of strange quarks and anti-strange quarks before and after the reaction. Then, the Nakano Nishijima German model using strangeness connects with the quark model to the Sakata model and the model called SU3, and clarifies the behavior of elementary particles.


And it leads to a unified understanding of the phenomenon.



2023年03月01日

小柴昌俊
3/1改訂【1926年9月19日生まれ ~ 2020年11月12日没】

こんにちはコウジです!
「小柴昌俊」の原稿を改定します。


投稿作業としては関連リンク、内部リンクの改定、個別の人物の追加をしています。
今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使いません。
2021/7/11(日)から始めていてSNSの感じが分かりました。
流入はありますが労力がかかります。
今後はSEO中心に考えてSNSはブログと常時関連させません。
SNSは戦略的に使っていきます。


何より紹介の内容を吟味します。日本語として読みやすい文章になっているか、
なおかつ論理が追いかけやすいか、そして記述に誤解を生む表現がないかをチェックし続けます。
【以下改訂した原稿です】



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小柴昌俊と新しい分野


小柴昌俊は物理学の新しい分野を切り開いた先人でした。


2020/11/12の夜に老衰の為、東京都内の病院で


お亡くなりになりました。大きな仕事を


成し遂げた後での享年94歳の大往生です。


小柴昌俊は物質の基本元素を構成する素粒子の1つであるニュートリノを観測にかける事に成功しました。その結果をもとに今ではニュートリノ天文学という新しい分野を確立しています。



基本粒子ニュートリーノ 


ニュートリーノは星の進化過程で発生する基本粒子です。


驚いたことに、ニュートリーノを観測にかけたのは、小柴昌俊が東京大学を定年退官する一月前の観測でした。強運を指摘された小柴氏は「運はだれにでも等しく降り注ぐが、捕まえる準備をしているのか、していないのかで差がつく」(のですよ)、と反論しました。強運の一言で片づけられないほど沢山の実験をして、議論をして、下準備をしてきたから、
このように語れたのでしょう。
その前に沢山の知恵を巡らしてみたのでしょう。


東京大学宇宙線研究所に所属している梶田隆章は小柴昌俊の弟子にあたりますが、ニュートリーノに質量がある事を示しノーベル賞を受けています。また、戸塚洋二も小柴昌俊の弟子にあたります。小柴昌俊は朝永振一郎から可愛がられた若かりし時代を経て梶田隆章教授、戸塚洋二教授を育てたのです。



小柴昌俊のカミオカンデ


小柴昌俊は岐阜県飛驒市にある鉱山地下、1000メートルに3000トンの水を使った、巨大装置である通称「カミオカンデ」を建設し、天体からのニュートリノを観測することに世界で初めて成功しました。その装置ではニュートリーノが飛来する方向、観測した時刻、エネルギー分布を明確に検出します。その装置を使い小柴昌俊は実際に観測をしました。カミオカンデの主目的はニュートリーノではありませんでしたが、ニュートリーノも観測したい、という2段作戦で成功を得たのです。小柴昌俊はそうした結果を使いニュートリーノ物理学を進めたのです。何より彼は大変な努力家でした。そして情熱家でした。科学に対する限りない愛を感じます。そんな男が大きな仕事を成し遂げた後、静かな眠りに落ちたのですね。大きなお悔やみを申し上げます。合掌。




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最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。


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2023/03/01_改定投稿


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(2021年11月時点での対応英訳)



Masatoshi Koshiba and new fields


Masatoshi Koshiba was a pioneer who pioneered a new field in physics. He died at a hospital in Tokyo on the night of November 12, 2020 due to senility. He is 94 years old after completing a big job.


Masatoshi Koshiba succeeded in observing neutrinos, which are one of the elementary particles that make up the basic elements of matter. Based on the results, we are now establishing a new field called neutrino astronomy.



Elementary particles Nutrino


Nutrino is an elementary particle generated during the evolution of stars.


Surprisingly, it was one month before Masatoshi Koshiba retired from the University of Tokyo that he went to observe Nutrino. Mr. Koshiba, who was pointed out for good luck, argued, "Luck falls equally on everyone, but it makes a difference whether you are preparing to catch it or not." I've done so many experiments, discussions, and preparations that I can't put away with just one word of luck.
I think he said this.
Before that, I think I tried a lot of wisdom.


Takaaki Kajita, who belongs to the Institute for Cosmic Ray Research, the University of Tokyo, is a disciple of Masatoshi Koshiba, but has received the Nobel Prize for showing that Nutrino has mass. Yoji Totsuka is also a disciple of Masatoshi Koshiba. Masatoshi Koshiba raised Professor Takaaki Kajita and Professor Yoji Totsuka after a young age loved by Shinichiro Tomonaga.



Masatoshi Koshiba's Kamiokande


Masatoshi Koshiba was the first in the world to succeed in observing neutrinos from celestial bodies by constructing a huge device known as "Kamiokande", which uses 3000 tons of water at 1000 meters underground in a mine in Hida City, Gifu Prefecture. bottom. The device clearly detects the direction in which the nutrino arrives, the time of observation, and the energy distribution. Masatoshi Koshiba actually made observations using the device. Kamiokande's main purpose was not Nutrino, but he succeeded in a two-stage operation in which he wanted to observe Nutrino as well. Masatoshi Koshiba used these results to advance Nutrino physics. Above all, he was a hard worker. And he was a passionate person. He feels an endless love for science. After such a man did a big job, he fell asleep quietly, didn't he? He has great condolences. Gassho.