2015年09月18日
子供のころを思い出したので覚え書き
子育てをする側になって、、、
ときどき、子供の頃を自分を振り返り、
「あのとき、親がどう接していれば、どう変わっていたのだろう」
と考えるときがあります。
小学校に上がった頃、、、
当時の私はかなり頭が混乱していました。
何らかのスイッチが入ると、自分の意思と反して、頭の中が暴走しだします。
いろいろな妄想が浮かんで、途中から、どれが現実なのか妄想なのか分からなくなるのです。
その状態はしんどくて、しんどくて。
とはいえ、その状態を言語化して伝える、という発想すら全く無くて。
その状態のときの私って、親から見たらどのように映っていたのかなあ。。。
黙々と絵を描いたりマンガ読んだりしているだけ、と映っていたかも。
あ、ひたすらブロック遊びや色鉛筆並べとかもしていたなあ。。。
とにかく黙々だよね。
一人っ子なので、家で静かに黙々作業。
まあ、勉強は出来ているし。
当時の母は良くしゃべる母でした。
パートで会った出来事をたくさん話してきました。
あと、父へのグチや不満も。
一方的に話してきました。
パートに関しては、自分がみんなを楽しませた、とか、
自分がこういった機転を利かせた、とか、
他の人たちの至らない部分の話とか。
よく出る言葉は、「おばさんたちって感じ」みたいな言葉だったかな?
たとえばお土産の美味しくて有名なお菓子をおばちゃんたちの間で取り合いになって
「みんな必死なのに社長は驚いて。自分は何もしなかったら、○○さん(母)って、のんびりねえ」と言われた。
「おばさんになっても、女なのよね。(おばさんになっても、それではみっともない)
」
うーん、うまく言葉に出来ませんが、こんなノリのやんわりと自分は他のパートのおばちゃんとは違う、
みたいな話ばっかり。
今、思い出しても、あれはちょっとしんどい環境だったなあ。。。と。
母としては、黙々と自分からしゃべらない私に、いろいろと話しかけていたつもりかもしれません。
そうだそうだ、
あと、独身時代は割りとよい企業で働いていて、上司にかわいがられて高級料理をよくごちそうになったそうで、
上司の奥さんにもきちんと挨拶してたから、特に疑われなかった。
その話をしょっちゅうします。何百回、何千回聞いたかなあ。
「男性にこびる女性」が嫌な様で、自分は媚びなくても男性と友好的な関係をはぐくめた、という感じ。
そんなものばかりだったので、ある時期からうんざりしていましたが。。。
母としては「自立した女性になれ」ということを伝えたかったのかもしれません。
また、台所は母の聖地で、
私が母の留守中に何か作ったなら、
何を作ったかという話ではなく、後で「ここが汚れている、なんかくさい、場所が違う」
といった指摘がまず続きます。・
母としては、片付けなどが苦手な私に、いろいろと教えてくれていたのかもしれません。
ところが。。。
当時の私には、
「母」という存在よりは、自分がなんとか少しでも何かに没頭できて安心できる空間に割り入ってくる存在・・・
自然現象的な・・・
そんな感覚で受け止めていました。
人を人として見る感覚がうとかった。
とりあえず覚え書き
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ときどき、子供の頃を自分を振り返り、
「あのとき、親がどう接していれば、どう変わっていたのだろう」
と考えるときがあります。
小学校に上がった頃、、、
当時の私はかなり頭が混乱していました。
何らかのスイッチが入ると、自分の意思と反して、頭の中が暴走しだします。
いろいろな妄想が浮かんで、途中から、どれが現実なのか妄想なのか分からなくなるのです。
その状態はしんどくて、しんどくて。
とはいえ、その状態を言語化して伝える、という発想すら全く無くて。
その状態のときの私って、親から見たらどのように映っていたのかなあ。。。
黙々と絵を描いたりマンガ読んだりしているだけ、と映っていたかも。
あ、ひたすらブロック遊びや色鉛筆並べとかもしていたなあ。。。
とにかく黙々だよね。
一人っ子なので、家で静かに黙々作業。
まあ、勉強は出来ているし。
当時の母は良くしゃべる母でした。
パートで会った出来事をたくさん話してきました。
あと、父へのグチや不満も。
一方的に話してきました。
パートに関しては、自分がみんなを楽しませた、とか、
自分がこういった機転を利かせた、とか、
他の人たちの至らない部分の話とか。
よく出る言葉は、「おばさんたちって感じ」みたいな言葉だったかな?
たとえばお土産の美味しくて有名なお菓子をおばちゃんたちの間で取り合いになって
「みんな必死なのに社長は驚いて。自分は何もしなかったら、○○さん(母)って、のんびりねえ」と言われた。
「おばさんになっても、女なのよね。(おばさんになっても、それではみっともない)
」
うーん、うまく言葉に出来ませんが、こんなノリのやんわりと自分は他のパートのおばちゃんとは違う、
みたいな話ばっかり。
今、思い出しても、あれはちょっとしんどい環境だったなあ。。。と。
母としては、黙々と自分からしゃべらない私に、いろいろと話しかけていたつもりかもしれません。
そうだそうだ、
あと、独身時代は割りとよい企業で働いていて、上司にかわいがられて高級料理をよくごちそうになったそうで、
上司の奥さんにもきちんと挨拶してたから、特に疑われなかった。
その話をしょっちゅうします。何百回、何千回聞いたかなあ。
「男性にこびる女性」が嫌な様で、自分は媚びなくても男性と友好的な関係をはぐくめた、という感じ。
そんなものばかりだったので、ある時期からうんざりしていましたが。。。
母としては「自立した女性になれ」ということを伝えたかったのかもしれません。
また、台所は母の聖地で、
私が母の留守中に何か作ったなら、
何を作ったかという話ではなく、後で「ここが汚れている、なんかくさい、場所が違う」
といった指摘がまず続きます。・
母としては、片付けなどが苦手な私に、いろいろと教えてくれていたのかもしれません。
ところが。。。
当時の私には、
「母」という存在よりは、自分がなんとか少しでも何かに没頭できて安心できる空間に割り入ってくる存在・・・
自然現象的な・・・
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