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2015年07月05日
「絶歌」の裏事情を考える
巷では、元少年Aが書いた本「絶歌」の賛否で騒がれている。
この本を批難する人たちは「被害者の気持ちを考えてない」という倫理の立場でモノを言い、発売した側は「言論の自由」の名のもとに自己正当を主張する。実は、この双方の言い分は同次元で語れるものではないので、正しい結論が出るはずもなく、やがて、今回の騒動も騒がれただけで(これまでの同種の論議同様に)いずれは忘れ去られてしまう事になるのだろう。そして、またしばらくすると、再び似たような騒動が起こり、「言論の自由」がどうたらこうたらと弁護に利用される事になるのだ。
こうした表面的などっちが正しいかという話は、もう他の人たちがさんざん語りまくっているので、ここで再度繰り返そうという気はない。
単に「言論の自由」として「貴重な犯罪者心理の手記」を発表したかったのであれば、せめて「発表方法の選択」とかは考えになかったのだろうかとも思えてくる。
元少年Aが書いた文章を専門機関や大学に寄与して、ホームページなどで読める形にしても良かったはずなのだ。(もちろん、無料でである)元少年A自身がそこまで頭が回らなかったとしても、周囲の大人たちがそういう事を思い付いて、アドバイスしたり、段取りしてやるような余地はあったような感じもする。
しかし、「絶歌」は、そうした選択をとらずに、媒体は紙の本形式しか検討されず、しかも商業用の利益が生まれる本として発売されてしまった。
「絶歌」に対して批判的な人々というのは、内容以上に、そうした発表経緯に対して怒っているのだ。その事に対する抗議を、発売者側を擁護する人たちは「言論の自由」にすり替えようとしているものだから、なおさら火に油を注ぐ事態となっているのである。
何にせよ、「絶歌」を商業用の本として発売する事には正当性は何にもない。「言論の自由」にせよ「貴重な犯罪者心理の手記」にせよ、上述したように、信頼ある機関のホームページででも公開させてもらえれば、十分に目的は達成できるからである。むしろ、そのような形で発表した方が有益に活用されていたかもしれないのだ。
だから、人々は、「絶歌」をどうしても商業用の本として発売した事に、独善やエゴすら疑いたくなってくるのである。つまり、「言論の自由」とか「貴重な犯罪者心理の手記」とかは、しょせんはキレイごとのタテマエであり、本当の目的は金儲けじゃないか、と。
「絶歌」の初版は10万部で、発売された週には売上げランキング1位も獲得している。恐らく、元少年Aはそうとうな印税を手に入れるのではないかと思う。
気になるのは、その使い道だ。
良心的な視線で考えると、その額のほとんどは被害者への賠償にあてられるのではないかと言われている。まともな人間、本当に更生したと言うのであれば、それ以外の使い方はありえないだろう。
出版社は、元少年Aの印税の使い方については、いっさい干渉しないそうである。元少年Aも、印税の使い道については何も触れてはいない。
いっそうの事、「この本の売上げは、全て被害者への賠償に使います」宣言でも先にしておけば、「絶歌」はこれほどまでにも世間の槍玉に挙げられなくても済んだのだろうか。
しかし、そうとも言えない部分もあるのだ。
「被害者への賠償金作りの為の本」と言えば、何となく聞こえはいいが、うがった見方をすれば「ボクのした悪い事のお詫びの金を皆に出してもらおう」と言ってるようなものなのである。さらに、悪意を膨らませれば、被害者に対しても「お前に払う賠償金を(本を買った)オレたちが出してやらなくちゃいけないのか」と言う流れにもなってくる。
つまり、社会の悪意を被害者にまで及ぼさない為、元少年Aは「この本の印税は被害者への賠償に用いる」とはあえて公言しないようにしているのではないか、と考えてみる訳である。
以上のように推察してみると、何となく美談っぽくも思えるのだが、実はそうだったとしても大きな問題点がある。
そもそも、被害者は、元少年Aが手記を発売する事には迎合してないのだ。と言うのも、被害者が「絶歌」発売に苦情を発した事が、より「絶歌」が批難される一因にもなっているぐらいだからである。
なかなか満足に社会復帰できない元少年Aとしては、被害者への賠償金を作るにしても、もはや、自分の犯罪手記でも発売するぐらいしか方法が残されていなかったのかもしれない。しかし、皮肉ながら、賠償金を作る行為が、よけい被害者の被害を拡散させる有様になってしまったと言う事である。美談どころか笑えない話なのだ。
ここに、被害者側と加害者側の大きな考え方の違いが見えてくるとも言えよう。
加害者にしてみれば、被害者に詫びたくて、どうしても賠償金を払いたいという気持ちが強くなるのかもしれない。だが、被害者側は、お金なんかよりも、もっと違うものを加害者に求めたいものなのかもしれないのだ。
それは、悲しい過去の事件と一緒に加害者自身ももう二度と自分の前に姿を見せてほしくない、という気持ちである。元少年Aの被害者もそういう気持ちなのであり、だから、元少年Aが手記を書く事には拒絶的だったのだ。
それなのに、被害者の承諾も得ずに「絶歌」の発表に踏み切ってしまった元少年Aの行為は、仮に、裏の目的として賠償金作りがあったとしても、とても褒められるものではない。まだまだ彼は自分の気持ちばかり押し通してしまう「加害者」から抜け切れていないと言う証拠なのだ。
上述したように、信頼ある機関のホームページあたりで「絶歌」を発表するのが、被害者側の思いと加害者側の意思が歩み寄れた、もっとも正しい選択だったのであり、それが出来なかったのは、未熟なのか我が強すぎたのか、「絶歌」の事でこれからも元少年Aが批難の的になるのは仕方のない話と言えるのかもしれない。
この本を批難する人たちは「被害者の気持ちを考えてない」という倫理の立場でモノを言い、発売した側は「言論の自由」の名のもとに自己正当を主張する。実は、この双方の言い分は同次元で語れるものではないので、正しい結論が出るはずもなく、やがて、今回の騒動も騒がれただけで(これまでの同種の論議同様に)いずれは忘れ去られてしまう事になるのだろう。そして、またしばらくすると、再び似たような騒動が起こり、「言論の自由」がどうたらこうたらと弁護に利用される事になるのだ。
こうした表面的などっちが正しいかという話は、もう他の人たちがさんざん語りまくっているので、ここで再度繰り返そうという気はない。
単に「言論の自由」として「貴重な犯罪者心理の手記」を発表したかったのであれば、せめて「発表方法の選択」とかは考えになかったのだろうかとも思えてくる。
元少年Aが書いた文章を専門機関や大学に寄与して、ホームページなどで読める形にしても良かったはずなのだ。(もちろん、無料でである)元少年A自身がそこまで頭が回らなかったとしても、周囲の大人たちがそういう事を思い付いて、アドバイスしたり、段取りしてやるような余地はあったような感じもする。
しかし、「絶歌」は、そうした選択をとらずに、媒体は紙の本形式しか検討されず、しかも商業用の利益が生まれる本として発売されてしまった。
「絶歌」に対して批判的な人々というのは、内容以上に、そうした発表経緯に対して怒っているのだ。その事に対する抗議を、発売者側を擁護する人たちは「言論の自由」にすり替えようとしているものだから、なおさら火に油を注ぐ事態となっているのである。
何にせよ、「絶歌」を商業用の本として発売する事には正当性は何にもない。「言論の自由」にせよ「貴重な犯罪者心理の手記」にせよ、上述したように、信頼ある機関のホームページででも公開させてもらえれば、十分に目的は達成できるからである。むしろ、そのような形で発表した方が有益に活用されていたかもしれないのだ。
だから、人々は、「絶歌」をどうしても商業用の本として発売した事に、独善やエゴすら疑いたくなってくるのである。つまり、「言論の自由」とか「貴重な犯罪者心理の手記」とかは、しょせんはキレイごとのタテマエであり、本当の目的は金儲けじゃないか、と。
「絶歌」の初版は10万部で、発売された週には売上げランキング1位も獲得している。恐らく、元少年Aはそうとうな印税を手に入れるのではないかと思う。
気になるのは、その使い道だ。
良心的な視線で考えると、その額のほとんどは被害者への賠償にあてられるのではないかと言われている。まともな人間、本当に更生したと言うのであれば、それ以外の使い方はありえないだろう。
出版社は、元少年Aの印税の使い方については、いっさい干渉しないそうである。元少年Aも、印税の使い道については何も触れてはいない。
いっそうの事、「この本の売上げは、全て被害者への賠償に使います」宣言でも先にしておけば、「絶歌」はこれほどまでにも世間の槍玉に挙げられなくても済んだのだろうか。
しかし、そうとも言えない部分もあるのだ。
「被害者への賠償金作りの為の本」と言えば、何となく聞こえはいいが、うがった見方をすれば「ボクのした悪い事のお詫びの金を皆に出してもらおう」と言ってるようなものなのである。さらに、悪意を膨らませれば、被害者に対しても「お前に払う賠償金を(本を買った)オレたちが出してやらなくちゃいけないのか」と言う流れにもなってくる。
つまり、社会の悪意を被害者にまで及ぼさない為、元少年Aは「この本の印税は被害者への賠償に用いる」とはあえて公言しないようにしているのではないか、と考えてみる訳である。
以上のように推察してみると、何となく美談っぽくも思えるのだが、実はそうだったとしても大きな問題点がある。
そもそも、被害者は、元少年Aが手記を発売する事には迎合してないのだ。と言うのも、被害者が「絶歌」発売に苦情を発した事が、より「絶歌」が批難される一因にもなっているぐらいだからである。
なかなか満足に社会復帰できない元少年Aとしては、被害者への賠償金を作るにしても、もはや、自分の犯罪手記でも発売するぐらいしか方法が残されていなかったのかもしれない。しかし、皮肉ながら、賠償金を作る行為が、よけい被害者の被害を拡散させる有様になってしまったと言う事である。美談どころか笑えない話なのだ。
ここに、被害者側と加害者側の大きな考え方の違いが見えてくるとも言えよう。
加害者にしてみれば、被害者に詫びたくて、どうしても賠償金を払いたいという気持ちが強くなるのかもしれない。だが、被害者側は、お金なんかよりも、もっと違うものを加害者に求めたいものなのかもしれないのだ。
それは、悲しい過去の事件と一緒に加害者自身ももう二度と自分の前に姿を見せてほしくない、という気持ちである。元少年Aの被害者もそういう気持ちなのであり、だから、元少年Aが手記を書く事には拒絶的だったのだ。
それなのに、被害者の承諾も得ずに「絶歌」の発表に踏み切ってしまった元少年Aの行為は、仮に、裏の目的として賠償金作りがあったとしても、とても褒められるものではない。まだまだ彼は自分の気持ちばかり押し通してしまう「加害者」から抜け切れていないと言う証拠なのだ。
上述したように、信頼ある機関のホームページあたりで「絶歌」を発表するのが、被害者側の思いと加害者側の意思が歩み寄れた、もっとも正しい選択だったのであり、それが出来なかったのは、未熟なのか我が強すぎたのか、「絶歌」の事でこれからも元少年Aが批難の的になるのは仕方のない話と言えるのかもしれない。
タグ:絶歌
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全怪獣怪人大百科
ケイブンシャの「全怪獣怪人大百科」の各年度版が、ヤフオクでけっこう出品されている。この本は、古い年度のものほど高価なのだが、入札者がどうしても、その年度のが欲しいのか、後期の年度のものにもなかなかの値段がついているようだ。
ちなみに、私は全年度版を持っています。その内訳は、下のページを参考の事。
「全怪獣怪人大百科」収録作品一覧
「全怪獣怪人大百科」昭和56年度版
「全怪獣怪人大百科」昭和57年度版
「全怪獣怪人大百科」昭和51年度版
【裏ワザ】覚えやすいメールアドレスでEメール上級者の仲間入り!
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SF宇宙怪物ベム図鑑
立風書房のジャガーバックスの中でも、稀少度が高い上に、欲しがっている人も多い「SF宇宙怪物ベム図鑑」が、久々にヤフオクに出品されている。
出品者の人は、この本の価値を分かってないのか、500円から始めているが、恐らく最終的な落札価格は10倍以上に膨れ上がるはずだ。
私は、もちろん、学生時代に本屋で買ったので、すでに持ってます。
「SF宇宙怪物ベム図鑑」
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出品者の人は、この本の価値を分かってないのか、500円から始めているが、恐らく最終的な落札価格は10倍以上に膨れ上がるはずだ。
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2015年07月04日
人生の狂いはじめ
もし、結婚して子どもを作り、何でもいいから安定した仕事に落ち着く事がノーマルな人間の生き方だと言うのならば、50才近くになっても結婚せずに、本職の方もいまだに定まっていない私は、かなり人生をしくじってしまった人間だとも言えるのかもしれない。
なぜ、私が平均的な人間らしい生活に落ち着かなかったのかと言うと、そもそも、作家(ライター)職に就きたい、という夢が大きすぎたのが原因だったのだと思う。作家になれない限り(実際、私は作家という職業につけなかった)は、そんなダメな人間(私のこと)は結婚する価値も無いし、他の仕事だってうまく務めれるはずがない、と言う劣等感(と言うか、自分への失望や自信の無さ)が強すぎて、普通の人のような平凡な人生すら送ろうという気持ちになれなかった訳だ。
もちろん、私以外にも、小説家になりたいとかマンガ家になりたいとか考えている普通人はいっぱいいるはずで、そんな人たちのほとんどは、私のような人生の失敗者になる事もなく、結婚もしていれば、満足してなくても何らかの定職に身を置いているものなのであろう。
私が、彼らのように何とか自己調整ができなかったのも色々と原因がある。じょじょに語っていきたいと思うが、生きてゆくというのは、なかなか思いどおりには進まないものなのだ。
でも、今の私は、こうしてネット上で自由に自分の文章を公開する事で、何となく作家になったような感覚を味わわせてもらっている。プロとは言えないが、こうした自分の書いた文章によって、わずかな報酬を得る事すら可能になっているのだ。長い屈折した道のりではあったが、少しずつ、理想だった生き方を引き寄せつつあるようなのである。
全く、インターネットこそは、あらゆる面で、私の願いを実現してくれる救いの神だったのかもしれない。
なぜ、私が平均的な人間らしい生活に落ち着かなかったのかと言うと、そもそも、作家(ライター)職に就きたい、という夢が大きすぎたのが原因だったのだと思う。作家になれない限り(実際、私は作家という職業につけなかった)は、そんなダメな人間(私のこと)は結婚する価値も無いし、他の仕事だってうまく務めれるはずがない、と言う劣等感(と言うか、自分への失望や自信の無さ)が強すぎて、普通の人のような平凡な人生すら送ろうという気持ちになれなかった訳だ。
もちろん、私以外にも、小説家になりたいとかマンガ家になりたいとか考えている普通人はいっぱいいるはずで、そんな人たちのほとんどは、私のような人生の失敗者になる事もなく、結婚もしていれば、満足してなくても何らかの定職に身を置いているものなのであろう。
私が、彼らのように何とか自己調整ができなかったのも色々と原因がある。じょじょに語っていきたいと思うが、生きてゆくというのは、なかなか思いどおりには進まないものなのだ。
でも、今の私は、こうしてネット上で自由に自分の文章を公開する事で、何となく作家になったような感覚を味わわせてもらっている。プロとは言えないが、こうした自分の書いた文章によって、わずかな報酬を得る事すら可能になっているのだ。長い屈折した道のりではあったが、少しずつ、理想だった生き方を引き寄せつつあるようなのである。
全く、インターネットこそは、あらゆる面で、私の願いを実現してくれる救いの神だったのかもしれない。
2015年07月02日
いちばんくわしい妖怪図鑑
私の所有している、と言うか、マニアなら絶対持ってて当たり前の「日本妖怪図鑑」及び「世界妖怪図鑑」(佐藤有文・著。ともに、立風書房)。
私は、小学生の頃に新品を本屋から買ったので、どちらも530円で手に入れたが、現在、これらの本をネットオークションで買おうとすると、数倍から10倍前後の金額を支払わなくてはいけない。しかも、かなりの傷もので、ページが欠けたようなものでさえもがだ。
今タイムリーでヤフオクに出品されている、これらの本の相場は、以下のような状況である。
「いちばんくわしい日本妖怪図鑑」
「いちばんくわしい世界妖怪図鑑」
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ビバ!ネットオークション
1999年以降の私は、インターネットが生活の主体となり、今日に至っているわけだが、私に大きな影響を与えているインターネットのシステムの一つにネットオークションがある。
最初は、ネットを通して金の受け渡しをする事に激しい抵抗を感じて、ネットオークションには近づかなかったのだが、どうしても欲しい本があり、とうとう手を伸ばしてしまったのだった。
なにしろ、それまでの私は、欲しい本(たいていは絶版本)を入手するために、自分が住んでいる都市内のあらゆる古本屋をチェックし、暇あるごとに、それらの古本屋めぐりをして、コツコツと欲しい本を揃えてゆくと言う、神業に近い事を続けていた。
しかし、そこまで苦労しても、どうしても見つからない本は存在する。それらを手に入れるために、ついに、最後の手段として、ネットオークションにすがる事を決意したのだ。
よく考えたら、ネットオークションとは、全国規模の古本屋みたいなものである。最初っからネットオークションで探せば、欲しい本は多少のレアものでも比較的簡単に見つかるのだった。まぁ、値が張るのは仕方ないとして。
そうやって、一度ネットオークションにはまると、欲が出てくる。近所の古本屋では絶対に見つからないであろうと最初から購入をあきらめていた本も、ネットオークションで探して、思い切って買ってしまおうと思い出したのだ。
すると、欲しかった本が見つかる、見つかる。ネットオークション内を漁っているうち、「そう言えば、これ欲しかったものでは?」というものまで逆に発見してしまう次第である。
こうして、かつて欲しかった本を買い揃え、欠けていた部分を補完する事で、今日の私の公開サイト「北の果ての特撮資料館」が開設する事となったのだ。
このサイトで紹介している本たちが、いかなる過程で私の所有物となったかを、今後ボチボチと語っていく事にしたい。
最初は、ネットを通して金の受け渡しをする事に激しい抵抗を感じて、ネットオークションには近づかなかったのだが、どうしても欲しい本があり、とうとう手を伸ばしてしまったのだった。
なにしろ、それまでの私は、欲しい本(たいていは絶版本)を入手するために、自分が住んでいる都市内のあらゆる古本屋をチェックし、暇あるごとに、それらの古本屋めぐりをして、コツコツと欲しい本を揃えてゆくと言う、神業に近い事を続けていた。
しかし、そこまで苦労しても、どうしても見つからない本は存在する。それらを手に入れるために、ついに、最後の手段として、ネットオークションにすがる事を決意したのだ。
よく考えたら、ネットオークションとは、全国規模の古本屋みたいなものである。最初っからネットオークションで探せば、欲しい本は多少のレアものでも比較的簡単に見つかるのだった。まぁ、値が張るのは仕方ないとして。
そうやって、一度ネットオークションにはまると、欲が出てくる。近所の古本屋では絶対に見つからないであろうと最初から購入をあきらめていた本も、ネットオークションで探して、思い切って買ってしまおうと思い出したのだ。
すると、欲しかった本が見つかる、見つかる。ネットオークション内を漁っているうち、「そう言えば、これ欲しかったものでは?」というものまで逆に発見してしまう次第である。
こうして、かつて欲しかった本を買い揃え、欠けていた部分を補完する事で、今日の私の公開サイト「北の果ての特撮資料館」が開設する事となったのだ。
このサイトで紹介している本たちが、いかなる過程で私の所有物となったかを、今後ボチボチと語っていく事にしたい。
子ども返り(退行)
若い頃は新しいものに対して次々に興味が湧けるようだが、歳をとってくると、むしろ懐かしいものばかりに目がいってしまう傾向があるみたいである。
私も、学生時代は、自分の趣味に沿って、最新情報を手に入れるのが楽しくして仕方がなかった時期もあったのだが、大学を卒業し、社会に出て、味気ない人生に埋没しだすと、新しいものに手を出す気力がいっきに失われていった。
そうなると、今度は、最新情報よりも、古いもの、いわゆる自分が小さかった頃に慣れ親しんでいたものが懐かしくなってくるようになり、それらの情報をあらためて再回収したり、コンプリートしたくなってくる。
私の場合は、集め直したいものが幼少時代のものにまで遡ってしまい、欲しいものが昔の特撮ヒーローとか昭和時代のアニメ関連のものばかりなのだ。それらには、映像を再見してみたかったり、全話通して見たいようなものも沢山あったのだが、1980年代のビデオ主流の時代は、なかなかそれが実現しなかった。ビデオでは厳選された作品しか発売されないので、あいかわらず、再会できない作品の方が多かったのである。
しかし、20世紀末に衛星放送が普及すると、私の不満はいっきに解消されてしまった。新参の衛星放送は、放送する新作商品が少なかったため、昔のドラマとかアニメなどをガンガン流してくれたのだ。ビデオにもレーザーディスクにもなってないような作品すら引っぱりだしてきてである。
おかげで、1999年以降の私は、衛星放送で放送される諸番組(自分が懐かしいと感じるもの、あるいは、昔見れなかったもの)を見まくる、という新しい人生目的ができて、ずいぶん楽しく生きられたのだった。
しかし、それから10年以上が過ぎ、衛星放送でも新作商品が充実しだし、あまり昔の番組の発掘をやらなくなってきたみたいである。私の方も、およそ見たいものは見尽くしたので、別に不服は無いのだ。
今の私は、田舎に引っ越して、衛星放送も解約してしまった。そして、代わりに老いた母との二人暮らしに満足している。いわば、生活環境そのものが少年時代に戻ってしまったような状態なのであり、これもまた過去回帰みたいなものだとも言えるのかもしれない。
私も、学生時代は、自分の趣味に沿って、最新情報を手に入れるのが楽しくして仕方がなかった時期もあったのだが、大学を卒業し、社会に出て、味気ない人生に埋没しだすと、新しいものに手を出す気力がいっきに失われていった。
そうなると、今度は、最新情報よりも、古いもの、いわゆる自分が小さかった頃に慣れ親しんでいたものが懐かしくなってくるようになり、それらの情報をあらためて再回収したり、コンプリートしたくなってくる。
私の場合は、集め直したいものが幼少時代のものにまで遡ってしまい、欲しいものが昔の特撮ヒーローとか昭和時代のアニメ関連のものばかりなのだ。それらには、映像を再見してみたかったり、全話通して見たいようなものも沢山あったのだが、1980年代のビデオ主流の時代は、なかなかそれが実現しなかった。ビデオでは厳選された作品しか発売されないので、あいかわらず、再会できない作品の方が多かったのである。
しかし、20世紀末に衛星放送が普及すると、私の不満はいっきに解消されてしまった。新参の衛星放送は、放送する新作商品が少なかったため、昔のドラマとかアニメなどをガンガン流してくれたのだ。ビデオにもレーザーディスクにもなってないような作品すら引っぱりだしてきてである。
おかげで、1999年以降の私は、衛星放送で放送される諸番組(自分が懐かしいと感じるもの、あるいは、昔見れなかったもの)を見まくる、という新しい人生目的ができて、ずいぶん楽しく生きられたのだった。
しかし、それから10年以上が過ぎ、衛星放送でも新作商品が充実しだし、あまり昔の番組の発掘をやらなくなってきたみたいである。私の方も、およそ見たいものは見尽くしたので、別に不服は無いのだ。
今の私は、田舎に引っ越して、衛星放送も解約してしまった。そして、代わりに老いた母との二人暮らしに満足している。いわば、生活環境そのものが少年時代に戻ってしまったような状態なのであり、これもまた過去回帰みたいなものだとも言えるのかもしれない。
タグ:衛星放送
2015年07月01日
1999年の恐怖
21世紀生まれの若者たちにはピンとこないかもしれないが、昭和世代の私は、前世紀末に何かとんでもない事がおこるはずだと、ずっと確信し続けていた。私と同世代(アラフォー世代)の人たちなら分かってくれると思うが、かつてはノストラダムスの大予言なるものがはびこっていたのだ。このノストラダムスなる外国の予言者が、1999年には空から恐怖の大王が降臨すると宣言していたのである。
で、これが日本では人類滅亡(宇宙人の侵略)とかに解釈され、1999年にまだほど遠い1970年代ごろは、大多数の日本人が本気で信じ込んだりしていた。たとえば、マンガ「北斗の拳」の冒頭が「199X年に核戦争が起こる」事になっていたのも、このノストラダムスの予言から割り出された年代設定だったのだ。
ご多分に漏れずと言うか、創作用の資料のつもりでノストラダムス予言にどっぷりはまっていた私も「人類滅亡とまではいかなくても、きっと社会大変動ぐらいの事は起きるに違いない」と思い込んでしまっていた。
はっきり言って、若い頃の私は生きる目的みたいなものもなく、辛い事ばかりの生活を送っていたのだが、それでも、1999年に何が起きるかだけが知りたくて、1999年までは何とか生き続けてやろうと言う未来の楽しみにしていたのである。
そして、1999年がやって来たわけだが、あれほど過去には騒がれていたにも関わらず、全く呆気にとられるほど何も大異変は起きはしなかったのだった。
こうして、私も、1999年が過ぎた事で、完全に生きる理由が無くなってしまった次第なのだが、世の中とは不思議なもので、この頃から急速にインターネットや衛星放送が普及し始めた。このインターネットや衛星放送は、まさに私の為のような娯楽だったのであり、私は、1999年以降の新しい生きてゆく目的ができて、人生に絶望して死ぬ事もなく、さいわい今日へと至るのである。
で、これが日本では人類滅亡(宇宙人の侵略)とかに解釈され、1999年にまだほど遠い1970年代ごろは、大多数の日本人が本気で信じ込んだりしていた。たとえば、マンガ「北斗の拳」の冒頭が「199X年に核戦争が起こる」事になっていたのも、このノストラダムスの予言から割り出された年代設定だったのだ。
ご多分に漏れずと言うか、創作用の資料のつもりでノストラダムス予言にどっぷりはまっていた私も「人類滅亡とまではいかなくても、きっと社会大変動ぐらいの事は起きるに違いない」と思い込んでしまっていた。
はっきり言って、若い頃の私は生きる目的みたいなものもなく、辛い事ばかりの生活を送っていたのだが、それでも、1999年に何が起きるかだけが知りたくて、1999年までは何とか生き続けてやろうと言う未来の楽しみにしていたのである。
そして、1999年がやって来たわけだが、あれほど過去には騒がれていたにも関わらず、全く呆気にとられるほど何も大異変は起きはしなかったのだった。
こうして、私も、1999年が過ぎた事で、完全に生きる理由が無くなってしまった次第なのだが、世の中とは不思議なもので、この頃から急速にインターネットや衛星放送が普及し始めた。このインターネットや衛星放送は、まさに私の為のような娯楽だったのであり、私は、1999年以降の新しい生きてゆく目的ができて、人生に絶望して死ぬ事もなく、さいわい今日へと至るのである。