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やすねこアート
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2018年07月25日

私の抽象芸術入門    それでは 1

さて、
早速ですが、質問です。

「あなたは何故、このブログの記事を読もうとされたのですか?」

それは、抽象芸術ってものを知りたい?と思ったからでしょうか?
それとも、もっと他の理由からでしょうか?


それ以前に、「そもそも、あなた一体何者?」
そう思っている方もいるでしょう。

でも、それってどれだけ関係あるでしょうか。

〇〇教授とか、〇〇の専門家とか
〇〇に評価されたスゴイ人だとか
〇〇賞を受賞した〇〇とか

自由なアートですら
肩書が付きまといますね。

なんで?
肩書で判断していいの?

おかしいよね。

さて、
それはさておき

質問に戻りましょう。

『あなたは何故、このブログの記事を読もうとされたのですか?』

あわてなくても いいです

ゆっくり いきましょう


それすれば、意外と 見えてくるものは
あるのです。

まず、
考えてみるところから
はじめてみましょう。

『何故』

言葉って、難しいですよね
どんなに語っても
それが、自分の想いと同じでは無いですから

この「抽象芸術」って言葉も
何か胡散臭い
私は、そう思っています。

でも、こうして記事を書いているわけです。
だから、まずは、自分で考えることが
必要になってくると思うのです。

(つづく)


2018年06月25日

猫の冒険   その50

f07.JPG

物体は、イメージを送り続けています。
沢山の同じようなカタチをした
しかし、色は依然として黒ではなく
水色系の色をした
カタチも色も似通っているのですが、
どれ一つとして同じではなく
単に似ているとしか言いようのない
それら集団のこのイメージには
いったい何があるのか
ちび黒猫は、理解できませんでした。

そして、黒い物体が
どうしてこんなイメージを
送ってくるのかも
皆目理解できませんでした。

そもそもなんで
その物体がいるのか
DSC_0126.jpg
彼(ちび黒猫)は、黒い物体に聞きましたが
物体は何も答えませんでした。

しばらくの沈黙。


しかし、突然に

「きみは、つねに
見るか見ないか
その選択だけしているに過ぎない。

答えはない、あるのは選択だけ。」

その物体はまた直接、彼に入ってきました。

彼は、答えのないまま、
ただ目の前の現象を体感しているだけ、ということに
気付いたのです。

彼は、その物体が言ったことで
何となく、自分の置かれているこの状況を
考え始めました。それも、真剣に。

単に、知る、っということではなく
知りたいと強く思うようになりました。

そして、彼は冒険していることに
気付いたのです。

それは
自分探しの冒険です。





2018年06月18日

猫の冒険   その49

f08.JPG

さらに
黒い物体は、イメージを送ってきました。

一体なんでしょうか、これは

ちび黒猫は、脅威を感じました。
「なんだ、これは」
「何がはじまるんだ?」

彼(ちび黒猫)は、この黒い物体に遭遇したことを
後悔しました。

「怖がらなくてもよい」
その物体は、またも直接語りかけました。

彼には、それも恐怖でした。
しかも、動けずにそこにいます。

彼は、逃げたいと思いました。

「大丈夫」
またも、その物体は、彼に直接入ってきました。
DSC_0122.jpg

彼は、ただただ聞き入るばかりでした。





2018年06月11日

猫の冒険   その48

f31.JPG

ここは、黒い物体の中の様子です。
その物体と同じようなカタチの
そして色が黒ではなく水色の
同じようなカタチの物体が
何体も列をなして
何かをしてるようでした。

DSC_0123.jpg

この不可解ではある不思議なイメージを
黒い物体はちび黒猫の中に直接送り込みました。

彼(ちび黒猫)は、一体何が起きたのか
戸惑いました。

2018年06月04日

猫の冒険   その47

DSC_0133.jpg

気が付くと
猫の数は、さらに増えていました。
黒い猫が増えていました。

ちび黒猫は、自分が黒色ということは何となく
分かっています。(鏡をみていないので
顔まで黒いかどうかは分からないかもしれないけど)

三匹の猫は
そろって黒い物体をみています。
物体は、依然として
同じカタチで手を合わせています。

後ろにいる黒猫が言いました。
「なぜ、手を合わせているの?」

「祈りです」
その物体は発しました。
それは、言葉であり言葉でなく
猫たちの中に直接入り込んできました。
物体から発する言葉には
何かチカラがあるようです。

それは、単に、猫たちがそう思っているだけ
かもしれません。それは、わかりません。

2018年05月28日

猫の冒険   その46

DSC_0132.jpg

ちび黒猫は、よくわからずに意識が朦朧となっていました。

・・・

気が付くと隣に
白色の猫がいました。

「君もわたしのなかい?」
彼(ちび黒猫)は、その白色の猫に聞きました。

その白猫は
「わたしは、わたし」
と、こたえました。

「きみは、きみ
わたしは、わたし」
そりゃそうだ、彼は思いました。
しかし、この黒い物体は、
あなたは、わたし、と言う。
これは、どういうことか?

つまり、・・・

しかし、・・・

彼の意識は、薄らいでいきました。




2018年05月21日

猫の冒険   その45

DSC_0126.jpg

「あなたは、わたし
わたしは、あなた」

「ぼくと、君は、同じなの?」
と、ちび黒猫は、その黒い物体に聞きました。

「同じではない」
そう物体は答えました。

「同じじゃぁ無い???」
勿論、違うことは、彼(ちび黒猫)は分かりますが、
その物体が「あなたは、わたし」と言ったから
彼自身、その物体と同じカタチだと思ったわけです。

(両者を見ている私達だけで、当の本人たちは
自分自身が見えていないので自分のカタチが
認識できていないのです。)

だから、カタチが同じか、
違うのかをどうしたら分かるのでしょうか?



2018年05月14日

猫の冒険   その44

DSC_0123.jpg

チビ黒猫は、その物体をじっと見ています。

そうせざるを得ないのですが
なにせ、彼(チビ黒猫)自身動けないわけですから
じっと見る以外に、できることは無かったのです。

だから、じっと見たわけではなく
彼自身、じっと見たかったのです。

仕方なく見させられた、と言うわけではなく
つまり受動的に見ているのではなく、
積極的、つまり能動的に
見ているのです。

外見では、その区別は分かりません。
それを誰かが説明しても
それが本当なのか
分かりません。

チビ黒猫当人が
それを主張しなければ、
それが、受動的なのか能動的なのか
知る由もありません。


2018年05月13日

私の抽象芸術入門 さてさて 4

あなたと私は違う。
だから、私は、あなたと話すと新鮮に感じるのです。

では、あなたとあなたは同じですか。
つまり、今のあなたと、10年前のあなたと
同じでしょうか?

細胞は死に新たに生まれ
常に生まれ変わって今があるのです。

だから、昨日のわたしと今日のわたしは
違う。

つまり、瞬間瞬間、違うわけです。

違うというのは、変わるっとことで
自問自答は変わりつつある自分自身と
対話しているわけで、
そこでは、話している自分と
聞いている自分がいて
そこから、何が生まれるのでしょうか。




2018年05月11日

私の抽象芸術入門 さてさて 3

日々の会話に注意を向けてみよう。

それは、何も特別なことをするのではない。
普通に日々を過ごすこと。

何か特別の事をしないと出ない発想はまやかし、と
思うけどな。

発見は、普通のところで
意外と何気ないタイミングで遭遇する。

朝起きて、出かけるまでの行為
途中に見る風景
出会う人との会話
街の匂い
行き交う人混みの音
およそ五感で感じる全てに
それが、新鮮に思える気持ち

芸術には、そんな普通のことが
実は、とても大切なことだし
感覚を養う訓練になる。

電車から見る風景、

途中の時間をどう使おうが勝ってである。
本を読もうと
勉強しようと
スマホ見ていようが
別に何してもいいけど
そっちじゃぁなくて
もっと、外に目を向けるべきかな。
と、言ってはみたものの
これはウザい見方か

大抵の場合。
押しつけが多いし
語りたがるのが多過ぎでウンザリ
と、思っているとおもう。

さて

あなたにとってアートって何ですか

芸術って言うけど、
あなたにとって、どんな意味があるの?

およそ答え難い問いに挑むのが
アートの役割でもある。

例えば、誰かに評価されて有名になる。
一面でしかないその評価に
それが全てであるように
多くの人は洗脳されている。

一つのパターンが出来上がり
坦々と浸透してしまっている

一度そこに関わると
恐らく逃げることはできないかもしれない。

これは、全てメディアが
洗脳され操作されてしまったメディアによって
コントロールされていまっている。
(もちろん、全てのメディアがそうであるとは
言っていない。念のため)

教育機関からして既に洗脳の魔の手は
伸びている。

そして、それに逆らえば
けっしてメインロードを歩くことはできない。

ここで伝えたい事の一つは
この洗脳から自由になることでもある。
その訓練をしようとしているかもしれない。

全ての人が当たり前の様にアートをして
相互の意識を高めていけば
この社会は変わる。

今、みているもの
見ている様で、本当は
見えていないかもしれないよ。

日々、忙しいあなたへ
それ、本当に必要ですか。

もし、あなたがアートをしたいと
そう思うのなら、ゆっくりと考える時間を
つくりましょう。
慌ててはいけません。

早く回答を求めることをやめましょう。

必要なのは時間です。



私の抽象芸術入門 さてさて 2

人に会って話す
ただそれだけのことなのに
出会いは、その人に影響を及ぼす。

会って話す行為は
それを改めて みてみよう
その行為そのものに
何かとてつもない面白さが隠れている様に思える。

そういう意味では、
この本を紹介する意味はあると思う。

知らない人に出会う (TEDブックス)

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これは、ある意味パフォーマンスだと私は思う。
アートじゃん?って思える。

これをするとどんな効果があるのか
それは、やってみないと分からない。

考えるだけで、行動しない。
それを頑なに続けているのなら
それは、それで ある意味凄いが
行為自体があまりにネガティブを
表現するとなると
生きているのが、かなりしんどいなぁ。

会話、対話、
必要性は、創作にある

自分の中の何かが動き出すと思う。

思い切って誰かと話す。

そこに、純粋な新鮮さを感じれは、
そこからでもアートは生まれる。


私の抽象芸術入門 さてさて

何にも無い状況で
何かしなさい、って言われても
こまっちゃうよね。

自由に表現しなさい、って言われても
描くのか
踊るのか
歌うのか
撮るのか
造るのか

それは自由なんだけど

最初にそこから入ると
そこでの表現方法からしか
何かを生み出せない、という
狭い考えになってしまう。

まず、何か、伝えたい、という
何かがあって、それを一番伝えやすい方法で
表現する。そう考えると
手段が必然的に決まってくる。
自然な流れで、それもあり。

さて
貴方の周りには
アートに取り組んでいる人はどれ位いるでしょう。
無意識的に、多くの影響を受けていることを
忘れてはいけません。

日々の考えって、他愛のない なんだかよくわからない事で
その時は全然くだらないと思っているわけでなくむしろ真剣に
対話しているのだけど、実は後で思い起こすと
大した事のない話が殆どだけど、それは、
少しもアートとは関係は無いんだけど、
それでも、それは
実はアートと一番近いところにあることが多かったりする。

まず、日々の会話に注意を向けてみよう。


2018年05月09日

私の抽象芸術入門 はじめに 3

さて、
あなたの作品ってなんですか?
あなたが言う作品って、何ですか?
ああ、そもそも 作品 って言っているかどうかもわからないかぁ。
つまり、あなたを”あなた”としているもの。
他でもないあなたであること。
自分はここにいると言いたい何か。

何でかわからないけど
つくりたい
表現したい

そう思うから
行動するわけだけど

何で?

それは、排尿するように
生理的な欲求を満たすために
している行為なのか?

よく言う
描きたいから描く

描かずにおられない

それは、痒いからかく
そんな行為と変わらないのか

君の描く行為は何のためか
自己満足か
生きるためか

これは、あたなの作品だ。
というものは
やはり自慰行為なのだろうか

それは、あなたにとって必要なのか
あなたは誰かに必要とされているのか
それは、自分の為か
誰かの為か
それは、自分の為でもあり、貴方の為でもある。
そういうことか。そういうことだ。

あなたは、誰を評価し
誰が、あなたを評価するのか

貴方の立っている位置、私の立っている位置は
同じだろうか、違うだろうか。

貴方は、何かをつくり
誰かが、その何かに対価を支払い
貴方は、それで生きていくことが出来る。

対価という評価。しかし、評価の一つ。

アートの評価は、しかし、もっと別のところにあるはず。
しかし、狭い評価でしか、目に見える評価でしか
評価していない。

アートの存在意義は、そこではない。



理解する、となると
その行為の前提に何等かの知識が必要になるが
それが何なのか、実際のところ難しい。
実は、そんなに難しいことではないが、
単に複雑になり過ぎているために
難しく見えているだけかもしれない。

理解よりも、
むしろ素直に純粋に
中に入っていく感覚なんだろう。
感じる、というか、何というか

こうした、脳の準備体操をして
頭を柔らかくしておきましょう。




2018年05月08日

私の抽象芸術 入門  はじめに 2

はじめに
の、続きです。

この「私の抽象芸術入門」
このタイトル、どう解釈しますか?
(私の)(抽象芸術)入門
と見ると、「私なりに、抽象芸術ってものを解釈して
それを分かりやすく皆さんにお伝えする・・・
そんな意味合いにも捉えられます。

ううん
どうかなぁ

学校の様に、一般的に教えられている「抽象芸術」について
ここでは語るつもりはさらさらありません。
そういった事は、他でもっと優れた先生たちがいくらでも
いるはずです。そっちへ行ってください。

ここで言っているのは、
(私の抽象芸術)入門
なのです。つまり、「私の」です。
つまり、ここでは、
『私の抽象芸術』を語っていきます。
私自身の世の中を見る目
モノの捉え方
表現の仕方
全ての入門のところを語ります。

ですから、学問的に言えば偏っています。
技術的にも偏っています。

しかし、アートです。
真剣にアートです。

ですから、合う人、合わない人がいて当然です。

絵が上手な人はいくらでもいます。
しかし、それとアーティストは違います。
上手いからと言って、ただ描いている、それは
もったいない。

これが貴方の作品だ、そういうものって何ですか?

まずは、そこから考えましょう。

「はじめに」は、
まだ少し続きそうです。


私の抽象芸術入門 はじめに

ただ今から、はじめていきたいと思います。

はじめに

半世紀生きて来ておもうに
アートとか芸術といわれている表現活動が
多様化に伴い
実のところ、本質を見失っている人が
かなりいるんじゃぁないかな、と
感じているのです。

そう思いませんか?

ここでは、とりあえずアートという言葉で
統一させておきます。(題名は芸術ですが、ここでは
これも同義として捉えることにしいます。
タイトルの”抽象芸術”の”芸術”の言葉は単にゴロが
良かったのでそうしました。言葉の響きが
好きなのでそうしました)

アートって

一部の特定の人達の特権でしょうか
職業の一つでしょうか

違うでしょ

意識している全ての人が
アーティストだと
思うのです。

意識って、何を意識しているか。
それは、「これがアートだ」と
自身が思うこと。

評価とか
名声
それが商品であろうと無かろうと
貴方がそれを「アート」とした対象が
いわゆるアートになるわけで
単にそれだけに過ぎないのです。

さて、アートの役割はなんでしょうか

わたしは、人で言うなら

「関係」

だとおもうのです。


みなさん、どうして私が、ここで
「関係」を持ち出したのでしょうか。

みなさん
アートしている時、何を考えていますか?
それとも、考え の中に既にアートが
始まっていると思いますか?

アートは狭い領域で考えるものでも
捉えるものでもありません。

さて、難しくなってきましたね。

私は、今、
みなさんを揺さぶっています。

答えが無いと不安になる人なら
不安を与えているでしょう。


何だろう、
一体、この人、何を言っているのだろう。

そう、興味を持って頂けたら  成功です。

何か、疑問に思うこと、これ、大切な事だと
思います。

この場合、注意が必要です。
他の学問として考えてはいけません。
あくまでも。アートとして考えて下さい。

さあ、次回から
この入門はスタートします。





ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
わたしは、本来、この内容を
市民講座の一つとして始めようと考えていますが、
まずは、入門というカタチで
ここからはじめてみようかと思います。

今後、不定期で連載していきます。

2018年05月07日

続 50代で介護職を探している人

50代で介護職を探している人

前の記事の続きという設定で話を進めていきたいと思う。
今現在、私は53歳、そして
私が最初に介護の仕事に就いたのは44歳辺りだったが、

40代後半から50代にかけての再就職は、その当時も、
そして今現在も容易ではない。いろんな意味で。
ただ、当時も今も福祉職の求人は絶え間なくある。

もし、この記事を読んでいる方が40代後半〜50代で、
再就職であちこち探しているが求めるものが無く、
向こうから求められている介護の仕事ならできそうだから、
応募してみようかなぁ、という安易な気持ちであれば、
やめた方がいい。
しかし、安易な気持ちであれば、どの仕事をしても同じだから、
やりたければ、あえてとめはしないが。

しかし、この年齢になると、体力に自信が無いと、
気力があっても体力で続かなくなる可能性大だから、
よく考えてから進まれるとよい。

ここからは、体力気力があって介護職に就きたい
と思う人は参考になるかもしれない。

無資格でなおかつ生活費が殆ど無い状態で
出来るだけすぐに仕事がしたいのなら、
施設系の介護事業所、しかも社員寮付を探すとよい。
施設系は、資格が無くてもとりあえず働けるから、
働きながら資格を取ればよい。施設によっては、
受講費用を出してくれるとこもあるから、
面接の際にしっかりチェックしておくこと。
大変だろうが、野垂れ死にするよりましだと思う。

そこまで切羽詰まっていなく、
数か月ぐらいなら無職でもなんとか生きていられる
ぐらいなら、まずは、自分にあったタイプの職場を見極める。
介護には大きく分けて2タイプある。
訪問系と施設系である。
要するに、個人プレーが得意か集団プレーが得意か
の違いである。
施設系つまり集団プレーは、チームワークが大切になるから
スタッフとの人間関係がより密になる。
そこが上手くいかないと続けていけない難しさがある。
これを見極めて選ぶだけでも離職率がグッと下がる。

自分の仕事スタイルに合ったタイプを早く見つけておこう。

それを決めたら次は、
入りやすい職場だが、私は、
株式会社よりもNPO法人を勧めるかなぁ。
僕らは、ほら、どちらかと言うと年配に近いから、
退職した高齢者が多く働いている福祉のNPO法人は
意外と暖かく受け入れてくれるはずである。
要するに何が言いたいかと言うと、
あれこれ高望みをして働かずに職場を探し続けるより
一日でも早く受け入れてくれる場所をみつけることである。
未経験のおっさんをいくら介護でも
なかなか雇ってくれないはずである。
ご自身が実際、就職活動してよくわかっている事とでしょ。
私もそうでした。
とにかく福祉系の事業所であれば、どこでもいい。
特にNPOがおすすめなのは、ボランティアを含め
いろんなことをやっているから。
送迎のドライバーでも、利用者宅の草むしりでも、
まずできることを何でもやってみること。
その様子を他のスタッフが見ていて
徐々に介護本来の仕事をふってくれるはず。
蓄えの生活費と支払われる報酬でぎりぎりまで経験を積む。
まぁ、そこで十分収入が得られれば、
そこでずっと働いてもいいわけだが、
大抵、株式会社より報酬は少ない。
そのNPOで介護の仕事をさせてもらったなら、
そこで、技術をしっかり学んでおく。
例え数か月であっても転職には十分の武器になる。
身体介護に少しでも経験が積めればば、そこからは、
就職活動は楽。
大抵、向こうから「来てください」といってくれるはず。
あとは、気力体力の続くまで安泰。
人間関係が嫌ならすぐ辞めて、他の事業所を探せばいい。
やっている仕事の内容は変わらないので何処へ行っても
同じように働ける。そうして渡り歩いている間に経験を積み、
介護福祉士、ケアマネジャーの資格を取れば
多少は生活しやすくなる。要するに、
未経験であれば、最初の数か月が大切。
株式会社でもNPOでも受け入れてくれるところであれば
何処でもいいので、早く実務の経験を積むとよい。
特に、NPOなら、
「最初はボランティアでもいいので何かさせてくれ」と
懇願すれば、大抵は慈悲の心で何かさせてくれる。
それは、要するに「うちと関わっていいよ」って
いうことだ。ここを突破口としてヤレることは
何でもやってみることだ。
そういった行動を理事長や管理者はみている。
やる気を認めてもらえれば介護の仕事を含め
いろいろな仕事をさせてくれるはずだ。

それがあなたの第一歩となる。



猫の冒険   その43

DSC_0122.jpg

黒色の物体の周りから光が消え
何となく物体の容姿が分かってきましたが、
しかし、それは、単に見えるようになっただけで
それが一体何なのかはまだ分かりません。

チビ黒猫は、その物体が発した言葉を
考えています。

私があなたで
あなたが私

それは
鏡に写った自分の事でもある
しかし、自分はこんな姿をしているのか?
そうチビ黒猫は、思ったのでした。

一体、私は何なのか?

2018年04月30日

猫の冒険   その42

DSC_0131.jpg

黒色の物体からの周りから
少し光が薄らいで
その黒い物体が少しずつ
その容姿を表しはじめました

(お地蔵様にも見えます。
しかし、ちょっと違うようです。
鼻が尖っています。)

チビ黒猫は、
自分が何故動けないか、
想いを巡らせましたが、
そんな疑問より
この物体が一体何なのか
そのことの興味の方が
とても強かったのです。

釘付けになったわけです。
しかし、実際に釘に打ち付けられて
いるわけでなく、釘に打ち付けられる
ほど、興味をもって動きもせずに
注目していたわけなのです。

「どこかで、見たことがあるのだろうか?」
初めて出会ったようにも思えるし・・・

「わたしは、あなたでもあり
あなたは、わたしでもある」と
その物体が言いました、
と言うより、その言葉が、直接、チビ黒猫の中に
入ってきたのです。

2018年04月28日

猫の冒険   その41

DSC_0129.jpg

チビ黒猫は、
ふと気が付きました。
目の前に、何やら黒い物体が
そこに立っていました。

彼(チビ黒猫)は、別に驚きもしませんでした。

ただ、周りが光っているにも関わらず
その物体だけが黒色でした。
その物体に吸い込まれる感覚を
彼は受けました。

彼は、その物体に引き付けられている様に
動けませんでした。

勿論、彼は、彼そのものは動きませんし
動けません。しかし、
普段は、彼自身、そういった感覚は無く
自分が動けない、という意識すら無かったのに

その物体のせいで
彼自身に「動けない」という感覚を
芽生えさせてしまったのです。

2018年03月29日

まぁ、本音みたいなものですが・・・

私の中で、アーティストには
何かしらのこだわりを持っていることが
アーティストがアーティストである要素の
一つだと思っているのです。

私は、作品のみで生計を立てられるど
売れているわけではありません。

芸能人でもありません。
以前は時々、「顔が売れているからといって
それに便乗したカタチで作品を売るのは卑怯なり」
と思っていたが、今では、運も実力のうちと
思っています。

そして、生計を考えるのであれば、もちろん
売上は大切だし、売れるものを描いたり撮ったり
するでしょう。顧客ニーズに合わせて。
アイドルの裸撮ったり、猫撮ったり、
しかし、それらは、売れても
写真家の顔が見えない。
私は、「売れてもそれじゃぁ意味無し」と思います。
まぁ、それも生き方だし、彼らから
「偉そうに、それじゃぁ、売れるもの撮ってこい」と
言われそうだ。怖い怖い・・・

支持を受けるのは、見えてもらうために
いろいろ工夫をしています。
こうしたら、「わぁ、すごい」と言ってくれるもの
普段の対象物の探し方でも、
これなら、皆スゴイと言ってくれます
そういったものを探すようになるでしょう。
それがあたかも、自分のスタイルみたいに。

でも、それって、本当に
あなたが撮りたい対象なのでしょうか?
皆が、同じように、同じようなものを
撮っては、載せて、捨てて、
また、撮って、載せて、捨てて
の、繰り返し。
完全に消費。そして、写真に対する
本来持っている大切なものが
ここで完全にはぎとられているんじゃぁないですか。
今は、それすら気が付かないのです。

しかし、気が付いている人たちは、
過去に回帰して
フィルム写真に戻ろうとしています。

私は、そうではないと思っています。
フィルムはデジタルに比べ
不効率です。それに、化学薬品をいっぱい使い
環境にも良くない。
確かに、フィルムには、それなりに
思い出はあります。しかし、それは
デジタルが普及する前の話で、
今は、環境の事を考えると、あえて
デジタルにしようと思っています。
ネットでみたり、写真集にする分には
まったく大丈夫です。

わたしは、個展は開きません。
開けない、といった方が当たっているかもしれません。
経済的なものです。

それよりも、発表の場をネット上にたくしています。
効率よく皆に見てもらえるからです。