3連休も終わった。
朝は5時頃には目が覚めたが今日は何時に起きなければいけないのか一瞬考えた。
最近はアラームまで目が覚めずに眠るということが無くなった。まあ早くベッドに入っていることもある。それと意識の中で起きる前に股関節を開くストレッチをしないといけないということが働いている。
脚を曲げて外へ開く。足を真っすぐにしてつま先を伸ばす、踵を前に出す。
これだけでベッドから立ち上がってもよろけずに歩ける。
金曜日は最高気温が13度くらいの寒い日だった。しかも強い雨。
出先から家に帰ったが部屋の中も寒かった。居酒屋Qに行く日だがどうしようかと迷った。普通の人は外にでないだろう、そんな寒さと風雨。
結局は風雨の中、歩いて居酒屋Qへ。ヒートテックとセーター着用だ。
歩き始めて後悔した。家から10歩歩いただけで足が硬直している。足が自分の意の通りに動かせないのだ。これは寒くなれば起きること、あわてる必要はない。
やはり寒いとこうなるのだなぁと。
寒さで震えようとして脚だけでなく腰から動きが制御される。いわゆる固まった状態だ。
健常な時はどうだっただろうと思い返す。寒くて固まるという表現が出るくらいだから、よくあったのだろう。それでも動かすことはできたはずだ。そうだ思い出した、固まっていても無理やり動かして腰が痛くなることが多かったのだ。
歩きながら力を抜いていく。頭の中で“寒くないんだよ、さあリラックス”と身体に語りかける。
これは冬に足が動かなくなるといつもやっていることだ。
手を曲げて背中に持っていく。そうすれば足が動くようになる。足が動く勢いがつけばもう大丈夫だ。
これから来る寒い季節へのよいリハーサルだった。
居酒屋Qからの帰りは特に不自由なく歩いた。たぶんほどよく酒が入ったからだろうか。気温は低いのだがそれほど寒いと感じなかったからだろうか。
ということは温まったモノを食べるとか身体内部が温かいと身体が固まる現象は起きないのだろうか。
連休真ん中はゴルフ。ずいぶん久しぶりだ。
コンペだがここまでやっていないとスコアよりもリハビリとしてどう身体が動かせれるのかを検証しようと思う。
前回は受傷前と同じように普通にスウィングができた。左腕の筋肉もその時より付いているし可動も少し良いから期待だ。
そう思いながらも何も考えずにプレーしていた。ただドライバーがうまく当たらない。やはり左手がうまく抜けないのか。短いクラブだと問題はないようだ。
本番のゴルフではなかなか腕の可動の変化は解らなかった。練習場で同じクラブを何十球かづつ打てば身体の変化を感じられるのだろう。
ゴルフ後は表彰式、帰ってから2次会とけっこうな量を呑んだ。3次会はパスした。
もともと酒を呑んで大きくはしゃぐといったことはしないタイプだし、眠くなるのだ。
昨日の祝日はジムでゆっくり筋肉を動かしストレッチ。健常な時に痛くなる場所とは違う箇所が筋肉痛だ。やはりちゃんとしたスウィングではないのだろう。
昨日は英会話もこなしてゆっくり過ごした。
今週は13日から出張。そのまま実家に帰省。
たまに電話をすると元気だと返ってくるが、帰れるタイミングでは帰ろうと。
2022年10月11日
2022年10月07日
痺れの感覚
昨日は寒い一日だった。日中の気温は札幌より低かったとか。今日もだ。
寒さに対する恐怖は昨年から少し和らいだか。身体が寒さを感じると硬直してしまうことが多かった。
いや、これ自体が改善されたのではない。寒いと脳が何を差し置いても身体を震わせて温度を高めようとする。その震えようとする働きと自分が意図する動きが合致しないから固まるのだろう。
理屈さえわかってしまえばラクなのだ。原因不明の状態に危機を覚えるのだ。
それを思うと本能として指令する脳と考えたり思ったりする脳は連動していないのだ。
今朝は久しぶりに手が震えた。不思議なもので何かを持った時に震えることが多い。
例えば牛乳を入れたコップを持っている時。去年は床中に散らばったことが何度かあった。今日はテーブルに残っていた昨晩の焼酎のコップ。持った瞬間に震えて中の氷の解けた水が散らばった。
何かを持つという行為。しかも水分が入ったモノなど“慎重さ”が求められることに対する脳の指令は少し特別なのかもしれない。
そこへ寒いから震えるという本能は、そんな慎重な事をやっている場合じゃないよと更に強烈な震えの指示を送るのだろうか。なんか経験から合っているような気がするのだが。
今日もトイレで目が覚めたが、産まれたての小鹿だった。
右の足裏と下腿の感覚がほとんどないのだ。痺れは前よりは幾分軽くなったと感じていたのだが自信がない。
ずっと痺れていたら、その強弱が解らなくなってしまう。それに加えて気にしないようにしていることもあるからか。痺れが強いなと感じる時はよほど強い痺れなのだろう。
お尻の痛みは少し軽くなっている。
9月の最初くらいからか、気になるのは腕。もともと腕や手は左右同じような痺れだ。ただ腕はそんな痺れがなかったのだが少し痺れのような違和感を感じる。
筋トレで軽い筋肉痛が痺れや疼痛に感じることはよくあるので、それかなと思っていたが日常的に痺れが感じられる。
これまでは痺れていなかったかと言われれば自信がない。それくらい日々の痺れや痛みを感じることを拒否し続けることが習慣になっていた。
もしかしてずっと痺れていたのだが、その感じ方を制御する感覚自体が弱くなったのか。
さあ週末。3連休だが真ん中の9日はコンペだ。
ずいぶんゴルフもしていない。スコアはともかくスウィングをやってみて筋肉がどう反応するかが楽しみだ。少し左腕の筋肉は付いたように感じるのだが。
寒さに対する恐怖は昨年から少し和らいだか。身体が寒さを感じると硬直してしまうことが多かった。
いや、これ自体が改善されたのではない。寒いと脳が何を差し置いても身体を震わせて温度を高めようとする。その震えようとする働きと自分が意図する動きが合致しないから固まるのだろう。
理屈さえわかってしまえばラクなのだ。原因不明の状態に危機を覚えるのだ。
それを思うと本能として指令する脳と考えたり思ったりする脳は連動していないのだ。
今朝は久しぶりに手が震えた。不思議なもので何かを持った時に震えることが多い。
例えば牛乳を入れたコップを持っている時。去年は床中に散らばったことが何度かあった。今日はテーブルに残っていた昨晩の焼酎のコップ。持った瞬間に震えて中の氷の解けた水が散らばった。
何かを持つという行為。しかも水分が入ったモノなど“慎重さ”が求められることに対する脳の指令は少し特別なのかもしれない。
そこへ寒いから震えるという本能は、そんな慎重な事をやっている場合じゃないよと更に強烈な震えの指示を送るのだろうか。なんか経験から合っているような気がするのだが。
今日もトイレで目が覚めたが、産まれたての小鹿だった。
右の足裏と下腿の感覚がほとんどないのだ。痺れは前よりは幾分軽くなったと感じていたのだが自信がない。
ずっと痺れていたら、その強弱が解らなくなってしまう。それに加えて気にしないようにしていることもあるからか。痺れが強いなと感じる時はよほど強い痺れなのだろう。
お尻の痛みは少し軽くなっている。
9月の最初くらいからか、気になるのは腕。もともと腕や手は左右同じような痺れだ。ただ腕はそんな痺れがなかったのだが少し痺れのような違和感を感じる。
筋トレで軽い筋肉痛が痺れや疼痛に感じることはよくあるので、それかなと思っていたが日常的に痺れが感じられる。
これまでは痺れていなかったかと言われれば自信がない。それくらい日々の痺れや痛みを感じることを拒否し続けることが習慣になっていた。
もしかしてずっと痺れていたのだが、その感じ方を制御する感覚自体が弱くなったのか。
さあ週末。3連休だが真ん中の9日はコンペだ。
ずいぶんゴルフもしていない。スコアはともかくスウィングをやってみて筋肉がどう反応するかが楽しみだ。少し左腕の筋肉は付いたように感じるのだが。
2022年10月06日
いつまでも小鹿
先々週くらいか、自分で書いた表現だが「生まれたての小鹿が立ち上がる」という表現。
今朝も4時過ぎに目が覚め、この状態って前からだったかと考えていた。
昨年の冬は確実にそういう状態だった。いつも2時半に目が覚めてトイレに行っていたから覚えている。しかし昨年の10月下旬くらいに足裏の痺れが大きく改善したのだ。それが再び痺れが強くなってからそうだったのか。
それとも2年前、3年前も夜中や朝にベッドから出る時はそうだったのだろうか。覚えていない。
弱々しく立って弱々しく歩く。それはトイレの往復だけだからその状態だ。
朝起きた時はその状態でも、座って朝食や髭そりなどをしていると次に立ち上がった時はそうではなくなる。
これは恐らくソファーに深く沈み込んでいることで股関節が少しづつ開くからだろうか。
寝ていて起き上がる前に膝を外に曲げるストレッチで股関節を開くと弱々しい立ち方や歩き方にならない。
ただ夜中にトイレで目が覚めた時にストレッチまでやってトイレに行こうとは思わない。きっと目が覚めてしまう。かといって弱々しい歩きは危険だ。危険について考えていなかったから自分は受傷したのだ。
股関節が柔らかくなったらしっかり歩ける。これは間違いないのだろう。
これも何度も書いているが、朝の歩きはあまり良くなくても1日にタバコロードを何回か往復して夕方には小走りできそうになると。これは仕事が終わって会社を出るという脳の喜びかと。
確かに脳の喜びはあるだろう。それともう一つはタバコロードを歩いて自席に戻るとよく足を組んでいるのだ。大抵は痺れている右脚を上に組む。
足を組むことはあまり良くない。身体が歪む。それは片足だけ組むとだ。そう認識しているので左脚も組もうとする。左脚の股関節は硬く、右脚の上に置くだけでも一苦労だ。
こういったことを歩く間にしているから時間が経つごとに歩きが快調になるのだろう。
1日に何度も股関節を開くような動きをしている。
でもそれは定着しないのだろうか。股関節と歩行の関係の事を知る前にジムでは横屈伸をしていた。
それは内転筋に痛みがあり、イメージとして筋肉の柔軟性が無くて固まっているイメージだった。横屈伸、健常な時でもそんなに深く出来なかった。やはり身体は硬かったのだ。
その横屈伸、いつごろからか少し深くできるようになった。お尻を完全に落としては無理だが。それに伴って内転筋のイヤな痛みはなくなった。
そのように股関節は少し柔軟になったのだが、生まれたての小鹿になる。
寝る姿勢か。横向きに寝ている。痺れた右脚に左脚の体重がかかるように。それが心地いいのだ。
だからベッドから立ち上がる時に股関節は閉じたままなのか。
その弱々しく立った状態、歩いた時の状態。ここで働いていない筋骨格を考えることでキチンと起立して歩けるヒントがあるのかもしれない。
前はガチガチの身体だったから、逆に急に立ち上がっても動くだけなら問題がなかったのかもしれない。
今朝も4時過ぎに目が覚め、この状態って前からだったかと考えていた。
昨年の冬は確実にそういう状態だった。いつも2時半に目が覚めてトイレに行っていたから覚えている。しかし昨年の10月下旬くらいに足裏の痺れが大きく改善したのだ。それが再び痺れが強くなってからそうだったのか。
それとも2年前、3年前も夜中や朝にベッドから出る時はそうだったのだろうか。覚えていない。
弱々しく立って弱々しく歩く。それはトイレの往復だけだからその状態だ。
朝起きた時はその状態でも、座って朝食や髭そりなどをしていると次に立ち上がった時はそうではなくなる。
これは恐らくソファーに深く沈み込んでいることで股関節が少しづつ開くからだろうか。
寝ていて起き上がる前に膝を外に曲げるストレッチで股関節を開くと弱々しい立ち方や歩き方にならない。
ただ夜中にトイレで目が覚めた時にストレッチまでやってトイレに行こうとは思わない。きっと目が覚めてしまう。かといって弱々しい歩きは危険だ。危険について考えていなかったから自分は受傷したのだ。
股関節が柔らかくなったらしっかり歩ける。これは間違いないのだろう。
これも何度も書いているが、朝の歩きはあまり良くなくても1日にタバコロードを何回か往復して夕方には小走りできそうになると。これは仕事が終わって会社を出るという脳の喜びかと。
確かに脳の喜びはあるだろう。それともう一つはタバコロードを歩いて自席に戻るとよく足を組んでいるのだ。大抵は痺れている右脚を上に組む。
足を組むことはあまり良くない。身体が歪む。それは片足だけ組むとだ。そう認識しているので左脚も組もうとする。左脚の股関節は硬く、右脚の上に置くだけでも一苦労だ。
こういったことを歩く間にしているから時間が経つごとに歩きが快調になるのだろう。
1日に何度も股関節を開くような動きをしている。
でもそれは定着しないのだろうか。股関節と歩行の関係の事を知る前にジムでは横屈伸をしていた。
それは内転筋に痛みがあり、イメージとして筋肉の柔軟性が無くて固まっているイメージだった。横屈伸、健常な時でもそんなに深く出来なかった。やはり身体は硬かったのだ。
その横屈伸、いつごろからか少し深くできるようになった。お尻を完全に落としては無理だが。それに伴って内転筋のイヤな痛みはなくなった。
そのように股関節は少し柔軟になったのだが、生まれたての小鹿になる。
寝る姿勢か。横向きに寝ている。痺れた右脚に左脚の体重がかかるように。それが心地いいのだ。
だからベッドから立ち上がる時に股関節は閉じたままなのか。
その弱々しく立った状態、歩いた時の状態。ここで働いていない筋骨格を考えることでキチンと起立して歩けるヒントがあるのかもしれない。
前はガチガチの身体だったから、逆に急に立ち上がっても動くだけなら問題がなかったのかもしれない。
2022年10月05日
念や気のようなモノ
自分はけっこう現実的だと思う。
信憑性のないことは信じないし、物事の理屈を知りたい方だ。
神がかりなことは無いとはいえないだろうが信じることはなかった。それを変える出来事がもう15年ほど前になるか。
受傷前の自分は左首がずっと張っていた。筋硬結の状態。今だと自分で自分を改善できるが、当時は揉んでもらいたくて仕方なかった。
家の近くの整骨院。ずっと行っていた居酒屋Sのマスターがあそこはいいよと言うので行き始めた。
施術する人は4人いてよく居酒屋Sにも来ていて仲良くなっていた。
選べはしないのだが、誰が上手だとかSマスターとはよく話題にしていた。
その中で一人、名前は忘れてしまったので仮にAさんとしよう。そのAさんは一番人気だった。Sマスターが言うには、力は強くないんだけどなんか調子が良くなると。
ある日、たまたまAさんの施術になった。
裸足になって足をお腹に押し当ててくださいという。うつ伏せで足を折り曲げて足裏はAさんの肋骨辺りか。その姿勢でどう施術を受けたのかは覚えていない。ただ覚えているのは足の裏がカイロで温めたように熱くなったことだ。ポカポカする。人の肌の温度以上なのだ。
いったい何だったのだろう。その話を後日Sマスターにすると同じ体験をしていた。
それから一度もAさんの施術を受けることなくAさんは辞めた。横浜の方で開業したという噂を聞いた。
実際に熱くなったのではないのだろう。熱く感じたのだろう。
マジックではないのだ。でもその時に感じたのが念というか気というか、治してあげようという気迫のようなものをAさんから感じた。
一昨日書いた同じ動きをしても違うということで、ふいにAさんのことを思い出した。
物理的に同じ運動なのだ。例えば2キロのダンベルを動かすことによる肉体への負荷や影響は。でも何かを意図して動かすと違うのだ。それも念や気に近いものなのだろうか。
昨日は久しぶりに1歩1歩を考えながら歩いた。そうなのだ、少なくとも7年以上そうやってきたのだ。何かを思って・・・それは念や気に近い思いでやれば叶うこともあると信じる。
信憑性のないことは信じないし、物事の理屈を知りたい方だ。
神がかりなことは無いとはいえないだろうが信じることはなかった。それを変える出来事がもう15年ほど前になるか。
受傷前の自分は左首がずっと張っていた。筋硬結の状態。今だと自分で自分を改善できるが、当時は揉んでもらいたくて仕方なかった。
家の近くの整骨院。ずっと行っていた居酒屋Sのマスターがあそこはいいよと言うので行き始めた。
施術する人は4人いてよく居酒屋Sにも来ていて仲良くなっていた。
選べはしないのだが、誰が上手だとかSマスターとはよく話題にしていた。
その中で一人、名前は忘れてしまったので仮にAさんとしよう。そのAさんは一番人気だった。Sマスターが言うには、力は強くないんだけどなんか調子が良くなると。
ある日、たまたまAさんの施術になった。
裸足になって足をお腹に押し当ててくださいという。うつ伏せで足を折り曲げて足裏はAさんの肋骨辺りか。その姿勢でどう施術を受けたのかは覚えていない。ただ覚えているのは足の裏がカイロで温めたように熱くなったことだ。ポカポカする。人の肌の温度以上なのだ。
いったい何だったのだろう。その話を後日Sマスターにすると同じ体験をしていた。
それから一度もAさんの施術を受けることなくAさんは辞めた。横浜の方で開業したという噂を聞いた。
実際に熱くなったのではないのだろう。熱く感じたのだろう。
マジックではないのだ。でもその時に感じたのが念というか気というか、治してあげようという気迫のようなものをAさんから感じた。
一昨日書いた同じ動きをしても違うということで、ふいにAさんのことを思い出した。
物理的に同じ運動なのだ。例えば2キロのダンベルを動かすことによる肉体への負荷や影響は。でも何かを意図して動かすと違うのだ。それも念や気に近いものなのだろうか。
昨日は久しぶりに1歩1歩を考えながら歩いた。そうなのだ、少なくとも7年以上そうやってきたのだ。何かを思って・・・それは念や気に近い思いでやれば叶うこともあると信じる。
2022年10月04日
リハビリプロジェクト
もう頚髄損傷から8年近くになる。
様々な“改善”に向けたリハビリを自分なりにやってきたと思う。ただそれが結果的に良かったこともあれば遠回りしたこともあるのだろう。
やってしまったことはどうしようもない。頚髄を損傷したこともそうだし、もしかして動かし方が悪くて坐骨神経痛になってしまったことも。
この8年の中で色んな知識を得た。殆ど全てがなるほどと思うこと。
もっと早く知っていたらと悔やむこともたくさんある。その最大の事は「そのリハビリ動作をする意味」かもしれない。
でもこれは人によって違うのかなぁ。自分の場合としての話。
昨日書いた同じ動作でも意識するのとしないのでは大きな違い。
例えば歩くという動作。(素人が書いているので正しくはないかも、文意だけご理解ください)
歩くためには必要な筋肉を付けないといけない。ただそれは莫大な筋肉なのだろう。歩く行為の直接的な脚の筋肉だけでなく、起き上がれなくてはいけないので脊柱起立筋も重要だと思う。それだけではないのだろう、首も支えないといけないし。
そういうことを考えながらリハビリのスケジュールは組まれるのだろう。まず最初に何をやるか、同時に何をやるか、そして次のステップとして何をやるか。
リハビリが始まった時にスケジュールをもらう。
でもその時に当の患者本人は完全な受け身。自分の身に起こったことが受け入れられない状態なのだ。
リハビリのスケジュールについては軽く説明を受ける。
確か何日毎かの達成目標のような感じだったか。そしてその中で実施する内容もあったか。
今のあなたの状態はこうですよ、まずこうするためにはこうしましょう。
でもそれを理解してリハビリをやり始める人って多いのだろうか。単に言われるままに身体を動かすだけの人も多いのだろう。それならまだマシ。もうやらないと駄々をこねている人も多く見た。
それは仕方ないのだろうか。意欲のある人・意欲のない人。そのくせ機能の回復を求めている。
仕事のプロジェクトに対するプレゼンで考えた時に。
まず目標、スケジュール。一番重要なのはそれを実施するための考え方なり詳細な実施項目。
これらを徹底的に共有することが重要だ。
リハビリという長い期間にわたるプロジェクト。これがただ実施しているだけになるのは何が欠如しているのだろう。
ただ自分もそうだったが受傷後のショックを和らげるセラピーがまず必要かもしれない。
今の自分はもう一度プロと一緒にプロジェクトを組みたい気分だ。
「中枢神経の損傷は概ね半年で症状の改善は見られなくなります」と言っていた奴に一泡食らわせたい。
様々な“改善”に向けたリハビリを自分なりにやってきたと思う。ただそれが結果的に良かったこともあれば遠回りしたこともあるのだろう。
やってしまったことはどうしようもない。頚髄を損傷したこともそうだし、もしかして動かし方が悪くて坐骨神経痛になってしまったことも。
この8年の中で色んな知識を得た。殆ど全てがなるほどと思うこと。
もっと早く知っていたらと悔やむこともたくさんある。その最大の事は「そのリハビリ動作をする意味」かもしれない。
でもこれは人によって違うのかなぁ。自分の場合としての話。
昨日書いた同じ動作でも意識するのとしないのでは大きな違い。
例えば歩くという動作。(素人が書いているので正しくはないかも、文意だけご理解ください)
歩くためには必要な筋肉を付けないといけない。ただそれは莫大な筋肉なのだろう。歩く行為の直接的な脚の筋肉だけでなく、起き上がれなくてはいけないので脊柱起立筋も重要だと思う。それだけではないのだろう、首も支えないといけないし。
そういうことを考えながらリハビリのスケジュールは組まれるのだろう。まず最初に何をやるか、同時に何をやるか、そして次のステップとして何をやるか。
リハビリが始まった時にスケジュールをもらう。
でもその時に当の患者本人は完全な受け身。自分の身に起こったことが受け入れられない状態なのだ。
リハビリのスケジュールについては軽く説明を受ける。
確か何日毎かの達成目標のような感じだったか。そしてその中で実施する内容もあったか。
今のあなたの状態はこうですよ、まずこうするためにはこうしましょう。
でもそれを理解してリハビリをやり始める人って多いのだろうか。単に言われるままに身体を動かすだけの人も多いのだろう。それならまだマシ。もうやらないと駄々をこねている人も多く見た。
それは仕方ないのだろうか。意欲のある人・意欲のない人。そのくせ機能の回復を求めている。
仕事のプロジェクトに対するプレゼンで考えた時に。
まず目標、スケジュール。一番重要なのはそれを実施するための考え方なり詳細な実施項目。
これらを徹底的に共有することが重要だ。
リハビリという長い期間にわたるプロジェクト。これがただ実施しているだけになるのは何が欠如しているのだろう。
ただ自分もそうだったが受傷後のショックを和らげるセラピーがまず必要かもしれない。
今の自分はもう一度プロと一緒にプロジェクトを組みたい気分だ。
「中枢神経の損傷は概ね半年で症状の改善は見られなくなります」と言っていた奴に一泡食らわせたい。
2022年10月03日
同じ動作でも
札幌・小樽へ遊びに行ってきた。29日に出発、戻ってきたのは10月1日、2泊3日の旅。
何か目的があるかといえば何もない。単にSNSで美味しそうなウニの投稿を見て食べたくなったのだ。
前に書いたようにLCCで成田から。ホテルはネットで。
一人での出発であるが、現地集合でSNSグループの人も集まった。2日間の旅を一緒に過ごした。
小樽在住の人に十分すぎるくらい案内してもらった。小樽は何度か行っているのだが、運河沿いや北一硝子など有名どころだけしか行ったことが無い。
今回は車で天狗山、市場や飲食店までセッティングしてもらった。
旅の楽しみは食だ。
たくさんの魚介を味わった。もちろんウニも。ウニは宿泊するホテル代くらいの価格だったが。
食だけではない。SNSグループが酒のグループなので、一緒に酒もかなり呑む。
とても楽しい旅だった。それとたくさん歩いた。
最後の日は坐骨神経痛が強く出た。久しぶりにお尻からモモ裏が痛くなった。ここしばらくは緩和していたのでこの状態が続いてくれると思っていたが、いつでも強くなる可能性はあるのだ。
日曜日はリフレッシュを兼ねてジムへ。
同じルーティンの筋トレをするがなぜか重く感じる。やはりリハビリで身体の機能を良くするという思いで動かすのと違うのだ。たぶん思い方で効果も違うのではないだろうか。
少し強くなった坐骨神経痛は戻ってきた日に長い睡眠を取ったら少しマシになった。やはり何も考えずに多く歩いたから悪化したのだろう。同じように距離を歩くにしても、1歩1歩リハビリだと思って歩いたらどうだっただろうか。
荷重や量の多少はあるにしても、それが身体のためにやっているのか身体を消耗させるためにやっているのか。同じ動作でも大きな違いだ。でも同じ動作、思い方次第なのだろうか。
今回の旅行、思い付きだが行動して良かった。
時間とちょっとしたおカネは何とかなるモノなのだ。ただきっかけだけだ。新たな旅を計画しよう。
何か目的があるかといえば何もない。単にSNSで美味しそうなウニの投稿を見て食べたくなったのだ。
前に書いたようにLCCで成田から。ホテルはネットで。
一人での出発であるが、現地集合でSNSグループの人も集まった。2日間の旅を一緒に過ごした。
小樽在住の人に十分すぎるくらい案内してもらった。小樽は何度か行っているのだが、運河沿いや北一硝子など有名どころだけしか行ったことが無い。
今回は車で天狗山、市場や飲食店までセッティングしてもらった。
旅の楽しみは食だ。
たくさんの魚介を味わった。もちろんウニも。ウニは宿泊するホテル代くらいの価格だったが。
食だけではない。SNSグループが酒のグループなので、一緒に酒もかなり呑む。
とても楽しい旅だった。それとたくさん歩いた。
最後の日は坐骨神経痛が強く出た。久しぶりにお尻からモモ裏が痛くなった。ここしばらくは緩和していたのでこの状態が続いてくれると思っていたが、いつでも強くなる可能性はあるのだ。
日曜日はリフレッシュを兼ねてジムへ。
同じルーティンの筋トレをするがなぜか重く感じる。やはりリハビリで身体の機能を良くするという思いで動かすのと違うのだ。たぶん思い方で効果も違うのではないだろうか。
少し強くなった坐骨神経痛は戻ってきた日に長い睡眠を取ったら少しマシになった。やはり何も考えずに多く歩いたから悪化したのだろう。同じように距離を歩くにしても、1歩1歩リハビリだと思って歩いたらどうだっただろうか。
荷重や量の多少はあるにしても、それが身体のためにやっているのか身体を消耗させるためにやっているのか。同じ動作でも大きな違いだ。でも同じ動作、思い方次第なのだろうか。
今回の旅行、思い付きだが行動して良かった。
時間とちょっとしたおカネは何とかなるモノなのだ。ただきっかけだけだ。新たな旅を計画しよう。
2022年09月27日
正しい知識で正しい動きを
中枢神経を損傷してから解った事がたくさんある。
いわゆる健康法と言われるモノでオーソドックスなモノはちゃんと理にかなって効果が期待できることなのだなと。
よくテレビでや本に紹介されることなどだ。それらは比較的簡単にできるように紹介されている。
あっ身体にいいのか!ということでみんなやってみる。でも続かない。何故か。それはその人たちが健康だから効果を実感できないのだろう。
健康法といわれること、それらは症状に紐づいて紹介される。
例えば「肩こり」という症状であれば、肩を回すといった簡単な紹介もあれば、もっと突っ込んで肩甲骨を開く運動と要因にまで言及した紹介もある。肉体的なことだけでなく自律神経の調整が重要と紹介することもある。これらは全部正しいことなのだ。
もちろん肩こりの原因なんて様々だ。もともとの原因を治さない限り一時しのぎなのだ。
でも、こういったことを知らない人がほとんどなのだ、自分もそうだった。だから対処療法に頼る。
食べ物で「塩分を摂りすぎると高血圧になりますよ」と言われればそれは気を付けることが出来る。
しかし「同じ姿勢をずっととっていると肩こりになりますよ」と言われても、気を付けるのはたまにだ。
それが生活なのだろう。食べるものは1日3回だから意識できても、その他の行動はもっと長い時間だ。
実際に酷くなってから何かに頼ろうとする。これも当たり前なのだ。
健康法と一口に言ってしまえないが、「食べる・身体を動かすこと」で毎日気をつけられることはそれほど多くは出来ない。
よほどこれをやったらダメだと思わない限りなのだろう。
そんなことを昨晩は酒を呑んで足首を回しながら思った。
足首を回すと血管が浮き出てくる。ふくらはぎが柔らかくなりポンプ活動開始だ。足首も柔らかくなる。血行だけでない足の着地で膝や腰も変わるのだ。
足首の重要性、こんなことは受傷してから何度も気づいているのだ。
ゴルフに行くと翌日ちゃんと歩けるとか。それは斜面を歩いて足首を使ったからだともう何年も前から書いている。
それでも足首を回してケアするという考えに至ってない。健常ではない、不自由でもっと改善したいと日々思っているのにだ。
それはある程度生活できているからだろうか。動かしにくいと言いながらも動けているからだろう。
でも動かしにくい状態で無理して動かすと思わぬ副作用が生じる。
坐骨神経痛がそうだったのだろう。
まずは小さな出来ている動きも、それが正しい動きなのか考える必要がある。
いわゆる健康法と言われるモノでオーソドックスなモノはちゃんと理にかなって効果が期待できることなのだなと。
よくテレビでや本に紹介されることなどだ。それらは比較的簡単にできるように紹介されている。
あっ身体にいいのか!ということでみんなやってみる。でも続かない。何故か。それはその人たちが健康だから効果を実感できないのだろう。
健康法といわれること、それらは症状に紐づいて紹介される。
例えば「肩こり」という症状であれば、肩を回すといった簡単な紹介もあれば、もっと突っ込んで肩甲骨を開く運動と要因にまで言及した紹介もある。肉体的なことだけでなく自律神経の調整が重要と紹介することもある。これらは全部正しいことなのだ。
もちろん肩こりの原因なんて様々だ。もともとの原因を治さない限り一時しのぎなのだ。
でも、こういったことを知らない人がほとんどなのだ、自分もそうだった。だから対処療法に頼る。
食べ物で「塩分を摂りすぎると高血圧になりますよ」と言われればそれは気を付けることが出来る。
しかし「同じ姿勢をずっととっていると肩こりになりますよ」と言われても、気を付けるのはたまにだ。
それが生活なのだろう。食べるものは1日3回だから意識できても、その他の行動はもっと長い時間だ。
実際に酷くなってから何かに頼ろうとする。これも当たり前なのだ。
健康法と一口に言ってしまえないが、「食べる・身体を動かすこと」で毎日気をつけられることはそれほど多くは出来ない。
よほどこれをやったらダメだと思わない限りなのだろう。
そんなことを昨晩は酒を呑んで足首を回しながら思った。
足首を回すと血管が浮き出てくる。ふくらはぎが柔らかくなりポンプ活動開始だ。足首も柔らかくなる。血行だけでない足の着地で膝や腰も変わるのだ。
足首の重要性、こんなことは受傷してから何度も気づいているのだ。
ゴルフに行くと翌日ちゃんと歩けるとか。それは斜面を歩いて足首を使ったからだともう何年も前から書いている。
それでも足首を回してケアするという考えに至ってない。健常ではない、不自由でもっと改善したいと日々思っているのにだ。
それはある程度生活できているからだろうか。動かしにくいと言いながらも動けているからだろう。
でも動かしにくい状態で無理して動かすと思わぬ副作用が生じる。
坐骨神経痛がそうだったのだろう。
まずは小さな出来ている動きも、それが正しい動きなのか考える必要がある。
2022年09月26日
鍼後のジム
シルバーウィークも終わった。3日休んで3日仕事の3日休み。これで9日間が過ぎて行ったのだ、カレンダーが進むのが早く感じるのは当然だ。
今週は29日から札幌と小樽に遊びに行く。先月位に思い立って行こうと決めた。どこでも良かったのだ、沖縄にしようかとか。だが寒くなる前の北海道に決めた。
だから今週も3日仕事をすれば4連休。戻ってくれば10月だ。
3連休といっても何も変わらない。
昨日の英会話で講師から連休は何か楽しんだ?と聞かれるが、いつもの通り居酒屋と鍼とジムとしか答えようがない。
しかし今回はゆっくりした感がある。結局は居酒屋Qに3日行った。ジムも2回行ったし。鍼の翌日にジムに行くのは何か月ぶりだろうか。
イメージは深層部に刺激が入ったからそこを動かすことでもっと活性化するのではないかというシロウト考えで鍼後にジムに行っていた。
今のAセンセイへ行き始めた時に、翌日に筋トレすると言ったら“もったいない”と言われた。ふつうに考えれば、整った身体を再び疲労させるということだ。
その頃はもっと能動的に身体の変化を求めていたのだろう。
それがいつの間にか日曜のジムは行かなくなった。間を空けて週中に行っった方がリフレッシュできると思ってのことだ。それによって日曜日はほとんど動かない日になった。
最近の鍼後は足裏の痺れが改善したり変化を感じる。そして日曜日に身体を動かさないことでその効果が持続していくような感覚がある。
そして水曜日辺りに筋トレとストレッチでまた身体が活性化する気がしている。
昨日は久しぶりの鍼後のジム。
そんなに無理をしない。気持ちの問題だが、1セット12回を10回に減らした。
今朝起きると腕や肩に軽い疼痛。これは筋肉痛が疼痛に変化しているのだろう。脚も筋トレをしたから多少の疲れがあるようだ。
やはり鍼後は身体を休める方が良いのかもしれない。
前と違ってほぼ身体の主要部には筋肉が付き、ある程度自分の思う通りに可動する。左腕と左肩だけなのだ、充分に可動していないのは。
身体の回復ということもあるが、自身の身体は日々老いているのだ、休めることの方が良いのかもしれない。
今週は29日から札幌と小樽に遊びに行く。先月位に思い立って行こうと決めた。どこでも良かったのだ、沖縄にしようかとか。だが寒くなる前の北海道に決めた。
だから今週も3日仕事をすれば4連休。戻ってくれば10月だ。
3連休といっても何も変わらない。
昨日の英会話で講師から連休は何か楽しんだ?と聞かれるが、いつもの通り居酒屋と鍼とジムとしか答えようがない。
しかし今回はゆっくりした感がある。結局は居酒屋Qに3日行った。ジムも2回行ったし。鍼の翌日にジムに行くのは何か月ぶりだろうか。
イメージは深層部に刺激が入ったからそこを動かすことでもっと活性化するのではないかというシロウト考えで鍼後にジムに行っていた。
今のAセンセイへ行き始めた時に、翌日に筋トレすると言ったら“もったいない”と言われた。ふつうに考えれば、整った身体を再び疲労させるということだ。
その頃はもっと能動的に身体の変化を求めていたのだろう。
それがいつの間にか日曜のジムは行かなくなった。間を空けて週中に行っった方がリフレッシュできると思ってのことだ。それによって日曜日はほとんど動かない日になった。
最近の鍼後は足裏の痺れが改善したり変化を感じる。そして日曜日に身体を動かさないことでその効果が持続していくような感覚がある。
そして水曜日辺りに筋トレとストレッチでまた身体が活性化する気がしている。
昨日は久しぶりの鍼後のジム。
そんなに無理をしない。気持ちの問題だが、1セット12回を10回に減らした。
今朝起きると腕や肩に軽い疼痛。これは筋肉痛が疼痛に変化しているのだろう。脚も筋トレをしたから多少の疲れがあるようだ。
やはり鍼後は身体を休める方が良いのかもしれない。
前と違ってほぼ身体の主要部には筋肉が付き、ある程度自分の思う通りに可動する。左腕と左肩だけなのだ、充分に可動していないのは。
身体の回復ということもあるが、自身の身体は日々老いているのだ、休めることの方が良いのかもしれない。
2022年09月22日
やっていない動作を探そう
今朝は4時半に目が覚めてトイレ。ここ数日はベッドから立ち上がって歩くのもスムーズだったのだが、立ち上がっても歩きづらい。
アラームが鳴る1時間後まで股関節のストレッチ。やはり股関節のストレッチが有効だ。
昨日は少し左脚に力が入りづらい感覚があったのだが原因はわからない。左脚もそうだが左腕も。それは何か神経的なことなのだろうか。
寝転んだまま左腕を回す。こんなに回らないものだったか。やはり限られた動きしかやっていないからか。
受傷してかなり真剣に身体と向き合ったのだが十分ではなかったのだなぁと思う。
頚髄を損傷するということがどういうことなのかすら解っていなかった。それがどうなるかの予後は人によっても違うから医者も告げようがないのも事実だろう。
調べるにも手が動かなかったということもある。動く右手でもスマホすら持てなかった。
まあ当時は調べても有用な情報を見極めることもできなかったのも事実だろう。
損傷した中枢神経は2度と元に戻りませんとか中枢神経損傷者は寿命が短いとかネガティブ情報ばかりが目に付いた。
動かない状態が何日も続くと動きたくなくなるのは精神的な事。動けなくなるのは肉体的な事。
1日に何回かはベッドのリクライニングを起こしましょうとか言われるが、そんな気分にもならなかったのだ。少しでも動かないとその機能が損なわれていくということを知らなかった。
リハビリを始めても動かすことが目的になってしまう。自分としても歩くことが目標だった。
骨折は時間が経てばくっついて元通りになる。それでも動かなかった期間の肉体ダメージの回復のためにリハビリは必要だ。
中枢神経の損傷はそれとは違う。動かなかった期間の肉体ダメージだけではないのだ。身体を動かす命令を末端の筋肉に伝えるということからやらないといけないのだ。
しかもそれは一度修復できたからといって継続するものではないような気がする。
もう8年近くが経とうとしている。自分が今できるのは動かしづらい動きをスムーズにすることだ。
左肩を回すことって受傷後にあったろうか。受傷前もそれほどなかった。
でも受傷前だとそれは簡単にできる。しかし受傷後やろうとするとスムーズに回らない。これは動かなかった期間のダメージだけの理由ではないのだろう。こういう動作がたくさんある。
必要な動作を最優先するのは当たり前だが、他の動作に目を向けると何か変化がおきるように感じる。
アラームが鳴る1時間後まで股関節のストレッチ。やはり股関節のストレッチが有効だ。
昨日は少し左脚に力が入りづらい感覚があったのだが原因はわからない。左脚もそうだが左腕も。それは何か神経的なことなのだろうか。
寝転んだまま左腕を回す。こんなに回らないものだったか。やはり限られた動きしかやっていないからか。
受傷してかなり真剣に身体と向き合ったのだが十分ではなかったのだなぁと思う。
頚髄を損傷するということがどういうことなのかすら解っていなかった。それがどうなるかの予後は人によっても違うから医者も告げようがないのも事実だろう。
調べるにも手が動かなかったということもある。動く右手でもスマホすら持てなかった。
まあ当時は調べても有用な情報を見極めることもできなかったのも事実だろう。
損傷した中枢神経は2度と元に戻りませんとか中枢神経損傷者は寿命が短いとかネガティブ情報ばかりが目に付いた。
動かない状態が何日も続くと動きたくなくなるのは精神的な事。動けなくなるのは肉体的な事。
1日に何回かはベッドのリクライニングを起こしましょうとか言われるが、そんな気分にもならなかったのだ。少しでも動かないとその機能が損なわれていくということを知らなかった。
リハビリを始めても動かすことが目的になってしまう。自分としても歩くことが目標だった。
骨折は時間が経てばくっついて元通りになる。それでも動かなかった期間の肉体ダメージの回復のためにリハビリは必要だ。
中枢神経の損傷はそれとは違う。動かなかった期間の肉体ダメージだけではないのだ。身体を動かす命令を末端の筋肉に伝えるということからやらないといけないのだ。
しかもそれは一度修復できたからといって継続するものではないような気がする。
もう8年近くが経とうとしている。自分が今できるのは動かしづらい動きをスムーズにすることだ。
左肩を回すことって受傷後にあったろうか。受傷前もそれほどなかった。
でも受傷前だとそれは簡単にできる。しかし受傷後やろうとするとスムーズに回らない。これは動かなかった期間のダメージだけの理由ではないのだろう。こういう動作がたくさんある。
必要な動作を最優先するのは当たり前だが、他の動作に目を向けると何か変化がおきるように感じる。
2022年09月21日
内側着地
昨日は洋食屋でワイン1本。なかなか胃も肝臓も元気だ。
クールビズの期間は白のジーンズにシャツ。それに合わせてあまり履いていなかったNBのランニングシューズをずっと履いている。
それまではずっとアディダスのペッタンコの靴だった。踵のあるジョギングシューズは普通でいえば前に傾くのかと思うが、それはちゃんと足首が調整するのだろう。
靴を変えたのはたぶんGW明けからだと思う。それを書いているかと思って過去記事をザっと見たが書いていないようだ。しかし“ペッタン”について書いている。
ペッタン、左足が早く地面に着こうとするのか・それとも扁平足で着いているのか。ペッタンという感じで地面に着く。音がするくらいだ。
不自由な人を揶揄うのはタブーなのに、退院後T君にペッタンと呼ばれたことを思い出す。悪気はないのだ、他が不自由に見えないくらい元気になっているからそこを言うのだ。
「ペッタンを解明」https://fanblogs.jp/shigenon/archive/1022/0?1663636238
とても読みにくい文章だ。自分が改めて理解するにも2回読み返した。独りよがりの文章そのものだ、これを公開しているのを申し訳なく思う。
自分で言うのも変だがけっこういい所に気づいているのだ、素人の割には。ただ難点はそれを忘れてしまうことだ。この記事を読むと、すでにその時に右足首の硬さに気づいているのだ。それを何とかしなければいけないというステップに行っていないのが残念。
その後は甲に少しでも触るとビリビリだった。それが足首がガチガチだったことが原因なのだ。
昨日書いた「やはり」
実は2週間くらい前から右の踵に違和感がある。靴の踵の外側が何か浮いているような感覚。右足は痺れているので微細な感覚はない。靴のソールの踵の外側に何かゴミでも入ったか。もしくは靴の踵を踏んでしまってフィット感が損なわれたか。
これはNBのウォーキングシューズの話。気になりながらも放置していた。
昨日、雨なのでGW前まで履いていたアディダスのペッタンコの靴。これを履いても同じ感覚なのだ。
タバコロードを何回か歩いて確信したのは足の着地が内側になっている。
足の着き方が変わったのだ。
何故だろう。
鍼のAセンセイから聞いているバレィダンサーへの施術。足の着き方を変えるために鍼を打つと。
実際のところその話は昔から聞いていたが、鍼で変わるのかという疑問しかなかった。鍼でそんなことが出来る訳ないと。ただ骨格の調整については少しは効果あるのかなくらいの認識。
それが変わったのは自分のふくらはぎの外に出ている筋肉が変わったこと。これが骨格の調整、しかもボキボキでなく鍼でできるのかという驚き。
この2か月ほどセンセイは自分に言っていたのだ、足が外荷重になっていると。内荷重にする施術をしてくれていたのは間違いないのだ。
いや、それはないだろうと否定する自分もいる。そこまで鍼の効力があるのだろうか。
もう一つ考えられること。それは股関節。
股関節のストレッチによって腰が変わったのか。それによって歩く姿勢が変わり着地する足の角度なりが変わったのか。ちょうど股関節を意識し始めた頃なのだ、これがかなり濃厚な線だ。
股関節&歩行で検索すると色々出てくる。
足の荷重で検索していると一般社団法人mysole協会というHPに出会った。PTさんがコラムを書いているが何となくも理解できない、誰か紐解いて教えて欲しい。
今日は違う靴。パトリックのランナー。やはり右足は内側から着く。
靴下がずれる。ということは踵の内側からドンっと地面についているのだろうか。
まあ内側荷重にはなったが、この状態が良いのか悪いのか。踵で着いて足裏全体で地面を舐めて親指側で地面を蹴るのが正しかったはずだ。
もう一度1歩1歩を意識して正しい歩き方をやってみよう。
少なからず今は坐骨神経の大きな痛みは出ていないからこの状態はヨシと考えていいのだろうか。
クールビズの期間は白のジーンズにシャツ。それに合わせてあまり履いていなかったNBのランニングシューズをずっと履いている。
それまではずっとアディダスのペッタンコの靴だった。踵のあるジョギングシューズは普通でいえば前に傾くのかと思うが、それはちゃんと足首が調整するのだろう。
靴を変えたのはたぶんGW明けからだと思う。それを書いているかと思って過去記事をザっと見たが書いていないようだ。しかし“ペッタン”について書いている。
ペッタン、左足が早く地面に着こうとするのか・それとも扁平足で着いているのか。ペッタンという感じで地面に着く。音がするくらいだ。
不自由な人を揶揄うのはタブーなのに、退院後T君にペッタンと呼ばれたことを思い出す。悪気はないのだ、他が不自由に見えないくらい元気になっているからそこを言うのだ。
「ペッタンを解明」https://fanblogs.jp/shigenon/archive/1022/0?1663636238
とても読みにくい文章だ。自分が改めて理解するにも2回読み返した。独りよがりの文章そのものだ、これを公開しているのを申し訳なく思う。
自分で言うのも変だがけっこういい所に気づいているのだ、素人の割には。ただ難点はそれを忘れてしまうことだ。この記事を読むと、すでにその時に右足首の硬さに気づいているのだ。それを何とかしなければいけないというステップに行っていないのが残念。
その後は甲に少しでも触るとビリビリだった。それが足首がガチガチだったことが原因なのだ。
昨日書いた「やはり」
実は2週間くらい前から右の踵に違和感がある。靴の踵の外側が何か浮いているような感覚。右足は痺れているので微細な感覚はない。靴のソールの踵の外側に何かゴミでも入ったか。もしくは靴の踵を踏んでしまってフィット感が損なわれたか。
これはNBのウォーキングシューズの話。気になりながらも放置していた。
昨日、雨なのでGW前まで履いていたアディダスのペッタンコの靴。これを履いても同じ感覚なのだ。
タバコロードを何回か歩いて確信したのは足の着地が内側になっている。
足の着き方が変わったのだ。
何故だろう。
鍼のAセンセイから聞いているバレィダンサーへの施術。足の着き方を変えるために鍼を打つと。
実際のところその話は昔から聞いていたが、鍼で変わるのかという疑問しかなかった。鍼でそんなことが出来る訳ないと。ただ骨格の調整については少しは効果あるのかなくらいの認識。
それが変わったのは自分のふくらはぎの外に出ている筋肉が変わったこと。これが骨格の調整、しかもボキボキでなく鍼でできるのかという驚き。
この2か月ほどセンセイは自分に言っていたのだ、足が外荷重になっていると。内荷重にする施術をしてくれていたのは間違いないのだ。
いや、それはないだろうと否定する自分もいる。そこまで鍼の効力があるのだろうか。
もう一つ考えられること。それは股関節。
股関節のストレッチによって腰が変わったのか。それによって歩く姿勢が変わり着地する足の角度なりが変わったのか。ちょうど股関節を意識し始めた頃なのだ、これがかなり濃厚な線だ。
股関節&歩行で検索すると色々出てくる。
足の荷重で検索していると一般社団法人mysole協会というHPに出会った。PTさんがコラムを書いているが何となくも理解できない、誰か紐解いて教えて欲しい。
今日は違う靴。パトリックのランナー。やはり右足は内側から着く。
靴下がずれる。ということは踵の内側からドンっと地面についているのだろうか。
まあ内側荷重にはなったが、この状態が良いのか悪いのか。踵で着いて足裏全体で地面を舐めて親指側で地面を蹴るのが正しかったはずだ。
もう一度1歩1歩を意識して正しい歩き方をやってみよう。
少なからず今は坐骨神経の大きな痛みは出ていないからこの状態はヨシと考えていいのだろうか。