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2015年05月11日
575. 大泉洋A 理想の結婚相手・ダメ親父役で人気 「あさイチ」
NHK「あさイチ」の放送は朝ドラが終わった直後の時間帯。本日の放送も、現在放送中の朝ドラ「まれ」が終わった直後で、司会の有働さんの目がウルウル状態に…。
「とにかくもう、『まれ』の現場では、いかに有働さんを泣かせるか、それしか話が出てませんからね」と大泉さん。(笑)「有働さんに泣いてほしい、って」
理想の結婚相手
「20〜30代女性1000人に聞きました!!理想の結婚相手」(楽天リサーチ調べ)によりますと、
1位大泉洋 2位向井理 3位竹野内豊 4位西島秀俊 5位佐々木蔵之介 となっているそうです。
すごい顔ぶれを抑えて堂々の1位…。
「昨日考えたんです」と有働さん。「なぜ、これだけの人を抑えて大泉さんが1位なのか…ちょっと分からなかったんですけど…」
「ちょっと分からなかったんですか?」と大泉さん。(笑)
「大泉さんはどうしてだと思いますか?」と有働さん。
「何かのデータの間違いですかね…」と大泉さん。「意外と(一緒に生活すると)楽しいとでも思ってるんですかね…」「…家庭でそんなに陽気ではないんですけどね…」
様々のドラマや映画で主演を務めてきた大泉さんですが、朝ドラの影響力の強さを実感しているそうです。
「巷を歩くと、『しっかりしてね』とか言われるんですよ…」(笑)「わりとしっかりやってると思うんですよ…、自分としては」
夢を追いかけて家庭を放り出し、失敗しては戻ってきて家族に土下座、というダメ親父役がピタッとハマっている大泉さん。コメディタッチの演技の難しさについて語ります。
現実と演技の境目
横浜中華街のとある中華料理屋で、怒りのため、グラスを持つ手が震えるという演技をする大泉さん。何度も練習したそうです。
「実際問題、怒りで手が震える人って、あんまりいないんで…」と大泉さん。(笑)「ドラマとかではよくある…、(怒りで手が震えるという演技が)よくあるんですよね…。演じる役者にしてみたら、これをどう成立させればいいか、で悩みますよね、コミカルな役ってのは…。まあ、でも、視聴者の方っていうのは、本当にリアルなドキュメントとして見るわけじゃないから…、ドラマを見てて、ドラマの中に入りこんで楽しんで…、ドラマの中の真実ってのはあるんだろうと思うんですよね…。その中で手が震える…、どのくらいまでやればいいのかな?って難しいとこですけれども…」
「日常的に考えたら大げさだけれども、ドラマの中では成立する、境目みたいなのがあるわけで…」と井ノ原さん。
「やらなさ過ぎてもね…、『手が震える人っていないでしょ?』って言ったらそれで終わりじゃないですか?」と大泉さん。「そこを成立させるのが役者の仕事なんだろうな…と」
手を震わせる演技を見て素直に笑えるか、「それは無いだろう…」と視聴者に引かれてしまうのかの境目…、それを考えながらの練習だと…。
大泉さんのトークはまだ続きます。
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2015年05月05日
574. 加賀まりこ 元祖小悪魔女優・最愛のパートナー・お父さんの作った映画 「徹子の部屋」
「角(かど)無くなった?」と黒柳さん。
「徹子さんは私のこと、すごく角角(かどかど)しいと思ってたかもしれませんが」と加賀さん。
「思ってた」とすかさず黒柳さん。
「徹子さんと共通の知り合い、例えば沢村貞子さん、山岡さん、池内さん…、一緒のお友だちが多くて…、多分ね、その方たちに訊いていただいたら、そんな角じゃないタイプだと思うんですが…」(笑)
「…若いときにね、すごい不良だったと思って…」と黒柳さん。バトルが始まるのでしょうか?大変なオープニング。
「…『キャンティ』というお店に、ただずっといただけの不良で…」と加賀さん。
「あのころあの辺でうろうろしてると、なんとなく不良で」と黒柳さん。
一緒に仕事をする機会がほとんどなかったそうです。そこから生まれた誤解?偏見?それとも正しい理解?
ニューヨークに行っていた黒柳さんが書いていたエッセイのファンだったという加賀さん。やっといい感じのトークになっていきます。
ここで加賀さんの趣味の話に。読書とマージャン。意外にも(失礼)お酒は全く飲めないそうです。
マージャンをしているとお芝居のプレッシャーが和らぐのだとか。
最愛のパートナー
マージャン仲間は12年間一緒に暮らす最愛のパートナー。そしてあと2人メンバーを見つけて没頭するそうです。
パートナーは本当に優しい人で、なにかあるたびに「大丈夫?」と加賀さんを気遣ってくれるのだとか。「大丈夫に決まってるじゃない!」と言い返す加賀さん。(笑)猫とパートナーが加賀さんの家族。
「本当にすごく幸せです」と加賀さん。「なんか年取って、こんなにいいことがあるなんて考えもしなかったから…」
5年間、加賀さんの方からアプローチしつづけたそうです。
「『僕、女優さん好きじゃないんで』って言われて?」と黒柳さん。
「そうなんです、仕事が、演出家なんで、あまりね…」と加賀さん。女優さんに対し良い印象を持ってなかったのだとか。
「良い日々が来たのは本当よかったですよね」と黒柳さん。「波瀾万丈だったですよね」(笑)「私がかってに波瀾万丈だったと思ってる」
「みんな波瀾万丈じゃないの?」と加賀さん。「私たちは書かれたりするから…」
強烈な個性ゆえに若くして大人気となり、いろいろ書かれ、その個性ゆえにいまだに芸能界で活躍し続けている加賀さん…。
お父さんも映画人
小悪魔的な魅力で大人気だったデビュー当時。大胆な言動で世間の注目を集めた加賀さんですが、お父さんの加賀四郎さんも大映のプロデューサーとして数々の映画に関わってきました。
そのお父さんが愛読していたのが映画の専門誌「キネマ旬報」。その「キネマ旬報」の「助演女優賞」を、映画「泥の河」(1981年)での熱演で加賀さんが受賞しました。
「父が生きていたら一番喜んだ賞だろうな、と思って」と加賀さん。その数年前にお父さんは他界していたのです。
そのお父さん、戦前に自身のプロダクションを設立してミュージカル映画を制作したことがあったそうです。
「鋪道の囁き」という、当時の日本映画としては大変お洒落な、ジャズを前面に出したミュージカル映画でした。
ところが松竹映画などからスター俳優を引き抜いたために、劇場で上映できなかったそうなのです。
若き日の加賀さんが松竹からデビューしたとき、社長に「ふうん、お前が加賀の娘か…」と言われ、「なぜ、こんな言われ方をされるんだろう?」と思ったそうですが、そういういきさつがあったのです。
そのフィルムが長い間アメリカで保存されていて、アメリカの文化省から加賀さんあてに電話がかかってきたのだとか。プロデューサーの加賀という名前を手掛かりに、「加賀四郎はあなたの父親なのか?」という電話でした。
父の映画を見た加賀さん、「その当時としては音も良いし、オシャレで…」と、昨年神楽坂の映画館で上映したそうです。
「やっと陽の目を見て…」
加賀さんを支えてくれたお父さんに親孝行ができたのですね。
奇妙な偶然
今も女優として活躍し続ける加賀さんですが、昨年の暮れ、舞台出演の打診を受けました。
「かつて日本で作ったけど、上映されなかった映画がアメリカで見つかって…」という筋書きの舞台…。その話を聞いたとき、加賀さんは大変驚いたとか…。そりゃあね。
関ジャニ∞の横山さんと共演の舞台「ブルームーン」は、加賀さんにとって、因縁を感じさせる作品だそうです。
これからもますます活躍されそうな加賀まりこさんでした。
2015年05月03日
573. 野口五郎 池尻大橋・気になる店・通いつめた店 「にじいろジーン」
ぐっさんとの待ち合わせは東京都・目黒区・池尻大橋。
「お久しぶりです、どうも」と2人。「あいにくの天気で」と野口さん。雨模様です。
「上京しましたのは浅草なんですけども、プロとしての第一歩はこの辺り(池尻)なんですよ」と野口さん。「古いのも残っているんですけども、どんどん変わっているのもあって、その辺をぐっさんと一緒に(巡りたい)…」
この界隈は野口さんにとってデビュー当時の事務所やレコーディングスタジオはある思い出いっぱいの場所。
「…あまり変わってないんですけれども、今の若者風に言うと『ナウい』店が…」と野口さん。ズッコケるぐっさん。
「久しぶりに聞きました」とぐっさん。(笑)
「最近 みんな言いません?『ナウい』って…」
「フレンチデリカテッセン カミヤ」自家製ハムやテリーヌなどが人気のお店。
「すごくいい香りですね」とぐっさん。スモークの香りが広がっているそうです。
「ここで熟成させた豚肉を使ってハムとかソーセージを作っていきます」とオーナーシェフの神谷さん。
「青首鴨のテリーヌ」(100g 1,200円 税込)
「自家製生ハム(スモーク)」(50g 1,000円 税込)
「豚粗挽きスモークソーセージ」(100g 400円 税込)
以上の3種類をイートインスペースで味わう2人。「青首鴨」とは野生のカモのことだそうですが、クセの強い味が魅力だとか。
コピーバンドでドラム担当
「最近ハマってらっしゃることとかあるんですか?」とぐっさん。
「…1975年頃、スタジオ系ミュージシャンが集まって作った『Stuff(スタッフ)』というバンドがあって、『そのコピーバンドやりましょうよ』という話になって…」「そのバンドではドラムをやってるんですけども…」
野口五郎という名前は出さないでライブをするそうです。
「この間気づかれて『歌って!』って言われて、『へ、誰ですか?』」
山手通りへ向かう2人。
「イロハニ小雪」日本の素材を使ったジェラートの専門店。14種類のジェラートから好みの3種類を選びます。
野口さんが選んだのは次の3種類。「枝豆・五島の塩・小豆」Mサイズ ( 350円 税抜)
ぐっさんが選んだのは「人参、サクラ、ほうじ茶ラテ 」。
「ほうじ茶メチャメチャうまい!」とぐっさん。「メッチャおいしい…」
「後味が枝豆で…」と野口さん。
「ひと口食べさせて」とねだるぐっさんを無視するかのように語り続ける野口さん。(笑) 「古いコント(のよう)や…」とぐっさん。
「スナック ヨコタ」アイドル時代の野口さんが毎日のように通い続けたお店。
「ここ、喫茶店だったんですよ…。ぼく、ずっとここにいたんですよ」と野口さん。「移動で15分時間があると、ここでコーヒー。少し時間があると、ここで寝たりとか…」
マスターの横田信弘さん、ママの乙江さんが面倒を見てくれたそうです。
野口さんが店に来るとファンの女の子たちは一斉に外に出たのだとか。野口さんをゆっくりさせてあげたいと…。
野口五郎 ザ・ベスト 私鉄沿線 青いリンゴ 甘い生活 君が美しすぎて 針葉樹 オレンジの雨 19:00の街 季節風 グッド・ラック EJS-6178 |
気になる電化製品
次に2人が向かったのは新宿。
野口さんにはぜひ行ってみたい場所があるそうです。
「ビックロ」ビックカメラとユニクロとのコラボ店です。
2人が興味を持った商品は…
RICOH デジタルカメラ RICOH THETA m15 ホワイト 360°全天球イメージ撮影デバイス 0910700 |
マッサージの機械に感動していた2人ですが、収録語、ブーツタイプのマッサージャーを2人とも購入したとのこと。よっぽど気持ちがよかったのですねえ…。
2015年04月27日
572. 佐藤健A 初原宿でスカウト・髪型は変える・ミスチル 「サワコの朝」
ドラマ「天皇の料理番」のために髪を短く切っています。
「まぁスッキリしちゃって。」とアガワさん。
「スッキリしました。ドラマの役で短くしました。」
「…明治の若者みたいになっちゃって…でもいいねえ」
「本当ですか?ありがとうございます」
1989年生まれ。26歳。埼玉県出身。
19歳の時、ドラマ「Rookies」で注目を集め、大ヒットとなったドラマ「とんび」(2013年)では主人公の一人息子を好演。主演を務めた映画「るろうに剣心」では激しいアクションが話題となりました。
髪型がどんどん変わっていきますが。
「髪型に関してはこだわりがあるんですか?」
「…どんどん印象を変えていきたいな、と思っていたので、髪型は変えていくように心がけていました」と佐藤さん。「イメージが付くのが嫌だったんです。『佐藤建ってああいう人だよね』って。そういうふうに思われるのが嫌だったので」「誰だか分からないくらいに思ってもらいたいなと思って」
記憶の中で今でもきらめく曲
Mr.Children「ニシエヒガシエ」
「ミスターチルドレンさんが今も好きなんですけれど…」と佐藤さん。「中学生位なんですけれど、ミスチルが好きになるきっかけとなった曲です。ドラマの主題歌で最後に流れていた曲ですけれども、『なんだ?このかっこいい曲は』と思って…」
「どんな中学生だった?」
「野球部だったんですけど。野球部風のゲーマーでしたね。」(笑)
野球部の練習で疲れて戻ってくるとゲーム。
「中学生まではすごく優等生だったっていう噂を聞きますけど…」
「負けず嫌いなので、テスト勉強はしてました。『あの人に負けたくない』『あいつに勝ちたい』とかそういう気持ちで…」
幼い頃から負けず嫌いだったそうで、体育の授業の中でも負けるとよく泣いたという…。
ただ勉強を頑張ったのは中学までで、「高校に入った時点で勉強はしない」と決めていたそうです。
「えー、何?」
「最初から低いところにいたら悔しい思いをしないでいいじゃないですか?」と佐藤さん。これも負けず嫌いの屈折した形でしょうか?
「疲れたのね?」
「疲れたんです。中3の時点で、受験で使い果たしてしまって…」「疲れたんで、もう勉強しないって決めて」
そのことを母親に宣言すると「ええ!?」と言いながらも受け入れてくれたそうです。
「今思うと、理解のある親でしたね」と佐藤さん。「勉強を捨てて、そこからダンスを始めるんです」ブレイクダンス…。
ダンスで疲れ切っていたので高校ではひたすら眠っていたそうです。辞書とタオルで眠りのベストポジションを見つけて…。
「しょうがないですね。真実なので」と佐藤さん。(笑)
初めての原宿でスカウト
ダンスに夢中になりながらも、ダンスのプロになるのは難しい。将来を迷っていた頃にスカウトされます。
「埼玉の田舎者なので、原宿という所に行ったことがなかったんですよ。人生初原宿だったんです」
「初原宿でスカウトされちゃったんですか?かっけえ!」とアガワさん。(笑)
今所属の事務所「アミューズ」のスカウトマンだったそうです。佐藤さんが唯一知っている事務所でした。
「深津絵里さんが好きだったんですよ」と佐藤さん。
「ほうー!」とアガワさん。
俳優という職業にも興味を持っていた佐藤さん。チャレンジすることにしました。
「テレビ番組のNG集、メイキング、それを見るのが大好きで。『こういう風に作ってるんだ』と思った時に感動して…。」「俳優てすごいな、と思ってて…」
それでも、大学受験に対する思いもあったそうです。勉強はしなかったのに。
センター試験まであと2週間という時にお母さんが言いました。「別に大学に行かなくてもいいんじゃない?大学なんていつでも行けるし、別に今行かなくてもいいんじゃない?」
このお母さんの意見に飛びついた(?)佐藤さん。迷いなく仕事に打ち込むことになりました。
「俳優になって10年ですが」
「目の前にあることに全力でぶつかっていく、ということの繰り返し…。今は『天皇の料理番』の役にどう向き合うか、だけ考えてやっています」
撮影で演出家からOKが出ているので、自分が気に入らず、撮り直しを要求することもあるのだとか。
「映画って、一生残るものだし…、後悔したくないので…」と佐藤さん。
きちんと計画を立てながらも計画通りことが進まず、悶々とする人生もあれば、将来の夢が無いことに悩んでいた若者が、目の前のチャンスを一つ一つものにして、大きなものを手に入れる…。
26歳にして、代表作というものをもっている佐藤さん、これからもご活躍を。
2015年04月22日
571. 藤竜也 元祖ダンディ俳優・北野武監督からオファー・横浜中華街 「A-Studio」
今日は楽しみですよ」と鶴瓶さん。「このゲストの方はね、こんなバラエティに出はれへん人やねん…」「映画でも寡黙やねん」
登場した藤さんは73歳とのことですが、相変わらず颯爽としています。
藤竜也さんは大学時代にスカウトされ、1962年に日活デビュー。石原裕次郎さんや小林旭さんたちが活躍していた時代の日活です。
その後、大島渚監督の映画「愛のコリーダ」(1976年)に主演し、世界的な評価を得ます。約50年間、映画の世界で活躍し続けてきました。
「オレね、お会いしたこともないし、喋ったこともないねん…」と鶴瓶さん。ちょっと緊張気味?
北野武監督からオファー
藤竜也さんは最新映画「竜三と七人の子分たち」で主演を務めました。
「ふざけた映画や」と鶴瓶さん。映画の要所要所にオナラの音が入っているのだとか。
台本には書かれていなかったそうなのですが。
「…もしオナラのことが書いてあったら、練習するの大変でしょうね」と藤さん。(笑)受け答えが絶妙。かなり面白い方だとお見受けしました。
「オファーがあったとき、どうだったんですか?」と鶴瓶さん。
「…北野さんは僕が出る以前に16本作られている」と藤さん。「…たぶん日本の今の映画界で、北野さんの映画に出たくないという人はいないと思います」「オファーが来て、『うそ!』と思った」
「マジで?」と鶴瓶さん。
「ええ…、『出てくれ詐欺』じゃないですけども…」と藤さん。(笑)
「そんなアホな…」(笑)
「いや、ほんとに」と藤さん。
ベテラン俳優たち
映画には中尾彬さんや近藤正臣さん等、超ベテラン俳優が勢ぞろい。日活時代から半世紀の付き合いのある中尾彬さんなど、しっかりしているほうだったとか。
ピストルを持って傾いて歩く78歳の俳優さんや、カンペの字が小さくて見えないので大きくしたら、それを読むのに顔が上下に動いてしまう俳優さん…。
北野監督は打ち合わせのとき、「話さないし目も合わさな」かったのだとか。「シャイな人ですね」と藤さん。
「町内のジジイたちが、昔ブイブイ言わせたうるさ型のジジイが、風呂屋なんかで奇声を上げてワイワイ言ってる、そういうふうにしてくれればいいんです」と北野監督に言われたそうです。「もったいぶって、間なんかとらないでください、と…」(笑)
普通、監督が「スタート!カット!」と声をかけるものですが、北野監督はそれもせず、助監督が前に出て、自分は後ろに控えるというスタイル。
それでも2、3度、俳優さんのところに来て、「今の、よかった…」と声をかけたそうです。
「そのときの私たちのうれしさ…」と藤さん。(笑)
「面白いんだって…」「面白いんだって…」とそのときの様子を再現。「やった!」と手を振りあげる藤さん。(笑)子どもやがな…。
中華街まで歩く
藤さんの自宅は神奈川県・横浜市。
横浜の町内の仲間たちとよく食べ歩きに行くそうです。もともとは近所のカレー屋で知り合った人たちだったとか。
12、3kmある横浜中華街まで20人くらいの人数で歩く…。
「藤竜也が町内の人連れて、えんえん歩いてるんですよ…」と鶴瓶さん。(笑)皆、お揃いの帽子をかぶって…。
きっかけは、人に横浜・中華街のおススメの店を訊かれて、うまく答えられない自分に歯がゆくなったことだそうです。
「横浜に住んでいて、中華街のことをあまり知らない…ハマっ子としては情けない」と藤さん。「皆で中華街に行って、全部の店を…」
大勢ですのでグループに分かれて、グループリーダーが決めた店に入るという…。見ただけで店の善し悪しがわかるという藤さん。頼もしいリーダーだそうです。(笑)
そうして感想を書きためたファイルが計7冊!かなり辛口の批評が書かれているそうで。
「ぼく、80軒くらい行ったんですけどね…」と藤さん。「1つの店で、全部おいしいということはない」
この店は餃子がうまい。この店は酢豚…と得意な料理が異なっているのだとか。
40人集まったこともあるという、町内の仲間たち。
素敵な奥様(元日活女優の芦川いづみさん。鶴瓶さんは大ファンだったそうです。実は私も…)と仲間に囲まれて、本当に幸せそうな70代…。これからもご活躍を。