2014年02月19日
バリダイビング事故 宮田さん遺体で発見
【デンパサール(インドネシア・バリ島)=伊東誠、寺岡秀樹】インドネシア・バリ島沖でスキューバダイビング中の日本人女性七人が行方不明になり、五人が救助された事故で、地元救難当局は十八日夕、バリ島南部スランガン島の沖合約百メートルの浅瀬で、女性の遺体を発見、インドネシア警察は観光客の宮田律子さん(59)と確認した。一方、救助された古川さおりさん(37)は十八日午後に報道陣の質問に文書で回答し、「自ら探しにいけないのが悔しい。祈るしかできない」と七人全員での生還を願っていた。
行方不明の七人のうち、古川さんら五人は十七日午後に救助された。救難当局は十九日も、残るインストラクター高橋祥子さん(35)の捜索に全力を挙げる。
宮田さんは十八日午後六時十分(日本時間同七時十分)ごろ、行方不明になった地点から西へ約二十五キロ離れた場所で見つかった。黒のダイビングスーツに浮力調整用のベスト、足ひれを装着しており、顔にすり傷があった。着けていた「1978−11−23」と彫られた結婚指輪などから宮田さんの夫が確認した。指輪には「MR」とイニシャルのような文字も刻まれていた。遺体の状況から十五日に死亡したとみられる。
救助された古川さんと、いずれも観光客の山本栄美(えみ)さん(33)、森園彩さん(27)、冨田奈穂美さん(28)、吉留温美(よしどめあつみ)さん(29)の五人は、地元の病院で一夜を明かした。
古川さんを除く四人が入院している病院の医師によると、いずれも顔や手足に日焼けによるやけどやすり傷があるが、元気で早ければ数日以内に全員の退院が可能という。
◆古川さん壮絶4日間 水面洗濯機のよう 発泡スチロール巻き保温
【デンパサール=伊東誠、寺岡秀樹】救助された古川さおりさんは報道陣の質問に文書で回答し、事故当時の状況や救出までの四日間を振り返った。要旨は次の通り。
◆漂流まで
十四日のダイビング開始時、波はほぼなく、天気も穏やかだったが、(船との合流地点にきたとき)突然強風と豪雨に見舞われ、水面が洗濯機のように回りだし、全員が手を取り合った状態でグルグル回った。視界が回復してからは方向や現在地は把握していた。島に近いときは泳ごうかと試みたが、体力温存で皆で固まって動くのをやめた。パニックはなかった。意識が飛びそうになったときは励ましあい、ココナツが流れてきたのを飲んだりして翌朝まで手を取り合った。十五日午前にタグボートが近かったので、救援を求めるため私が代表で近づいていったが、追いつけなかった。他のメンバー全員が元の場所にいたはずだが、潮流が激しく、どんどん離れてしまった。
◆岩場では
十五日夕、何時間も泳いで絶壁に近づいて、足が届くところまで打ち寄せられた。救援を頼もうとしたが、目の前は大波と潮流の激しい海、後ろは断崖絶壁で、体力的に身動きがとれなくなった。雨水をためたり、枯れ葉の水滴をすすったり、打ち寄せられたゴミのペットボトルの中のまだ飲めるもので渇きはしのいだ。岩陰で雨にぬれないようにしてゴミの発泡スチロールを巻いて保温した。
◆救出のとき
動けず、体を横にしていた際、ボートから皆で叫んでくれたので意識が戻った。すごい大波だったが、一人の仲間が勇敢にも岸まで泳いできてくれた。しばらくしてヘリが何とか場所を見つけ着陸してくれた。ヘリに乗るまで必死だった。皆さまのお心、多大なるご協力に深く感謝している。四人の無事はヘリから見えたが、(捜索が続いていた二人については)祈ることしかできない。
東京新聞より引用しました。
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