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周りの視線が痛い

このブログを読んでくださっているみなさん、こんにちは。「よそじSE」でございます。
ここのところ更新が滞りがちでスミマセン。ちょっと身の回りが忙しくなり始めてブログまで手が回らなくなりつつあります。ま、もともと無理は禁物なこの病気ですから、ボチボチやっていきますので宜しくお願いいたします。


では続けます。

何かやりたいことはないか・・・?という疑問に浮かんできた「ゲームする」という答え。そして大好きだったバイオハザードシリーズ、最新作ではありませんでしたが、自分にとっては未知の経験だったバイオハザード4を手に入れ、空いた時間はゲームをするようになりました。長いことゲームに浸る時間が無かった私は久しぶりにコントローラを持つと楽しくて楽しくて、少し気持ちが高揚していくのを覚えました。

ただ、ゲームって意外と体力を使いました。普段であればきっとなんでもない事なのでしょうが。心身ともにすり減っていたこの頃の私にはちょっとヘビーでした。そしてバイオハザード4が3DのいわゆるTPSなので、長い時間プレーするのは困難でした。(私は3Dのゲームをやると乗り物酔いのような感覚になり割りと苦手にしています。)せいぜい、2時間が限界でした。

でも、一日の中で何かしたい事が見つかった、というのは、私にとって大きな前進でした。

こうして、8時間寝ることを心掛け、朝起きると1時間ぐらいソファーでうたた寝をしてからようやく目を覚まし、午前中は妻に付き添って買い物に行き、ランチを外で食べて、帰ってきてゲームをする、という生活リズムが確立されつつありました。ただ、ゲームをした後はかなり疲れますので、ボーっとテレビを見たりと、あまり多くのことは出来ません。漫画でも読もうかと愛読書を手に取ったりしますが、活字を追うほど集中力がなく、続きませんでした。ネットなんだかんだ色々トライしては、どれも続かなく悶々として、23時に薬を飲んで24時頃寝る。朝方1,2回覚醒しては8時間寝なきゃと二度寝、三度寝を繰り返してようやく体を起こす、という毎日でした。

この頃、近所のスーパーに行くと、どうも周りの目が気になって来ました。
平日の午前中にスーパーで買い物しているのは、どう見ても主婦らしい方や、お年寄りのご夫婦ぐらいなもので、「40代でバリバリ脂が乗って仕事が出来そうな男性」は私一人以外、ほとんど見かけません。

スーパーですれ違う周りの視線が、

「なんでこの人、平日の午前中にスーパーに来てるんだろう?」
「この人、仕事してないのか?会社サボってるのか?リストラされて無職ってやつか?」
「いやいや、きっとアイツ病気なんだろう。でも見た目元気そうだよな。」


と色んな事を探るように、言っているように感じてしまうのです。周りの視線が痛い。
でも実際にはそんなに周りの人が自分をそんな細かく観察している訳はないでしょうし、自意識過剰と言われればそれまでですが、気になって気になってしょうがなかった。

そして一番辛かったのは同じマンションの住人に平日すれ違ってしまう事です。
同じマンションに住んでいればだいたい生活パターンがバレてしまいますので、

「あの人仕事してないみたいよ。変な人ね。どうやって生活してるのかしら?」

と思われるのが苦痛でした。平日にマンションのエレベータなどで同じ住人に会ってしまうと、いたたまれなく挨拶もそこそこに下を向いてしまう。
自分に対する自信の無さ、何も役に立ってない不甲斐なさ、いろんな感情が入り交じり合い、



と心のなかで呟くだけでした。

そして3/11(日)を迎えます。私はまた通院のために東京に向かいます。
咳はまだ出ていました。重たい体を引きずって、マスクを付けて飛行機に乗り込み、東京の自宅に戻りました。

明日はまた病院、何を聞かれるんだろう、何を答えればいいんだろう、先生の言いつけは守って毎日決まった時間に薬を飲み、毎日外出はしてるし、8時間寝るように頑張っているけど、何一つ進展したような気がしない、気持ちも何一つ晴れてない、どんな質問が来て何て答えるか、頭の中でイメージする、そんな思いが心のなかを駆け巡っていました。

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本当にやりたい事を探す

このブログを読んでくださっているみなさん、こんにちは。「よそじSE」でございます。
昨日はヤングなでしこを観に国立競技場まで足を運んできました。体格では完全に優位なスイス代表を相手に、若きなでしこイレブンのテクニックとアジリティは素晴らしいものがありました。久しぶりに楽しいサッカーを観ることが出来て大満足です。そんな訳でブログの更新をお休みして申し訳ありません。

では続けます。

4回目の診察で「毎日外出令」を出された私は、忠実に妻の買い物に毎日付き合ってました。買い物ついでに夫婦でランチを取ったりしていると、今日はどこに行こう、昨日はあっちのスーパーだったからこっちにしようか、などと考えるようになります。この「考えるという作業」というのはうつの初期では辛いことですが、毎日外出を繰り返すうちにだんだんと辛い気持ちが遠のいていきました。

毎日外出している事を意識してやっていくようにすると、だんだんと気持ちが違う方にもプラスに向いてきます。

買い物は午前中と決めてましたので、ついでにランチを取っても午後1時には帰宅します。その後午後から夕方まで特にやることもなく、最初は物珍しさに平日のテレビをボーっと眺めてましたが、それにもだんだんと飽きてきました。

「何かやりたいことを探した方がいいんじゃないか・・・俺のやりたい事ってなんだろう?」

という疑問が自然と湧き上がってきました。よく仕事が終わってまとまった休みが取れると最初のうちはゴロゴロ過ごしているが、残り日数が少なくなると何かしたくなる、と言いますが、それに似た状態になりつつありました。

やりたい事・・・やりたい事・・・何かないか・・・

そこでふと思いついたのが子供の頃から好きだった「ゲームをすること」でした。ゲーム好きがそのまま大人になった私でしたが、さすがに30歳を越えた辺りから仕事も忙しくまとまった時間が取れませんし、家にいても子供が気になっておちおちゲームに手を出すような状態ではありませんでした。10数年、ほとんどゲームには手を出してませんした。

家には幸いな事に「ブルーレイディスクプレイヤーの代わり」と称してPS3がありました。PS3で何かしたいゲームはないかなぁと探していた時に見つけたのがカプコンの

「バイオハザード4」でした。

私は20代の頃にバイオハザード1,2,3はプレイしたことがあり大好きなゲームでした。とにかく世界観が素晴らしい。そしてレオンやクリスやジルと言ったキャラクターがシリーズで統一されており感情移入出来るできるのがハマる要因になっており、サバイバルホラー&ガンシューティングというのがドキドキ感とゾンビを倒す爽快感を併せ持ったバイオハザードシリーズは、日常では絶対に味わえない世界を与えてくれます。

しかしバイオハザード4はちょうど子供が生まれた時期と重なり、仕事が忙しくなってきたのも相まって手を出すことは出来ませんでした。一度ゲームにハマるとまとまった時間プレーしたくなる質なので、時間がなければプレー出来ないモヤモヤが溜まりますし、ストーリーも忘れがちになってしまうので、トータルで見るとあまり楽しめないんですよね。楽しめないゲームはゲームじゃない、だったらやらない方がましと考えてましたので。

そうだ、今まで全然まとまった時間が取れなかったし、バイオハザード4をやってみよう、と思いたち、ちょうどPS3向けの「バイオハザードリバイバルパック」(バイオハザード4と、バイオハザードコードベロニカがセットになりHD画質にリマスターされたもの)というバージョンアップされたものが発売されている事を知りさっそくamazonで注文したのです。

※現在は、更に「バイオハザード5オルタナティブエディション」もセットになった。
つまり1つで、
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バイオハザードコードベロニカ
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がセットになった「ツインパック」で発売されています。もしPlayStationでバイオハザードの1,2,3だけプレーしたけどその後はご無沙汰している、という方にはピッタリのパックになってます。

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うつ病の初期は「何もしたくない」という脱力感が一杯ですが、あせらずにじっとしているといずれ必ず何かしたくなる、という時期がやってきます。その時に自分が本当に好きでやりたいもの、というのを探してみていただくのが良いかと思います。まず私が思いついたのは「ゲーム」でした。これは人それぞれだと思うので何に対して「やりたい事が違う」というのは事実ですが、「なにかやりたいという事が自然な気持ちとして湧き上がってきた時に備え、その答えを持っておく」というのはもしかしたら大事なことなのかもしれません。無理に新しいことを探すのでなく、ストレスが掛からなく「ほんとうに自分がやりたいことをを素直に感じてそれを行動に移す、というの意外と他重要な事かももしれません。

無理しないで、出来ること。
本当に、自分のやりたい事/それまでやりたくても時間がなく、放置していたこと。

私の場合、浮かんできたのは「ゲーム」をプレーすることでした。
そしてバイオハザードにハマる日々が始まります。

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毎日外出令発動!

このブログを読んでくださっているみなさん、こんにちは。「よそじSE」でございます。
コメントのエロスパムが止まないので、スパム対策として「画像認証」を追加させていただきました。ちょっとご面倒になりますがご了承下さい。暖かいコメントお待ちしております。


会社に診断書を提出し本格的に闘病生活を始めた私は、手の感覚がおかしいと感じました。指先の動きが鈍くて細かい作業がしにくく、特に箸がうまく使えませんでした。
歩いていても身体、特に脚が重いし、手先もおかしい。症状があっちこっちに出始めてました。
その頃、クルマを運転していて、通り慣れた道を走っているのにも関わらず道を間違えたり、行きたい場所が、左右どちらにあるのか分からなくなったり(頭の中に地図を描いても、その場所がどこだったか思い出せないような感覚)、目的地を通りすぎてしまったりと、フラフラした運転ばかりしてました。
よく「運転中に考え事をしていて、目的地を通りすぎてしまったり、事故を起こしてしまう。」なんて言う事がありますが、私は考え事をしていた、というより「何も考えられず常に頭の中がボーっとしていた」のだと思います。
幸いにも私は事故を起こすこともなくこの時期をやり過ごせましたが、症状の重い時期は出来れば運転は避けた方がいいでしょうね。

※今思うと、身体的な症状、精神的な症状がこの頃一番重かったように思います。うつ病だと診断され、薬を飲み始めて、会社に休職を願い出て休み始めた最初の2週間。それは病院に行く前より明らかに広範囲に症状が出ていました。私の一番苦しい頃でした。

一方、先生から指示された「8時間寝ること」というのはなかなか実践できませんでした。
夜寝るのは12時から1時の間くらい。そうするとどうしても6,7時には一度目が覚めてしまいます。時計を確認して「まだ寝なきゃ。」と眠り、気がついてまた時計を見ると30分しか経ってない。何度も寝て起きてを事を繰り返して8時か9時にようやく身体を起こすと、今度は眠たくて起きてられない。ソファーに座ったままうたた寝をしてしまうのが毎朝でした。普段なら明らかに寝過ぎで頭がボーっとしている、もっと短時間で起きなきゃと判断しているところですが、病気になった今、これが良いことなのか悪いことなのか、自分でも分からず苦しんでました。

9時か10時になり妻に促されて朝食を取り、妻が買い物に出掛ける日は一緒に付いて行き、外に出たくない気分であれば家に閉じこもり、何もしたくなく流れてくるテレビ放送を眺めるだけでした。
家族とほとんど会話もせず、ただひたすらボーっとする、とりあえず三食は食べて夜また寝る。そんな毎日でした。

そして3月になり、通院日の前日の3/4(日)、重い体を引きずって、最終便で東京に行きました。

翌3/5(月)朝になり、咳は相変わらず酷くマスクが欠かせません。それに食欲がなく無理に食べても吐き戻してしまう可能性があったので、朝食も食べる事が出来ません。それでも、予約の時間に遅れてはダメだと、必ず5分前に病院に着くよう心掛けてました。もともと私は時間にルーズなダメ社会人なのですが、そういう一面も病気になった一因ではないかと、なんとなく思ってましたし、心療内科の先生に見放されたら終わりだ、せめて予約時間だけは守ろう、きっとそれなら先生も私を信頼してくれると意味もなく自分にルールを課していました。

私の通院していた心療内科はとても混んでいて、5分刻みで予約を受け付けています。日によりますが、一番混んでいる時はソファーが一杯で、立ち見ならぬ「立ち待ち」している患者さんで待合室が溢れるくらいです。前の診察が長引いて30分くらい待たされる事もありました。それでも、私はどんなに症状が重くとも予約時間の5分前に着くようにと心掛けてました。
後々になって分かったのですが、心療内科にも急患で来られる患者さんがいます。急患って救急外科とかのイメージがあったので心療内科で急患ってどういう状態だろう?と思って先生に聞くと「月曜日は調子悪い人が多いんだよねー。それに春先になると調子悪い人が増えるしさ。」と軽い返事が返って来ました。いわゆるブルーマンデーと、春先には頭のおかしい変質者が出てくるというのはそういう事か、と妙に納得しました。

今回4回目の診察でした。先生が最初に発する一言はいつも同じです。
「調子はどうですか?」

どう?って言われても、どう表現したらいいんだ。一瞬考えて口から出たのは、
「・・・あんまり変わらないです・・・。」

という一言を言うのが精一杯でした。矢継ぎ早に先生の質問が飛んできます。
「そう、ちゃんと寝れてる?」

「言われた通り8時間寝てみてます。でも何度も朝方に目が覚めちゃいます。」

そう答えると、まるで見透かされたような質問が飛んできました。

「朝眠たくない?」

意外な一言を突かれました。まさに私は朝起きてもボーっとうたた寝してしまう事が続いていました。

「すごい眠たいです。1時間ぐらいボーっとしちゃいます。」
「そう。徐々になれると思うから、このまま8時間寝るようにして。」
「・・・はい・・・。」
本当に8時間寝ることが良い事なのか・・・?疑問だらけですが私は従うほかありません。

そして一番聞かれたくない事を先生はズバッと聞いてきます。
「毎日昼間何してるの?」
私は昼間何もしてません。何もしたくないのです。よく考えると買い物に出たりランチに出たりしてたのですから、正直にそう言えば良かったのですが、私の口から出たのは
「・・・はぁ・・・テレビ見たり・・・映画見たり・・・ですかね。」
という言葉でした。詳しく説明するのも面倒だったのです。
すると今日の先生は妙に優しい口調で話しかけます。

「そう。一日一回必ず外に出て。ね?毎日必ず外出して。そうだな散歩とかがいいな。毎日1時間ぐらい外出してみて。外の空気を吸った方がいいから。」


と、これは諭しているのだな、守らなくてはいけない事だと理解しました。

「・・・はぁ・・・分かりました。」

「じゃあ今日からリフレックス2錠に増やすから。また来週来て。」
で診察終わりです。機械的に毎週リフレックスを0.5錠ずつ増やして1日2錠となりました。
薬を受け取り、会社に寄る気にもならず、重い体を引きずってそのまま飛行機に乗り札幌に帰りました。

毎日外出しろ、か。でもまだ3月。札幌の外はまだ雪があります。散歩するような季節じゃありませんし目的もなく外をフラフラ歩けません。私は妻に頼み込み、一日の買い物量を減らして毎日買い物に出掛けるようにしてもらいました。私は妻に必ず付いて行くようにしました。
近所のスーパーでもクルマで行くのが常識な札幌ですから、クルマで移動して買い物して帰ってきて、でだいたい1時間程度にはなります。とは言え、歩くのはスーパーの店内だけですからたかが知れた時間・距離しか歩けません。それでも、外に出ている事には変わりないと、自分を納得させていました。

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心を休めるってなーに?

このブログを読んでくださっているみなさん、こんにちは。「よそじSE」でございます。いつも暖かいコメントありがとうございます。励みになりますのでこれからも宜しくお願いします。

会社に診断書を提出し札幌の自宅に戻りました。残り1ヶ月半、何も言い訳する必要なく、会社に行かなくていいと、少しホッとしてました。
平日は子供たちは学校に行ってしまいますから、私と妻だけが家にいました。私は何もする気が起きなく、ただテレビを眺めているだけでした。

その頃、ちょうどテレビ東京系列で「孤独のグルメ」というドラマが放送されていました。
原作は漫画なのですが、私はもともとこの文庫版と新装版の両方を持っているくらいの大ファンで、そのドラマがまた原作のテイストをきちんと残しつつ、松重豊さん演じる「井之頭五郎」が、本当に楽しそうに食事ができる店を探し出し、幸せそうに食べたいものを食べるの姿を描いていました。鶏つくねのピーマン包みや、豚のにんにく焼きや、ソーセージのフライとか、食べてみたいなぁと思いながらドラマを観ていました。
まだ漫画を読んでない方、ドラマを観てない方、ぜひ観て下さい。きっと「孤独のグルメワールド」にハマると思いますよ〜。(笑)

それを見ていると「食べるって楽しいことだよな」と思い出させてくれ、体調を崩してからまったく行けなかった外食をすることを思いつきました。とは言え子供がいるとどうしても機動力が弱まりますから、出掛けるのであれば妻だけを連れていけばいいランチに限ります。私は妻を連れ立って、近所の良さそうなお店を探しあちこちランチを取る事を始めます。
午前中、クルマを走らせながら、あっちにしようか、こっちにしようかと悩み、例えば焼肉を食べてみては井之頭五郎のセリフ風に「うん、うまい。いかにも肉っていう肉だ。」と感想を述べてみるという遊びを妻とやってました。

しかし午後家に戻ると、もう何もしたくありません。孤独のグルメをはじめとして好きなテレビ番組を見る程度の事であっという間に時間は過ぎていきます。午後2時か3時を過ぎれば子供たちも帰ってきます。子供たちが帰ってくればやんちゃ盛りですから家の中はもう戦場の有り様。落ち着いて何かをやるという感じはありませんでした。

そして時々、私を現実に引き戻すように携帯が鳴ります。会社の同僚から「大丈夫?〇〇の資料、どこにあるか知らない?」という程度の事で大した事はないのですが、携帯が鳴るたびにドキッとし、「大丈夫だよ〜えーっとねー確か◎◎に入っていたんじゃないなかー?」という程度の話をして電話を切った後もしばらく頭の中に仕事のことがこびりついてなかなか離れない、気になって何か他のこともできない状態でした。
今思えば、診断書を出して晴れて休職に入ったとは言え、まだ「休む」という事に開き直れてなかったんですね。体は休めていましたが、心は休めていませんでした。

身体の休め方は誰でも知ってますが、心の休め方って、普通知りませんよね?

開き直れないまま、ある日夕食で箸を持った時、異変を感じました。

手の感覚がおかしいのです。

・・・かすかに、指先が震えてる・・・。

箸がうまく使えない・・・。
何か、薄い手袋を一枚つけているような感覚・・・・。


こんなところにも症状が出始めていました。ネットで調べると、手が震えるのもうつの症状の一つである、という記事を見つけました。

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診断書を持って

このブログを読んでくださっているみなさん、こんにちは。「よそじSE」でございます。
コメント欄に投稿されるエロスパムが止まりません。(泣)
見つけ次第消してフィルタリング設定もしてるんですがイタチごっこです。困ったなぁもう。お願いですからこんな暗いネタのブログ狙わないで下さいね。全然テーマに合ってませんし。


では続けましょう。

診断書を会社に届けなければなりません。久しぶりに同僚とも対面しますし、上司に状況説明しなくてはなりません。約2週間ぶりに会社の前に降り立ち、ビルを見上げて、少し立ち止まりました。

「みんな忙しいのに、俺だけ病気で倒れて、仕事を放り出して、本当に申し訳ない。」
という気持ちで一杯でした。

考えると軽い吐き気がしましたが、意を決して会社に入っていきます。

オフィスに入るドアを開けると、何も変わらずみんな忙しそうに仕事をしてます。
私の席だけがポッカリ空いていました。そこだけ、時間が止まってました。パソコンや机の上の資料など、休む前そのままの状態で残されていました。

同僚のみんなは私の顔を見つけると、恨み節の一つも言われるかと思いきや、次々と笑顔を投げかけてくれたり、「お、久しぶりだね。」とか「大丈夫?」などと声を掛けてくれました。私は何も言えず、目で挨拶するだけでした。とてもじゃないですが、申し訳ない気持ちでみんなの顔を直視することは出来ませんでした。

上司の席にまっすぐ向かうと、
「おう来たか。じゃあ、あっち(休憩スペース)に行こうか。」
と促され、上司と私は休憩スペースのテーブルに向かい合って座りました。

私は診断書を取り出して、上司に恐る恐る、差し出します。
事前にメールで診断書の内容は伝えていましたので、上司は中をチラッと確認して、
「うん、うん、分かってるから。会社には俺から言っておくから。お前はなんにも心配しなくていいから。」
と言ってくれ、私は心の中でフーっと安堵の溜息をついていました。
※休職となると社内手続きやら何やら、色々あるのですが、すべて上司がやってくれました。ありがたいことです。本当に感謝しています。

「で、どうなの?状況は?」

私は、病院でもらったリフレックスの説明書を取り出して説明しました。
・リフレックス錠という薬を毎晩飲んでいて、0.5錠から始まって、毎週0.5錠ずつ増やし、今日から1.5錠になったこと。
・最大3錠まで増やして治療していくこと。なので今はまだ半分だと言うこと。
・3錠になってから、個人差があるが早ければ3ヶ月、長ければ1年くらい治療にかかるということ。
・頭痛、不眠、体のだるさなど色々な症状が、だんだんと階段を上がるようにひとつずつ治っていくこと。
・仕事に戻れるのは、診断書の通り最短で2ヶ月後であること。


などを説明しました。
上司は「うん、うん。」と頷きながら静かに聞いてくれました。

ひと通り説明すると、
「うん、分かった。とにかくゆっくり休んで、無理はしないで、治療に専念してくれ。仕事より体の方が大事だ。何も心配するな。状況だけは毎週メールで簡単でいいから教えてくれよ。
そうだ、どうせ通院で東京に来るんだろ?毎回じゃなくてもいいから、気が向いたら、たまに通院のついでに会社に寄って、みんなに顔見せてくれや。無理にとは言わないけど。」


私もそのつもりでしたので、
「はい、毎回は無理かもしれないけど、会社のメール読みに来るくらいで寄らせてもらいます。」
と答えました。

もっと自分の今の状態をアレコレ説明しなくちゃいけないのかなぁと思っていましたが、上司は聞かないでくれました。自分の状態なんて自分が一番分かってないんです。気分が「どのくらい良い/悪い」もうまく言えないですし、言えるとすれば「吐き気が・・・咳が・・・頭痛が・・・」という何とも言い訳臭い事しか言えない状態ですから、もし言えば「なんて自分は情けなく言い訳がましい人間なんだろう。」と自分を責めることになり、説明するのもウンザリだったのです。

同僚のみんなに軽く別れを告げ、私はそのまま飛行機に乗り、札幌の自宅に帰りました。
今日は2/27(月)。診断書の日付は2/15付け。それで「2ヶ月の自宅療養」ですから
4月中旬が復帰目標でした。

あと1ヶ月半ある・・・のんびり治療すればいいや、あと1ヶ月半もあるし。
そう思ってました。1ヶ月半「も」と。

8時間寝ろ、だと!?

このブログを読んでくださっているみなさん、こんにちは。「よそじSE」でございます。
残暑厳しいですね〜。みなさん熱中症にはくれぐれもご注意下さい。私は最近ミネラルウォターを1日2リットルペースで飲んでいるため、汗の量はハンパないですが元気です。

では続けましょう。

通院のための東京移動を翌日に控えた2/25(土)、家族でショッピングモールで買い物に歩いていると、急に体が重くなるのを感じていました。自分は普段通りの歩くペースで歩いているつもりなのですが、どんどん子供たちの歩くスピードに置いて行かれていくのです。

「あれ?子供たち、そんなに歩くの速かったかな?追い付かないぞ・・・?」

おかしいな?と思いながら意識を脚に持って行くと、またあの錘を付けたような感覚が戻ってきたのです。
それでも一生懸命、子供たちの後ろについて歩き回っているうちに、動悸が激しくなり、目の前が少し暗くなって来ました。頭はボーっとするし、貧血を起こした時と似たような状態です。耐えられなくなった私は、家族と離れ、近くのベンチに腰を下ろしました。

家族と一緒に札幌で過ごしていて、こんな重たい状態になったのは初めてでした。

ベンチで買い物が終わるのを待ちながら、
「いよいよこれは本当にマズイぞ。日常生活にも影響が出始めてる。これは本当に、本格的に、俺は病気なんだ。」
と自覚し始めていました。
これまで私は家族には出来るだけ症状が重たいことを悟られたくはありませんでした。ですので努めて平静を保とうと意識してました。ですが、この時はどうにもならず、座り込んでしまったのです。自分にとってもショックな出来事でした。

その日は早々と買い物を切り上げ、帰宅しました。たかだか1時間程度の外出でしたが、ドッと疲れたのを覚えています。家に着くと、もう何もしたくなく、ぐったりしてました。

そして翌2/26(日)は昼間一切外出せず過ごし、19:00に札幌の自宅を出てバスに乗り、JRに乗り換え、新千歳空港に向かいました。脚には重たい錘がついたままでした。

心療内科にかかりリフレックスを飲み始めてから、もっと症状が重くなっているような気がします。いや薬を飲み始めたから、ではなく、自分自身で病気を自覚したから、なのかもしれません。また、「東京に行くこと=明日から仕事だぞ」というこれまでの生活パターンが潜在意識にあり、体がそれに対して拒否反応を示していたのかもしれません。先週もらった「2ヶ月の自宅療養が必要である。」という診断書を会社に届けなければいけないという重要な指命があり、会社に行けば一応状況の説明をしなければいけないというプレッシャーもあったのかもしれません。

重たい脚を引きずりながら深夜に東京の自宅に着き、私はベッドに崩れ落ちました。

翌日、病院には昼12時頃の予約を取ってました。
朝、猛烈な吐き気で目が覚めました。胃の中には何もありませんから、胃液を吐くだけです。
胃壁がひっくり返って口から出てくるんじゃないかというような、猛烈な吐き気です。
当然食欲はありません。ひたすら安静にじっとして、胃液を吐き続ける。そんな事を繰り返しながら診察時間を待ちました。

なんとか病院にたどり着き、診察室に呼ばれますと、また院長先生が待っていました。
先生はいきなり口を開きました。

「何時に寝て、何時に起きてる?」
一瞬、は?先生何を聞いているの?と思いましたが、

「はぁ。1時くらいに寝て、7時くらいに起きてます。」と答えると、
「6時間か、短いなぁ。8時間は寝ないと。」

と言うのです。
8時間!?とても驚きました。私は普段6時間睡眠で生活してましたので、8時間なんて寝てたのは小学生以来、記憶にありません。
また、睡眠時間で6,7時間睡眠と8時間睡眠とでは、8時間睡眠の方が健康によくない、寝過ぎは良くないとテレビ番組で見た記憶がありましたし、長く寝過ぎると頭がボーっとして冴えない事をなんとなく体で感じていたので、自分の中では短時間睡眠の方が常識でしょ?という感覚だったのです。それを急に8時間寝ろって言われても。6時間睡眠ですら入眠障害があったり中途覚醒があったりとでグッスリ寝られた試しがありません。
戸惑っていると、

「昼寝はしてないよね?」
「はい。昼寝しないように気をつけてます。」
「じゃあたとえ途中で目が覚めても、8時間は布団の中にいて、起き上がらないように。」

と言われました。んな無茶な!と思いましたが、気力がなく反論はしませんでした。

「じゃあ今日からリフレックス毎日1.5錠に増やすから。また来週来て。」

と言われ、3回目の診察が終わりました。診察時間、たったの2分です。
もっと日々の状態とか聞かれると思い、頭の中で想定問答集を作っていたのですが、無駄な努力でした。この先生、どこまで俺のことを分かってるんだろう?病気自体が不安なのに治してくれる先生にも不安を覚え、心は不安で右往左往していました。

薬を受け取りいったん東京の自宅に戻り、もう一つの大仕事が待っていました。会社に診断書を届けなければなりません。上司とのアポイントメントまで時間がありました。私は上司にどう説明しようか、それで頭が一杯になりました。

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自宅療養最初1週間の出来事

このブログを読んでくださっているみなさん、こんにちは。「よそじSE」でございます。
このブログを書き始めて1ヶ月が立ちました。やったぁ!偉いぞ俺。
「誰もホメてくれない時は自分で自分をホメる。」これはストレスを減らす為の重要なテクニックだそうです。本の受け売りですが、ちょっと実践してみました。(笑)

では、続けます。

2/18(土)「鬱病のため2ヶ月の自宅療養が必要である。」という診断書が出てしまった私は、すぐさま家族の待つ札幌の自宅に飛行機で帰りました。

妻は私が急性気管支炎を起こした2月上旬から体調が悪い事は知っていました。が、心療内科を受診するというは、知らせていたかどうか、あまり覚えてません。心療内科に行かなければならないほど心が追い込まれている事を知られたくなかったというのが本音です。でもまぁ、薄々気が付いていたのではないかと思います。
自宅に戻り、私は診断書を妻に差し出し、
「ほら、俺、うつ病になっちゃったみたい。とりあえず2ヶ月自宅療養だって。書いてあるでしょ?」
と見せると、

「ふーん、まぁいいんじゃない?この際、ゆっくり休めば、ね。」
と努めて平静を装ってくれました。

普通の人なら「何で?どうして?どんな病気?どうやったら治るの?」とか、きっと取り乱してしまうのではないかと思いますが、うつ病の初期って話をするのも面倒なのです。しかも(うつ病となった)原因も分からなければ、いつ治るのかも分からない状態で、自信を持って言える事はひとつもありません。多分、内心は相当ハラハラしていたんではないかと思いますが、あまり細々触れられたくなかった私にはとても有難かった妻の反応でした。

子供たちはまだ小学生なので、病気のことはよく理解できません。羽田空港を発つ前に「これから帰るよ」と連絡したら「パパ帰ってくるの?わーい。」といつものように無邪気に喜んでいます。

そして翌2/19(日)(私が普段なら日曜日の夜には再び東京に行くので「パパまたお仕事行くの?」と言っていたところを)、私が帰る素振りを見せないので「パパお仕事行かないの?」と言い出しました。
どう説明しようか、一瞬悩みましたが、そのままストレートに伝えることにしました。

「あのね、パパ、病気なんだ。だからね、ちょっとお仕事お休みするの。」
「ふーん。」

と、分かったような分かってないような返事をしていました。

翌2/20(月)、子供たちが学校から帰ってきて平日にも関わらず私が家にいるので
「あれ?なんでパパいるの?」
とちょっと不思議そうにした後、
「でもパパいるから嬉しい!遊ぼ〜!」
という状態でした。子供の目からは、私が病気であることは、やっぱりよく分からなかったようです。無邪気なもんですね。

そして私の自宅療養生活が始まりました。

札幌の自宅に戻った私は、とりあえず食事の心配がなくなりました。朝昼晩と妻が全部やってくれますので、上げ膳据え膳、楽なものです。

朝は6時くらいには目が覚めてしまいます。以前も触れましたが、とりあえず体を起こすという状態で、脳は完全に目覚めていない朦朧とした目覚めです。一応体を起こしソファーに座りますが、そこで1時間くらいうたた寝をし、ようやく8時か9時くらいに脳が目覚めるという朝でした。

妻は6時過ぎには起きて家事を始めています。子供たちは7:50頃には学校に行ってしまいますから、私がソファーでうたた寝をして気がつくと、もう子供たちはいない、という事が続きました。
子供たちは、ソファーでうたた寝をしている私に向かって一応、「行ってきまーす」と声をかけていたそうですが、うたた寝をして「行ってらっしゃい」の一言も言わない私を見てどんな気持ちだったんでしょうね。妻に向かって「パパまだ起きないね。何でだろうね?」と呟いていたそうです。

私はもともと早くても24時より前には絶対に寝ません。典型的な夜型人間でしたから夜は色々やりたいことが次々浮かんで来るので早く寝るのが勿体ないと感じていました。また、寝付きがあまり良くないので、眠たくて耐えられなくなるギリギリまで待って「睡眠圧」をMAXまで高め、眠るという習慣でした。大体、1時か2時くらいです。
リフレックスは寝る前に飲む事を主治医から指示されていましたから、まぁ1時間くらい前でいいだろうと判断して23時に飲む事にしました。そして眠くなるのを待って、寝るのです。

最初の1週間、最初に私がしたのは、メガネを買い替える事でした。
なーんか今は人生の「ツキ」みたいなものがない。何か雰囲気を変えよう、と思い立ったのです。
これまで、黒や紺といった地味目なフレームを選んでいたのですが、メガネ屋に立った私は思い切って明るいブラウン系の色を選びました。やはり何かにすがりたかった深層心理が出ているように思います。
その他、ダイニングテーブルとダイニングチェアーのセットを新調し、服や靴下などを買い込むなど、毎日買い物に出歩きました。私はネット通販をよく利用するのですが、ネットで買えないもの/実物を見ないとよく分からないものは、時間がなくなかなか買えずに放っておいたので、まとまった休みが出来たのをこれ幸いと、あちこち買い歩くという事をしていたのです。
たぶん、買い物をすることで、ストレスを発散したいという潜在意識もあったのだろうと思います。

とは言っても買い物に出かけるのはせいぜい午前中の2時間ほどですから、それ以外の時間、何をしていたのか、記憶にありません。
多分、何もせず、何かしたい事もなくむしろ何もする気にならないただただ、ボーっと時間を過ごしいてたのだと思います。

テレビを眺めて、普段見たことない平日の昼番組ってこんなの放送してるんなんだぁと感心したり、子供たちが曜日によって5時間授業だったり6時間授業だったりで帰ってくる時間が違うとか、単身赴任では家を空ける事が多い私にとっては気づかない新鮮な事ばかりでした。

そして2/25(土)になりました。
子供たちの学校は休みです。

土曜日は家族揃って近くの総合ショッピングモールにクルマで出掛けるのが我が家のがお決まりのパターンです。(翌2/26(日)は通院のために私は東京行きの最終便の飛行機に乗る予定です。)
いよいよ明日はまた東京に行かなければならない。
またあの心療内科に行く日が近づいてきたのです。


ショッピングモールで妻と子供たちの買い物に付き合っている間、急に体がズドーンと重くなるのを感じました。

自宅療養2ヶ月の診断

このブログを読んでくださっているみなさん、こんにちは。「よそじSE」でございます。
昨日、我らがコンサドーレ札幌はヴィッセル神戸に2-4で負けてしまいました。一時は同点に追いついたのに残念。
今週はまたウツな気分で過ごすことになりそうです。(泣)


希死念慮も含めまして思考の堂々巡りを続けリフレックス錠の副作用にも悩み、3日が過ぎました。
いよいよMMPIの診断結果が出ます。私は、ふたたび心療内科を訪ねました。
咳は相変わらず治まりません。また病院受付のオネーサマにイヤー顔をされたくないので、自分で買い込んだマスクを付けて行きました。見た目だけは単なる風邪引いた人。でも中身は鬱な人。

病院につき待合室に入ると、ソファーは順番待ちの患者でほぼ満席。
なんでこんなに混んでるんだろう?
みんなうつなんだろうか?

見た目ではみんな健康そうな、でもきっとそれぞれ心の病を抱えているであろう年代老若男女様々な方々でぎっしりでした。

名前を呼ばれ診察室に入ると、院長先生が待っていました。
MMPIの診断結果とおぼしきレーダーチャートを見せられ、
「あぁ、やっぱりうつ病でしたよ。ココとココの数値が高いでしょ?これうつなんだよねー。大丈夫、薬飲んでいれば治るから。で、どう?薬を飲んでみてなんか変わった?」
と先生は捲し立てます。
その数値の意味は、私にはまったく分かりませんでした。先生も説明する気はあまりないようです。
「あぁ、やっぱり俺はうつなんだ。うつ病・・・この俺が。」
と、覚悟はしていたものの、はっきりと「うつ」と断定され、いよいよ認めざるをえないんだなと脱力していくのを感じました。
原因が分かった事の安堵感と、治るのかどうかもよく分からない初めての病気に対する不安。
それが入り混じった、複雑な心境です。

「なんか変わった?」って言われても困ります。たかだか3日しか経ってないんですから。怪我したなら傷口がどうのとか、風邪ならば熱がどうのとか言えますが、気分の状態なんて「どの程度」なんて説明できません。せいぜい、良い/悪い/普通ぐらいでしょう。それに「やや」を付けて表現するくらいなもんです。

私はどう表現したもんかと曖昧な答えをしていると、諦めた先生が切り返してきます。
「薬の副作用、なんか出てる?」
「はぁ、頭がボーっとするのと、口が乾きます。」
「やっぱりね。大丈夫。そのうち慣れるからさー。じゃあ次回はいつがいい?」

早口でまくしたてる先生に辟易してました。

精神科医にも色々タイプがあるのだと思います。私は精神科医は目の前の一人しか知りませんが、せっかちなタイプの先生でした。精神科医の先生って、もっとこう、優しい、大らかなイメージを持っていたのですが、真逆です。

私は、この診断結果が出たら一旦札幌の家族のもとに戻り静養しようと考えていました。ですのでどのくらいのペースで通院する必要があるのか、そしていつ頃治るのかが心配でなりませんでした。それはイコール通院のために毎回飛行機で移動しなければならないという事を意味していました。

私は先生の話を無理やり遮りました。
「・・・あの!・・・」
「なに?」
「・・・どのくらいのペースで通院が必要なんでしょうか?・・・」
「うーん、状態が良くなれば2週間に1回とかにするけど、まずは1週間に1回くらいだね。」
「あーそうなんですか・・・。(毎週通うのかよ、めんどくせーなぁ)」
「で、いつがいい?」
「・・・じゃあ・・・、(9日後の)月曜日で・・・。」
「月曜日がいいの?」
「・・・はい・・・。(日曜日の夜に札幌から東京に戻る飛行機チケットをもう持っていたので都合いいし)」
「はい、じゃあ月曜日、っと。」

私は、もう一つの大事な疑問を解かずにはいられませんでした。
「・・・あの!・・・」
「なに?」
「・・・どれくらいで、治るんでしょうか?・・・」

先生の顔が明らかに曇りました。めんどくせーなコノヤロウと目が言っています。
「・・・そんなの個人差あるけど、まぁ半年、長ければ1年ぐらいかかるよ。」
と突き放すように言ったのです。

なんでこの先生はこんなに横柄なんだコノヤロウと思いながら、
「・・・そうですか、分かりました・・・。」
と力なく返事するのが精一杯でした。

「診断書、出しておいたから。で、リフレックスどうする?副作用キツかったらこのまま半錠にする?それとも1錠に増やす?自分で決めて!」
は?そんなの患者の俺に判断しろって言うのか。何を根拠に判断すりゃいいんだ。訳分かんないよ。
ちょっとムカッとしましたが、早く治りたかった私は、
「・・じゃあ1錠でお願いします!」
と答えました。

病院を出て、処方されたリフレックスを薬局で受け取り、
帰り道、病院で渡された診断書の封筒から紙を取り出し、そっと広げてみると、A4普通紙に

「鬱病のため2ヶ月の自宅療養が必要である。」

と、たった一言書かれているだけでした。
こんな紙、ワープロでちょこっと作れば、私でもものの5分で作れます。
こんな紙切れ一枚で3,150円も取るのかよ?医者なんて楽な商売だねぇ。キタネェな。
と憤りながら帰宅しました。


とりあえず、2ヶ月は自宅療養なんだ。仕事しなくていい。まずは札幌に帰ってゆっくり休もう。
でも2ヶ月で治るのかな、不安だな。
私は会社に「2ヶ月自宅療養の診断書出ちゃいました。しばらく休みます。」と報告して、札幌に一時帰ることにしました。

こんな感じで、私の主治医はお世辞にも「感じのいい先生」とは言えないお方です。
ですが、誤解のないように申し上げておきますが、私は主治医を変更することなく、今も同じ病院に通院しています。医者のアタリ/ハズレはあると思いますし、いい医者を求めて精神科放浪する患者さんも増えている、と聞きます。
でも医者も人間ですし感情の動物です。そんなもんです。「医者が病気を治す」というのは幻想です。医者は患者が期待するほど患者のことを見てはいません。何十人、何百人と押し寄せる患者の一人に過ぎないのです。結局「自分が病気を真正面から受け止めて治す。」という気持ちを持たないとダメなんだと思います。


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湧き上がる希死念慮 その2

このブログを読んでくださっているみなさん、こんにちは。「よそじSE」でございます。
前回の投稿はかなり勇気が必要な内容でした。当然、私の妻や家族もこのブログを読むでしょう。その時のショックは計り知れないであろうと思うのですが、この病気に対してやはり避けるべきではないと考え投稿したところ、嬉しいコメントをして下さった方がおり、ホッとしています。同じ病で苦しんでおられる方のお力になれれば嬉しいです。

もう一つ、希死念慮についてお話しておこうと思います。

話が少し逸れますが、
私は、TBSドラマ「三年B組金八先生」が大好きです。

私がリアルタイムで見ていたのは、
第1シリーズ 1979年10月26日 - 1980年3月28日の金曜20:00 - 20:55に放送。全23回。
杉田かおる、鶴見辰吾、たのきんトリオ、三原じゅん子などが出演。いわゆる「15歳の母」が話題になったシリーズ

第2シリーズ 1980年10月3日 - 1981年3月27日の金曜20:00 - 20:55に放送。全25回。
直江喜一、沖田浩之、川上麻衣子、伊藤つかさなどが出演。いわゆる「腐ったミカンの方程式」で話題になったシリーズ。

だけで、その後のシリーズは見ていなかったのですが、2011年3月に「金八先生ファイナル」が放送されたのをきっかけに、第1〜第8シリーズのすべてをDVDで見てました。

私がリアルタイムで見ていた時は小学校高学年〜中学生だったので、金八先生のメッセージが半分ぐらいしか理解できなかったのですが、大人になってから見るとさすがによく意味がわかるようになり、楽しく見させていただいています。
また、最近自分にとって「先生」と呼べる相手は病院の医者ぐらいなもので、本当にモノゴトを教えてくれる「先生」という存在の方のお言葉が聞ける、という体験は、いくらドラマという架空の世界であっても、まるで自分が生徒になったような気分で新鮮ですらありました。

金八先生がドラマの中で発せられる、強くて美しい日本語は、40代になった自分が聞いても、胸に刺さるものがたくさんあります。

第5シリーズ〜第7シリーズ辺りは、過去の卒業生が突然桜中学に現れて金八先生のピンチを救うとか、何かについて問題を見つけると先生の自宅まで押しかけて助けを懇願する教え子たちとか、普通の中学生と先生の関係でそりゃありえネーヨ!とツッコみたくなる過剰な演出もありましたが、まぁそれを割り引いても、大好きなドラマです。

金八先生は、人を慈しむこと、人を愛することの重要性を、いつも教えてくれます。

そんなドラマで、闘病をはじめたこの頃にちょうど見て印象に残っているシーンがあります。

それは第5シリーズスペシャル
「友を信じる心〜お前死んだらオレ泣くぞ・3B一年ぶり大集合」
です。

簡単にストーリーをお話ししますと、
第5シリーズ旧3B卒業生が一年後、同窓会で久しぶりに3Bの教室に集まります。

「久しぶりだなぁ〜、みんな元気か?」

と一年前と変わらない優しい笑顔で問いかける金八先生に、高校生となって少し大人に成長した旧3Bの生徒たちがみんな懐かしさを愛しむように、キラキラした笑顔を見せています。
しかし、その中で教室にいたたまれないように、暗く沈んだ顔をしている生徒が二人おりました。

少し間をおいて、そのうちの一人が、意を決して立ち上がり、ボソボソとその理由を話し始めます。

「私...高校でイジメにあっています...。正直...死にたいと思った。
 ある日突然クラスのみんなに嫌われて...先生にも嫌われて...。」

それを聞いた旧3Bの友人たちは「なんで俺らに相談しなかったんだよ!友達だろ!」と憤ります。
それを黙ってみていた金八先生は、

「死ぬとか言うな。お前死んだら、俺泣くぞ。いいな!」

と、諭すようにつぶやいた後、旧3B全員に向かって、涙ながらに叫びます。

「いいか、よぉ〜っく覚えておけよ!
人間、死ぬことに意味は無い!!」

そして、

「どんな死に方をするか、そんな事は人生には少しも大事なことじゃない!
人生には『どう生きたか』『どう生きていこう』としたか!
それだけに意味があるんだ!
死ぬことに意味を求めるな!」


と、ありったけの声を張り上げ、生徒たちに教えるのです。
「死に向かうために理由は必要ない」という意味でなく「(自殺して)死んでは何もならない。死はやがて自然にやってくる。だから、死がやってくるまでまでの間に一生懸命生きたかどうかが問われるのだ。」という意味です。セリフのまま書きだしたのですが、ちょっと分かりにくかったですね。

私のつたない文章では、その時の金八先生の力強さは伝えきれないので、まだご覧になってない方はぜひ映像(DVDでは第5シリーズ Vol.9に収録されています。)を見ていただきたいのですが、とてもとても、強く、美しい言葉でした。

その言葉は、私の胸にも刺さりました。
そうだ、死に意味はないんだ。だから一生懸命生きなきゃ、と。
私を崖の淵から引っ張りあげてくれた大切な、強く、美しい言葉でした。

ですから、みなさんもどうぞ、強く美しい「生きるため」の言葉、探して下さい。

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湧き上がる希死念慮

このブログを読んでくださっているみなさん、こんにちは。「よそじSE」でございます。
「出来るだけ明るく書こう!」と始めた当ブログですが、うつ病を語るにあたってどうしても通らなければならない道があります。今日は逃げずにそれを語りたいと思います。暗い話になりますが、お付き合い下さい。

「もし、自分が死んだら、どうなっちゃうだろう?」

ボーっと座っていると、心の底から湧き上がってきた一つの疑問

うつの患者は、必ず死を考えると言います。
そして、最悪の結果を迎える場合もあるということは、知っていました。
自分の死を願うことを「希死念慮」と言うそうです。

私も、それ考えなかった、と言ったら、ウソになります。
以前もご紹介しましたが、昔「完全自殺マニュアル」という本が発売され、大変話題になりました。その本の方法を使って、あるいはその本を傍らにおいて本当に自殺してしまう人が何人かおられる事がニュースになっていました。
私も、当時『単なる好奇心』でその本を買い求め、読みました。
本自体はとっくに捨ててしまっていまは持っていないのですが、記憶の中に、例えば薬をどのくらい飲めば死ねるか、あるいはどういう死に方が楽かという知識は(あくまでもその本の記載内容の範囲で、ですが)、持っているつもりです。

ですが、私は、死に方を考えることはありませんでした。
むしろ、「もし死んでしまったら、周りはどうなるか」という事を考えていました。

死んだら会社はどうなるだろう?
死んだら妻はどうなるだろう?
死んだら子供たちはどうなるだろう?
死んだら親や親戚はどうなるだろ?

そういう事に思いを巡らせるのです。当然、答えはありません。
ボーっと一人で過ごしていると、自分の死後が気になってくるのです。
ただ「死にたい」という感情はありませんでした。
むしろ「死ぬのも(色々準備とかしなきゃいかんし)めんどくさい」とも思っていました。

それは多分、私におきた、ある出来事が、踏みとどまらせてくれたのだと思います。

それは休職に入る直前の事でした。
私のただならぬ様子を見て、隣の席の同僚がボソッと声をかけてくれたのです。

「『よそじSE』さん、こんな(仕事)ことなんかで、どうにかならないで下さいね。
こんな(仕事)のことで、どうにかなったら、つまらないですから。」

言葉はおぼろげにしか覚えていないのですが掛けてくれた言葉はおおよそこんな感じです。
が、私にはこう聞こえました。

「仕事ぐらいの事で、死ぬなんてしないで下さいね。
仕事なんかで死んだら、つまらないですから。」

その言葉を聞いた時は、軽く聞き流していたのですが、それを急に思い出し、フッと軽くなったような気がして、

「そうだよな、仕事なんて人生のごく一部の話。
こんな事で、人生終わるなんてつまんないよな。俺の悩みなんてちっちゃい事だよな。」

と、自分の抱えている悩みが、スーッとずいぶん小さくなっていきました。
何気ない一言でしたが、私を救ってくれた、大切な大切な言葉です。

うつで希死念慮に襲われることは、避けて通れません。
ただ、出来るだけ身の回りで、その希死念慮を打ち消す何かを探して下さい。
生きるための執着心を呼び起こすような何かを探して下さい。
何気ない友だちの一言、家族の一言、好きな音楽、映画、なんでもいいと思います。
きっと苦しみから救い上げてくれるものがある筈です。

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