2023年01月25日
エスカレーターに乗っている母娘
とある、ヨーロッパの国に留学してた時の話を。
まぁ言葉もままなら無い頃、よく日本人の友達を呼んで飲んでいたんだが。
俺の家は屋根裏で、大きな丸窓から地下鉄の出口が見える。
エスカレーターだけでモロに出口専門なのだが、怖いのは、たまに夜中過ぎに意味もなく動き始めること。
夜中なもんだから車どおりもなく、音が良く響いて「ブーン」ってなるんだが、これが怖い。
たまに丸窓から覗いて確かめるんだが、これが誰もいない。
まぁそんなことがたまに起こる程度だった。
ところがある週末、いつものように友達を呼んで飲もうと思い、一番仲の良い画学生に連絡をした。
今ちょうど別の友達と飲んでたらしく、家に来るとのこと。
一時間ほどして、そいつが来たわけだが、連れはなんと可愛い女の子。
同じ学校で唯一の日本人で、俺は羨ましいと思ったのを良く覚えている。
で、その3人で飲み始め、芸術や最近のこの町もことを語ったりしてた。
(俺は美術史の学生だった)
12時を過ぎ終電が無くなり、治安もあまり良くない場所なので、いつものように「泊まっていけ」と言って、再び飲みだした。
丸窓の傍でタバコを吸っている俺の友達が、「エスカレーター動いているぜ」と。
時計を見たら2時過ぎ。
またかと思い、「たまにあんだよ」と説明した。
するとつれの女の子が興味をもったらしく、「どれどれ」とその丸窓を覗いていた。
「本当だ」と、なんだかはしゃいでいた。
俺は俺で酒を飲みながら、「独りでそれがあると怖い」だのと、あーでもない、こーでもないと話していた。
実はその娘が気に入りだしてたわけだが。
しばらく覗いている彼女が、ふと「誰かいるよ」と言って俺を呼んだ。
「まさかぁ」
酔っ払いかなんかだろうと、隣から覗くと誰もいない。
「いないじゃん」
そういって彼女を見ると、「いないねぇ」と。
俺の友達も「誰もいるわけ無い」と言って、タバコをふかしていた。
俺はトイレに行き、友達はタバコを吸い終わり、部屋で飲み始めた。
ところが、ずーっと覗いている彼女が、いきなり「あっ!」と小さく叫んだから、二人ともびっくりして「どうしたん?」と聞くと、
「二人出てきたよ。お母さんと子供かな」
んな馬鹿なと思い、覗いてみるがやっぱりいない。
「いねーじゃんか」「そういう冗談好きなのか?」「こえーから止めてくれ」
だの散々愚痴った揚句、俺は眠くなったのでそのまま寝てしまった。
翌朝(むしろ昼近くだった)起きると、俺の友達は眠りこけていたが、彼女がいない。
まぁ始発か朝方にでも帰ったのだろうと思い、気にはかけなかった。
が、別の意味で気にはなっていたので、その夜電話した。
電話して、昨日どうしたのか聞いてみると、『寝れなかったから朝方早めに帰った』とのこと。
やっぱそうかぃと思い、どうでもいいような事を一通り話し、なんとなく今度二人で遊ぼうと約束した。
電話を切ろうとした時、『エスカレーターさ』と話してきた。
なんであんなエスカレーターの話を引っ張るのか?その時は不思議で仕方なかったが、「今日も動くかもなぁ」と冗談交じりで話すと、『今度動いても、あまり覗かないほうがいいよ。見付かるよ』と、彼女が低い声で言った。
あまりに低い声で言うものだったから、その時は「マジで俺はびびりだから、そういうのは止めてくれ」と、ちょっと本気で頼んだことを覚えている。
で、それから3日後、二人で会うようになり、その日は彼女の家にお邪魔した。
俺は料理が出来るので(彼女は料理がまったく出来ない)、俺が夕食を用意して二人で乾杯をした。
それ以来、俺は彼女と付き合うようになった。
俺の画学生の友達は偉く無関心で、「あっそ、おめでと」ぐらいしか言わず、それからもよく家に来て飲んでたのを覚えている。
ところが、その交際も実はあまり続かなかった。
付き合い始めたのが、ちょうど1月か2月だったから、半年程度。
理由は、いきなり彼女が日本に帰国したからだ。
帰り間際には相当痩せこけていたのを覚えている。
その時は「やっぱり俺が居ても寂しかったのかなぁ」と、あぁでもないこうでもないと、俺を捨てて帰国した理由を考えていた。
帰国前の二週間ほどは、殆ど会ってもらえなかった。
おかげで別れもろくに言えず、今もちと引きずっている。
ただ余りに逃げるように帰ったので、俺は相当荒れた。
まぁその画学生の友達と、「女なんかどうでもいい」だの、「あんな身勝手な奴だと思わなかった」だの、愚痴りまくっていた。
友達は殆どうなずくだけで、あまり何も言わなかったのを覚えている。
それから半年して、ちょうど一昨年の今頃、それから別の国のアート学校にさらに留学した、その友人からメールが来た。
『彼女が入院した』
なんでも、怪我とかじゃなくて精神的なものらしい。
たしかに付き合ってた頃も結構不思議な子で、金縛りや、独り言は日常茶飯事で、年中うなされたり、ひどいと叫んだりしてたのは覚えていた。
ただそこまで酷いとは思っていなかったので、かなりショックを受けた。
その時は、日本に帰って様子だけでも見に行くべきかと思ったが、悲しいもので、学校の単位的にも金銭的にも、日本に帰ることは出来なかった。
それから半年して、夏休みに一時帰国することがあったので、そのついでに彼女の実家の広島まで行ってみた。
(俺は東京なので、交通費がかなりきつかった)
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