2023年01月18日
祖父の死因
親父に聞いた話。
30年くらい前、親父はまだ自分で炭を焼いていた。
山の中に作った炭窯で、クヌギやスギの炭を焼く。
焼きにかかると、足かけ4日くらいの作業の間、釜の傍の小屋で寝泊まりする。
その日は夕方から火を入れたのだが、前回焼いた時からあまり日が経っていないのに、どうしたわけか、なかなか釜の中まで火が回らない。ここで焦っては元も子もないので、親父は辛抱強く柴や薪をくべ、フイゴを踏んで火の番をしていた。
夜もどっぷりと暮れ、辺りを静寂が支配し、薪の爆ぜる音ばかりが聞こえる。
パチ…パチ…パチ…
ザ…ザザザ…
背後の藪で物音がした。
獣か?と思い、振り返るが姿はない。
パチ…パチン…パチ…パチ…
ザザッ…ザザ ザ ザ ザ ザ ァ ァ ァ ァ――――――――
音が藪の中で凄いスピードで移動しはじめた。
この時、親父は(これは、この世のモノではないな)と直感し、振り向かなかった。
ザ ザ ザ ザ ザ ザ ザ ザ ザ ザ
音が炭釜の周囲を周り出した。いよいよ尋常ではない。
親父はジッと絶えて火を見つめていた。
ザ…
「よお…何してるんだ」
音が止んだと思うと、親父の肩越しに誰かが話しかけてきた。
親しげな口調だが、その声に聞き覚えはない。
親父が黙っていると、声は勝手に言葉を継いだ。
「お前、独りか?」
「なぜ火の傍にいる?」
「炭を焼いているのだな?」
声は真後ろから聞こえてくる。息が掛かりそうな程の距離だ。
親父は、必死の思いで振り向こうとする衝動と戦った。
声が続けて聞いてきた。
「ここには電話があるか?」
(なに?電話?)
奇妙な問いかけに、親父はとまどった。
携帯電話など無い時代のこと、こんな山中に電話などあるはずがない。
間の抜けた言葉に、親父は少し気を弛めた。
「そんなもの、あるはずないだろう」
「そうか」
不意に背後からの気配が消えた。時間をおいて怖々振り向いてみると、やはり誰も居ない。
鬱蒼とした林が静まりかえっているばかりだった。
親父は、さっきの出来事を振り返ると同時に、改めて恐怖がぶり返して来るのを感じた。
恐ろしくて仕方無かったが、火の傍を離れる訳にはいかない。
念仏を唱えながら火の番を続けるうちに、ようやく東の空が白んできた。
あたりの様子が判るくらいに明るくなった頃、祖父(親父の親父)が、二人分の弁当を持って山に上がってきた。
「どうだ?」
「いや、昨日の夕方から焼いてるんだが、釜の中へ火が入らないんだ」
親父は昨夜の怪異については口にしなかった。
「どれ、俺が見てやる」
祖父は釜の裏に回って、煙突の煙に手をかざして言った。
「そろそろ温かくなっとる」
そのまま、温度を見ようと、釜の上に手をついた。
「ここはまだ冷たいな…」
そう言いながら、炭釜の天井部分に乗り上った。。。
ボゴッ
鈍い音がして、釜の天井が崩れ、祖父が炭釜の中に転落した。
親父は慌てて祖父を助けようとしたが、足場の悪さと、立ちこめる煙と灰が邪魔をする。
親父は、火傷を負いながらも、祖父を救うべく釜の上に足をかけた。
釜の中は地獄の業火のように真っ赤だった。火はとっくに釜の中まで回っていたのだ・
悪戦苦闘の末、ようやく祖父の体を引きずり出した頃には、顔や胸のあたりまでがグチャグチャに焼きただれて、すでに息は無かった。
目の前で起きた惨劇が信じられず、親父はしばしば惚けていた。
が、すぐに気を取り直し、下山することにした。
しかし、祖父の死体を背負って、急な山道を下るのは不可能に思えた。
親父は、小一時間ほどかけて、祖父の軽トラックが止めてある道端まで山を下った。
村の知り合いを連れて、炭小屋の所まで戻ってみると、祖父の死体に異変が起きていた。
焼けただれた上半身だけが白骨化していたのだ。
まるでしゃぶり尽くしたかのように、白い骨だけが残されている。
対照的に下半身は手つかずで、臓器もそっくり残っていた。
通常、熊や野犬などの獣が獲物の臓器から喰らう。
それに、このあたりには、そんな大型の肉食獣などいないはずだった。
その場に居合わせた全員が、死体の様子が異常だということに気付いた。
にも拘わらず、誰もそのことには触れない。黙々と祖父の死体を運び始めた。
親父が何か言おうとすると、皆が静かに首を横に振る。
親父は、そこで気付いた。これはタブーに類することなのだ、と。
昨夜、親父のところへやってきた訪問者は何者なのか?
祖父の死体を荒らしたのは何なのか?
その問いには、誰も答えられない。誰も口に出来ない。
「そういうことになってるんだ」
村の年寄りは、親父にそう言ったそうだ。
今でも、祖父の死因は野犬に襲われたことになっている。
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