本題の前に、鬼怒川での余韻を残しつつ本日は一人で山籠もりしておりました(笑)やはり海と違って涼しくて良い!
場所は片道2時間くらいかけていった山梨某所
片道二時間なんて京都に行くのと変わらない、私にとっては庭みたいなものですね。
清流に足ツッコんで、弁当広げて涼んでました。食べ終わった後は木陰で昼寝したり読書したり。
って、私の足白っつ!写真載せて自分でビックリしました(笑)
腕と顔は日焼けで真っ黒なのですが、如何せん長ズボンで室内で仕事だから焼ける要素が無いのは仕方ないのかな。
何かの記事で見たのですが、俳優の高橋一生さんが、「何もしない」ためにアウトドアをすることにハマっているというのも何となく共感できます。
休みが増えたとはいえ、仕事中は効率重視で休憩もとらずにやっているので、どうしても心に余裕が無くなる。こうやって一人で山に籠っている時が「無」になれてホントに癒されます。
無になるということは、本来の人間の感覚が研ぎ澄まされる事であります。
例えば自然の中に入ると五感が研ぎ澄まされます。私は嗅覚と聴覚が敏感になる。一人で山に入るのと、動物に遭遇しやすい体質考えると猛獣に会う可能性も私は多分高い。その自覚があるので草をかき分ける音等には敏感になります。そして山頂から吹き降ろされる風の匂いにも嗅覚が反応するので、突然の雨にも対処できるようになっています。別に特別な事でもありません。
高橋一生さんと同じ東京都心生まれだけど、都心でも比較的緑の多い土地だったし、私は両親(特に母)が限界集落の出身だったので、幼少期に頻繁に帰省している時に野生に目覚めているのもあるので成長過程で養われるのもあるかなと思います。
久しぶりの連休で体を癒すことが出来ました。来月は友人が何人か店に来るので接待も含め気合をいれていくつもりですww
では本題へ…
今回のテーマは拝金主義。要は守銭奴ですね。
熱い風評被害を覚悟で言うけれど、珍しく私は怒っています!
原因は、前回の記事で栃木今市市内の蕎麦屋で水につけて蕎麦を食べた話はしたかと思います。
実は内心かなり感動して、皿にある蕎麦の半分以上は麺つゆにつけず、水につけて食べていました。
他にそんな食べ方をしている所があるのか自分で調べてたら、福島や長野、西で言えば奈良でそんな食べ方をされているらしいですが、相当珍しいツウな食べ方みたいです。
そんな時に蕎麦処と言えば長野ということで、検索にリンクしたのかわかりませんが、パッと目に入った記事で、長野の「善光寺」で東京五輪の前夜祭を開いていたということ。
よくわからないのですが、過去の長野五輪(冬季)開催地から東京へエールをということらしいですが、そんなオワコンの土地から今更何を発信しているんだと思ったわけです。
そもそも長野は東西南北を山に囲まれていて、このコロナ情勢になってから県外バッシングが多い、とても排他的な地域。
叔父などのうちの親戚も多数長野に住んでいて、この時期は我々関東エリアに住む親戚は避暑と墓参りを兼ねて毎年長野にお邪魔しているのにここ2年くらいそれもできない。
なのに善光寺のように前夜祭を開いて観光客を集めるようなことをして、完全にダブルスタンダードになっていることに腹が立つわけです。
自治体の規制が厳しいというよりは、長野にある企業のコロナに対する姿勢が厳しいと言った方が正しいかもしれないですね。
叔父は自営業だから関係ないけど、叔母や従姉妹の姐さんは県外への外出及び、県外からの来客を受けた時は1週間出勤停止で自宅待機が命じられています。それもコロナが始まってかれこれ2年程。
善光寺は企業では無いので当然そんな規制も無いのでしょうが、他県と比べて周りの目が厳しいことは気付いているはず。東京から新幹線で2時間でいけるような所で何かとかこつけてイベントするのはどうなんだろうと思います。
それと拝金主義がどう関係するの?という話になるかと思いますが、イベントをやるにはお金が当然動きます。別にそれは当たり前の事。コロナの中やることなのかと言えばそれまで。お金が動くからこそこんな時期にやるのでしょうし…
個人的にもっと問題視しているのは、善光寺周辺のお店で観光客がイベントに合わせていくと思いますが、満足できるサービスを提供できているのか?ということ。善光寺自体も色々過去に問題があったけども、それは置いておいて。
全国よくある風景ですが、大きなお寺の廻りには「仲見世」に連なる老舗の飲食店やら色んな店があります。「浅草寺」を例に出すとわかりやすいかもしれませんね。それは善光寺も同じ。
善光寺の仲見世通りには、冒頭にも話したように蕎麦の名産地なので数多くの蕎麦屋が点在します。まじめにやっている店もひょっとしたらあるかもしれません。なので一括りにはしにくいのだけど。
「はっきり言って美味しいと思えた店がいまだ一軒も無い!」
例えるなら、「緑のたぬき」を1000円以上で提供されてる感じ。天ぷらそばの天ぷらなんてまさに円形のあの形。
新潟の幻の蕎麦を毎年食べて舌が肥えている私らを除いても、地元に住んでいる叔父ですら「県民の恥」というレベル。
はっきり言って、JR長野駅のワンコインもしない立ち食いそばを食べたほうがマシなくらい。
だから最近はブログにも載せてると思うけど蕎麦ですらなく、善光寺行く途中の「かんてんパパ」で食事をしているわけで。
商売やる以上お金が大事なのはわかりますし、否定はしません。そんなにお金儲けしたいなら投資などのマネーゲームをしてろと言いたい。自分だけのリスクで済むので。
ただ、ビジネスとしてやる以上は最低限対価(料金)に見合うサービスを提供しろよ!と言いたいです。ましてや仲見世と言えば老舗が多いのだから。
私も始めたばかりだけど自分で事業をしている以上、例えば連続で10人くらいにバッシングされるようになったら暖簾を下ろす時だなと決めています。1日に10人やるわけではないので、コンディションやお客様との相性を言い訳にできないし、そんな下手糞なら他の店に行っても通用しないだろうなと思うからです。
話がそれましたが、寺のブランドか老舗に胡坐書いているのかわかりませんが、せどりのように高い値段設定をしておいてまずい料理を提供して粗利を稼ぐなんて、ましてやそんな体たらくでわざわざコロナの中イベントを開いてボーナスステージを設けようなんておかしいとしか思えません。
今回は長野に行けずに鬼怒川や山梨へ避暑に行くことになった盛大な私的の腹いせになってしまいましたが、露骨な拝金主義はヒンシュクをかうよというお話でした。
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