2013年01月31日
相対的な価値感に囚われると本質が見えなくなる(2)
zeraniumのブログ より転載
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相対的な価値感に囚われると本質が見えなくなる
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/index.html#entry-83552726
スポーツを利用した「世界統一」という洗脳
権力がひとつに集中してしまうと、当然、その権力を握った人が正義を主張できるようになります。
その典型的な例が、オリンピックとワールドカップです。
そこでは全権力が国際オリンピック委員会・IOCと国際サッカー連盟・FIFAが握っています。
今、世界をひとつに統一して支配しようとする動きがあります。
そのためには世界統一通貨や、一つの中央銀行で管理することが必要です。
そして「世界でルールを統一したほうがいい」として洗脳しなければなりません。
そのツールとして、オリンピックやワールドカップを利用しているのは確かなことです。
オリンピックやワールドカップのルールを決めているのは誰でしょうか?
それはIOCであり、FIFAです。つまりヨ−ロッパ人です。
だから自分たちに都合のいいようにルールを変更できるわけです。
わかりやすいのが、F1です。F1を統括している国際自動車連盟(FIA)は、平気で勝手にルールを変更します。
一時期、日本製のエンジン搭載車が上位を独占していた時代がありました。
しかしそれはヨーロッパ人にとってはおもしろくないことであり、利権を脅かすものでもあったのです。
そしてその後急にレギュレーションを変更しました。
つまり、日本の自動車メーカーが不利になるように、ヨーロッパの自動車メーカーが有利になるようにルールを変更したのです。
最初は、「みんなで競技をしよう」ということで始まったのかもしれないオリンピックやワールドカップかもしれませんが、洗脳のツールとして利用されるようになり、そこに利権が生まれました。
私の会社が開発したキーホールTVがありますが、それはインターネット上にリアルタイムで動画を無料で配信できるシステムで、地上デジタルなどと違い、遅延がほとんどありません。
それでワールドカップの試合を流した人がいました。
つまり日本国内のアナログテレビで配信されている試合を、そのまま無料でリアルタイムで再送信した人がいただけなのです。
それはもともと、テレビで無料で全国に放送されている映像です。
それなのに、著作権を侵害したとして、開発者として私にFIFAから警告書が送られてきました。
もし「ワールドカップの試合をより多くの人に見せて、サッカーの素晴らしさを味わってもらいたい」と思っていたのであれば、そのユーザーの行為はほめられるべき行為のはずです。
同じような警告書は、FIAからも送られてきて、著作権侵害だと怒っているのです。
その理由は、彼らの利権を邪魔しているから。
この体験でわかったのは、結局FIFAもFIAも利権団体でしかないということでした。
権力が一つに集中すると、その権力は暴走して利権を独り占めしてしまいます。
そして一度味を占めた利権は、簡単には手放すことができないので、それを守るためにあらゆる手段が使われ、それは法律を借りて行なわれることもしばしばです。
もうひとつ付け加えておくと、スポーツで「勝ち負けを決める」ということ自体も洗脳に他なりません。
つまり勝ち負けに意味があるということを洗脳しているのです。
それは勝ち負けを判断する客観的な基準があるという考えを植えつけるためです。
スポーツの場合はそれがルールになるわけですが、それを子どもの頃からずっと洗脳され続けているのです。
世の中のあらゆる事象に対して価値を判断する基準が存在し、勝ち負けを判断できるとする考え方です。
それがチームやホテルなどの格付けであり、ブランドであり、勝ち組であり負け組なのです。
ノーベル賞も同じです。まったく異なる科学技術において、それぞれの学者の成果をランク付けできるという発想だからです。
ある一つの基準を用いることで、「この人は偉い」と決めること自体が間違っています。
勝ち負けの判断には、価値も意味もありません。
なぜなら勝ち負けを判断する基準はひとつではないからです。
さまざまな基準で見れば、比べること自体に意味がない。
重要なことはその人が、その物が、どんな価値を持っているかであって、一部分を比べて全体を判断することに意味はないのです。
勝ち負けの考え方に洗脳されてしまうと、すべてをそのようにしか判断できなくなり、自分だけでなく、他人をも追い込んでしまうことです。
「正義という名の洗脳」 苫米地英人著 大和書房
抜粋したもの
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@Petit_Soleil17 からのツイート
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相対的な価値感に囚われると本質が見えなくなる
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/index.html#entry-83552726
スポーツを利用した「世界統一」という洗脳
権力がひとつに集中してしまうと、当然、その権力を握った人が正義を主張できるようになります。
その典型的な例が、オリンピックとワールドカップです。
そこでは全権力が国際オリンピック委員会・IOCと国際サッカー連盟・FIFAが握っています。
今、世界をひとつに統一して支配しようとする動きがあります。
そのためには世界統一通貨や、一つの中央銀行で管理することが必要です。
そして「世界でルールを統一したほうがいい」として洗脳しなければなりません。
そのツールとして、オリンピックやワールドカップを利用しているのは確かなことです。
オリンピックやワールドカップのルールを決めているのは誰でしょうか?
それはIOCであり、FIFAです。つまりヨ−ロッパ人です。
だから自分たちに都合のいいようにルールを変更できるわけです。
わかりやすいのが、F1です。F1を統括している国際自動車連盟(FIA)は、平気で勝手にルールを変更します。
一時期、日本製のエンジン搭載車が上位を独占していた時代がありました。
しかしそれはヨーロッパ人にとってはおもしろくないことであり、利権を脅かすものでもあったのです。
そしてその後急にレギュレーションを変更しました。
つまり、日本の自動車メーカーが不利になるように、ヨーロッパの自動車メーカーが有利になるようにルールを変更したのです。
最初は、「みんなで競技をしよう」ということで始まったのかもしれないオリンピックやワールドカップかもしれませんが、洗脳のツールとして利用されるようになり、そこに利権が生まれました。
私の会社が開発したキーホールTVがありますが、それはインターネット上にリアルタイムで動画を無料で配信できるシステムで、地上デジタルなどと違い、遅延がほとんどありません。
それでワールドカップの試合を流した人がいました。
つまり日本国内のアナログテレビで配信されている試合を、そのまま無料でリアルタイムで再送信した人がいただけなのです。
それはもともと、テレビで無料で全国に放送されている映像です。
それなのに、著作権を侵害したとして、開発者として私にFIFAから警告書が送られてきました。
もし「ワールドカップの試合をより多くの人に見せて、サッカーの素晴らしさを味わってもらいたい」と思っていたのであれば、そのユーザーの行為はほめられるべき行為のはずです。
同じような警告書は、FIAからも送られてきて、著作権侵害だと怒っているのです。
その理由は、彼らの利権を邪魔しているから。
この体験でわかったのは、結局FIFAもFIAも利権団体でしかないということでした。
権力が一つに集中すると、その権力は暴走して利権を独り占めしてしまいます。
そして一度味を占めた利権は、簡単には手放すことができないので、それを守るためにあらゆる手段が使われ、それは法律を借りて行なわれることもしばしばです。
もうひとつ付け加えておくと、スポーツで「勝ち負けを決める」ということ自体も洗脳に他なりません。
つまり勝ち負けに意味があるということを洗脳しているのです。
それは勝ち負けを判断する客観的な基準があるという考えを植えつけるためです。
スポーツの場合はそれがルールになるわけですが、それを子どもの頃からずっと洗脳され続けているのです。
世の中のあらゆる事象に対して価値を判断する基準が存在し、勝ち負けを判断できるとする考え方です。
それがチームやホテルなどの格付けであり、ブランドであり、勝ち組であり負け組なのです。
ノーベル賞も同じです。まったく異なる科学技術において、それぞれの学者の成果をランク付けできるという発想だからです。
ある一つの基準を用いることで、「この人は偉い」と決めること自体が間違っています。
勝ち負けの判断には、価値も意味もありません。
なぜなら勝ち負けを判断する基準はひとつではないからです。
さまざまな基準で見れば、比べること自体に意味がない。
重要なことはその人が、その物が、どんな価値を持っているかであって、一部分を比べて全体を判断することに意味はないのです。
勝ち負けの考え方に洗脳されてしまうと、すべてをそのようにしか判断できなくなり、自分だけでなく、他人をも追い込んでしまうことです。
「正義という名の洗脳」 苫米地英人著 大和書房
抜粋したもの
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