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2016年06月09日

第246回 第二革命






文●ツルシカズヒコ



 一九一七(大正六)年十月三日、保釈中だった神近は東京監獄八王子分監に下獄した。

 二畳ほどの独房に入れられた神近は、午前八時から午後五時まで、屑糸をつなぐ作業に従事させられた。

 昼食後の三十分の休憩、夕食後から夜八時の就寝までは仕事がないので、本を読むことができた。

 神近が保釈後に執筆を開始した『引かれものの唄』の原稿は、下獄間近に仕上がり、十月三十日に法木書店から出版された。

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 十月十五日、安成二郎が大杉宅を訪れた。

 その日の安成の日記には、こう記されている。


 夜、大杉君を訪問、家が分らなくて閉口した。

 巣鴨といふ町にはいつも閉口する。

 暗い道を歩き廻つてやつと探し当てた。

 家具の乏しいガランとした家で、バカに薄暗い電燈の下にもう野枝さんは起きてゐた。

 大杉はまだ浴衣を着てゐた。

 それでも元気で、名前は魔子ときめたと言つてゐた。

 野枝さんは反対したが通らなかつたと言つて笑つてゐた。

 金を○円置いて来た。


(安成二郎「大杉君の五人の子」/『女性改造』1924年10月号)





 大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、このころの大杉宅に出入りしていたのは他には林倭衛ぐらいで、米代に困ると林の名で買い入れをしたり、山川などにも借金をしていたようだ。


 大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、魔子が生まれた九月末から十二月十一日まで、大杉家には村木源次郎が家事全般の助っ人として同居していた。

 山川菊栄も男の子(振作)を生んだばかりだったため、村木は山川家の助っ人もやっていたが、菊栄はそのころのことを、こう書いている。


 当時村木さんは、大杉さんの家で私達の子、振作と前後して生まれた長女マコちゃんの相手や、台所の手伝い、尾行やかけとりの撃退までひきうけていて、乳母兼執事兼何とやら、さきの関白太政大臣そこのけの肩書きだといばって笑いました。

(山川菊栄『おんな二代の記』_p248~249)






 九月に山川菊栄が長男・振作を出産したので、山川夫妻は東京府荏原郡入新井町(現・大田区大森)に転居。

 大森の春日神社裏の貸家を新居とした。

 村木が助っ人に行ったのは、山川夫妻がこの新居に入居した初日のことだった。


 ……十一月七日、一面こがね色に波うつ田んぼのへりには彼岸花が赤く、農家の垣根に乱れ咲く菊の花にいっぱいに日の光をふりそそいでいた小春日和の昼さがりでした。

 この日はロシアに第二革命の起こった当日として、二重に忘れられない日となりました。

 家はボロながら日当りは申し分なく、低い四つ目垣のそとは蓮池、その先は見渡す限り稲田で、一、二丁先の松林の向うを東海道線の汽車が走っていました。


(山川菊栄『おんな二代の記』_p248)





 新居で山川夫妻を迎えたのが村木だった。


 家に待っていたのは村木さんで、きょうは筒袖の紺がすりとはうって変わった、ご大家の旦那衆然と大島紬の角袖のきものに、高田の馬場の仇討よろしく、誰にもらったか緋の紋ちりめんのしごきをタスキ十字にあやなして、例のごとく口笛で革命歌を吹きながら、かいがいしくお風呂の水をくみこんでいました。

 それがすむと左の小脇に赤ん坊をかかえ、右の手でかつおぶしをかく

 まめまめしく、しかしいかにもゆうゆうと楽しそうな働きぶりです。

 凝り性の大杉さんが和服のときは黒無地の筒袖の羽織に大島の着流し、山高帽に太いステッキといういでたちでしたが、世帯もちのいい前夫人保子さんが袖を筒袖にたちきらず、あとのためと思って縫いこんでおいたのを、野枝さんが村木さんのために四角い袖に直したのだそうです。


(山川菊栄『おんな二代の記』_p248)





 村木によれば、この巣鴨宮仲にいたころが大杉と野枝のどん底時代だった。


『葉山事件』を最後とした大杉の恋愛問題があつた後ち、野枝さんと二人で巣鴨宮仲に家を持つた頃には、もう、親しくして居た同志の者すら全るで尋ねて来ないやうになつて了つてゐたのです。

 この大杉のドン底時代ともいふべき巣鴨の家は、後ろにだゝつ広い庭があつて、そこには芥だの新聞紙だのが一杯に打ち捨てられてゐました。

 でも、流石に季節です。

 境界の破れ垣に添つた処へは痩せこけたコスモスが一杯に咲いて、洗濯ものゝオシメなどを上から蔽されながら、秋らしい彩りを見せてくれてゐました。

 此の荒れ庭に面した十畳の間の、日当りのいゝ所に布団を敷いて、生まれたばかりの赤ん坊(魔子)を抱いた野枝さんが気だるさうに寝ていました。

 もう、朝夕かなり肌寒う覚ゆる頃だといふのに、大杉も僕も、まだ中柄の浴衣の洗ひ晒し一枚きりです。

 それでも野枝さんだけは産婦だからと云ふので浴衣の上に一張羅の綿紗ーーだつて勿論はげつちよの、垢じんだのが引つ掛つて居やうといふ一寸痛快な体たらくでした。

 あの恋人同志は、随分な見え坊でしたからねえーー。


(村木源次郎「ドン底時代の彼」/『改造』一九二三年十一月号_p92~93)





 その日の食べ物に事欠くほどの窮乏だった。


 台所の様子、また押して知るべしです。

 赤とんぼがヒヨイと裏口から覗き込んで、

 『ほい、これはお寒い。』

 といふ見得よろしく、ついと帰つて了つて後を、流しの上で、ちよん切られた大根の尾つぽが、ひよいと逆立ちでもしさうな気配を見せてゐましたつけ。


(村木源次郎「ドン底時代の彼」/『改造』一九二三年十一月号_p93)


 監獄で肺を悪くしてから、寒さは大杉に禁物だった。

 村木ももともと病弱だった。

 秋になっても白地の着物は、ふたりにはかなり堪えた。

 ふたりはあまり大きくもない産婦の布団の裾の方からそっと潜り込んで、絶えず身を温めていなければならなかった。

 米櫃に少しばかり残っている米は、産婦のために取っておいて、昼と晩のお粥にしなければならない。

「さあ、食おうじゃないか。甘(うま)そうな芋だ」

 大杉と村木は五銭で買ってきた芋をフカシてよく食べた。





 服部浜次の娘、お清が大杉家の台所の手伝いに来たことがあった。

 しかし、そのお清は三日ばかりして逃げるように、日比谷の自宅へ帰ってしまった。

「まあ、どうしたのさ?」

 母親が尋ねると、お清は眼を丸くしながら呆れたように、こう話したという。

「だってね、お母さん、あすこの家じゃお米を買ってくれないから御飯が炊けないじゃないの。台所を手伝うっても、私も困るわ」

 大杉は洗濯などもよく自分でやった。


『おい村木、ちよつと起きて野枝の粥を煮てくれないかーー。俺はまた洗濯だ。』

 お天気の日だと、あの天神髯を生やした大杉が変な腰付で、赤ン坊のオシメから野枝さんの汚れ物迄、きれいに洗ひました。


(村木源次郎「ドン底時代の彼」/『改造』一九二三年十一月号_p93~94)





★神近市子『引かれものの唄 叢書「青鞜」の女たち 第8巻』(不二出版・1986年2月15日 /『引かれものゝ唄』・法木書店・1917年10月25日の復刻版)

★神近市子『引かれものゝ唄』(法木書店・1917年10月25日)

★大杉豊『日録・大杉栄伝』(社会評論社・2009年9月16日)

★山川菊栄『おんな二代の記』(岩波文庫・2014年7月16日)



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 16:27 | TrackBack(0) | 本文

第245回 魔子






文●ツルシカズヒコ



 一九一七(大正六)年九月二十五日、野枝は大杉との間の第一子、長女・魔子を出産した。

 大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、魔子をとりあげた助産婦・北村悦は東京の産婆会の会長で小石川で助産婦をしていた。

 そして、北村悦の夫、北村利吉は警視庁勤務の巡査だったが、魔子をとりあげた北村悦を介する縁で、大杉と北村利吉は親交があったという。

 文学座俳優の北村和夫は、北村利吉・悦夫妻の孫である。

 北村和夫は警視庁の高等刑事だった祖父から直に聞いた話として、こう書いている。

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 大杉栄といえば、明治から大正にかけて無政府主義の革命家としてならし、警察にとっては目のカタキの人物でしたが、こともあろうに警視庁勤めの祖父が、この大杉栄と仲がよかったそうなんです。

 たとえば、こんなことがあったと祖父から直に聞いたことがありました。

 あるとき、刑事に追われた大杉栄が祖父を頼ってわが家に逃げ込んできたんですな。

 追ってきた刑事は、わか家の表札を見て、ハタと立ち止まり「北村さんの家ではなぁ……」とあきらめて帰っちゃったそうで、時代のせいかもしれませんが、なんとも妙な話です。

 ご存知のように、大杉は妻の伊藤野枝とともに、関東大震災のとき憲兵隊に虐殺されましたが、ずっと後になって、文学座でも『美しき者の伝説』(作・宮本研)という、大杉栄、伊藤野枝の出てくる大正ロマンチシズムの芝居を上演、評判になったことがあります。


(北村和夫『役者人生 本日も波瀾万丈』_p15)





「魔子」と命名したのは、大杉だった。


 彼女と僕との間に出来た第一の女の子は、僕等があんまり世間から悪魔! 悪魔! と罵られたもんだから、つい其の気になつて、悪魔の子なら魔子だと云ふので魔子と名づけて了つた。

(「二人の革命家・序」/大杉栄・伊藤野枝『二人の革命家』/日本図書センター『大杉栄全集 第7巻』)


 大杉は安成二郎に葉書を書いた。


 一昨々日女の子が生まれた。

 まだ名はきまらないが、僕は魔子と主張してゐる。

 女中はなし、忙しくてやりきれない。

 原稿は明日書く。

 それで間に合ふだらうか。

 九月二十八日夕(大正六年)

 栄 

 安成二郎様

(巣鴨宮仲から大久保百人町へ)


(「消息(大杉)」/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第四巻』)






「原稿」とは『女の世界』十月号に掲載された「野枝は世話女房だ」のことであろう。

 十月一日、野枝は妹・ツタに手紙を書いた。

 宛先は「大坂市西区松島十返町 武部種吉様方」。

 発信地は「東京市外巣鴨村宮仲二五八三」。

 松屋製二百字詰原稿用紙二枚にペン書き。


 前略 おかわりはありませんか、私も元気でゐます故御安心下さい。

 先日廿五日に女児出産魔子(まこ)と名づけました。

 そちらではもう松茸が出てゐるやうですが、こちらではまだ手に入りません。

 少々でよろしいが送つて貰へませんか、その代り何なりとそちらでおのぞみのものを、こちらからもお送りします。

 何卒よろしくお願いします。

 野枝

 津た子様


「書簡 武部ツタ宛」一九一七年十月一日/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p443)





 そのころ、野枝の郷里の糸島郡一帯では、流行のノーエ節に託して、野枝を揶揄する替え歌が唄われたという。


 腹がふくれて野ー枝

 月が満つれば野ー枝

 いやでもサイサイ

 いやが応でも赤児ができる

 野枝の腹からノーエ

 赤児がうまれたノーエ

 野枝のサイサイ

 腹から赤児がうまれた


……世間を騒がせる野枝のことを愧(は)じて、一族の中にはこんど野枝が帰ってきたら尼にして、その曲がった性根を叩き直してやると息巻き、ウメ(※野枝の母・ムメ)の前で鋏をちらつかせる者もあった。

「そげんことであの子の性根が変わると思うとなら、してみりゃよかたい」

 ウメはそういって薄笑いしていた。

 周囲のすさまじいまでの非難の中で、この言葉はウメが不思議なまでに動じていないことを示している。


(松下竜一『ルイズーー父に貰いし名は』_p32~33)





 野枝は内藤民治が創刊した『中外』十月創刊号に「サニンの態度」を書いた。

「女流作家の男性観」という欄に寄稿したもので、野枝の他には小口みち、素木しづ(しらき・しづ)、西川文子などが寄稿している。

 野枝は「自分の好きなタイプ、嫌いなタイプの男」について、歯切れのいい文章を書いている。


 どんな性格の男に敬愛を捧げるかと云ふ問いに対して理想を云へば……実在の男ではありませんが、アルツバシエエフによつて描かれた、サニンが好きです。

 何物にも脅やかされず、どんな場合にも、大手を拡げて思ひのまゝに振舞ふ。

 一寸(ちよつと)誰にも真似の出来ない超越した態度が好きです。

 ……若い理想主義者の死に対して、何の躊躇もなしに、その葬式に際して『世間から馬鹿が一人減つたのだ』と平気で云つて退ける彼が、私には少しのわざとらしさも嫌味をなく受け入れられるのです。

 サニンのやうな男なら、一つの命を二つ投げ出しても尊敬を捧げて見たいとおもひます。

 体は出来る丈け男らしい肩と胸を持つた人が好きです。

 しかし、会つた最初にさうした肉体的な印象や圧迫を先きに、与へるやうなのは嫌です。

 顔には随分好き嫌ひがありますが……あんまりテカ/\と血色のいゝのは何となく俗物らしい感がして嫌いです。

 それから髯のないのも嫌ひです。

 それから変にのつぺりした綺麗な所謂美男子は嫌ひです。

 しかし……顔は……表情で極まるものだとおもひます。

 私はひげのない顔は嫌やだとたつた今書きましたけれど、好きな顔があります。

 音楽家の澤田柳吉氏の顔がさうです。

 彼の人のあの蒼白い顔色とこめかみのあたりから頬にかけての神経質な線は、他の誰にも見出せないやうな特別な魅力をもつてゐます。

 それから寄席芸人の猫八、あの男のたゞの時はそれ程何も感心する顔ではありませんが、彼が真剣に虫の鳴声や鳥の声をまねてゐる時は、本当にしつかりしたすきのない、いゝ顔を見せます。

 髯のない嫌な顔では先づ与謝野鉄幹氏。

 あれでも詩人なのかと思ふやうな顔だと私は思ひます。

 関西の方の商家の店に座つてゐる男によくあのタイプを見ます。

 それから役者の吉右衛門の顔。

 舞台に出ると少しつり上つた眼尻から、高いコツコツの頬骨のあたり、何時もかたく結んだ唇のあたり、何を演(や)つてゐても如何にも小心な他人の気持ばかりを覗(うかが)つてゐるやうな佞奸邪智(ねいかんじゃち)と云つた感じを強く与へます。


(「サニンの態度」/『中外』1917年10月創刊号・第1巻第1号/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』に初収録/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p441~442)


与謝野鉄幹



★大杉豊『日録・大杉栄伝』(社会評論社・2009年9月16日)

★北村和夫『役者人生 本日も波瀾万丈』(近代文芸社・1997年)

★大杉栄・伊藤野枝『二人の革命家』(アルス・1922年7月11日)

★『大杉栄全集 第7巻』(日本図書センター・1995年1月25日)

★『大杉栄全集 第四巻』(大杉栄全集刊行会・1926年9月8日)

★『定本 伊藤野枝全集 第二巻』(學藝書林・2000年5月31日)

★松下竜一『ルイズーー父に貰いし名は』(講談社・1982年3月10日)





●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)『秩父事件再発見』(新日本出版社)など。
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