でも自分に自信がなかった。満員電車や満員のホームにいる自分が想像できなかった。
頻繁に外食許可を取ってT君たちと飲みに行ったり(もちろんゼロアルコールで)、昼間の外出許可を取って一人で目の前のドーナツ屋へ行ったりした。
許可なしに病院から出てはいけないのだが、病院の裏口出た先の自販機でコーヒーを買うのが日課になった。
タバコを吸わなかったら、缶コーヒーでさえ味が変わったように感じたものだ。
でも、毎日タバコが吸いたくてしかたなかった。
身体の状態はというと、相変わらず左肩の可動域は狭く握力も弱い。左腕は真っ直ぐ前へ上げても180度にはならなかった。右はなんとかふつうに動く。痺れは全くもって変わらなかった。
左脚は力が入れにくく、歩くと地面に足先が引っかかる。意識して足を上げないといけない。右足は痺れがあるが、筋力は回復しているように感じた。
夜に友達たちと外食に行って帰りに全く歩けなくなる(特に左脚が上がらない)ことが何度かあった。固まってしまうのだ。これをPTさんに言うのだが、原因とかは不明で対処はできなかった。
これが後で解るのだが、神経から来る症状。単に筋肉を鍛えれば良いのではなかった。
ある日、OTさんとのリハビリ中に病棟医のA医師が突然現れた。その時のOTさんは、担当ではなく代理の方で、すごく知識のある人だったので真剣にトレーニングをしていた。
A医師が突然言う「3月末で退院していいですよ!」
何それって感じ。
僕は自分の中で決めていた。4月10日に退院しようと。それは、自分の状態…身体的な事、精神的な事を含めて、この日までになんとか“ひとり立ち”するために努力しようという思いでもあった。
真剣なリハビリの最中に10分間以上、その医師は話続けた。
「もう随分回復しているし、これ以上のリハビリは必要ない」「PTにも聞いたが回復している」「カンファランスで決定した」「退院するなら、特別に通院リハビリを認めても良い(この病院は原則、入院者のみのリハビリ)」「個室にずっといるのもお金がかかるでしょう」
その日は色んなことを考えた。一体誰が自分の状態や状況をわかっているのだろう。
もちろん自分だ。
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