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2016年06月21日

第256回 東京監獄・面会人控所(二)






文●ツルシカズヒコ




「ガターン」

 控所のすぐ近くの部屋の入口の重い扉が、力いっぱいに手荒くブツケるように閉める音がした。

「まあなんて嫌な音だろう。まるで体がすくむような音ね」

「……あの音を聞くと実に……しばらくあの音を聞かなかったなあ」

 村木は微笑しながら、野枝の言葉を受けてそう言った。

「しかし、あれじゃまだ駄目だな。檻房の扉はとてもこんな扉とは比べものにならないくらい、厚く頑丈にできていますからね。もっとずっと重い重い音がするんです。そして鍵のガチャガチャする音がしないじゃ、本当の気持ちは出ませんね」

 村木は遠のいた自分の獄中生活をしみじみ、その音で思い出したような調子で話し出した。

「狭い独房にポツンと一日中座っているんですからね、ちょっとでも外へ出るのはそれは楽しみなもんですよ。面会所まで出て来る途中なんか、ずいぶん遠いところがありますからね、ブラブラあちこち眺めながら歩いて来るのは、そりゃせいせいしていい気持ちなものですよ」

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 ふたりが話していると、面会を終えてきた斎藤兼次郎の大きな体が廊下の入口をふさいだ。

「やあー」

「斎藤爺」と同志の間で呼ばれている老人は、肥った血色のいい顔にいつものような穏やかな笑みを見せながら、石階を降りて野枝の方に近づいて来た。

 野枝が腰をかがめて挨拶するの受けて爺は丁寧に見舞いを言った。

「どうです? 大須賀くんは元気でいますか?」

「ええ。たいへんに元気です。みなさんによろしく申しましたよ。それから書物を入れてほしいということでした。ええとーー」

「あ、それは今日持ってまいりました。大須賀さんが言ってらしたモウパサンの短編集とゴルキイのカムレエドと辞書を入れました。長くなるようでしたら、また何か入れるつもりです」

「大杉さんにお会いになったら、よろしくおっしゃって下さい」

 斎藤爺は野枝にそう言うと、立ち上がって出て行った。





「あーあっ」

 斎藤爺の姿が見えなくなると、村木は不精らしく懐手をしたままで体を伸ばしながら大きな欠伸をした。

「雨が上がったようだな」

 そのとき、たったひとつの高い窓に薄っすらと頼りない日が射していた。

 その窓の下の腰掛けに窮屈そうに腰かけている、子供を背負った女がいるだけで、控所はひっそりとしていた。

 じっと腰をかけていると、裾の方から冷えてくるのが野枝にははっきりとわかった。

 野枝は寒さに対して意気地のない、大杉の体のことが心配になり出した。

「ねえ、村木さん、毛布は下に敷いて座ってもいいの?」

「ええ、いいんですよ。みんな一枚ずつ入っているんでしょう?」

「ええ、でもこの寒さに火の気なしはたまらないわね。大杉は去年からの風邪がまだ抜けないんですから」

「大丈夫ですよ、ここにいる間は、とにかく気持ちが違うから風邪なんか抜けてしまいますよ。それになんと言ってももう三月ですからね。もうひと月早いと、こんなもんじゃありませんよ。ちょうどいいときだ。これから二、三ヶ月や五、六ヶ月なら一番いいときですよ」

 村木は立ち上がって、野枝の前をソロソロ行ったり来たりしながら言った。





「もう何時ごろでござんしょう?」

 ふと、隅っこに座っている女が向き直って聞いた。

 野枝はコートのポケットをさぐって時計を出して見た。

「一時二十分前ですよ」

「ああ、さようですか。どうもありがとうございます」

 女は座っていた足を痛そうに伸ばしながら、汚い下駄の上に乗せた。

 背中の子は大きな坊主頭を母親の背におっつけてよく眠っていた。

 その母親の櫛の歯のあとなど見えない油っ気の抜けた、そそけ放題な頭の毛や汚いねんねこで、野枝の眼にはどうしても、その日暮らしの人足か立ん坊の内儀としか見えなかった。

「ずいぶん待ちますねえ」

 村木は持ち前の優しい調子でそのかみさんに話かけた。

「ええ、朝からですから、ずいぶん長いこと待ちます。まだお昼っからのは、なかなかでございましょうか?」

「いや、もうじきでしょう。一時になったら会わすでしょう」

「あ、さようでございますか、どうもありがとうございます」

 かみさんはそれで口をつぐんだ。





 ちょうどそのときに、受付の窓口に洋服を着た一人の男が立った。

 受付の男は何か頻りに聞き糺しながら、面会の手続をしてやっているらしかった。

 野枝はすぐに立って行った。

 その男が番号を書いた札を受け取って退くと、すぐ野枝が代わった。

「誰に会う?」

 受付の年老(としと)った役人は、さも横風(おうふう)に野枝の顔を睨みつけた。

 広い部屋の中に縦横に置かれた大きな机の前のあっちこっちの顔が、物珍らしさうに野枝の顔を老人の肩越しに覗いていた。

 野枝は爺さんの横風な問いにムッとして睨み返しながら、素っ気なく大杉の名を言った。

「あ、大杉さん――そうですか、あなたは?」

 爺さんは急に態度も言葉使いも改めながら、言った。

 野枝は黙って自分の名刺を差し出した。

「どういうお続柄で――」

「内妻――」





 そう言って、野枝はフッとくすぐったい笑いが洩れそうになった。

 同時に新聞の三面以外ではまず見たことがない、「内妻」という言葉がむやみと感の悪い言葉に思えて仕方がなかった。

 野枝が「七十二番」という番号札を受け取って控所に戻ると、外の控所から入って来た面会人が十人近くもいた。

 そして後から後から三、四人ずつゾロゾロ入って来て、いつの間にか、ヒッソリしていた控所の中は一杯になり腰掛けには空きがなくなった。

 野枝は席に戻るとすぐ時計を出して見た。

 一時はとうに過ぎていた。

 廊下には書記や看守が往ったり来たりし始めた。

「ガターン!」

 遠く近く、扉の音が幾度も幾度も野枝の眉をひそめさせた。



★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 21:41 | TrackBack(0) | 本文

第255回 東京監獄・面会人控所(一)






文●ツルシカズヒコ



 一九一八(大正七)年三月六日。

 橋浦時雄のところに魔子を預けた野枝は、大杉に面会するために牛込区市谷富久町にある東京監獄に行った。


 朝は煙るような雨であった。

 伊藤野枝女史がマ子ちゃんを連れて来て、まだ床を離れぬ僕の側に寝かせて帰る。

 今日は東京監獄に面会に行くという。


(『橋浦時雄日記 第一巻』)

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 「監獄挿話 面会人控所」(『定本 伊藤野枝全集 第一巻』)によれば、野枝は新しい足駄の歯が三和土(たたき)に軋(きし)むのを気にしながら、受付の看守が指した「面会人控所」に静かに歩み寄って、その扉に手をかけた。

 重い戸が半ば開くと、正面に村木の蒼白い顔が見えた。

 この控所は東京監獄の大玄関の取りつきの右側で、三ばかりの奥行きのある細長い部屋だった。

 左側の廊下に上がる扉口と入口を除いたほかは、九尺に三間の細長い部屋の三方の壁には面会人が腰をかけるための幅の狭い木の腰掛けが、ちょうど棚のように取りつけてあった。

 廊下に上がる扉口と向き合った南側の前庭に面した壁の上に、大きな窓があった。

 部屋には傘や、下駄やスリッパが二、三足おいてあった。

 村木を除いた面会人は三つか四つくらいの子供を背負った女房だけだった。

 その女房は縞目もわからないような汚いねんねこで子供を背負い、ひとり隅っこにうづくまっていた。

 村木は大須賀に面会するはずだったが、斎藤兼次郎が今、大須賀に面会しているというので、和田に面会することにしたという。





「村木さん、あれも囚人のいるところ?」

 野枝の質問に、村木は自分の檻房生活の経験を呑気に語り出した。

 野枝は今、この独房で胡座をかいて読書している大杉の姿を思い浮かべた。

 野枝は牢獄の話は普段、大杉からいろいろ聞かされていた。

「半年や一年なら……」

 牢獄の話が出ると決まって、大杉はそう言った。

「遮断生活もたまにはいいもんだよ。ああ、しばらく本を読まないな……」





「大杉はこの間、日本堤署で会ったときに、二、三ヶ月、読書ができそうだなんて呑気なことを言って笑ってたけど、他の三人はどうしてるでしょう。日本堤署ではみんな一緒だったから元気がよかったけれど、別々になってからは悄気(しょげ)てるかもしれないわね」

 野枝は二十代の半ば以上を獄中で暮らし、その生活には馴れ切っているというより親しみさえ持っている大杉のことを考えると同時に、そういう経験を初めてしている他の三人のことが心配になった。

「なあに大丈夫、元気ですよ。未決だもの、着物はうんと着ているし、毛布も入っているし、弁当なんかいいのが入れてあるし。先刻、服部(浜次)くんが久板くんに面会して、差し入れのことを言ったら、万国史と辞書が入ったのなら申し分なしだと行ってきたそうですよ。和田くんだってそうだ。悄気ているとすれば、大須賀くんだが、なあにそんなに心配したもんでもありませんよ」





「その大須賀さんよ、一昨日、堺さんに遭ったとき、散々当てこすられたり嫌味を言われたりしたんですよ。堺さんですら、ああなんだから、他の人たちはなんと言ってるかしれはしないわ。堺さんはまるで大杉が無理に大須賀さんを引っ張って行ったようなことを言っているけど、大杉と大須賀さんはあの晩に初めて会ったくらいのもんじゃありませんか。それをわざわざ引っ張って帰ろうとするなんてなさそうに思えるけれど」

「なあに、言うやつには勝手に言わしておくさ。大須賀くんだって、そう悄気てもいますまい」

 村木は煙草に火をつけながら静かな調子で言った。

「堺さんもそんなにわからないことを言う人じゃないんだけどな、大杉くんのこととなると妙に変わるんだなあ」

 野枝は黙ってうつむいた。

 そして、せめて未決にいる間だけは、みんなの世話をどうかして自分の手で続けたいと切に思った。

 ことに大須賀の世話は一切、堺の手を退けるようにしたいという気持ちが、次第に募る反感とともにに強くなるのだった。


★『橋浦時雄日記 第一巻 冬の時代から 一九〇八〜一九一八』(発売・風媒社 /発行・雁思社・1983年7月)

★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)


●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 21:11 | TrackBack(0) | 本文
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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)『秩父事件再発見』(新日本出版社)など。
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