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2022年12月28日

YMO

 YMO、すなわち、イエロー・マジック・オーケストラが大いに流行ったのは、私が中学生の頃でした。

 当時は、何しろ、どこに行っても、YMOの曲が流れていました。うちの学校の給食時間の校内放送でも使われておりました。私の兄までもが、YMOのカセットテープ(「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」)を買ってきて、車の運転中にガンガン聴いていたぐらいです。

 そんな環境でしたから、私も、大ファンと言うほどではありませんが、YMOの曲には、それなりに思い入れがあるのでした。近年、私が perfume の歌を聴くようになったのも、perfume の歌がYMOの音楽に似た曲調だった事に、ひどく懐かしみを抱いたからです。

 で、特に好きだったYMOの曲と言うのが、私の場合だと、やっぱり、当時、読んでいたマンガや小説などとリンクして、記憶には残っているのでした。

 例えば、あの頃は、私は、都筑道夫氏の怪奇小説を知ったばかりで、どっぷりとハマって、集中して、読んでいました。この都筑氏の小説と脳内で結びついてしまったYMOの曲が、「インソムニア」です。

 また、「デイ・トリッパー」を聴くと、なぜか「キン肉マン」が思い浮かんでしまいます。YMOが流行った頃と言えば、「キン肉マン」の雑誌連載は、ちょうど、超人オリンピックや悪魔超人編などで盛り上がっていた時期だったのです。

 吾妻ひでお氏の「きまぐれ悟空」をサンコミックス版(朝日ソノラマ)で読破したのも、大体この頃でして、どう言う訳だか、私の中では、「キャスタリア」は、「きまぐれ悟空」の壮大なエンディングのBGMにと指定されてしまっています。

 他にも、「ラップ現象」とか「君に、胸キュン。」なども好きだったのですが、これらの曲は、どちらかと言うと、私自身が書いた当時のシロウト小説と紐付いていたのでした。

posted by anu at 14:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 自分の事

2022年12月27日

「エスパイ(Sπ)」

エスパイ.JPG
 その昔、虫コミックスという漫画のレーベルがありました。

 これは、手塚治虫先生のプロダクションである虫プロ商事が刊行していたコミック本のシリーズでして、その出版物の中には、カバー裏にまでマンガが印刷されている(主に、作者のプロフィールとかが紹介されていた)ような、楽しい作りの本もありました。

 さて、この虫コミックスの一冊に、石森章太郎先生の「エスパイ(Sπ)」があります。この本には、表題作の「エスパイ」の他、「ドクターSF」「時間局員R」の2作品も収録されていました。いずれも、ハデなSFマンガで、幼い頃の私は、このマンガ本を楽しく読ませていただきました。

 で、最近になって、また、このマンガを再読したくなってきたのですが、実家にあった本はどこに行ったのか分からないし、わざわざ再購入するのも、いまいち気が進みません。
 そんな時、私は「今度は電子書籍で入手すればいいんだ」とはたと閃きました。

 そこで、私は、さっそく、入会している電子書籍サイトで「エスパイ」を探してみたのです。が、「エスパイ」の方はすぐに見つかったものの、その電子書籍には「ドクターSF」と「時間局員R」が併録されておりません。そもそも、電子書籍では、石ノ森先生の作品は「石ノ森章太郎デジタル大全」という形で再構築されており、ほとんどの作品が、紙のコミックスとは収録内容が異なっていたのです。

「石ノ森章太郎デジタル大全」では、「ドクターSF」と「時間局員R」は別の一冊に再編集されていました。この「時間局員R」と「ドクターSF」をまとめた一冊である「時間局員R」なのですが、よくよく調べてみますと、すでに配信終了となっております。つまり、それって、電子書籍では、もう買って読めないと言う事なのです!

 いやはや、何たる事態なのでしょう!「時間局員R」か「ドクターSF」の内容のどこかが、規制にでも引っかかってしまったのでしょうか。「時間局員R」は、歴史の物語なので、史実のトンデモ解釈とかに、第三者からクレームが来た可能性は十分に考えられそうです。

 まあ、とにかく、そんな訳で、私の「「エスパイ」を電子書籍であらためて読もう」計画は、見事に失敗してしまったのでありました。電子書籍版の「時間局員R」は、全長版だったようだし、やっぱり、ちょっと残念でもあるのです。

posted by anu at 15:03| Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ・本

2022年12月22日

「モンスターラブ」感想

「水曜日のダウンタウン」の好評企画「MONSTER Love」を最後まで見終えました。
 クロちゃんの恋人ゲットの結末を素直に祝福している皆さんには申し訳ないのですが、私には、これは、バッドエンディングよりもモヤモヤするハッピーエンドにと感じてしまいました。
 だって、最終的にホンモノ彼女だったらしいリチは、クロちゃんに対して「口が臭い」と失言してしまった女性なのです。好きな男に「口が臭い」なんて言えるものなのでしょうか?とうが立った夫婦でもあるまいし。
 一方、リチの対抗馬だったニセモノ彼女のミクは、一貫して、クロちゃんに好き好き攻撃を仕掛けていました。客観的に見たら、どう考えても、ミクの方がホンモノ彼女のように見えてしまうでしょう。
 そんな訳で、リチとクロちゃんが結ばれると言うエンディングは、やっぱり、どこかシックリいかないのであります。ヤラセじゃないかと疑いたくなってくるぐらいです。
 しかし。
「リチ=本物のカノジョ候補」「ミク=偽物の役者」と言う構図で、あらためて、考察し直してみますと、ホンモノのリチが、クロちゃんの口が臭いと言ったのも、まんざらオカシくも思えなくなってきたのであります。
 まず、ミクをはじめとするニセモノ彼女たちですが、彼女らは「クロちゃんから告白された人をアイドルにする」と、裏でハッパをかけられていました。だったら、アイドルになりたい彼女たちも必死なのです。それこそ、体を張ってでも、クロちゃんを騙そうとするでしょう。間違っても、クロちゃんに嫌われるような失言(「口が臭い」)は、口が裂けても言うはずがないのであります。
 こうしたニセモノ彼女たちの中でも、特に手練だったのがミクだった訳です。よく考えたら、ミクの好き好き攻撃の内容は、あまりにもストレートで、テンプレートすぎます。それと言うのも、やはり、それらが演技で、ウソだったからなのでしょう。わざと、クロちゃんが喜びそうな恋愛プランを組み立てていたのです。
 もし、今回の「モンスターラブ」に、ストーカーなみにクロちゃんLoveの女の子が参加していれば、ミクと同じ行動も取っていたのかもしれませんが、でも、クロちゃんには気の毒ながら、実際には、そこまで過激なクロちゃんファンの女性は存在しなかったのでしょう。
 さて、ニセモノがそこまでヤル気だからこそ、実は、逆に、ホンモノ彼女の方が浮いてくるのです。
 いちおう、ホンモノ彼女は、リチ以外に、リサもそうだったらしいのですが、この子は早い段階で脱落してしまいました。で、リサは、脱落の際、クロちゃんのことが好きだと言っていた割には、けっこうアッサリと退場しているのであります。
 つまり、一言で「好き」と言っても、レベルがある訳なのですね。実のところ、リサにせよ、リチにせよ、元々は、もっと軽い気持ちで、この企画に参加していたのではないのでしょうか。「意地でもクロちゃんの恋人になる!」みたいな、強い意気込みではなくて。
 そうなりますと、絶対にアイドルになりたいニセモノ彼女と比べても、だいぶ気合も劣るのです。どこかで「途中で脱落しても仕方ないか」と言う余裕があるから、リチみたいに、うっかり「口が臭い」失言だって、やらかしちゃう訳です。そして、この騙す側としては有りえないほど単純なミスこそが、リチこそがホンモノであった事の証しだったのであります。
 また、クッキー事件の時のリチの反応も、彼女こそホンモノだったと言う前提の元で分析すると、見方が変わってきます。あの時点で、残るホンモノは一人と明示されていたので、つまり、ホンモノのリチには、ミクがニセモノだったと分かっていた事になります。だから、嫉妬と言うよりは、ニセモノの卑怯な戦略を疑ったからこそ、思わず「犯人はミク自身だ」などと口走ってしまった訳です。
 リチは、「クロちゃんが好き」とは言っても、その感情は、熱愛までは、いってなかったのかもしれません。彼女は、「クロちゃんが幸せになれない企画を終わらせたい」とも企画への参加理由を述べていましたが、そこには、男女の恋よりも、母性的なものも感じさせます。いわゆる、ナイチンゲール効果と呼ばれるヤツです。リチのクロちゃんへの愛は、そもそもが、同情とか憐れみなどの要素が強かったのかもしれません。そんな風に感じたせいか、カップル成立後に、リチにひたすらキスしたがったクロちゃんの姿は、なんだか、新しい飼い主にじゃらけて、やたらと顔を舐めたがる保護犬みたいにも見えてしまったのでした。
 ともあれ、私なりの感想の結論を言いますと、リチにとっては、この「モンスターラブ」は、当初の思惑とは違う形で終わってしまったようにも思われます。それゆえ、彼女は、すっかり、この企画の人身御供になってしまったようにも、私の目には写ったのでした。もちろん、これは、あくまで、私のヒネくれた見解ではあるのですが。

posted by anu at 18:24| Comment(0) | TrackBack(0) | テレビ番組

2022年12月21日

悪の組織の途中参戦・途中退場

「平成・令和生まれに捧げる特撮学」追加データ)

 特撮やアニメのヒーローものは、同じ敵(多くの場合は、悪の組織)と全編を通して戦う作品と、1話完結方式で毎回違う敵と戦う作品の、大きく2タイプに分類する事ができる。前者の代表が「仮面ライダー」であり、後者の代表が「ウルトラマン」だ。1シリーズごとに、敵の組織が交代するような作品も、「仮面ライダー」パターンだと考えてもいいだろう。
 しかし、数多い特撮・アニメ作品の中には、この2パターンが混合しているような作品も見受けられる。すなわち、最初は悪の組織と戦っていたのに、途中でその悪の組織が滅びてしまい、あとは特定の敵とは戦わない1話完結スタイルに変わってしまう作品とか、それとは反対に、最初は1話完結スタイルだったのに、中盤から常連の悪の組織が登場するようになる作品だ。
 これらの変則パターンに当てはまる悪の組織を、昭和の作品に限定して、気付く限り、書き出してみよう。

 <途中退場した悪の組織>
パルタ星人(1966年「レインボー戦隊ロビン」
バンデル星人(1967年「キャプテンウルトラ」
ギロン星人(1967年「光速エスパー」
ヤプール(1972年「ウルトラマンA」
ゴドメス軍団(1978年「恐竜戦隊コセイドン」

 <途中参戦した悪の組織>
国際ギャング連合(1964年「エイトマン」
X帝国連合軍(1968年「リボンの騎士」
吸血魔人クモンデス(1972年「好き!すき!!魔女先生」
サタン帝国(1976年「ザ・カゲスター」
大魔王ガルバー(1976年「超神ビビューン」
ヘラー軍団(1979年「ザ☆ウルトラマン」
宇宙魔王(1981年「太陽の使者 鉄人28号」
海槌一族(1985年「スケバン刑事」

 もちろん、これで全てなのではなく、平成以降も、「ウルトラマンG」(1990年)のゴーデスや、「美少女仮面ポワトリン」(1990年)のディアブル「妖怪人間ベム」(2006年)のダーナ・オシーなど、敵キャラが途中参戦したり、途中退場するような展開は、あちこちの特撮やアニメで見かける事となる。
 近年の作品の場合は、これらの敵キャラの途中参戦・退場すらも、作品の原案が練られた段階から決められているケースの方が主流なのであるが、昭和の古い作品だと、作品のテコ入れ、いわゆる、番組の強化策として、唐突に、敵キャラの途中参戦や退場が採用される場合も少なくなかった。
 その典型例が、「キャプテンウルトラ」バンデル星人である。実は、「キャプテンウルトラ」は、バンデル星人編の終了後は、第2の常連の敵宇宙人(コミカライズではバルガン星人)が登場する予定だったのが、バンデル星人編の視聴率が振るわなかったものだから、それで、一貫した敵が出てこない「怪獣ぞくぞくシリーズ」へと変更されたと言う経緯があるのだ。
 このように、特撮やアニメでは、敵キャラの登場形態ひとつに注目してみても、その背景にある思惑とかが垣間見える事もあって、なかなか面白いのである。


posted by anu at 14:15| Comment(0) | TrackBack(0) | テレビ番組

2022年12月06日

「ガムガムパンチ」

ガムガム1.jpg
 「ガムガムパンチ」と言うのは、手塚治虫先生が執筆した児童向けマンガの一つです。膨らますと何にでも変身するチューイングガムを巡る騒動や冒険を描いた物語で、どこか、藤子不二雄マンガにも似ていました。

 このマンガが、私の姉が持っていた「小学◯年生」(小学館)に掲載されておりまして、それを私もお下がりで読みましたので、けっこう鮮明に覚えていたのです。

 で、講談社の「手塚治虫漫画全集」にて、このタイトルを見つけた時には、私も、すごく懐かしくて、思わず、手にとって読んでしまったのでした。

 ところがです。全1巻を読破してみますと、なぜか、記憶にあったエピソードが見当たりません。つまりは、全集などと称しておきながら、この「手塚治虫漫画全集」の「ガムガムパンチ」(1984年)は、全エピソードが収納されていない不完全版に過ぎなかった訳です。
 これでは、どうも納得がいかないのであります。

 そこで、私は、インターネットで「ガムガムパンチ」を検索したのですが、やっぱり、私の記憶にあったエピソードは存在していたらしくて、そのエピソードの1ページが、ネット上にもアップされていたのでありました。すなわち、「手塚治虫漫画全集」以外にも、「ガムガムパンチ」が掲載された本が存在している事になるのです。それもカラー版のものが。

ガムガム2.jpg
 どうしても、この幻のエピソードを読みたくなった私は、ぴっかぴかコミックス版の「ガムガムパンチ」(2007年)と言うのを探し当てまして、これを速攻で取り寄せました。で、確かに、このぴっかぴかコミックス版は全編カラーだったのですが、やはり、肝心の未読エピソードは収録されていなかったのでした。

ガムガム3.jpg
 私は、もうちょっと丁寧に、ネットで調べてみました。すると、「ガムガムパンチ」マニアはけっこう多かったらしくて、このマンガに関する色々な記述を発見したのでした。

 それによると、1979年に文民社から発行された「手塚治虫作品集」内の「児童まんが1」こそが、「ガムガムパンチ」の決定版だったらしい事が分かりました。さらに、この「児童まんが1」の内容を再録した「手塚治虫選集」(ほるぷ出版)の「ガムガムパンチ」全2巻(1982年)と言うのもある事を知りましたので、私は、値段も手頃だったこちらを購入してみたのです。

 すると、今度こそ、大当たりだったのでした。例の幻のエピソードも、きちんと2色カラーのものが収録されています。それどころか、「手塚治虫漫画全集」やぴっかぴかコミックスには載っていなかったエピソードもごっそり読む事ができたのでした。

 と言う訳で、この「ガムガムパンチ」に関して、あらためて説明いたしますと、この作品には、いくつものバリエーションのコミックスが存在しているのであります。

 不完全な「手塚治虫漫画全集」バージョンはお勧めできませんが、以降に発行された本は、秋田文庫(2002年)にせよ、講談社の「手塚治虫文庫全集」(2010年)にせよ、「手塚治虫漫画全集」をベースにしているみたいです。

 前述したように、「手塚治虫漫画全集」以前に編纂された「児童まんが1」こそがベストなのですが、この本は、現在、希少本として、古本でも高価となってますので、なんでしたら、私のように、ほるぷ出版の「手塚治虫選集」を探して買うと言う手もあるでしょう。また、1984年に発行された翠楊社の「手塚治虫作品集」にも、「ガムガムパンチ」の完全版が収録されていたらしいです。

 これら以外にも、「ガムガムパンチ」は、子供向けの着色(カラー)コミックスが、多数、存在していました。私が手に入れたぴっかぴかコミックスも、その一つです。しかも、これらの着色コミックスは、同一のものの再販ではないらしくて、どれも収録内容が微妙に異なっているようなのであります。つまり、完全版の「児童まんが1」でも1色刷りだったエピソードを、これらの着色コミックスでは4色カラーでも読めると言う事なのであります。

 全く、「ガムガムパンチ」って、思っていたよりも奥が深いようなのです。

posted by anu at 23:16| Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ・本

2022年12月01日

渡辺美里

「オタクのお前には、あまりにも似つかわしくない」と言われるかもしれませんが、一時期、私は、渡辺美里の歌をよく聴いておりました。

 テレビで流れていた彼女のヒット曲(1986年「My Revolution」「Teenage Walk」)を聴いていて、続けて二曲ほど「いいなあ」と思えたので、思い切って、アルバム(1986年「Lovin' you」)にも手を出してみたのです。そしたら、私の勘は当たっていて、そこそこにハマってしまったのでした。名曲とは、聴く人のタイプや人種を超えて、誰の心にでも響くものなのであります。(同じようなパターンで、のちに、私は、平松愛理の歌にもハマりました)

 当時(1985年ごろ)は、私も大学に進学して、田舎から大都会の札幌へと引っ越しすると言う、メンタル的にも不安定で、不安や期待などが強く入り混じっていた時期でもありました。そのせいか、今になって、あらためて、渡辺美里の歌を聴き返してみますと、当時のワクワクした希望に溢れた気持ちが蘇ってくるのであります。

 そんな訳で、当時は、私は、貸レコード屋から、渡辺美里のレコードを片っ端から借りまくっていました。「Lovin' you」以前のアルバム「eyes」(1985年)も聴きました。アルバムに収録されていなかったシングル(1985年「I'm Free」など)もきちんと借りてきました。そうやって、けっこう熱心なファンだったのでした。もっとも、さすがに、コンサートを観に行くほどではありませんでしたが。

 特に好きだった曲は、「きみに会えて」(「eyes」収録)、「そばにいるよ」「君はクロール」(「Lovin' you」の「HERE」収録)、「A Happy Ending」(「Lovin' you」の「THERE」収録)、「HERE COMES THE SUN〜ビートルズに会えなかった〜」(1987年「BREATH」収録)、「Tokyo Calling」(1988年「ribbon」収録)、「ムーンライト ダンス」(1989年「Flower bed」収録)と言ったあたりです。あんまり意識していませんでしたが、私も意外と小室哲哉の曲が気に入っていたみたいです。

 札幌に住み始めたばかりの頃の私は、こんな感じで、渡辺美里松任谷由実、あとは、伊藤かずえとか安田成美などを好んで聴いておりました。それが、都会の生活に慣れてきますと、次第に、劇場で映画を観るようになり、それと並行するように、映画のサントラばかりを聴き集めるような音楽生活スタイルへと変わっていったのです。
 
posted by anu at 15:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 自分の事