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2015年04月16日
570. 千住真理子 千住家の家訓・生卵丸飲み・ヴァイオリン仕様の身体 「スタジオパークからこんにちは」
アメイジンググレイスを弾き終わると、すぐにヴァイオリンをケースにしまいました。
「今日、割と天候が不順で、湿度の変化が激しいので、しまわせていただきました」と千住さん。「あと、物が当たったり落っこったりするのは危ないので…」
ケースの中にはお母さんの写真と湿度計が入っているそうです。
「この楽器は湿度がいちばん苦手なので…」湿度が高い場所に行くと、できるだけケースから出さないようにするのだとか。
千住さん愛用のヴァイオリンは、ストラディヴァリウスの中でも黄金期に作られた「デュランティ」という名器。1716年製…。
作られてからほとんど使われていなかったので、「生まれたての楽器…」という千住さん。「すごい元気で、私の方が、弾き手のほうが参っちゃうんですね」「弾きこなすのが大変で…」
最初のころは「言うことをきかなくて」大変だったそうです。
「今はもう10何年経つので、自分の体の一部…」
ヴァイオリンの虜
1962年東京生まれ。現在日本画家として活躍する博さん、音楽家として活躍する明さんの妹。山を駆け回る元気な女の子として育ちました。
お兄さんが習い始めたのをきっかけに千住さんも2歳3ヶ月でヴァイオリンを習い始めたそうです。
ヴァイオリンの虜になった千住さんは全日本学生音楽コンクールで優勝。12歳でプロのヴァイオリニストとして活躍し始めます。それから40年。今年はデビュー40周年にあたるそうです。
少女時代、先生の指導の意味がよくわからない千住さん。お母さんと2人相談しながら練習を続けたそうです。指導の意味を2人でいろいろ話し合いながら…。
天才少女も20歳の頃には悩み、一時ヴァイオリンから離れたのだとか。
「血の通った演奏をしたい」と2年後に復活。再びお母さんと二人三脚の日々が始まり、2013年、87歳でお母さんが他界するまで続きました。
千住家の家訓
千住さんのお父さん、大学教授だった千住鎮雄さんは「趣味は持つな!」と常々言っていたそうです。お父さん自身「学問一筋、学問が大好きで」という人だったとか…。
「うちは趣味を持つほど余裕はない。趣味を持つぐらいだったらそれをとことん突き詰めて一生の自分の仕事にしろ、と…」
幼かった千住さんは「ヴァイオリンを趣味だと思われずに、一生懸命頑張ろう」と思ったそうです。「兄たちもそうです」
「大人になった今は、どうしてるかわかりませんが…」ストイックな家族ですね。
生卵丸飲み・ヴァイオリン仕様の身体
ある時風邪をひいて、点滴を受けないとステージに立てない状態にまで悪化した千住さん。「演奏している時は風邪薬を飲めない」と途方にくれました。その時に思いついたのが「ロッキー」。
映画「ロッキー」の中で、シルベスター・スタローンがトレーニング前にいくつもの生卵をコップに入れ、一気に飲み干すシーン。
コップに生卵2、3個入れて飲んだところ、「すごくよかったんです」
今も千住さんの冷蔵庫には生卵がぎっしり詰まっていて壮観です。(笑)
長年にわたってヴァイオリンを弾き続けた千住さん。骨格が曲がり、手足の長さも左右で違っているそうです。
矯正することも考えたのですが、先生に「治したら、ヴァイオリンが弾きにくくなるかもしれない」と言われ矯正をやめたのだとか。(笑)「ヴァイオリンが弾ければそれでいい」
「すごいですね」とMCの清水ミチコさん。「ヴァイオリンが千住さんを選んだんですね」
大事なヴァイオリンを肌身離さず持ち歩き、何かあったらいやだからと、会食等も一切せず、自宅でコンビニで買ったものを食べているという千住さん…。
スゴイ人っているものですね。千住真理子…恐るべし!
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2015年04月15日
569. 木村佳乃 築地・子育て・ポールダンス 「にじいろジーン」
ぐっさんとの待ち合わせは築地市場。
「私、来たことなくて…、食べるの大好きなんですけれども、食べてて『おいしい!これどこで?』って聞くと、必ず築地って答えが返ってくる」と木村さん。
「いつか行きたいと思っていて…」
2人が歩くのは築地場外市場。たくさんの人…。
いろいろなものに目を留める木村さん。「うちの子、昆布が好きで…」二児の母です。
「山長」玉子焼き専門店。1本100円の串玉(玉子焼きを串に刺したもの)をほお張る2人。
築地市場にはロケでも来たことがないと言う木村さん。「敷居が高いと言うか…」
大阪出身のぐっさんも築地では気合が入ると言います。
「築地ハレの日食堂」海鮮焼きのお店。2人が買ったのは、
「マグロステーキ」(1本500円 税込)串に刺さった豪快なマグロ。
「この500円って」…と木村さん。「安いと思う」とぐっさん。
この後、乾物店で昆布を買い込む木村さん。「もう食べるのは終わり?」と思っていると、
「味の浜藤 築地本店」揚げ物のお店です。
1番人気のもろこし揚げを食べる2人。
「もろこし揚げ」(1個320円 税込)
「行ってきまーす」と木村さん。「いただきます」と間違えたのですね。(笑)なんか可愛らしい…。
「甘いですね」とぐっさん。「とうもろこしの甘みが…」
子育て
現在1歳と3歳の娘さんを育てている木村さんが、ぐっさんに子育てのコツを尋ねます。「絶対いいパパだと思うんです」
子育てにはお金をかけないほうがいいというぐっさん。「遊びボックス」の話をします。ボックスの中にいろんな紙が入っていてそれを子供に引かせるのだそうです。
「ボタン」という紙が出ると、子どもがぐっさんの体を触ります。するといろんな音が出るという…。たまに奇声を発して子どもを驚かせるのだそうです。
木村さんも、絵本を見ないで、まるでそこに絵本があるかのようにお話しをする、ということを実行しているそうです。話がどんどんふくらんでいくのだとか。
ポールダンスに挑戦
次に2人が来たのは港区・赤坂。
ちょっとセクシーなポールダンスに興味があるという木村さん。
スタイルの良いインストラクターからダンスを習う2人。インストラクターは長身でグラマーな外国人女性。ポールに絡まる木村さんのなんと細いこと!
子育てが結構大変なはずなのに、明るく自然体の木村佳乃さんでした。
それにしても今回の「ぐっさんを連れて行くならこんなトコ!」は私には大変興味深いものでした。と言いますのも3月末に2泊3日で東京を周遊してきたからです。
行ってきたのは、浅草、築地市場、銀座、国会議事堂(参議院を見学)、東京都庁(昼食)、東京大学(本郷、昼食)、早稲田大学、慶応義塾大学(三田)、下北沢、東京タワー、神楽坂、そして鎌倉と、大変な強行軍でしたが、散歩が大好きな私には本当に楽しい時間でした。
午前10時頃に訪れた築地市場・場外市場の活気は「にじいろジーン」で見た通りでした。
京都が大好きな私(よしろう)ですが、ドラマやロケの舞台は東京が多いので、彼の地を訪れておくとテレビや映画を見るのがまた味わい深くなりますね。
印象に残ったのは…、築地市場のすぐ側に朝日新聞東京本社ビルがあり、その側に浜離宮恩賜庭園があり、しばらく歩くと銀座に出るという…。東京の濃さは半端じゃないです。
2015年04月13日
568. 勝地涼 「A-Studio」に出たかった! 「A-Studio」
「出てほしかったね、この男には」と鶴瓶さん。
「チョー緊張する」と勝地さん。
小栗旬さんと仲の良い勝地さん。鶴瓶さんとも飲み仲間だそうです。
小栗旬さんが監督した映画「シュアリーサムデイ」に出演した俳優はすべて「A-Studio」に出たことになるのだとか。
「出たかったすよ!」と勝地さん。(笑)「…この間、ムロくんと飲ませていただいたときに、『いいね、出てて』って」
小栗旬さんはすでに2回目の登場。「旬くん、2周目してるときに僕出てないんすよ。出たかった…」(笑)
花屋のロケでスカウト
勝地さんは花屋の息子さん。実家の花屋でドラマのロケがあった時にスカウトされたそうです。13歳の時。
「花屋の近くで(ロケを)見てた、かわいい少年がいる、と」「(母が)『それはうちの息子です』と…。何の確証もないのに言って」((笑)
事務所に連れていかれ、台本を読むと、「良いんじゃない」と社長に言われた勝地さん。次に歌をうたうと、「うーん、歌は無いわねえ」(笑)
劇団恒例の罰ゲームで、森田健作の「さらば涙と言おう」を勝地さんが歌わされているのを聞いて驚愕した宮藤官九郎さん。自分のラジオ番組に勝地さんを呼び、歌手としてデビューさせたそうです。
「ドラゴン気取りのティーンネイジブルース」という歌。「『涼 the graduater』という名前で出させてもらってます」
ただ、下手が魅力だったはずなのに、歌っているうちにだんだん上手くなったとか。
前髪クネ男
NHKの朝ドラ「あまちゃん」には「前髪クネ男」というキャラで出演しました。
脚本には「体をクネクネ」としかなかったそうですが、側にいた古田新太さんから「つまらん」と駄目出し。試行錯誤の結果、体を前後にくねらせ、前髪を触りまくるというキャラが出来ました。(笑)
同時期に大河ドラマ「八重の桜」で大変真面目な人物の役で出演。「本当はダメらしいです」
その後古田さんと飲みに行って褒められたのだとか。「勝地、お前はNHKに爪痕残したぞ」(笑)「いい仕事した」
トークの終わりに際し、「前髪クネ男で去ってほしい」という鶴瓶さんのリクエストに即座に応えた勝地さん。
舞台・映画・ドラマ・CM・歌(?)と、活躍の場はどんどん広がっていきます。
2015年03月27日
567. 山田邦子A テレビ局で寝ていた・チャリティー合唱団・大好きなオペラ歌手 「サワコの朝」
全盛期には14本のレギュラーがあったそうです。
「その頃はどうだったんですか?」
「命を削るように…」と山田さん。「寝てなかったですもんね。寝る時間がなかったけど、刺激的だし、現場も面白かったしね」
テレビ局で生活していたときもあったとか。
「帰る時間が無かった時もあったし、1番ひどい時は楽屋に布団ひいてもらって泊まってましたね…。だからお洋服着てなかったです。大体寝間着とガウン…。お洋服は要らないんですよね」
2時間ほど眠ったところで起こされて、また収録という日々が続いたそうです。
30代半ばで仕事が減って
その忙しさも永遠には続きませんでした。30代半ば、仕事が激減します。
「…無くなった時はどう思いましたか?」とアガワさん。
「それは寂しいですよ。『ああ、寂しいなぁ』と思いましたけどね。でも、こういうものなんじゃないですか。ブームは終わったんですよね…。それはしょうがないんじゃないですか」
現在は仕事の合間にお気に入りのコーヒーショップに行ったり、釣りに行ったりと、人生を謳歌しているようです。
「学校で喫茶店に入るの禁止されてたから、もしかしたら人生で初めて入ってるかもしれない…」
「昔はスタジオに隔離されてたから」とアガワさん。
「世の中ってこんなに楽しかったんだ」と山田さん。
今、山田さんが夢中で取りんでいるのは「スター混声合唱団」。
2008年に山田さんが結成したチャリティー合唱団です。タレント、俳優、歌手など、多くの有名人が所属しています。
「なんでそういう場所を作ったんですか?」とアガワさん。
「やっぱり病気になったからじゃないですか」と山田さん。「『病気の人でもね、こんなに元気に頑張れますよ』ということを見てもらおうということでね。これは宝物ですね…。だから人生変わっちゃった。ピン芸だったから、1人で頑張れば良いと思っていた。こんなに大勢の人と連絡を取るような、そういう人生になると思いませんでした」
タレントを束ねるのは大変なようですが。「同じことを何回も言わなくてはいけない」
夢は紅白だそうです。「みんなで出たい」
大好きなオペラ歌手
山田さんが夢中になっているのがオペラ歌手の樋口達哉さん。
「私の潤いの全てです…。女子としての潤いが、メラメラと…」
「恋してるの?」
「最高ですね。自分のためだけに歌っているように聞こえますね」
コンサートの最中に熱が出て、救護室で寝たこともあるそうです。
全盛期よりも確実に人生を楽しんでいる山田邦子さん。これからもご活躍を。
2015年03月23日
566. 山田邦子@ 乳がん・女子校のスター 「サワコの朝」
「唯一でしょうかね。日本で天下を取った女芸人としての、いまだかつてない記録を保持している方でございます。」とアガワさん。
「いやー、嬉しいです」と山田邦子さん。2007年、2人が共演した医療番組で山田さんの乳がんが発覚。
「こんなに元気になりましたけど」と山田さん。
「よかったですね」とアガワさん。
そして「大丈夫ですか?」と山田さん。「大丈夫です」とアガワさん。「おかしいですね?乳がんは美人がなるんです」と山田さん。
1960年生まれ54歳。東京都出身。大学在学中に素人のオーディション番組で注目を浴び、芸能界デビュー。
21歳で伝説のお笑い番組「オレたちひょうきん族」に出演。ブレイクします。
27歳から「好きなタレント・ランキング」に8年連続第一位。「最も成功した女性芸人」と言われました。
医療番組でがんが発覚
46歳の時、乳がんが分かったのはビートたけしさんの番組の中ででした。
「『あれ?しこりあるな』と思ったけど、今言ったところで…」番組中ですからね。
番組が終わった後、病院に行き、乳がんが見つかりました。それも3カ所。
「たけしさんに生き延びさせてもらったんだな、と思って」と山田さん。「出たおかげでしたよ…」「手術やって、放射線やって、終わり…。」
「再発は?」
「もう8年経ったので」と山田さん。
今はがんの経験を伝えるために全国で講演を行っています。「ほとんど、スタンダップコメディーですけどね」(笑)「乳がんの患者さん、お友達、全国にたくさんできたの。」
「美人ばかりなの、ほんとに。」と山田さん。「日本人の14人に1人ですよ。だから、あんまりがっくりしててもね…。14人に1人だから。前向きに、どんどん進んでいきましょう」
「乳がんを見つけるには検診しかない」と山田さん。
そして笑うことの大切さを力説。「笑ったり、大きな声で歌ったりする人っていうのは、がんをパンとはねのけちゃう」「がんはショボーンとしてる人が大好きですから」
「そういう話し方、講演がもう出来上がってる」とアガワさん。
ご主人は動揺するタイプなので、報告するのに気を使ったとか。
「どんどん痩せちゃって…」と山田さん。「先にこの人、死ぬのかな…」(笑)「男の人の方が、優しい人、多いですね…、女やっぱり、どーんとしてるんで」
病を得て発見したことも多かったそうです。
「『毎日病院に行くんだから』と、友人に電車やバスに乗る事を勧められました。そして窓から眺める風景…。楽しいですね。『ここにお煎餅屋さんがあったんだ』とか…」
人に優しくなったそうです。
「『頑張んなよ』とか、よく言ってたんですけど、『頑張れる範囲で、人間て頑張ってたんだな』って…」
仕事で冴えない人を見ると「頑張ってないからだ」と思っていたそうです。
女子校のスーパースター
10歳のときに、「妖怪に呼び止められて、何かようかい」というギャグを考え、言ったところ、バカ受けしたそうです。
女子校に進学し、先生の物真似やピンクレディーの物真似をして、女子校のスーパースターになりました.
中・高合わせて2,400人の前で受けていたので、小ホールでのライブは「ちょろいなと思いました」(笑)
素人参加のイベントにどんどん参加。少しずつ芸能界に近づいていきます。
続きは次回に。