何かしらのこだわりを持っていることが
アーティストがアーティストである要素の
一つだと思っているのです。
私は、作品のみで生計を立てられるど
売れているわけではありません。
芸能人でもありません。
以前は時々、「顔が売れているからといって
それに便乗したカタチで作品を売るのは卑怯なり」
と思っていたが、今では、運も実力のうちと
思っています。
そして、生計を考えるのであれば、もちろん
売上は大切だし、売れるものを描いたり撮ったり
するでしょう。顧客ニーズに合わせて。
アイドルの裸撮ったり、猫撮ったり、
しかし、それらは、売れても
写真家の顔が見えない。
私は、「売れてもそれじゃぁ意味無し」と思います。
まぁ、それも生き方だし、彼らから
「偉そうに、それじゃぁ、売れるもの撮ってこい」と
言われそうだ。怖い怖い・・・
支持を受けるのは、見えてもらうために
いろいろ工夫をしています。
こうしたら、「わぁ、すごい」と言ってくれるもの
普段の対象物の探し方でも、
これなら、皆スゴイと言ってくれます
そういったものを探すようになるでしょう。
それがあたかも、自分のスタイルみたいに。
でも、それって、本当に
あなたが撮りたい対象なのでしょうか?
皆が、同じように、同じようなものを
撮っては、載せて、捨てて、
また、撮って、載せて、捨てて
の、繰り返し。
完全に消費。そして、写真に対する
本来持っている大切なものが
ここで完全にはぎとられているんじゃぁないですか。
今は、それすら気が付かないのです。
しかし、気が付いている人たちは、
過去に回帰して
フィルム写真に戻ろうとしています。
私は、そうではないと思っています。
フィルムはデジタルに比べ
不効率です。それに、化学薬品をいっぱい使い
環境にも良くない。
確かに、フィルムには、それなりに
思い出はあります。しかし、それは
デジタルが普及する前の話で、
今は、環境の事を考えると、あえて
デジタルにしようと思っています。
ネットでみたり、写真集にする分には
まったく大丈夫です。
わたしは、個展は開きません。
開けない、といった方が当たっているかもしれません。
経済的なものです。
それよりも、発表の場をネット上にたくしています。
効率よく皆に見てもらえるからです。
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