これは、多分トラウマのように
なっているからだろうか、
どうしても
ぬいぐるみとか人形に
魂が入っていると信じてしまって
いるせいかもしれません。
しかし、これは、
動物とか植物にも
人間同様、魂が宿っていると
言うのとちょっと違うような
気がします。
動物、植物は人間同様
個々の個性があり
独立した個としての存在が
あり、自分の意思とは関係なく
動き、考えるわけです。
しかし、人形、ぬいぐるみの場合は
そうではなく、自分の信じるところに
魂が存在する位置づけになるわけです。
だから、この人形に魂があると
信じている限りそこに魂がある
ともいえます。
しかし、私自身が死んでも、あるいは
その人形から心が離れたとしても
それでも、この人形に魂があるとも
言えます。
子供は成長し
親から離れていきます。
それが自然です。
親からしてみれば
いままで言うことを聞いて
扱い易い存在なのが
だんだん、自分の能力を超え
生意気になり、言うことを
聞かなくなる。
それに比べ
人形は従順に持ち主の
傍にいて、持ち主の心を癒す。
映画「AI」の中で
ロボットの息子と
生身の実の息子が対象的に
描きだされています。
その描き方が上手です。
子供は決して優しい存在ではなく
とても残酷な存在だと思います。
自分も小さい時の記憶を
思い起こしてみると
正直、残酷な面があった様に
思います。
親にしたところで、
実の息子の代理で持っていたロボットと
生身の実の息子とどちらを選ぶと言えば
当然、実の息子を選ぶでしょう。
そうなると、
いままで大切にしてきた
ロボットは厄介な存在になってしまいます。
私は、幼稚園に行く前、
殆んど独りで遊んでいました。
一人っ子でしたし。
寂しいだろうと母は思い
私にぬいぐるみをくれました。
幼稚園に入り
友達が出来ました。
ぬいぐるみはベッドの脇に
置かれたままになりました。
友達と喧嘩をして
孤立すると、ぬいぐるみを
眺める時間が増えました。
そうして、徐々に
ぬいぐるみとの関係は希薄に
なっていきました。
その分、人との関わりが濃くなって
いきました。
しかし、それが
逆になるとどうでしょうか。
今まで、家族や、多くの友達が
いた人が、友達も死んで数が減り
家族も成長してバラバラになり
一人ひとり生身の人間関係が
希薄になってくると、
人以外の対象に感情移入してしまう。
動物であったり植物であったり
人形であったり。
しゃべるロボットは良き話し相手に
なるでしょう。
ユメルの存在は
とても癒しの存在になるでしょう。
しかし、ユメルは
あくまで人形です。
生身の人間は何時か死にます。
死んだ持ち主の傍で
それでもユメルは
語りかけます。
この状態を残された
家族が見ることになるのです。
生身の持ち主の存在は消え
ユメルが残ります。
しかし、
どんなものにも
魂があるのなら
人間とか
人形とか
形あるものから抜けた時
本当の意味で
魂同士仲良くできると
思います。
かわいがっていた動物たちも
あの世に行けば
言葉を交わすこともできるでしょう。
カタチが無くなれば
分け隔てなく仲良くできるのだから。
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