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2016年06月04日

第238回 評論家としての与謝野晶子






文●ツルシカズヒコ




 野枝は『新日本』三月号(第七巻第三号)に「評論家としての与謝野晶子氏」(『定本 伊藤野枝全集 第二巻』)を発表した。

 作家としてはともかく、「評論家としての与謝野晶子」の批評であり、痛烈な批判だった。

 婦人問題に関する発言において大御所的存在だっただろう晶子は当時、三十九歳。

『定本 伊藤野枝全集 第二巻』解題によれば、晶子は『太陽』一九一六年十二月号「婦人界評論」の「一人の女の手紙」で、大杉を「理性の破産者」と批判していたが、その大御所に二十二歳の野枝が果敢に反撃したのである。

 晶子の評論集『人及び女として』(近田書店)が刊行されたのは、一九一六年四月だった。

 その中で晶子は「私の思想にも実行にも私の生の自尊から出発した反省と慎重」を持ち、「実際的の立場から物事の観察と判断とを軽々しくしないやうに」心懸けているとあるが、野枝は晶子こそが「生の自尊から出発した反省と慎重」に欠けていて、「物事の観察と判断とを軽々しく」している張本人であると指摘している。。

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 けっこう長い批評なのだが、以下、抜粋要約。

●まず第一に「与謝野婦人は評論家としての凡(すべ)ての条件に外れた人」として、殊に「新らしき婦人問題に就いては絶対に発言を許されぬ人」という前提で、この批評を進めて行きたいと思う。

●晶子は「自分の過去なんかどうでもよいという気持ちになって私は現在の執着に向かう」という発言をしているが、自分の過去と向き合い自省する能力に欠けていては、評論などできるわけがない。

●青山菊栄から「よく知らないことに対して軽々しく口を出すことを慎んだらどうか」という意味の忠告をされた晶子は、「間違ったことでもなんでもかまわないから言って、その間違いを訂正して貰って知識を深くしてゆくのだ」と回答したが、そんなものが評論であっていいはずがない。





●いろいろな方面から事柄を観察し、それを自分で分析解剖し、さらに自分の有する知識や理論や感情に照らして最後の断案を下すというのが、批評家の当然踏むべき手続きである。しかし、晶子のやっていることは、その場その場のなんらの統一もない理屈を言っているだけである。

●晶子は夫が代議士に立候補した際、夫に付いて地方に行き戸別訪問をした。その経験から晶子は、無智遅鈍な百姓が多数をしめている日本で代議政治を始めたのは甚だしい時代錯誤であると憤慨しているが、これはあまりにも不用意な発言である。その自覚がないというだけでも、晶子には批評家を名乗る資格がない。


●晶子はこんなことを書いている。

「私は真の保守主義者と真の急進主義者の根強い争議と猛烈な戦闘を経た国でなければ真の文明は開けて来なくはないかと思っている。日本の現状にはまだ『真の』と形容すべき両主義者が少ない。彼等はいつでも利己主義的に妥協する。いつでも徹底を避けて安価な姑息に低徊する」





●しかし、晶子こそ不徹底極まる卑しむべき態度である。それは特に婦人問題に明瞭に現われている。常にふたつのものの中間にあって、双方に理解を持っているような顔をしている。その自覚すらないとすれば、やはり、批評家としての資格がない。

●晶子は「女もまた人類の協同生活を営む一組成分であることを意識する」と主張している。当然のことである。

●しかし、晶子はこうも言っている。

「我も人であるという自覚が近頃女子の間に起こって来たのは甚だ結構な現象ですが、その『人』というのには、今のところはもちろん、なお永久にわたってもなお、男子のそれにくらべて非常な割引をし、幾多の条件をつけねばないないのではないでしょうか。自分は進歩していると言われる欧州の婦人を見てもこの疑惑を消すことが出来ませんでした」





●女子が「人」であるということのどこに、割引をして考えなければならないものがあるのだろうか。女子が人間として男子よりどこが劣っているのだろうか。晶子はどこまでも因習から脱することのできない人である。

●晶子は『太陽』新年号の「心頭雑筆」に「これまでの自分の観察が粗漏であり、機械的であり自分の批評が模倣的であり固定的である事に気がついて驚いてこの過ちを改めねばならないと思っております」書いている。

●しかし、これは「私だけはこの自分の欠点を見ることができるのです」という程度の「お悧巧」を見せているだけなのだ。

●「間違っていました」という抽象的な言葉があるだけで、「なぜ間違ったのか」その原因を解明はせず、「これから改める」ということで許されてしまうのだ。晶子は世間というものをよく知っている。



★『定本 伊藤野枝全集 第二巻』(學藝書林・2000年5月31日)



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 14:23| 本文

第237回 三月革命






文●ツルシカズヒコ



 一九一七(大正六)年三月五日、横浜監獄の未決監に収監されている神近に、横浜地方裁判所は懲役四年の判決を下した。

 神近は即、控訴した。

 三月六日、『東京日日新聞』社会部記者の宮崎光男が、大杉に取材するために菊富士ホテルを訪れた。

 宮崎は東京日日新聞社に移る以前は実業之世界社にいたが、日蔭茶屋事件が起きる二ヶ月前に、東京日日新聞社に入社していた。

 実業之世界社時代から大杉と親交があった宮崎は、その知己を利して大杉に直接会って日蔭茶屋事件の記事を書くことができた。

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 この日、宮崎が大杉に面会に来たのは、前日、横浜地裁で神近に懲役四年の判決が出たので、大杉のコメントを取るためだった。

 大杉は宮崎を菊富士ホテルの食堂に案内し、夕食をともにしたり、印度人革命家(シャストリー)を宮崎に紹介したりした後、神近の件について話し始めた。


『少しの懲役は、彼女のためにも修養になつていゝかも知れんが、三(ママ)年の懲役は薬がきゝすぎて気の毒だ』とか何んとか、相変らず人を食つたことをいつて『時にだね君。新聞記者はだね。僕がだね。事件を提供して、それで食はしてるやうなものなんだからだね。どうだい相談だが、そのお礼にモナカ、それも鹽瀬のをだよ。モナカの一折も買つて来ないか』と、うそらしくほんとうらしくいふのである。

 僕はそれを『これは面白い。お安い御注文だな。心得た』と、故意にもまにうけて、その翌日、社の近くの鹽瀬から、三円ほどを買つて持参した。

 すると彼は『この相撲は僕が負けだ』と笑ひこけたのであつた。


(宮崎光男「反逆者の片影ーー大杉栄を偲ぶーー」/『文藝春秋』1923年11月号_p55)


「塩瀬」のモナカについては安成二郎も触れているが、甘党の大杉はこのモナカが大好きだったようだ。





 三月七日、神近が保釈され横浜監獄を出獄、宮島資夫、麗子夫妻の家に引き取られ後、宮島家の近くの滝野川中里の下宿屋の二階に下宿して、『引かれものの唄』の執筆に取りかかった。

 神近は高木信威(たかぎ-のぶたけ)との間に生まれた子、礼子を郷里に預けていたが、保釈直後に礼子が死去したことは、彼女にとって痛恨の出来事だった。

 三月八日、ロシアの首都ペトログラード(後のレニングラード、現・サンクトペテルブルク)で、食料配給の改善を求めるデモ、暴動が起きた。

 三月十五日にはニコライ二世が退位し、三百年続いたロマノフ王朝による帝政が崩壊した。

 いわゆる、三月革命である。





 春もまだ浅い三月中旬ごろだった。

 近藤憲二久板卯之助と本郷帝大前の銀杏並木を歩いていると、大杉が古ぼけた筒袖のドテラを着て散歩しているのに逢った。

 大杉に誘われ、近藤と久板はすぐ近くの菊富士ホテルに行った。

 それが近藤と野枝の初対面だった。

 日蔭茶屋事件以来、同志の多くから爪弾きにされていた大杉は、野枝との「愛の巣」に近藤と久板を案内すると、人懐かしがってよく話した。

「愛の巣」とは言え、村木源次郎が見かねてよく食事を運んだほどの貧乏のどん底時代だったが、近藤と久板は大きな立派な蜜柑をご馳走になった。

 大杉が近藤に言った。

「いつぞやは逗子へ来てくれたんだってね」





 これは大杉が刺されて逗子の病院へはいったとき、私が見舞いに行ったことをいったのである。

 すると野枝さんが急に困ったような顔をした。

「ほんとうに、あのときは済みません。私は雑誌社の人だとばかり思いまして……」

 そのとき私は雑誌の肩書のある名刺を出したので、出てきた野枝さんが突ッけんどんにいって、あっさり追っぱらったのである。

 そういえば、そのときの方が初対面だったともいえるのだが、野枝さんは、このことをいつまでも気にしていたのか、その後も幾度かわびた。

 あれでなかなか、そんなことを気にする人であった。


(近藤憲二『一無政府主義者の回想』_p119)


 大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、大杉と野枝が下宿代が払えず菊富士ホテルから追い立てを食って、近くの下宿(菊坂町九十四)に移ったのは三月二十四日だった。



★近藤憲二『一無政府主義者の回想』(平凡社・1965年6月30日)

★大杉豊『日録・大杉栄伝』(社会評論社・2009年9月16日)



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 14:04| 本文

2016年06月03日

第236回 自働電話






文●ツルシカズヒコ



 一九一七(大正六)年の正月、山鹿泰治が本郷区菊坂町の菊富士ホテルにいる大杉と野枝を訪ねた。


 二言三言語り合う内に杉が、『それより不愉快な以前の問題を解決しやうぢやないか、大体あんな暴行を働いた以上は謝罪から先きにすべきものだ』といふから、僕は野枝さんに向つて『僕が今もし謝罪したら貴女は愉快になるんですか』と尋ねて見たら、『イヤ、そんな事はありませんが、あやまらなければ今後安神(ママ)して交際は出来ないだけなんです』と云つたから、僕は『それじや謝罪しない』と言つて帰つてしまつた。

(山鹿泰治「追憶」/『労働運動』1924年3月号_p39)

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『中央公論』二月号に野上弥生子の野枝をモデルにした小説「彼女」が掲載された。

 前年(一九一六年)の春、野枝が辻の家を出る決意を告げるために弥生子の家を訪れて以降、ふたりは会うことがなかった。

「彼女」によれば、野枝が弥生子の家を訪れた翌日、弥生子は野枝からの手紙を受け取った。

 弥生子は野枝から求められた少しの金と手紙を使いの者に渡し、野枝に届けさせた。

 婦人が必要に迫られて家を見捨てたとき、門の外に何が待っているかを冷静に考えることが大切だと、弥生子は野枝に書いた。

「ノラはあれから何をして生きただろう。悪くすると売春婦になったかもしれない」

 あるアメリカの婦人評論家の言葉を、弥生子は痛切に考えていた。

 彼女はに頼んで野枝のために何か収入の道を探してもらおうと思った。

 しかし、明日にでも訪ねて来ると手紙にはあったにもかかわらず、弥生子は再び野枝の訪問を受けることはなかった。

 そして、弥生子は新聞報道により野枝が夫と子供を捨て、新たな情人である大杉のもとに走り、御宿海岸に滞在していることを知った。

「おまえは本当に馬鹿だよ。あんなに逢っていて、このことに気がつかなかったのかい。これならもう職業問題もなにもありはしないじゃないか」

 常に野枝の同情者であった弥生子の夫が、彼女のお人よしを笑った。





「それにしても彼女は何故あんないゝ加減な嘘で胡魔化してゐたのだらう。あの晩正直に何故打ち明けられなかつたのだらう。」

 打ち明ける勇気のない程自分の行動を間違つたものに思つてゐたのだらうか。

 間違つたものに思つてゐながら、矢張りその中に巻き込まれて行つたのだとすれば……一人の男と三人の女の渦。

 それはスキラの口をやつと逃れた彼女に取つては、最も怖ろしいカリブティスでなければならなかつたのであります。

 厳しい倫理問題は暫く措いて考えたとしても、それは彼女の成長の道では決してありません。

 彼等が海岸をさして旅立つた時、恋愛の勝利者を以つて誇つてゐたと云ふ噂は、斯う考ふる時の伸子(※筆者註/弥生子のこと)の心を一層厳正にしました。


(「彼女」/『中央公論』1917年2月号/『野上弥生子全集 第三巻』_p329~330)





 御宿に滞在していた野枝から弥生子に一、二度短い便りがあり、野枝は弥生子に対して非常にすまなく思っていると書いた。

 弥生子は野枝の行動について不賛成な点とその理由を書き連ねたが、野枝からの返事は来なかった。

 弥生子の耳に野枝に関するいろいろな情報が入ってきた。

「よくあなたの悪口を聞かされましたよ」

 と言って笑った人もいた。

「弥生子さんのところに行くと、あれは旨くいい子になっていたのだ」

 辻がある人にこう話したともいう。

 弥生子は野枝を親友だと思い、彼女との友情を大切にしてきたが、野枝にとってはなんでもないことだったのだろうか?





「そうだ。私を欺ますのは一番わけはない。時々訪ねてくれて、私の気に入りそうな事を云つたり、私の云ふ事に感心して耳を貸してくれたり、私のきらひな人の悪口を一緒に、否え、私より少し熱心に云つて見せたりしさへすればその人はすぐ私のいゝお友達なのだーー馬鹿者!」

 伸子はその時ほど自分をいやな、浅薄な、己惚れやの、お人よしに感じた事はありませんでした。

 その時、相手から如何に軽蔑され、おめで度く思はれたゞらう、と思ふと堪まらぬ程恥しい気がしました。

 が、彼女が私のそんな友達だつたのだらうか。

 いつかの春の森の半日がその瞬間はつきりと伸子の記憶に再現されました。

 美しい太陽、栗の木、青い草、その草の上に寝かされてゐた子供達。

 それにお乳を飲ませながら熱心に話し合つた談話、母親の愛、自己の成長の希望、天地の大きな力に対する敬虔な崇拝。

 その円い輝やかしい、光明的な顔!

 その時の彼女は今何処に行つたのだらう、と思ふと、驚きも失望も欺かれてゐたと云ふ軽い憤りも、すべてが溶けて、初めてセンチメンタルな悲しみになつて行くのを感じました。


(「彼女」/『中央公論』1917年2月号/『野上弥生子全集 第三巻』_p331~332)





 そのうちに、野枝が出産したばかりの次男を御宿の某家に預け、東京に帰り、大杉と同棲していることを弥生子は知った。

 そして、弥生子は自由恋愛なるものは、ずいぶんおかしなものだと思わないではいられなかった。


 理論はどんな理論でも工夫されます。

 けれどもその理論を載せ得べき土台を作る事は多くの困難を要します。

 ……プラトーンの理想国に於ては、婦女の共有も兵役も、乃至小児共養さへも必要なことでありました。

 が、彼等自由恋愛論者は、その理論を実行し得べき理想国を何時、何処に建設したのでせう。

 ……すべて長い目で見られなければなりません。

 彼女はその黒い髪が白くなつた時、而して母親の顔も見覚へない、一人の漁夫の若者と向き合つた時、初めて自分の通つて来た道の正邪を悟るでありませう。

 その瞬間に感ずる母親の悲しみと悔ゐるほど、痛ましい、悲惨なものが他にあるでせうか。

 伸子は今はもう侮蔑と憐みより外の何ものをも彼女に対しては感じられないやうな気がしてゐました。


(「彼女」/『中央公論』1917年2月号/『野上弥生子全集 第三巻』_p332~333)





 ある秋の日のことだった。

 二、三日前から少し冷えてきた空気に感じた弥生子は、風邪を引いて寝ていた。

 そこへ夫宛ての電報が来た。

 新聞社に勤務している夫の友人からだった。

 ある人の住所を問い合わせる文面だった。

 弥生子は熱があってふらふらしたが、俥を呼び、六、七丁ばかりの距離にある自働電話まで出かけた。

 弥生子の夫はある私立大学へ講義に行っている日だった。

 自働電話の箱の中に入った弥生子は、学校の番号を言って、一枚の白銅を小さい隙間に投げ込んだ。

 いつもならかなりの時間待たされるのだが、そのときは電話口で待ち受けていたかのように事務員と入れ代わりに、夫の声が聞こえてきた。





「なんだ電報かい。あゝそれなら今Y君から電話がかゝつて来たばかりのところだ。……」

 斯う云つてその後に何か数語をつぎ足したやうな気がしましたが、その時箱の外を荷車が大きな音をとゞろかして通つたので、伸子にははつきり聞き取れませんでした。

「何んですつて、え?」

「M(※筆者註/大杉のこと)が殺されたさうだ。」

「どうして? まあ、誰に?」

「誰だか分らない。」

「I子(※筆者註/野枝のこと)さんぢやないでせうか?」

「さうかも知れない。」


(「彼女」/『中央公論』1917年2月号/『野上弥生子全集 第三巻』_p334)





 弥生子は通話ができないほど声が震えた。

 棍棒かなにかで頭をガンとぶん殴られたような気がした。

 彼女はよろよろして這い込むように俥の中へ入った。

 彼女の脳裏に浮かんだのは、大杉に最近、第四の女友達が現われ、大杉と野枝の間がうまくいっていないという噂だった。

「もしそうだったとしたら……」

 弥生子は野枝の熱情的な性情を思った。

 家や子供、自分自身の成長の過程までも投げ捨てて突き進んだ、狂暴的で盲目的な野枝の恋愛を思った。

 場合によってはどんなことでもしかねないという気持ちがした。




「彼女であつてくれなければよいが。どうぞ、そうではないように。」

 斯う念ずると共に、何故ともない涙が胸の底から込みあげて来ました。

 伸子は幌の中で声を立てゝ泣きました。

 二三日弱り味の出てゐる身体には、この感動が余りに激し過ぎたと見えて、伸子は軽い脳貧血を感じました。

 胸がむか/\して眩暈がし出した。

 伸子は水を欲しいと思つて幌の間から覗くと、一軒の水菓子屋の鮮かな林檎の色が、だるい目を刺戟しました。

 伸子は車を停めさしてその林檎を幾つかを買ひました。

 而して鼻水と涙を一緒にすゝり上げながら、幌に隠れて百姓の子供のするやうに丸かじりに果物の爽快な液汁を吸ひました。

 自分の心の中に如何に深く彼女が這入つてゐるかを感じながら。


(「彼女」/『中央公論』1917年2月号/『野上弥生子全集 第三巻』_p335)



★『野上彌生子全集 第三巻』(岩波書店・1980年10月6日)



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 17:05| 本文

第235回 特別要視察人






文●ツルシカズヒコ



 大杉の四妹・秋は名古屋市在住の叔父、中根吉兵衛(焼津鰹節製造株式会社社長)宅に同居していたが、この叔父の媒酌で東京で回漕業を営む某氏と婚約、挙式を間近に控えていた。

 彼女が自殺したのは一九一六(大正五)年十二月十三日の朝だった。


 ……大杉あき子(十九)は十三日午前六時頃己(おの)が寝室にて出刃庖丁を以つて咽喉を掻き切り自殺を遂げたり……兄栄の事件が累をなし突然破談となりたれば其を悲観しての自殺なる可しと……急報に依り栄は十三日夜行にて名古屋に来る由

(『東京朝日新聞』/1916年12月14日)


 十四日の葬儀に参列した大杉も、さすがに落ち込んだにちがいない。


 ……自分の行跡が招いた惨劇に強い衝撃を覚え、悲嘆に暮れたことであろう。

 自責の念は深い傷跡となって、以後の言動を律する作用をしたはずである。


(大杉豊『日録・大杉栄伝』_p203)

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 堀保子「大杉と別れるまで」(『中央公論』1917年3月号)によれば、山崎今朝弥弁護士や堺利彦が仲介役になり、大杉と保子との離婚が成立したのは十二月十九日だった。
 
 大杉には以後二年間、毎月二十円を保子に支払う義務が課せられた(大杉豊『日録・大杉栄伝』)。

 日蔭茶屋事件後、大杉と野枝は世間からの非難の矢面に立たたされた。

『新日本』(1917年1月号)に掲載された「ザックバランに告白し輿論に答ふ」(日本図書センター『大杉栄全集 第3巻』)で大杉は反論したが、この反論をするために大杉が見た六誌の十二月号だけで二十二人が批判の矢を放っていた。

 山田わか、生田花世、安部磯雄、与謝野晶子、杉村楚人冠、岩野清、平塚らいてう、岩野泡鳴、武者小路実篤……。

 大杉はともかく、野枝には反論の場も与えられなかった。

 野枝の原稿を載せた『女の世界』が発禁になったことにより、新聞や雑誌が及び腰になったためと思われる。

 野枝は日蔭茶屋事件からおおよそ一年後に発表した「転機」に、日蔭茶屋事件前後の心境を記している。

 野枝はまず、人妻でありながら大杉という男ができたから夫を捨て、子供を捨てたという世間的な曲解に立ち向かわねばならなかった。





 私はその曲解を云ひ解くすべも凡ての疑念を去らせる方法も知つてゐた。

 しかし、凡ては世間体を取り繕ふ、悧巧な人間の用ふるポリシイとして、知つてゐるまでだ。

 私はたとへどんなに罵られやうが嘲られやうが、真つ直ぐに、彼等の矢面に平気でたつて見せる。

 彼等がどんなに欺かれやすい馬鹿の集団かと云ふことを知つてゐても、私はそれに乗ずるような卑怯は断じてしない。

 第一に自分に対して恥しい。

 また此度の場合、そんな事をして山岡(※筆者註/大杉のこと)にその卑劣さを見せるのはなほいやだ。

 どうなつてもいい。

 私は矢張り正しく生きんが為めに、あてにならない多数の世間の人間の厚意よりは、山岡ひとりをとる。

 それが私としては本当だ。

 それが真実か真実でないか、どうして私以外の人に解らう?

 T(筆者註/辻のこと)と別れて、山岡に歩み寄つた私を見て、私の少い友達も多くの世間の人と一緒に、

『邪道に堕ちた……』

 と嘲り罵つた。

 けれど、彼等の中の一人でも、私のさうした深い気持の推移を知つてゐた人があるであらうか?

 かうして、私は恐らく私の生涯を通じての種々な意味での危険を含む最大の転機に立つた。

 今まで私の全生活を庇護してくれた一切のものを捨てた私は、背負ひ切れぬ程の悪名と反感とを贈られて、その転機を正しく潜りぬけた。

 私は新たな世界へ一歩踏み出した。


「転機」/『文明批評』1918年1月号・2月号/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p)





 ようやく成った大杉と野枝の握手、それは世間の人に眉をひそめさすような恋の握手よりはもっと意味深く、野枝がこの二年間持ち続けた夢想の実現であった。

 そしてそれは、悲しみと苦しみと喜びのごちゃごちゃになった野枝の感情の混乱の中に実現された。


 私は彼の生涯の仕事の仲間として許された。

 一度は拒絶しても見たY(※筆者註/堀保子のこと)ーーK(※筆者註/神近市子のこと)ーー等いふ彼と関係のある女二人に対しても、別に、何の邪魔も感じなかつた。

 真つ直ぐに自分丈けの道を歩きさえすればいゝのだ、他の何事を省みる必要があらう? とも思つた。

 あんな二人にどう間違つても敗ける気づかひがあるものかとも思つた。

 またあんな事は山岡にまかしておきさえすればいゝ。

 自分達の間に間違ひがありさへしなければ、自分達の間は真実なんだ。

 あとはどうともなれとも思つた。

 要するに、私は今迄の自分の生活に対する反動から、たゞ真実に力強く、すばらしく、専念に生きたいとばかり考へてゐた。


「転機」/『文明批評』1918年1月号・2月号/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p)





 とは言え、大杉をめぐる面倒な恋愛は、野枝にも少なからず苦痛を与えた。


 幾度私はお互ひの愚劣な嫉妬の為めに不快に曇る関係に反感を起して、その関係から離れようと思つたか知れない。

 けれど、そんな場合に何時でも私を捕へるのは、私達の前に一番大事な生きる為めの仕事に必要な、お互ひの協力が失はれてはならないと云ふことであった。

 山岡に対する私の愛と信頼とは、愛による信頼と云ふよりは、信頼によつて生まれた愛であつた。

 彼の愛を、彼に対する愛を拒否する事は、勿論私にとつて苦痛でない筈はない。

 しかしそれはまだ忍べる。

 彼に対する信頼をすてる事は同時に、折角見出した自分の真実の道を失はねばならぬかもしれない。

 それは忍べない。

 私は何うしても、何うなっても、あくまで自分の道に生きなければならない。


「転機」/『文明批評』1918年1月号・2月号/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p)





 そうして、野枝はすべてを忍んだ。


 本当に体中の血が沸(に)えくり返る程の腹立たしさや屈辱に出会つても、私は黙つて、をとなしく忍ばねばならなかつた。

 それは悉ゆる非難の的となつてゐる、私の歩みには、必然的につきまとう苦痛だつたのだ。

 そして、私が一つ一つそれを黙つて切り抜ける毎に、卑劣で臆病な俗衆はいよ/\増長して、調子を高める。

 しかし、たとへ千万人の口にそれが呪咀されてゐても、私は自身の道に正しく踏み入る事の出来たのに何の躊躇もなく充分な感謝を捧げ得る。


「転機」/『文明批評』1918年1月号・2月号/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p)


「伊藤野枝年譜」(『定本 伊藤野枝全集 第四巻』)によれば、大杉と握手が成った野枝はこの年、一九一六(大正五)年に特別要視察人(甲号)に編入され、尾行がつくようになった。




★大杉豊『日録・大杉栄伝』(社会評論社・2009年9月16日)

★『大杉栄全集 第3巻』(日本図書センター・1995年1月25日)

★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)

★『定本 伊藤野枝全集 第四巻』(學藝書林・2000年12月15日)





●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 16:57| 本文

第234回 古河






文●ツルシカズヒコ




 堤防の中の旧谷中村の土地は、彼のいうところによると二千町歩以上はあるとのことであった。

 彼はなお、そこに立ったままで、ポツリポツリ自分たちの生活について話し続けた。

 しかし彼の話には自分たちがこうした境遇に置かれたことについての、愚痴らしいことや未練らしいいい草は少しもなかった。

 彼はすべての点で自分たちの置かれている境遇をよく知りつくしていた。

 彼は本当にしっかりした諦めと、決心の上に立って、これからの自分の生活をできるだけよくしようとする考えを持っているらしかった。

 こうしてわざわざ遠く訪ねてきたふたりに対しても、彼は簡単に、取りようによっては反感を持ってでもいるような冷淡さで挨拶をしただけで、よく好意を運ぶものに対して見せたがる、ことさららしい感謝や、その他女々しい感情は少しも見せなかった。

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 しばらく話をしている間に、そこに来合わせたひとりの百姓は、やはりここに居残ったひとりであった。

 彼は主人から大杉と野枝に紹介されると幾度も頭を下げて、こうして見舞った好意に対する感謝の言葉を連ねるのであった。

 その男は、五十を過ぎたかと思われるような人の好い顔に、意地も張りもなくしたような皺がいっぱいたたまれていた。

 主人とその男と、大杉の間の話を聞きながら、野枝はあとからあとからと種々に尋ねてみたいと思うことを考え出しながら、一方にはまたもうなんにも聞くには及ばないような気がして、どっちともつかない自分の心に焦れながら、気味悪く足に塗られた泥が、少しずつ乾いてゆくのをこすり合わしていた。





 風が出てきた。

 広い蘆の茂みのおもてを、波のように揺り動かして吹き渡る。

 日暮れ近くなった空は、だんだんに暗く曇って、寒さは骨までも滲み透るように身内に迫ってくる。

「せっかくお出でくださいましたのにあいにく留守で……」

 気の毒そうに言う主人の声をあとにふたりは帰りかけた。

「やはりその道を歩くより他に、道はないのでしょうか」

 野枝は来がけに歩いてきた道を指さして、わかり切ったことを未練らしく聞いた。

 またその難儀な道を帰らねばならないことが、野枝にはただもう辛くてたまらなかった。

「そうだね、やはりその道が一番楽でしょう」
 
 と言われて、また前よりはいっそう冷たく感ずる沼の水の中にふたりは足を入れた。





 ようようのことで土手の下まで帰って来はしたものの、足を洗う場所がない。

 少し歩いているうちにはどこか洗えるところがあるかもしれないと思いながら、そのまま土手を上がった。

 白く乾き切った道が、気持ちよく走っている。

 けれど、ひと足そこに踏み出すと思わず野枝はそこにしゃがんだ。

 道は小砂利を敷きつめてあって、その上を細かい砂が覆っている。

 むき出しにされて、その上に冷たさでかじかんだ足の裏には、その刺戟が、とても堪えられなかった。

 といって、今泥の中から抜き出したばかりの足を思い切って草履の上に乗せることもできなかった。

「おい、そんなところにしゃがんでいてどうするんだい。ぐずぐずしていると日が暮れてしまうじゃないか」

 そう言ってせき立てられるほど、野枝はひしひし迫ってくる寒さと、足の痛さに泣きたいような情けなさを感ずるのだった。

 それでも、両側の草の上や、小砂利の少ないところを寄る撰(よ)るようにして、やっとあてにした場所まで来てみると、水は青々と流れていても、足を洗うようなところはなかった。

 野枝はとうとう懐ろから紙を出して、よほど乾いてきた泥を拭いて草履をはいた。

 ふたりはやっとそれで元気を取り返して歩き出した。

 日暮れ近い、この人里遠い道には、ふたりの後になり先になりして付いて来る男がひとりいるだけで、他には人の影らしいものもない。

 空はだんだんに低く垂れてきて、いつか遠くの方は、ぼっと霞んでしまっている。

 遠く行く手の、古河の町のあたりかと思われる一叢の木立ちの黒ずんだ蔭から、濃い煙の立ち昇っているのが、やっと見える。

 風はだんだんに冷たくなって道のそばの篠竹の葉のすれ合う音が、ふたりの下駄の音と、もつれあって寂しい。





 ふたりは島田家の様子や主人の話など取りとめもなく話しながら歩いた。
 
「あの主人はだいぶしっかりした人らしいのね。だけど後から来たおじいさんは、本当に意気地のない様子をしていたじゃありませんか」

「ああ、もうあんなになっちゃ駄目だね。もっとももう長い間ああした生活をしてきているのだし、意気地のなくなるのも無理はないが。あそこの主人みたいなのは残っている連中のうちでも少ないんだろう。皆、もうたいていはあのじいさんみたいのばかりなんだよ、きっと。残っているといっても、他へ行っちゃ食えないから、仕方なしにああしているんだからな」

「でも、それも惨めなわけね、あんな中にああしていなきゃ困るのだなんて。今度は、お上だって、いよいよ立ち退かせるには、せめてあの人たちの要求は容れなくちゃあんまり可愛想ね。たくさんの戸数でもないんだから、何とかできないことはないのでしょうね」

「もちろんできないことはないよ。少し押強く主張すれば、何でもないことだ。だが、残った連中は、他の者からは、すっかり馬鹿にされているんだね。来るときに初めて道を聞いた男だって、そらあの婆さんだって、そうだったろう! 一緒に行った男なんかもあれで、島田の家を馬鹿にしてるんだよ、宗三を批難したりなんかしてたじゃないか」

「そうね、あの男なんか、こんな土地を見たって別に何の感じもなさそうね。ああなれば、本当に呑気なものだわ」

「そりゃそうさ、みんながいつまでも、そう同じ感じを持っていた日にゃ面倒だよ。大部分の人間は、異った生活をすれば、すぐその生活に同化してしまうことができるんで、世の中はまだ無事なんだよ」

「そういえばそうね」

「どうだね。少しは重荷が下りたような気がするかい? もっとあそこでいろんなことを聞くのかと思ったら、何にも聞かなかったね。でも、ただこうして来ただけで、余程いろんなことがわかったろう? 宗三がいればもっと委しくいろんなことがわかったのだろうけれど、この景色だけでも来た甲斐はあるね」

「たくさんだわ。この景色だの、彼のうちの模様だの、それだけで、もう何にも聞かなくてもいいような気になっちゃったの」

「これで、野枝子ひとりだと、もっとよかったんだね」

「たくさんですったら、これだけでもたくさんすぎるくらいなのに」





 長い土手の道はいつか終わりに近づいていた。

 振り返ると、今沈んだばかりの太陽が、低く遙かな地平に近い空を、わずかに鈍い黄色に染めている。

 空も、地も、濃い夕暮れの色に包まれている。

 すべての生気と物音を奪われたこの区切られた地上は、たったひとつの恵みである日の光さえ、今は失われてしまった。

 明日が来るまではここはさらに物凄い夜が来るのだ。

 黄昏れてくるにつけて、黙って歩いているうち、心の底から冷たくなるような、何ともいえない感じに誘われるので道々、野枝は精一杯の声で歌い出した。

 声は遮ぎるもののないままに、遠くに伝わってゆく。

 時々葦の間から、脅かされたように群れになった小鳥が、あわただしい羽音をたてて飛び出しては、直ぐまた降りてゆく。

 古河の町はずれの高い堤防の上まで帰って来たとき、町の明るい灯が、どんなになつかしく明るく見えたか!

 野枝はそれを見ると、一刻も早く暖い火のそばに、その凍えたからだを運びたいと思った。

 古びた、町の宿屋の奥まった二階座敷に通されて、火鉢のそばに坐ったときには、野枝のからだは何ものかにつかみひしがれたような疲れに、動くこともできなかった。

 野枝は落ちつかない広い部屋の様子を見まわしながらも、まだ足にこびりついて残っている泥の気味悪さも忘れて、火鉢にかじりついたまま湯の案内を待った。





 大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、例によってふたりには尾行が始終ついていた。

 島田宗三が留守だったのは、退去期限の延期交渉に出かけていたからだったが、退去期限は翌年(一九一七年)二月まで延期になった。

 島田家で大杉と野枝が会ったのは、宗三の兄・熊吉である。

 旧谷中村を訪れた大杉と野枝が帰京したのは、一九一六(大正五)年十二月十一日だった。



★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)

★大杉豊『日録・大杉栄伝』(社会評論社・2009年9月16日)





●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



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第233回 菜圃(さいほ)






文●ツルシカズヒコ

 ようやくに、目指す島田宗三の家を囲む木立がすぐ右手に近づいた。

 木立の中の藁屋根がはっきり見え出したときには、沼の中の景色もやや違ってきていた。

 木立はまだ他に二つ三つと飛び飛びにあった。

 蘆間のそこここに真っ黒な土が珍らしく小高く盛り上げられて、青い麦の芽や菜の葉などが生々と培われてある。

 道の曲り角まで来ると、先に歩いていた連れの男が、遠くから、そこから行けというように手を動かしている。

 見ると沼の中に降りる細い道がついている。

 土手の下まで降りてみると、沼の中には道らしいものは何にもない。

 蘆はその辺には生えてはいないが、足跡のついた泥地が洲のようにところどころ高くなっているきりで、他とは変わりのない水たまりばかりであった。

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「あら、道がないじゃありませんか。こんなところから行けやしないでしょう?」

「ここから行くのさ、ここからでなくてどこから行くんだい?」

「他に道があるんですよ、きっと。だってここからじゃ、裸足にならなくちゃ行かれないじゃありませんか」

「あたりまえさ、下駄でなんか歩けるものか」

「だって、いくらなんだって道がないはずはないわ」

「ここが道だよ。ここでなくて他にどこにある?」

「向こうの方にあるかもしれないわ」

 野枝は少し向こうの方に、小高い島のような畑地が三つ四つ続いたような形になっているところを指しながら言った。

「同じだよ、どこからだって。こんな沼の中に道なんかあるもんか。ぐずぐず言ってると置いてくよ。ぜいたく言わないで裸足になってお出で」

「いやあね、道がないなんて、冷たくってやりきれやしないわ」

「ここでそんなこと言ったって仕様があるもんか、何しに来たんだ? それともここまで来て、このまま帰るのか?」





 大杉はそんな駄々はいっさい構わないといったような態度で、足袋を脱いで裾を端折ると、そのまま裸足になって、ずんずん沼の泥水の中に入って行った。

 野枝はいくらか沼の中とはいっても、せめてそこに住んでいる人たちが歩くのに不自由しない畔道くらいなものはあるにちがいないと、自分の不精ばかりでなく考えていたのに、何にもそのような道らしいものはなくて、その冷たい泥水の中を歩かなければならないのだと思うと、そういうところを毎日歩かねばならぬ人の難儀を思うよりも、現在の自分の難儀の方に当惑した。

 それでも大杉の最後の言葉には、野枝はまたしても自分を省みなければならなかった。

 野枝はすぐに思い切って裸足になり、裾を端折って大杉の後から沼の中に入った。

 冷たい泥が野枝の足の裏に触れたかと思うと、ぬるぬるとなんとも言えぬ気味悪さで、五本の指の間にぬめり込んで、すぐ足首まで隠してしまった。

 その冷たさ!

 体中の血が一度に凍えてしまうほどだ。

 二、三間は勢いよく先に歩いて行った大杉も、後から来る野枝をふり返ったときには、さすがに冷たい泥水の中に行き悩んでいた。

「どう行ったらいいかなあ」

「そうね、うっかり歩くとひどい目に遭いますからね」

 ふたりはひと足ずつ気をつけながら足跡を拾って、ようようのことで蘆間の畑に働いている人の姿を探し出した。

 そこは一反歩くらいな広い畑で四、五人の人が麦を播いていたのだ。





 島田宗三の家への道を聞くと、その人たちは不思議そうにふたりを見ながら、この畑の向こうの隅から行く道があるから、この畑を通って行けと言ってくれた。

 けれど、ふたりが立っているところと、その畑の間には小さな流れがあった。

 とうていそれが渡れそうにもないので、野枝が当惑しきっているのを見ると、間近にいた年老いた男が彼女に背を貸して渡してくれた。

 ふたりはお礼を言って、その畑を通り抜けて、再びまた沼地に入った。

 畑に立っていたふたりの若い女が、野枝の姿をじっと見ていた。

 野枝はそれを見ると気恥ずかしさでいっぱいになった。

 野枝は柔らかく自分の体を包んでいる袖の長い着物が、そのときほど恥ずかしくきまりの悪かったことはなかった。

 足だけは泥まみれになっていても、こんなにも自分が意気地なく見えたことはなかった。

 女たちの目には、小さな流れひとつにも行き悩んだ意気地のない女の姿がどんなに惨めにおかしく見えたろう? 





 だがいったい、どうしたことだろう?

 まさかあの新聞の記事が嘘とは思えないが、今日を限りに立ち退きを請求されている人たちが、悠々と落ちついて、畑を耕やして麦を播いているというのは、どういう考えなのだろう?

 やはり、どうしてもこの土地を去らない決心でいるのであろうか。

 野枝はひとりでそんなことを考えながら、大杉には一、二間も後れながら、今度は前よりもさらに深い、膝までもくる蘆間の泥水の中を、ともすれば重心を失いそうになる体を、ひと足ずつにようやくに運んでゆくので
あった。

「みんな、毎日こんなひどい道を歩いちゃ、癪に障ってるんだろうね」

 大杉は後ろをふり向きながら言った。

「たまに歩いてこんなのを、毎日歩いちゃ本当にいやになるでしょうね。第一、私たちならすぐ病気になりますね。よくまあこんなところに十年も我慢していられること」

 と言っているうちにも、ひと足ずつにのめりそうになる体をもてあまして、幾度も野枝は立ち止まった。

 少し立ち止まっていると刺すように冷たい水に足の感覚を奪われて、上滑りのする泥の中に踏みしめる力もない。





 下半身から伝わる寒気に体中の血は凍ってしまうかとばかりに縮み上がって、後にも先にも動く気力もなくなって、野枝はもう半泣きになりながら、大杉に励まされてわずかのところを長いことかかってようように水のないところまで来ると、そこからは島田の家の前までは、細い道がずっと通っていた。

 木立の中の屋敷はかなりな広さだった。

 一段高くなった隅に住居らしいひと棟と、物置き小屋らしいひと棟とがそれより一段低く並んでいる。

 前は広い菜圃(さいほ)になっている。

 畑のまわりを鶏が歩きまわっている。

 他には人影も何もない。

 大杉が取りつきの井戸端に下駄や泥まみれのステッキをおいて、家に近づいて行った。

 正面に向いた家の戸が半分閉められて、家の中にも誰もいないらしい。

「御免!」

 幾度も声高に言ったが何の応えもない。





 住居といってもそばの物置きと何の変わりもない。

 正面の出入口と並んで、同じ向きに雨戸が二、三枚閉まるようになったところが開いている。

 他は三方とも板で囲われている。

 覗いてみると、家の奥行きは三とはない。

 そこの低い床の上に五、六枚の畳が敷かれて、あとは土間になっている。

 もちろん押入れもなければ戸棚もない。

 夜具や着物などが片隅みに押し寄せてあって、上がりかまちから土間へかけて、いろいろな食器や、鍋釜などがゴチャゴチャに置かれてある。

 土間の大部分は大きな機で占められている。

 家の中は狭く、薄暗く、いかにも不潔で貧しかった。

 けれどもその狭い畳の上には、他のものとはまったく不釣り合いな、新しい本箱と机が壁に添って置かれてあった。

 机のすぐ上の壁には、田中正造翁の写真がひとつかかっている。

 人気のない家の中には、火の気もないらしかった。

 ふたりは寒さに震えながら、着物の裾を端折ったまま、戸の開いたままになっている敷居に腰を下ろした。

 腰を下ろすとすぐ眼の前の柚子の木に黄色く色づいた柚子が鈴なりになっている。

 鶏は丸々と肥って呑気な足どりで畑の間を歩き回っている。

 木立ちに囲まれてこの青々とした広い菜圃を前にした屋敷内の様子は、どことなく、のびのびした感じを持たせるけれど、木立ちの外は、正面も横も、広いさびしい一面の蘆の茂みばかりだ。

 この家の中の貧しさ、外の景色の荒涼さ、それにあの難儀な道と、遠い人里と、何という不自由な、辛いさびしい生活だろう。





 ふたりが腰をかけているところから、正面に見える蘆の中から「オーイ」とこちらに向かって呼ぶ声がする。

 返事をしながら、そっちの方に歩いて行くと蘆の間からひとりの百姓が鉢巻きをとりながら出て来た。

 挨拶を交わすと、それは島田宗三の兄にあたる、この家の主人であった。

 素朴な落ちつきを持った口重そうな男だ。

 気の毒そうにふたりの裸足を見ながら、主人は宗三は昨日から留守であると言った。

 家の方に歩いて行く後から、大杉は今日訪ねてきたわけを話して、今日立ち退くという新聞の記事は事実かと聞いた。

「は、そういうことにはなっておりますが、何しろこのままで立ち退いては、明日からすぐにもう路頭に迷わなければならないような事情なものですから。実は弟もそれで出ておるようなわけでございますが」

 彼は遠くの方に眼をやりながら、そこに立ったままで、思いがけない、はっきりした調子で話した。





「私どもがここに残りましたのも、最初は村を再興するというつもりであったのですが、なにぶん長い間のことではありますし、工事もずんずん進んで、この通り立派な貯水池になってしまい、その間には当局の人もいろいろに変わりますし、ここを収用する方針についても、県の方で、だんだんに都合のいい決議がありましたり、どうしても、もう私ども少数の力ではかなわないのです。しかし、そう言ってここを立ち退いては、もう私どもどうすることもできないのです。収用当時とは地価ももうずいぶん違ってますし、その収用当時の地価としても満足に払ってくれないのですから、そのくらいの金では、今日ではいくらの土地も手に入りませんのです。なんだか欲にからんででもいるようですが、実際その金で手に入る土地くらいではとても食べてはゆけないのですから、何とかその方法がつくまでは動けませんのです。ここにまあこうしていれば、不自由しながらも、ああして少しずつ地面も残っておりますし、まあ食うくらいのことには困りませんから、余儀なくこうしておりますようなわけで、立ち退くには困らないだけのことはして貰いたいと思っております」

「もちろんそのくらいの要求をするのは当然でしょう。じゃ、また当分延びますかな」

「そうです。まあひと月やふた月では極まるまいと思います。どうせそれに今播いている麦の収穫が済むまでは動けませんし」

「そうでしょう。で、堤防を切るとか切ったとかいうのはどのへんです、その方の心配はないのですか?」

「今、ちょうど三ヶ所切れております。ついこの間、すぐこの先の方を切られましたので、水が入ってきて、麦も一度播いたのを、また播き直しているところです」



★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)



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2016年06月02日

第232回 田中正造






文●ツルシカズヒコ



 大杉は乾いた道にステッキを強くつきあてては高い音をさせながら、十四、五年も前にこの土地の問題について世間で騒いだ時分の話や、知人の誰かれがこの村のために働いた話をしながら歩いて行った。

「今じゃみんな忘れたような顔をしているけれど、その時分には大変だったさ。それに何の問題でもそうだが、あの問題もやはりいろんな人間のためにずいぶん利用されたもんだ。あの田中正造という爺さんがまた、非常に人が好いんだよ。それにもう死ぬ少し前なんかには、すっかり耄碌して意気地がなくなって、僕なんか会ってても厭になっちゃったがね。少し同情するようなことを言う人があると、すっかり信じてしまうんだよ。それでずいぶんいい加減に担がれたんだろう」

「そうですってね。でも、死ぬときには村の人に言ってたじゃありませんか。誰も他をあてにしちゃいけないって。しまいには懲りたんでしょうね」

「そりゃそうだろう」

「だけど、人間の同情なんてものは、まったく長続きはしないものなのね。もっとも、各自に自分の生活の方が忙しいから仕方はないけれど。でも、この土地だって、そのくらいにみんなの同情が集まっているときに、何とか思い切った方法をとっていれば、どうにか途はついたのかもしれないのね」

「ああ、これでやはり時機というものは大切なもんだよ。ここだってむしろ旗をたてて騒いだときに、その勢いでもっと思い切って一気にやってしまわなかったのは嘘だよ。こう長引いちゃ、どうしたって、こういう最後になることはわかりり切っているのだからね」

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 けれどとにかく世間で問題にして騒いだときには、多くの人に涙を誘った土地なのに、それがなぜに何の効果も見せずに、こうした結末になったのだろう?

 よそごととしての同情なら続くはずもないかもしれない。

 しかし、一度はそれを自分の問題として寝食を忘れてもつくした人が、もう思い出して見ないというようなことが、どうしてあり得るのであろう? 

 野枝はこの景色を前にして、いろいろな過ぎ去った話を聞いていると、最初に自分が、この事件に対して持った不平や疑問が、新たに浮かんできた。





 行く手の土手に枯木が一本しょんぼりと立っている。

 低く小さく見えた木は、近づくままに高く、木の形もはっきりと見えてきた。

 木の形から推すと、かつては大きく枝葉を茂らしていた杉の木らしい。

 それはこの何里四方というほどな広い土地に、たった一本不思議に取り残されたような木であった。

 かつては、どんなに生々と、雄々しくこの平原の真ん中に突っ立っていたかと思われる、幾抱えもあるような、たくましい幹も半ばは裂けて凄ましい落雷のあとを見せ、太く延ばしたらしい枝も、大方はもぎ去られて見るかげもない残骸を、痛ましくさらしている。

 しかも、その一本の枯れた木は、四辺の景色が、他の一帯に生気を失った、沈んだ、惨めな景色よりも、いっそう強い何となく底しれぬ物凄さを潜めていた。

 行くほど空の色はだんだんに沈んでいき、沼地はどこまでとも知らず広がり、葦間の水は冷く光り、道はどこまでも曲りくねっている。

 連れの男はずんずん先に歩いて行くので、折々姿を見失ってしまう。





 ふたりの話がとぎれると、野枝たちの足元から発する草履と下駄とステッキの音が、はっきりと四辺に響いてゆく。

 野枝は黙って引きずるように歩いている自分の足音を聞きながら、この人里遠いあたりの荒涼たる景色に目をやってゆくと、まるで遠い遠い旅で知らぬ道に踏み迷っているような心細さに襲われた。

「どうしたい?」

「まだかしら、ずいぶん遠いんですね」

「もうじきだよ。くたびれたのかい。もっとしっかりお歩きよ。足を引きずるから歩けないんだ。今から疲れてどうする?」

「だって私こんなに遠いとは思わなかったんですもの。こんなところ、とても私たちだけで来たんじゃわかりませんね。あの人が通りかかったので、本当に助かったわ」

「ああ、これじゃちょっとわからないね。どうだい、ひとりでこんなに歩けるかい。僕は来ないで、野枝子ひとりをよこすんだったなあ。その方がきっとよかったよ」

 大杉はそんなことを言ってからかった。

「歩けますともさ。だって、今そんなことを言ったって、もう一緒に来ちゃったもの仕方がないわ」

 けれど大杉の冗談は、野枝には何となくむずがゆく皮肉に聞こえた。





 先刻から眼前の景色に馴れ、真面目な話が途切れると、他に人目のない道を幸いに、野枝は大杉に甘えたり、ふざけたりして来た。

 彼のその軽い冗談ごかしの皮肉に気づくと、野枝はひとりでに顔が赤くなるように感じた。

 その感じを胡魔化すようにいっそうふざけてもみたが、野枝の内心はすっかり悄気てしまっていた。

「何しに来た?」

 そういって正面からたしなめられるよりも幾倍か気がひけた。

 本当に、考えてみれば、あの先に歩いて行く男にも遇わず、大杉も来てくれないで、自分ひとりで道を聞きながら、うろうろこんな道を歩いてゆくとしたら?

 ふたりで歩いていてさえ、あまりにさびしすぎるこんな道を――。

 野枝は黙り、急にあたりの景色がいっそう心細く迫ってくるようにさえ思えた。





 蘆の疎らな泥土の中に、傾いた土台の上に、今にも落ちそうに墓石が乗っているのが二つ三つ、他には土台石ばかりになったり、長い墓石が横倒しになっていたりしている。

 それが歩いて行くにつれて、あっちにもこっちにも、蘆間の水たまりや小高く盛り上げた土の上に、二つ三つと残っている。

 弔う人もない墓としか思われないような、その墓石のそばまで、土手からわざわざつけたかと思われそうな畔道が、一条ずつ通っているのも、この土地に対する執着の深い人々の、いろいろな心根なのだろう。


 泥にまみれて傾き横たわった沼の中の墓石は、後から後からと、野枝に種々な影像を描かせる。

 その影像のひとつひとつに、野枝の心はセンティメンタルな沈黙を深めていった。





 あたりは悲し気に静まり返って、野枝の心の底深く描かれる影像を見つめている。

 亡ぼしつくされた「生」が今、一時にこの枯野に浮き上がってきて、みんなが野枝の心を見つめている。

 ――その感じが野枝に迫ってくる。

 同時に今にもあふれ出しそうな、あてのない野枝の悲しみを沈ますような太いゆるやかなメロディが、低く強く野枝を襲ってくる。

 今までただ茫漠と拡がっていた黄褐色と灰色の天地の沈黙が、みるみる野枝の前に緊張してくる。

 けれど、やがてそれもいつの間にか消え去った影像と同じく、その影像を描いたセンティメントが消えてしまう頃には、やはりもとの何の生気もない荒涼とした景色であった。

 しかし、野枝はそれで充分だった。

 わずかに頭をもたげた野枝のセンティメントは、本当のものを見せてくれたのだ。

「何しに来た?」

 もう野枝はそういってとがめられることはない。

 ひとりで来たら彼女のセンティメントは、もっと長く彼女をとらえただろう。

 もっと惨めに彼女を圧迫したろう。

 だが、もう充分だ。

 これ以上に何を感ずる必要があろう。

 野枝はしっかり大杉の手につかまった。


★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)


●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



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2016年06月01日

第231回 廃村谷中






文●ツルシカズヒコ



 しばらくすると、大杉と野枝の方向に歩いて来る人がいた。

 待ちかまえていたように、野枝たちはその人に聞いた。

「さあ、谷中村といっても、残っている家はいくらもありませんし、それも、みな飛び飛びに離れていますからな、何という人をお訪ねです?」

嶋田宗三という人ですが」


「島田さん、ははあ、どうも私にはわかりませんが」

 その人は少し考えてから言った。

「家がわからないと、行けないところですからな。何しろその、みなひとかたまりになっていませんから」

「まだ、余程ありましょうか?」

「さよう、だいぶありますな」

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 ちょうどそのとき、野枝たちの後から来かかった男に、その人はいきなり声をかけた。

「この方たちが谷中へお出でなさるそうだが、お前さんは知りませんか」

 その男はやはり、今までと同じように妙な顔つきをして、私たちを見た後に言った。

「谷中へは、誰を尋ねてお出でなさるんです?」

「島田宗三という人ですが」

「ああ、そうですか、島田なら知っております。私も、すぐそばを通って行きますから、ご案内しましょう」

 前の男にお礼を言って、ふたりはその男と一緒になって歩き出した。





 男はガッシリした体に、細かい茶縞木綿の筒袖袢纏(はんてん)を着て、股引(ももひき)わらじがけという身軽な姿で、先にたって遠慮なく急ぎながら、折々振り返っては話しかける。

「谷中へは、何御用でお出でです?」

「別に用というわけではありませんが、実はここに残っている人たちがいよいよ今日限りで立ち退かされるという話を聞いたもんですから、どんな様子かと思って」

「ははあ、今日限りで。そうですか、まあいつか一度は、どうせ追い払われるには決まったことですからね」

 男はひどく冷淡な調子で言った。

「残っている人は実際のところ、どのくらいなものです?」

 大杉は男がだいぶ谷中の様子を知っていそうなので、しきりに話しかけていた。

「さあ、しっかりしたところはわかりませんが、十五、六軒もありますか。みんな飛び飛びに離れているので、よくわかりません。嶋田の家がまあ土手から一番近いところにあるのです。その近くに二、三軒あって、あとはずっと離れて飛び飛びになっています。島田の母親と私の母親が姉妹で、あの家とはごく近い親戚で。え、私ももとはやはり谷中の者です。宗三もどうもお百姓のくせに、百姓仕事をしませんで、始終何にもならんことに走り回ってばかりいて困ります」

 彼はそんなことも言った。





 宗三は谷中のために一生を捧げた田中正造翁の亡き後、その後継者のごとく残留民の代表者になり、いろいろな交渉の任に当たっていた。

「堤防を切られて水に浸っているのだと言いますね」

「なあに、家のあるところはみんな地面がずっと他よりは高くなっていますから、少々の水なら決して浸るようなことはありませんよ。宗三の家の地面なんかは、他の家から見るとまた一段と高くなっていますから、他は少々浸っても大丈夫なくらいです。お出でになればわかります」

 彼はさも何でもないことを大げさに信じている野枝たちを笑うように、また野枝たちにそう信じさせる村民に反感を持ってでもいるように、苦い顔をし、またスタスタ先になって歩き出した。

 いつのまにか、行く手に横たわった長い堤防にふたりは近づいていた。

「あ、あの堤防だ。橋番のやつ、すぐそこのようなことを言ったが、ずいぶんあるね。でもよかった、こういう道じゃ、うまくあんな男にぶつかったからいいようなものの、それでないと困るね」

「でも、よくうまく知った人に遇ったものね、本当に助かったわ」

 ふたりはやっと思いがけない案内者ができたのに安心して、少し遅れて歩きながら、そんな話をした。





「これがずっと元の谷中です」

 土手に上がったとき、男はそこに立ち止まって、前に拡がった沼地を指して言った。

 荒涼とした景色だった

 遙かな地平の果てに、雪をいただいた一脈の山々がちぢこまって見える他は、目を遮るものとては何物もない、ただ一面の茫漠とした沼地であった。

 重く濁った空は、その広い沼地の端から端へと同じ広さで低くのしかかり、沼の全面は枯れすがれて生気を失った葦で覆われて、冷たく鬱した空気が鈍くその上を動いていた。

 歩いて来た道も、堤から一、二丁の間白く見えただけで、ひと曲りしてそれも丈の高い葦の間に隠されている。

 その道に沿うてただ一叢、二叢わずかに聳えた木立が、そこのみが人里近い気配があるが、どこをどう見ても、底寒い死気が八方から迫ってくるような、引き入れられるような、陰気な光景だった。





「まあひどい!」

 廃村谷中の跡をひと目に見渡せる土手に立った野枝は、そういったなりで、後の言葉が続かなかった。

 広大な地に、目の届くところにせめて、一本の生々とした木なり草なり生えてでもいることか、ただもう生気を失って風にもまれる枯れ葦ばかりだった。

 虫一匹生きていそうな気配さえもなかった。

 ましてこの沼地のどこに人が住んでいるのだろうーー野枝はそう思った。

 案内役になった連れの男は、さっさと歩いていく。

 どこをどう行くのかもわからずに、ついていくのに不安を感じた野枝が聞いた。

「谷中の人たちの住んでいるところまでは、まだよほどあるのですか?」

「そうですね、この土手をずっと行くのです。一里か一里半もありますかね」

 道は幅も広く平らだったが、乗物などの便宜がなく、帰りもあるのにこの道をもう一里半も歩かなければならないのだ。

 野枝にはかなり思いがけない辛いことだった。

 雪が降り出しそうな寒空に自分から進んで、大杉までも引っぱって出かけて来ておいて、まさかそのようなことまでも口へ出しかねるので、野枝は黙って歩いた。





「こうして見ると広い土地だね。荒れていることもずいぶん荒れてるけれど、これで人が住んでいた村の跡だとはちょっと思えないね」

「本当にね。ずいぶんひどい荒れ方だわ。こんなにもなるものですかねえ」

「もうずいぶん長い間のことだからね。しかし、こんなにひどくなっていようとは思わなかったね。なんでも、ここは実にいい土地だったんだそうだよ。田でも畑でも肥料などは施(や)らなくても、普通より多く収穫があるくらいだった、というからね。ごらん、そら、そこらの土を見たって、真っ黒ないい土らしいじゃないか」

「そういえばそうね」

 今はこうして枯れ葦に領されたこの広い土地に、かつてはどれだけの生きものが育まれたであろう。

 人も草木も鳥も虫もすべてのものが。

 だが、今はそれらのすべてが奪われてしまったのだ。

「なぜこのように広い、その豊饒な土地をこんなに惨めに殺したものだろう?」




 
 元のままの土地ならば、この広い土地いっぱいに、春が来れば菜の花が咲きこぼれるのであろう。

 麦も青く芽ぐむに相違ない。

 秋になれば稲の穂が豊かな実りを見せるに相違ない。

 そうしてすべての生きものは、幸せな朝夕をこの土地で送れるのだ。

 それだのになぜその豊かな土地を、わざわざ多くの金をかけて、人手を借りて、こんな廃地にしなければならなかったのだろう?

 それは、野枝がこの土地のことについての話を聞いた最初に持った疑問であった。

 そして、野枝はその疑問に対する多くの答えを聞いている。

 しかし現実にこの広い土地を見て野枝は、やはり、そのような答えよりも最初の疑問がまず頭をもたげ出すのであった。

 歩いていく土手の道の内側のところどころに、土手と並んでわずかな畑がある。

 先に歩いていく男は振り返りながら、

「こういうところはもと人家のあった跡なのですよ」

 と思い出したように教えてくれる。





 もとは、この土地に住んでいた村民の一人だというその男は、この情けないような居村の跡に対しても、別段に何の感じもそそられないような無神経な顔をして、ずっと前にこの土地の問題が世間にかれこれ言われたときのことなどをポツリポツリ話した。

 そして、それもかつての自分たちのことを話しているというよりは、まるで他人の身の上のことでも話しているような無関心な態度を、野枝は不思議な気持ちで見ていた。

 彼は惨苦のうちにこの土地に未練を持って、今もなお池の中に住んでいる少数の人たちに対しても、冷淡な侮蔑を躊躇なく現わした。

「ずっと向こうにちょっとした木立がありますね。ええずっと遠くの方に煙が見えるでしょう? あの少し左へ寄ったところに、やはり木の茂ったところが見えますね、あれが嶋田の家です。まだだいぶありますよ」

 指さされた遙かな方に小さな木立が見えた。

 細い貧し気な煙も見えた。

 いつか土手に添うた畑地はなくなり、土手のすぐ下の沿岸の疎らになった葦間に、みすぼらしい小舟がつなぎもせずに乗り捨ててあったり、破れた舟が置きざりにされてあったり、人の背丈の半ばにも及ばないような低い、竹とむしろでようやくに小屋の形をしたものが、腐れかかって残っていたりする。

 長い堤防は人気のない沼の中をうねり曲って、どこまでも続いている。



★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)




●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)『秩父事件再発見』(新日本出版社)など。
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