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2016年04月15日
第85回 木村様
文●ツルシカズヒコ
一九一三(大正二)年六月二十七日の朝、野枝が目覚めて一番最初に頭に浮かんだのは、そろそろ来るだろう荘太からの手紙だった。
締めつけられるような苦しい気持ちで、床の中から出た。
辻が出かけて二十分とたたないうちに、その手紙が投げ込まれた。
御手紙只今拝見しました。
元より予想してゐた事です。
併し何にも悪い事はありません。
あなたにも私にもちつとも悪い事はありません。
あなたが過日の会合の日にあの事を話さなかつたのが悪かつたと言つて御自身を責められるなら、私も同じく先づ第一にその事を伺はなかつた自分をもまた責めなければなりません。
(前便小林さんのゐた事が悪かつたと書いたのはその事です)
私は自らこの事を自分自身に責めません。
あなたも御自身に、どうか御責めにならずに下さい。
恐らくこの事のために私は打撃を受けるでせう。
今もう既に受けてゐます。
けれども私は育ちます。
心に涙を一ぱいためて育ちます。
私はあなたを激動させて済みませんでした。
けれど云ひます。
私は今自分の取る行動は凡て肯定しやうとします。
大胆に肯定します。
自分の為めによいのは勿論他人のためにもまた善い事になるのを大胆に信じます。
あなたは参つてはいけません。
ぐん/″\進まねばいけません。
あなたが私の手紙をその方にお見せ下すつたのを私は非常に喜びます。
どうかその後の一切の経過もすつかりお話しなすつて下さい。
私のあなたに対する愛は更にこの後育つか途中で枯れるか、それとも他の愛に処をゆづつて退くか何とも自分には今解りません。
御手紙には友達として云々とありましたけれど私は自分が今のこの心の激動をたゝえたままにあなたとその方に御会ひする事は少くとも御互ひの幸福に資する道ではないように思ひますから暫く離れて居やうと思ひます。
若しも静かに幸福に鼎座してお会ひが出来るようになつたら無論喜んで進んでその事をお願ひしようと思ひます。
若しも此の上あなたに御会ひして見て私のラヴが消し得ず助長するやうになつたら大変です。
この事はどうぞ誤解をなさらずに下さい。
私は今その方に非常にいゝ感じを持つてゐます。
もう後はたゞ自分自身の事のみで何もあなたにお話しするべき事は無いやうに思ひます。
若しも今あなたの心に少しでも傷がついたらその傷を癒す力はその方の手中にあります。
あなたの幸福が其処にあります。
あなたの幸福を祈ります。
−−廿六日午後お手紙を拝見してすぐ−−
(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p205~207/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p49~50)
読み終えた野枝は、まあよかったと思わずにはいられなかった。
そして、やはり自分にも荘太に対する恋があったかもしれない、いやきっとあったのだと思うと、野枝は情けない気がした。
このまま別れるのが最上の方法であると頭ではわかっているが、野枝はどうしてももう一度会って、自分自身の得心のいく解決をつけたいと思った。
二十三日に荘太に会ってからの動揺を思うと、野枝は腹立たしいような馬鹿らしいような気がした。
荘太という男はなんという独り合点なんだろうとも思えてきた。
しかし、動揺しているということは、自分にも弱いところがあるからだと誰かに指摘されるような気もする。
野枝は苦しくなって、いきなり筆を執って書き始めた。
昨日文祥堂からあの手紙を出しましてから私は一寸の間も静かな落ち附いた気持でゐる事が出来ませんでした。
いま拝見しました手紙をどんな恐ろしい不安に駆られて待ちましたでせう。
木村様、私はもうあれ以上に申あぐる何物をも持ちません。
この手紙を拝見しては何にも申あげられません、けれども私は何だかたゞだまつてゐられないやうな気が致します、けれども私は今何を申あげやうとしてゐるのでせう自分でも何だか分りません、御許し下さいまし。
私はこのまゝあなたと離れて行く事が非常に哀しく思はれます。
私はあなたにおあいしてからすつかり平静を破られてしまひました。
私はいま一人でぢつとしてゐられません。
私はあなたにどうしてももう一度お会ひしたいと思ひます。
激した私の今の心は何にもお話なんか出来ないかもしれませんけれどもどうしてもお目に懸り度く思ひます。
でもそれがあなたに更らに打撃を加へるもので御座いましたらあきらめて自然の機会をまちます。
あゝ私は今あなたに何を申あげやうとするのでせう。
私は自分が分らなくなりました。
矢張り私が悪かつたのです。
本当に何卒お許し下さいまし。
昨日麹町までまゐりましたからお目に懸り度いと思ひましたけれどもあの辺は不案内でちつとも分りません−−それに丁度あの手紙がお手許に届いたと思はれる時でしたから私は直ぐにかへつてまゐりました。
何だかちつとも落ちつけませんので何を書いてゐるのやら自分でも分りません。
何卒よろしく御推読下さいまし、私はもう苦しくてたまりません、もしもう一度お目にかかる事が出来れば少しはしづめる事が出来るかと思ひます。
乱筆御許し下さいまし。
−−廿七日−−
(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p208~210/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p51~52)
書いてしまうと、野枝は急いで封筒の中に入れてすぐに投函した。
お昼のご飯まで、野枝は自分の気持ちが何だかわからなかった。
お昼をたべてから、横になって四時ごろまで眠った。
目が覚めると、野枝は先刻書いた手紙を辻に見せるべきだったと思い、辻の気に障らないように話すにはどうしたらよいかを思案した。
一昨日に書いた二通めの返事も見せていないから、そのことも話さなければならない……辻はきっと自分を責めるだろう……野枝はたいへんな罪を犯してしまったような気持ちになった。
六時ごろ辻が帰ってきた。
野枝は荘太からの手紙を辻に見せた。
辻がそれを読み終えてから、返事を出した話をしようと思ったが、いざ口に出そうとすると胸がドキッと詰まってしまった。
何を書いたと訊かれてもちょっと言えないし、ああ見せてからにすればよかった……野枝はいく度もそう思ううちに機会を失した。
仕方がないから、あの手紙の返事が来てから話すことにして野枝は自分を納得させた。
★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)
★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)
●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index
第84回 ドストエフスキイ
文●ツルシカズヒコ
一九一三(大正二)年六月二十六日、その日の朝、野枝は疲れていたのでかなり遅く目を覚ました。
野枝はこの日もまた校正かと思うとウンザリした。
しかし、今朝は手紙が来ていないのでのびのびとしたような気持ちになり、辻に昨日、岩野清子と築地や銀座を歩いたことなどを話した。
野枝は昨日と一昨日に書いた手紙を入れた封筒を持って出て、それをポストに入れた。
野枝は苦しい手紙を書いたことが遠い遠いことのように思われ、書いた内容ももうはっきり覚えてはいなかった。
このあたりの野枝のことを、らいてうはこう批判している。
……「動揺」の中の野枝さんは只無暗に激動して、騒ぎ立てゝゐる野枝さん丈で、そこにはさして深酷な苦悶も見えなければ、根本的な思索の跡もない。
果たせるかな野枝さんはその手紙を書き終ると出来る丈考へまいとして眠て仕舞つた。
そして翌日目覚めた時はもうそんなことは殆ど忘れて只木村氏から手紙の来てゐないのでのび/\としたやうな気持で、T氏と平気で話などしてゐた。
のみならずそれを投函する時はもう何を書いたことか自分にも分らない程だつた。
しかも他日その手紙について尋ねられた時は「何を書いたか覚えがない。」と当然のことのやうに答へた丈で、その無責任を自から咎めるやうな心は左程動かなかつた。
忽ちかつと逆せ上るかい(ママ)思ふと、あとはケロリとして「私の知つたこぢやない」といつたやうな処や、「あゝもういやなこつた、疲れて仕舞つた」といつてポカンとしてゐるといつたやうな処が少しもなくない(ママ)。
(平塚らいてう「『動揺』に現はれたる野枝さん」/『青鞜』1913年11月号_p91~92)
野枝が文祥堂に入ると、保持が一階で電話をかけていた。
野枝はホッとして保持の電話が終わるのを待って、一緒に二階に上がった。
野枝は少し残っていた前日の校正をすませると、自分が書いた手紙が先方に届いたときのことを考えた。
あんなに激しいことを書いた自分は、いったいどうしたんだろうと思った。
辻にとっても快い内容ではないような気がして、なんだか急に不安になってきた。
その日の校正は早く片づいたので、野枝は哥津と一緒に文祥堂を出た。
野枝は不安をかき消すため、いっそ荘太のところに行って直接解決しようかとも思ったがやめて、哥津の家に行った。
哥津の家で哥津の父、小林清親の絵を見せてもらったり、清親の話を聞いている間、野枝の不安は消えていた。
日が暮れたころ、野枝と哥津はふたりで神楽坂の縁日に行き、そこから野枝は電車で帰宅した。
まさか今日は荘太からの手紙は来ていないだろうと思っていたが、先に帰宅していた辻から荘太の手紙を渡され、野枝はまあよく書く人だと思った。
辻と離ればなれになっていた昨年の夏から秋にかけて、野枝は書かずにはいられなくて辻に毎日のように手紙を書いた。
辻の返事が少ないと恨んだことを野枝は思い出し、荘太に対してすまないような気がした。
今は十二時を過ぎました。
私は対象を求めてゐました。
自分の愛を語り得る異性の対象を求めてゐました。
併し私は容易(たやす)く誰れにでも自分を語り自分の愛を濺(そそ)ぎ度くないと思つてゐました。
私は自分の貴い孤独をも出来るだけ尊重したいと思つてゐました。
その私です。
今あなたに宛てゝこの手紙を書いてゐるものはその私です。
若しもあなたと僕との関係がオオル、オア、ナツシングのものだとすれば私は非常に淋しく思ひます。
今日私にはその離れる方の予感が多いのです。
コワレフスキイの自伝の中にソニアの姉がドストエフスキイの愛を退ける処があります。
私はふとその処をば今朝読みました。
そのドストエフスキイの言葉にかういふ言葉 があります。
“Anna Ivanovna, don’t you understand that I loved you from the first moment I saw you, nay, before I saw you, when I read your letters?
I love you not as a friend-no, passionately, with all my heartーー”
私は今可なり先日お会ひした時の話がはぐれてゐた事を感じます。
私の為めには小林さんの傍にゐた事が悪かつたのてす。
あなたは随分よく私に解りました。
けれども私はあなたに何を語つたでせう。
私があなたに語り度いのは、直接あなたに御伝へしたいのは霊魂です。
自分の霊魂の言葉です。
六月廿五日夜半
(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p202~204/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p48~49)
読み終わると、野枝は何だか恐ろしくなった。
これほどまでに鋭敏に、荘太の神経が自分の上に働いているかと思うと、ぞっとした。
野枝は思わず辻の傍らにすり寄って息をつまらせた。
野枝は最初に荘太に会ったときに、何も感じることができなかったことが不思議だった。
自分が鈍なのか、荘太になんの期待もしていなかったからなのか……。
野枝は床についてから、一番はじめからの自分の気持ちとその変化を考えてみた。
荘太がドストエフスキーの言葉として書いた英文の部分を、ちなみに野上弥生子はこう和訳している。
「アンナ・イヴァーノフナ、あなたは私があなたに逢った瞬間からあなたを愛したのが、否逢わない前から、あなたの手紙を見た時から愛したのがわからないのですか。
私は友だちとしてではなく、夢中に、私の全心をもって愛するのです。」
(野上弥生子『ソーニャ・コヴァレフスカヤーー自伝と追想』・岩波文庫_p132/『野上彌生子全集 第二期第十八巻』・岩波書店_p178)
この日の午後、荘太は野枝からの手紙を受け取った。
分厚い封書だった。
封を切ると、ペンで原稿紙に書いてあるのと厚く重なる数枚の半紙にいっぱい墨で書いてあるのと、手紙が二通入っていた。
読み終えた荘太は自分のとるべき態度を考えた。
野枝にはすでに愛する男がいるが、会ったときに彼女はそれを言わなかった。
荘太はここに問題の核心があると思ったが、ふたりだけで会っていれば、そんなことも起きなかっただろうとも思った。
しかし、野枝がそれを口にしなかったのは、自分にとってあながち不快なことばかりではないかもしれないとも、荘太は考えた。
手紙で友達としてお付き合いしたいと言ってきているように、最初から突っぱねたくないという配慮とも考えられる。
荘太は野枝の長い手紙の本気な書き方に好感を持ち、それは自分に信頼感を持っている証でもあると思った。
男が荘太の書いたものを知っていて、その男が野枝に会うように勧めたことにも好感を覚えた。
荘太は自分の愛は野枝に通じているし、野枝も荘太の愛に酬いてくれているが、三人にとっての最上策は自分が身を引くことだと結論づけた。
※ソフィア・コワレフスカヤとフョードル・ドストエフスキー
★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)
★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)
★野上弥生子『ソーニャ・コヴァレフスカヤーー自伝と追想』(岩波文庫・1刷=1933年6月25日・14刷=1978年8月16日)
★『野上彌生子全集 第二期第十八巻』(岩波書店・1987年2月6日)
●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index
第83回 動揺
文●ツルシカズヒコ
野枝がようやくの思いで染井の家に帰り着き部屋に入ると、机の上にまた荘太からの手紙が乗っていた。
息が詰まりそうなので、横になり目を瞑ったままじっとしていた。
二十分もたってやっとの思いで手紙を開いた。
今日私は少し苦しみ始めました。
よく/\反省すれば僕の心の中には強くあなたを得たいといふ願ひが潜んでゐるのを知つたからなのです。
僕はこの今の自分の若しみを甘受します。
苦しくつても少しも暗くはありません。
僕ははじめからしてあなたを愛しろと何かに命ぜられてゐるやうな気がします。
若しかして先々に僕にあなたの愛が得られる日があれば、さればあなたの持つてゐられるいいもののチヤアムがたゞにあなたにのみでなく僕の為めにもいゝものになつて成長すると信じてゐるのです。
その牽引は神秘です。
僕は若しあなたと僕と互ひに愛し得る運命に作られてゐるものだとすれば、この僕の愛がまたあなたをも生かす力を有する事を疑ひません。
若しさうでなく僕のみひとりあなたを愛して行かねばならない運命だとすれば僕にはそれでもやはりいゝのです。
僕があなたに注いでゐる愛はたゞ 僕ひとりのみをよく生かします。
昨日はからず大分前から心懸けてゐた絶版の『ソオニア、コワレフスキイ』の自伝が手に這入(はい)りました。
若しもあなたがまだこの本をお読みになつてゐなかつたらば私は自分のこの喜びをあなたにもお分ちしたく思ひます。
二十五日朝
(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p195~197/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p44~45)
左の手でおさえている額のあたり、指の下あたりから恐ろしい激しい影が動いて、疲れた頭がきしむように痛み出した。
嵐のように狂った感情を強いて鎮めるでもなく、野枝は夢中にペンを執って原稿紙に書いた。
昨日一日 私は午前に書いた御返事を持つたまま苦しみました。
私はまた返事を持つて文祥堂に出掛けました。
あの二階で何かもつと書いてからと思ひまして――でも何にも書けませんでした。
私の頭はあなたの事で一ぱいになつて居りました。
帰りますと机の上にあなたの御手紙が待つてゐました。
私はもうどうしていいか分りません。
私はあなたのお言葉の一 句々々も気が遠くなる程の力強さを覚えます。
こんな真実なそして力強い愛を語られる私は本当に幸福だとしみ/″\思ひます。
けれども私は本当に、それと同時に心からおわびしなければなりません。
私の一昨日の態度――あなたに対する――それの本当に鮮明でなかつた事をおわびします。
私は昨朝の手紙を書きますとき、たゞあはてゝ居りました。
あゝ誰が――あなたの愛を却け得ませう。
私は心からあなたを愛します。
本当に、本当に心から――然し私は自分を偽り度くは御座いません。
また同時に他人をも欺き度くはないのです。
苦しい心をおさへてあれだけ書きました。
もう私には、何にも書けません。
すべての判断解決はまじめなあなたにおまかせ致します。
二十五日夜九時
(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p198~199/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p45~46)
野枝は読み返す苦しさに堪えられないので、昨日書いた手紙と一緒にして封筒に入れ封を閉じた。
平静を著しく逸した手紙だったが、野枝の気持ちがそのまま出ている文面だった。
前にも後にも荘太に対して烈しい熱情を持ったのは、この瞬間だけだった。
もし辻が自分の意識に現れたら、こんな手紙はとても書けなかっただろうと思った。
野枝はすぐに臥せった。
何も考えたくなかった。
一時間ばかりはどうしても目を瞑れなかったが、それでも何時のまにか眠りに落ちた。
「私はあなたのお言葉の一 句々々も気が遠くなる程の力強さを覚えます」
「こんな真実なそして力強い愛を語られる私は本当に幸福だとしみ/″\思ひます」
「あゝ誰が――あなたの愛を却け得ませう」
「私は心からあなたを愛します」
「本当に、本当に心から」
「すべての判断解決はまじめなあなたにおまかせ致します」
といった文面に注目したらいてうは、野枝をこう批評している。
此手紙に於て私は野枝さんの心の働き方のいかにも或意味で女性的なのに驚いた。
そして或可愛らしさを感ずると同時に余りに無自覚だつた態度を咎めねばならない。
まだ年齢が若いと云ふことも考へてやらねばなるまい、又妊娠中の女の生理状態や心理状態も考へてやらねばなるまい、が併し……苟しくも自覚した女なら、私はもうどうしていゝか分りませんだの、自分自身のことを判断してくれの、解決してくれのと頼んだり、訴へたりするやうなことは自分に対して恥かしくて出来ない筈だと思ふ。
日頃の野枝さんにも似合はぬことだ。
私はかういふ点に於てなほ野枝さんの中に男の愛の陰に、その力の下に蔽はれて生きやうとするコンヴエンシヨナルな女の面影の残つてゐるのを見る。
(平塚らいてう「『動揺』に現はれたる野枝さん」/『青鞜』1913年11月号_p90~91)
性科学者の小倉清三郎は、野枝の動揺はこの六月二十五日の夜に極点に達したとして、ハヴロック・エリスなど学者の研究に照らして、検証を試みている。
小倉によれば、女は物理的刺激に対しても心的刺激に対しても、反応が男よりも早い。
こういう反応のことを感動というが、女は男よりも感動し易く、それは女が男より情的であることを示している。
情は脳の現象ではなく、内臓血管及び筋肉に土台を有する現象である。
女が男よりも涙を流し易いのも、笑い易いのも、女が男より感動し易いからである。
野枝にもこの傾向が著しく表われている。
腹立ち易いのも女に多い。
別けても月経中には、この傾向が著しい。
野枝子にもこの傾向が見られる。
男はより多く熟考的であるが、女は熟考的であるよりは、知覚が早く行動も早い。
野枝子は……男に対し、四つの返事を書いた。
その中の第一は、最初男から手紙を貰つて、其の次の日に書いたものである。
彼女がいくらか考へて書いたのは、此の返事だけである。
その他の三通は、就(ママ/「孰=いず」の誤植?)れもよく考へて、書かれたものではない。
殆ど反射的に書いて居る。
感動性が大きいといふ事は、反応の早いこと……である。
反応が早いといふ事は、疲労し易いことと関連してゐる。
大きな感動性を表はした野枝子は、著しい疲労性を表はしてゐる。
二十五日の晩にあれほどの烈しい手紙をかきながら、一晩寝つて次の日になつて見るともう何を昨晩かいたのか、昨晩の自分の気持が、どんなであるかを忘れてゐる。
彼女の感動が如何に大きかつたのか、それに伴ふ疲労が如何に大きかつたが察せられる。
彼女は当時、妊娠七八ケ月の状態に於てあつた。
且つ時は六月の後半であつた。
新しい暑さが強く感ぜられる頃であつた。
此状態も、此の時節も、共に感動性を大きくするに、力を添ゆるものである。
(小倉清三郎「野枝子の動揺に現はれた女性的特徴(梗概)」/『青鞜』1914年1月号・4巻1号_p137~140)
★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)
★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)
●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index
第82回 校正
文●ツルシカズヒコ
一九一三(大正二)年六月二十五日、その日は『青鞜』七月号の校正を文祥堂でやる日だった。
野枝は荘太に宛てた第二の手紙を書き直そうと思ったが、朝出る前に書き直すのは無理だと判断し、第二の手紙を包みの中に包んで仕度をしていると、また荘太からの手紙が来た。
荘太は二十三日夜に続けて書いた二通の手紙に番地を書き落としたから、野枝の手元へは届いていないだろうと思いますと、その手紙に書いているが、野枝は二通とも受け取っていた。
私はこれからあなたと交渉し得ずに自分が一番いゝ生き方をし得るといふ事をどうしても想像する事が出来ません。
あなたの若しお気が向ひたらば御序での節に汚い処ですが御立ち寄りなすつて下さい。
至極貧しい蔵書ですが何か御参考になるようなものもあるかも知れません。
直接に言ひます。
私は烈しくあなたを恋するようになるかも知れないと思ひます。
私はいつか自分があなたの手を執るべき日の事を夢見ます。
二十四日ひる
(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p189~191/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p41~42)
野枝の頭は何かに覆われてしまったかのように真っ暗になったが、ぐずぐずしているわけにもいかないので、この手紙を持ったまま出かけた。
野枝は電車に乗ってもそのことばかり考えていた。
なんのためにこんなに苦しんでいるのだろう。
馬鹿馬鹿しくなったり、一生懸命な荘太を気の毒に思ったり、最初に会ったときに言うべきことを言わなかった自分を責めたりした。
辻と同じくらいの荘太の熱情を理解することができなかったら、荘太は野枝のことを無智な女と思うだろう。
辻との愛がどんなに熱烈であっても他の愛を受け容れないことで、侮蔑されたり憐れまれたりすることも野枝は嫌だった。
文祥堂の二階に行くと、哥津はまだ来ていなかった。
野枝は荘太から今朝届いた手紙を、もう一度読んでみた。
野枝は荘太の愛に動かされている自分に改めて気づいた。
荘太の愛を無視することはできないが、同時にふたりの人を愛することもできない。
どちらかの愛を却(しりぞ)けるしか方法はない。
今のところ辻を離れては生きていけない。
荘太を却(しりぞ)けるしかない。
わかりきったことだ。
しかし、苦しい。
なぜ心が動く?
そうだ、天が辻と自分の愛に試練を与えているのだ。
無智だと言われても侮蔑されてもいい。
荘太の愛を明らかな態度で断ろう。
あの返事じゃだめだと思った野枝は、じっとしていられなかったので、ペンを手にして書きかけたがどうしても書けなかった。
そのうち校正がいっぱい出てきた。
野枝は一生懸命やろうとしたが、なかなか集中できなかった。
しばらくして哥津と岩野清子が一緒に校正室に入ってきた。
ちなみに、野枝はこのときの校正のことをこう書いている。
□校正つて本当に嫌やな仕事です。厄介な仕事です。出ない間ボンヤリして機械の廻る音を聞いてゐますと気が遠くなつてしまひます。一昨日歌津ちやんは眠つてしまひました。こゝの校正室は風通しがよくていゝ気持ちに眠れるのです。
□今日は岩野さんがゐらしたのですけれども歌津ちやんとしんこ細工を見に行くつて出ていつてしまひました。
(「編輯室より」/『青鞜』1913年7月号・3第7号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p41)
「一昨日」というのは六月二十三日、荘太が来た日のことだろう。
この号の「編輯室より」には、野枝のこんな発言も載っている。
□先月号の表紙の裏に広告を出したのが大変に感じを悪くしました。青鞜ではあんな事をした事はないのです。あれは書店が禁を犯したのです。以後はきつとあんな感じの悪い事は致さないつもりです。
□街路がどれも勢いよく葉を出しました。あの御徒士町(おかちまち)の通りのツン/\したプラターヌスの葉も真青になりました。
□歌津ちやんはお芝居や寄席や新内や歌沢で日を暮してゐます。私は、うちにゴロ/\して、いつからいてうと岩野さんと歌津ちやんと私と四人で堀切に行つたときに買つて貰つた小さな独楽をまはして遊んでゐます。
□小母さんのうちにはいろ/\な花が咲きました。大変きれいです。いまに小母さんの家は花でかこまれるでせう。
(「編輯室より」/『青鞜』1913年7月号・3巻7号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p40~41)
「先月号の表紙の裏」の広告というのは、『青鞜』六月号(三巻六号)の表二(表表紙の裏)の広告であろう。
宝石を身に着けた貴婦人のイラストとともに、以下のコピーが記されている。
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(『青鞜』1913年6月号・3巻6号)
現在の雑誌にたとえるのはちょっと無理があるかもしれないが、『アエラ』にジュエリーマキの広告が入っているようなものだろうか。
そういう違和感を『青鞜』編集部の面々は抱いていたようだが、広告収入を稼ぐため、東雲堂書店の社長・西村陽吉が捻じこんだのだろう。
四時か五時ごろ、野枝たち三人は文祥堂を出て、一昨日も行った築地の居留地の方に歩き、銀座に出た。
野枝はそこでふたりと別れ帰宅して返事を書き直そうと思ったが、この日は辻が不在なのでひとりで苦しむのが嫌だったので、ふたりと一緒に歩いた。
銀座を真っ直ぐ歩いて京橋を渡り中通りから日本橋に出て、常磐橋から電車に乗った。
水道橋で哥津と別れ、春日町で清子が降りた。
野枝は巣鴨橋で降りて山手線に乗り換えるころから、頭も体も何かにはさまれたように固くなった。
※京橋2
★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)
★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)
★『定本 伊藤野枝全集 第二巻』(學藝書林・2000年5月31日)
●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index