言語化することによって、認識が生まれることで
そこにものとして見ることが出来るところがあります。
抽象的な言葉の中にも
そこに文節化することが出来ることによって
細かく見ることから
対象をより深く理解することにも繋がります。
例えば、青色と聞いた時にも
水色に近い青を思い浮かべる方もいるかもしれませんし
藍色のような青のイメージを持たれた方もいるかもしれません。
それ以外にも、紺色や空色といった認識もありそうですね。
哲学者のデカルトが
「分ければ分かる」という言葉にしているように
言語学者のソシュールは
「言語は差異の体系である」と述べられています。
言葉の概念を骨格として認識するときにも
そこに文節化の視点を持たせることが出来ることによって
言葉自体の深みを持たせることが出来るものだと
見ることが出来るところもあるのではないでしょうか。
私達が何かを認識するときにも
何かとそれ以外といったかたちで
別のものとして認識できることによって
ものを認識できるのは、人間の特性と言われています。
1つでもパターンの認識の体系を深くもつことが
それだけ見えている世界観の可能性を増やしていくことにもなります。
1つのものに対して
違った認識のかたちを持つことが
心の豊かさにも繋がっていくものですね!
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