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2015年06月06日
585. 麻生久美子 踊りまくる・超自然児・今村監督 「あさイチ」
出演映画は60本以上とのことですが、その才能が開花したのは巨匠今村昌平監督の「カンゾー先生」(1998年)。
20歳で日本アカデミー賞・最優秀助演女優賞を、市場最年少で受賞。「映画に出続ける女優になってほしい」という今村監督の助言もあって映画中心に活躍してきました。
最新作「ラブ&ピース」で65作目だそうです…。すごい数ですね。
家で踊りまくる
ちょっと元気が出ないとき、麻生さんが家で実行するのは、「踊りまくる…、音楽無しで…」
これを始めた頃はまだ子どもはいなかったそうですが、今は子どもも一緒になって踊ってくれるのだとか。「嬉しそうな顔して…」「子供がいるときは音楽をかけたほうがノリノリになってますね」
少女時代「自分は世界一かわいい」と思っていた麻生さん。夢はアイドルになることだったそうです。
「イタい子だったんです」(笑)
ですから今村監督のこともよく知らなかったそうで、「おじいちゃんに会いに行こうか?」とマネージャーに言われてオーディションに出かけたという…。それがよかったのかもしれませんね。
超自然児
麻生さんは千葉県・山武市出身。かなり自然に溢れたところでおてんばに育ったそうです。
「こういう(森の中の)道を小学校の時とか、ずっと歩いて通って…」「街灯が無いから怖くて…」
夏休みは「崖登ったり、川でタニシ取ったり、ザリガニ釣ったり…」ザリガニは茹でて食べていたとか。「甘エビみたいな感じで…」
パンの耳で釣っていたそうです。「ウジャウジャいたから…」
道路で寝っころがってクルマを止める遊びもしていたそうで…!
「道路があったかくて気持ちよかったんです。そこへクルマが来て止まるじゃないですか?それが気持ちよかったんです」
「僕は死にましぇん!とか?」と井ノ原さん。(笑)ウケましたね。
麻生さんはお母さんに「激しく」叱られたとか。「夜、木に縛り付けられて」
今は自分も母親になり、「母の気持ちが分かる」と麻生さん。
女手一つで育てられた麻生さん、初給料をそっくりお母さんに手渡したそうです。
映画に出て続けて自分の演技に限界を感じていた麻生さんがオファーを受けたのがドラマ「時効警察」(2006年)。コメディ出演というチャンスもモノにして更に演技の幅を広げましたが、その奥行きの素地は少女時代にあったのですね。これからも楽しみです。
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584. 藤巻亮太 ライカで激写 「音力」
吉本新喜劇の宇都宮まきさんと夜の京都で待ち合わせをした藤巻さん、
「ソロになったぐらいから写真がすごく好きになって…」と取り出したのが「LEICA M9」。プロ仕様のカメラです。
「よく旅に行くようになって、旅先で撮るのがすごく好きで」と藤巻さん。「見たことない景色を撮るのがすごい好きですね」「心がパッと動いた瞬間に撮るのが好きですね」
アフリカを初め世界の風景を撮るのに夢中な藤巻さん。この日は夜の京都、それも旧家の立ち並ぶ西陣を撮影場所に選びました。
「ここ、めちゃくちゃ良いじゃないですか!」と足を止めたのは、「三上家路地」。
かつて天皇の衣装を作っていた装束司、三上家の路地。築130年以上、明治時代から変わっていない長屋を今に残しています。
現在、この長屋には写真家や陶芸家などのアーティストが住んでいるのだとか。
「めちゃくちゃ良いじゃないですか」と、カメラの腕を振るう藤巻さん。
まきちゃんと2人、写真を撮りながらいつになくテンションの高い藤巻さんでした。
2015年06月01日
583. 樹木希林 エピスカネコ・お気に入りブティック・ぐっさんへの思い 「にじいろジーン」
ぐっさんとの待ち合わせは東京都・港区・西麻布。
「…いやあ、ずっと興奮しておりますが」といつになく緊張気味のぐっさん。
「初めまして」と2人。
「今日はあなたをどこかへ連れていけ、ということなので」と希林さん。(笑)
「いや、ほんと…、お世話になります」とぐっさん。
お気に入りレストラン…実は
「ここに、こういうレストランとか、あるんですけれど」と希林さん。
「エピス カネコ」
「カッコいい!ここ」とぐっさん。コンクリート打ちっ放しの外観です。
「実はね、ここはね、私が住んでたところなの」と希林さん。「今、大家やってるんです」(笑)
希林さんが引越しを考えているとき、知り合いのシェフが店舗を探していると聞き、自宅をレストランとして使うことを提案したそうです。
希林さんたちが住んでいたときの雰囲気を残したままレストランにしたのだとか。
「そうとうモダンな形の…」とぐっさん。
「でもね、税務署が、(この家が)建ち上がってすぐ来てね、『奥さん、これ内装したら良くなるよ』って言って」(笑)「昭和51、2年でしたからね」
この店では屋上で野菜を栽培。その野菜を使った料理が希林さんのお気に入りです。
まずは生ハムを載せたサラダ。マイ箸を取り出した希林さん。自分は箸で食べ、ぐっさんの前にあった箸を取り除けます。「食べにくいのを見たいから」(笑)
「なんちゅうイジワルや」ぐっさん。(笑)嬉しそうな希林さん。それでも、
「生ハム、美味しいです」ぐっさん。
「私、午前中は食べないんだけど、スタッフが『連れてけ、連れてけ』って言うから」と希林さん。(笑)
こちらのお店の紹介です。http://hitosara.com/0006056181/
30年以上通うブティック
さらに次の店へ。
「PRESS・601」希林さんが30年以上通うブティック。ここのご主人といろいろ話をするのが希林さんは好きなようで。
デザートを持ち込み、コーヒーを飲みながら新作映画「あん」を語る希林さん。お孫さんの内田伽羅さんも出演しているのですが、そのオーディションへの参加を押したのが希林さんだそうです。
このあと、希林さんは愛車を運転しながら、趣味の「物件巡り」に出かけます。車中でぐっさんにしんみり話しかける希林さん。
「あのう、実はね、この間、西城秀樹くんの、還暦のお祝いにあなた出てらしたでしょう?」と希林さん。
希林さんと西城さんは、大人気ドラマ「寺内貫太郎一家」で共演した仲です。お祖母ちゃんと孫。
「小林亜星さんと、浅田美代子さんの3人で行かせていただいて」と希林さん。「…山口(ぐっさん)さんが中心になって、あの会を盛り上げてらっしゃった、『ああ、いいヤツだなあ』って山口さんのことも思いましたねえ」「ちょっと今日ね、なんかの時に言いたくって」
「ありがとうございます。光栄です」とぐっさん。
「私自身もこういう状態で、ガンというものを持って、還暦のお祝いの席で出会うとは想像もしていなかったですけども、こういうふうになった、あるいは変化することも含めて人間だなあって…。見ていただくこともあっていいんじゃないか、っていうふうにね、思ったんですよ」「ファンの人と一緒に歳をとって、その時代を見ていただくことも、一つのお役かな、って思ったのね」
そしてやってきたのが、
「旧前田家本邸」(目黒区・駒場・駒場公園内)
昭和4年に旧加賀藩前田家16代当主が、当時のヨーロッパ建築の粋を集めて作った建物。国の重要文化財に指定されています。
東洋1の邸宅を見て回る希林さん。これが趣味の「物件巡り」。見ながらその人の人生を想像するのが楽しいのだとか。
いやあ、まだまだご活躍の続きそうな樹木希林さんです。
2015年05月25日
582. 又吉直樹A 芥川・太宰・虚言癖・ハンバートハンバート 「 サワコの朝」
「今日のゲストは文豪です」と阿川さん。「お笑い芸人でもありますが、今や文豪として大変な注目を集めていらっしゃいます。初めての長編小説が40万部に迫る?もう超えたかもしれない…」
「全然文豪じゃないですよ」と又吉さん。ただ「小説について話す機会が多いですね」
1980年、大阪生まれの34歳。長編デビュー小説「火花」が39万部を超えるベストセラー。三島由紀夫賞にノミネート。1票差で破れましたが、高い評価を受けます。
2003年(23歳)、綾部祐二さんとお笑いコンビ「ピース」を結成。2010年(30歳)、「キングオブコント」準優勝。
芸人として活躍するかたわら、今年1月、文芸雑誌「文學界」に「火花」を発表。大きな反響を呼び、「文學界」は創刊83年目にして初の増刊をすることに。
「こんな話題にしていただけるとは思ってなかったですね、何の反響もないと思ってました」と又吉さん。「賛否両論になるものが書ければいいなと思ってたんですけど、自分が思ってたよりずっと褒めていただいて」
「共感に媚びたくない」と思っていたそうです。「意味分からんなあ、でも面白い、ってあるじゃないですか」
「ご家族の反応はどうでした?」
「母親はメールくれたんですけど、『花火、面白かったよ』って、まずタイトル間違ってましたし」(笑)
記憶の中で今もきらめく曲
「カレーライス」遠藤賢司
「父親が吉田拓郎とかかぐや姫とか、そういうテープが家の中にいっぱいあって」と又吉さん。「ラジオで初めて聞いたときに、『すごくカッコいい』と思って…」
なるほど…。又吉さんのお父さんと私(よしろう)は年が近いと思います。吉田拓郎やかぐや姫をずっと聴いていた少年が「カレーライス」を聴いて感動する…。分かります。
「これラジオで流れてて、『うわー』ってなっちゃったんですよね」と又吉さん。
又吉さんは大阪生まれ大阪育ちですが、お父さんは沖縄、お母さんは奄美大島出身だそうです。
同じアパートに住んでいてお母さんは看護師、お父さんは二日酔い。苦しそうにしているのを、お母さんが仕事柄、「大丈夫ですか?」と気遣ったことから始まったご縁だそうです。「ウエッ、から?」と阿川さん。(笑)
又吉さんがちょっと「ぼうっと」しているのはそのせいとか…。(失礼)
虚言癖
幼い頃の又吉さん、サービス精神から少し話を膨らませて話をする癖があり、それが友人にはウケていたのですが、大人には「この子は虚言癖がある」と受け止められていたそうです。(笑)「なんなんやろう、この子は?」と心配されたそうです。
母親から相談を受けたおばあちゃん、「嘘をつく、と言うのは、考える力があるからや」と助言。「大丈夫や」
「その頃からコント作ってたんじゃ…?」と阿川さん。そして6歳で初めて漫才を作るのです。2人の姉から父親の誕生日に「漫才をしたい」「直樹、漫才考えて」という依頼が。
直樹少年が考えたネタを姉がノートに取り、それを見ながら父の前で発表するという…。
酒を飲みながらずっと見ていたお父さん、「鬼のような顔をして、『何がおもろいんじゃ』言うてました」(笑)「僕の努力が台無しに…」でもとても嬉しかったそうです。「それが最初ですね」
文学の目覚め
文学の目覚めは中学時代だったそうです。国語の教科書に載っていた芥川龍之介の「トロッコ」。
「名前の付いてない曖昧な感情…、主人公の言葉が、『え、これ思ったことある!』自分は言葉に出来ひんかったけど、ここに言葉としてある。的確な言葉として…」
主人公の少年が土工と別れて、1人で夕暮れの道を駆ける、その心細さが自身の実体験と重なり、非常に感情移入できたのだとか。
そして太宰治に入っていったそうです。
「『人間失格』は100回読んだっていう…」と阿川さん。
「年明けの一発目は『人間失格』を読むって決めたんですよ」と又吉さん。「3色のマーカーを引いていって」「線引いていないところに『え、こんな文章あった?』みたいな…」
そしてほとんどの文章にマーカーが引かれることに。(笑)
もともとはクラスメートに薦められたのだとか。「これ、お前みたいなヤツが出てくるから読んでみ」「それで、うわーっとなって…」
辛かった時も、おどけてそれを笑いに変える、道化性。それが自分と同じだと気づき、「ラクになれた」と又吉さん。
ダウンタウンやさんま、鶴瓶等のお笑いの先輩と太宰や芥川等の作家達。どちらも又吉さんにとっては憧れの「カッコイイ」存在だったそうです。「どちらも同じ目で見てました」
「小説とお笑い、どちらかを選ぶとしたら」と阿川さん。
「お笑い芸人でしょうね」と又吉さん。「同じなんですけどね、僕からしたら、人を楽しませる…」
決め手はライブだそうです。「ライブ出来ひんほうがキツイですね」
小説は「5冊は書く」と考えているのだとか。「2作目はコケる、と決めている人があまりにも多いので」(笑)矢継ぎ早に書こうと。
「好きなんで、書くのも。ネタ考えるのも好きやし、文章書くのも好きですし…」
今、心に響く曲
ハンバートハンバート「ぼくのお日さま」
ジャケ買いで出会った夫婦デュオだそうです。
「すごい素敵で、このあいだライブ行ったんですけど、楽しすぎて途中から涙が出てきて…」と又吉さん。「周り見たら、泣いてるん僕だけだったんですよ」(笑)
ああ、あまりにも興味深いトークで大変な分量になってしまいました。
というのも私と又吉さんとは年齢がずいぶん違うのに、物の感じ方や体験がちょっと似ている気がしたからです。
芥川の「トロッコ」を初めて読んだ時の印象や太宰との出会い。「カレーライス」を聴いたときの印象等々。
ハンバートハンバートも「京都音博」で体験しましたし…。
年齢は違うのに体験や資質に自分と似たものを感じてしまう…。
違うのは又吉さんが大好きなお笑いや小説に一直線に進むところ。テレビで初めてお見かけした頃、いささか印象の薄い方だと感じましたが、今や一時代を築く勢い…。これからもますますのご活躍を。
2015年05月24日
581. 長谷川きよし ラジオ深夜便・椎名林檎・大竹しのぶ・京都生活 「スタジオパークからこんにちは」
「今日のゲストの方の歌声なんですけれど、心揺さぶられる…」と伊藤雄彦アナ。「リハーサルで胸が一杯になってしまいました」
20歳で歌手デビュー。今年で歌手生活46年になるそうです。
「去年だとちょうどよかったんですけどね、45年で…」と長谷川さん。(笑)
この4月からNHKの「ラジオ深夜便」で長谷川さんの歌「心震える時」が毎日流れているのだとか。
長谷川さんは声を聞いて、その人の年齢や性格を言い当てることができるという特技を持っているそうです。
この日のMC、清水ミチコさんについては「既に予備知識もありますし」、伊藤アナについては「僕の印象では、割と慌て者かな、という感じがちょっと」と長谷川さん。(笑)
椎名林檎・大竹しのぶとデュエット
長谷川さんのファンは幅広く、その1人が椎名林檎さん。両親の影響で聴いた長谷川さんの歌が忘れられず、デュエットが実現。
大竹しのぶさんも子どもの頃からの大ファン。長年熱望していた共演を「SONGS」で果たしました。
清水ミチコさんの歌の先生は清水さんに「長谷川さんの歌はあまりにも透明。一緒に歌うとその人の欲望だとか欠点とか出ちゃうから危険だ」と言ってるのだとか。
「あまり危険と言われると、(共演)しようと言われなくなる…」と長谷川さん。(笑)「そんこと、ないですよ」
笑いが絶えないトークですが、長谷川きよしさんってこんなに明るい人だったのでしょうか?何か尖がっている印象が私(よしろう)にはあったのですが。
共演のオファーがあることについては、
「幸せなことですね…、林檎さんから声かけてもらえるなんて、思ってもみなかったから」「突然、たまたま僕のライブに来てくださって、メッセージを残していただいて、『いつか一緒に…』という…」
社交辞令かと思っていたら(笑)本当に連絡があったという…。林檎さんのライブで共演したそうです。
「彼女の歌い方、なんか強いもの持ってますので、僕も引っ張られる感じがありますよね」と長谷川さん。
大竹しのぶさんは、ずいぶん前に長谷川さんのラジオ番組に出たことがあったそうですが、「本人は覚えてないんです」(笑)「彼女は女優ですから、表現はすごいですね、集中力というか、圧倒されるものがあって…」
一方の大竹さんは「長谷川さんの世界があって、それは誰のものでもないですね。…嘘がないから、ストレートに私たちの胸に響くんじゃないかなって…」
「もったいないようなコメント…」と長谷川さん。
歌手を夢見て
長谷川きよしさんは、1949年、東京生まれ。兄と妹との3人兄弟で育ちます。
2歳で失明。小学校から通った盲学校ではクラスで1、2を争うほどの元気な生徒。
「担任の先生が、『目に障害があっても何でもできるように』とドンドン外に連れてってくれて」小2の時に友人たちとはしゃぐ映像が紹介されました。NHKのドキュメンタリー番組でしょうか?
当時の一番の楽しみがラジオから流れる歌を覚えること。中学生になると歌手になることを夢見てギターを習い始めました。
「歌謡曲からアメリカのポップスからジャズのスタンダードから…、いろんな音楽が一つの番組から流れた時代…」と長谷川さん。
高3のときに、友人に勧められて出場したシャンソンコンクールで上位入賞。シャンソンで有名なクラブ「銀巴里」のオーディションを受けて、ステージに立つようになりました。「歌をうたってお金をもらえるようになって…」
プロへの道が開けたのですね。
ステージを見た音楽関係者から勧められて20歳でデビュー。根強いファンのいる長谷川さんですが、迷った時期もあったそうです。
1回目の離婚後、仕事を半年ほど中断したのだとか。
そして2度目の結婚。現在の伴侶、恵美子さんと一緒になって、再び歌への希望が生まれたそうです。
「…(歌から)離れて、やはり僕には歌しかない…」
「若い頃は突っ張ってた」という長谷川さん。「盲目の歌手というレッテルに反発」し、記者と喧嘩になったこともしばしばだったとか。
そうか…。いろいろあって、今の円熟した長谷川さん、笑顔で語る長谷川さんがいらっしゃると…。
京都で生活
長谷川さんは4年前から京都に住んでいるそうです。地震の影響もあったのだとか。
もともと京都が好きで、関西で仕事に来たときには京都を訪れて散策を重ねていたとか。
「『老後京都計画』があったんです」と長谷川さん。実際に暮らしてみて、「ワクワクだらけです」。
今の楽しみは、観光客の会話を耳にすること。京都を訪れてテンションが高くなっている会話を聞くと、やはりワクワクするそうです。
「そこに自分は住んでるんだぞ、という」優越感も感じるのだとか。(笑)
ああ、京都生活、いいなあ。
実は、数年前に新聞で長谷川さんが「古川町商店街」の辺りに住んでいるということを知って以来、私はそこを歩くたびに「長谷川きよしさんのお住まいはどこだろう?」とつい思ってしまうのです。
すぐ近くを白川が流れ、京都オーラが全開の素敵な場所です。おススメです。商店街そのものはさびれた(失礼)感じですが。でもそれも風情があって、いい雰囲気です。
ピアフの「愛の賛歌」と自身の作「心震える時」をスタジオで披露。圧巻の歌声でした…。