NHKの特集番組の調査報道の報告書といった趣の本。
注目は、名取市内で市のなすべき警報が全く機能しなかったということだ。
この本には、
○第2章届かなかった警告
・名取市では、東日本大震災が起きる二年前の2009年3月、5985万円の予算を投じて防災無線のシステムを導入した。入札を経て導入したのはNEC製の最新式の装置。震度7の地震が起きても機能に支障はないという触れ込みだった。しかしこのシステムは、名取市を襲った震度6強の地震で、あっけなくダウンしてしまった。
とある。
NECはこれに反論できるのだろうか??
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○第五章 閖上のその後
・震災から4ヶ月以上が経過した2011年7月31日。この日初めて市役所側から閖上の復興計画が具体的に提示されることになっていた。担当者による説明が延々続いた。彼らは「スピード感のある復興」ということを何より重視しているようだった。そして「安全・安心な町づくり」というスローガンを繰り返し使った。しかし、その根拠として示されていたのは、海岸に7.2メートルの堤防を築き、貞山堀より東側(3から6丁目)を水産業などの拠点を置く「非居住区」にして避難タワーを3つ作り、貞山堀より西側を嵩上げして「居住区」とし、避難場所にもなる耐浪型集合住宅を作るということくらいだった。そして、千年に一度の規模、つまり今回の震災と同程度の津波が押し寄せた場合、この堤防では防ぎきれず居住区にまで津波が押し寄せるというシミュレーション結果も配布資料に添えられていた。土木工学、リスク工学、建築学、経済学といった分野が専門の有識者たちからは、特に積極的な意見は出なかった。疑問も提示されなかった。
・そうしたなか、閖上小学校のPTA会長を務めていた片平秀樹さんが声を上げた「防波堤が壊れないで機能しているという前提でも、ここには波が来るんですよね。もしこれがぶっ壊されたらもっと高い水が来るわけですよね。住まわせようとしているところに。そうしたら必ず被害は出るじゃないですか。・・・」
・・・震災後の現場。名取市では閖上の被害というのは大きな市としては一部の被害だ。
市長の生まれ育った造り酒屋が閖上にはあるという。
しかし、亡くなった人の多い地での再建には議論があるだろう。
大きな名取市にとっては、しかし、それは争点になるような問題ではなく、名取市内での地区の問題という扱いのような感じがするのが、大変気になるところだ。
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