(2016年投稿記事です。)
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私ペンギンの現職時代は、いろんな艦長にお会いすることがありました
護衛艦、潜水艦、輸送艦、いろんな船の艦長がいました。
そんな中で、印象に残る艦長のお話をしてみたいと思います。
あまり知られていない話もあり、みなさんに知ってほしいと思います。
(前回記事):『海自幹部候補生になったペンギンのお話その2(総短艇編)』
\こちらもご参考に!/
(1)単独で災害派遣を決断したおおよど艦長
平成15年(2003年)7月19日より、九州に梅雨前線を伴う豪雨災害が発生しました。
7月20日になるとさらに被害は拡大して、陸上自衛隊へ災害派遣要請が出ました。
その時熊本県水俣市の港に、護衛艦おおよどがイベントのため停泊していました。
図1 護衛艦おおよど
引用URL:http://curry2012.up.n.seesaa.net/curry2012/image/ooyodo-231.jpg?d=a47
前日より雨が降り続く中で、水俣市内で土石流が発生しているとの情報が入りました。
行方不明者も出てかなり混乱している状況を察知した護衛艦おおよど艦長は、決断しました。
『おおよどは災害派遣を実施する!』
『連絡要員を市役所に派遣、捜索支援のため人員を選抜、準備に入れ!!』
当時は、かなり異例のことでした。
自衛隊法第83条(災害派遣)の第3項には、近傍災害という規定があります。
これは部隊等の長が近傍で発生した災害に人員派遣を出来る項目です。
護衛艦の艦長も近傍災害の発令は可能ですが、当時は極めて異例でした。
当時近傍災害派遣発令はタブー扱いでしたが、おおよど艦長はためらわずに決断しました。
その結果、市災害対策本部は海上自衛隊の協力も得られると気付くことができました。
陸上捜索を行うとともに、翌日には水俣川河口付近の海上捜索を行いました。
難しい決断を、躊躇なく行えたおおよど艦長はかなり凄い方でした。
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(2)現在、船と乗員を訓練中です!
1990年代にイージス艦が就役し始めた頃のお話です。
就役していろんな試験や訓練を実施していました。
訓練の様子を監督するため、護衛隊群司令(海将補)も同乗して訓練を実施していました。
そんな中、夜間航海でこれから波が高くなってガブる(荒れる)と艦長に報告が届きます。
すでに荒天航行部署の準備は終わっているため、このまま行くと思いきや!
(艦長)
『フィンスタビライザー停止!』
『フィンスタビライザー無しで航行する!』
(艦橋にいた全員)『うえええええ!!!!』
突然のフィンスタビライザー停止命令!波による揺れを抑える装置を切るなんて普通の艦長はやりません!
図2 護衛艦のフィンスタビライザー(羽根状のもの)
引用URL:http://www.yamatoshi-uruwashi.net/MY_HP/photo/10-33.JPG
船は派手に揺れるは、群司令は就寝中のベッドから叩き落ちるなど凄いことになりました。
(群司令)『艦長!フィンスタでも壊れたのか?!』
(艦長) 『フィンスタは正常です。現在停止中です!』
(群司令)『なんでやん?!』
(艦長) 『新型艦ですのでどこまで正常に航行できるか良い試験です!』『現在、船と乗員を訓練中です!!』
日頃から、訓練にて強い乗員と船を作れ!と指導していた群司令の言葉がありました。
結局、朝になるまで群司令は大揺れのベッドの中で耐えるしかありませんでした。
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(3)艦は艦長によって全てが変わる!
船の士気や、技量、その他などは各艦によって異なりますが、艦長の存在が船にとって一番大きいものになります。
今まであまりぱっとしなかった艦が、艦長が交代したとたん見違えるようなこともあります。
ぱっとみて、陸上では冴えないおじさんのような人が凄い艦長だったりします。
みなさんも、イベントなどで艦艇が来たときに艦長に注目してみてください!
いろいろと面白いですよ〜!
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防衛・軍事ランキング
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現代の2010年代以降の自衛隊の災害派遣の活躍を見ると、近傍災害(自衛隊法第83条第3項)をなんで躊躇するのか不思議に思えるかもしれません。
しかしながら昔の時代(1990年代まで)は「近傍災害で自主派遣=シビリアンコントロールの逸脱だ!」という論調が社会の常識となっていました。
大きな災害が起きても、都道府県知事などの要請権者の災害派遣要請がなければ一歩も出てはならん!という空気がありました。
信じられないでしょうが、本当にそういう社会の空気があり「近傍災害」で出動した駐屯地に、後日運動団体が押し寄せ「シビリアンコントロールの逸脱だ〜!」と抗議を受けることがよくありました。
また防衛庁本庁や各幕僚監部も「忖度」して、「まだ要請があるまで出るなよ〜」と余計な口をはさんでくるんですよ〜
1995年の阪神淡路大震災をきっかけに、ようやく近傍災害への心理的ハードルが下がり、2011年の東日本大震災で自衛隊の災害派遣が国民全般に受けいれられたといえます。
「シビリアンコントロール」という言葉の呪縛が、近年まで近傍災害・自主派遣を躊躇わせてきたといえます。
(むろんシビリアンコントロールは重要です。)
阪神淡路大震災の時といい自主判断での災害派遣は難しいんですね。そういえば以前、管理人さんが『幹部候補生学校のころから、繰り返し叩き込まれるととして「杓子定規の役人になるな、法律に書かれていることしかできないと考えるなら辞表を出した方がだぞ!」と叩き込まれます。』
『幹部自衛官として何度も教えられ、実際に現場や司令部で実感したことは、
「防衛出動命令・武器使用命令は間に合わない」
「命令が出たときは、何隻か撃沈され日本本土に爆撃が終わった後だ」
「下手をすると撃沈・撃墜・爆撃で国民に死傷者が出ても、会議で紛糾して防衛出動命令・武器使用命令は出てこないかもしれない」
「それでも命令を待って引金を引くことを躊躇するか?」
と教え込まれてきました。』と言ってましたけどそれなのに近傍派遣や自主派遣を避けるような風潮があるというのはどういうことなのでしょう?他国との戦闘の危険があり命令も法的根拠も不明瞭な部隊行動が正しくて、他国との戦闘の危険がなく自国民が危険にさらされている状況で法的根拠がある災害派遣をタブーとするのは矛盾していると思うのですが。
一応、施設の概念として「その場所で生活ができるもの(水・トイレが使える)」という前提があります。
そのため
@掃海艇・ミサイル艇:「施設」とみなして近傍災害発令可
A航空機・車両:「施設」に該当しない。
という感じになります。
併せて「部隊指揮官」というものがありますので、機長は部隊指揮官とはなりません。(飛行隊長が部隊指揮官)
航空機・車両の場合は、発見して部隊指揮官に報告の上で部隊指揮官の近傍災害命令を受けて救援ができます。
自衛隊法第83条では、護衛艦の艦長も「部隊等の長」として該当しており、近傍災害の命令を出せる権限があります。
そして護衛艦自体が「庁舎、営舎その他の防衛省施設」に該当するため、護衛艦から見て災害が発生していると認められるときは「近傍災害」が成立します。
一応法律解釈として、艦橋から視認できた時又は国際VHF無線などで災害の情報が入って急行して視認したとき、艦艇長命令発令が可能と当時の法務教育として習いました。
護衛艦自体を「施設」としてみなすとわけです。