私の一口馬主デビューは1999年で、1997年産の募集馬を出資したのが最初ですから、早いもので24年が過ぎました。私はどちらかというとできるだけ出走シーンを味わいたいので基本400口、500口の1口出資をベースにしていますので、相当数の馬に出資してきました。
その中でも忘れられない1頭がロードホースクラブで出資したレディブロンドです。3歳時の藤沢和雄厩舎入厩直前で出資した馬ですが、入厩後に脚部不安で頓挫。デビューしたのが5歳の夏で函館のメインレース、1,000万下(現2勝クラス)特別ですから、補償減らし(当時はまだファンドではなかったため、未出走や未勝利引退の場合、出資馬代金の30%とか50%とかの補償制度があり、それを次年度の募集に充当できる制度)と考えられても不思議ではありませんでした。
しかし、そんな疑問を払拭するがの如し、なんと、特別戦5連勝という土付かずの離れ技を披露し、暮れのスプリンターズステークス(G1)に出走。4着(勝ち馬はデュランダル)と敗れたのち引退、繁殖に入りました。出走期間わずか半年でしたが、強烈なインパクトを残してくれた出資馬でした。
<レディブロンドに関する記事はコチラ>
記憶と記録に残ったレディブロンド
https://fanblogs.jp/tsukasamarunet/archive/67/0
名繁殖馬への道のりを突き進むウインドインハーヘア
レディブロンドは外国産で、その母がウインドインハーヘアです。ウインドインハーヘアはアイルランドで生産され、イギリスで調教された競走馬です。引退後は繁殖牝馬となり、シーキングザゴールドとの配合で生まれたのがレディブロンドです。ロードホースクラブでの募集馬の中でも3歳入厩直前まで残口がまだあり、クラブ側からの入厩直前募集受付の最終告知の段階で出資したわけですが、父のシーキングザゴールドは、当時の日本でも注目されていた種牡馬であったものの、ウインドインハーヘアは無名で、それも外国産ということもあり未知数でした。そこでクラブに電話をして、ウインドインハーヘアについて話を聞いた中で、「社台グループが今年度から繁殖牝馬として導入した馬ですので、かなりの期待感があると思います」とクラブ側から説明を受け、それが出資への最終決断でした。
クラブ側の説明通り、レディブロンドの活躍もそうですが、社台グループに繁殖入りしたウインドインハーヘアはディープインパクトやブラックタイドを輩出。サンデーサイレンスからの血を引き継ぎ、ディープインパクトは大種牡馬として君臨。またブラックタイドはキタサンブラックを輩出させ、イクイノックスへとその血を繋いでいます。
ウインドインハーヘアの血を引き継いだレディブロンドはゴルトブリッツやラドラーダを輩出
ラドラーダからは種牡馬入りしたレイデオロが生まれ、さらに血が引き継がれています。
私にとってウインドインハーヘアという繁殖牝馬はとても思いの強い馬です。そのウインドインハーヘアは既に繁殖という大役を終え、現在はノーザンホースパークで余生を過ごしています。昼間は放牧場で他の馬と触れ合い、また厩舎や体験コーナーでは観光客を楽しませてくれます。
売店でウインドインハーヘアのTシャツが売っていたので買いました。数多い名馬がいる中で、オリジナルTシャツが販売されることからも、社台グループにとどまらず、日本の競馬に貢献した証なのだと思います。
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