自分はけっこう現実的だと思う。
信憑性のないことは信じないし、物事の理屈を知りたい方だ。
神がかりなことは無いとはいえないだろうが信じることはなかった。それを変える出来事がもう15年ほど前になるか。
受傷前の自分は左首がずっと張っていた。筋硬結の状態。今だと自分で自分を改善できるが、当時は揉んでもらいたくて仕方なかった。
家の近くの整骨院。ずっと行っていた居酒屋Sのマスターがあそこはいいよと言うので行き始めた。
施術する人は4人いてよく居酒屋Sにも来ていて仲良くなっていた。
選べはしないのだが、誰が上手だとかSマスターとはよく話題にしていた。
その中で一人、名前は忘れてしまったので仮にAさんとしよう。そのAさんは一番人気だった。Sマスターが言うには、力は強くないんだけどなんか調子が良くなると。
ある日、たまたまAさんの施術になった。
裸足になって足をお腹に押し当ててくださいという。うつ伏せで足を折り曲げて足裏はAさんの肋骨辺りか。その姿勢でどう施術を受けたのかは覚えていない。ただ覚えているのは足の裏がカイロで温めたように熱くなったことだ。ポカポカする。人の肌の温度以上なのだ。
いったい何だったのだろう。その話を後日Sマスターにすると同じ体験をしていた。
それから一度もAさんの施術を受けることなくAさんは辞めた。横浜の方で開業したという噂を聞いた。
実際に熱くなったのではないのだろう。熱く感じたのだろう。
マジックではないのだ。でもその時に感じたのが念というか気というか、治してあげようという気迫のようなものをAさんから感じた。
一昨日書いた同じ動きをしても違うということで、ふいにAさんのことを思い出した。
物理的に同じ運動なのだ。例えば2キロのダンベルを動かすことによる肉体への負荷や影響は。でも何かを意図して動かすと違うのだ。それも念や気に近いものなのだろうか。
昨日は久しぶりに1歩1歩を考えながら歩いた。そうなのだ、少なくとも7年以上そうやってきたのだ。何かを思って・・・それは念や気に近い思いでやれば叶うこともあると信じる。
2022年10月05日
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