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2018年06月13日
ブラッとひとり旅 リスボン へ C ファティマへのバス旅行「アルコバッサ修道院の石棺に纏わる話」世界遺産を見学
オビドスを後にしたバスは北上し、アルコバッサ修道院へと向いました。
これはユネスコ世界遺産に登録された、ポルトガル最古のゴシック様式の建築物だそうです。
ここにはポルトガル国王ペドロ1世とその妃イネスの2つの石棺が納められているのですが、これに纏わる話がとても興味深いらしく、ガイドさんが英語でしてくれたのですが、ところどころ名詞しか聞き取れず、殆ど分かりませんでした。
なので、後で日本語と独語の両言語でググッてみたら意外な事実が分かり、驚き〜。
この話はとてもロマンチックですが、同時にグロテスクでもあります。
このポルトガル王のペドロ1世(英語ではピーターと言っていた)が「正義王」と同時に「残酷王」と呼ばれる所以が、この話に纏わっています。
ペドロ1世は2番目の妻(1番目の妻とは5歳の時に結婚させられ、13歳の時に無効となる)コンスタンサ・マヌエルを妃として迎えますが、その侍女として付いてきたイネス・デ・カストロに心を奪われてしまいます。
もともと父王アフォンソ4世が勢力を維持するための意図を持って仕組まれた結婚だけに、当然ペドロの意思なぞ無視して押し進められた結婚だったのです。
ペドロとイネスの悲恋物語が始まります。
体が弱く、早死にしたコンスタンサ・マヌエルの死後、二人の仲は公然となり、コインブラという地で二人の間に生まれた子供たちと4年間の幸せな年月を過ごします。
ところが、イネスの背景にある家系と、それにかかわる反勢力の増大を恐れた父王は、刺客を放って、イネスを暗殺してしまいます。
その後息子は父親に対して反乱を起こしますが、翌年一時は矛を収めます。
父王は息子を同等の権威を持った統治者として指名し、ほどなくして亡くなります。
ペドロは王位の座に着くと、イネスを殺した刺客を探し出し、復習を始めるのでした。
それはそれは残酷を極めたそうで、さんざん拷問をした後、生きたまま心臓をえぐり出し、それをなんと、食したそう・・・。
これが残酷王といわれる所以だとか・・・。
その上、自分たちは内縁で正式に結婚していたとして、イネスの墓を掘り起こさせ、祭典の席に王冠を冠せて妃として座らせ、重臣らにその腐敗した手に服従のキスを強いたのだそう。ひぇー!
腐敗といっても、1355年の暗殺2年後にペドロは王位についているので、イネスの死後2年経過した死体ってことですよね。もうミーラ化している手にキスをしなければならなかった重臣たちの心境は幾許だった事でしょう?考えるだけも寒気が・・・。
だから教会のみやげ物売り場に、冠を身につけた骸骨の妃のキーホルダーが売られていたのね!
今分かったワ。
それにしても、ペドロの執着的で終身独身を貫いたイネスへの愛には脱帽ですね〜!
首を切られて死んだイネスも、ペドロの真の愛を受けて本望だったのじゃないでしょうか?
その後ペドロは国の平和と繁栄に功績を挙げる一方、身分に関わらず法に元付き罪人を処罰した、というのが「正義王」と云われる所以で、民にも慕われたのだといいます。
ペドロ亡き後は本妻との間に生まれた子供、コンスタンサが王位についたそうですよ。
このすばらしく豪華な石棺は、ホントに一見の価値があります。
因みに二人があの世で起き上がったときにお互いが向き合って、顔を見られるように、右は王で左は妃、足と足が向き合って石棺が置かれているのだそうです。
これはユネスコ世界遺産に登録された、ポルトガル最古のゴシック様式の建築物だそうです。
ここにはポルトガル国王ペドロ1世とその妃イネスの2つの石棺が納められているのですが、これに纏わる話がとても興味深いらしく、ガイドさんが英語でしてくれたのですが、ところどころ名詞しか聞き取れず、殆ど分かりませんでした。
なので、後で日本語と独語の両言語でググッてみたら意外な事実が分かり、驚き〜。
この話はとてもロマンチックですが、同時にグロテスクでもあります。
このポルトガル王のペドロ1世(英語ではピーターと言っていた)が「正義王」と同時に「残酷王」と呼ばれる所以が、この話に纏わっています。
ペドロ1世は2番目の妻(1番目の妻とは5歳の時に結婚させられ、13歳の時に無効となる)コンスタンサ・マヌエルを妃として迎えますが、その侍女として付いてきたイネス・デ・カストロに心を奪われてしまいます。
もともと父王アフォンソ4世が勢力を維持するための意図を持って仕組まれた結婚だけに、当然ペドロの意思なぞ無視して押し進められた結婚だったのです。
ペドロとイネスの悲恋物語が始まります。
体が弱く、早死にしたコンスタンサ・マヌエルの死後、二人の仲は公然となり、コインブラという地で二人の間に生まれた子供たちと4年間の幸せな年月を過ごします。
ところが、イネスの背景にある家系と、それにかかわる反勢力の増大を恐れた父王は、刺客を放って、イネスを暗殺してしまいます。
その後息子は父親に対して反乱を起こしますが、翌年一時は矛を収めます。
父王は息子を同等の権威を持った統治者として指名し、ほどなくして亡くなります。
ペドロは王位の座に着くと、イネスを殺した刺客を探し出し、復習を始めるのでした。
それはそれは残酷を極めたそうで、さんざん拷問をした後、生きたまま心臓をえぐり出し、それをなんと、食したそう・・・。
これが残酷王といわれる所以だとか・・・。
その上、自分たちは内縁で正式に結婚していたとして、イネスの墓を掘り起こさせ、祭典の席に王冠を冠せて妃として座らせ、重臣らにその腐敗した手に服従のキスを強いたのだそう。ひぇー!
腐敗といっても、1355年の暗殺2年後にペドロは王位についているので、イネスの死後2年経過した死体ってことですよね。もうミーラ化している手にキスをしなければならなかった重臣たちの心境は幾許だった事でしょう?考えるだけも寒気が・・・。
だから教会のみやげ物売り場に、冠を身につけた骸骨の妃のキーホルダーが売られていたのね!
今分かったワ。
それにしても、ペドロの執着的で終身独身を貫いたイネスへの愛には脱帽ですね〜!
首を切られて死んだイネスも、ペドロの真の愛を受けて本望だったのじゃないでしょうか?
その後ペドロは国の平和と繁栄に功績を挙げる一方、身分に関わらず法に元付き罪人を処罰した、というのが「正義王」と云われる所以で、民にも慕われたのだといいます。
ペドロ亡き後は本妻との間に生まれた子供、コンスタンサが王位についたそうですよ。
このすばらしく豪華な石棺は、ホントに一見の価値があります。
因みに二人があの世で起き上がったときにお互いが向き合って、顔を見られるように、右は王で左は妃、足と足が向き合って石棺が置かれているのだそうです。
2018年06月04日
ブラッとひとり旅 リスボン へ B ファティマへのバス旅行「オビドス」
「ファティマの奇跡」をご存知ですか?知ってる人はこの部分をスルーして下さい。
かいつまんでいうと、3人の子供達が何度もマリアと遭遇し、色々な教示を受けます。
毎月決まった日に現れるマリアは、更に予言をしたりもします。
そして最後に1917年10月13日のその日、集まった7万人もの群衆の前にマリアは現れ、太陽が躍るように上下したり、回ったりという現象を見せます。
この奇跡はローマカトリック教会が正式に認める「マリア出現」として有名です。
更にマリアは3人の子供たちの一人ルシアに3つの予言をするのですが、その内の一つは時期が来るまで封印するようにと託します。
これが「ファティマ第三の秘密」として有名です。
ルシアはその後ローマ教皇に正式にそれらの秘密を託しますが、教皇はその秘密を時期が過ぎても一向に公開しなかったのです。
2000年になってやっとその秘密は教皇庁より発表されたのですが、これが本当に内容と一致しているかどうかが賛否両論です。
詳しくはウィキペディアをご参照ください。
ファティマってリスボンからそれほど遠くないんですね、知りませんでした。地図上では、車でわずかに1時間強の距離。
バス旅行のツアーがあったので、それに参加しました。
でも言葉が英語、ポルトガル語、スペイン語、フランス語と、私のできない言葉ばかり・・・。
ま、でもファティマの内容については知ってるし、英語も少しは分かるから、何とかなるか。
とばかり、軽い気持ちで参加したのは良いけど、最初から躓(つまづ)きましたよ〜。
まず、ホテルを予約した時に、ブッキング・コムを使ったので、このサービスの一環としてリスボンで使える割引券をURLで送ってきてたのを使おうと思ったのですが、思っていた内容と全然違うのです!
独語の説明では、このQRコードを使いたい場所に直接持って行き、係りの人に見せれば、10%−20%の割引になるとのこと。場所によっては入り口と違う発見所があります、とのこと。それは分かる。美術館とか、お城とか発見所はたいてい別の場所にありますよ。
ところが、ツアー発車の場所に行き、それを見せても係りの人は受け付けてくれない。「なぜ?」と聞くと、「あなたはこのツアーに参加することを前もって予約してない」という。
そんなこといわれても、ブッキング・コムの説明にはなにも「前もって予約必須」とは書いてなかった!
私は「そんなことブッキング・コムでは教えてくれてない」と言うと、「とにかく、前もって予約した人達が優先。あなたはここで待ってなさい」ですって!!
なーんてこと?しかもそれらしいバスは見当たらず、次から次に違うバスがどんどん発車するではないですか。もう出発の時間はとっくに過ぎているのに、ここで待ってなさいというのはどういうこと・・・?
ここで、言葉ができれば自体の把握にもう少し役立ったろうに・・・。
そんなこんなで、約10分ほど待たされて、再度チェックボックスに呼ばれ、今度はちゃんと受け付けてくれそう・・・。
昼のランチは要るかどうか聞かれ、「イエス」と答えて、いざバスへ。
ええ??このバス・・・??なんか小さくて、しかも私の他に2人だけ???
不安が更に増し、本当に合ってるのだろうかと心の中で焦っていましたが、
そう、このバスは本来のツアーバスの留まってる場所に連れて行ってくれるシャトルだったのです。
さて、予定より1時間も遅れてやっとバスが発車。(というか、予定の時間は本来のチェックインの時間だったよう・・・)
英語の説明を聞くと(と言うより、独語で既にツアーの内容を理解していたのを、英語で更におさらいしただけ)このバスは、2−3の観光地オビドス、世界文化遺産のアルコバッサ修道院、ナザレ海岸で食事して、バターリァ修道院そして、最後にファティマへと向かいます、とのこと。
帰ってくるのは夜8時だという。
かなり充実した1日になりそう。
最初に寄ったオビドスという中世さながらの小さな村では、ぜひ試してみてください、という甘いものがあるという。甘いので、1杯だけにしておいた方がいいですよ、というのだけが聞き取れました。
その「甘いもの」という名前が聞き取れなくて、再度ガイドさんに聞いてみたところ「ジンジーニェ」という名前だそう。
そして私の知りたかった甘いものが、どうやらリキュールらしいのです。
そこで店の人に「これジンジーニェですか?」と聞くと、「ジンジャー?」というので、「生姜じゃない、ジンジーニェ?」と再度聞いてみる。(後でネットで調べたら、ジンジーニァと発音するらしいです。)
すっかり自信をなくした店員さんは、店の奥に消えて行き何やら聞いているよう。
そして年を召した女将さんとでてきて、「そうそう、これよ、あなたが言ってるものは」というので、さっそく試してみることしました。
と、どうでもいいひらめきにご機嫌になりながら、村の奥まで散策。
でも集合時間まであと30分しかない。
バスに入るまでにトイレ休憩を済ましておかなくちゃ。
っていうので、さっさと踵を返してバスへの岐路に向いました。
行きには目に入らなかった村の入り口の装飾が美しい青で飾られていて、ちょっとアラビアの文化を垣間見た気がしました。
後で調べてみると、これはアズレージョというタイルに上薬をかけて焼かれた、もともとペルシャ人から習得した工芸らしいです。なるほど、だからちょっとアラビアっぽいのね。
かいつまんでいうと、3人の子供達が何度もマリアと遭遇し、色々な教示を受けます。
毎月決まった日に現れるマリアは、更に予言をしたりもします。
そして最後に1917年10月13日のその日、集まった7万人もの群衆の前にマリアは現れ、太陽が躍るように上下したり、回ったりという現象を見せます。
この奇跡はローマカトリック教会が正式に認める「マリア出現」として有名です。
更にマリアは3人の子供たちの一人ルシアに3つの予言をするのですが、その内の一つは時期が来るまで封印するようにと託します。
これが「ファティマ第三の秘密」として有名です。
ルシアはその後ローマ教皇に正式にそれらの秘密を託しますが、教皇はその秘密を時期が過ぎても一向に公開しなかったのです。
2000年になってやっとその秘密は教皇庁より発表されたのですが、これが本当に内容と一致しているかどうかが賛否両論です。
詳しくはウィキペディアをご参照ください。
ファティマってリスボンからそれほど遠くないんですね、知りませんでした。地図上では、車でわずかに1時間強の距離。
バス旅行のツアーがあったので、それに参加しました。
でも言葉が英語、ポルトガル語、スペイン語、フランス語と、私のできない言葉ばかり・・・。
ま、でもファティマの内容については知ってるし、英語も少しは分かるから、何とかなるか。
とばかり、軽い気持ちで参加したのは良いけど、最初から躓(つまづ)きましたよ〜。
まず、ホテルを予約した時に、ブッキング・コムを使ったので、このサービスの一環としてリスボンで使える割引券をURLで送ってきてたのを使おうと思ったのですが、思っていた内容と全然違うのです!
独語の説明では、このQRコードを使いたい場所に直接持って行き、係りの人に見せれば、10%−20%の割引になるとのこと。場所によっては入り口と違う発見所があります、とのこと。それは分かる。美術館とか、お城とか発見所はたいてい別の場所にありますよ。
ところが、ツアー発車の場所に行き、それを見せても係りの人は受け付けてくれない。「なぜ?」と聞くと、「あなたはこのツアーに参加することを前もって予約してない」という。
そんなこといわれても、ブッキング・コムの説明にはなにも「前もって予約必須」とは書いてなかった!
私は「そんなことブッキング・コムでは教えてくれてない」と言うと、「とにかく、前もって予約した人達が優先。あなたはここで待ってなさい」ですって!!
なーんてこと?しかもそれらしいバスは見当たらず、次から次に違うバスがどんどん発車するではないですか。もう出発の時間はとっくに過ぎているのに、ここで待ってなさいというのはどういうこと・・・?
ここで、言葉ができれば自体の把握にもう少し役立ったろうに・・・。
そんなこんなで、約10分ほど待たされて、再度チェックボックスに呼ばれ、今度はちゃんと受け付けてくれそう・・・。
昼のランチは要るかどうか聞かれ、「イエス」と答えて、いざバスへ。
ええ??このバス・・・??なんか小さくて、しかも私の他に2人だけ???
不安が更に増し、本当に合ってるのだろうかと心の中で焦っていましたが、
そう、このバスは本来のツアーバスの留まってる場所に連れて行ってくれるシャトルだったのです。
さて、予定より1時間も遅れてやっとバスが発車。(というか、予定の時間は本来のチェックインの時間だったよう・・・)
英語の説明を聞くと(と言うより、独語で既にツアーの内容を理解していたのを、英語で更におさらいしただけ)このバスは、2−3の観光地オビドス、世界文化遺産のアルコバッサ修道院、ナザレ海岸で食事して、バターリァ修道院そして、最後にファティマへと向かいます、とのこと。
帰ってくるのは夜8時だという。
かなり充実した1日になりそう。
最初に寄ったオビドスという中世さながらの小さな村では、ぜひ試してみてください、という甘いものがあるという。甘いので、1杯だけにしておいた方がいいですよ、というのだけが聞き取れました。
その「甘いもの」という名前が聞き取れなくて、再度ガイドさんに聞いてみたところ「ジンジーニェ」という名前だそう。
村に一歩足を踏み入れると、狭い道を挟んで、あるわ、あるわ、おみやげ物屋さんが。 |
そして私の知りたかった甘いものが、どうやらリキュールらしいのです。
そこで店の人に「これジンジーニェですか?」と聞くと、「ジンジャー?」というので、「生姜じゃない、ジンジーニェ?」と再度聞いてみる。(後でネットで調べたら、ジンジーニァと発音するらしいです。)
すっかり自信をなくした店員さんは、店の奥に消えて行き何やら聞いているよう。
そして年を召した女将さんとでてきて、「そうそう、これよ、あなたが言ってるものは」というので、さっそく試してみることしました。
綺麗なお姉さんが注いでくれた「ジンジーニェ」というさくらんぼのお酒。 ジンジャーと簡単に言っている。 ここではチョコレートでできているプチカップに入れてくれる。1杯1€。 チェリー酒を一気に飲み干したあと、チョコカップを口いっぱいにほおばる。すると甘さがほろ苦くなり、チェリー酒の美味しさが増す感じ。 |
そういえば、こんなチェリー酒入りのチョコレートドイツにもあったな〜。と思いながら、そう考えると、1杯1€って、ポルトガルの物価事情を考えるとちょっと高いかも・・・。 しかもドイツのはさくらんぼも入ってるし。 今までこの類のチョコは美味しいと思ったことなかったけど、今度お土産にしようっと! |
と、どうでもいいひらめきにご機嫌になりながら、村の奥まで散策。
でも集合時間まであと30分しかない。
バスに入るまでにトイレ休憩を済ましておかなくちゃ。
っていうので、さっさと踵を返してバスへの岐路に向いました。
行きには目に入らなかった村の入り口の装飾が美しい青で飾られていて、ちょっとアラビアの文化を垣間見た気がしました。
後で調べてみると、これはアズレージョというタイルに上薬をかけて焼かれた、もともとペルシャ人から習得した工芸らしいです。なるほど、だからちょっとアラビアっぽいのね。
そして、更に分かったことは、オビドスという村はポルトガル王デニス1世が、王妃エリザベスに送った「王妃の村」であったこと。 新婚旅行に訪れたとき、王妃がえらく気に入ったのでプレゼントしたそうですよ。 |