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2020年01月21日

杖を仕舞う

土曜の鍼から右脚に力が入りにくい。なんか“抜けた”感じがする。
前にも書いたことがあったか・・肩こりとかの時に身体を揉みほぐしてしまうと力が入らなくなるらしい。これを“抜けてしまう”と入院中のPTさんが言っていたような。
鍼ではいつも最後に立った状態で右脚のハムから膝裏近く、ヒラメ筋に鍼を打ってもらう。
いつも同じ場所で足先までピリッとくる。

土曜日も何か特別なことはしていない。最後のピリッで終了したのだが。
右脚に力が入らない分、左脚が頑張る。これがちょうど良いバランスだった。昨日は出先で昼食後は杖を折り畳んで鞄に仕舞った。杖無しでも十分耐えられる歩きだ。

杖を持つこと・自分が障害があることを隠したいのは正直な気持ちなのかもしれない。これは身体の不自由な人に対して失礼な話になるのだろう。誰も好きで障害を負ったわけではない。
決して装具を付けている人たちを憐れんでいるわけでない。
自分がたまたま回復して、移動や生活に大きな不自由がないからか。こう思うのは悪だろうか。

今回、一般社団法人の説明会で多くの知らない人がくる場だった。これまでも多くの人が集まる場・・例えば業界の賀詞交歓会などやパーティでも杖を持っていた。恥ずかしいとかそういう気持ちなどない。ただ、立席なので自分が耐えられるかどうかと、予期せぬ人との衝突などで迷惑をかけたくないからだった。
今回は着席だ。その後の懇親会も初めての人が来る。着席だからという理由だけで杖を仕舞っていない。
自分を健常な人に見せたかったのだろうか。これは悪なのだろうか。少し良くなったからと調子こいているのだろうか。健常な人に見てもらいたいと言う気持ちは悪なのだろうか。

頸髄損傷は人によって障害度合いが違う。急性期の症状は同じでも、損傷の度合いで大きく変わると言われている。
本当にそれだけか?
誰でも回復したい。元通りになりたい。そのためには自分が努力しないといけない。
セラピストまかせにしてもいけない。自分の身体は自分が一番わかる。それを適切に伝えないと誰も判断できない。推測に基づく教科書どおりのリハビリになるだけだ。(決してセラピストの方を批判しているのでなく、患者の努力の問題として)
情報なんて調べればヤマほど出てくる。リハビリでも、自分がどの状態になったら次は何をするとかの意思を持つことが重要なのだろう。
疼痛や痺れなどの症状も、軽くなる人もいれば変わらない人もいる。僕の場合は入院中に疼痛はなかったが、生活を始めたら出てきた。痛い?もちろん痛い。気にしないようにしているだけだ。

杖をもつ自分を変えたい。おしゃれな、ちょいワル親爺に見られたい。
それが元通りの状態で5歳年を取った自分のあるべき姿だと思っている。
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posted by shigenon at 08:44| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ
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2014年クリスマスイブのプレゼントは最悪でした。 「頸髄損傷」というケガなのか病気なのか・・その症状との戦いの記録と現在の日々をアップします。 (2018年4月追加) 不全の頸髄損傷は「健常な人」に見えます。“ふつうに見える”様に努力をしています。が、反面、「もう良くなったんだ」と思われがち。 骨折とは違い、中枢神経の損傷は完全回復はしないという現実。 「健常に見える」「もっと良くなるよう努力する」「もう治っているんでしょ」の狭間で何とか毎日を過ごしています。
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