2017年03月17日
世界的に有名なザッハートルテにまつわるホントの話
ウィーンに出向いたお友達から、お土産にザッハートルテを頂きました。
日本ではザッハトルテと呼ばれていますが、正式な発音はザッハーと少し伸ばします。
今までその辺の洋菓子店や、時々スーパーで売られているザッハートルテを食べたことはあっても、本物を食べたことはなかったので、ワクワクして食べました。
お味のほうは…、なんかすごく濃厚なんですけど、でもしつこくないし、すごく甘いかと思えば、ひと切れペロっと食べれちゃうし、なんていうか、不思議で上品な味ですね。![かわいい](/_images_e/148.gif)
息子曰く「全部読みきってない小説みたい」と、要するに何度も食べてみてやっと味がわかるんだろうナ、というようなことを言っていました。
記念に写真を撮り、なんでこんなに有名なんだろうと、ちょっと調べてみました。
そして日本語とドイツ語のウィキペディアでは違いがあることを発見!
また日本語で載っていない歴史等、ここではドイツ語のウィキペディアを紹介します。
1832年オーストリア帝国の公爵クレメンス・メッテルニヒは宮廷調理場に大事なお客達のために、特別なデザートを作るようにと命を下した。
「顔を潰すなよ!」との厳しい言い付けだったが、折しも料理長が病気で欠勤。当時見習い2年目だった16歳のフランツ・ザッハーが請け負い、ザッハートルテの基本形を編み出した。
お客達は、至極満足な様子だったが、取り立てて菓子に対する賞賛を浴びせるわけでもなかった。
ここが日本語のヴィキペディアと全く違っていて、
「ザッハトルテは大変に好評で、翌日にはウィーン中の話題になったという。当時はザッハーはまだ16歳で下級の料理人にすぎなかったが、ザッハトルテの成功から頭角を現した。」
とあります。
数年後プレッスブルグ、ブタベストでの滞在を得て、ウィーンに戻って来たフランツ・ザッハーは「グルメとワインの店」を開店。
その後長男のエドワードが宮廷御用達の菓子店デメルで修行していた際、現在に見られるようなザッハートルテを完成し、1876年にエドワードが開業したホテルザッハーとデメルとで販売するようになった。
以来ウィーンでも屈指の有名な菓子として評判を博している。
商標を廻る裁判
エドワードは修行時代デメルで、今日のザッハートルテを完成させていることから、「オリジナルのザッハートルテ」として販売されていた。
1930年に未亡人になっていたエドワードの妻の死後、1934年ホテルの倒産により、同名の息子エドワードがデメルに独占販売を譲渡。「エドワードのザッハートルテ」と商標される。
1938年には経営が変わっていたホテルザッハーとの最初の諍いが持ち上がる。
それまで独自の店内だけで販売されていたザッハートルテが、あちこちに「オリジナルのザッハートルテ」という商標の下に売られ始めていたからだ。
第二次世界大戦の折に中断はあったものの、1954年にホテルザッハーは、デメルが「オリジナル・ザッハートルテ」と商標し販売する件で訴えを起こした。以後7年にも渡って抗争は続いた。
「オリジナリティ」を巡って、杏ジャムが2層に塗られているとか、バターの代わりにマーガリンを使っている等の内容にも及んだ。
当時からホテルとデメルの大きい顧客であったトアベルグ氏が証人として裁判に呼ばれ、「故アナ・ザッハーの時代から、ザッハートルテは真ん中にジャムが塗ってあったことは一度もない」と証言したことも。
1963年には示談になり、ホテル側が「オリジナルのザッハートルテ」を維持し、デメルが「エドワードのザッハトルテ」の商標を維持することになった。
この箇所はドイツ語では「示談」で日本語では裁判の判決が下ったとあります。
それ以降世間ではデメルのザッハートルテもオリジナルと言われている。
デメルの会社関係者は「デメルのザッハートルテ」と呼んでいる。
ザッハートルテの特徴
ホテルザッハーとデメルのザッハートルテの違いは杏ジャムの塗った層にある。
ホテルの方はチョレートコーティングの下とスポンジケーキを2層に割って真ん中に塗ってあるのに対し、デメルではチョココーティングの下だけに塗ってある。
どちらも印章が乗っており、ホテルは丸型で「ホテルザッハー ウィーン」と刻印され、デメルは3角形の中に「エドワード ザッハートルテ 生産デメルの息子達」(訳者注:要するにハンドメイドでエドワードから受け継がれた菓子職人達が作ってますよ、の意)と刻印されている。
とまぁ、以上のような内容がドイツ語のヴィキペディアにはありますが、結構違いがあるものですね。
ま、誰でも記述ができるので、時々間違ってることもあるかと思いますが、私はどちらが正しいか、間違っているのかの判断は致しかねます。ただ、ドイツ語の内容の方が信憑性はあるかと思います。
ザッハートルテの生産量
今日世界中に送られているザッハートルテですが、いったいどれほどの生産量があるのでしょう?
ホテルザッハーに限って云えば、年間36万個のトルテが作られているのですが、その消化量といえば、卵が120万個、80トンの砂糖、70トンのチョコレート、37トンの杏ジャム、25トンのバター、30トンのメリケン粉だそうです。凄い量ですね!
考えてみると、1日7時間労働として、3秒で1個の速さで卵が割られているという計算です。
リズム的にも1.で卵を手に取り、2.で卵をカチンとやり、3.で卵を割る。という感じでしょうかネ。![シーサー](/_images_e/111.gif)
フーッ、なんとも単純な大仕事。(笑)
2003年までは何十万個のトルテを切り分けることも手作業だったとか。
1個のケーキにもこれだの歴史と生産の裏話があるんですね。
お味の方もさすがにオリジナリティに富んでいました。![](https://fanblogs.jp/_images_g/a1.png)
日本ではザッハトルテと呼ばれていますが、正式な発音はザッハーと少し伸ばします。
今までその辺の洋菓子店や、時々スーパーで売られているザッハートルテを食べたことはあっても、本物を食べたことはなかったので、ワクワクして食べました。
お味のほうは…、なんかすごく濃厚なんですけど、でもしつこくないし、すごく甘いかと思えば、ひと切れペロっと食べれちゃうし、なんていうか、不思議で上品な味ですね。
![かわいい](/_images_e/148.gif)
息子曰く「全部読みきってない小説みたい」と、要するに何度も食べてみてやっと味がわかるんだろうナ、というようなことを言っていました。
記念に写真を撮り、なんでこんなに有名なんだろうと、ちょっと調べてみました。
そして日本語とドイツ語のウィキペディアでは違いがあることを発見!
また日本語で載っていない歴史等、ここではドイツ語のウィキペディアを紹介します。
1832年オーストリア帝国の公爵クレメンス・メッテルニヒは宮廷調理場に大事なお客達のために、特別なデザートを作るようにと命を下した。
「顔を潰すなよ!」との厳しい言い付けだったが、折しも料理長が病気で欠勤。当時見習い2年目だった16歳のフランツ・ザッハーが請け負い、ザッハートルテの基本形を編み出した。
お客達は、至極満足な様子だったが、取り立てて菓子に対する賞賛を浴びせるわけでもなかった。
ここが日本語のヴィキペディアと全く違っていて、
「ザッハトルテは大変に好評で、翌日にはウィーン中の話題になったという。当時はザッハーはまだ16歳で下級の料理人にすぎなかったが、ザッハトルテの成功から頭角を現した。」
とあります。
数年後プレッスブルグ、ブタベストでの滞在を得て、ウィーンに戻って来たフランツ・ザッハーは「グルメとワインの店」を開店。
その後長男のエドワードが宮廷御用達の菓子店デメルで修行していた際、現在に見られるようなザッハートルテを完成し、1876年にエドワードが開業したホテルザッハーとデメルとで販売するようになった。
以来ウィーンでも屈指の有名な菓子として評判を博している。
商標を廻る裁判
エドワードは修行時代デメルで、今日のザッハートルテを完成させていることから、「オリジナルのザッハートルテ」として販売されていた。
1930年に未亡人になっていたエドワードの妻の死後、1934年ホテルの倒産により、同名の息子エドワードがデメルに独占販売を譲渡。「エドワードのザッハートルテ」と商標される。
1938年には経営が変わっていたホテルザッハーとの最初の諍いが持ち上がる。
それまで独自の店内だけで販売されていたザッハートルテが、あちこちに「オリジナルのザッハートルテ」という商標の下に売られ始めていたからだ。
第二次世界大戦の折に中断はあったものの、1954年にホテルザッハーは、デメルが「オリジナル・ザッハートルテ」と商標し販売する件で訴えを起こした。以後7年にも渡って抗争は続いた。
「オリジナリティ」を巡って、杏ジャムが2層に塗られているとか、バターの代わりにマーガリンを使っている等の内容にも及んだ。
当時からホテルとデメルの大きい顧客であったトアベルグ氏が証人として裁判に呼ばれ、「故アナ・ザッハーの時代から、ザッハートルテは真ん中にジャムが塗ってあったことは一度もない」と証言したことも。
1963年には示談になり、ホテル側が「オリジナルのザッハートルテ」を維持し、デメルが「エドワードのザッハトルテ」の商標を維持することになった。
この箇所はドイツ語では「示談」で日本語では裁判の判決が下ったとあります。
それ以降世間ではデメルのザッハートルテもオリジナルと言われている。
デメルの会社関係者は「デメルのザッハートルテ」と呼んでいる。
ザッハートルテの特徴
ホテルザッハーとデメルのザッハートルテの違いは杏ジャムの塗った層にある。
ホテルの方はチョレートコーティングの下とスポンジケーキを2層に割って真ん中に塗ってあるのに対し、デメルではチョココーティングの下だけに塗ってある。
どちらも印章が乗っており、ホテルは丸型で「ホテルザッハー ウィーン」と刻印され、デメルは3角形の中に「エドワード ザッハートルテ 生産デメルの息子達」(訳者注:要するにハンドメイドでエドワードから受け継がれた菓子職人達が作ってますよ、の意)と刻印されている。
とまぁ、以上のような内容がドイツ語のヴィキペディアにはありますが、結構違いがあるものですね。
ま、誰でも記述ができるので、時々間違ってることもあるかと思いますが、私はどちらが正しいか、間違っているのかの判断は致しかねます。ただ、ドイツ語の内容の方が信憑性はあるかと思います。
ザッハートルテの生産量
今日世界中に送られているザッハートルテですが、いったいどれほどの生産量があるのでしょう?
ホテルザッハーに限って云えば、年間36万個のトルテが作られているのですが、その消化量といえば、卵が120万個、80トンの砂糖、70トンのチョコレート、37トンの杏ジャム、25トンのバター、30トンのメリケン粉だそうです。凄い量ですね!
![]() | ザッハートルテの伝統と誇りは、今日に到ってもすべて菓子職人の手作りといったところです。 例えばたったひとりの女性職人さんが、1日に7500個もの卵を割ることだけに係わってるそうです。 ![]() |
考えてみると、1日7時間労働として、3秒で1個の速さで卵が割られているという計算です。
リズム的にも1.で卵を手に取り、2.で卵をカチンとやり、3.で卵を割る。という感じでしょうかネ。
![シーサー](/_images_e/111.gif)
フーッ、なんとも単純な大仕事。(笑)
2003年までは何十万個のトルテを切り分けることも手作業だったとか。
1個のケーキにもこれだの歴史と生産の裏話があるんですね。
お味の方もさすがにオリジナリティに富んでいました。
![](https://fanblogs.jp/_images_g/a1.png)
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