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2014年02月27日
414. 坂本冬美 親友・藤あや子・髪型 「笑っていいとも!」
「お久しぶりでございます」と和服姿の坂本さん。
たくさんの花束の中に「藤あや子」さんの名前が見えます。
「藤あや子さん、お友だちの…」とタモリさん。
坂本さん、若いころに比べて汗をかきやすくなったそうです。長時間の取材は涼しい場所で行うそうです。
「今、ちょうどいい風が吹いていて…。自然の空調ですか、これ?」と坂本さん。
「自然の空調ってのはない…空調自体が人工的なものだから…」とタモリさん。(笑)
「確かにそうですね…。(笑)いい風が吹いていて、うれしいです…」と坂本さん。
「空調をお褒めいただいたのは、長いことやってますが、今日初めてです」(笑)
立派な髪は…
細く長く盛り上がった髪型が和服にお似合いですが。
「立派な髪ですね」
「でも、これ半分は付けて…」と坂本さん。「いろいろなものを足して…」「この中は意外と空洞だったりするんです」(へえ、という声)
「はあ、何かモノ隠せますね」とタモリさん。
「ポコッとこう、はめ込むみたいな…」と坂本さん。
舞台では衣装も含めて3分くらいで早変わりするそうです。
「意外と早業…。2時間のコンサートで6ポーズくらいやってます」(へえー!)「まったく休み時間もなく…」
着物は上下、2つに切っているそうです。
「ちゃんとしたお着物を…もったいないですけど切るんです…。コンサートのために」
早変わりのときには最低2人の人が付くそうです。髪担当と衣装担当。
藤あや子さんとの朝食
「最近も藤さんとはしょっちゅう会ってるんですか?」
「会ってますね、はい…。今朝はあってませんけど」
「毎日ほとんど会ってるんですよ」とタモリさん。(へえー)
「朝食ができるころに教えてくれて…『出来てるけど、来る?』って。『行く行く!』ってごちそうになって…」と坂本さん。「私が仕事に行くときはお弁当を持たせてくれて…」(笑)
「お母さんですよね…」とタモリさん。確かに。
「姉妹みたいな…家族ですよね」と坂本さん。
「お弁当、ちゃんと作ってくれるんですか?」
「はい、それもね、朝から盛りだくさんなので、お弁当も超豪華なんですよ」
「朝ごはんはどんな?」
「朝から夕食のようなご飯がでますね」(へえー)
「エビフライとかですか?」とタモリさん。
「普通に出ますね…。朝からお鍋とかね」(えーっ!という声)「『いいタラが届いたから…』なんて…。『それ、夜に取っとけばいいじゃない?』『夜は夜で考えようよ』みたいな…」
「豪華だね…お料理好きらしいね」とタモリさん。
「とっても手際が良くて…だから私は洗い物係で」
「洗うの、好きなんですか?」
「私は洗うの好きですね…。あや子さんは作ったらサッサ、サッサとこっちによこすので、食器を…。それを私が洗って…。連係プレーで、やりますね」
「朝からすごいもの食べたってありますか?」とタモリさん。
「そうですね…」としばし考える坂本さん。「すき焼き、普通にありますね…」(えーっ!という声)「さすがに焼肉はないですけど…。ステーキはありました」「『朝の食事が大事なのよ』って言われて…」
「海老蔵君は毎朝250gのステーキを食べてんだよ」とタモリさん。(えーっ!)「毎朝…」
「すごーい!」と坂本さん。
いやあ、年齢等を考えると、坂本さん、藤さんのほうがすごいと思うんですけど…。藤あや子さんは豪快な方だとは思っていましたが…。すごいですね…。
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2014年02月26日
413. 千秋A 夢・作詞家・同窓会・映画・ママ友 「はなまるマーケット」
「ただいま!」と千秋さん。4年ほどレギュラーで出ていた時代がありましたし、去年の今ごろ、「はなまるカフェ」にも…。
千秋さんの盟友、天野ひろゆきさんが3日前にアナウンサーとの結婚発表しました。事前に本人から連絡を受けて「うそ!」と言っていたのですが、相手が女子アナだと聞いて信じたそうです。
「アナウンサーと結婚したいと言っていた…」
「今朝のおめざ」は
「安納芋の焼き芋とバニラアイス」
種子島産の安納芋にバニラアイスを添えています。安納芋は焼き芋にすると糖度が高くなり、ねっとりとした食感と甘さで時間が経ってもおいしいそうです。
「なぜこれをおめざに?」
「初めて食べたときにびっくりして…なに、この、何もしてないのにこんなにフワフワして甘いの?」「焼き芋にしただけでスイートポテトみたいに…」
皆さんスプーンでお芋をすくって、バニラアイスにつけて食べています。おいしそうだなあ…。
「娘がサツマイモとか干しイモにハマっているので…」
娘さんは10歳で小学4年生。「身長が私と同じくらいになった…」
同窓会
千秋さんは、2週間ほど前に、幼稚園・小学校・中学校と、11年間一緒に過ごした友人たちと、プチ同窓会を開いたそうです。
「15人くらい集まって…」新橋の居酒屋で開いたそうです。
「親友とラインで話してたら、芋づる式に増えていった…」と千秋さん。「そのうち、『同窓会をやろう!』ということに…」
すごく盛り上がったそうですが、「以前は名字で呼んでいたはずなのに、みんな『千秋!』って呼んで…。『そんなに親しくなかっただろう?』って…」(笑)
再婚については「しなくてもいいし、してもいい…。どっちでも行けるように」準備しているそうです。
「準備とは?」と薬丸さん。
「お金を貯める…。家を買う気もちはない…。理想はトランクひとつでどこへでも…。世界中旅していける…」「おばあさんになったときとかに、行けたらいいな…と」
2人だけの「映画クラブ」
「娘に見せたい映画がいっぱいあって…。見るたびに感想をひとつ書いてもらおう…」と「映画ブノート」を用意したのだとか。
千秋さん自身が子供のころ、昔の映画をご両親からすすめられて見たそうで、「それが今の仕事につながっている」。だから娘さんにもいい映画をいっぱい見てもらいたいのだとか。
週に1本程度なのですが、「風と共に去りぬ」を皮切りに、もう72作品見ているそうです。
娘さんのベスト3は、1位「若草物語」 2位「グーニーズ」 3位「スタンドバイミー」。
「若草物語」は10回ほど繰り返し見ているそうで、「こんな面白い話はないよ」と娘さん。
「習い事をさせない代わりに映画を見せる…勉強の代わりです」と千秋さん。
お母さんからは「カリカリしないで子育てをしているのがいい」「20年も芸能活動を続けたのは立派だ」とお褒めの言葉をもらい、喜ぶ千秋さん。
ママ友のイベント大成功
千秋さんの周りには、手先が器用でハンドメイドでいろいろなものを作るママ友がたくさんいるのだとか。
その作品を販売するイベントを発展させ、「ハローサーカス」というイベントを企画・敢行。3日間で、のべ2000人を集客。行列ができるほどの人気で、作品は完売。
ママ友には「ブランド化」を勧めたそうです。「○○ちゃんのママではなく、ちゃんとしたブランドを…」そうすると、「格段に(作品が)レベルアップして…」
岡本真夜さんもママ友仲間で、イベントに参加したそうです。
プロデューサー・千秋の面目躍如ですね。
作詞家が夢だった…
千秋さん、中学のころから「作詞家がいい」と思っていたそうなのです。書き溜めた作品はノート50冊以上。
「職業作詞家になりたかったんです」
独りよがりはダメだと思い、クラス中にノートを回し、採点してもらったとか。
「でも、ポケットビスケッツで作詞もしてたんですよね?」と薬丸さん。
「それもこのノートの中から…フレーズがあって…」「いつ依頼があってもいいように、書き溜めている…」
そしてついに依頼が来たそうです。「しょこたん…」中川翔子さんです。
「世界観が似てるよね?」と薬丸さん。
「ほとんど一緒で…」と千秋さん。(笑)「向こうのほうがオタク」「ほんとに初めて誰かのために書く」
作詞家としてデビューですね。
千秋さんの「夢を具現化するパワー」には驚かされます。これからもご活躍を。
2014年02月25日
412. 篠原ともえ 吉田拓郎・ファッション・デザイナー 「サワコの朝」
1979年生まれ。東京都出身。34歳。16歳で歌手デビュー。
現在はファッションデザイナーとしても活躍する篠原さんが元気いっぱいで画面ではしゃいでいたのは「17、8歳のころ」。
底抜けに明るいキャラクターと奇抜なファッションで「シノラーブーム」を起こしました。
「記憶の中で今もきらめく曲」は
「雪が降る町」ユニコーン
「中学生の時に大好きで…」中学のときは軽音楽部でユニコーンを演奏していたそうです。
「『中学3年生を送る会』で、ユニコーンの『雪が降る町』を演奏すると、本当に雪が降ったんです…」「歌の力を信じるきっかけになった曲です」
曲を聴いて涙ぐむ篠原さん。「中学時代がフラッシュバックして…」
中学時代は放送部にも入って、DJをしていたそうです。「小・中のころから、人前に出るのが好きだった…」
拓郎さんと打ち解けた…
実家はお寿司屋さん。お父さんが寿司職人、お母さんはお客さんの対応。「私は看板娘で…」
愛想がよいのは幼いころからで、「物おじしない性格はお寿司屋さんのおかげです」。
デビューのころは超元気なキャラでした。
「あのときは夢が叶っている瞬間なんですよ、一瞬一瞬が…。緊張はなかったですね」と篠原さん。
音楽バラエティ番組「LOVE LOVE あいしてる」(1996〜2001)で吉田拓郎さんと共演。
「篠原がいるんだったら番組降りる!」と、かなり嫌われていたそうです。「うるさいのはいやだ」
楽屋に行くと拓郎さんの機嫌が悪くなるから、別の部屋で過ごしていたとか…。
「好き好き!って伝えていれば、ぜったい通じると思った」と篠原さん。「そしたら拓郎さん、あるときに『あれ、篠原は?呼んできて…』って言って…」「『あいつ、いるとうるさいけど、いないと淋しいんだよな…』」
篠原さんが勝ちましたね。明るいだけではなく芯が強い篠原さん…。
ブームが去り、次の夢へと…
しばらくすると、事務所の人たちの声が聞こえてきたそうです。「そろそろ路線変更したほうがいいんじゃないか…」
「穏やかな篠原、誰も好きじゃないよ」と篠原さんは思ったそうです。やがてブームが終わりました。
「今は勉強する時間かな?って…」「すごい勉強しました…。ボイストレーニング、着物、日本舞踊、お茶、お花、ダンス…。習い事をたくさんしながら、仕事は舞台…。ていねいに学んでいく時代…」
そして次の夢へと踏み出します。
「『私はデザイナーになる』って思っていたんです。シノラーのときも…」と篠原さん。「小さいときから…、10歳くらいのころにお洋服を作ってました」
「夢を選べなかった…、タレントもやりたいし、デザイナーもやりたいし、イラストレーションもやりたいし、女優さんもやってみたいし…」
大学は文化服装学院の大学に進んだそうですが。
「卒業という肩書が欲しいから来たんじゃないの?」と言われて、篠原さんは発奮。「一番前の席で」懸命に課題に取り組んだのだとか。
「服を愛しているから、服の勉強をしたいからこの大学に通ってるんだ…」「夢を叶える順序として必要なんだ」という思いで取り組んだ篠原さん。
その思いが昨年、大きな実を結びました。
松任谷由実さんのコンサートツアー(2013〜2014)で衣装デザイナーを務めることになったのです。
きっかけはユーミンさんのご主人、松任谷正孝さんのラジオ番組への出演でした。「シノラーだったら、どんな感じの服にする?」と聞かれ、その場で、何枚もの絵を描き、抜擢されることになりました。
「20代はどんな時代でした?」
「今の夢に全部つながっているので、20代の篠原に『ありがとう』って言いたいです…」「何か、残せるものを作っていくのが夢ですね…」
「今、心に響く曲」は
「全部抱きしめて」吉田拓郎
今から12、3年前、篠原さんは拓郎さんに尋ねたことがあったそうです。
「篠原は大人になって、どういう人生を歩むと思います?」
「篠原はデザイナーだったらきっとなれるよ」と拓郎さん。
「じゃあ、自分の服をいっぱいカラフルにしていきますね」と答えると、「違う。自分の持っている思いは人に捧げるものなんだ…。人に作ってあげなさい」
拓郎さんに今回のユーミンさんのことをメールで報告すると、いつもは返信がないのに、「夢が叶ってよかったね。応援してるからね」と絵文字入りで返信があったそうなのです。
「すごく優しい言葉をかけてくれるタイプじゃないんですけど、キュッと私の心を掴むようなことをしてくださるんですよ…」
「LOVE LOVE あいしてる」での、拓郎さんとの出会いは堂本剛さんを変え、篠原さんのもう一つの夢を後押ししたんですね。
土曜の夜、放映されていました。私も大好きな番組でした。篠原さんは画面いっぱいに飛び跳ねてましたが、その後も自分の夢に向かって着実に歩んでいたのですね。えらいなあ、篠原さん。
2014年02月24日
411. 樋口可南子 こぎん刺し・投げ入れ・糸井重里 「徹子の部屋」
「徹子の部屋」が喧嘩の原因 夫婦喧嘩はほとんどしないそうですが、数少ない喧嘩の原因が「徹子の部屋」だったとか。 女優の富士真奈美さんがゲスト。大変盛り上がっていて、樋口さんは夢中でその話を聞いていました。 糸井さんが話しかけてきたらしいのですが、「聞くのがうざったくって…。富士さんの話が聴きたかったので、『うるさい』『富士さんの話が終わってからにして…』って」 「じゃあ、富士真奈美と結婚すればいいじゃないか!」と糸井さん。 その後2、3日口をきかなかったそうです。 「富士さんとお会いすると、そのときのことを思い出して…」
「こぎん刺し」にハマって 「3月11日のあと」気仙沼に通うことが樋口さんは多くなったそうです。 そこで手芸の達人に出会いました。織物、編み物、刺繍と何でも見事なのだそうです。 「この人に習おう」と樋口さんは思ったそうです。「2ヵ月くらい前のこと…」 「こぎん刺し」は、江戸から明治期にかけて、青森で野良着に刺繍を施したのが始まりだそうです。 「寒いから…。防寒を兼ねた刺繍…。今は毎日やっていて」と樋口さん。 「一目間違えてもいけない世界…。(プロの方は)すごく速くて…」
「投げ入れ」にもハマる 「投げ入れ」というと釣りを連想するのですが、「活け花」のひとつらしいのです。 「野にあるように花を活ける…。あまり作為的に花をいじらない…」と樋口さん。 「花のことも覚えるでしょ?」と徹子さん。 「そうですね」 下を向いている花を上を向かせようとしたら、「花は自分の向きたい方向があるから…」と指導されたそうです。 「『そのままポンと入れて、花がクルッと回ったら、それが一番花の行きたい方向なんだ。それがその花の持っている美しいところですよ』って…」「うわっ、すごい、そうなのか…。人間にも言えるところだと…。いいところを見つけて…」 「私も『トモエ学園』でそういう教育を受けて…」と徹子さん。「私も『投げ入れ』…」
子どものころは人見知り 子どものころは人見知りだっという樋口さん。小学生のころ、たくさん転校をして、自分を出さないといけないと思うようになったのだそうです。 転機は高校生のとき。 体育館の横に演劇部の部室があって、「そのドアを開けたい、と」 演劇部に入りたいというわけではなかったそうなのですが、「その扉を開けると、何かが始まる気がする…」と感じたそうなのです。 その後、いくつもの扉を開いて、今日も樋口さんはテレビに出ています。ユニークなご家族とともに…。(CMです)
本日のまとめ 樋口可南子さんの ハマっているもの@ 「こぎん刺し」…青森に伝わる刺繍 ハマっているものA 「投げ入れ」…活け花
2014年02月23日
410. 米倉涼子 アマゾン・バレエ 「笑っていいとも!」
大変な歓声。
「うわ、なんかお久しぶりです」と米倉さん。
「お変わりなく」とタモリさん。
「変わってるんです…。見えないところがあちこち…」
「変わってないよね…」とタモリさん。
たくさんの花束の中に「全日本国民的美少女コンテスト実行委員会」からのものが。
「これ出身ですよね?」
「はい、17のときに…」
「これ出る前は何やってたんですか?」
「ふつうに、学生…。出た後も学生でした」と米倉さん。「公立の高校生」。
「スカウトされなかったの?」
バレエに夢中だった高校時代、街をあるいていて「モデルになりませんか?」と声をかけられたことはあったそうです。
「なる気はまったくありませんでした…。おこがましい…」
「なんで?」とタモリさん。
「ふつうに…、バレエやってピンクのタイツはいて歩いてましたから…」と米倉さん。頭はバレエのことで一杯で、鏡もあまり見ず、上手な先輩のことばかり見ていたそうです。
バレエはずいぶん頑張ったそうなのですが、「ま、ダメですよ…」。
ローザンヌで金賞を獲った若者に触れて、「私はダメだっていうのが分かってたから、潔くやめられましたけど…」
「美少女コンテスト」は友だちが応募したそうです。出場後も普通に生活していて、「20歳過ぎてからキャンペンガールとか始めて」道が開けたそうです。
「ちょっとずつ、CanCamとか…」
アマゾンにハマって
「最近、アマゾンに凝ってるらしいね」とタモリさん。
「ヒマさえあればアマゾン…。気がつくとアマゾン見てるんです…」と米倉さん。「今、自分に必要なものないかって考えちゃうんですよね…」
「おれはアマゾン、1回も見たことないんですよ…。通販でしょ?結局…」とタモリさん。
「ネットとか、得意じゃなかったので、やったことなかったんですけど、ここ1年くらいですね。すごいんですよ…、日用品から何から…」
「ヒマがあったらアマゾン見てる?」
「ドラマ中とか、あまりお買い物行けないので…」と米倉さん。「たとえばトイレ用品とか…。私、なんかお得意様なんちゃらとか貰いたいですもん…勲章…」
「どれくらいのものまで売ってるの?アマゾン?」
「何でも売ってますよね!」と客席に。「ヘタするとお薬も売ってるんじゃないんですか?」
「鼻毛切りとか売ってる?」とタモリさん。
「それって、100種類くらい出てきますよ…」
「鼻毛切りが…、すごいね…」
アマゾンは早い
「それでね、その日に届いたりとか…」と米倉さん。
「その日に…じゃあ、行かなくていいんだ」
「そうですよ…」
「スポンジ1個でも?」
「1個でも…。スポンジ1個がこんな箱で届いたりするから片付けるのが大変なんですけど…」と米倉さん。「こないだスポンジ1個のつもりが20個来て…」(笑)
見ていて気になった質問をタモリさんがしてくれました。「今何種類くらい買ったの?アマゾン」
「それは…お答えできません」(笑)
いやあ、米倉さんがアマゾンのヘビーユーザーだったとは…。確かにドラマのセリフ覚え等で家から出られないとき、アマゾンは便利ですものね。