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2017年11月06日

会津の花火

金曜もいつものパターンでT君達と飲んで、最終バーを出たのが0時半。3日は会津の花火に一緒に行く。花火行きに合わしてではないが、2日にアルファードが納車された。買ったのはT君。

3日は10時頃出発。東京からは6人が1台に乗って出発。
会津の花火は開催されて2年目。空気の澄んだ11月、田んぼの中から打ち上げる。これまで見たどの花火よりも印象的だった。今年はVIP席をT君が用意してくれていた。現地でT君のお客さんたちと合流する。

宿泊は東山温泉。源泉かけ流し。源泉の温度は57度らしい。温泉の湯質には結構わかる方で、ここの湯は僕には合っている。
3連休ともあって渋滞もあり、旅館には15時過ぎに到着。それから会場へ向かった。

クーラーボックスを用意し、ビールやハイボールが冷えている。熱燗も必要だろうと旅館でワンカップを湯煎し、保温ケースに用意。T君の後輩たちはこういう段取りに慣れている。
去年は出店の酒や食べ物が品切れだった。今年は酒も食料も豊富に用意。

会津の花火は多くのボランティアで成り立っているように思った。受付は子供がやってくれた。ただ、足元を照らすミニ懐中電灯が一時的に品切れで貰えなく、真っ暗な中で席を探さなければいけなかった。
そのためオープニングは席を探しながら見た。

気温は13度位。寒くなるのが怖くて厚着をしてきたが、日本酒を飲んだら暑かった。
花火は「煙火師の競演」という名の通り、素晴らしかった。昨年もそうだが、特に歌に合わせて花火が上がるのが素晴らしい。耳と目から感動を受けることができる。

打ち上げ本数はそれほど多くない。内容が充実している。
会場から帰って食事。東山温泉「大瀧」は懐石料理の他に郷土料理のビュッフェもある。美味しくいただき2次会のカラオケボックス。カラオケは0時までで終了。そのあとは、ゆっくり温泉に浸かった。

翌日はゆっくり。9時の朝食までにも風呂。10時半頃に旅館を出発した。
東京には15時過ぎに到着。それからジムで筋トレをした。

好きなことをしていたら、痛みや痺れも我慢できる。勝手だが。好きなことができる状態に感謝しなければいけない。それと共に「もっと回復させる」努力をしなければ!
posted by shigenon at 09:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 頚髄損傷

2017年11月02日

リカコ

昨日はさすがに家に真っ直ぐに帰ろうと定時チンで会社を出た。社員旅行で寄った群上で買った「明宝ハム」をつまみに缶ビールくらいかな。ちょっと考えたのが“最近居酒屋Yに行っていないなぁ”

駅に着いてエスカレーターに向かおうとすると前にいた。「リカコ!」
彼女はすっとぼけた顔で「あぁ」と。

リカコは一昨日も行った居酒屋Gのアルバイト。Gになる前の店から働いている。
短大生だ。島根出身。なかなかかわいらしい顔をしている。いまどきというより、僕らの時代のかわいいアイドル顔だ。T君からは「すっとぼけ顔」「いつもポヤーンとして」とか愛情を持って攻められている。

ちょうど一昨日、店でまかないがあるかどうかの話をして、無いと聞いていた。同じ駅なのは知っていたが駅では初めて会った。
「リカコ、飯食いに行くか?」「うん!」
居酒屋Yで決まりだ。彼女とはここへは2回目だ。前にアルバイトの店に一人で来て食べていた。
アルバイト先にお金を払って飲食に来るということ自体、なかなか普通じゃない。変わっている。
自分が運んでいる料理で食べたいモノがあったという。その後、まだ腹が減っているというのでYに連れて行ってやったことがある。若い女の子を連れて馴染みの店に顔を出すのはちょっとした自慢だ。

Yでは鍋や色んな肴を食べた。テレビは日本シリーズ。YのマスターはDNAファンだ。
リカコは野球を理解していない。「ソフトバンクがあるのに、なんでauとかドコモはないの?」と聞く。
世間も理解していない。
来年卒業なのに就職が決まっていない。就職活動は人並みの時期に始めたが、決まらなくてしばらく休んでいたという。もっと焦らないといけない。マイペース過ぎる。

彼女に対して全く・100%弱下心はない。両親の年齢は僕より下だ。彼女の出身地は広島時代によく行った場所だ。関わっている以上、なんとか社会人としてしっかりした人間になるよう応援してやりたい。
posted by shigenon at 09:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 頚髄損傷

2017年11月01日

脚の感覚

昨日はさすがにゆっくり家で過ごそうと帰って洗濯機を回した。さあ、一回寝るかと思った時にT君から電話。「Gにいますよ」。
酒席を誘われて断ることはまず無い。着替えてタクシーに乗った。

「居酒屋G」は全国チェーン店のFCをしていたが、今年からFCを抜けた。前の名前は使えないし、オーナーもすぐに店を再開してはいけないルールがあるらしく、オーナーの知り合いが店を運営している。
話しやすい人だ。また、バイトが3人いるが、それぞれ前の店からの付き合いなので色んな話もする。

2日連続で湯豆腐、サンマを食べながらハイボール。サンマはだいぶ大ぶりになってきた。
薬は飲んだが、痺れはキツイ状態。アルコールが助けてくれるだろう。食べ終わってバーへ。結局22時に帰宅。忘れずに洗濯を干してシャワーして寝た。

脚は右半分の腰から下が痺れている。不思議だが、丁度身体の真ん中で分かれている。
左は足先に少し痺れがあるが気にならない程度。ただ麻痺があるのだろう、脚全体が上がりにくい。

けっこう強い痺れだ。熱を持ったような感覚が太ももから足先まである。歩くという行為を今まで知っているから足を前へ出して歩けるのだろう。地面に着く感覚はあまりない。足の底は“ゴロゴロ”した小石を踏んでいるような感覚がある。
左足はスリッパを履いているとすぐに脱げそうになる。うまく足首が動いていないのか。

筋トレでかなりの筋肉がついた。大腿二頭筋・四頭筋・下腿三頭筋など。受傷前は脚の筋トレはしていなかった。ステップマシンを踏む程度だ。
その筋肉のおかげで、よろめいた時にしっかり踏ん張れることができる。

これに加えて坐骨神経痛。お尻だけでなく太ももの筋肉が張っている。歩けるんだから文句は言えない。
いかに良くできるかを考えるだけ。今週の鍼治療はよく効いている。

今朝はファンヒーターを入れた。今日明日で3連休だ。3日は会津の花火大会にT君たちと行く。
posted by shigenon at 11:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 頚髄損傷

2017年10月31日

薬の飲み忘れ

昨日は半休を取って、ジム・鍼といつもの土曜日コース。坐骨神経痛が酷くなっていたのだが、丁寧な治療で随分マシになった。
治療中にT君から電話。「Gにいますよ」と。土曜に「月曜は半休」と言っていたから、飲みの相手に電話をしてきたようだ。

鍼治療で体調は万全。結局帰ったら0時になっていた。

今日、薬を飲み忘れた。昨晩遅かったので、朝の準備にもたついて。痛風の薬と「リリカ」。「リリカ」は25mg2錠を一日2回。毎食後25mg1錠飲んでいたら飲み方が違うと健康診断の医者に指摘され、通っている医者に言ったらこうなった。
1日25mg増えたわけだが、それだけで(飲み方もあるのか?)疼痛がマシになった。

鍼の日は薬を飲まない。飲まなくても治療をしているからと思っているのだが。でもこれは間違いで、いつも飲む薬は血中の薬の成分濃度を維持しないといけない。

昨日も飲まず、今朝飲み忘れ、午後分を用意する(ワイシャツのポケットに入れる)のも忘れた。
どんな状態かというと・・・。非常に手が痺れている。我慢も限界に近づいた。
決して「リリカ」が効果あるという宣伝ではない。でも、飲むべき薬はちゃんと飲まないとこうなるのか。

今から外出。その前に家に立ち寄り薬を飲むか。
posted by shigenon at 13:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 頚髄損傷

2017年10月30日

手の感覚

昨日は一歩も外出せずに過ごした。おかげで「陸王」の再放送を見たので、これからも続けて見よう。モノづくりに対する情熱話は大好きだ。

寒くなってきたからか、起きた瞬間の身体は痛みと痺れがキツイ。去年のこの時期はまだヒートテックは着ていなかったと思うのだが、今年は急に寒くなった2週前からは着ている。

朝は出るまでに一時間かける。色んな準備に時間がかかるようになった。朝食を取るときもあったが、今の朝の準備のスピードでは無理か。

退院した時はボタンダウンが着た状態でボタンを閉められなかった。切る前にネクタイを通してボタンを閉めてからシャツを着ていた。
あと難関は右袖のボタンだ。左人差し指が上手く動かないので、クリーニング上がりの固まったボタンホールをこじ開けられない。

会社は9末でクールビズが終わった。10月からはネクタイ。10月からシャツを着てから絞めてボタンを止めるようにしている。ネクタイを絞めるのは問題ない。ボタンは少し時間がかかる。ボタンダウンのボタンは小さいから。

受傷から2年10ヶ月、症状は変わらないが、なんとか日々成長している。
手の痺れも慣れてきた。受傷後のモノを持つ感覚は勘と経験だ。熱さや固さなどは目での視認が必要。受傷後、初めて持った紙コップは潰してしまったことを忘れてはいけない。ラーメン屋ではラーメンは目の前に置いてもらわないといけない。熱燗はおしぼりで巻く。

今日は午後から半休。ジム行って、昨日できなかった扇風機の片づけ、灯油の買い出し。たくさん動いて鍼で癒されよう。その前に出張続きで事務作業がたまっている、仕事をすばやくこなそう。

posted by shigenon at 07:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 頚髄損傷

2017年10月26日

帰りの車中にて@

有意義な旅だった。
広島に着いて驚いたのは駅周辺の変化。住んでいた頃は北口すぐにオフィスがあったが、寂しい北口が生まれ変わっていた。

レンタカーを借りて、まず昼飯。「陽気」という昔からのラーメン屋がある。本店は夕方からの営業なので行ったことがなかった。
調べると分店がいつのまにかできていた。
おいしく頂いた。

そのまま昔住んでいた舟入町へ。もう店は無くなったのだが「どんばら」というカウンターだけの飲み屋が裏通りにあった。どんばらとは、お腹が一杯になって膨れた様子を言うと昔マスターに聞いた。4,5年前に訪ねたら店は無くなっていた。

その店で週2位お会いしていたのがIさん。Iさんは魚屋だ。どんばらは自分が行く店なので、一番いい魚を入れていた。Iさんは自分が納めた魚をダブルと言って2人前頼んでいた。Iさんが注文する刺身がその日のオススメだ。

どんばらが無くなってもiさんの店は知っていた。これまで広島に行く度に店の前で様子を伺うが不在だった。
ラーメンを食べた後、Iさんの店の前に車を止めた。中でテレビを見ているIさんがいた!

「こんにちは」Iさんが出て来た。「Iさん、覚えとってですか?」広島弁が自然にでる。
各地に住んでいた僕は、その地域に入れば自然に当地の言葉になる。自動変換だ。
大柄でスポーツマンだったIさんも少し太って老けていた。それはこちらも同じ。

「おぉ〜、おぉ〜、うん、うん、久しぶりじゃのぅ」すぐに思い出してくれた。
当時テニスを毎週していたが、やめてから糖尿になったとか、我々の世代によくある世間話をした。どんばらは土地の問題で立ち退きになったとのこと。マスターも元気で、時々魚を買いに来るらしい。
「一杯呑みたいのぉ」とも言って頂いた。
今は糖質オフしか飲まないそうだ。

Iさんとはまた会えるだろう。行って良かった。さあ、次は得意先だったF社の社長だ。
これまで広島に行く度に顔を出している。
電話をしたらいるとのこと。

F社長は、多分息子に社長を譲っているのだろうが、僕は社長と呼んでしまう。小さな会社だが。この前に会ったのは受傷前、広島にいる頃はよく一緒にゴルフをした。
会えばゴルフの話だった。年を重ねてもドライバーを飛ばしたくて仕方ない人だ。

会ってゴルフ話。「全然ドライバーが飛ばんのじゃ」まだ飛ばしたいのか!
聞けば80歳を越えたとのこと。全然思わなかった、それだけ時間は過ぎていたんだ。
今は飛ぶクラブがいっぱい出てるし、ドライバー替えたら?と言うと、「あと何回ゴルフできるかわからんでのぅ」

会社を後にした。また会えるだろうか、いや、会いにこよう。
さあ、山口まで運転だ。焼き鳥屋のマスターが待っている。
posted by shigenon at 10:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 頚髄損傷

2017年10月23日

即身仏

新潟は2泊3日でハードに仕事を進めた。夜の魚と酒も楽しみの一つ。おいしく飲み食いもした。
残念なのが同行している部下が梅酒一杯程度しか飲めないこと。無理に飲ますことはしないので、案外短い夜だった。
酒と魚も大好きなのだが、もう一つの好物はラーメン。行けば必ず食べるのが「杭州飯店」のラーメン。
背油チャッチャッで一見油っぽいのだが、油の甘味とスープの濃さと太麺が合っている。

金曜日の午前に仕事の予定が終わり、帰るにも早いので以前から行きたかった「西生寺」へ。
ここは最古の「即身仏」が祭ってあり、拝観できる。
3年ほど前か、受傷する前に当時のこの地域担当者と一緒に行ったことがある。その時は残念ながら拝観時間が過ぎていて拝観できなかった。

その時行きたかったのはテレビで即身仏の話を見たからだ。土中にこもり、体内が腐らずにミイラになれるよう木の皮とかを少しずつ食べて、最後に・・死ぬ直前に自ら鈴を鳴らして地表にいる僧侶に知らせるといった内容だったと思う。

壮絶な行だ。自分には絶対できないことだ。
それで一度見に行きたくて「即身仏」で調べたら、山形県に多いものの、新潟の仕事先から30分位のお寺にもあることが判った次第。

結構山の上のお寺で、近くの展望台からは日本海の海岸線の眺望もすばらしい。

新潟から戻って、いつもの金曜日・土曜日。飲みとリハビリと鍼。
前回、気圧による痺れや痛みは誤差範囲と強がりを書いたが、台風は少しキツイ。
今週は明日から山口と広島。広島は10年近く過ごした街だ。仕事もあるのだが、山口でずっと行っていた焼き鳥屋にいくつもりだ。

縁起でもないことかも知れないが、今年になって大事な友人を二人無くした。何かのきっかけが無ければ行けない遠方の人には会っておきたいと思うようになった。
posted by shigenon at 13:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 頚髄損傷

2017年10月18日

休肝日の後

案の定、金曜日は飲み過ぎた。というか、いつもと変わらない酒量なのに酔っ払った。最後のバーでは、スマホを落として拾おうとしてスツールから落ちて左ケツを強打した。未だに痛い。

右ケツは坐骨神経痛、左は打撲、二日酔いで筋トレ。ジムで長い風呂に入って買い物をしていると知り合いに会ったが、その後行った通夜で酒臭かったと言われた。鍼の先生には申し訳なかったかな。

鍼に行って坐骨神経痛対策でケツからハムストリングスにかけて多くの鍼をうってもらった。その後は右腰に強めのEMS。今日現在治ってはいないが、ずいぶんマシだ。暫くはこの治療法をお願いしよう。

通夜、その後の偲ぶ飲み会、翌日の告別式、焼き場まで行って戻って飲んで・・・。
僕が死んでも山ピーは同じことをしただろう。
月曜日に朝から打ち合わせのため、出張者が前泊で来た。酒呑みだ。そいつに付き合って飲んで、最後はバーで一時半。

月曜日は寒くて雨だった。寒さは神経障害者には天敵だ。ヒートテックを引っ張りだした。午後から外出したが、外にいた時間が長く、帰りのバスで頭痛と吐き気に悩まされた。帰ってすぐベッドに入ったが悪寒かする。

寝られないので、熱めの風呂に入った。すると、それまでの体調の悪さが嘘のように消えた。「冷え」だったのか?解らないが何とか復調した。この日はさすがに飲めなかった。

昨日は楽しみにしていた、仕事で知り合った方々との飲み会。築地界隈で23時まで楽しく飲んだ。某大手ビールメーカーの関係者たちなので、飲むのはビール。こんなにビールばかり飲んだのは数十年ぶりだ。

今、新潟に向かう新幹線で書いている。今日から二泊。梅酒一杯が限界の部下と一緒なので飲み過ぎる心配はないだろう。昨日、散々飲んで朝から日本酒を想う自分、酒のリハビリだけは進化したようだ。

身体の話。やはり低気圧は影響する。最初は気にしていたが、最近は天気図も見ない。手の痺れと、脚の動きに影響があるが、自分の中で不自由さの誤差範囲と思うようにした。
ただ、冷えには注意と改めて思った。

posted by shigenon at 09:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 頚髄損傷

2017年10月10日

盛大なコンペとドローン

10月8日・9日は福島で60名の盛大なコンペだった。T君の会社主催で、海の見えるゴルフ場で。
東京からは5時に仕立てたバスで出発。このバス会社はT君がバーベキューなどで昔から使っている会社で、運転手も馴染みの人。その運転手さんもコンペに参加させるのはT君らしい。
その運転手さんと3年前に一緒に回ったのだが、カートでバックした時に木にぶつけてカートをひん曲げたことがある。1年1回しか会わないが、会うたびに突っ込むネタになっている。

優勝賞金は10万円。準優勝が5万円、3位が3万円。全員に会費充当分以上の景品が当たる。参加する会社や個人から多くの協賛をして貰っているからできるイベントだ。
僕も1万円を自分の名前の賞として協賛した。

ゴルフにミスはつきものだが、「OB」「池ポチャ」「ショート1オン逃し」「4パット」にはそれぞれ200円の罰金を科している。上限は2000円。
この罰金を「福島で震災にあった子供たちがハタチになるまで支援する基金」に寄付している。
だいたい、7万円前後の寄付をさせていただいている。

このコンペも5回目になる。1回目からパーティの司会(成績発表など)を僕が受け持っている。
60名の景品と名前を読み上げるだけでも、相当な体力を使う。
また、60個の景品を渡すのも大変だ。5回目ともなれば景品の受け渡しも事前準備よくスムーズに行えた。

ちなみに僕は12位だった。景品は「キッチンジローのハンバーグ10個セット」。景品の荷物が大変なので、昨年からギフトを多く順位に入れている。ただ、それだけでは味気ないので、電化製品など10個程度は事前に景品として買っている。

毎年、自分が欲しくて景品として買っているモノがある。「ドローン」だ。一昨年も昨年も3個買ったのだが当たらなかった。今年は大き目のドローンを18位に入れていた。
ゴルフコンペで景品を貰って帰り、それを子供にあげるというイメージがなんとも微笑ましいではないか。自分の場合は家に帰っても誰もいないが、送る子供はいる。
もう6年生になり、ラインで繋がったものの、「誕生日プレゼントは何が欲しいですか」の回答は「おもしろい本が欲しい」という内容。

これまで別れた2歳からずっと考えてプレゼントを誕生日とクリスマスに送ってきた。ドローンの小さいのも確か3年生くらいに送ったか。自分がその年と仮定し欲しいモノを想像して送るのだが、彼にとって父親は顔も知らない人。父親を感じて欲しいなんて甘い話だ。多分、クリスマス前に聞いても「本」のような気がする。僕も本が大好きだった。でも、子供らしいおもちゃも送りたい。・・・今はゲームかな。今回の大きなドローンは絶対欲しかった。幹事特権で自分に当てるようにもできたが。

18位のドローンは、今年初めて参加したよく行くバーのマスター。帰りのバスの中で、快く交換に応じてくれた。感謝。昨日、2次会はホテルのカラオケボックスを2室押さえていたのだが、1室で50‘s会(年齢が)を結成し70年代〜80年代前半の曲を歌いまくった仲だ。

2日目も20人くらいはゴルフをしたが、僕は温泉にゆっくり入りマッサージ。
帰りは少しの渋滞。酒は浴びるほど用意してある。みんなかなり飲んで帰った。東京には20時半に到着した。洗濯して速攻で就寝。坐骨神経痛が悪化したもよう。
posted by shigenon at 12:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 頚髄損傷

2017年10月06日

呼吸困難

頸髄損傷は様々な症状が出る。急性期に起こる症状、慢性期から固定化する症状。
今週の札幌出張で完全に風邪をひいてしまった。札幌から帰った日、T君の主催コンペの打ち合わせもあり近くの焼き鳥屋に集まったのだが、ずっと入口を開けっ放しの店だった。焼き鳥の匂いや空き状況を外から見えるようにしたい店なのか。入口の横の座敷だったので、寒くてどうしようもなかった。
あまり来ない店なので、店には店のルールがあるだろうから黙っていた。
どうも、最初寒いのは僕だけだったが、そのうち皆が寒くなり“入口は半分閉められた”
そのせいで顔と首が冷たくなった。悪寒も激しくなった。
23時近くなったので先に帰った。ふつうの寝る時間を過ぎている。

昨日もコンペの順位別景品や各賞のパネル作成などで集まって、その後はちゃんこ屋へ。
昨日は風邪薬を飲んでいたので眠くて仕方なかった。昨日も22時半に先に帰った。

ここで冒頭の頸髄損傷による諸症状になるのだが、頸髄損傷になると「呼吸筋」の働きが悪くなる。
これは急性期が終わり、手が動くようになってから入院中にスマホで学習した。
入院した時に軽い風邪になった。すると、咳が出にくい。イメージで言うと、口にストローをくわえているとして、1センチくらいのストローが急に5センチに大きくなった感じ。ストローの径が小さければ、息を吐いている感はあるが、太くなると息を吐くというより漏れている感じ。
そのため、痰が切れにくい。

入院中は看護師さんに痰の吸引を頼んだことが何度かある。
退院後、咳が酷い風邪をひかなかったのだが、今回は咳が出る。肺から口までが太いパイプになったようで、“気持ちの良い咳”にならない。痰も切れにくい。
こういった症状は急性期だけで治ったものだと思っていた。そうではないようだ。
ネットで調べることができる時代、情報を得ることが上手な人はそれで良いが・・。
退院後も起きうる症状やリスクについて、医師がどこまで説明できるか、が大事だと思うのだが。
posted by shigenon at 09:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 頚髄損傷
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2014年クリスマスイブのプレゼントは最悪でした。 「頸髄損傷」というケガなのか病気なのか・・その症状との戦いの記録と現在の日々をアップします。 (2018年4月追加) 不全の頸髄損傷は「健常な人」に見えます。“ふつうに見える”様に努力をしています。が、反面、「もう良くなったんだ」と思われがち。 骨折とは違い、中枢神経の損傷は完全回復はしないという現実。 「健常に見える」「もっと良くなるよう努力する」「もう治っているんでしょ」の狭間で何とか毎日を過ごしています。
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