2020年08月24日
手塚治虫の特集本
これも、私が小学生高学年か中学一年生ごろのお話です。
ある日、私は、親に連れられて、近所の雑貨屋へ買い物に来ていました。
すると、その雑貨屋の店先に、前の方のページがだいぶ破られたマンガ雑誌が置かれていたのです。もしかすると、その雑貨屋では、その雑誌を新聞紙がわりに使っていたのかもしれません。
でも、私は、そのマンガ雑誌に目を奪われました。と言いますのも、その雑誌には、私が大好きだった手塚治虫先生の特集が載っていたからです。
と言っても、前の方のページがすでに破かれていて、無かったので、全部を読めた訳ではありません。しかし、残っていたページでは、手塚先生が過去に描いたマンガの一覧表が、10ページぐらいに渡って、ずらっと並んで、載っていたのです。
私が、この雑誌を勝手に手に取って、食い入るように読んでますと、この雑貨屋の主人も良い人で、私に、このマンガ雑誌をタダで譲ってくれました。で、私も、喜んで、この雑誌を自宅へと持ち帰り、貴重な手塚先生の特集本として、繰り返し読みまくったのでした。
今でこそ、手塚治虫氏の研究本は溢れるほど出回っていますが、40年以上前の昭和の時代では、手塚先生も、そこまで「マンガの神様」として神格化はされておらず、氏の特集本と言うのも僅かでした。何よりも、この雑誌の作品リストの部分が参考になって、私には、とてもタメになったのです。
さて、このブログで昔の思い出話を書いておりますと、急に、そんな事も思い出しまして、あらためて、この手塚先生の特集が載っていた雑誌の正体を探ってみる気になりました。
ところが、私は、この本の表紙ページを知らないのであります。破かれてて、すでに無かった訳ですから。てな事で、ネットで、雑誌の表紙ページを見ただけでは、十分な照合ができないのでした。
それでも、どうやら、この本じゃなかろうかと、怪しく思われた本が、「週刊少年マガジン」の昭和49年17号(講談社)です。この本には、確かに、「手塚治虫30年史」と言う巻頭大特集が組まれていたようなのであります。しかし、過去の私は、この表紙ページを見てませんので、何とも、断定できないのでした。ネットで、さらに、この昭和49年17号のことを調べてみたのですが、私が見た事のある手塚作品一覧表も掲載されていたのかどうかは、ついに分かりませんでした。
しかし、私には、別の手がかりが、もう一つ、ありました。この手塚治虫特集の雑誌には、永井豪氏の「バイオレンスジャック」が載っていたと記憶しているのです。それも、当時の私をドキドキした気持ちにさせてくれた、恵子先生が木に縛られて、服を脱がされてしまう回です。
「少年マガジン」の昭和49年17号を調べてますと、確かに「バイオレンスジャック」は載っています。それも、連載時期を照らし合わせますと、昭和49年17号の頃は、かの恵子先生が服を脱がされちゃうエピソードの時期と、ちょうど一致しているようなのです。
よって、私が読んだ手塚治虫特集のマンガ雑誌は、まず「少年マガジン」の昭和49年17号で、間違いなかったらしいのでした。
この雑誌のあとは、私は、コロタン文庫の「手塚治虫全百科」(小学館・1981年)を入手しまして、手塚マンガの大事な作品目録として、しばらく愛用する事になります。こちらの本の中身は、手塚先生の少年マンガだけに限定されていたのですが、氏の作品の過半数は少年マンガなので、ほとんど問題はなかったのです。
ある日、私は、親に連れられて、近所の雑貨屋へ買い物に来ていました。
すると、その雑貨屋の店先に、前の方のページがだいぶ破られたマンガ雑誌が置かれていたのです。もしかすると、その雑貨屋では、その雑誌を新聞紙がわりに使っていたのかもしれません。
でも、私は、そのマンガ雑誌に目を奪われました。と言いますのも、その雑誌には、私が大好きだった手塚治虫先生の特集が載っていたからです。
と言っても、前の方のページがすでに破かれていて、無かったので、全部を読めた訳ではありません。しかし、残っていたページでは、手塚先生が過去に描いたマンガの一覧表が、10ページぐらいに渡って、ずらっと並んで、載っていたのです。
私が、この雑誌を勝手に手に取って、食い入るように読んでますと、この雑貨屋の主人も良い人で、私に、このマンガ雑誌をタダで譲ってくれました。で、私も、喜んで、この雑誌を自宅へと持ち帰り、貴重な手塚先生の特集本として、繰り返し読みまくったのでした。
今でこそ、手塚治虫氏の研究本は溢れるほど出回っていますが、40年以上前の昭和の時代では、手塚先生も、そこまで「マンガの神様」として神格化はされておらず、氏の特集本と言うのも僅かでした。何よりも、この雑誌の作品リストの部分が参考になって、私には、とてもタメになったのです。
さて、このブログで昔の思い出話を書いておりますと、急に、そんな事も思い出しまして、あらためて、この手塚先生の特集が載っていた雑誌の正体を探ってみる気になりました。
ところが、私は、この本の表紙ページを知らないのであります。破かれてて、すでに無かった訳ですから。てな事で、ネットで、雑誌の表紙ページを見ただけでは、十分な照合ができないのでした。
それでも、どうやら、この本じゃなかろうかと、怪しく思われた本が、「週刊少年マガジン」の昭和49年17号(講談社)です。この本には、確かに、「手塚治虫30年史」と言う巻頭大特集が組まれていたようなのであります。しかし、過去の私は、この表紙ページを見てませんので、何とも、断定できないのでした。ネットで、さらに、この昭和49年17号のことを調べてみたのですが、私が見た事のある手塚作品一覧表も掲載されていたのかどうかは、ついに分かりませんでした。
しかし、私には、別の手がかりが、もう一つ、ありました。この手塚治虫特集の雑誌には、永井豪氏の「バイオレンスジャック」が載っていたと記憶しているのです。それも、当時の私をドキドキした気持ちにさせてくれた、恵子先生が木に縛られて、服を脱がされてしまう回です。
「少年マガジン」の昭和49年17号を調べてますと、確かに「バイオレンスジャック」は載っています。それも、連載時期を照らし合わせますと、昭和49年17号の頃は、かの恵子先生が服を脱がされちゃうエピソードの時期と、ちょうど一致しているようなのです。
よって、私が読んだ手塚治虫特集のマンガ雑誌は、まず「少年マガジン」の昭和49年17号で、間違いなかったらしいのでした。
この雑誌のあとは、私は、コロタン文庫の「手塚治虫全百科」(小学館・1981年)を入手しまして、手塚マンガの大事な作品目録として、しばらく愛用する事になります。こちらの本の中身は、手塚先生の少年マンガだけに限定されていたのですが、氏の作品の過半数は少年マンガなので、ほとんど問題はなかったのです。
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