木曜日。2001年・2003年製作アニメ、「天使のしっぽ」の二次創作掲載の日です。(当作品の事を良く知りたい方はリンクのWikiへ)。
ヤンデレ、厨二病、メアリー・スー注意
イラスト提供=M/Y/D/S動物のイラスト集。転載不可。
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―“声”が、訊いた。
夜より暗い、闇の中で。
雪より冷たい、霧の中で。
黄昏より朱い、月の下で。
“声”が、訊いた。
求めるものが、有るか? と。
忘れ得ぬものが、あるか? と。
全てを引き換えにしても、その手に抱きたいものが。と。
だから、わたしは答えた。
その一言に、存在の全てを込めて―
―常闇公園―
―話は、時を少し、逆登る。
悟郎達の住む街の一画、普段ナナやルル達が遊び場にしているものとは別に、もう一つ、小さな公園安があった。
小高い丘に造られたそこは、立地が悪いのか何が悪いのか、とかく人が訪れず、こと日暮れ時にもなると、人気(ひとけ)など皆無に等しくなる様な場所だった。
―もっとも、その様な場所はどんな街や村にも、一つは在るもの。
確かに在るのに、誰も気付かない場所。気付いてもらえない場所。
街を行く人々の意識の片隅で、ただ静かに佇む空間。
この街におけるそれが、この公園。
そんな虚ろの空間に、今日に限って音が響く。
キィコ・・キィコ・・・
空虚なここに相応しい、虚ろな音。
出所は、公園の片隅に設置された、一台のブランコ。
それは、ただ公園には付き物だからという理由だけで設置された様な、何の飾り気もない、味気ない代物。
それが、それ以外動く物の何もない公園で、錆びた鎖を軋ませながら、キィコキィコと揺れている。
夕暮れの陽光の中、稚拙な影絵の様にぎこちなく揺れるその上で、銀の光がサラリと揺れ、薄手のスカートがフワリと舞う。
ペンキの剥げかけた台の上。
その細い身体をチョコンと乗せて、夜色の衣装を纏った少女が一人、キィコキィコと錆びた鎖を揺らしていた。
キィコ・・キィコ・・
何をするでもなく、ただ、揺らす。
キィコ・・キィコ・・
その揺れに合わせ、長い白髪もサラサラと揺れる。時折、大きく流れたそれが顔をくすぐるが、それを気にするでもなく、少女はただ、鎖を揺らす。
ただ無心に、鎖を揺らす。
けれど、物憂げに細められたその瞳に映るのは、件の遊具ではなく。
少し俯き加減のその視線の先にあるのは、埃っぽい、赤土の地べた。
―否、正確には、その少し上。
そこに生えた、小さな小さな、一輪の花。
痩せて乾いた地べたに辛うじて根を張ったそれは、生きるのにギリギリのその環境で、それでもか細い茎を精一杯に伸ばし、そのてっぺんに深い藍色の花弁を広げていた。
キィコ・・キィコ・・
少女はブランコを軋ませながら、その藍色の花を、ただ見つめる。
やがて、ヒラヒラと風に揺れるそれが、ピコピコと揺れる二つのお下げと重なって―
「・・・・・・。」
伴って思い浮かぶのは、その藍色のお下げのさらに下。
こちらを見上げる、どこまでも澄んだ、大きな瞳。
そこに浮かぶ、優しさと純粋さを内包した無垢な微笑み。
そして、ぎゅっと包み込む、小さな小さな、手の温もり。
それらを思い出す度、胸の中に何かが淡く燈るのを感じる。
それは少女にとって、未知の感覚。
彼の人を想う時の、冷たくも熱い高鳴り。
天使を嬲る時の、暗く澱んだ高揚。
甘味を口にした時の、単純な充足。
そんな、少女の知る快感の、そのどれとも違う。
けれど決して不快ではない、そしてどこか懐かしい、その感覚。
違和感を孕みながら、胸の奥底でほんのりと燻り続けるそれが、少女を戸惑わせる。
「・・・何・・・“これ”・・・?」
この世界に降り立ち、初めて知り得た想い。
それを往なす術も、理解し得る術もなく、少女はただ、花を見つめていた。
「見つけたぞ!!」
「・・・・・・?」
不意にかけられたその声に、少女の戸惑いの時間は終りを継げる。
いつの間にか、少女の目の前に一人の女性が立っていた。
「・・・誰?」
不思議そうに首を傾げる少女を、長い前髪から片方だけ覗いた瞳が、突き刺す様な眼差しで睨み付けた。
「随分と手間をかけさせてくれた。穏形の術(すべ)には、長けていると見える・・・。」
明らかな敵意をその言葉に宿らせながら、女性がジリッとにじり寄る。
打ちつけられる殺気を適当に受け流しながら、少女は目の前の女性に観察の目を向ける。
一見にして、買物帰りの主婦とか仕事帰りのOLといった類の人種ではない事は見て取れた。
白い千早(ちはや)に朱の切袴。
典型的な、「巫女」の服装。
けれど、その身に纏われた雰囲気は、神に仕える身にしては硬く、鋭い。
研ぎ澄まされた刃を思わせる気配は、まさに獲物を前にした「狩人」のそれ。
「巫女」と「狩人」の気配を併せ持った人間。
そんな人種に、少女は心当たりがあった。
(・・・「退魔師」・・・?面倒くさいのに絡まれたな・・・。)
ほんの一瞬、嫌そうに顔をしかめるものの、直ぐにその顔に当惑した様な表情を張り付け、それを女性に向ける。
「え・・あ、あの・・何の事ですか?わたし、ただここで夕涼みしてただけなんですけど・・・?」
意識的に、口調と音調を気の弱い子供風に調整。相手の気勢を殺ごうと試みる。
けれど、
「とぼけても無駄だ!!」
そんな小手先など通用しないと言わんばかりに、女性がビシリと指を突き付ける。
「ここ数日、街中に妖しげな妖気が充満している。振りまいていたのは貴様だろう!?その身に纏う、氷の様な妖気が何よりの証拠!!」
言いながら、その手を広い袖口に素早く滑らせる。次の瞬間、繰り出たその指先には数枚の符。それに書き刻まれた梵字が、淡い光を放つ。
それを見た少女が、その瞳をキュウと細める。
「・・・何する気?」
「知れた事・・・。悪しき物の怪は、調伏する!!」
少女にもう一歩ジリッと歩を進めながら、女性は手にした符を、舞いでも舞うかの様に軽く振るう。チラチラと淡い光粉を散らしながら、仄朱い煌の線が、宙に長く尾を引いた。
迫り来る身の危険に、けれど当の少女は慌てる様子もなく、今だブランコに座したまま。
「・・・何を呆けている?逃げる努力くらい、してみたらどうだ?」
怪訝そうな女性の言葉。
少女は軽く鼻を鳴らすと、その足先で小石を一つ、蹴り飛ばした。
綺麗な放物線を描いて飛んだ小石が、数メートル先の地面に落ちようとしたその時、
バチンッ
電気が弾ける様な音と共に、小石が空中で四散した。
「逃走防止の結界なんて張っといて、よく言うよ・・・。そんな性格悪い・・・。彼氏、いないでしょ?」
その言葉に、一瞬女性の眉根がピクリと動くが、辛うじて威厳は保ったまま言葉を続ける。
「・・・ほう。それでは無駄な足掻きはせずに、大人しく調伏されると言う事か?なかなか良い心がけだな。ならば・・・」
符の放つ煌が、その鮮やかさを増していく。
「それに免じて、苦痛の無い様、一瞬で片をつけてやろう!!」
符を持つ腕が大きく振りかぶられ、そして―
「破邪っ!!」
裂帛の気合と共に、突き刺す様に伸びた指先から四枚の符が少女に向かって飛んだ。
薄紙で出来ている物とは思い難い鋭利さで大気を切り裂き飛ぶそれが、一際激しく輝いたと思った瞬間、
ボウッ
刻まれた文字から深紅の炎が噴き出し、その身を紅蓮の弾丸へと変える。
灼熱の疾風が絶対たる殲滅の意志と共に空を焼き、大気を焦がした。
「・・・・・・。」
けれど、その意志を向けられた当の本人は、あいも変わらず何処か気の乗り切らないといった風情。
そのまま、迫り来る四つの炎塊を見つめている。
(・・・ウザいなぁ・・・。)
などと考えながら、ふと視線を下に向けたその瞬間―
「・・・あ・・・。」
目に入ったのは、迫る炎塊の軌道上。そこ生えた、一輪の小さな藍の花。
熱風に煽られるその小さな花弁が、まるで助けを求める様に儚く揺れている。
「・・・・・・!!」
思うより先に、手が伸びた。細い指先が、藍の花弁に触れたその瞬間―
ドゥッ
着弾した四つの炎塊が弾け、少女の身を紅蓮の炎が包み込んだ。
「・・・ふん。他愛ない・・・。」
目の前で燃え盛る炎渦を一瞥した女性が、その身を翻す。
自分の行いに絶対の自信があるのだろう。
その結果を確認しようともせず、場を立ち去ろうと足を踏み出した。
その瞬間―
「―ああ、思い出した・・・。」
「―何っ!!?」
背後から聞こえた声に、女性は驚いて振り返る。
サリ・・・
耳に、軽く土を噛む音が聞こえる。
向けた視線の先に、焔柱の中から静かに歩み出て来る小さな影が映った。
―今し方、己が手で焼き尽くした筈の少女が、傷どころか汚れの一つすらない姿で立っていた。
俯き加減だった顔が、ゆっくりと面を上げる。
燃える炎を背に、影に落ちたその顔に張りつくのは人形や仮面を思わせる、無色の表情。
ただ、女性を見つめるその瞳だけが酷く酷く、朱く輝いている。背後で燃える炎の色を映したものではない。それよりも尚深く、激しく、禍々しく。瞳そのものが、輝いている。
「私の術が・・効かない・・・!?」
女性の動揺を無視して、少女は色の無い顔のまま、独り言の様に呟く。
「・・・あんた、『高尾佳織』。前にご主人様達にちょっかい出してた、三流退魔師・・・。」
「・・・三流・・・?」
その一言にプライドを傷つけられたのか、女性―佳織が、その端整な顔をピクリと引きつらせる。
そんな佳織の憤りを煽るかの様に、少女はその顔を能面の様に固めたまま、尚も嘲りの言葉を紡ぐ。
「だってあんた、前に天使と物の怪、間違えてたじゃん?狸と狐の区別もつかない様な猟師は、一流とは言わない。それと同じ・・・いや、それ以前の問題かなぁ?」
そう言って、それでも無色の顔はそのまま、声だけでクックッと笑う。
「―貴様っ・・・!?」
思わず激昂しかけた佳織の顔が、不意に固まった。
凝視する視線の先では、少女が埃でも払う様なしぐさでその身を掃っている。
「・・・でも、酷い事するなぁ。折角着てた“局所結界”がほころびちゃったよ。安定させて持続させるの、大変なのに。」
ブツブツと言いながら、スカートの両端を摘み上げ、ハラハラと振る。
白い手に掃われる度、薄手のスカートが揺れる度、少女の身から何かがホロホロと落ちて行く。それは、キラキラと煌く、小さな小さな、六角形をした煌の欠片。
それを見止めた女性が、驚きの声を上げる。
「それは・・・。貴様、あらかじめ極小規模の結界を身に纏っていたのか!?それで―」
「そうだよ。これでもさ、結構気ぃ使ってるんだ。こっちの世界に、なるべく影響与えない様にって・・・。」
そう言って、少女はパサリと髪を掃った。
途端―
ザワリ・・・
「――っ!!?」
不意に走った悪寒に、佳織は思わずその身体を震わせた。
気付けば、口の端からこぼれる息が、薄っすらと白く染まっている。
「・・・これは!?」
明らかに、周囲の温度が下がっていた。
この季節では、有り得ない程に。
そしてその異常は、目の前で佇む少女の周りで特に顕著に現れ始めていた。
その身体を中心に、周囲の空気が気化したドライアイスの様に白く、重く、濁ってゆく。
小さな足に踏みしめられた土はどす黒く変色し、硬くひび割れていく。
白濁した空気がユラリと風に流れ、近くの植木に触れた。
シュウ・・・
まるで硫酸でもかけられたかの様な音をたてながら、緑の葉は見る見る文字通りの枯葉色に染まっていく。やがて見る影もなく萎れ果てたそれが、冬枯れ然とした枯枝に力無くなく垂れ下がった。
殻の欠けた、少女の身から漂う冷気。
虚ろに甘い香を伴うそれが、その濃度を増し始めていた。
より甘く。より冷たく。より虚ろに。
―この世に有り得ぬ程に。
「・・・っ!!?」
息を飲む佳織の目の前で、それが世界を侵していく。
ジワリジワリと、蝕んでいく―。
―ここに来て、ようやく佳織は理解する。
目の前の少女から生じるそれが、ただの妖気や鬼気の類ではないことを。
―それは、この世ならざぬ“異界”の大気。
恐らくは、彼の少女が生まれた地で、彼女の身体に染み入ったもの。
染み入り、同化し、その身の一部と化したもの。
そして。
其は現世に在ってはならぬもの。
現とは決して合い交え得ぬもの。
少女が身に纏っていた結界。
其は“防ぐ”ものにあらず。
その身に巣食う、“異界”の欠片を無作為に現世(こちら側)に撒き散らさぬためのもの。
―“封ずる”ためのもの。
さもなくば。
それは、“現世”を侵すのだ。
まるで、癌細胞が健嬢な細胞を食らう様に。
まるで、帰化した花が土着の花を駆逐していく様に。
ゆっくりと。
散漫に。
けれど、どうしようもなく、確実に。
「・・・在るだけで、世界を侵す・・か・・・。」
その言葉に、少女がその朱眼を泳がせる。
「・・・確かに、私は未熟の様だ・・・。貴様を、物の怪“程度”と見誤るとは・・・。」
その視線の先で、険しさを増した表情の佳織がそう言いながら、新たな呪符を抜き放った。
「今、はっきりと分かった。貴様は、物の怪などではない。もっと危険な、“何か”だ・・・!!」
符を、空に放つ。放たれた数枚の符は、重力も大気の流れも無視し、まるで蝶の様にヒラヒラと主の周囲を舞う。
「・・・貴様は現世に在ることすら許されない。」
「・・・・・・!!」
その言葉に、少女の眉根がピクリと動く。
「我が術の真髄を持って、確実に調伏させてもらう・・・。」
そして、佳織の両の指が軽やかに踊り、複雑な印を幾つも結び上げていく。
「―高天原(たかまのはら)に神留(かむづ)まり坐(ま)す神魯岐神魯美(かむろぎかむろみ)の命(みこと)以(も)ちて皇御祖神(すめみおやかむ)伊邪那岐命(いざなぎのみこと)筑紫の日向(ひむか)の橘の―」
その瞳を薄く閉じ、精神を集中。いつにない密度で高みへと練り上げる。結ぶ印と共に紡がれるのは、助力を願う神々へと捧ぐ、「祝詞」。やがて、周囲の空気に満ち始める、神気。
「―小戸(おど)の阿波岐原(あはぎはら)に御禊祓ひ給ふ時に生(あ)れ坐(ま)せる祓戸(はらへど)の大神等(おほかみたち)諸々の枉事罪穢(まがごとつみけがれ)を祓ひ賜へ清め賜へと申(まお)す事の由(よし)を―」
朗々と紡がれるそれに応じる様に、宙に舞った複数の呪符が、クルクルと互いに戯れ合う様に円舞しながら、激しい炎を吹き上げる。
「―天津神国津神八百萬の神等(かみたち)共に天の斑駒(ふちこま)の耳振り立てて聞こし食(め)せと恐(かしこ)み恐みも白す―」
うねり、猛る炎は互いに絡み合い、同化して見る見る巨大な火球を形作る。先のものより、なお高温なのだろう、その炎は深紅を通り越し、青白い輝きをたたえながら轟々と大気を焦がす。さらにその周囲では、本体から散った火紛がそれぞれ蒼く輝く梵字に変じ、連なり、長大な炎字の帯となって、火球の周りに幾重にも絡み付いていく。
「・・・・・・。」
そして、何をするでもなく、ただ見つめていた少女の眼前で成されたのは、幾条もの呪言の帯を纏った、巨大な蒼炎の珠。
「高尾流退魔術・秘法、『火産霊之魂(ほむすびのたま)』・・・。」
巻き起こる熱風が、佳織の長い黒髪を大きくなびかせる。
「覚悟するがいい。いかに強固な結界を張ろうと、これの前には意味をなさんぞ・・・。」
厳かにそう言うと、ゆっくりと右手を掲げ、その指先を少女に向ける。
それに道を示されたかの様に、それまで飼い主にじゃれる飼い犬の様に佳織に纏わり付いていた火球が、その動きを変えた。
そして―
「―この世に災いをもたらすもの!!疾く、闇に還れ!!」
ゴッ
その言葉を合図に、白蒼の熱球が一直線に少女に向けて走った。
現世に在ってはいけない?
許されない?
誰が?
わたしが?
途中の空気を巻き込み、さらにその大きさを増しながら、火球は見る見るうちに少女に迫る。
そして、当の少女は微動だにせず、ただそこに立ち尽くすだけ。
そう。
そんなの分かり切ってる。
だって、それを選んだのは、わたし。
あの“声”に。
あの“問い”に。
答えた時から。
迫る火球は、もう目前。
逃げることも、かわすこともままならない距離。
佳織が、その顔に会心の笑みを浮かべた。
「心」も。
「身体」も。
「存在」も。
「世界」も。
「時」も。
「神」さえも。
何もいらない。
求めるものは一つ。
ただ、一つ。
だから、願った。
全てを引き換えにと、あの時に。
だから、わたしは“ここ”に在る。
だから、わたしは“わたし”で在れる。
だから。
だから、わたしは―
ピキン・・・
無表情だった少女の顔に、一筋、朱い亀裂が入る。
細い線の様だったそれは、見る見る真っ赤な三日月の形に広がって、酷く、酷く歪んだ笑みを、その白い顔に張り付けた。
白い右手が、ピクリと動く。
袖口から短剣が滑り出し、冷たい閃きと共に小さな手の中に収まる。
それを、迫り来る火球に向かって無造作に突き出した。
そして―
『―♪壁の上のハンプティ 輪舞(ロンド)がお好きなダンプティ♪―』
歪んだ笑みがそう紡いだ、その瞬間。
掲げられた切っ先で、ポウッと生じる螢緑の閃き。
それがチラチラと同色の光紛を散らしながら、シュルシュルと渦を巻き、何かを構成していく。
蛍緑の煌で描かれた真円。
その内側に刻まれる、六角の星。
それを取り囲む、奇妙な文字と記号の羅列。
それは、何も無い空間に光で刻みだされた魔法陣。
そして、
ドシンッ
重い音と共に、クルリクルリと回転する円陣が、迫る火球を真正面から受け止める。
一瞬の均衡。
そして、螢緑の光円が呆気なくパシッと割れた。
「愚かな!どんな結界も無駄だと・・・―っ!?」
一瞬勝ち誇った佳織の顔が、次の瞬間、驚愕に凍りつく。
火球の威力に耐え切れず、割れ散ったかの様に見えた光円の欠片。切り分けたケーキの様に六つのピースに分かれたそれが、クルクルと宙を舞い、その尖った切っ先を次々と唸る火球の表面に突き立てた。
―途端、今まさに少女を飲み込もうとしていた炎塊。その動きが“止まる”。
見た目は変わらず、燃え盛る炎の塊でありながら、その動きだけがピタリと“止まる”。
炎特有の揺らめきも、それに伴う周囲の空気の流動も。
―動かない。
それはまるで、極めて写実的に描いた炎の絵を次元法則を無視して立体空間に張り付けた様な、そんな奇妙で非現実的な光景。
「な・・何・・・!?」
呆然とする佳織の耳を、涼やかな唄声が打つ。
『―♪垣根の植木にゃ柘榴がいっぱい 赤くて甘い 甘くて酸っぱい 酸っぱく赤い 柘榴がいっぱい♪―』
流れる旋律。
紡がれる詩。
『―♪香りに浮かれてクルクル踊れ 汁にすべってコロコロ踊れ 地面にキスしてバラバラ踊れ♪――』
軽やかに。
涼やかに。
少女が詠う。
そんな少女の唄に合わせる様に、火球に突き刺さった螢緑の欠片が明滅。細かな光の粒子となり、染み込む様に火球の中に消える。白蒼の炎の中に染入った螢緑の光はその中でクルクルと踊り、各々が新たな魔方陣を火球の表面に描き出す。
『―♪バラけた右足 鼠が齧る 折れた左手 雀が突付く 弾けた白身 蚯蚓が啜る♪―』
掲げられた剣。
その切っ先が、指揮棒の様に優雅に空に軌跡を描く。
火球に浮かんだ六つの光円。
クルクル、クルクル、輪舞(ロンド)を刻む。
『―♪足がなくなりゃスキップ踏めぬ お手々なくなりゃ拍子がとれぬ 中身がなくなりゃお歌も歌えぬ しょうもないから 輪舞(ロンド)は終り♪―』
唐突に結ばれる詩。余韻を残して終わる旋律。
少女が悪戯っぽい笑みを浮かべたその瞬間―
ピシン
立ち尽くす佳織の耳を、氷割れの様な音が打った次の瞬間。
パキィイイイインッッッ
乾いた音を立てて、火球が砕け散った。
蒼白く輝く無数の破片が、黄昏の公園にヒラヒラ、キラキラと舞い散る。
―まるで、終春に散る桜の花弁の様に―
「・・・馬鹿な・・・。」
自分の使え得る術式の中でも、最高位の一手。それをあまりにもあっさりと崩され、佳織は呆然とする。それでも、それはほんの数秒。
―けれど。
トスン
「・・・え?」
不意に胸元を襲った違和感に、佳織はその視線を下ろす。
胸の真ん中に突き立つ、キラキラと螢緑に輝く一本の光の針。
「・・・?」
思わずそれに手を伸ばしたその時、
『・・・♪♪・・♪・・・♪・♪・・』
耳の端で、響く旋律。
光る針があっという間に輝く魔法陣と化して、佳織の身体に染み込む。
ドクンッ
「――――っっっ!!?」
途端に、佳織の身体がビクンと大きくはねたかと思うと、そのままドウッと地に倒れた。
「―とりあえず、お礼、言っとく。」
いつの間に近づいたのか、倒れた佳織の側らに立った少女が、朱色に染まった視線で見下ろしながらそう呟く。
「あんたのおかげで、わたしは“わたしのまま”でいられた。」
淡々とかけられる声に、答えは返らない。
地に伏した佳織はその目を閉じ、身じろぎ一つしない。
―眠っている。
ただ、苦悶に歪んだ顔と、苦しげに漏れる喘ぎ、血の気の失せた肌をぐっしょりと濡らす脂汗が、その眠りが尋常なものではない事を如実に教えていた。
「・・・だからさ、」
苦悶の眠りをさ迷う佳織の顔に、朱い煌が落ちる。
「“ほどほど”で、止めてあげるよ・・・。」
苦しげに上下する胸の上で、螢緑の魔法陣がポウ・・と瞬いた。
その頃、少女と佳織の対峙していた高台の公園、街中からそこに至るための坂道に、一つの人影があった。
「まったく・・・あいつ、何処行ったんだぁ?」
その胸に大きなカメラをぶら下げた女性―中野加奈はそう言いながら、夕暮れ色に染まった坂を一人歩いていた。
「突然妖気を感じるって、飛び出してってそのまんま・・・。ホントにもう、相棒を何だと思ってんだか・・・。」
ブチブチ愚痴をこぼしながら、キョロキョロ辺りを見回し、時折聞き耳を立てて黄昏に消えた相棒の姿を探す。
もっとも、探しながらもその表情に焦りや不安の色はない。
彼の相方と組んで一年近く。関わる仕事は結構な危険の伴うものである事は分かっているが、それでも加奈は相方の力量に対して絶対の信頼を置いていた。その不器用で一途過ぎる性格こそ、世間を渡るには少々難有りとは思っているものの、成すべき仕事においては万が一も有り得ない、と。
「さてさて、後はこの上の公園か・・・。」
その視線を坂の上に向け、加奈はまたもう一歩、足を踏み出そうとした。
その時―
ザァッ
「うひゃあっ!!?」
突然に吹き降ろす突風。それが孕む、この季節には有り得ない程の冷気に加奈は思わず目を瞑り、竦み上がった。
風が収まり、周囲の冷気が消えるとようやく目を開ける。
「な、何だったんだぁ?今の風・・・え!?」
目の前の地面。いつのまにかそこに、何か白いものが横たわっていた。
「・・?・・・?」
一瞬の困惑。そして、それが自分にとって、酷く馴染みのあるものである事に気付く。
「な・・ちょ、ちょっと、佳織っ!!?」
思わず駆けより、抱き起こす。
「ちょっと、あんた!!一体どうしたんだよ!!?」
返事はない。ただ、震える唇から苦悶の喘ぎが漏れるだけ。
「おい・・・!!」
半ば動転しながら、自分の腕の中の細身をさらに揺さぶろうとしたその時、
「あんたの相方でしょ?返す。」
すぐ後ろで、そんな声が響いた。
「ひっ!!?」
思わず振りかえるが、そこには誰もいない。
「な・・何・・・!?」
返す勢いで周囲を見回す。でも、やはり誰もいない。
ただ、奇妙な悪寒を誘う違和感が周囲に漂うだけ。
「・・・・・・。」
しばし呆然と、虚空を見つめる。
と、その腕の中で佳織が一際大きく喘いだ。
「そ、そうだ、救急車!!」
それで我に返った加奈は、慌てて懐から携帯を取り出すと、震える手でボタンをプッシュした。
一刻も早く、この場から離れなければという衝動に駆られながら。
ピーポーピーポーピーポー・・・
遠ざかるサイレンの音を聞きながら、少女は一人、ブランコの近くまで戻って来ていた。
足を一歩踏み出すと、白濁した空気が舞い、踏みしめた土が黒く干割れる。
「あ、いけない。」
不意に思い出した様にそう言うと、辺りをクルリと見回す。自分の身からこぼれる“異界”に食われ、そして今まだ食われ続ける周囲の惨状を眺めながら、少女はつと片手を上げた。
そして、花弁の様な唇が、ポソポソと音を奏でる。
『―♪ジョルディ・ジョルジュ 可愛い娘
ジョルディ・ジョルジュ 綺麗な娘
おめかし着込んで出掛けよう
お花を摘みに出掛けよう
あの子を埋めた
花の園♪―』
ポウ
唄とともに、その手に燈る淡い煌。
それを、パシンと自分の胸元に叩き付ける。薄い胸と手の平の間で煌は潰れ、一瞬輝く魔法陣を描き出すと、次の瞬間には無数の煌の粒子となって、少女の身体を包み込む。
やがて、それが肌に染み込む様に消え去るとともに、少女の身体からこぼれる続けていた異界の欠片もまた、その漏出を収めていた。
ホウ、と軽く息をつくと少女は、琥珀に戻ったその視線を、足元の地面へと下ろす。
そこには、ペタリと地面に張り付いた、花の骸が一つ。
それはつい先刻、少女が佳織の放った火炎から守ろうとした藍色の花のなれの果て。
少女の身が盾となり、炎熱に炙られる事こそ免れたものの、代わりに少女の身からこぼれた“異界”に侵されたそれは、見る影もなく枯れ果ててしまっていた。
「・・・・・・。」
琥珀の瞳が、冷たく揺れる。
「・・・ねぇ、分かった?これが、“わたし”なんだよ・・・?」
乾いた言葉。
この場にいない、誰かに向かって紡ぐ。
やがて少女の足が上がり、花の骸を優しくゆっくりと、踏み躙った。
「!」
ふと、少女がその顔を上げる。
息を潜め、耳を澄ます。
足音が聞こえる。
公園(ここ)に至る道を、誰かが駆け上がって来ている。
怯えを抱えながら、それでも迷わず、真っ直ぐに。
「・・・・・・。」
その足音に、その気配に、少女は覚えがあった。
知らずの内に、口元がほころんでいく。
そう。
来てくれるんだ。
いいよ。
おいで。
遊ぼう。いっしょに。
今は、すごく、そういう気分。
だから。
早く。
おいで。
おいで。
足音が、気配が近づいてくる。
高ぶる衝動を抑えかねる様に、少女の髪がサワリと揺れる。
ほら、もうすぐ。
ほら、もう少し。
早く。
急いで。
足音が坂を登り切る。
聞こえる。
乱れた息が、早鐘の様な鼓動が。
感じる。
火照った肌の体温。風に乱れた、髪の香り。
少女はゆっくりと振り返る。その顔に、満面の歪笑を張り付けて。
振り仰いだ視線の先で、黄金(こがね)に輝く髪の束がフワリと踊る。
隠し様もない恐れと、揺るがない決意と。その両方を内包した瞳が、真っ直ぐに少女を見つめてくる。
その視線に、ゾクゾクするものを感じながら、少女は歓迎の言葉を投げかけた。
「こんばんは。よく来たね。“狐”さん。」
そして、朱い煌を燈した瞳が、トクンと大きく瞬いた。
―いつしか、世界を染めていた黄昏は去り、代わりに落ち来た夜の帳が、世界の全てをあるべき色に塗り替える。
そんな闇色の特等席に、プッカリと浮かび坐するは、血溜りの色を纏った、紅い、紅い満の月。
それは眼下を見下ろして、酷く楽しげに、ユラリユラリと揺れている。
―まるで、これからそこで始まる“見世物”が、楽しみでならないとでも言う様に、ユラリユラリと、揺れている。
続く
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