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2022年02月05日
「無敵探偵活劇 アケチ大戦争」について
「小説家になろう」にて、「無敵探偵活劇 アケチ大戦争」と言う長編小説の連載を、新たに始める事にしました。
これは、「ルシーの明日とその他の物語」内のボツネタ集で紹介していた「アケチ大戦争」と言うネタを、本気で執筆したものです。
ボツネタ段階では、「もし、このネタを本気で書くのでしたら、私よりも、もっとコアな江戸川乱歩マニアに任せた方が良い」と述べていた本作ですが、どうせ、こう提案しても、誰も書かないでしょうし、実は、この半年ほど、私自身が、電子書籍や青空文庫などを活用して、江戸川乱歩先生の諸作品をたっぷり読ませていただきました。
この大作を私でも書けそうな感じがしてきましたので、ついに、やる気になった次第です。
はっきり言って、かなりの長編になると思います。最後までの構想はまとまっているものの、もしかすると、書き終えれないかもしれません。でも、私も、そろそろ創作欲求も尽きてきましたし、本作に残りの情熱を全て注いでも良いかなと思っているところなのであります。
また、「小説家になろう」で、エロ小説の「ハイスクール全裸」を書いておりますと、ついつい調子に乗って、100話を軽くオーバーしてしまいました。これを見てて、なんか、普通の小説でも、100話以上の長さになる大長編を発表したくなったのでありました。
そんな訳で、江戸川乱歩や明智小五郎・怪人20面相などが好きな方でしたら、この私の新作を気軽に読んでいただけたら、幸いでございます。あちこちに、マニアの心をくすぐるような原作の要素を投入しておりますので、その辺を楽しんでいただけたら嬉しいかな、と思います。
「無敵探偵活劇 アケチ大戦争」
これは、「ルシーの明日とその他の物語」内のボツネタ集で紹介していた「アケチ大戦争」と言うネタを、本気で執筆したものです。
ボツネタ段階では、「もし、このネタを本気で書くのでしたら、私よりも、もっとコアな江戸川乱歩マニアに任せた方が良い」と述べていた本作ですが、どうせ、こう提案しても、誰も書かないでしょうし、実は、この半年ほど、私自身が、電子書籍や青空文庫などを活用して、江戸川乱歩先生の諸作品をたっぷり読ませていただきました。
この大作を私でも書けそうな感じがしてきましたので、ついに、やる気になった次第です。
はっきり言って、かなりの長編になると思います。最後までの構想はまとまっているものの、もしかすると、書き終えれないかもしれません。でも、私も、そろそろ創作欲求も尽きてきましたし、本作に残りの情熱を全て注いでも良いかなと思っているところなのであります。
また、「小説家になろう」で、エロ小説の「ハイスクール全裸」を書いておりますと、ついつい調子に乗って、100話を軽くオーバーしてしまいました。これを見てて、なんか、普通の小説でも、100話以上の長さになる大長編を発表したくなったのでありました。
そんな訳で、江戸川乱歩や明智小五郎・怪人20面相などが好きな方でしたら、この私の新作を気軽に読んでいただけたら、幸いでございます。あちこちに、マニアの心をくすぐるような原作の要素を投入しておりますので、その辺を楽しんでいただけたら嬉しいかな、と思います。
「無敵探偵活劇 アケチ大戦争」
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2022年01月22日
100万馬力の鉄腕アトム
テーマソングでも歌われているように、鉄人アトムは10万馬力だと一般の読者には認知されているはずだが、実際には、原作マンガでは、アトムは、後期のエピソードから100万馬力にとパワーアップされている。
その結果、ただでさえ強かったアトムは、それこそ無敵となり、同じ100万馬力のプルートウとの戦いでは終始、相手を圧倒していたし、200万馬力のボラーですらも瞬殺してしまうのだった。(「地上最大のロボット」)まさに、少年マンガ初のパワーインフレなのだ。
プルートウ戦のあとも、アトムは10万馬力に戻される事はなかったらしく、30万馬力の宇宙ロボット・ロボイド軍団を相手にしても、アトムは全く後れをとる事はなかった。(「ロボイド」)
のちに、アトムはタイムスリップにと巻き込まれて、ボディだけが誕生した時のものと置き換わってしまう。(「ミーバ」)当然、この時、パワーの方も10万馬力に戻ってしまったのではないかと思われるのだが、その後のアトムも、100万馬力のカラブス(「一億年前の犯罪」)や30万馬力のノバ(「ゾロモンの宝石」)などを、特に苦戦する事もなく、やっつけているのであった。
その結果、ただでさえ強かったアトムは、それこそ無敵となり、同じ100万馬力のプルートウとの戦いでは終始、相手を圧倒していたし、200万馬力のボラーですらも瞬殺してしまうのだった。(「地上最大のロボット」)まさに、少年マンガ初のパワーインフレなのだ。
プルートウ戦のあとも、アトムは10万馬力に戻される事はなかったらしく、30万馬力の宇宙ロボット・ロボイド軍団を相手にしても、アトムは全く後れをとる事はなかった。(「ロボイド」)
のちに、アトムはタイムスリップにと巻き込まれて、ボディだけが誕生した時のものと置き換わってしまう。(「ミーバ」)当然、この時、パワーの方も10万馬力に戻ってしまったのではないかと思われるのだが、その後のアトムも、100万馬力のカラブス(「一億年前の犯罪」)や30万馬力のノバ(「ゾロモンの宝石」)などを、特に苦戦する事もなく、やっつけているのであった。
タグ:鉄腕アトム
2022年01月11日
ブログを中断していた理由
このブログは、かれこれ1年ぐらい、新規投稿をやめていたのですが、今年から、またボチボチと新記事のアップを再開したいと思っています。
なぜ、こんな長い期間、書き込みをしていなかったのかと言いますと、ブログを書く事に飽きたからでも、私自身の実生活の事情による訳でもなく、単に、前回の記事が実に最終回向けの話題っぽかったからであります。
このブログは、そもそも、ノストラダムスの1999年予言のネタ(「1999年の恐怖」)から始まりました。そして、前回の記事(2020年9月3日)が「地球のほろびる時」という地球滅亡本の紹介文です。
見事につながっているではありませんか!
せっかく、上手にまとまりましたので、勿体なくて、しばらく、この状態で放置させていただいていた次第です。
まあ、1年以上、この状態を持続して、様式美も堪能できましたし、そろそろ、再び、くだらない小ネタのたぐいを、こちらのブログにて、いろいろと提示していきたいと思います。
ブログ休止中は、実は、ずっと電子書籍でマンガばかりを読んでおりました。以前と比べると、私も、かなり新知識を蓄えましたし、それらの成果を、こちらのブログでも順に披露していきたいのです。
なぜ、こんな長い期間、書き込みをしていなかったのかと言いますと、ブログを書く事に飽きたからでも、私自身の実生活の事情による訳でもなく、単に、前回の記事が実に最終回向けの話題っぽかったからであります。
このブログは、そもそも、ノストラダムスの1999年予言のネタ(「1999年の恐怖」)から始まりました。そして、前回の記事(2020年9月3日)が「地球のほろびる時」という地球滅亡本の紹介文です。
見事につながっているではありませんか!
せっかく、上手にまとまりましたので、勿体なくて、しばらく、この状態で放置させていただいていた次第です。
まあ、1年以上、この状態を持続して、様式美も堪能できましたし、そろそろ、再び、くだらない小ネタのたぐいを、こちらのブログにて、いろいろと提示していきたいと思います。
ブログ休止中は、実は、ずっと電子書籍でマンガばかりを読んでおりました。以前と比べると、私も、かなり新知識を蓄えましたし、それらの成果を、こちらのブログでも順に披露していきたいのです。
2020年09月03日
地球のほろびる時
昭和の頃の子供向け雑誌には、恒例のように、「地球や人類はどう滅びるか?」と言うテーマの特集記事が載っていました。
それらの特集では、地球に大接近する巨星や、氷河期で凍りついた都市など、恐ろしい光景がリアルなイラストで描かれており、読んでいる私たち子どもの心にも強烈に突き刺さったのでした。
雑誌内でとどまらず、とうとう、まるごと一冊「人類滅亡」について語った本としては、秋元文庫の「地球のほろびる時」(秋元書房・1975年)や、ナンバーワン・ブックスの「地球滅亡と未来の世界」(フレーベル館・1975年)などがあります。
特に、「地球滅亡と未来の世界」は、この先の人類を襲うかもしれない暗黒の未来が、群を抜いて、多く紹介されており、読者の心に不安と恐怖を掻き立てます。
まず、カラー口絵で、1982年に起きる「惑星直列」が提示されていて、太陽系の全惑星が並んだイラストで、読む者にショックを与えるとともに、時代を感じさせてくれます。
当時は、本当に、惑星直列で何かが起きるのではないかと騒がれたのですが、結局は、全く何も起きませんでした。そもそも、惑星直列は179年周期で到来しますので、その度に絶滅規模の大異変があるのなら、当然、過去の記録が残っているはずなのであります。
続いて、短編マンガ「もしも」が載っているのですが、これが宇宙ビールスを題材にしたSFです。皮肉にも、新型コロナに翻弄される今の人類そっくりの情景が描かれているのでした。
以降、「人間がつくった地球の危機」「おろかな人間!!くりかえす戦争」「地球大異変」「なにもない地球」という章タイトルが並び、テーマに分けて、さまざまな人類の危機が紹介されます。地球が滅びるところまでいかないネタも多いのですが、人類が苦しみながら生き続けているイラストは、逆に、地味に怖いです。
こんな本を真剣に読んでいた私が、のちに、ノストラダムスの滅亡予言の熱心な愛好者になってしまったのも、ある意味、当然なのであります。私の書く小説が、ネガティブで、人類や文明社会に批判的なのも、これらの本の影響を受けているからなのです。
ただし、「地球滅亡と未来の世界」には、実は、さりげなく良心も詰め込まれておりまして、最終章「ぼくたちの未来は!?」では、夢あふれる未来科学の数々についても触れられていたのでした。まるで、パンドラの箱の中の「希望」なのです。
そして、こうした人類滅亡ネタの本が沢山、発行されていた時代から、およそ50年が経ちました。
今、我々が住んでいる地球は、本当に、これらの本に書かれていた事が現実に起きています。温室効果だったり、大地震だったり、核戦争勃発の危惧だったり、人口の爆発的増加だったり、地球に落下しかねなかった小惑星ですら頻繁に見つかっています。
半世紀も前から予測されていたのに、結局、これらの脅威を実際に招いてしまった人類のことが、やはり、ほんとに愚かだったのだとも思わざるを得ないのです。
それらの特集では、地球に大接近する巨星や、氷河期で凍りついた都市など、恐ろしい光景がリアルなイラストで描かれており、読んでいる私たち子どもの心にも強烈に突き刺さったのでした。
雑誌内でとどまらず、とうとう、まるごと一冊「人類滅亡」について語った本としては、秋元文庫の「地球のほろびる時」(秋元書房・1975年)や、ナンバーワン・ブックスの「地球滅亡と未来の世界」(フレーベル館・1975年)などがあります。
特に、「地球滅亡と未来の世界」は、この先の人類を襲うかもしれない暗黒の未来が、群を抜いて、多く紹介されており、読者の心に不安と恐怖を掻き立てます。
まず、カラー口絵で、1982年に起きる「惑星直列」が提示されていて、太陽系の全惑星が並んだイラストで、読む者にショックを与えるとともに、時代を感じさせてくれます。
当時は、本当に、惑星直列で何かが起きるのではないかと騒がれたのですが、結局は、全く何も起きませんでした。そもそも、惑星直列は179年周期で到来しますので、その度に絶滅規模の大異変があるのなら、当然、過去の記録が残っているはずなのであります。
続いて、短編マンガ「もしも」が載っているのですが、これが宇宙ビールスを題材にしたSFです。皮肉にも、新型コロナに翻弄される今の人類そっくりの情景が描かれているのでした。
以降、「人間がつくった地球の危機」「おろかな人間!!くりかえす戦争」「地球大異変」「なにもない地球」という章タイトルが並び、テーマに分けて、さまざまな人類の危機が紹介されます。地球が滅びるところまでいかないネタも多いのですが、人類が苦しみながら生き続けているイラストは、逆に、地味に怖いです。
こんな本を真剣に読んでいた私が、のちに、ノストラダムスの滅亡予言の熱心な愛好者になってしまったのも、ある意味、当然なのであります。私の書く小説が、ネガティブで、人類や文明社会に批判的なのも、これらの本の影響を受けているからなのです。
ただし、「地球滅亡と未来の世界」には、実は、さりげなく良心も詰め込まれておりまして、最終章「ぼくたちの未来は!?」では、夢あふれる未来科学の数々についても触れられていたのでした。まるで、パンドラの箱の中の「希望」なのです。
そして、こうした人類滅亡ネタの本が沢山、発行されていた時代から、およそ50年が経ちました。
今、我々が住んでいる地球は、本当に、これらの本に書かれていた事が現実に起きています。温室効果だったり、大地震だったり、核戦争勃発の危惧だったり、人口の爆発的増加だったり、地球に落下しかねなかった小惑星ですら頻繁に見つかっています。
半世紀も前から予測されていたのに、結局、これらの脅威を実際に招いてしまった人類のことが、やはり、ほんとに愚かだったのだとも思わざるを得ないのです。
2020年09月01日
長渕剛
長渕剛が人気が出だした頃(1978年)、私の姉も長渕氏のファンになっておりましたので、必然的に、私も長渕氏の曲をよく聴く事になりました。
姉は、しっかり、長渕氏のファーストアルバム「風は南から」(1979年)のレコード盤も持っておりまして、私も目いっぱい一緒に聴かされました。時期は、私が小学六年生の時です。
でも、その事で、私にも、このアルバムから、いくつも、心に残る曲が生まれたのでした。
普通だったら、「巡恋歌」「俺らの家まで」あたりの代表作がピックアップされるところなのでしょうが、私が特に好きだったのは「僕の猫」「不快指数100%ノ部屋」「今宵最後のブルース」の三曲です。
やはり、これらの曲が好きになった背景には、当時、私が読んでいた本も影響していたのでした。
まず、「僕の猫」が気に入っている理由は、少年期の私が猫を飼っていたからです。そう、この歌は、猫好きにとっては、たまらない歌詞なのでした。
また、私が小学六年生の時は、東京に居た兄が、自分の持ってた本を、大量に、私のいた実家に送り込んできた年でもあり、それらの本の中に、白土三平の劇画マンガ「忍者武芸帳」(小学館文庫)も混ざっておりました。
当時、貪欲に本を読んでいた私は、この「忍者武芸帳」も夢中で読ませてもらって、なぜか、「忍者武芸帳」の登場人物の一人である蛍火に激しい恋心を抱いてしまったのでした。思春期の男の子にとっては、はじめて、マンガの中の女性に心を時めかした瞬間です。(ちなみに、私には、小説のヒロインでも、映画のヒロインでも、はじめて恋したキャラが、はっきりと存在します)
そして、アダルトな雰囲気の「今宵最後のブルース」を聴くと、蛍火に恋した、当時の甘酸っぱい気持ちが、なんとなく、浮かび上がってしまうのでした。
最後の「不快指数100%ノ部屋」ですが、このアンニュイな感じの曲は、私には、眉村卓の小説と結びついています。当時の私は、難しめの小説もガンガン読み始めていた時期で、その中でも、特に眉村氏の小説を気に入って、集中して読み出していたのでした。
眉村氏の大人向けの小説は、短編ですら、スッキリしない終わり方のものが多いです。当時の私は、角川文庫の「変な男」や「奇妙な妻」などを読んでいたのですが、これらの作品は、氏のジュブナイル小説とも雰囲気が異なり、その殺伐さが、ひどく「不快指数100%ノ部屋」の世界観ともマッチしたのでした。
さて、長渕剛は、その後も「順子」や「GOOD-BYE青春」「ろくなもんじゃねえ」などのヒット曲を飛ばし続け、姉も聴き続けていたようなのですが、私はあまりハマりませんでした。
理由として、私も、中学生になると、姉のお下がりの曲ばかりは聴かなくなりましたし、姉自身も、その頃、就職する為に、実家から出て行ってしまい、姉のイチオシ曲を聴く機会そのものが減っていったからです。
だから、私にとっての長渕剛とは、あくまで、ファーストアルバムの「風は南から」で止まったままなのでした。
2020年08月30日
「驚異!なぞだらけの四次元」
私が、四次元に興味を持つようになった、きっかけの本が、このナンバーワン・ブックスの「驚異!なぞだらけの四次元」(フレーベル館・1974年)です。
多分、私が小学生中学年ぐらいの時に読んだような気がします。でも、その頃の私って、「マグマ大使」のテーマ曲とか、四次元怪獣とかで、すでに「四次元」って言葉は知ってたような気もするのですが。
にも関わらず、この「なぞだらけの四次元」は、石原豪人氏らの描いたリアルなイラストが、なんとも言えない不気味さを醸し出していて、当時の私に強い印象を与えたのでした。
まず、四次元の話題だけで、一冊の本を書き上げちゃっているところが凄いです。
次元を説明するにあたり、蟻を例えに使っているあたりから、なんか別世界の話をしているみたいで、子供心をグイッと掴まれてしまいました。そのあと、バミューダ海域やメビウスの輪などが紹介されており、さらには、「アキレスはカメに追いつけない!?」とか「消えてしまうふしぎな正方形」と言った、四次元とは関係ない、数学の奇妙なロジックの話まで掲載されています。
また、このナンバーワン・ブックスと言う児童書のシリーズは、ライセンス博士というオリジナルキャラをマスコットに使用しており、加えて、各章ごとのクイズや、長め(1話10ページほど)の読み切りマンガも何話か収録されていて、他の同傾向の児童書と比べてみても、内容がとても豊富です。
ちなみに、この「なぞだらけの四次元」には、ウェルズの「タイム・マシン」とハインラインの「歪んだ家」がマンガ化されて、収納されていました。「タイム・マシン」のモーロック人が、原作小説や映画版以上に、凶悪な姿に描かれていて、インパクト大なのです。
こうして、この本を読んで以来、私は「四次元」にとハマり、その後も、少年少女講談社文庫の「四次元の世界をさぐる」(1973年)とか、ユアコースシリーズの「SF入門 なぞの四次元」(学習研究社・1975年)を買ったり、それどころか、ブルーバックス(講談社)や物理学の入門書、ついには、学校の図書館から幾何学の本まで借りてきて、読んでみたのでした。
でも、若かった私には、レベルが高い本ほど、内容が難しくて、訳が分からないのであります。そのうち、私の四次元への熱も、普通のレベルにまで冷めてしまったのでした。
2020年08月28日
「怪奇大全科」
私が中学二年生の時(40年ほど前)、テレビで放送されたホラー映画「キャリー」(1976年)にえらい感銘を受けまして、この映画について解説された本がどうしても欲しいと思いました。
その結果、手に入れたのが秋田書店の大全科シリーズの一冊「怪奇大全科」(1979年)です。
当時の私は、この本を、わざわざ出版元(秋田書店)に直に注文して、取り寄せました。今ならamazonで簡単にできる商品の直接購入も、昔は、かなり購入の手続きが面倒くさく、実行するには、だいぶ決意が必要だったのです。
この本一冊だけを取り寄せたのでは勿体ないので、確か、少年チャンピオンコミックスの「やけっぱちのマリア」全2巻(手塚治虫)と、世界怪奇ミステリー全集の第6巻「S・Fスリラー」(中岡俊哉)も一緒に購入したはずだと思いました。
で、肝心の「怪奇大全科」なのですが、もちろん、「キャリー」も収録されてはいましたが、それ以外の部分でも、かなり気合の入った内容でした。
と言いますのも、日本未公開の怪奇映画もいっぱい掲載されていたのです。この大全科シリーズは、文庫サイズの児童向けの本であるのも関わらずです。つまり、ほんとにマニアックな内容だったのであります。
ホラー映画に詳しくなった、のちの私でさえ、なおも、よく正体の分からなかった作品も、いろいろと載っていました。例えば、フランケンシュタインの娘(1958年)だとか、フランケンシュタイン対狼男(1943年)など、佐藤有文の「世界妖怪図鑑」(1973年)でも紹介されているにも関わらず、日本では未公開だった作品群です。
当時の児童書のライターさんは、子供相手でも決して手を抜かず、洋書の資料もガンガン使ってましたので、このような通好みの本も、普通に、出来上がる事になったのでしょう。
1979年以前の新旧のホラー系映画が、ジャンルごとにまとめてドドーッと掲載されていますので、レトロな怪奇映画を愛好する方でしたら、今読んでも、楽しめるのではないかと思います。
「ドラキュラ血のしたたり」(1971年)を紹介したページでは、さりげなく、女吸血鬼の乳房が見えちゃっている写真も使われていました。児童向けの本なのに、女性のヌード写真とは、なんか照れくさいです。
当時、この本を読んだ男の子たちも、ひょっこり、このおっぱい丸見え写真に気が付いて、ひそかにドキドキしちゃったのでしょうか。
私自身も、こんな感じで、ホラー映画を見ていると、思いがけずに、エッチなヌードまで拝めたものだから、じょじょにホラー映画好きになっていったのかな、と言う気もするのでした。
「怪奇大全科」の姉妹本とも言える「ショック残酷大全科」(1982年)は、もっとトンデモナイ内容です。
もはや、ホラー映画目録ですらなくて、ドキュメント映画などの痛そうな名場面ばかりを並べた残酷シーン絵巻なのであります。とても子供向けの本とは思えません。幼い子が読んだら、トラウマになりそうな気もするのですが、よく企画が通って、発行にまで漕ぎ着けられたものです。
「怪奇大全科」の補強という意味もあったのか、後半の方のページは、1979年以後に公開された新作ホラー映画の紹介にも割かれています。
それで、私もこの本は購入していたのですが、こちらでも、「デビルスピーク」(1981年)のページでは、女性のヌード写真が使われていました。これが、「怪奇大全科」以上に、おっぱいがハッキリ見えた写真であり、恥ずかしくて、よけい私の記憶には深く残ったのでした。
その結果、手に入れたのが秋田書店の大全科シリーズの一冊「怪奇大全科」(1979年)です。
当時の私は、この本を、わざわざ出版元(秋田書店)に直に注文して、取り寄せました。今ならamazonで簡単にできる商品の直接購入も、昔は、かなり購入の手続きが面倒くさく、実行するには、だいぶ決意が必要だったのです。
この本一冊だけを取り寄せたのでは勿体ないので、確か、少年チャンピオンコミックスの「やけっぱちのマリア」全2巻(手塚治虫)と、世界怪奇ミステリー全集の第6巻「S・Fスリラー」(中岡俊哉)も一緒に購入したはずだと思いました。
で、肝心の「怪奇大全科」なのですが、もちろん、「キャリー」も収録されてはいましたが、それ以外の部分でも、かなり気合の入った内容でした。
と言いますのも、日本未公開の怪奇映画もいっぱい掲載されていたのです。この大全科シリーズは、文庫サイズの児童向けの本であるのも関わらずです。つまり、ほんとにマニアックな内容だったのであります。
ホラー映画に詳しくなった、のちの私でさえ、なおも、よく正体の分からなかった作品も、いろいろと載っていました。例えば、フランケンシュタインの娘(1958年)だとか、フランケンシュタイン対狼男(1943年)など、佐藤有文の「世界妖怪図鑑」(1973年)でも紹介されているにも関わらず、日本では未公開だった作品群です。
当時の児童書のライターさんは、子供相手でも決して手を抜かず、洋書の資料もガンガン使ってましたので、このような通好みの本も、普通に、出来上がる事になったのでしょう。
1979年以前の新旧のホラー系映画が、ジャンルごとにまとめてドドーッと掲載されていますので、レトロな怪奇映画を愛好する方でしたら、今読んでも、楽しめるのではないかと思います。
「ドラキュラ血のしたたり」(1971年)を紹介したページでは、さりげなく、女吸血鬼の乳房が見えちゃっている写真も使われていました。児童向けの本なのに、女性のヌード写真とは、なんか照れくさいです。
当時、この本を読んだ男の子たちも、ひょっこり、このおっぱい丸見え写真に気が付いて、ひそかにドキドキしちゃったのでしょうか。
私自身も、こんな感じで、ホラー映画を見ていると、思いがけずに、エッチなヌードまで拝めたものだから、じょじょにホラー映画好きになっていったのかな、と言う気もするのでした。
「怪奇大全科」の姉妹本とも言える「ショック残酷大全科」(1982年)は、もっとトンデモナイ内容です。
もはや、ホラー映画目録ですらなくて、ドキュメント映画などの痛そうな名場面ばかりを並べた残酷シーン絵巻なのであります。とても子供向けの本とは思えません。幼い子が読んだら、トラウマになりそうな気もするのですが、よく企画が通って、発行にまで漕ぎ着けられたものです。
「怪奇大全科」の補強という意味もあったのか、後半の方のページは、1979年以後に公開された新作ホラー映画の紹介にも割かれています。
それで、私もこの本は購入していたのですが、こちらでも、「デビルスピーク」(1981年)のページでは、女性のヌード写真が使われていました。これが、「怪奇大全科」以上に、おっぱいがハッキリ見えた写真であり、恥ずかしくて、よけい私の記憶には深く残ったのでした。
2020年08月26日
悪の校長先生
2020年08月24日
手塚治虫の特集本
これも、私が小学生高学年か中学一年生ごろのお話です。
ある日、私は、親に連れられて、近所の雑貨屋へ買い物に来ていました。
すると、その雑貨屋の店先に、前の方のページがだいぶ破られたマンガ雑誌が置かれていたのです。もしかすると、その雑貨屋では、その雑誌を新聞紙がわりに使っていたのかもしれません。
でも、私は、そのマンガ雑誌に目を奪われました。と言いますのも、その雑誌には、私が大好きだった手塚治虫先生の特集が載っていたからです。
と言っても、前の方のページがすでに破かれていて、無かったので、全部を読めた訳ではありません。しかし、残っていたページでは、手塚先生が過去に描いたマンガの一覧表が、10ページぐらいに渡って、ずらっと並んで、載っていたのです。
私が、この雑誌を勝手に手に取って、食い入るように読んでますと、この雑貨屋の主人も良い人で、私に、このマンガ雑誌をタダで譲ってくれました。で、私も、喜んで、この雑誌を自宅へと持ち帰り、貴重な手塚先生の特集本として、繰り返し読みまくったのでした。
今でこそ、手塚治虫氏の研究本は溢れるほど出回っていますが、40年以上前の昭和の時代では、手塚先生も、そこまで「マンガの神様」として神格化はされておらず、氏の特集本と言うのも僅かでした。何よりも、この雑誌の作品リストの部分が参考になって、私には、とてもタメになったのです。
さて、このブログで昔の思い出話を書いておりますと、急に、そんな事も思い出しまして、あらためて、この手塚先生の特集が載っていた雑誌の正体を探ってみる気になりました。
ところが、私は、この本の表紙ページを知らないのであります。破かれてて、すでに無かった訳ですから。てな事で、ネットで、雑誌の表紙ページを見ただけでは、十分な照合ができないのでした。
それでも、どうやら、この本じゃなかろうかと、怪しく思われた本が、「週刊少年マガジン」の昭和49年17号(講談社)です。この本には、確かに、「手塚治虫30年史」と言う巻頭大特集が組まれていたようなのであります。しかし、過去の私は、この表紙ページを見てませんので、何とも、断定できないのでした。ネットで、さらに、この昭和49年17号のことを調べてみたのですが、私が見た事のある手塚作品一覧表も掲載されていたのかどうかは、ついに分かりませんでした。
しかし、私には、別の手がかりが、もう一つ、ありました。この手塚治虫特集の雑誌には、永井豪氏の「バイオレンスジャック」が載っていたと記憶しているのです。それも、当時の私をドキドキした気持ちにさせてくれた、恵子先生が木に縛られて、服を脱がされてしまう回です。
「少年マガジン」の昭和49年17号を調べてますと、確かに「バイオレンスジャック」は載っています。それも、連載時期を照らし合わせますと、昭和49年17号の頃は、かの恵子先生が服を脱がされちゃうエピソードの時期と、ちょうど一致しているようなのです。
よって、私が読んだ手塚治虫特集のマンガ雑誌は、まず「少年マガジン」の昭和49年17号で、間違いなかったらしいのでした。
この雑誌のあとは、私は、コロタン文庫の「手塚治虫全百科」(小学館・1981年)を入手しまして、手塚マンガの大事な作品目録として、しばらく愛用する事になります。こちらの本の中身は、手塚先生の少年マンガだけに限定されていたのですが、氏の作品の過半数は少年マンガなので、ほとんど問題はなかったのです。
ある日、私は、親に連れられて、近所の雑貨屋へ買い物に来ていました。
すると、その雑貨屋の店先に、前の方のページがだいぶ破られたマンガ雑誌が置かれていたのです。もしかすると、その雑貨屋では、その雑誌を新聞紙がわりに使っていたのかもしれません。
でも、私は、そのマンガ雑誌に目を奪われました。と言いますのも、その雑誌には、私が大好きだった手塚治虫先生の特集が載っていたからです。
と言っても、前の方のページがすでに破かれていて、無かったので、全部を読めた訳ではありません。しかし、残っていたページでは、手塚先生が過去に描いたマンガの一覧表が、10ページぐらいに渡って、ずらっと並んで、載っていたのです。
私が、この雑誌を勝手に手に取って、食い入るように読んでますと、この雑貨屋の主人も良い人で、私に、このマンガ雑誌をタダで譲ってくれました。で、私も、喜んで、この雑誌を自宅へと持ち帰り、貴重な手塚先生の特集本として、繰り返し読みまくったのでした。
今でこそ、手塚治虫氏の研究本は溢れるほど出回っていますが、40年以上前の昭和の時代では、手塚先生も、そこまで「マンガの神様」として神格化はされておらず、氏の特集本と言うのも僅かでした。何よりも、この雑誌の作品リストの部分が参考になって、私には、とてもタメになったのです。
さて、このブログで昔の思い出話を書いておりますと、急に、そんな事も思い出しまして、あらためて、この手塚先生の特集が載っていた雑誌の正体を探ってみる気になりました。
ところが、私は、この本の表紙ページを知らないのであります。破かれてて、すでに無かった訳ですから。てな事で、ネットで、雑誌の表紙ページを見ただけでは、十分な照合ができないのでした。
それでも、どうやら、この本じゃなかろうかと、怪しく思われた本が、「週刊少年マガジン」の昭和49年17号(講談社)です。この本には、確かに、「手塚治虫30年史」と言う巻頭大特集が組まれていたようなのであります。しかし、過去の私は、この表紙ページを見てませんので、何とも、断定できないのでした。ネットで、さらに、この昭和49年17号のことを調べてみたのですが、私が見た事のある手塚作品一覧表も掲載されていたのかどうかは、ついに分かりませんでした。
しかし、私には、別の手がかりが、もう一つ、ありました。この手塚治虫特集の雑誌には、永井豪氏の「バイオレンスジャック」が載っていたと記憶しているのです。それも、当時の私をドキドキした気持ちにさせてくれた、恵子先生が木に縛られて、服を脱がされてしまう回です。
「少年マガジン」の昭和49年17号を調べてますと、確かに「バイオレンスジャック」は載っています。それも、連載時期を照らし合わせますと、昭和49年17号の頃は、かの恵子先生が服を脱がされちゃうエピソードの時期と、ちょうど一致しているようなのです。
よって、私が読んだ手塚治虫特集のマンガ雑誌は、まず「少年マガジン」の昭和49年17号で、間違いなかったらしいのでした。
この雑誌のあとは、私は、コロタン文庫の「手塚治虫全百科」(小学館・1981年)を入手しまして、手塚マンガの大事な作品目録として、しばらく愛用する事になります。こちらの本の中身は、手塚先生の少年マンガだけに限定されていたのですが、氏の作品の過半数は少年マンガなので、ほとんど問題はなかったのです。
2020年08月22日
「さよならの言葉」
八神純子の歌「さよならの言葉」(1978年)。ただし、私が聴き親しんでいたのは、今回、あらためて調べてみますと、小野香代子が歌っていたオリジナル版(1977年)の方でした。
やはり、姉がカセットに録音しておいたのを、私も一緒に聴いていて、それが心に染み込んでいたのであり、大体、小学生高学年ぐらいの話になります。
この「さよならの言葉」の物悲しいメロディは、バッドエンディングの小説が似合います。
私が「さよならの言葉」を聴き返して、まず思い出す小説は、H・G・ウェルズの短編「くぐり戸」でした。「くぐり戸」のラストシーンの寂しいムードは、まさに「さよならの言葉」にピッタリです。まあ、あくまで、これは、私が「くぐり戸」を読んでいた頃、BGMで「さよならの言葉」を聴いていた結果でもあるのですが。
他にも、学研のジュニアチャンピオンノベルス「怪奇・SF 恐怖のミステリーゾーン」(1977年)を読み返していても、私には「さよならの言葉」のメロディがよぎるのでした。
実は、姉のカセットには、この「さよならの言葉」に続けて、別の曲も録音されていました。
その曲の方が、私はもっと好きだったのですが、あいにく、曲名が分かりません。ネットの音楽サイトで、歌詞から調べてみようとしても、全くヒットしないのです。
当時(1978年)の歌謡曲ではあっても、それほどメジャーじゃない曲を、姉がたまたまカセットに入れていたのでしょう。40年以上も昔の話なので、姉も、もう、この曲のことは覚えてないのではないかと思われます。
私としては、いまだに気にかかってますので、いずれ、この曲のことを、このブログで皆に尋ねてみるかもしれません。「♪どこか船の見える港でのんびりお昼寝しよう」と言う歌い出しで始まる、女性シンガーの曲です。
やはり、姉がカセットに録音しておいたのを、私も一緒に聴いていて、それが心に染み込んでいたのであり、大体、小学生高学年ぐらいの話になります。
この「さよならの言葉」の物悲しいメロディは、バッドエンディングの小説が似合います。
私が「さよならの言葉」を聴き返して、まず思い出す小説は、H・G・ウェルズの短編「くぐり戸」でした。「くぐり戸」のラストシーンの寂しいムードは、まさに「さよならの言葉」にピッタリです。まあ、あくまで、これは、私が「くぐり戸」を読んでいた頃、BGMで「さよならの言葉」を聴いていた結果でもあるのですが。
他にも、学研のジュニアチャンピオンノベルス「怪奇・SF 恐怖のミステリーゾーン」(1977年)を読み返していても、私には「さよならの言葉」のメロディがよぎるのでした。
実は、姉のカセットには、この「さよならの言葉」に続けて、別の曲も録音されていました。
その曲の方が、私はもっと好きだったのですが、あいにく、曲名が分かりません。ネットの音楽サイトで、歌詞から調べてみようとしても、全くヒットしないのです。
当時(1978年)の歌謡曲ではあっても、それほどメジャーじゃない曲を、姉がたまたまカセットに入れていたのでしょう。40年以上も昔の話なので、姉も、もう、この曲のことは覚えてないのではないかと思われます。
私としては、いまだに気にかかってますので、いずれ、この曲のことを、このブログで皆に尋ねてみるかもしれません。「♪どこか船の見える港でのんびりお昼寝しよう」と言う歌い出しで始まる、女性シンガーの曲です。