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2024年04月20日

日立のCMソング

 日立製作所のCMソングと言えば、誰もがご存知の「この木なんの木」「日立のうた」です。

 私の場合は、この歌は、海外ホラードラマ「事件記者コルチャック」と、記憶が結びついています。

 なぜかと言いますと、およそ半世紀前、日本では、「事件記者コルチャック」は、日曜の夜10時半から放送されていたからです。
 この「コルチャック」を観るために、当時、小学生だった私は、一度、布団についてから、10時半少し前に、わざわざ、また起きてきました。そして、この「コルチャック」の手前の時間帯で放送されていた番組のエンディングで「日立のうた」が流れていたように、覚えているのでした。

 そのせいか、「日立のうた」を聞くと、私は、今でも、ちょっと怖い気分になるのでした。(まさに、「コルチャック」の影響です)

 さて、今回、この話を書く為に、この件について、少し、ネットで調べてみました。すると、この問題の「日立のうた」が流れていた番組とは、日立プレゼントの「すばらしい世界旅行」だったみたいです。

 ところが、もっと良く、データを確認してみますと、どうも情報が一致しません。wikipediaによりますと、「コルチャック」が放送されていた時期(1976年)は、「すばらしい世界旅行」は日曜の夜7時半から放送されていたらしいのです。これまた、一体、どうして?

 同じ日曜の放送だったので、私が勘違いしていただけだったのでしょうか。それとも、私が住んでいた地方の局では、「すばらしい世界旅行」は夜10時半から放送されていたとか?

 ひとまず、この謎については、しばらく保留のままで、まだ解けなさそうなのでした。

posted by anu at 15:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 自分の事

2024年04月09日

小説「世界最後の日」

オムニバス「ボクたちの好きな異世界転生」の中に納めてあった一編。
キリスト教の神様は、最後の審判の時に、なぜ、全ての人間も滅ぼしてしまうのか、その理由。

 世界の最後の日がやって来た。その日は、夜中の盗人(ぬすびと)のように訪れた。
 この日付を、正確に割り出して、事前に発表していた科学者や予言者は、一人もいなかった。それでも、世界中の人間には、この日が世界の終わりの日だと、何となく分かったのである。

 この日が来てから、皆は、急に騒ぎ立てて、不平や不服を言いだした。

 ごくごく平凡に、普通に生きてきた小市民たちは怒った。ーー確かに、種としての人類は、ダメな部分もいっぱい有ったかもしれない。いまだに戦争や内乱で殺し合っている国があるし、環境破壊だって止められずに、現代進行形で地球を蝕み続けているだろう。だが、個としての人間は、むしろ、無害で善良な人たちばかりなのだ。特に自分たちはそうである。自分たちは、戦争だってした事はないし、わざと環境破壊に加担したつもりもないのだ。それなのに、なぜ、我々までもが裁きを受けて、世界ごと滅びなくてはいけないのだ。

 戦争をしている国の指導者や、環境破壊を推し進めた大企業などは反論した。ーー我々だって、自分の欲望のために、戦争をしたり、地球を汚してきたのではない。全ては、国民に喜んでもらう為なのだ。お前たちが望んでいると思ったからこそ、敵国をやっつけたり、環境を壊してでも、国民の生活向上を図ったのだ。我々ばかりが悪者あつかいされるのは、聞き捨てならない話だ。
 それよりも、もっと、お前たち自身の身近に目を向けたら、どうなのだ?悪い事をしている個人や犯罪者はいっぱい居るではないか。まずは、彼らこそが、我々よりも非難されるべきではないのか?

 犯罪者や悪い事をしている人間たちは言い返した。ーーふざけるな!オレたちが、いつ悪い事をした?悪い事をしたのは、オレたちを怒らせた奴ら(被害者)の方じゃないか。オレたちに歯向かったり、従わなかったりして、オレたちを怒らせたから、連中を懲らしめてやったのだ。どうだ、オレたちの言っている事は間違っているか?

 彼ら、犯罪者や悪い事をしている人間たちは、さらに言った。ーーだいたい、騙されたり、いじめられるような奴が悪いのだ。だって、この世は弱肉強食じゃないか。競争社会なのだ。他人に食い物にされるような人間こそが、世の中に不適合な悪い存在なのだ。いじめられたり、騙されたりしても、自分でやり返しもしなかった奴らに、被害者だと名乗る資格はない!だったら、オレたちも悪者呼ばわりされる筋合いはないのだ。

 彼ら、犯罪者や悪い事をしている人間たちは、調子に乗って、こんな事も言い出した。ーーそれよりも、善人ヅラした一般人どもよ!お前たちこそ、オレたちを責められるほど、立派な生き方をしているのか?ほんとに、悪い事は何もしてこなかったと言い切れるのか?躾にかこつけて、子供を叩いた事もないのか?友達を、ふざけて、いじめたり、からかった事もないのか?できのワルい職場の部下をどやしつけた事もないのか?他人に対してウソをついた事もなければ、暴力をふるった事もないと言うのか?たとえ、ちょっとでも、そんな事をした経験があるならば、お前たちだって、オレたちと同類なのだ。お前たちには、オレたちばかりを責める権利などないのだ。

 少しでも身の覚えのある人々は、急に言い訳しだした。ーーちょっとぐらいのウソや乱暴は大目に見てくれてもいいではないか。そこまで厳しい事を言ってしまうと、世の中、暮らしていけなくなってしまう。そうだ。どうしても皆が悪い事をせざるを得ないのは、この世の中がいけないのだ。社会が悪いのだ。社会の仕組みが良くないから、生活が貧しくて、不満がいっぱい生まれて、誰もが悪い事をしないと、暮らしていけなくなるのである。この腐った社会こそ、本当の悪の根源なのだ!

 再び、国の指導者たちは、慌てて、弁明したのだった。ーー待ってくれ。人間社会が、全体的にあまり幸せじゃないのは、今に始まった事じゃない。古い時代から、ずうっと、そうだったではないか。それでも、奴隷制や身分制があった時代と比べたら、今の時代は、ずっとマシになったんじゃないかと思う。我々(国の指導者)だって、少しずつでも、社会を良くしていきたいとは考えているのだ。もし、社会で、いまだにダメな部分があると言うのならば、それは、きっと、前の時代から引きずってきた悪い慣習なのだ。それらの慣習を社会に定着させて、悪いとも思っていなかった先人たちにこそ、文句を言ってくれ。

 すると、墓場からは、死んだ人間たちが次々に蘇ったのだった。生前に権力や財力を独り占めにしたまま、大往生した有力者たちも復活した。罪を裁かれる事もなく、ついに最後まで逃げ切って、天寿を全うした極悪人たちも蘇った。彼らは、無理やり生き返らされて、再び、この世で、世界最後の日に付き合わされる事になったのだ。
 だが、生き返ったのは、そんなあからさまな悪人ばかりではなかった。あらゆる、全ての人間が死の世界から引き戻されたのである。いっさいの例外は認められなかった。この世に誕生した人間は、全員、復活させられて、世界最後の日に、あらためて、その人生の報いを受けさせられる事となったのである。

 もはや、死ですらもが、罪からの逃げ場所ではなくなったのだ。

 周囲の慣習に流されて、自分も、ささいな悪事(嘘とかイジメとか悪口とか)をしていた人々は、必死に抗議しだした。ーーこの程度の悪を行なっていたのは、私たちだけじゃない。きっと、他の人もしていたはずなのだ。実際、私だって、他人からいじめられたし、嘘もつかれたし、悪口も言われてきた。お互い様なのだ。私が悪いと言うのであれば、私をいじめた奴らだって、いっしょに非難されるべきだ。私ばかりが責められるのは、納得がいかない。まず裁かれるのは、私を苦しめた奴らからだ。

 そして、空からは、恐怖の大王・神が降りてきたのだった。神は大声で怒鳴った。
「お前たち人間は、自分たちが、なぜ滅ぼされる事になったのか、まだ、その理由が分からないのか!どうして、自分の罪は自分の罪だと素直に認めない?なぜ、自分の罪の原因を、他人のせいにしたりするのだ?そうやって、悪事の責任を皆でなすりつけ合った結果が、今日の日なのだ。お前たちが訴えた通りになってしまったのだ。皆で、他人が悪いと言い合ったから、世界の全てが裁かれて、滅びてしまう事になったのだ。悪い事をしたのがイケナイのではない。そうやって、自分の罪まで他人に押し付け合うような事をしたからこそ、そのような形で、全世界で責任を取る事になったのだ」

 神のおごそかな言葉の前には、誰一人として、言い返す者はいなかったのだった。

posted by anu at 09:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説

2024年04月01日

生成AIの未来

 公開された初期こそ、SiriやオーケーGoogleなどとも大差がないように思えた生成AIですが、最近になって、急速に進化を遂げているようです。文章を書けるだけではなく、ついには、リクエストした映像まで作れるようになったらしいのです。

 これって、もしや?
 近い将来には、頼めば、まるまる一本の映画だって作っちゃうのではないのでしょうか。

 本格的な大作映画だけは、さすがに、プロの映像作家にでもならない限り、作れないかと思っていたのですが、それが、シロウトでも気軽に長編映画を作れる世の中が来るかもしれない、という訳です。

 つまり、私の書いたシナリオのみ、シノプシスのみの映画用作品も映画化できる、と言う事です。私の「ゴジラ対ゴラス」「秘密美少女ドクガール」なんかが、まさかの本物の映画になるかもしれないのです!

 いや、それだけではありません。「主役はこの俳優で」と注文をつければ、それも可能だと言う事になります。恐ろしい事に、すでに死んだ役者を指名したり、「この俳優の子供の頃の姿で」なんて提案も、生成AIの映画ならば難しくないはずなのであります。

 商業映画では、様々な大人の事情で実現しなかった内容が、何もかも思い通りに作れるのです。ヘタに、プロとして商業用映画を作るよりも、ずっと楽しいかもしれません。

 そんな時代が来るのを、ひそかに楽しみにしていたいと思います。


タグ:映画 生成AI
posted by anu at 15:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事ネタ

2024年03月20日

アーティスト 斉藤由貴

 斉藤由貴と聞けば、ほとんどの人にとっては、アイドル女優、せいぜい、歌手ぐらいの認識しかないでしょうが、私にとっての彼女はアーティストでした。

 と言いますのも、彼女は、当時(1980年代)としては珍しい、文系のアイドルでして、自分の歌の作詞をいっぱい行なっていたのです。もちろん、当時も著名なシンガーソングライターでしたら大勢おりましたが、でも、作詞だけに特化した本格派アイドルとなると、かなり希少だったのです。

 しかも、当時のアイドルは、戦略なのか、どのアイドルも、一、二曲ぐらいなら作詞も行なっていたのですが、その内容は、たいていは無難な恋愛歌でした。その点で比べても、斉藤由貴の作詞は、バリエーションが広く、特にファンタジー風のものが主流で、そのへんも私の好みに合ったのでした。

 最初に、私が彼女の作詞を知ったのは、多分、「斉藤さんちのお客さま」(1987年)と言うトーク番組だったと思います。もちろん、彼女が主役の番組です。この番組の中で、彼女は自作の小説の朗読をして、さらには、エンディングが彼女の作詞曲「家族の食卓」だったのです。

 で、この「家族の食卓」と言う曲に惹かれた私は、さっそく、この曲が収録されているアルバム「風夢」(1987年)を聴いてみたのでした。すると、斉藤由貴がけっこうな量の作詞も行なっていた事を知り、なんとなくズブズブはまりだして、以後、彼女の作詞目当てで、彼女のアルバムを聴きまくるようになった訳です。

 ちなみに、「風夢」の収録曲(「風・夢・天使」「眠り姫」「体育館は踊る」)は、あまりにも気に入りすぎて、当時、私が作ったアマチュア映画のBGMにも使わせてもらった程なのでした。(おかげで、とても可愛いイメージの映画が撮れました)

 それ以降、私は、「LOVE」(1991年)まで、斉藤由貴のアルバムを聴き続けました。斉藤由貴自身は、その後も歌い続けていたのですが、私の方が聴かなくなってしまったのは、彼女の新作アルバムの発表が不定期になり、発売時期を私がすっかり見失ってしまったからです。でも、今更になって、その後の彼女の作品が聴いてみたいとも思い始めております。

 なお、斉藤由貴の作詞曲は、「風夢」以外にも秀作が多いのですが、私なりにオススメを選ぶとすると、やはり、アルバム「MOON」(1990年)こそがベストではないかと思います。このアルバムは、全作詞が斉藤由貴で、その上で、アルバムそのものも、彼女の演出による、ちょっとした物語仕立てになっているのであります。この「MOON」が、私の作品「秘密美少女ドクガール」に影響を与えた事については、確か、別の場所でも書きました。

 驚く事に、こうした斉藤由貴の作詞曲の数々は、いっさい、彼女のメジャーなヒット曲にはなっていません。斉藤由貴の歌と言えば、「卒業」とか「悲しみよこんにちは」とか「夢の中へ」ぐらいしか思い浮かばない人が大多数じゃないかと思います。でも、だからこそ、斉藤由貴の作詞曲ばかりを追っ掛けていた私は、逆に、彼女の通のファンを気取ったりもしていたのでした。

 まあ、最近の斉藤由貴と言えば、不倫騒動を起こしたお騒がせ女優のイメージを持つ人もいるかも知れませんが、斉藤由貴の作詞曲を聴けば、彼女がかなりの強い恋愛体質だった事がよく分かります。つい不倫しちゃったのも、この恋愛体質の負の側面だったのだと考えれば、なんとなく頷けたりもするでしょう。

posted by anu at 10:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 自分の事

2024年03月05日

超巨大怪獣の系譜

「平成・令和生まれに捧げる特撮学」追加データ)

 日本の特撮ヒーロー界では、その始祖「月光仮面」(1958年)の時点から、早くも、等身大ヒーロー(月光仮面)vs 巨大怪獣(マンモスコング。身長15メートル)の構図を生み出していた。その後も、多くの等身大ヒーローが巨大怪獣と対峙した訳なのだが、やがて、「マグマ大使」(1966年)や「ウルトラマン」(1966年)などの巨大ヒーローが登場すると、巨大怪獣の相手はもっぱら巨大ヒーローが受け持つようになっていった。

 しかし、ヒーローが巨人化すると、今度は、怪獣の方ももっと巨大化して、巨大ヒーローを等身大ヒーロー扱いするようなシチュエーションも、しばしば見掛けるようになっていったのだ。いわゆる、超巨大怪獣の出現である。

 栄えある超巨大怪獣の第一号は、「ジャイアントロボ」(1968年)に登場したドロゴン(第21話「ミイラ怪人」)であった。ただし、ドロゴンは忍者怪獣の異名どおり、その忍法(?)を使って、一時的に超巨大化してみせたに過ぎず(ドロゴンの本来の身長は50メートル)、ヒーローのジャイアントロボを巨体で圧倒してみせるようなシーンもほんの僅かであった。

 さて、設定上では、ウルトラマンの身長が40メートルなのに対して、ゼットンアボラスなどの怪獣は身長60メートルとなっているので、これらの怪獣も十分に巨大な対戦相手になり得そうだったのだが、実際の映像上では、両者は同身長にしか見えなかった。このように、基本的に、怪獣図鑑などで公表されている怪獣の身長データは、超巨大怪獣かどうかの目安としては、まるで役に立たない。

 次にはっきりとした超巨大怪獣をお目にできた作品は、「帰ってきたウルトラマン」(1971年)だった。その第23話「暗黒怪獣 星を吐け!」の暗黒怪獣バキューモンは、明確に「怪獣」とは呼ばれていたのだが、その形態は、むしろ、ブラックホールのような天体現象を思わせるものであった。顔のある雲のようなデザイン画も残されてはいたのだが、それが映像上で使われる事もなく、視聴者にとっても、バキューモンはあまり怪獣っぽくは見えなかったのではないかと思う。

「帰ってきたウルトラマン」(1972年)では、第42話「富士に立つ怪獣」でも、富士山頂に乗っかるほどの巨体の怪獣パラゴンが登場したが、この巨大な姿は、実際には、蜃気楼による幻であった。(パラゴンの本当の体長は80メートル)続く「ウルトラマンA」(1972年)に出演したヒッポリト星人(第26話「全滅!ウルトラ5兄弟」)も、初登場時は200メートルもの身長で、防衛隊やヒーロー(ウルトラマンA)を怯ませたが、やはり、こちらも超能力で巨大な幻影を遠地に投影してみせていただけであった。(ヒッポリト星人の実際の身長は50メートル

 第二次怪獣ブーム(1971年〜)以降は、特撮ヒーローも、およそ等身大ヒーローの方が主流となっていき、巨大ヒーローや巨大怪獣のたぐいは、ほぼ円谷プロの独壇場となっていったようだ。

 そんな時代の流れの中で、1979年の「ザ☆ウルトラマン」では、ウルトラマンも、ついにマトモな形で、超巨大怪獣と対戦する事となる。そのお相手となった巨大怪獣が、第21話「これがウルトラの星だ!!第3部」の暗黒怪獣バゴン(身長938メートル)だ。「ザ☆ウルトラマン」に登場した怪獣は、総じて大きめだったのだが、その中でも、このバゴンは、シリーズ中盤の見せ場怪獣という事で、特に破格の大きさであった。

 もっとも、「ザ☆ウルトラマン」は、実写ではなく、アニメ作品であり、アニメの巨大ロボットものに関して言えば、すでに、ギルギルガン(身長70メートル。1975年「グレートマジンガー対ゲッターロボ」に出演)や無敵戦艦ダイ(全長420メートル。1975年「ゲッターロボ」に出演)などの超巨大な敵がいくつも登場していた。アニメだったら超巨大な怪獣・ロボットも簡単に表現しやすいのであり、そういう意味では、アニメのヒーローものでは、他にも、多数の作品で、超巨大な怪獣やロボットが、頻繁に出演していた。

 再び、円谷プロの作品の話に戻るが、1982年の雑誌グラビア作品「アンドロメロス」では、怪獣戦艦と呼ばれる超巨大怪獣群がぞろぞろと登場した。この作品は、主人公たちがすでに巨大ヒーロー、巨大宇宙人だったので、彼らが乗り込んで操縦する怪獣戦艦にしても、当然ながら、超巨大怪獣となった訳だ。グラビアならではの大胆な設定のキャラクターかと思いきや、「アンドロメロス」は1983年には実写化もされたので、動いている怪獣戦艦と、それと戦うヒーロー・アンドロメロスたちの勇姿も、きちんと映像で拝める事となった。(怪獣軍艦の身長は、ギエロニア1313メートルベムズン990メートルキングジョーグ960メートル

 この「アンドロメロス」以降は、しばらくは、ウルトラマンや巨大ヒーローもの自体があまり制作されない、超巨大怪獣にとっても不作の時代が続いたようである。

 その期間に制作された「電撃戦隊チェンジマン」(1986年)の敵軍の大将・星王バズーの正体は、全宇宙規模の侵略兵団の大ボスにふさわしい巨体であったのだが、その見た目はただの星(惑星型生命体ゴズマスター)であった。これは、分類的には、「ザ☆ウルトラマン」に登場した悪魔の星(第14話)の発展バージョンであり、「ウルトラマンダイナ」(1998年)のグランスフィア「ウルトラマンガイア」(1999年)のモキアンと同系列の超巨大怪獣である。

 1993年には、正規の特撮ヒーローものではないのだが、「ウルトラマンになりたかった男」と言う単発ドラマが放送された。この作品は、特撮ヒーロー番組において、そのものズバリ、超巨大怪獣をどう映像化するか、に取り組んだスタッフたちの物語で、本作の作中劇でのみの超巨大怪獣として、ゴッドキングが登場した。このゴッドキングを巨大に見せる方法としては、背景のスクリーンに写した巨大なゴッドキングの映像を、スクリーンの手前にいる着ぐるみのヒーロー(ウルトラマン)たちと戦わせる、と言う手法が用いられていた。

 ただし、現実の話をすると、この時期には、映画業界では、じょじょにCGが導入されるようになり出していた。1996年から、平成ウルトラマンのシリーズが始まると、そこには、CGを多用した怪獣がぞくぞくと登場して、各最終回のラスボス怪獣には、いずれも超巨大怪獣が採用される事となったのだ。

 ちなみに、この平成ウルトラマン・シリーズにおける超巨大怪獣たちの中でも一番印象深かったものを選ぶとすると、「ウルトラマンガイア」の中盤の見せ場に登場した巨獣ゾーリム(第26話「決着の日」)を真っ先にあげたいと思う。このゾーリムは、正統派の動物型怪獣でありながらも、あまりに図体がデカすぎて、巨大なワームホールからも頭だけしか出てこなかったと言う、実にユニークな演出で、その巨体っぷりをアピールしていたのだ。

 こうして、その後の円谷プロが制作するウルトラマン関連のテレビドラマや映画などでは、ラスボスには超巨大怪獣が採用されるのが恒例となっていったようである。その全ての名称はここでは並べないが、とりあえず、2009年の映画「大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE」に登場した百体怪獣ベリュドラ(身長4キロメートル)こそは、超巨大怪獣のまさに決定版だったのではないかとも思われる。

 このベリュドラは、単に超巨大であっただけではなく、直立した人間タイプの怪獣だったし、過去の無数の怪獣の合体キャラであった事や、最後の切り札のラスボス怪獣だった点など、実に、超巨大怪獣ならではの要素を全て兼ね備えたキャラクターだったのだ。

 この究極の大怪獣ベリュドラ登場以降も、超巨大怪獣がヒーローものに出演しなくなった訳ではない。超巨大怪獣は、ラスボスだとか見せ場の大怪獣などとして、今なお、多くのヒーローもので重宝され続けているのである。

posted by anu at 14:11| Comment(0) | TrackBack(0) | テレビ番組

2024年02月20日

ミラーマンの筆箱

ミラーマン.jpg
 ふと思い出しましたので、久々に、私が昔持っていた怪獣系グッズを紹介いたします。
 私が小学校で使っていた筆箱です。「ミラーマン」のキャラクター商品の筆箱です。

 何せ、もう50年も前の話ですから、かなり記憶が曖昧なのですが、それでも、この写真のタイプの筆箱が、私の持っていたものだったみたいです。ネットで調べてみたら、「ミラーマン」の筆箱は、他にも何パターンか存在していました。

 私が小学一年生になった頃は、「ウルトラマンタロウ」とか「流星人間ゾーン」「白獅子仮面」なんかが放送されていましたので、実際には、「ミラーマン」のキャラクター商品なんて、すでに型落ちだった訳ですが、それでも気にせずに使っていたあたりが、なんとも昭和らしいです。

 キャラが「ミラーマン」って事で、筆箱の内側に鏡でも付いていたらシャレていると思うのですが、そんな作りだったかどうかは、ちょっと思い出せません。鉛筆を置く部分は、持ち上げて、立ち上げられるような仕組みになっていたとは記憶しています。

 さて、こんな「ミラーマン」筆箱を持っていたにも関わらず、当時の私は「ミラーマン」の放送を見ていませんでした。見なかったのではなく、私の住んでいる地区のテレビでは「ミラーマン」は放送されていなかったのです。
 当時の私にとっての「ミラーマン」とは、雑誌のマンガや特写情報でのみ知っている存在なのでした。

 そのくせして、当時の私は、ミラーマンのソフビ人形とかも持っていました。ヒーローのソフビ人形と言えば、幼い頃の私は、帰ってきたウルトラマンとか超人バロム・1などのソフビ人形も持っていたのですが、それらは、関節部分が壊れて、手足が簡単にもげてしまい、すぐ使えなくなってしまいました。その点で、このミラーマンのソフビ人形はなかなか頑丈で長持ちしたものですから、私の怪獣オモチャごっこの世界においては、ミラーマンは、長きに渡って、ヒーロー(正義の味方)の地位を死守していたのでした。

2024年02月11日

「ボクたちの好きな異世界転生」解説

「ボクたちの好きな異世界転生」は、私の小説の中では、とっても不遇な作品です。

 岸田総理の「異次元の少子化対策」発言にインスパイアを受け、異世界ものに挑戦してみたのですが、もともと、私は、異世界ものには、あまり興味がなかったので、なかなか内容がまとまらないし、筆も進みませんでした。そもそも、今の私は、どちらかと言うと、大長編の「アケチ大戦争」の方が書きたかったのです。

 そんな訳で、「ボクたちの好きな異世界転生」は、かなりやっつけ仕事の作品になってしまったのでした。ですから、書きあげた部分を読み返してみても、作者の私自身がそれほど面白いとは感じられません。それでは良くないって事で、いちおう完結した後でも、力づくで続編部分を足してみて、だらだらと新ストーリーを展開してみたのですが、その事によって、ますます、まとまりのない作品になってしまいました。

 最初こそ、異世界ものと言うテーマにこだわったオムニバスにしていた(「こちら勇者課」「闇の勇者」「明日のわたし」「異世界に行きたい」など、書かずじまいで終わったエピソードも多数あります)のですが、途中からはヤケクソになり、終盤では、「世界最後の日」「小説家になりたい!てん末記」「読んではいけない」など、完全に、私本来の作風に変わってしまいました。

 この作品は、近いうちに、非公開にしてしまう予定です。作者の私自身、失敗作だと自覚していますので、お勧めはしませんが、読むのでしたら、今のうちです。

「ボクたちの好きな異世界転生」

posted by anu at 13:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説

2024年01月09日

ミミック1号

 宝箱の形をした人食い生物のことを「ミミック」と言うのだそうです。中世の伝説やおとぎ話などに古くから登場していた怪物のような感じもしますが、実際には、そのような昔の伝承は存在せず、近年のRPGゲームやファンタジー物語の中で、はじめて使われだしたモンスターなのだとも言われています。

 このミミックは、宝箱に擬態していて、本物の宝箱と勘違いして、蓋を開けた犠牲者をパクッと食べちゃう訳なのですが、本当に、これはごく最近に生まれたアイディアだったのでしょうか。カバンのたぐいが主人を食べちゃうようなストーリーは、けっこう過去の小説やマンガなどでもあったような気もします。

 で、最近、私のこのブログでも度々登場しているコナン・ドイル氏の作品を読み漁っていますと、「縞のある衣類箱」(1897年)なんて短編を見つけました。ネタバレしていますので、詳しい内容までは紹介しませんが、この作品に出てくる”箱”なんて、実質上、ミミックと呼んでもいいようなアイテムなのであります。

 どうしても、シャーロック・ホームズや「失われた世界」ばかりが取り上げられがちなコナン・ドイル氏なのですが、彼の書いた他の作品もいろいろと読んでみますと、けっこう、意外な発見が多いのです。

posted by anu at 13:47| Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ・本

2023年12月28日

コラッツ予想(終)

 さて、ひとまず、コラッツ予想「コラッツの大木」に関して、私がブログ上で大っぴらにお話できるのも、ここまでです。残念ながら、コラッツ予想の証明までは至りませんでしたが、でも、それで良いのです。

 だって、コラッツ予想が本当に証明できましたら、そこには、数学者としての栄誉懸賞金の問題まで絡んできますから。懸賞金は、日本では1億2千万円、外国からも500ドルや1000ポンドなどの高額な金額が懸けられています。こんなネットの隅っこのブログなんかで、コラッツ予想があっさり解けてしまったら、それこそ、あとあとに大きな混乱を招いてしまう事でしょう。

 私が、このブログで、コツコツとコラッツ予想について書いてきたのは、そもそもは、私の閃いた「コラッツの大木」のことを紹介したかったからでした。
「コラッツの大木」を、すでに誰かが発見していたと言うのであれば、それでも良し。もし、このグラフ(コラッツの大木)を作成したのが、私が初めてだったと言うのであれば、それはそれで、コラッツ予想の問題に、私もいくらか貢献できたと言う事になりましょう。

 実は、私は、「コラッツの大木」の研究をまだまだ独自に進めており、さらに多くの事実も、すでに発見していたのですが、それでも、まだコラッツ予想の証明にまでは達しておりませんし、だから、ここでも、それらの成果を公開するつもりもありません。

 よって、私を出し抜いて、「コラッツの大木」を活用して、コラッツ予想を証明してやろうと考えた人がいたのならば、それも良いかと思っております。少なくとも、「コラッツの大木」の発案者が私である事だけ、こうやって、ブログ上に証拠として残せておければ、それだけでも、私は十分なのであります。

 もっとも、「コラッツの大木」の徹底解明は、きっと、皆さんが考えている以上に困難な事でしょう。その自信があるからこそ、私も、あっさり、一般披露してしまった訳なのであります。

 私も、「コラッツの大木」を使ったコラッツ予想の完全証明までは、あと寸前まで来ているのですが、どうしても、最後の部分が解けません。まるで、ルービックキューブを3面まで揃えて、そこで手詰まりしてしまったような感じです。

 どうも、この最後の部分を解く為には、恐らくは、より大きな「コラッツの大木」のグラフを作って、各部の相似性なども確認する必要があるようなのです。

 ただし、残念ながら、私の使っている一般用のパソコンでは、大きな「コラッツの大木」のグラフを書くには時間がかかりすぎますし、見やすいグラフにも描けそうにありません。

 そこでですが、今、私としましては、大きな「コラッツの大木」のグラフを書けるスーパーコンピューターをお持ちの大学やら研究者やらに、この先は協力してもらえないか、と考えている次第だったのであります。つまりは、正規の数学者や研究機関の方で、私の共同研究者になってくれる人が居ないか、と探しているところなのです。

 私の方は、懸賞金も栄誉も、全然、独り占めできなくても構いません。むしろ、「コラッツ予想の証明に一役買った」と言うだけでも満足なのであります。

 そんな訳で、もし、この私の駄文を読んでいる学者や研究家の方がおりまして、少しでも、私の話に興味を抱いたようなのでしたら、ぜひ、ご連絡をいただければ、とても嬉しい限りなのです。

2023年12月26日

コラッツ予想(その25)

 過去に、私と同じように、「コラッツの大木」のグラフを作成した人が居たのかどうかは分かりませんが、もし居たとすれば、その人だって、多分、ここまでは私と同じ事を考えついていた事でしょう。
 だって、「コラッツの大木」のグラフさえ有れば、今まで説明してきた内容なんて、どれも、容易に見つけ出せれるものばかりでしたから。

 しかし、コラッツ予想を立証までしたいのでしたら、ここからが難しいのです。

 何しろ、「「コラッツの大木」の中に、全ての整数が含まれている事を証明する」とは言っても、それには、それを断定できるだけの何らかの証拠とか数式が必要になってくるからです。

 でも、これまでの単純な法則性とは違って、「コラッツの大木」内での数字の順番の配置のルールにつきましては、どうも一筋縄ではいかないようなのであります。

 例えば、26までの数の配置を「コラッツの大木」スタイルで表記してみると、どんな感じになるのかを、ここでお見せいたしましょう。

コラッツ分岐3.png

 いかがでしょうか?

 1から順番に探してみてください。その配置のされ方は、あっちに飛び、こっちに飛びで、一見、ランダムであり、いかなる規則性も見当たらないのであります。

 これでは、何のルールやパターンも分からず、「「コラッツの大木」の中には、全ての整数が含まれている」などとは、とても主張できそうにはありません。

 恐らくは、ほとんどの人は、せっかく、ここまでコラッツの数式におけるパターンや法則性とかを見つけ出せたとしても、この段階で完全に挫折してしまうのではないかとも思われるのです。