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2016年06月23日

第258回 東京監獄・面会人控所(四)






文●ツルシカズヒコ



 東京監獄の面会人控所にいる人は、とにかくこの未決なり既決に囚人としている人と、何かの関係のある人に違いない。

 そう思った野枝は、いろいろ思考をめぐらせた。

 親子であり、夫婦であり、あるいは親族であり、友人であり、知人であろう。

 そしてそれらの囚人のある者は詐偽、ある者は窃盗、ある者は強盗であり、殺人犯であり、またある者は放火でもあろう。

 そして、それらの囚人が世間からどんな眼で見られてい、その関係者がどのくらい、いわゆる世間を狭め、辱かしめられ、憎悪され、軽蔑をされているかしれない。

 それを考へて、ここにいる人たちを見まわすと面白い。

 野枝は黙ってそんなことを考えていた。

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 野枝はここに来る前に、この部屋に入っている、あるいは入って来る囚人の関係者が、どんなに身体をすくませ、恥らっていることだろうと思っていた。

 彼女自身は恥ずべき何物も持っていなかつた。

 なぜなら、彼女の仲間の誰でもが少し心のままに無遠慮に行動するならば、監獄に投(ほう)り込まれるとことが、ほとんど当然のことだからである。

 彼らが政府の意志に反した行動をする。

 その行動を政府が抑圧するというのは、分かり切ったことなのだ。

 それゆえ、彼らの同志のひとりとして、そこに行くことを不名誉だとか恥ずべきことだとは考えていなかった。

 むしろ、みんなは入獄した経験を他人に話して聞かすことを、ひとつの誇りのようにしていた。

 そしてまた、おのずと獄内での待遇が違ふように、世間の見る眼も普通の破廉恥罪と政治犯とはだいぶ違っていた。

 それらのいろんなことが、自然に野枝の心の中にあった。

 だから、彼女は平気で監獄の門をくぐった。

 しかし、多くの人々はどんな気持ちでこの門をくぐり、どんな気持ちで控所の中で、各自の顔を見合っているだらうと思った。

 しかし、なんでもなかった。





 幾分か堅くなつて遠慮はしていても、みんなお互い同士に恥ずかしい思いをし合っているようには、誰も見えない。

 誰も肩身を狭ばめて隅にかがんではいない。

 と言ってみんながお互いに自棄な気持ちで相対しているのでもなければ、もちろん同情し合っているのでもない。

 本当に自然な心持ちで、お互いがどんな境遇にあるかなどは考えずにいるらしい。

 野枝はその控所の中で、知らない者同士が多人数落ち合って待ち合わせをするどの待合所よりも、安易を感ずるのを不思議に思った。

 もちろん楽天家らしいおしゃべりな親方が、大部分その空気を和らげているということもある。

 しかし、黙って知らない顔を見合わせている隅の方の女連のどの顔にも、不思議と知らない女同士の、殊に身なりや物腰の違った同士で表わす、侮蔑や傲慢やその他あらゆる敵意が、ほとんど見えないと言ってもいいくらいなのが、野枝には本当に珍らしく思われた。





 そしてもっと野枝を涙ぐましい気持ちにしたのは、最初からこの部屋にいた汚いみじめな子供を背負ったかみさんに対する、みんなの気持ちだった。

 それはもちろん同じ境遇に置かれているせいでもあるが、みんなの眼はこの部屋の中で一番貧しいそのかみさんにじっと注がれていた。

 しかし、その貧しさ惨めさに対して高ぶっている者がひとりもいないことは、みんなの態度で野枝にはハツキリ感じられた。

 両隣に座っている婦人はしきりに、かみさんの背中で眼を覚ました子供をからかったり、そのかみさんの汚ない顔に近づいて、優しい口をきき合っていた。

 初めこの部屋に入ってきたときには、みんながみんな不安そうな顔や心配らしい顔つきをして、それぞれに馴染まない様子を見せていた。

 しかし、三十分たち一時間たちするうちに、みんなの気持ちはいつか、心底にはほぐれないまでも、悪くなりすましたところはなくなっていた。

 黙って寒そうに身をすくめている連れのない人たちも、いつか他の人と話し出したり、またその親しさが現わせないまでも、親方の軽口をみんなで声を立てて笑うことのできるほど、安易な心持ちになっているらしかった。





 親方がまた冗談を言い、またみんなが笑った。

 ちょうどそのとき、廊下の扉口に背の低い小柄な、頭の白くなったいかにも看守らしい倨傲(きょごう)な顔つきをした老看守が立った。

 みんなはそれを見ると急に笑いを止めて、「さあ来た!」というような緊張した顔をして、老看守の顔を見上げた。

「四十八番!」

「四十九番!」

 恐ろしく底力を持った、よく響く、濁った憎々しい声が野枝を驚かした。

「ああ、あれが囚人を呼ぶ声だな」

 野枝はすぐにそう感じた。

 あの不快な圧力を持った声が、あの小さな体のどこに蔵されているのか? 

 長い年月の間に鍛練された、その特殊な威圧的な呼び声に、耳を覆ひたいような嫌悪を感じながら、野枝はその看守の顔をじっと見た。





 看守は五、六人の人を廊下に呼び上げると、その小さな鼻の上に乗せた眼鏡越しに、ジロリと不快な一瞥を残された者の上に投げて、そのままみんなの後を追って奥の方に入って行った。

「ずいぶん待たせたわね、もう二時半よ、四時になればもう暮れかかるのにね」

「なあに、始めればすぐですよ、どうせ一人五分とはかからないんですから」

 村木はいつもと変わらぬ呑気にすましていた。

「しかし、どうもなんですな。吾々こうして半日待っていてさえずいぶん怠屈な思いをしますが、中に入って、口もきけず、膝もくずせず、話もできず、煙草も吸えず、ときた日にゃあ、どうもやり切れませんなあ」

 あばたの爺さんは、呼び込まれた人たちの脱いでいった石階の下駄をぼんやり見て、取り残されたように立っている男に話かけた。

 朝早くから待っているという男は、午後からの面会には自分が第一番に呼び込まれるものと信じているらしかった。

 看守の姿が見えると第一番に腰を浮かして待っていた。

 しかし、どうしたことか、とうとう看守は彼の番号を呼ばずに引っこんでしまった。

 彼はぼんやりと立っていた。

 爺さんに話かけられた彼が言った。

「実際、やり切れませんね。まあ一生こんなところには、入らないように心懸けることですね、ハハハハハ」

「しかし、いつどんなことでぶち込まれるかもしれねえな。災難ってやつがあるからね。だが、半年や一年なら我慢もしようが、五年、十年となっちゃことだね。こん中にもそんなのがいるだろうけれど、そんなのはいったいどんなつもりでいるんだらう? たまらねえな、こんな窮屈な中にいちゃあ」





 親方はすぐ横槍を入れる。

「そうさねえ、まあこの中で生れた気にでもならなくっちゃ、とても辛抱はできまいね」

「こん中で生れた気か――違えねえ、そこまであきらめりゃあ大丈夫だな」

「ああ、なんでもこれであきらめが肝心ですよ、人間これがなかった日にや、この苦しみの娑婆に生きてくることはできやしませんや」

 爺さんは短い煙管(きせる)を指の先でグルグル回しながら、親方の方に首を突き出してさも覚りすましたようなことを言った。

 廊下を折々、看守が通って行く。

 そして誰一人、無関心でその扉口を通り過ぎては行かない。

 冷たい、底意地の悪い眼で何かを探すように、ヂロリと控所の中をねめ回して行く。

 野枝はそのたびに癪に障さわってたまらなかった。

「嫌(や)な眼をして見てゆくわね、どうしてあんな眼をしなければならないんだろう。あんな奴らの眼には、この門を入ると、誰でももう囚人に見えるんだわね。面会人まで囚人扱いしなくっても、よさそうなものだわね」

 野枝は、その反感を自分ひとりでは持ち切れずに村木に言った。

 彼女は再び、さっきの老看守の声の不快な圧力を思い出した。





 天井の高い細長い室、土と石の冷たい室、其処に火だね一つおかずに此の寒中数時間或は終日でも平気で待たして置く役人根性が、龍子には憎くて耐らなかった。

 しかしまた彼等が一歩此の城廓から出たら――何と云ふ惨めさ、小ささだらう?

 それを思ふと龍子は皮肉な笑ひを催さずにはゐられなかつた。

 せめてもの事に、威張れる処で威張れるだけ威張りたい彼等、たったひとつの彼等の誇り――あのみすぼらしい服や帽子や剣――の馬鹿々々しさ。


(「監獄挿話 面会人控所」/『改造』1919年9月号・第1巻第6号/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』)



★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)




●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



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第257回 東京監獄・面会人控所(三)






文●ツルシカズヒコ



「七十二番」という番号札を受け取った野枝は、東京監獄の面会人控所で順番を待ち続けていた。

 控所の中の人間の半数は女だった。

 かなり年増の如才ないいかににも目はしの敏(さと)く利きそうなキリッとした内儀(かみ)さんや、勝気らしい顔をした三十二、三の細君や、柔かいムジリのはんてんに前垂がけの小料理屋の女中らしいのや、子供を背負った裏店のかみさんらしいのや、田舎の料理屋の酌婦というようなひからびた頬骨の出た顔に真っ白に白粉を塗ったのや、あらい米琉(よねりゅう)の二枚小袖を上品に着た若い中流の家の細君らしいのやーー。

 その他十二、三人の女がある者は呑気そうに連れと話したり、ひとりで黙って心配そうに蒼ざめたり、オドオド不安そうにあたりを見まわしたり、すまして人の身なりや頭の恰好に目を留めたりしていた。

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 男はみんな割り合いに呑気な話をし合って笑っていた。

 廊下に上る石階のすぐ左手に腰掛けている四十四、五の色の黒い眉尻の下がった一見、区役所の雇いといった風な顔つきにやや滑稽味のある顔をした男が、連れらしい六十くらいの田舎者らしい親爺を相手に話し出した。

「本当に大きな建物だなあ、あの塀が何町四方って囲っているんだからな。まあ、こん中にどのくらいの人間がいるか知らないけれど、大したものだろう? それをただ賄ったり着せたりするんだから、大変なもんだなあ」

 男は頓狂な眉をいっそう頓狂にしながら高声に言った。

「そうさなあ、やはりお上にも無駄な費(ついえ)というものはいるものだなあ。なんだなあ、一日分だけでも、こちとらにすれやぁ、大したものだなあ」

「そうさ、無駄といえば無駄だが、これがなかった日にや大変だ。しかし、この大きな構への中にあの自動車でもってプツプーツなんて来る気持ちは、ちょっといいもんだろうなあ。俺たちゃ、とても一生懸りでも自動車で煉瓦塀の中に乗り込むなんてことはできないらしいな」





「冗談じゃありませんぜ」

 そばにいた、どう見ても間違のないところは、肴屋の親方というような恰好をした大きな男が口を出した。

「自動車だっていろいろありまさあ、あの自動車は人間を乗せるんじゃありませんよ、ありゃ、あなたーー」

 親方は得意になって男の方へ乗り出しながら言った。

「まあひとつ、降りるところでも乗るところでもいいから見て御覧なさい。手錠をはめられた連中がギシギシ詰め込まれまさあ。人間という荷物を積む自動車でさあ。自動車で乗り込むといやあたいそう外聞はいいけれど、私なんかまあ真っ平ですね」

 親方の真面目くさった反対に、みんなが吹き出した。

 村木と野枝も顔を見合わせて笑った。





 ちょうどそのとき、廊下を通りかかった貧相な看守がちょっと立ち止まって「何ごとだ?」というようにギロリと白い眼を光らせて通りすぎた。

 野枝はその黄色い痩せた噛みつきそうな邪険な顔を見ると、たちまち不快な感じに襲われた。

 隅っこの男と親方はしきりに無駄口を叩いて、みんなを笑わしている。

 親方の周りの人々は、邪気のない親方の軽口で、不快な監獄の面会所だなどということは忘れたやうにニコニコしていた。

 しかし、入口に近くにかたまった女連は、さすがにみんな心配らしい顔つきを隠すことはできなかった。

 親方の軽口よりは、早く時間が来て面会所に呼び込まれるのを一心に待っているようだった。





「もうかれこれ二時だよ。早くしてくんないかなあ。すっかり腹が減っちゃった」

 親方と一緒にいる鳥打帽をかぶった若い男が、大きな欠伸をしながら言った。

「ぐずぐず言いなさんな、今にちゃんと会わして下さらあ。お役人様方あ、今、お昼のおまんまが済んだばかしだ。おめえの腹なんかいくら減ったって、そんなことをお取り上げになるもんか。腹は夕方にならなくっちゃ、減りゃしないよ」

 親方はすぐおどけた口のきき方をして若い男をねめつけた。

「親方あ減らないだらうけどーー」

「おいおい、俺の腹が減らないっていつ言ったい。俺はもう大ぺこぺこだ。減らないと言ったのはお役人様の腹さ。お前もよっぽど人間がドヂにできてるなあ」

「フフン」

 若い男は仕方のなささうな顔をして、外套のポケツトに手を入れて天井を見上げた。





「しかしどうも長いですねえ、私なども、朝七時からいるんですよ。どうもちょっとの面会に、一日がかりではまったく弱ってしまいますね。仕事を休んで一日がかりで来なきゃならないとなっちゃ、なかなか億劫になってちょっと、という具合にはいきませんね」

 区役所の雇い風の男がまた口を出した。

「そうお手軽にはいきませんよ。お上はなんでも几帳面だからーー」

「几帳面ならもう始めそうなもんだな。一時まで待てばいいはずだったんだ」

 野枝と同じ側に座っていた、五十くらいの黒い前垂をしたあばたの爺さんが、初めてそこで口を出した。

「本当だ。まごまごしているうちに日が暮れてしまわあ。早くしてくれないかなあ」

 若い男はさも不平らしく口を尖らして言った。





「これでさんざん待たされた挙句に、ようよう面会して五分と話ができないんだから嫌やんなっちゃうよ。ろくに話もなんにもできやしねえ。五分や十分会わしたって、罰も当らねえだろうがなあ」
 
 こんどは親方も一緒になって不平を言い出した。

「私はこの前来たときに、どうも充分話ができなくて用が半分しか足せなかったから、こんどはふたり連れで来ましたよ。ふたりがかりで代わりばんこに思ひ出しながら話をしたら、後でああそうそう、なんてことがなくて済みやしないかしらんと思ひましてね。規則通りの短い時間でいろんな用を相談しようとするんですからどうしてーー」

 男はしきりに首を振った。

「面会時間のお許しの出ている正味のところは、どのくらいでしょうな」

 あばたの爺さんが誰にともなく聞いた。

「さあ」

 みんなが顔を見合わせたが、誰も知らなかった。

「自動電話は五分だなあ、あれよりゃあ、どんなことをしても短いね」

 親方はまたみんなを笑わしておいて、

「時に何時だい、もうそろそろ始まりそうなもんだなあ」

 よくよく辛抱はしてみたがというような表情をして、入口の方を見返った。

 今度は誰も口へ出してはなんにも言わなかったが、急にそう言われて何かを待ち受けるやうな緊張した顔に戻った。





 野枝は先刻から、下半身の冷えがだんだんに体中に拡がつていくような気がしていた。

 村木はみんなの話を聞きながら、笑い笑い立ったり歩いたりしていた。

「面会所ってものは、本当に面白いものね」

 野枝は村木がそばに腰かけたときに小声で言った。

「ええ、ちょっと他じゃこんな気分は出ませんね」

 村木もそう言って頷いた。

「大杉がね始終、裁判の傍聴と監獄の面会にはぜひ行ってみろって言っていたのが、昨日の裁判所と今日のここですっかり解ったわ」

 野枝はそう言ってあたりを見まわした。


★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)


●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



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2016年06月21日

第256回 東京監獄・面会人控所(二)






文●ツルシカズヒコ




「ガターン」

 控所のすぐ近くの部屋の入口の重い扉が、力いっぱいに手荒くブツケるように閉める音がした。

「まあなんて嫌な音だろう。まるで体がすくむような音ね」

「……あの音を聞くと実に……しばらくあの音を聞かなかったなあ」

 村木は微笑しながら、野枝の言葉を受けてそう言った。

「しかし、あれじゃまだ駄目だな。檻房の扉はとてもこんな扉とは比べものにならないくらい、厚く頑丈にできていますからね。もっとずっと重い重い音がするんです。そして鍵のガチャガチャする音がしないじゃ、本当の気持ちは出ませんね」

 村木は遠のいた自分の獄中生活をしみじみ、その音で思い出したような調子で話し出した。

「狭い独房にポツンと一日中座っているんですからね、ちょっとでも外へ出るのはそれは楽しみなもんですよ。面会所まで出て来る途中なんか、ずいぶん遠いところがありますからね、ブラブラあちこち眺めながら歩いて来るのは、そりゃせいせいしていい気持ちなものですよ」

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 ふたりが話していると、面会を終えてきた斎藤兼次郎の大きな体が廊下の入口をふさいだ。

「やあー」

「斎藤爺」と同志の間で呼ばれている老人は、肥った血色のいい顔にいつものような穏やかな笑みを見せながら、石階を降りて野枝の方に近づいて来た。

 野枝が腰をかがめて挨拶するの受けて爺は丁寧に見舞いを言った。

「どうです? 大須賀くんは元気でいますか?」

「ええ。たいへんに元気です。みなさんによろしく申しましたよ。それから書物を入れてほしいということでした。ええとーー」

「あ、それは今日持ってまいりました。大須賀さんが言ってらしたモウパサンの短編集とゴルキイのカムレエドと辞書を入れました。長くなるようでしたら、また何か入れるつもりです」

「大杉さんにお会いになったら、よろしくおっしゃって下さい」

 斎藤爺は野枝にそう言うと、立ち上がって出て行った。





「あーあっ」

 斎藤爺の姿が見えなくなると、村木は不精らしく懐手をしたままで体を伸ばしながら大きな欠伸をした。

「雨が上がったようだな」

 そのとき、たったひとつの高い窓に薄っすらと頼りない日が射していた。

 その窓の下の腰掛けに窮屈そうに腰かけている、子供を背負った女がいるだけで、控所はひっそりとしていた。

 じっと腰をかけていると、裾の方から冷えてくるのが野枝にははっきりとわかった。

 野枝は寒さに対して意気地のない、大杉の体のことが心配になり出した。

「ねえ、村木さん、毛布は下に敷いて座ってもいいの?」

「ええ、いいんですよ。みんな一枚ずつ入っているんでしょう?」

「ええ、でもこの寒さに火の気なしはたまらないわね。大杉は去年からの風邪がまだ抜けないんですから」

「大丈夫ですよ、ここにいる間は、とにかく気持ちが違うから風邪なんか抜けてしまいますよ。それになんと言ってももう三月ですからね。もうひと月早いと、こんなもんじゃありませんよ。ちょうどいいときだ。これから二、三ヶ月や五、六ヶ月なら一番いいときですよ」

 村木は立ち上がって、野枝の前をソロソロ行ったり来たりしながら言った。





「もう何時ごろでござんしょう?」

 ふと、隅っこに座っている女が向き直って聞いた。

 野枝はコートのポケットをさぐって時計を出して見た。

「一時二十分前ですよ」

「ああ、さようですか。どうもありがとうございます」

 女は座っていた足を痛そうに伸ばしながら、汚い下駄の上に乗せた。

 背中の子は大きな坊主頭を母親の背におっつけてよく眠っていた。

 その母親の櫛の歯のあとなど見えない油っ気の抜けた、そそけ放題な頭の毛や汚いねんねこで、野枝の眼にはどうしても、その日暮らしの人足か立ん坊の内儀としか見えなかった。

「ずいぶん待ちますねえ」

 村木は持ち前の優しい調子でそのかみさんに話かけた。

「ええ、朝からですから、ずいぶん長いこと待ちます。まだお昼っからのは、なかなかでございましょうか?」

「いや、もうじきでしょう。一時になったら会わすでしょう」

「あ、さようでございますか、どうもありがとうございます」

 かみさんはそれで口をつぐんだ。





 ちょうどそのときに、受付の窓口に洋服を着た一人の男が立った。

 受付の男は何か頻りに聞き糺しながら、面会の手続をしてやっているらしかった。

 野枝はすぐに立って行った。

 その男が番号を書いた札を受け取って退くと、すぐ野枝が代わった。

「誰に会う?」

 受付の年老(としと)った役人は、さも横風(おうふう)に野枝の顔を睨みつけた。

 広い部屋の中に縦横に置かれた大きな机の前のあっちこっちの顔が、物珍らしさうに野枝の顔を老人の肩越しに覗いていた。

 野枝は爺さんの横風な問いにムッとして睨み返しながら、素っ気なく大杉の名を言った。

「あ、大杉さん――そうですか、あなたは?」

 爺さんは急に態度も言葉使いも改めながら、言った。

 野枝は黙って自分の名刺を差し出した。

「どういうお続柄で――」

「内妻――」





 そう言って、野枝はフッとくすぐったい笑いが洩れそうになった。

 同時に新聞の三面以外ではまず見たことがない、「内妻」という言葉がむやみと感の悪い言葉に思えて仕方がなかった。

 野枝が「七十二番」という番号札を受け取って控所に戻ると、外の控所から入って来た面会人が十人近くもいた。

 そして後から後から三、四人ずつゾロゾロ入って来て、いつの間にか、ヒッソリしていた控所の中は一杯になり腰掛けには空きがなくなった。

 野枝は席に戻るとすぐ時計を出して見た。

 一時はとうに過ぎていた。

 廊下には書記や看守が往ったり来たりし始めた。

「ガターン!」

 遠く近く、扉の音が幾度も幾度も野枝の眉をひそめさせた。



★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 21:41 | TrackBack(0) | 本文

第255回 東京監獄・面会人控所(一)






文●ツルシカズヒコ



 一九一八(大正七)年三月六日。

 橋浦時雄のところに魔子を預けた野枝は、大杉に面会するために牛込区市谷富久町にある東京監獄に行った。


 朝は煙るような雨であった。

 伊藤野枝女史がマ子ちゃんを連れて来て、まだ床を離れぬ僕の側に寝かせて帰る。

 今日は東京監獄に面会に行くという。


(『橋浦時雄日記 第一巻』)

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 「監獄挿話 面会人控所」(『定本 伊藤野枝全集 第一巻』)によれば、野枝は新しい足駄の歯が三和土(たたき)に軋(きし)むのを気にしながら、受付の看守が指した「面会人控所」に静かに歩み寄って、その扉に手をかけた。

 重い戸が半ば開くと、正面に村木の蒼白い顔が見えた。

 この控所は東京監獄の大玄関の取りつきの右側で、三ばかりの奥行きのある細長い部屋だった。

 左側の廊下に上がる扉口と入口を除いたほかは、九尺に三間の細長い部屋の三方の壁には面会人が腰をかけるための幅の狭い木の腰掛けが、ちょうど棚のように取りつけてあった。

 廊下に上がる扉口と向き合った南側の前庭に面した壁の上に、大きな窓があった。

 部屋には傘や、下駄やスリッパが二、三足おいてあった。

 村木を除いた面会人は三つか四つくらいの子供を背負った女房だけだった。

 その女房は縞目もわからないような汚いねんねこで子供を背負い、ひとり隅っこにうづくまっていた。

 村木は大須賀に面会するはずだったが、斎藤兼次郎が今、大須賀に面会しているというので、和田に面会することにしたという。





「村木さん、あれも囚人のいるところ?」

 野枝の質問に、村木は自分の檻房生活の経験を呑気に語り出した。

 野枝は今、この独房で胡座をかいて読書している大杉の姿を思い浮かべた。

 野枝は牢獄の話は普段、大杉からいろいろ聞かされていた。

「半年や一年なら……」

 牢獄の話が出ると決まって、大杉はそう言った。

「遮断生活もたまにはいいもんだよ。ああ、しばらく本を読まないな……」





「大杉はこの間、日本堤署で会ったときに、二、三ヶ月、読書ができそうだなんて呑気なことを言って笑ってたけど、他の三人はどうしてるでしょう。日本堤署ではみんな一緒だったから元気がよかったけれど、別々になってからは悄気(しょげ)てるかもしれないわね」

 野枝は二十代の半ば以上を獄中で暮らし、その生活には馴れ切っているというより親しみさえ持っている大杉のことを考えると同時に、そういう経験を初めてしている他の三人のことが心配になった。

「なあに大丈夫、元気ですよ。未決だもの、着物はうんと着ているし、毛布も入っているし、弁当なんかいいのが入れてあるし。先刻、服部(浜次)くんが久板くんに面会して、差し入れのことを言ったら、万国史と辞書が入ったのなら申し分なしだと行ってきたそうですよ。和田くんだってそうだ。悄気ているとすれば、大須賀くんだが、なあにそんなに心配したもんでもありませんよ」





「その大須賀さんよ、一昨日、堺さんに遭ったとき、散々当てこすられたり嫌味を言われたりしたんですよ。堺さんですら、ああなんだから、他の人たちはなんと言ってるかしれはしないわ。堺さんはまるで大杉が無理に大須賀さんを引っ張って行ったようなことを言っているけど、大杉と大須賀さんはあの晩に初めて会ったくらいのもんじゃありませんか。それをわざわざ引っ張って帰ろうとするなんてなさそうに思えるけれど」

「なあに、言うやつには勝手に言わしておくさ。大須賀くんだって、そう悄気てもいますまい」

 村木は煙草に火をつけながら静かな調子で言った。

「堺さんもそんなにわからないことを言う人じゃないんだけどな、大杉くんのこととなると妙に変わるんだなあ」

 野枝は黙ってうつむいた。

 そして、せめて未決にいる間だけは、みんなの世話をどうかして自分の手で続けたいと切に思った。

 ことに大須賀の世話は一切、堺の手を退けるようにしたいという気持ちが、次第に募る反感とともにに強くなるのだった。


★『橋浦時雄日記 第一巻 冬の時代から 一九〇八〜一九一八』(発売・風媒社 /発行・雁思社・1983年7月)

★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)


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2016年06月19日

第254回 カムレエドシップ






文●ツルシカズヒコ


 一九一八(大正七)年三月四日、牛込区市谷富久町にある東京監獄に面会に行った野枝は、そこで堺利彦と遭遇した。

 堺は大杉グループとは無関係の大須賀を巻き込んだ大杉の無謀を、非難がましく野枝に当てつけた。

 堺の腹の中を見せつけられた野枝は、軽蔑こそすれ腹立しいとは思わなかったが、憎悪と憤りを感じずにはいられなかった。

 野枝は今回のようなことはいずれ起こるだろうという覚悟があったので、大げさな心配や興奮は一切しないとかねてから心に決めていた。

 すべきことは、できるだけのカムレエドシップをつくして、拘束されている人たちのためにつくすということのみだった。

 堺はそうしたことに一番理解のある人でなくてはならなかった。

 また実際、野枝もそうだと聞いていたが、野枝の前にいる堺にはそうした温かさや寛大さを持った、首領らしさは少しも見ることができなかった。

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 堺は赤旗事件のことまで持ち出してきた。

 みんなは五、六ヶ月か二、三ヶ月と高をくくっていたのに、二年、二年半などの長い刑期を受けねばならなかったというようなことを堺は話し始めた。

 取り方によっては、堺は今回の事件に直面した野枝が案外平気でいるのを小憎らしく思って脅しているのだろうか、「大杉の無茶」がどのくらい他人に迷惑をかけているかを思い知れというつもりなのだろうか。

 野枝は堺のそういう言葉を聞くと、いっそう忌々しさがこみ上げてきた。


 例え何んにも知らないY(大須賀)が巻き添えを喰つたからと云つて、それは、さう云ふ危険な人達や場所に近よつたY自身の不用意からで、何もT(堺)氏の知つた事ではない筈だ。

 それで迷惑を感ずるなら、その迷惑を拒絶すればいゝ。

 その迷惑を何にも未練らしく龍子(野枝)の前に並べる事はないではないか。

 龍子は、眼前に腰をかけて皮肉らしい態度で話してゐるT氏に対する反感が湧き上がつて来るのだつた。


「監獄挿話 面会人控所」/『改造』1919年9月号・第1巻第6号/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p)





 身内や同志が検束されるというケースに初めて遭遇した野枝が、そういうことを知りつくした堺に教えを受けず、すべてをひとりでやろうとしていることも、堺をムッとさせたのかもしれない。

 差し入れや、その他の細々としたことについて、堺はいちいち野枝に聞き糺(ただ)した。

「飯なんかどうするつもりか知らないが、三度三度入れる必要はありませんよ。あの中では、そんなに食べるもんじゃないし、一度くらいはあそこのも食う方がいいんだ。それに金だってどうせ続きはすまい。あんまり最初からよくして、それが続かないと、最初の親切がなんにもならんからーー」

 野枝だってそのくらいのことは最初から考えていたし、大杉にも注意されていた。


 で、食事の差入れは朝夕二度、朝は軽いパンと牛乳、夕食には少しいゝ弁当ときめていた。

 金ーーそれも続くまい、と見くびられゝば猶の事、どんな事をしても皆んなが未決にゐる間は続けなければならないと云ふ決心が固くなるのだつた。

 一つ一つさうしてT氏と龍子の話は龍子の反感を高めて行つた。

 ほんの一寸した事でも、さうした種類の侮辱を耐えへる事のできない龍子は、自分の胸が煮えかへるやうなおもひを、此の老爺の面前に叩きつけてやらうかと思つた。

 しかし、はしたない真似はしまいとおもふ他の気持が、E(大杉)との古い複雑な関係を思ひ出させて、やつとその激した心持を取しづめた。


「監獄挿話 面会人控所」/『改造』1919年9月号・第1巻第6号/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p)


 ちなみに、このとき堺は四十七歳、野枝は二十三歳である。

 外に出て、同志のやさしい慰めの言葉を聞くと、野枝は今まで耐えに耐えていたいろいろな思いが、一時に湧き上がって来て、熱い涙がとめどもなく頬を伝った。

 彼女は歩きながら、幾度もハンケチで顔を覆った。

 そして、ひとしきり溢れ出た涙がみんな留守になってから、四、五日間感じたことのない、物悲しい、頼りなさが、しみじみと感じられるのであった。

 堺に対する反感は、それ以来、数日の間、折に触れて野枝の気持を熱くした。





 この一件について『東京朝日新聞』は「大杉栄等四名引致さる」という見出しで、こう報じている。


 ……四名は一日夜下谷区上野桜木町の有吉某方へ集合し酒食をなしたる後(のち)

 一杯機嫌にて吉原に繰り込まんと五十軒町六六地先に差蒐(さしかか)りたる際

 同番地のいろはバーにて戸張源之助(三六)なるものが泥酔して乱暴を働きしより

 同家の料理番と日本堤署の安田巡査とが同人を警察に連れ行かんとしたる処へ出会ひ

 大杉は何と思ひてか突然件(くだん)の男を警官の手より奪い取り更に四人にて巡査に喰つてかゝり

 酔漢は何処へか逃亡したるより同署の警官多数駆付けて前記四名を取押へ

 職務執行妨害罪として告発せしものなりと


(『東京朝日新聞』1918年3月4日)


 三月五日、野枝は魔子を橋浦時雄のところに預けて、区裁判所に行った。

 大杉たちに面会するのに四、五時間も待たされた。


東京区裁判所


★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)




●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



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第253回 日本堤






文●ツルシカズヒコ




 一九一八(大正七)年三月一日、下谷区上野桜木町の 有吉三吉宅で開かれた労働運動研究会例会に参加した、大杉、和田、久板、大須賀健治の四人は、池之端のレストランで食事をしながら直接行動と政治運動との是非を議論した。

 大須賀は山川均の死別した妻、大須賀里子の甥である(『橋浦時雄日記 第一巻』)。

 山川を頼ってこの年の一月に愛知県から上京し、二月に堺利彦が経営する売文社に受付係として入社したばかりだった(堀切利高『野枝さんをさがして』)。

 終電車がなくなり、和田の古巣の泪橋の木賃宿にでも泊まるかということになり、三ノ輪から日本堤(にほんづつみ)を歩いて行った。

 午前一時ころ、吉原の大門前を通りかかると、大勢人だかりがして騒いでいる。

 ひとりの労働者ふうの男が酔っ払って、過って酒場のガラスを壊したというので、土地の地廻りどもと巡査がその男を捕らえ弁償しろの拘引するのと責めつけていた。

 その男はみすぼらしい風態(ふうてい)をして、よろけながらしきりに謝っていた。

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 大杉が仲裁に入り、男から事情を聞いてそこに集まっているみんなに言った。


『此の男は今一文も持つてゐない。弁償は僕がする。それで済む筈だ。一体、何にか事のある毎に一々そこへ巡査を呼んで来たりするのはよくない。大がいの事は、斯うして、そこに居合はした人間だけで片はつくんだ。』

 酒場の男共もそれで承知した。

 地廻り共も承知した。

 見物の野次共も承知した。

 しかしただ一人承知の出来なかつたのは巡査だ。

『貴様は社会主義者だな。』

『さうだ、それがどうしたんだ。』

『社会主義者か、よし、それぢや拘引する。一緒に来い。』

『そりや面白い。何処へでも行かう。』

 僕は巡査の手をふり払つて、其の先きに立つて直ぐ眼の前の日本堤署へ飛びこんだ。


(「とんだ木賃宿」/『文明批評』1918年4月号・第1巻第3号/『新小説』1919年1月号/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第三巻』「獄中記・市ヶ谷の巻」)





 大杉ら四人は日本堤署の留置場に入れられた。

 翌朝、警部がしきりに昨晩の粗相を謝り「どうぞ黙って帰ってくれ」と朝飯までご馳走したが、いざ帰ろうとすると、こんどは署長が出て来て、どうしたことか再び留置場へ戻されてしまった。

 こうして大杉たちは、職務執行妨害という名の下に拘引された。

 大杉たちは日本堤署に二晩、警視庁に一晩留置された後、大杉を除く三人は東京監獄に二晩、大杉は東京監獄に五晩、収監された。

 大杉らが検束されたことを橋浦が知ったのは、三月二日の夕方だった(『橋浦時雄日記 第一巻』)。

 売文社の社員だった橋浦からそれを聞いた野枝は、三月二日の夜、すぐに日本堤署に駆けつけた。

 大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、野枝は親子丼を差し入れたという。

「何をしたんです? いったいーー」

 野枝は食後の煙草を呑気に吸いながら、あれこれと差し入れなどのことを彼女に注意してくれる大杉の言葉が途切れるのを待って聞いた。

「なんでもないことさーー」

 大杉は笑って取り合わなかった。

 他の三人もただ黙って笑っているだけだった。

 野枝は当初、大杉にお灸をすえるつもりでいた。





 ……本当は二日の晩橋浦さんに、あなた方が日本堤署に止められてゐのだと聞いた時には『まあ、此の忙しい最中に、何をつまらない事を仕出かしたのだらう』と少し忌々(いまいま)しい気がしましたわ、

 それに、日本堤だなんて、あんな碌でもない場所なんですもの。

 私、あなたの顔を見るまでは、少し怒つてやらうと思つてゐたのですわ。


(「獄中へ」/『文明批評』1918年4月号・第1巻第3号/大杉栄らの共著『悪戯』・アルス・1921年3月1日/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第四巻』「消息(伊藤)」【大正七年三月七日・東京監獄内大杉栄宛】/『定本 伊藤野枝全集 第三巻』_p42)


 しかし、大杉たちの笑い顔を見た野枝は、それ以上は何も聞かなかった。

「日本堤だなんて、あんな碌でもない場所」というのは、吉原遊郭のすぐそばだからだ。

 三月三日、野枝はある友人と一緒に警視庁に差し入れに行った。

 差し入れたのは四人分の毛布だった(大杉豊『日録・大杉栄伝』)。

 差し入れをする際に係の巡査が野枝に尋ねた。

「あなたは大杉さんのなんです?」

「一緒にいるものです」

 と野枝は曖昧な答えをした。

「ハハア、すると内妻ですな」

 巡査は至極、真面目くさって書きつけた。

 野枝は大杉が普段よく口にしていた言葉を思い出して、危うく吹き出しそうになった。





『何あに、いくら女房ぢやないの何だのつて威張つたつて、裁判所に引つぱりだされたり、監獄に面会に来たりして御覧、内縁の妻にされつちまふよ。』

 E(大杉)はよく二人の関係について冗談を云ふ度びに友達の前や何かでそんな事を云つた。

『アラいやだ。』

『あらいやだなもんか本当だよ』

『嫌やだわ内縁の妻だなんて。』

『嫌やだつたつてそれが事実ぢやないか』

『違ふわ』

『ぢや何んだ』

『何んでもないわ、いろだわたゞーー』〉

『ぢやあ若し裁判所で内縁の妻だなんて云つたら抗議を申込むか』

『えゝ、内縁の妻だなんてそんなもんぢやない。いろだつてさう云ふわ』

『さうか、そりやあえらいな』

 さう云ふ事は幾度も/\も云つてゐた。


「監獄挿話 面会人控所」/『改造』1919年9月号・第1巻第6号/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p)



★『橋浦時雄日記 第一巻 冬の時代から 一九〇八〜一九一八』(発売・風媒社 /発行・雁思社・1983年7月)

★堀切利高編著『野枝さんをさがして 定本 伊藤野枝全集 補遺・資料・解説』(學藝書林・2013年5月29日)

★『大杉栄全集 第三巻』(大杉栄全集刊行会・1925年7月15日)

★大杉豊『日録・大杉栄伝』(社会評論社・2009年9月16日)

★『大杉栄全集 第四巻』(大杉栄全集刊行会・1926年9月8日)

★『定本 伊藤野枝全集 第三巻』(學藝書林・2000年9月30日)

★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)


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2016年06月17日

第252回 僕の見た野枝さん






文●ツルシカズヒコ



 野枝が『文明批評』一九一八年二月号に書いた「階級的反感」は、同志たちの間で反感を買ったようである。

橋浦時雄日記 第一巻』によれば、二月十四日、橋浦が大久保百人町の荒畑寒村の家を訪れた際も、その話題になり橋浦と荒畑は笑談したという。

 そこに大杉も現われ、大杉と橋浦は荒畑からお汁粉を振るまわれた。

 大杉は橋浦と荒畑に「階級的反感」について、どんな見解を示したのであろうか。

 橋浦は翌日の日記に、こう書いている。


『文明批評』の伊藤野枝女史の「階級的反感」という一文は野枝の人格を疑わせる。

 兎に角、自分が新住居の周囲の人より階級が異うというのである。

 どう異うのか、自分が貴族だというのか、学者だというのか。

 人々から一種の嫉視を受けているように、御当人は思っているのだろうが、大した自惚(うぬぼ)れというものだ。


(『橋浦時雄日記 第一巻』)

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 亀戸時代の野枝については、和田久太郎の「僕の見た野枝さん」が詳しい。


 亀戸で初めて会つた時、野枝さんの話し振りや態度を見て非常にほがらかな性質の、自由ないゝ感じのする人だなと思つて嬉しかつた。

 しかしだん/\一緒に暮らして来るうちに。

『やりつ放し』な『なげやり』な其の生活振りには驚かされた。

 大杉君にはほころびた穴のあいた着物を平気で着せて置くし、自分も又垢染(じ)んだ臭い着物を澄まして着て歩く。

 庭に芥(ごみ)だの紙屑だのを散らかして置くのはまだしも、縁先から赤ん坊に大便をさせたまゝ、それを容易なことで掃除しない。

 押し入れの破れ襖を引きあけると、汚れものやおしめの臭いがぷうんと鼻を突くーー。


(和田久太郎「僕の見た野枝さん」/『婦人公論』1923年11月・12月合併号_p20)





 和田は人夫部屋などにゴロついていた人間だから、たいていのやりっ放しや無精には馴れていたが、野枝には相手が相手なので面喰らった。

 和田の知る野枝はずっとなげやりで無精だったが、この亀戸時代が特にひどかったという。


 尤(もつと)も、亀戸に居た当時は貧乏のドン底だった。

 前の空家に張り込んでゐた警察の尾行どもが、

『おい、今日の午飯(ひるめし)もまた芋だつたよ。明日あたりは大杉のオーバーが見えなくなるに違ひないぜ、ウフゝゝ……』

 などと、近所へ触れ廻る。

 大杉君はたゞ苦が笑ひをしてゐるのみだったが、若い僕等や野枝さんは、よくかツとなつたものだ。

 そして、この何うにもならない貧乏が、野枝さんのなげやりな、無精な、やりつ放しな態度を、猶更ら強くさせてゐたやうに思ふ。


(和田久太郎「僕の見た野枝さん」/『婦人公論』1923年11月・12月合併号_p20)





 大杉も野枝も同じように見え坊で、意地っ張りで、強がりだったが、大杉のは貧乏の中に傲然(ごうぜん)と構えていて、貧乏なんかにまるで無頓着に見えるほどの力強さが溢れていた。

 しかし、野枝の強がりは「さあ、どうでもしてみやがれ」という、駄々っ子に似た捨て身の強さだった。

 子供の育て方も、和田にはずいぶん無茶に思えた。


 オシメをよく取り替へてやらないから、魔子のお尻はいつも真つ赤に爛れてゐた。

 着物もひどいのが着せてあつた。

 或日、僕と久板君(やはり一緒に居た同志だ)とが夕方に戻つて来ると、野枝さんと大杉君とは待ち構へて居たやうに魔子を預けて何処かへ遊びに出て行つた。

 こんな事は毎度の事なんで『あゝいいよ』とばかり受け合つたが、間もなく赤ん坊は火の付くやうに泣き出した。

 腹が空いてるんだと悟つてミルクを探したが残つて居ない。

 二人とも金は持つて居ず、仕方なくおこげの御飯でおもゆを作つて呑ませた。

 それで漸く赤ん坊は泣き止んだ。

 その夜十二時すぎた時分に野枝さんと大杉君は帰つて来た。


(和田久太郎「僕の見た野枝さん」/『婦人公論』1923年11月・12月合併号_p20~21)





 野枝が「階級的反感」に書いた、銭湯から逃げ帰って来た話についても、和田が言及している。

「私達はもっともっと労働者に教えられなければならない。女工さんたちと本当のお友達になって、その力強い相談相手とならなければならないーー」

 そういう決心が野枝の理智の中で、真剣になされていたのは事実だった。

 ときどきは付近の長屋を歩いたり、紡績工場やその寄宿舎を覗いたりして、この決心を具体化しようと努力していたのも事実だった。

 しかし、野枝には友達ができなかった。

「ああ驚いた。私ね、今日はあちらのお湯へ行って、モスリン会社の女工さんたちにすっかりおどかされちゃったのよ!」

 ある日の夕方、お湯から帰った野枝は、いきなり机の前にどっかりと座りこんで話し出した。

「モスリンの女工さんたちはみんな向こうのお湯へ行くんだって聞いていたものだから、今日、行ってみたのよ。まあ、五十人ぐらいはいたわね。その光景にまず面喰らったわ。しかし、開けっ放しの話も聞けるし、そのうち話し合うこともできると考えながら、中の方に入って行ったの。するとね、みんな一斉にこちらを向いてーー」





 女工たちは野枝の顔を見たり、指を指しながら、大声でひどいことを言い始めた。

「おやおや、あの女は何んだい?」

「妾だよ」

「女優だよ」

「へん、いやにつんとしてやがら、妾女優めーー」

 野枝の顔は真っ赤になった。

 我慢して上がり湯のそばへ座り体を洗い始めた。

 たくさんの人でとても湯槽には入れなかった。

 すること今度はーー。

「あらあら、ひどいあぶくだよ」

「さあたいへんたいへん、みんなシャボンに流されないよう用心しな」

「ウワハハハハハ」

「畜生め! 見な、私はこんなにシャボンなんかはふんだんに使います、てな顔をしてやがるじゃないか」

 野枝はあんまりだと思ったから、ごめんなさいとも言わずに、プイと帰って来てしまった。

 大杉はニコニコ笑いながら、

「そんなことぐらいで驚いちゃ駄目だよ。それはあなたにとって本当にいい場所だから、毎日行くんだね」

 と言ったが、野枝は、

「そうねぇーー」

 と言ったきり、黙って考えこんでしまった。

 野枝はそれっきり、モスリン女工の行くお湯には行かないようだった。


 野枝さんは、何(ど)うしても女工さんたちとほんたうに手を握り合ふこと事が出来なかつた。

 また、亀戸時代ほどの貧乏のドン底に生活しながら、その貧乏に徹底する事が出来なかつた。

 自分で質屋へ行(ゆ)く事が出来ず、米の一升買ひにも行(ゆ)けなかつた。

 そして、少々の金でも這入(はい)ると、大杉君と二人で一流の料理屋へ行つて先づ渇(かつ)を満たすという風だつた。


(和田久太郎「僕の見た野枝さん」/『婦人公論』1923年11月・12月合併号_p22)



★『橋浦時雄日記 第一巻 冬の時代から 一九〇八〜一九一八』(発売・風媒社 /発行・雁思社・1983年7月)



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251回 半耄碌(もうろく)のお婆さん






文●ツルシカズヒコ



 大杉は『文明批評』一九一八年二月号に「僕は精神が好きだ」を書いた。



 僕は精神が好きだ。

 しかしその精神が理論化されると大がいは厭やになる。

 理論化という行程の間に、多くは社会的現実との調和、事大的妥協があるからだ。

 精神そのままの思想は稀だ。

 精神そのままの行為はなおさら稀だ。

 この意味から僕は文壇諸君のぼんやりした民本主義や人道主義が好きだ。

 少なくとも可愛いい。

 しかし法律学者や政治学者の民本呼ばわりや人道呼ばわりは大嫌いだ。

 聞いただけでも虫ずが走る。

 社会主義も大嫌いだ。

 無政府主義もどうかすると少々厭やになる。

 僕の一番好きなのは人間の盲目的行為だ。

 精神そのままの爆発だ。

 思想に自由あれ。

 しかしまた行為にも自由あれ。

 そしてさらにはまた動機にも自由あれ。


「僕は精神が好きだ」/『文明批評』1918年2月号・第1巻第2号/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第二巻』)

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 名コピーライターでもあった大杉の有名な一文だが、この名文を大杉に書かせたのは野枝の存在だったかもしれない。

『文明批評』同号に野枝は「階級的反感」の他に「間抜けな比喩」を書いた。

 野枝は『新日本』一九一七年三月号に掲載された「評論家としての与謝野晶子氏」でも晶子を批判しているが、「間抜けな比喩」も激烈な晶子批判である。

 晶子は『女学世界』同年四月号の「対鏡新語」欄に、「評論家としての与謝野晶子氏」への反論と思われる一文を書いた。

 そして、単行本『愛・理性及び勇気』(阿闍陀書房)が出版されたのが同年十月だった。

 同書には『女学世界』の「対鏡新語」欄に書いた一文が「聡明、慎重、勇気」という表題がつけられて収録されていた。

「聡明、慎重、勇気」の中で、晶子は「新旧思想が交錯している」社会を急流に喩えている。

 急流を横断して対岸に渡ろうとする船は到着すべき目標に向いて、決して一直線には渡らない。

 急流に押されて対岸に着くことができないばかりか、下流の方に船が流される結果になるからだ。

 聡明な水夫は、上流の方に斜めに舳先(へさき)を向けて漕いで、水勢に押されて流れるに見せかけながら、対岸の予定の地に着くようにする。

 わざと迂回することが、実は最も都合よく目的を達することなのである。

 ーーというようなことを書いた晶子に対し、野枝は一刀両断の反論を書いた。





 聡明なる水夫は即ちその急流に棹さして、人及び女としての完全な彼岸に達しようとする氏自身なのである。

 この比喩は、氏にとつては大分都合のいゝ比喩らしく見えながら、実はこんな間抜けな比喩はまたとあるまい。

 何故なら、かりにも、急流に船を浮かべる水夫たるものが、如何に向不見(むこうみず)だと云つて、一直線にゆかうなどゝ企てるものがどうしてあり得やう。

 船をどうあやつるか、どう舵をとるかは、水夫の聡明不聡明よりは、其の馴切つた仕事でなくてはならない。

 これが何で、聡明とか慎重とか勇気等のたとへばなしにならう?

 そしてまたそんな事で、自分の態度を誤魔化さうとするのが第一の大間違だ。

 私が一つ一つ克明に遂(おい)つめておいた点にはつきりと返事をする事も出来ないで、見当違ひな比喩に勝手な理屈をつけて威張るやうな半耄碌(もうろく)のお婆さんに、何を云つても無駄とは知つてはゐるが……。


(「間抜けな比喩」/『文明批評』1918年2月号・第1巻第2号/『定本 伊藤野枝全集 第三巻』_p25~26)





「間抜けな比喩」の晶子批判は、さらにこう続く。


 あの高慢な婆さんはこんな事も麗々と云つてゐる。

「私が曾つて自分の恋の為めに、自分の歌の為めに自分の教育の為めに、自分の思想の為めに、私としてどれだけ勇猛激烈に従来の道徳、迷信、伝統と戦つてそれを破り、それに打克つて来たか。それを私の実際の経歴と述作とに就いて調べて下さる人が他年私の死後にあるなら……私だけの可能性を尽して破壊的な非常手段をも決行することに卑怯で無かつた事を認容されるであらうと想ひます。」

 ふん、「私丈けの可能性を尽して」か! 

 万事が御自分の為めばかりだ。

 そんな事なら誰だつて出来るとも!

 目の前だけの効果がすぐ来る事なら、どんな口車にだつてみんな乗りたがる。

 そんな事はたゞ、人並みだと云ふ事にしかならない。

 何が勇猛激烈だ。

 何が破壊的な非常手段だ。

 何が新時代の先導者の慎重と聡明と勇気だ。

 ……彼は何時の間にかそつと先鋒者の足趾(あしあと)をつけてゐる。

 そして、追随者には、さも自分が踏ひらいたやうな顔をして見せる。

 自分が何の危険もなく連れて来てやつたやうに恩にきせる。

 彼はそれ程臆病で卑怯だ。

 そしてそれ程高慢ちきだ。


(「間抜けな比喩」/『文明批評』1918年2月号・第1巻第2号/『定本 伊藤野枝全集 第三巻』_p27)

 野枝が「半耄碌(もうろく)のお婆さん」と論破している晶子はこのとき四十歳、野枝は二十三歳だった。



★『大杉栄全集 第二巻』(大杉栄全集刊行会・1926年5月18日)

★『定本 伊藤野枝全集 第三巻』(學藝書林・2000年9月30日)



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2016年06月16日

第250回 東洋モスリン






文●ツルシカズヒコ


 大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、和田久太郎久板卯之助が、南葛飾郡亀戸町の大杉家に同居することになったのは一九一八(大正七)年一月の末だった。

 一九二二(大正十一)年一月、久板は天城山猫越(ねっこ)峠で凍死するのだが、大杉が書いた久板への追悼文「久板の生活」に、この同居の際の逸話が記されている。

 同居することになったふたりの荷物を見て、野枝が大杉にそっと言った。

「布団のようなものがちっともないようですが」

 実際、ふたりは少し大きめの風呂敷包みをひとつ持っているだけだった。

「ないはずはないんだが……」

 久板が京都から出てきたときに、大杉たちの仲間が久板に布団を作ってやったことを大杉は思い出した。

 なければないで用意しなければならないので、大杉がふたりに聞いた。

「布団はあるのかい?」

「いや、あります、あります」

 ふたりは口早にこう答えて笑っている。

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 しかし、解いた包みの中からは、たった一枚の布団しか出てこなかった。

 一月の寒いときだ。

 ふたりが寝るのに、たった一枚の煎餅布団ではどうにもならない。

「いや、この布団は和田くんのです。和田くんはこれで海苔巻きのようになって寝るんです」

 久板は癖である「いや」を言葉の冒頭に発し、笑いながら説明しだした。

「じゃ、きみの布団はなんにもないじゃないか」

「いや、あるんです」

 久板はこう言いながら、座布団を三枚取り出した。

「これが僕の敷布団なんです。そして上には……」

 と言いながら、着ている洋服とたった一枚のどてらを指差して、

「僕の着物の全部を掛けるんです。これが僕の新発見なんです」

 久板と和田は真面目な顔をして笑っていた。

 大杉と野枝は少々あきれて、しばらく黙っていた。


 僕はうちに余つていゐ布団を二枚、二人の室の押入に入れて、勝手に使ふやうにと云つて置いた。

 しかし、二人は『面倒だから』と云つて、ついにそれを使つた事がなかつたやうだ。

 久板の生活はすべてが此の簡易生活であつた。


(「久板の生活」/『労働運動』1922年3月15日・第三次第三号 /大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第四巻』/日本図書センター『大杉栄全集 第14巻』)






『文明批評』二月号の発行は予定より少し遅れた。

 同号の「二月号・編輯人から」(大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第四巻』)によれば、「丁度編輯を始めかけたところで、伊藤が病気になつて、大杉が女中と子守と看護婦との仕事を一度に引受けて了つた。そんなことで二十五日に漸く編輯にとりかかつた」からである。

 同号に大杉は、亀戸に住み始めた所感をこう書いている。


 ……とにかく此の労働者町に押しやられてきた事だけはいゝ気持だ。

 大小幾千百の工場のがん/\する響きともう/\とする煙との間に、幾千幾万の膏(あぶら)だらけ煤だらけの労働者の間に、其の実際生活に接近してゐる事だけでもいゝ気持だ。

 だらけた気分が引きしまつて来る。

 斯うしちやゐられないと云ふ気持が日に日に強まつて来る。


(「小紳士的感情」/『文明批評』1918年2月号・第1巻第2号/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第一巻』)


 労働者の町、亀戸に住み始めて一ヶ月が経過した。

 大杉には環境の変化が刺激になっていたようだが、野枝にはまるで肌の合わない町だった。

 野枝の家のすぐそばの空き地の井戸が、近所二十軒くらいの共用になっている。

 朝早くから夜遅くまで、ポンプの音が絶え間ないほど繁盛している。

 野枝もそこに水を汲みに行かなければならないが、井戸端に四、五人いれば、いやひとりだって行く勇気がなくなる。

 井戸端に居合わせるみんなが、人種の違った者にでも向けるような視線を野枝に浴びせるからだ。

 買い物に行く。

 そこでも野枝は、のけ者にされ邪魔にされ、「私は馬鹿にされてるのじゃないかしらと」と、不安になった。





 みんな、無智で粗野な職工か、せい/″\事務員の細君連だ。

 本当なら私は小さくならないでも大威張りでのさばつてゐられる訳なのだ。

 でも私にはそれが出来ない。

 私はその細君連に第一に畏縮を感ずるのだ。

 圧迫を感ずるのだ。

 私はその理由を知つてゐる。

 私はあの細君連に何うかして、悪い感じを持たれたくないと思つてゐる。

 悪い感じどころではない、何うかして懇意になりたく思つてゐる。

 けれどそれには私のすべてが、あの細君連からあんまり離れすぎてゐる。

 そしてそれがもう黙つてゐてもそれ等の細君連に決して気持のいゝものでない事を、私は知りぬいてゐる。

 それだから、一寸(ちよつと)井戸端を通りかゝつても、水を汲に行つても、その注視に出遇ふと、私は急いで逃げ帰つて来る。

 家の中に這入(はい)ると始めて楽々とした自分にかへる。

 もう越して来て一ケ月になる。

 私はいまだに一人の人とも口がきけない。

 人のゐないのを見すまして行つては大急ぎで出掛けて水を汲んでは逃げ込んで来る。


(「階級的反感」/『文明批評』1918年2月号・第1巻第2号/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』/『定本 伊藤野枝全集 第三巻』_p29~30)





 炊事の合間の時間帯になると、井戸端には七、八個のたらいが並ぶ。

 みんな声高に何か話しながらジャブジャブ洗濯をやっている。

「あそこにたらいを持って行って仲間入りしなきゃ駄目ですよ。あそこへ行って、お天気がいいとか悪いとか言ってりゃすぐ懇意になりますよ。こっちで遠慮してちゃ、いつまでたったって駄目ですよ。向こうの方がよけいに遠慮しているんだから」

 村木が玄関の横の窓の障子にはめ込んだ硝子(ガラス)越しに、それを見ながら野枝に教えてくれるのだった。

 しかし、野枝は庭にたらいを置いて、毎日ひとりで洗濯をした。

「ね、そこのお湯屋は夕方から夜にかけては、モスリンの女工でいっぱいですとさ、どんなだか行ってみようかしら」

「ああ、行ってごらん」

 ある日、野枝が大杉にそんなことを話し、好奇心から出かけて行った。

『定本 伊藤野枝全集 第三巻』の「階級的反感」解題によれば、「モスリンの女工」とは東洋モスリン株式会社の女子工員で、同社の女子工員は第一・第二工場合わせて二千人だった。

 野枝の家のそばという場所から推測すると、第二工場の女子工員のことのようだ。





 大変だつた。

 脱衣場から、流し場から、湯槽(ゆぶね)の中まで若い女で一杯だつた。

 こんでゐるお湯には我慢のならない私も、好奇心から着物を脱いで流し場に降りた。

 だが桶一つ見つからない。

 すると丁度桶に湯を運んで来た番頭が、目早く見ると頭を下げて、

「何うぞこちらへ」

 と云つてから、

「おいお前さん達少しどいてくれ、鏡はほら向ふにもかゝつてるよ。」

 番頭は其処に一かたまりになつてゐる二三人の女工を追ひのけて、湯桶をおいて私の場所を拵(こし)らえるへてくれた。

 有りがたかつたけれど気がとがめた。

 私が手拭を桶の中につけるかつけないかに、私の後では三人が猛烈に番頭の悪口を云ひ初めた。

「何だい人を馬鹿にしてゐやがる。鏡は向ふにもありますだなんて、鏡なんか誰がーーあんなもの見ようつて湯になんか来やしないや。わざ/\恥かゝしやがつた。本当にあの野郎ーー」

「全くだね、一銭二銭惜しい訳ぢやないけどあんな番頭の頭下げさしたつてーーえつあゝ何んだいあれや。」

「女優だよ。」

「女優なもんかね御覧、子持ぢやないか。」

「あら女優にだつて子持はありますよ、何んとかつて云ふ。」

「何んだつていゝやね。えつ、さうともさ、済ましてる奴が一番キザだよ、ほら彼の人みたいにね、一寸くすぐつてやりたいね。」

 私は早々に逃げて帰つた。

 自分の事を後で散々云はれたばかしぢやない、何方(どちら)を向いても十七八、二十二三と云ふ若い娘達が、聞いてゐる丈(だ)けでも顔から火が出そうな話を平気で、声高で饒舌(しやべ)つてゐるのがとても聞いてはゐられないのだ。


(「階級的反感」/『文明批評』1918年2月号・第1巻第2号/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』/『定本 伊藤野枝全集 第三巻』_p30~31)


 二度目は好奇心ではなく、必要に迫られて仕方なしに行った。

 やはり女工さんで一杯だった。





 本当に女工さん全盛だ。

 他の者はうつかり口もきけない。

 女工でないものは隅つこで黙つてゐるより仕方がない。

「まあ本当においも見たいだわ、お湯の中にはいつても外にでても、もまれてゐて。」

 可愛らしい娘さんが連れの人に云つた。

 その言葉が終るか終らないうちに、傍にゐた女工がたちまちその娘さんを尻目にかけながら

「たまに風呂に這入りに来た時くらひ、いも同様は当り前の事(こ)つた。こつちらなんかはねえ、朝起きるとから夜寝るまでーー寝るんだつて芋同様なんだ。」

 他の連中とつゝかゝるやうに云つた。

 娘さんは驚いて、連れの人の傍によつて黙つて見てゐた。

 流しに上る。

 私はしやぼんを沢山使はないと気持がわるい。

 体も桶の中もしやぼんのあぶくで一杯になる。

 しまひには仕方がないから睨まれる位は覚悟で桶のあぶくをあけた。

「一寸々々しどい泡だよ、きたならしいね、何うだい、豪儀だね、一銭出せばお客さま/\だ、どんな事だつて出来るよ。」

 隣りにゐた女工はいきなり立ち上つて、私を睨みつけながら大きな声で怒鳴つた。

「済みません」

 位は私も云ふ事は知つてゐたがその時のその女工の表情があんまり大げさで、憎らしすぎたので黙つてゐた。

 この敵愾心の強いこの辺の女達の前に、私は本当に謙虚でありたいと思つてゐる。

 けれど、私は折々何だか、堪(たま)らない屈辱と、情けなさと腹立たしさを感ずる。

 本当に憎らしくもなり軽蔑もしたくなる。


(「階級的反感」/『文明批評』1918年2月号・第1巻第2号/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』/『定本 伊藤野枝全集 第三巻』_p31~32)





 この亀戸時代から、大杉と野枝は「茶ア公」という名の犬を飼い始めた。

 大杉豊『日録・大杉栄伝』によればポインター種の犬で、同書の二一一頁に大杉、魔子を抱いた野枝、大杉の弟の伸、勇、進の集合写真が掲載されているが、その写真の隅に写っている。

 モノクロ写真なので毛色は不明だが、茶色と白の可能性が高い。

 このころよく大杉宅に出入りしていた、望月桂はこんな回想をしている。

 貧乏のドン底生活をしていたが、大杉は二三人の来客を歓待するために、なけなしの財布の底を威勢よくはたいて握り寿司をごちそうしたという。


 その内に、南側の日当で犬に顔中ペロペロ甛められながら守りされてゐた、まだ腹這ひも出来ぬ赤ん坊が泣き出した。

 牛乳を朝からやるのを忘れてゐたのだと云ふのだ。

 それでも夫婦とも早速やらうともしない。

 子供のミルク代までが寿司に化けて了つたのだと云ふ事は、後で当時の居候久板の口からばれた。

 その赤ん坊というのは……魔子だつたんだ。


(望月桂「頑張り屋だつた大杉」/『労働運動』1924年3月号_p46~47)


 ともかく、茶ア公は魔子の子守りもしていたようだ。


東洋モスリン2

東洋モスリン3



★大杉豊『日録・大杉栄伝』(社会評論社・2009年9月16日)

★『大杉栄全集 第四巻』(大杉栄全集刊行会・1926年9月8日)

★『大杉栄全集 第14巻』(日本図書センター・1995年1月25日)

★『大杉栄全集 第一巻』(大杉栄全集刊行会・1926年7月13日)

★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)

★『定本 伊藤野枝全集 第三巻』(學藝書林・2000年9月30日)



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



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2016年06月12日

第249回 襁褓(むつき)






文●ツルシカズヒコ


 暮れも押し詰まった一九一七(大正六)年十二月二十八日、大杉一家は巣鴨村宮仲二五八三から、南葛飾郡亀戸町二四〇〇に引っ越した。

 大杉栄「小紳士的感情」(『文明批評』一九一八年二月号・第一巻第二号/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第一巻』)によれば、大杉には久しい前から労働者町で長屋生活をしてみたいという思いがあった。

 従来、小官吏や小番頭など中流階級の逃げ場である静かな郊外にばかり住んでいた大杉は、そういう小紳士的感情を捨て去り、平民労働者の実際生活に接近し、自分たちの中に彼らとの一体感を養いたいと思ったのである。

 少々の敷金があったので、長屋ではなく一軒建ちの貸家に住むことになったが、生活の窮乏という実際問題が大杉の背中を押した。

 この時期に亀戸に引っ越すことになったのは、十二月二十四、二十五日ごろ、たまたま亀戸に住んでいる旧友の橋浦時雄が巣鴨の家を訪ねて来たからだった。

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 巣鴨新田の先に、その寓宅を発見した。

 案内を乞うと大杉君が出て来た。

 暫く話した。

 伊藤野枝との女児[魔子]がヒイヒイ泣いて、それにミルクを飲ませたり襁褓(むつき)を取り代えたりする様は、一寸想像にも及ばなかっ図である。

 野枝女史はいなかった。

 この時亀戸あたりに引越したいといって、それでは僕が案内しようと約した。


(『橋浦時雄日記 第一巻 冬の時代から 一九〇八〜一九一八』)





 十二月二十八日の夕方、野枝がひとりで貸家を探しに行き、翌日の昼下がりに一家が亀戸に引っ越して来たのである。

 手伝いに黒瀬春吉の第一夫人の青柳雪枝が来ていた。

「亀戸から」(『文明批評』一九一八年二月号・第一巻第二号/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第四巻』)によれば、『文明批評』一月号の校正のために三日間、身を眩まして帰宅すると、大家から来月の十日までに引っ越してくれと宣告をされた。

 それまでの家賃はいらない、二ヶ月分の敷金も返すという条件だったので、大杉はこの条件を即座に呑んだ。

「お蔭さまでいい引越しが出来たんだ。ほんの少々ぢやあるが、引越し料まで貰つて」という、大杉一家にとって渡りに船の引っ越しになった。

 大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、「橋浦の家も同番地、現在の江東区亀戸六丁目である。近くに東洋モスリンの工場があり、黒い煙突が聳えている。家賃は月十三円だった」。

 大杉の家のすぐ前の新築の空家に小松川署の刑事が二人待機し、終日、戸を細目に開けて見張っていた。





 大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、十二月三十一日、大杉と野枝は魔子を連れて、大森の春日神社裏(現・大田区中央一)にある山川家を訪れ、そこで正月を迎えた。

 山川菊栄はこの大杉一家の来訪の様子を記している。

 菊栄によれば、大杉一家が来訪したのは十二月三十日である。


 その年の暮も押し詰まつて、十二月の三十日に二人はマコさんを抱いてやつて来た。

 家にゐると掛取りがうるさいから此処で一所(しよ)に正月をしに来たといふのである。

 そこで野枝さんが赤ん坊を寝かしておいて、丁度其頃私の処にゐたK青年を相手にお正月の料理に取りかゝつた。

『あなたは炬燵で寝てらつしやいよ。私がみんなしてあげるから。』

 かう私にいつて野枝さんはK青年を買物にやつてから台所に出かゝつたが、見ると例によつてお召(めし)の着物にお召の羽織のゾロリとした姿である。

 私が粗末な羽織や襷(たすき)、前垂などを用意すると大杉さんがいそいで遮(さへぎ)つた。

『いゝんだよ。この人は年中これなんだ。羽織といへば天にも地にもこれ一枚きりで、風呂に行く時も飯たきする時もみなこれ許(ばか)り着て、襷なんかかけたことないんだ。同じ着のみ着のまゝでも木綿ものよりこの方が質にやる時役に立つからね、』と笑つた。

 野枝さんはお召の羽織の袖の端をチヨツと脇の下にはさんだなりで真黒な台所に降りていつた。

 お蔭(かげ)で私は手一つ濡さずにお正月の御馳走にありついた。


(山川菊栄「大杉さんと野枝さん」/『婦人公論』1923年11月・12月合併号_p16~17)





 菊栄の晩年の著作『おんな二代の記』では、こう記されている。


 その年もおしつまった大みそかだったかその前日だったか、にぎやか笑い声といっしょにドヤドヤとはいって来たのは、マコちゃんをかかえた大杉さんと、おむつの包みをもった野枝さんで、自分の家ではかけとりがうるさいから、ここで年越しすることにきめたという。

「お正月の支度まだでしょ。私が台所ひきうけてあげるわ、あなたは寝てらっしゃい」。

 こういって野枝さんは立ちました。

 滝縞のお召にお納戸の錦紗の羽織を着たまま両方のタモトのはしをちょっと帯の間へはさんで台所へ出ようとする野枝さんの前に、まだエプロンのないころで、私は自分の粗末な羽織やタスキや前掛けをもちだしました。

 大杉さんは横からそれをさえぎって、

「いいんですよ、この人はいつでもこのままなんだ。内も外も、台所をするのも銭湯にいくのもね。このほかにきるものはなにもないんだ、あとはネマキだけさ。質に入れるとき、これがいちばん役にたつからこれだけおいておくんだ」。

 こうして、野枝さんは台所に、子供たちは手伝いの婦人の手にある間、大杉さんと山川と私は座敷で火鉢をかこみました。

 話は結局革命中のロシアをどうみるか、におちつき、大杉さんは急いで政府を作るのが間違っている。

 革命でいったんめちゃめちゃになったふるい社会組織とその構成要素は、ちょうどお盆の上に大小の石が積み重なってめちゃくちゃになってるようなもんだ、それをむりにキチンと揃えたりしちゃまたもとのようになってしまう、うっちゃっとけばいいんだ、そしてお盆をゆすっていれば、しぜんおさまるところにおさまるもんだ、というような話でした。

 当時革命ロシアの真相はまだわからなかったものの、内外の反動勢力が呼応してたち、武力をもって革命政権を倒そうとして、革命と反革命との間に死闘のはじまっていたときでした。

 元日を私の家で遊び暮らした大杉さんの一家三人はその夕方か翌日か、また陽気に笑いさざめきながら帰っていきました。

 そのあとで

「おもしろい奥さまですね、私あんな方はじめて見ました」

 と私の家の手伝いはお腹をかかえて笑いこけました。

 おしめはゆかたをバラバラにしたなりで、袖やおくみをほどかずにそのまま使い、「すこしばかりぬれたのはいちいち洗わないでいいのよ」と、こちらで洗いかけたのを抑えて竿にかけ、よごれたのをほしてそのまま使ったそうで、一事が万事、人目をおどろかせたのですが、しかし、まあなんと愉快そうな二人でしたろう。

 まったく大きな少年少女といいたいようでした。


(山川菊栄『おんな二代の記』_p252~254)



★山本博雄, 佐藤清賢 編『橋浦時雄日記 第一巻 冬の時代から 一九〇八〜一九一八』(雁思社・1983年7月)

★『大杉栄全集 第一巻』(大杉栄全集刊行会・1926年7月13日)

★大杉豊『日録・大杉栄伝』(社会評論社・2009年9月16日)

★山川菊栄『おんな二代の記』(岩波文庫・2014年7月16日)



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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)『秩父事件再発見』(新日本出版社)など。
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