先ず、彼らは歩き易い道を選ぶ。
象が通った跡や猪が群れをなして通った跡である。
その内、ゴリラの新しい糞や食べ跡を見付けると、今度はゴリラの通った跡を慎重に辿り始める。
然し、何かの音や臭いを感知すると、立ち止まって辺りを入念に探索する。
そして、蜂の巣やアフリカオニネズミの穴などを見付けたら、忽ち追跡を中断して、蜜や肉を得様とする。
彼らにとって、森歩きは森と対話する事であり、何かの兆候を見付けたらそれに全身全霊を傾けるのだ。
ゴリラの追跡はそのおまけと言う事になる。
何気なく歩いている様でも、彼らの注意は森全体に張り巡らされていて、象の寝息を感じて道を逸らせたり、僅かな草の乱れで哺乳類の一種、ハイラックスがいる事を見抜いたりする。
マチュテ(山刀)で藪を切り開いて行くが、毒蛇などの僅かな動きも見逃さない。
蔦を引き付りだして、体に巻き付け「これは椅子を作るのに持って来いの材料だ」と言う。
葉っぱを何枚も摘まんで束ね、頭痛に効く薬だと解説してくれた。
森は彼らの生活全てを支えてきたのだと私は思い知った。
総合地球環境学研究所長 山極 寿一
愛媛新聞 現論から
その中に身を浸すと、思わず心が沸き立つ。
自然の動きの中に自分がいる事を思い出させてくれるらしい。
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