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2019年04月07日

どう展開する 今後の米朝関係 古川勝久氏の提言

 


 米朝関係 信頼構築のプロセスが不可欠


 米朝会談後の「非核化」への道筋



     4-7-25.jpg


              古川勝久氏のプロフィール


 国連安全保障理事会・北朝鮮制裁委員会(1718委員会)専門家パネル元委員(2011.10-2016.4)

 1966年シンガポール生まれ。1990年慶應義塾大学経済学部卒業。日本鋼管株式会社勤務後、1993年より平成維新の会事務局スタッフとして勤務。1998年米国ハーバード大学ケネデイ政治行政大学院(国際関係論・安全保障政策)にて修士号取得、1998-1999年米国アメリカンエンタープライズ研究所アジア研究部勤務。1999年読売論壇新人賞優秀賞受賞。
 2000年より米国外交問題評議会アジア安全保障部研究員、2001年よりモントレー国際問題研究所研究員を経て2004年から2011年まで科学技術振興機構社会技術研究開発センター主任研究員



       




 どう展開する 今後の米朝関係  古川勝久氏の提言


 【紙面の片隅から】シリーズ


 鳴り物入りで始まったベトナム・ハノイでの米朝会談。呆気無く物別れで終わったが、互いに話し合いは続けると確認し今後の進展が待たれる。果たして米朝の思惑はどの様な到着点を目指して居るのだろう。北朝鮮対策の専門家である古川勝久氏の提言をご紹介する・・・



 聖教新聞 H31.4.7 5版 SUNDAY オピニオンより引用 


 ベトナム・ハノイで開かれた第2回の米朝会談から1か月余りが経ちました。会談では共同声明への署名が見送られ、現在、北朝鮮の非核化を巡る両国関係の交渉が再開するかどうかに国際社会の注目が集まっています。北朝鮮の「非核化」への道筋について、国連「北朝鮮制裁委員会」の古川勝久・元専門家パネル委員に、米朝関係の行方と併せて解説して頂きました。


    




 2005年の6者合意は破たん


 今年2月27日と28日に開催された第2回米朝会談では「非核化」や米朝関係の改善、朝鮮半島の平和構築や制裁緩和など、様々な重要議題が上がっていたが、何ら合意に至らずに終わった。米朝間の埋めがたい深い溝の存在が浮き彫りと為った。
 余り知られて無いが、米朝は既に、可なり具体的な合意を達成したことが何度かある。以下は、実際に米朝が過去に合意した公式文書の抜粋だ。



     4-8-3.jpg

 14年前の2005年9月19日に北京で開催された、米朝及び日本・韓国・中国・ロシアからなる「6者会合」の共同声明内容

 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)は、全ての核兵器及び既存の核計画を放棄すること。並びに、核兵器不拡散条約及びIAEA保障措置に早期に復帰することを約束した。
 北朝鮮は全ての核計画の完全かつ正確な申告を行うことに合意した。
 (北朝鮮と米国は)二者の関係を改善し、完全な外交関係を目指すことを・・・約束した。
 (米国は)朝鮮半島において核兵器を有し無いこと、及び(北朝鮮に対して)核兵器又は通常兵器による攻撃又は侵略を行う意図を有し無い事を確認した。


 まさにハノイの米朝首脳会談で合意が期待されていた内容が既に盛り込まれている。昨年6月のシンガポールでの米朝合意と比べると可なり核心的な合意文に思えるが、これでも、北朝鮮の非核化の対象として兵器級ウラン濃縮施設を明記し無かった点など詰めが甘かった。その後、6者合意の履行を巡り北朝鮮は米日韓と対立し、核実験を2度も行い合意は破綻した。

 今や北朝鮮の核・ミサイル能力は可なりの進歩を遂げており、6者協議の時よりも包括的(ほうかつてき)で精緻(せいち)な米朝合意が必要とされる。しかし、私達は未だに2005年9月時点にすら立ち戻れていない。


 




 大統領の残り任期睨(にら)む


 「北朝鮮との合意には意味が無い」と指摘されるが、これは必ずしも正確では無い。過去の米朝合意は、北朝鮮の核・ミサイル能力の完全な放棄には至ら無かったが、それを大幅に制限する上では重要な役割を果たした。
 ハノイの首脳会談で、北朝鮮が寧辺(にょんびょん)にある核施設の廃棄を提案したことは注目に値する。寧辺は北朝鮮の核兵器計画の首都だ。アンドリュー・キム前米中央情報局(CIA)コリアミッションセンター長も指摘する通り、寧辺の無能力化は非常に重要だ。核物質を製造出来無ければ、北朝鮮は核戦力を増強出来無くなる。他にもウラン濃縮施設の存在が疑われるが定かで無く、米政府内でも見解が分かれる。北朝鮮の提案は、「非核化」の全体像が定まった時点で、真剣に細部が詰められるべきである。


   4-8-4.jpg


 只、仮に北朝鮮が真摯に非核化を進めても「完全な非核化」の検証は時間が掛かる上、技術的にも困難で常に不確実性が残る。不確実性を狭(せば)めるには、米朝が協働作業を通じて、双方が真摯に合意を履行しているか、専門的見地から評価するしか無い。非核化プロセスでも信頼構築は不可欠だ。このプロセスを早期に開始すべきである。

 トランプ大統領が金正恩委員長と個人的関係を続けているのは、交渉を続ける上で非常に重要だ。ただ北朝鮮には、米国の政権交代で米朝合意が反故にされた経験がある。
 アンドリュー・キム氏は「金正恩委員長は、核兵器廃棄の前に、米朝間の信頼構築の為の国交改善する必要性を強調していた」と指摘する。トランプ大統領と金正恩委員長は2017年12月まで互いに「チビ」「オイぼれ」と罵りあっていた。いきなりトランプ氏から「私があなたの安全を保障するから、核とミサイルを全部捨てなさい」と言われても金氏が「ハイ判りました」と即答出来る関係では無い。
 金委員長が非核化に向けた姿勢を一貫するには、信頼構築のプロセスが不可欠だろう。いかなる交渉でも、当事者間の信頼醸成は必要最低限の条件だ。

 だが、トランプ大統領の現在の任期は後1年9か月だ。北朝鮮としてはこの間にトランプ氏とどれ程意味のある合意が結ばれるかを計算中だろう。トランプ大統領の任期が1期で終わる公算が高まれば、次の大統領はトランプ氏と金委員長の合意を反故にするかも知れ無い。
 北朝鮮が大きな譲歩をしてまで、不可逆的(後戻りでき無い)な非核化措置に踏み切る可能性は低く為る。今のうちにスピード感をもって米朝交渉を出来るだけ着実に前進させる必要がある。


 




 「制裁」だけでは不十分


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               北朝鮮の瀬取りの様子


 3月21日付けの米政府公表文書「北朝鮮制裁勧告」によると、国連制裁にも関わらず、北朝鮮は洋上での「瀬取り」を通じて、国連禁輸品の石油製品を大量に調達したとのことだ。米政府は、北朝鮮が昨年に378万バレルの石油製品を調達した可能性を指摘する。
 米政府は、元々北朝鮮の年間の石油製品輸入量を450万バレルと推計して居た。国連安保理決議の下、北朝鮮の調達許容量は50万バレルに限定されたが、実際には、北朝鮮は元の年間輸入量の約85%を確保していた可能性がある。それでは制裁は余り効いていないことに為る。
 実際、アジアプレス・ネットワークのデーターによると、北朝鮮国内のガソリンやディーゼル油等の価格は、昨年を通じてほぼ安定している。

 北朝鮮が大量に石油製品を輸入するには、対価を支払う必要がある。近年、北朝鮮は金融制裁を逃れる為に、石油と石炭等の物々交換に力を入れて来た。米政府は、少なくとも貨物船49隻が国連禁輸品の北朝鮮産石炭の密輸に関わり、大量の石炭を密輸したとも指摘する。
 制裁下の北朝鮮には合法的な外貨獲得手段が殆ど残されて居らず、代わりに数々のサイバー攻撃を展開し巨額の外貨を奪取する傾向も強まっている。核・ミサイルに次ぐ米朝間の新たな火種だ。

 北朝鮮にとって密輸や資金洗浄は国民的習慣に等しい。日本国内には依然、制裁強化で北朝鮮は降参するとの期待が強いが、制裁で相手を苦しめても「絶命」は出来ない。制裁の目的は、相手を交渉のテーブルに引き摺り出すことだ。交渉を支えるツールとして、制裁を確り履行することが重要だが、制裁だけに過大な期待をするべきでは無い。 
 北朝鮮は米国を交渉に引き摺り込む為に、揺さ振りを掛けて来る可能性がある。既に北朝鮮はロケット発射場を迅速に復旧させた。ロケットは事実上の長距離弾道ミサイルである。北朝鮮は今後、ロケット発射の準備を見せ着けたり、ロケットエンジンの燃焼実験を行うかも知れない。


 




 日本としては、東京オリンピック前に朝鮮半島情勢が不安定化する事態は何としても避けたい。日本には拉致問題解決という課題もあり、あらゆる努力を尽くすべきである。重要なのは、先ず北朝鮮にこれ以上、核物質を作らせず、核・ミサイル実験もさせ無い事だ。
 そして「対話と圧力」を通じて、北朝鮮を完全な非核化に向けた具体的な合意へと導くことだ。本格的な非核化には、日本の経済的・人的貢献が重要な役割を果たすことに為る。「非核化」や米朝関係の改善、朝鮮半島の安定化の為に具体的な中長期の工程表を描く必要がある。

 又、北朝鮮の非合法ネットワークは日本国内にも深く食い込んで居る。日本政府は国連制裁の履行の為、国内法と行政の体制を整備して、制裁違反や犯罪行為を取り締まらねばなら無い。これは、北朝鮮制裁に留まらない課題だ。その上で、日本は他のアジア諸国等と法執行面での国際協力体制を強化する必要がある。

 「対話と圧力」の言葉は使い古された感があるが、これを成し遂げるのは至難な業だ。確り取り組むべきである。

 以上


 





 【管理人のひとこと】


 何とも歯がゆいのが、米朝関係の雪解け問題に、日本が余りにも関与出来無い、関与させて貰え無い・・・様に思われることだろう。日本は、北朝鮮の核とロケットに直接的な影響を受ける当事国だ。世界の目から見ても同じだろう「日本は一体どの様に動いているのだ?」と。それは、我々国民も同じだ。

 アメリカは果たして、中国との関係構築以上に北朝鮮との関係改善へ向けたエネルギーを、何時まで持ち続けて居られるのだろうか?と気に為る処だ。まさか「得意の軍事力で、一発で北朝鮮を打倒する」との甘い夢は持って居ないだろうが、その気振りを見せるだけで米朝の信頼関係は脆(もろ)く為る。
 北朝鮮も同じで「報復を覚悟で、ICBMでアメリカの主要都市を攻撃する」と脅かし、それを何時までも心に秘めて居ては、互いに「ちびのロケットマン!」「剥げた金髪のおいぼれ!」を繰り返す「言葉で罵(ののし)り合い脅(おど)かし合う」以前の状態に戻ってしまう。

 しかし、北朝鮮にしたら最後の切り札が核とロケットだ。これを先に捕られてしまっては、残りのカードは無いに等しい。全ての要求が通った処で、そして現実に要求が履行された時点で「それでは核とロケットを処分する」と回答出来る環境に為る。
 「米朝の国交樹立」を優先した金委員長の言葉は、その苦しい胸の内を晒(さら)したギリギリの本音だった。アメリカは「全てが為された結果を見てから・・・」と回答する。アメリカが今後、金氏の本音を何処まで考慮して動けるのか?それは、何処まで北朝鮮を信頼するかに懸っている。


 




 
 過去の合意が全て北朝鮮の反発で反故にされた・・・その過去を何処の時点で消し去れるのか、トランプ氏と金氏の人間関係の構築が在って為される。それ以上でもそれ以下でも無い、人間同士の未来へ向けた信頼感の醸成以外には解決出来無い話だ。
 当事国である日本と韓国の間に隙間風が吹いているのも気掛かりだが、中国やロシアをアテにしても始まら無い。日本は日本で出来る限りの方策を練り、全力を挙げて取り組む以外は無い。果たしてそれを為しているのだろうか?
 外交は秘密裏に行われるから、日本の姿が見えて来ないのは仕方が無いだろうが、そうであると確信したいのが私達国民の本音でもある。




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2019年04月06日

日本が先進国として生き残る方策を デービッド・アトキンソンの提言 


 

 【ネットニュースから】


 伝説のアナリストのデービッド・アトキンソン氏が、怒りを抑えて我々に激を飛ばし、日本の歩むべき道を示し、叱咤激励(しったげきれい)して呉れて居ます。日本の生産性は余りに低すぎる、企業規模が小さすぎる、労働者の貰う金額が余りに低すぎると・・・果たして彼が言わんとする処は何なのでしょう?

 下記レポートを参照し、大いに考え方を見直す必要があるようです。それでは引用させて頂きます。(管理人)



 





  日本人の議論は「のんき」過ぎてお話に為ら無い


  
       日本が先進国として生き残る方策 デービッド・アトキンソンの提言



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                デービッド・アトキンソン氏



 東洋経済オンライン 4/5(金) 4:50配信 より引用します



   日本を覆う様々な問題の「根本原因」を特定し対策を提言します


 オックスフォード大学で日本学を専攻、ゴールドマン・サックスで日本経済の「伝説のアナリスト」として名を馳せたデービッド・アトキンソン氏。退職後も日本経済の研究を続け『新・観光立国論』『新・生産性立国論』等、日本を救う数々の提言を行って来た彼が、遂に辿り着いた日本の生存戦略をまとめた『日本人の勝算』が刊行された。
 人口減少と高齢化と云う未曾有の危機を前に、日本人はどう戦えば好いのか。本連載では、アトキンソン氏の分析を紹介して行く。



 




 年初より続けて来た本連載も12回目を迎えました。今回が最終回と為ります。お付き合い頂きまして、どうもありがとうございました。最終回と云う事で、先ずこれ迄本連載で展開して来た議論を総括してみたいと思います。


 経済規模を示すGDPは「GDP=人間の数(詰まり人口)×1人当たりの生産性」と云う式で表すことが出来る。これから日本では人口が減るので、生産性を上げ無いと経済の規模が縮小して行きます。
 人口が減っても高齢者の数は減ら無いから、年金や医療費を初めとした社会保障費の負担は減らない。その為日本の場合、経済規模を縮小させてしまうことは絶対に許され無い。生産性を上げるとは、労働者の給料を上げることそのもの。人件費をGDPで割れば、労働分配率が求められる。詰まり、生産性と労働者の給料は表裏一体なのです。
 英国銀行では、労働分配率を下げるとデフレ圧力が掛かると分析。デフレを早期に脱却するには、日本は労働者の給料を上げ労働分配率を高めるべきです。

 生産性向上にコミットする経済政策を「High road capitalism」と言います。「王道」と訳されることもありますが、見方を変えれば「茨(いばら)の道」とも言える。当然、その反対は「Low road capitalism」です。こちらは或る意味で「邪道(じゃどう)」とも言えます。


  




 経済の「王道」と「邪道」


 簡単に言うと「High road capitalism」は高生産性・高所得の経済モデル。「High road capitalism」の根本的な哲学は「価値の競争」です。市場を細かく分けて、セグメント毎にカスタマイズされた商品やサービスで競い合うのが競争原理に為る。その為、商品とサービスの種類が多く価格設定も細かく分かれている。
 High road capitalismを志向している企業は、商品を如何に安く作るかよりも、作るものの品質や価値により重きを置く戦略を取る。他社の商品には無い差別化要素であったり、機能面の優位性であったり、取り分け、如何に効率好く付加価値を創出出来るか、これを追求するのが経営の基本に為ります。

 「最も安いもの」では無く「ベストなもの」を作る。そのスタンスの裏には、顧客は自分のニーズにより合って居るものにプレミアムな価格を払って呉れる、と云う信条が存在する。
 High road capitalismを追求するには、勿論最先端技術が不可欠で、それを使い熟す為に労働者と経営者の高度な教育も必須に為る。同時に機敏性の向上も絶対条件です。


 日本は1990年以降「Low road capitalism」策を執って来た


 「Low road capitalism」は1990年代以降、日本が実行して来た戦略です。規制緩和によって労働者の給料を下げ、下がった人件費分を使って強烈な価格競争を繰り広げて来ました。

 海外の学会では、Low road capitalismに移行すると一時的には利益が増えると論じらる。しかし、Low road capitalismによって短期的に利益が増える理由は、技術を普及させる為の設備投資が削られ、社員教育も不要に為り、研究開発費も削減される・・・即ち経費が減って居るからに過ぎ無いのです。
 Low road capitalismは先行投資を削って居るだけなので、当然、明るい将来を迎えるのが難しく為る。将(まさ)に今の日本経済そのものなのです。

 実は「Low road capitalism」でも経済は成長します。しかしその為には人口が増加して居る事が条件に為る。人口が減少していると「Low road capitalism」では経済は成長しない。本来「Low road capitalism」は、他に選択肢の無い途上国が執るべき戦略で、先進国である日本は「High road capitalism」を目指すべきだったのです。何故為らば「High road capitalism」こそが、人口減少・高齢化社会に対応可能な経済モデルだからなのです。


 




 日本は「のんきな議論」が多過ぎる


 今回の記事には敢えて挑発的なタイトルを着けました。このタイトルは或る意味、私のフラストレーションの表れかも知れません。それは、今の日本で交わされている議論は日本経済についての現状検証が余りにも浅く、当然それによって政策は本質を追求出来ず、対症療法的なものに為ってしまって居る・・・と云う印象を強く持って居るからです。

 人口減少にどう立ち向かうべきか、日本で行われている議論の多くは本当に幼稚です。今日本が直面している人口の激減は、誰がどう考えても明治維新より遥かに大変な事態で、対処の仕方を間違えれば日本経済に致命的なダメージを与えかね無い一大事なのです。
 それ程大変な状況に直面して居ると云うのに、日本での議論は何とも「のんき」で、危機感を覚えて居る様には全く思え無い。正直、どうかして居るのでは無いかとすら思う。「のんきな議論」は、日本社会のありとあらゆる場面で見ることが出来ます。


 




 のんきな「競争力」の議論


 先日或る処で、最低賃金を引き上げる重要性を訴えて居た処「最低賃金を引き上げると日本の国際競争力が低下するからダメだ」と言われた。チョット考えるだけでこの指摘が如何に浅いか判ります。
 日本の対GDP比輸出比率ランキングは世界133位です。詰まり輸出小国ですから、限られた分野以外では別に国際的に激しい競争等して居ません。又、他の先進国の最低賃金は既に日本の1.5倍位だから、同程度に引き上げたとして何故国際競争力で負けるか理解出来無い。
 更に、多くの労働者が最低賃金で働いている業種は宿泊や流通等サービス業なので、輸出とは余り関係が無い。この様に如何にも議論が軽いのです。


 




 のんきな「教育」の議論


 教育についての議論も実にのんきです。教育の対象を子供から社会人に大胆に変更しなくてはいけ無いのに、日本の大学は未だに、毎年数が少無く為る子供の奪い合いに熱中している。教育の無償化に関しても同様の印象を感じます。

 「子供を育てるコストが高い。だから子供を産ま無い、詰まり少子化が進んでしまっている。為らば、教育のコストを無償にすれば少子化は止められる」

 恐らくこんなことを考えて、教育の無償化に突き進んで居るのでしょう。確かに、この理屈は尤もらしく聞こえ無くも無い。しかし、これは小手先の対症療法的な政策に過ぎ無い。
 教育のコストが高いのが問題なのだから、無償化すると云う考え方も可能ではあるが、ソモソモ何故教育のコストを高いと感じる人が多いのか?その原因を考えれば「収入が足りていない」と云う根本的な原因を探り出すことが出来るのです。

 教育の無償化と国民の収入アップ。ドチラを先に進めるべきか? 答えは収入アップに決まっています。要するに、少子化問題の本質は教育費に在るのか親の収入が足り無いのかを、キチンと見極める必要があるのです。
 事実、日本人の給料は、同程度の生産性を上げている他の先進国の7割程度です(購買力調整済み)。尚且つ長年、若い人を中心に減少の一途を辿っている。問題の本質は教育費では無く給料なのです。

 先進国の中では、少子化と生産性との間にかなり強い相関関係があると云う研究がある。生産性が低く少子化が進んでいる複数の国で、教育費の補助を出しても思い通りには出生率が上がら無かったと云う興味深い事実もある。
 ですから、教育費を無償にしても本質的な対処には為ら無いし、税金か借金で賄うしか無いので、結局経済に悪影響を及ぼしてしまうのです。


 




 のんきな「輸出」の議論


 JETROの輸出促進とクールジャパンも同じ。問題の本質が分析出来ていないと思う。私の分析では、日本が輸出小国である最大の理由は、規模が小さい企業が多過ぎて、例え素晴らしい商品があったとしても、輸出する為のノウハウや人材が欠けている会社が大半だからです。即ち、輸出の為のインフラが弱過ぎるのです。

 「日本には好い商品はあるが、輸出は進んで居ない。輸出をすれば国が栄えるから輸出を応援しよう」

 恐らくJETROが設立された背景にはこんな思考回路があった様に思う。しかし、思惑通りには輸出は増えませんでした。何故かと云うと、JETROの応援無しに持続的に輸出が出来る規模の企業が余りにも少ないからだ。
 日本の産業構造が輸出出来る体制に為って無い以上、幾ら補助金を出し、今まで輸出出来無い企業が一時的に輸出出来る形を作っても、継続的に輸出が増える筈も無いのです。


 




 のんきな「先端技術」信仰


 最先端技術も同じ。去年、落合陽一さんの本を読みました。最先端技術に関しては、氏の主張に異論を唱える積りはありません。しかし、落合さんの主張を見て居ると、日本の産業構造自体に技術普及を阻む問題がある事に言及して無い事が気に為ります。
 余りにも規模の小さい企業が多過ぎ、技術の普及が進ま無いだけで無く、残念ながら日本では折角の最先端技術を活用する気も、活用するインセンティブも持た無い企業が大半だから、落合さんの英知が幅広く役立てられることも無い様に思います。

 経済産業省の遣って居ることも輸出の発想と同じ。最新技術を導入すれば経済は伸びるしかし、実際には技術はナカナカ普及しない小さい企業は最先端技術を導入するお金が無い「為らば!」と云う事で、技術導入の為の補助金を出す。
 これも又対症療法です。何故なら、大半の企業は規模が余りにも小さくて、その技術を活用する為の規模も無ければ、使える人材も判る人材も居無いのです。これは、社員教育が著しく少ないことにも影響しています。


 





 のんきな「生産性」の議論


 先日、厚生労働省と打ち合わせをした時に、最低賃金を上げるのに備えて、その負担を軽減する為に企業に生産性を向上させる為の努力を促す目的で補助金が用意されたと云う話を聞きました。しかし、折角の補助金なのに、申請された金額は用意された金額の半分以下だったそうです。
 矢張り、小さい企業は現状のままで好いと云う思いが強く、生産性向上何て考えていない様です。経産省も厚労省も全く思慮が足りていません、現状の分析が浅過ぎるのです。

 決して公言はし無いでしょうが、経産省は「日本企業は、お金さえあれば最先端技術を導入したいと思っている」と云う前提に立って居る様だが、これは事実と反します。何度も言いますが、ソモソモ日本企業は規模が小さいので、仮に最先端技術を導入したとしても十分に活用出来るとは思えません。
 厚労省は「最低賃金の引き上げの影響を受ける企業は当然、生産性を向上したがる」と思って居る様ですが、この仮説も根本的に間違っている。

 最低賃金で働いている人の割合が高い企業は、ソモソモ真面(まとも)な経営が為されて居ないか、又は根本的に存続意義が無いに等しい会社が多いので、自ら生産性を向上させ様等と云う殊勝(しゅしょう)な考え等持ち合わせていません。補助金以前の問題です。
 そう云った企業は、声高に訴えれば政府が守って呉れると判って居ますので、生産性向上と云う「余計」な仕事をするインセンティブは無いのです。


 




 のんきな「財政」の議論
 

 財政の議論も浅い。消費税の引き上げも対症療法でしか無い。ご存じの様に、日本は人口が多く人材評価も高い割にGDPが少ない。一方、社会保障の負担が大変重く為っている。そこで、年金の支給を減らしたり、医療費の自己負担を増やし、国の負担を減らすべきだと云う議論も交わされる。政府は消費税を上げて、税収を増やそうとしています。
 しかし私に言わせれば、この2つの方法は、夢の無い如何にも日本的な現実論に過ぎ無い。この政策は、将来の負担を賄(まかな)う為に、現状の日本経済が生み出している所得に何%程度の税金を掛けたら計算が合うか・・・と云う形で議論される。恰(あたか)も、税率以外の他の変数は変えることが出来無いと云う前提が置かれている印象です。

 先述した通り、日本の財政の問題は支出の問題でも無ければ税率の問題でも無い。日本の財政の根本的な問題は、課税所得が余りにも少ない事に尽きる。しかし日本の議論は「所得は増やすことが出来る」と云う事実を余りにも軽視している。
 消費税は上げるべきかも知れ無いが、その前に付加価値を高めその分だけ給料を上げ、上げた分の一部を税金として徴収すれば、それだけで可なりの規模の税収アップに為ります。


 




 のんきな「量的緩和」の議論

 
 経済学の教科書には、幾つかの「インフレの原因」が列挙されている。モノとサービスの需要が相対的に増えること・通貨供給量の増加・円安・財政出動等は典型的なインフレ要因です。賃金が増えることも大きな要因の1つ。
 経済の状況が通常通り為らば、財政出動と円安誘導と金融政策で経済は回復する。所謂「インフレは日本を救う」論理です。

 しかし、この議論には大きな盲点があります。それは、日本の様に給料が減って人口も減り、消費意欲が低下する高齢化社会では、需要が構造的に減ると云う事。最早「通常」の状態では無いのです。
 この様な状況で、中小企業問題や給料が少な過ぎる問題を無視し、金融緩和や円安政策を進めても通常の効果は出ません(勿論、遣ら無いよりはマシでしょうが)。給料を徹底的に上げていかないと、金融政策や財政だけでは通常の効果は期待出来ないのです。
 「インフレは日本を救う」と云うだけの議論は、問題の本質を見極めて居ない議論です。企業の規模と給料には強い関係がありますから、企業規模を拡大し給料を高めて初めて、金融政策・財政政策が生きて来るのです。


 




 あらゆる問題は「給料が少ない」ことに帰する


 デフレや輸出小国に留まって居る問題・年金問題・医療費問題・消費税・少子化・国の借金・女性活躍問題・格差の問題・技術の普及が進ま無い問題・ワーキングプア・子供の貧困・・・ナドナド。これ等の問題の根源にあるのは、全て日本人が貰っている給料が少な過ぎる事です。
 今の政策は、ホボ全てが只の対症療法です。問題の本質が見えていない。それでは病気そのものを完治させることは出来ません。

 では、どうするべきか。遣るべきことは明確です。

 「世界第4位と評価されている優秀な人材を使って、先進国最低である世界第28位の生産性を上げれば好いのです。それだけです」
 
 それには、賃金を継続的に上げる必要があります。このことを、大半の日本企業の経営者が理解しているとは思えませんし、自ら賃金を上げる気の無い経営者が多いのも間違い無いので、彼等の奮起を期待してもムダです。
 だとしたら「High road capitalism」に移行させる為に、最低賃金を毎年5%ずつ上げて、彼等に強制的に生産性を引き上げさせるしか方法は残されて居ません。それに併せて、労働者を集約し企業の規模拡大を促進するべきです。

 例え給料を上げても、企業の規模拡大を追求しない、若しくは小さな企業を守ろうとする政策を実施してしまえば、政策が矛盾し「High road capitalism」は夢と終わります。生産性の向上が出来ない経営者は、増える一方の社会保障負担を捻出するだけの才能が無いのですから、潔く企業経営から撤退して貰いましょう。人手不足は当分続くので、労働者は才能のある経営者の処に行けば好いのです。

 最低賃金の引き上げの話を出すと、必ず昨年の韓国で起きたバカ気た失敗事例を引き合いに出す人が現れますが、韓国は一気に16.4%も引き上げたから失敗したのです。だからこそ、日本は毎年5%で好いのです。
 又、最低賃金を引き上げると、中小企業は皆潰(つぶ)れると云う意見も必ず寄せられます。しかし、そう云う意見を持つこと自体、頭を使っていない証拠だと思う。全ての中小企業の労働者が最低賃金で働いて居る訳でも無ければ、全ての企業の経営がギリギリな訳でも無い。最低賃金を引き上げたからと云って、中小企業が大量に倒産することは有り得ません。

 日本人労働者の生産性は、イギリス人等のヨーロッパの人々とそれ程大きく違いません。しかし、最低賃金は足ったの7割に抑えられて居るのです。人材評価が大手先進国トップの日本は、それを武器に、大手先進国トップクラスの賃金を貰い再び経済を成長させる。この挑戦にトライするしか、日本に道は残されていません。それには、中小企業を集約させること・・・ここに「日本人の勝算」があります。


 デービッド・アトキンソン 小西美術工藝社社長


 
 





 【管理人のひとこと】


 目からウロコが・・・と云う言葉があります。アトキンソン氏の言葉一つ一つに「その様な見方があるのか?」「そう云う実例が・・・」「そうか?そうなのか!」と大きく頷きました。何故氏は、この様に日本の為の提言を、内心の怒りを抑えてまで為されるのでしょうか、実に心から頭の下がる思いで読みました。
 確かに現実と照らし合わせると全てが納得出来、氏の提言の正確さと適切さを思い知らされます。毎年毎年課税所得が減り続け、更に消費税や社会保障費の負担が増え続ける現状の中で、日本経済の復興の掛け声が如何に空虚な寝言であったのかを思い知らされる気分です。

 氏の指摘通り、国の政策の全てが現状の根本原因の把握が出来て居ず、徒(いたずら)な目先の対症療法に過ぎなかったかを知ることが出来ました。スローガンや掛け声は勇ましく全てが「一億000だ!」の戦中のものとダブってしまう錯覚に陥ってしまう程です。

 此処に安倍氏が唱えたスローガンを評したブログをご紹介します。


 




 安倍政権の罪  〜スローガンだけの政治〜

 2018年07月20日 19時36分 より引用します


 政治の世界は、新聞報道などでは安倍総裁の3選が有力な様で、もうウンザリ感で一杯。この2期に亘る政権担当でハッキリしたのは安倍政権の主目的は、自民党の一強を背景にして、憲法の精神や本当に国民の幸せを考慮した将来の国の在り方と云う政治目的を蔑ろにして、自分の勝手な思い込みによる政策を実行する為の政権維持を最大の目的とするものでしょう。
 先ず、安倍政権の大きな特徴として挙げられるのは、選挙の公約或いは年度毎の政策として次から次へと政策の看板を掛け替えて行く、言わば「スローガン政治」とでも言うべき体質ではないでしょうか。

 先ず何と云ってもその出発点は〈アベノミクスと三本の矢〉でしょう。

 ・デフレ及び円高から脱し日本経済を改善することを目標として @大胆な金融政策A機動的な財政政策B成長戦略を打ち出しました。
 ・より具体的には、アベノミクスとは @ 世の中のお金の量を増やしA 政府がお金を使い、更にB 企業にお金を使って貰う事で景気を良くしようとした政策でした。
 ・しかしその後の経過については、誰もが記憶している様に、確かに@による資金量の増加で、かなり円安に為ると共に輸出関連企業が元気に為ると期待されて株価が上がったと云う効果はありました。これにより一部の企業や富裕層は潤ったでしょうが、一般国民は景気の回復を実感出来る様な環境ではありませんでした。
 ・結果として、初期の目的であったデフレ脱却等は出来ず、国家財政の回復等はとても期待出来る状態には為らず、格差拡大と云う弊害をもたらしました。そして、これに伴う国民を宥める為に、財政健全化に必要な筈の消費税率アップは2回も延期すると云う始末でした。

 この様なアベノミクスの効果が無いと判ると、次に打ち出したのが〈新三本の矢〉で、アベノミクスの効果を高める為として「一億総活躍社会」の実現を目的として「強い経済」「夢をつむぐ子育て支援」「安心に繋がる社会保障」等を図る為として、次から次へと新しいスローガンを掲げました。

 直ぐに思い出すだけでも、一億総活躍社会・地方創生・IR(統合型リゾート)実施法案・女性活躍・女性が輝く社会・待機児童ゼロ・幼児教育無償化・非正規(労働)と云う言葉を無くす・介護離職ゼロを目指す・意識改革・規制改革・働き方改革・人づくり革命・生産性革命・・・

 良くぞマアここまでと思うまでの実に華々しい名前のスローガンインフレで、前進や改善と云った良い印象を与える「改革」と云うマジックワードだけで無く、より刺激の強い「革命」と云う名前すら着いたものもありました。
 その結果はと云うと、ご存知の通りに殆どのスローガンが達成出来て居ません。その代表は安倍政権が目指した筈の〈デフレ脱却〉の指標と為るべき「物価上昇率2%」で、その達成は勿論のこと、国家財政の健全化等は何処かに忘れ去られた様です。それにも拘わらず日銀のマイナス金利政策と金融緩和政策だけは継続しているので、余計にヤヤコシイ状態に為っています・・・以上

 この様に国民の嘆きは止まりません。



 スポンサーの皆様です・・・


 



 



 



 



 



 




2019年04月05日

 I love F104 欄外


 

  ハート(トランプ) I love F104 ハート(トランプ)  欄外・開発秘話



 特集・懐かしの軍用機 より引用


 第一級の要撃戦闘機 F104


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 主翼の端に空対空ミサイルを装備して飛行する米空軍のF104A。未来的なフォルムから「最後の有人戦闘機」とも呼ばれた


 朝鮮戦争でソ連製MIG15の軽快な機動性に手を焼いた米空軍のパイロット達は、速度と上昇力に優れた制空戦闘機の開発を強く求めた。1954年3月に初飛行したロッキードF104スターファイターは、そうした現場からの要求を具現化した機体で、重さ5.7トンの単発軽量機ながら最高速度はマッハ2を超えた。

 朝鮮戦争終了後、米空軍は戦闘機にマルチロール能力を強く求める様に為った為、自国で活躍の場は無かったが、敵爆撃機の侵入を阻止するインターセプター(要撃戦闘機)としては一級品で、日本の航空自衛隊にも採用されて空の守りを固めた。
 全長16.7メートルに対し全幅は6.99メートルしか無い。鉛筆の様に細く尖った胴体と台形の小さな主翼は、高速と上昇性能を追求した結果だった。大きな垂直尾翼とT字型に為った水平尾翼も特徴的だが、実は胴体の両脇に設けられた空気取り入れ口の中央にある半円錐形の「衝撃波コーン」が高速性能のキーポイントに為って居る。
 衝撃波コーンが空気流入を適切な量に調節することで、エンジン燃焼が効率的に為り、初めてマッハ2の高速が可能に為った。

 残念なことに、完成した時点で米空軍は制空戦闘に特化した戦闘機の必要性を感じ無く為って居た。1958年に米国内の迎撃戦闘機部隊に配備された初期生産型のF104A型は、僅か2年で第一線から引退。核爆撃も可能な戦術戦闘機タイプのF104Cが少数生産され、1965年にはベトナム戦争にも参加したものの、低空での機動性に難があり、然したる働きは出来なかった。

 一方、F104は日本の様に要撃機としての役割を重視した国では、その能力が高く評価された。ヨーロッパ諸国も含め15カ国で主力戦闘機として採用、ライセンス形式を含めれば2500機以上が生産され、世界的にはベストセラー戦闘機と為った。


 超音速戦闘機第1号 F100


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 飛行中のF100戦闘機 主翼の下に合計6カ所の兵装ステーションが見えるので、C型以降の戦闘爆撃機タイプ


 F86の成功で軍用機メーカーとして不動の地位を獲得したノースアメリカン社は、1951年から超音速戦闘機の開発に着手した。丁度朝鮮戦争の真っ最中で、空軍から基本性能でソ連製戦闘機を遥かに上回る高速戦闘機が欲しいとセッツカれたことも、開発を後押しする形に為った。
 1953年5月に原型機が完成したF100スーパーセイバーは、空力抵抗を極限まで低減した細長いボディーに、F86よりも後退角を強めた主翼、F86に比べ倍近い推力を持つ高性能エンジンを備え、初飛行でアッサリと音速を突破した。

 格闘戦で優位に立つのに必要な上昇力も素晴しく、空軍は直ぐサマ制空戦闘機としての採用を決め、世界初の超音速戦闘機の量産が開始された。
 初期型のF100A型が部隊配備されたのは1954年9月。朝鮮戦争はその前年に終わっていたが、F100に取っては寧ろ幸運だった。同年11月に機体の根本的な欠陥が明らかに為り、飛行停止措置が講じられたからだ。尾翼の再設計などにより欠陥は克服されたが、大きな戦争が無い時期だったこともあり、制空戦闘機型のF100Aは1955年に約200機で生産を終了した。

 只、F100の高い性能を惜しんだ米空軍は、戦闘爆撃機としての活用を考え、兵器搭載能力や航続性能を高めたC型、D型が開発された。取り分け1956年に初飛行したD型は、ソ連との全面戦争を意識し、敵領土内に高速で深く侵攻して核爆弾を投下する戦略兵器に位置付けられていた。
 幸いにも米ソの核戦争は発生しなかったが、1960年代にベトナム戦争が激化すると、F100は対地攻撃機として初の実戦を経験することに為った。爆弾搭載量が多く、元々制空戦闘機だけに敵の迎撃戦闘機とも渡り合えると判断された訳だが、F100には好い迷惑だった。

 主に重武装拠点の爆撃に多用されたものの、その分、損害も大きく、対地攻撃に向か無いことは直ぐ明らかに為った。各型合計で2000機以上が生産されたとは言え、超音速戦闘機第1号の栄誉に見合った働きが出来ずに終わった不運な機種と言える。

 以上



 次のF104記事をご参照ください・・・




 F-104とは、ロッキード社の開発した超音速戦闘機である より引用します



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 概要

 第二世代戦闘機で、アメリカ空軍や航空自衛隊・ドイツ空軍・ギリシャ空軍・イタリア空軍等西側各国に広く配備されて居た。現在、軍用機としては全機退役しているが、少数機が民間アクロバットチームのスターファイターズで運用されている。

 背景

 F-104を開発するきっかけは朝鮮戦争にまでさかのぼる。

 朝鮮戦争開戦直後、アメリカ軍はF6FやF4U・F-51と言った従来のレシプロ戦闘機に加え、直線翼ジェット戦闘機であるF-80シューティングスター及びF-84サンダージェットを投入し、レシプロ戦闘機しか無かった北朝鮮空軍を効果的に抑え込んでいた。

 しかし1950年10月に参戦した中国がMiG-15戦闘機を投入して来たことにより、アメリカの制空権確保は雲行きが怪しく為って来た。初の遭遇戦ではパイロットの練度が高く、統制の取れていたF-80が返り討ちにすることに成功したものの、速力や加速力で圧倒的に劣るF-80やF-84では対抗出来ないことが予想された。

 この危機を乗り切る為最新鋭のF-86を投入し、MiG-15に対抗することに為ったが、F-86と比較してもMiG-15は加速力や上昇力、スピードで上回る性能を持っており、これに対抗する為F-86もE型の全遊動水平尾翼やF型のエンジン強化を初めとする改良を重ねて行ったが、パイロットはそれらの点を羨ましがっていた。
 ロッキード社の設計士であるケリー・ジョンソンは前線で戦うパイロットの話を聞き、小型軽量な機体に大出力エンジンを搭載した白昼制空戦闘機を設計してみようと考えたことによりプロジェクトがスタートした。

 特徴

 エンジンはアフターバーナー付きのJ-79ターボジェットエンジンを一基搭載する。マッハ2級の高速性能を重視する為、後退翼を採用せず、主翼には幅の短い直線翼を採用している。この主翼は極めて薄く作られており、カミソリ刃と形容される程。その為整備士が怪我し無い様ゴムカバーが翼の前縁に着けられることがある。
 翼の付け根にショックコーンを有する。これによってマッハ2付近における気流の乱れによる吸気効率の低下を最小限に抑えることが出来、音速の2倍以上の速度性能を発揮出来る様に為った。公開当初はこの構造が機密扱いと為っており、カバーが取り付けられて見え無い様に隠されていた。

 機体の重量が軽く、その割に推力の大きなエンジンを搭載する為、加速性能や上昇力は当時としては群を抜いており現在ですら或る程度通用するレベルにある。反面、翼の面積が小さい為翼面荷重が大きく旋回性はかなり悪い。航空自衛隊はフラップを空戦フラップとして使用する等の対策を施し格闘戦能力を向上させている。
 又、垂直尾翼にT字配置された水平尾翼が急旋回時に主翼の後流に干渉して操縦不能と為る事態を防ぐ為、一定の迎え角を取ると強制的に機首を引き戻すキッカーと云う機構が装備されている。このことをキチンと把握していないと、低空飛行時に機首の引き起こしが出来ずに地面に激突する危険性があり、何人かのパイロットがそれによって命を落としている。

 機首にM61バルカン砲を1門装備し、AIM-9サイドワインダー空対空ミサイルやロケット弾などを搭載可能。バルカン砲は、F-104の開発当初から搭載することが決定されていたが、アメリカ空軍が実戦配備を急がせた為、機材としての熟成が進んでおらず故障が多発した為F-104Aでは搭載が見送られた他、航空自衛隊向けの機体では、沖縄返還による追加調達機以外は燃料タンクが設置し、機銃を換装キット形式で調達していたが、予算の問題で全ての機体の分は調達出来なかった。
 また、イタリア空軍向けの機体ではAIM-7スパロー中距離空対空ミサイルを搭載する為レーダーを改造しており、イルミネーターを載せる為撤去されている。後に延命工事を受けた際に機器の小型化によってバルカン砲の装備が復活したが、その後のアップデートにより再び撤去することに為った。

 運用

 開発元であるアメリカ空軍では、当初の発注元である戦術航空軍団(TAC)では戦術転換によって、F-104への興味を失っていたが、F-102の後継機として開発していたF-106の開発が遅れた為、F-106が配備される為の繋ぎとして採用されたが、公式に明言されているSAGEシステム対応機材が搭載出来ないことや航続距離が短く空中給油に対応していなかった事で防空軍団(ADC)からは短期間で退役させられた。
 戦術航空軍団ではF-104Cをベトナム戦争等に派遣されたものの、北ベトナム空軍はF-104との交戦を避けた為空中戦の機会はほぼ無く、逆に地対空ミサイルの餌食に為ったり、中国の領空にウッカリ侵入した機体が撃墜されたり、撃墜されたF-104の捜索に出動した機体が空中給油機と接触事故を起こして墜落等、散々な目に遭った。

 しかしながらアメリカ空軍での不遇をよそに、NATOでは主力戦闘機として各国に大量に配備され、ワルシャワ条約機構軍の侵攻に備えることに為った。
 ドイツ空軍では、本来は高高度高速迎撃戦闘機であるこの機体を低空で近接航空支援を行う戦闘爆撃機として運用することに為ったが、ヨーロッパ特有の悪天候に不慣れなパイロットが多かったこともあり、大量の事故損失機を出す結果と為ってしまった。
 この為「未亡人製造機」等と不名誉な渾名を付けられるに至った。又、滑走路を破壊された時でも発進出来る様、ロケットエンジンを装備してゼロ距離射出する試験も行われていた。

 イタリア空軍では、発展型であるCL-1200への搭載を目的に開発された新型レーダーを装備したF-104Sを運用していた為、AIM-7スパロー空対空ミサイルが運用可能であり最高の空戦性能を有するに至ったが、ユーロファイターの開発が遅れたことや、繋ぎであったトーネードF3の運用コストが、当初の予算で賄い切れ無い額に高騰したこと等で退役が遅く為り、繋ぎの繋ぎであるF-16ADFと入れ替わる2005年まで運用されて居た。

 航空自衛隊では上述の通りフラップを空戦フラップとして扱うことにより、強引に旋回性を上げ、僚機との連携を使い熟し、訓練でF-15を落とした猛者も現れた。
 1986年にF-15Jの増備によって航空自衛隊からは退役したが、一部の機体はFMS(有償援助)であったことから米軍に返却することに為り、そこから台湾空軍に再配備されると云う運命を辿った。又、その他の状態の好かった機体はドローンターゲット(無人標的機)として改造され、UF-104Jのコードを与えられてミサイルターゲット等として全機「撃墜」された。

 ちなみに、この航空自衛隊仕様のF-104を選定するに至った第一次F-X選定作業のナンヤカンヤを描いた小説作品が山崎豊子の「不毛地帯」である。
 その他パキスタン空軍にも配備され、インドとの二度の紛争(印パ戦争)ではインドもF-104との空中戦を避けた他、パキスタン側もF-104とMig-21の対戦を避けて居た。

 以上



 次にF104整備士さんのお話を・・・



  F-104J整備士体験談



  以下は掲示板に投降された記事です。興味深い話なので他の発言に埋もれてしまうのは勿体無いと思いここに掲載します より引用します




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  私は元F−104の整備員ですが、これは私の体験談です。或る日、退役間近のF−104戦闘機が私の勤務する基地に立ち寄りました。当時、当基地はF−104が全機退役し、F−4戦闘機が配備されていました。
 F−104は、空気取り入れ口横にある扉から中に入れる様に為って居るのですがその際、中に人が入って居る事を示す「垂れ幕」を取り付けます。処が、F−104が全機退役したこの基地にはそんなものは無い。「直ぐに済むから」と私は中に入りエンジンのブレードを点検しました。
 点検を終えて出ようとした処、何と扉は閉められて居た!哀れな私を乗せたF−104はそのまま格納庫に引っ張られて行きました。機体を叩けど叫べど気付いて呉れません。

 その後、駐機場にあった私の靴が手掛かりに為り、その日の内に発見、救出されたものの・・・、

 「何ヤッテたんだ、まったク!」
 「お前、点検の時居たの!?」
 「ドジ!!」


 等と上官からドヤされることに・・・ 二度と手抜きはしないぞ、と思いました。それ以上に、もしエンジンを掛けられていたらと思うと、今でも体がブルッと来ますね。

 (更新日:2001年11月17日)





I love F104 その2



 ハート(トランプ) I love F104 ハート(トランプ)  その2



 その1から つづき


 




 3 〈最後の有人戦闘機〉XF104の開発


 P80〈シューティングスター〉で、ジェット戦闘機の基本型をまとめあげたケリー・ジョンソンは、その後の世界のジェット戦闘機の推移を見守りながら次期プランをまとめていた。
 既に戦後数年を経て、戦闘機のスピートは音速(時速約1200キロ)を超え、1955年迄にはマッハ2(音速の2倍)以上と為る事が予想される。ソ連で開発中のミグ19はマッハ1.4と言われるが、次のミグ21とスホイはマッハ2に達するであろうと云う情報が入った。

 「ケリー君、FX(次期戦闘機)のプランはまとまったかね」
 「私はやはり、スピードを徹底的に追求したいと思います。勿論上昇力も含めてのことですが・・・」

 ジョンソンはグロスにこう答えて、

 「詰まり強力なエンジンを付けて、軽い機体を引っ張ると同時に、ジェットの余った推力を利用して、機動性を好くするんです。多少のことは犠牲にしてでも・・・」

 と、自信タップリに言った。

 「しかし、軍からやかましく言われている全天候性の方は・・・」
 「勿論、コンパクトされたものを出来るだけ積みます。でも、矢張りスピードを優先させましょう」

 こう言われて、グロスは〈実績のあるケリーのこと、ひとつ思う存分やらせてやれ〉と云う気に為った。 しばらくして、ジョンソンのまとめて来た新戦闘機のプランを見て、グロスは危く葉巻を落としそうになった。それはまるで、ミサイルに小さな翼を付けた様なものだったからである。

 「一体翼面荷重は?」
 「600キロ弱(一平方メートルあたり)でしょう」
 「えっ? そんなに・・・」
 「F84(リパブリック『サンダージェ ット』戦闘機)だって、350キロはありますよ。主翼後縁のファウラー・フラップだけで無く、前縁フラップも設けて着陸を安全にします」
 「処で、問題のスピードはどの位出るかね?・」
 「マッハ2以上は楽に出せますね」



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             コンべアF102  


 




 処がこのXF104は、三角翼のコンべアF102の採用によって自主製作と為り、原型一号機は1954年2月7日、テスト・パイロットのトニー・リバーの操縦で初飛行に成功した。
 
 その鋭く尖った鼻先と細長い胴体、薄くて短い主翼と云う特異なスタイルによって〈最後の有人戦闘機〉と云うキャッチ・フレーズを付けられたが、ややオーバーだったとは言え、写真を見る者に等しく、その通りと云う印象を与えたものである。
 初期量産型F104Aを数十機使って実用テストを進め、1958年の初めからアメリカ本土及び海外の基地へ配備された。そして同年5月、高度2万7813メートル、時速2259キロの世界最高記録二つを作り、ロッキードの名をまたまた轟かせた。


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          ロッキードF104Gの三面図


  




 4  F104 NATO各国で配備


 F104Aは、ゼネラル・エレクトリックのJ79GE3推力7700キロ(アフターバーナー付)エンジン一基を装備し、全幅6.69メートル、全長16.68メートル、主翼面積18.2平方メートル、自重5300キロ、全備重量8500キロ、最大時速2100キロ(一万メートルで)、上昇限度2万メートル、航続距離約1500キロ、武装20ミリ・バルカン砲一門、サイドワインダー二基と云うのが主なデータである。(C型はエンジンをJ79GE7に換装)

 しかし、スピード性能は好いが、航続距離が短いのと広地域のコントロール・システムを槓む余裕が無い為、米本土防衛には不向きで、防空はコンベアF102の天下であった。この為アメリカ空軍の第一線から間もなく退かされて、代わってヨーロッパ(西ドイツ・オランダ・ベルギー・イタリア)とカナダ・日本等の西側主要国で使用され、総計2000機以上が生産されることに為った。


 




 ヨーロッパとカナダのものはG型であり、日本のはJ型(愛称「栄光」)である。J型は、基本的にはG型と変わり無く、三菱で国産化され、航空自衛隊が1962年8月から七個中隊を編成配置した。日本の様に狭い国土ではF104の性能で十分であり、バッジ・システムと連動することも出来る。
 だが、アメリカとの共同防衛態勢から考えて、機体の狭少による搭載能力不足は否めず、次回のFXが決定し、それが配備され始めれば、第一線から後退する運命にある。
 しかしF104「スターファイター」が20年前に出現して、マッハ2の超音速と、1万6000メートルまで一分と云う上昇力を持って居た事は、当時の水準から云って驚くべきことで、その意欲は高く評価されて好い。


 

 


 未亡人製造機と呼ばれ

 NATO向けG型のうち、西ドイツに配備されていた機体がしばしば事故を起こし、大問題に為った。

 「F104Gは欠陥機だ。西ドイツのパイロットの腕が悪いのでは無い!」
 「何者かによって、西ドイツのF104に爆破装置が仕掛けられているのではないか?」


 等の噂が頻りに乱れ飛び、F104の飛行が禁止に為ったり、パイロットが搭乗を拒否したりする騒ぎになった。又、事故死したパイロットの未亡人達は「スターファイター・ウィドー」を結成して、西ドイツ空軍当局に押しかけデモを繰返した。
 いかにもF104が、トラブルを起し易い、安全性の低い機体の様に思われて居るが、事故の原因として次のように考えられる。

 ・先ず、西ドイツ空軍のパイロットが天候の安定しているアメリカ本土で訓練を受けている。その為、曇天の多いヨーロッパで飛行する場合、荒天に対する処置が好く無いこと。
 ・更に、低空飛行の対地攻撃等の戦術支援用戦闘攻撃傚として使用して居て、この為低空で失速し易いこと。この二つの要因で事故が多発したと見ることが出来る。

 「着陸速度が速いし翼面積が小さいから、外から見ると危険な様に見えるのだろうが、操縦がし易く不安は感じ無い」

 と、日本の航空自衛隊のF104パイロットは言っている。


 


 


  5  グラマンに逆転勝ちしたF104J 


    4-6-2.jpg Grumman F-11 Tiger


 1958年(昭和33年)4月5日、国防会議は、グラマンF11F1F「スーパータイガー」を航空自衛隊のFXとして採用することに内定した。


 



 
 ノースアメリカンF86F「セイバー」ジェット戦闘機の旧式化に伴い、二次防における次期主力戦闘機の選定に迫まられたのだ。FXの候補機として数機種上がったが、結局、アメリカのロッキードF104とグラマンF11F1Fの二機種に絞られた。
 そこで数百億円の取引きを巡って、ロッキード社とグラマン社、及びその代理店の間に激しい駆け引き合戦が行われ、黒い霧が立ち込めた。これが防衛庁や国会にも及んで、グラマンを推す者、ロッキードを推す者が、互いに非国民呼ばわりする迄発展した。

 そうした挙句、翌34年6月15日、グラマン採用決定が白紙に戻され、再び当時の源田実空将(元参議院議員)を団長とするFX機種選定調査団がアメリカに渡った。
 この間、両社が日本の関係者にいかなる策動をしたか、明らかにされて居ないが、矢張り今日、尾を挽くだけのナニかがあったと見て好いと思う。

 帰国した源田調査団長は、

 「両機を比較した場合、緊急発進及び上昇力、スピードの諸点でF104が勝る。F11F1Fは確かに運動性は良好で航続距離も長いが、その他の点で劣り、更に日本向けは未だ原型だけで、テストの余地が残されているのが弱い」

 と述べた。その結果、国防会議は、航空自衛隊戦闘機にロッキードF104の採用を逆転決定したのであった。確かに源田氏の言った様に、F104のスピードと上昇力は、日本の防衛において不可欠の要素であり、グラマンF11F1Fのスピードと加速ではヤヤ物足り無かったであろう。
 この様ないきさつで決定されたF104が、日本向けのF104J型である。その後、ロッキード社はF104の一部での不人気を挽回し、もう一度自由陣営の各国へ売り込もうと企てた。


       4-5-10.jpg L1200(F204)「ランサー」


 そこで、F104の中翼を肩翼にして、翼面積も1.5倍に増やし、エンジンをアフターバーナー付で推力1万1340キロに強化したF104の発展改良型を自主開発した。これがL1200(F204)「ランサー」であり、最大時速はマッハ2.4を超えると言われている。
 なお、宇宙開発の実験にもロッキードF104が使用された。F104に推力2720キロのロケット・ブースターを装備して、3万570メートルの高空へ急上昇して滑空する。この時パイロットは一分間の無重力状態を経験出来る。同時に、機首と翼端から過酸化水素を噴射して、大気圏外での操縦訓練も行える。これに使用したF104は、ロッキードNF104と呼ばれた。


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         NF-104A STARFIGHTER(スターファイター)



  以上



  ありがとうございました。又、新たな資料が発見されたら又掲載します・・・


 スポンサーの皆様です・・・

 



 



 



 

I love F104 その1




 ハート(トランプ) I love F104 ハート(トランプ)
 その1


        4-5-7.jpg

             Lockheed F-104 Starfighter



 皆さまはご存知でしょうか?ロッキードF104 スターファイターを。キャッチコピーを〈最後の有人戦闘機〉と呼ばれた異色の戦闘機です。このF104に関する懐かしいお話を色々お伝えします。







 朝鮮戦争のミグショックから生まれたF-104スターファイター より引用します


 ロッキードF-104スターファイター(就役1954-1975)は1950〜60年代に一世を風靡したアメリカ空軍センチュリーシリーズ戦闘機の一つで、ロッキード社の鬼才クラレンスのケリー・ジョンソンが開発にあたりました。
 F-104はセンチュリーシリーズの他の機体に比べて格段に小型・軽量に設計されています。例えばF-101の全幅12.09m、全長20.55m、F-102の全幅11.61m、全長20.55mに比べ、F-104は全幅6.62m、全長16.66mしかありません。大型・重装備を特徴としていたアメリカ軍戦闘機にあって、F-104は異色の戦闘機と言えます。これは、朝鮮戦争(1950〜1953)におけるミグ・ショックが大きく影響を及ぼしています。

 1950年6月25日に朝鮮戦争が始まり、当初は真面な空軍を持た無い北朝鮮に対して安々と制空権を得ていたアメリカを始めとする国連軍でしたが、中国経由でソ連が介入して来ることと為り、1950年11月朝鮮半島北部上空に突如としてソ連の高性能新型戦闘機のMiG-15が出現します。
 ドイツから収奪した後退翼技術とイギリスから入手したジェットエンジンの先進技術を絶妙なバランスを持って融合させたMiG-15は、速度や上昇力と云った運動性能・整備性・武装等、殆どあらゆる面でアメリカを中心とする国連軍の戦闘機を凌駕しており、安々と確保していた制空権は一気に危機的状態に陥ります。

 この危機は、同じくドイツから収奪した後退翼技術により開発したアメリカのF-86セイバーを配備し、激闘の末、何とか乗り切る事が出来ました。しかし、辛くも勝利出来たのはパイロットの技量や装備、射撃管制装置等に頼った部分が多く、機体そのものの性能をみるとMiG-15はF-86を上回っていました。
 MiG-15とF-86セイバーをみると、機首に配備された空気取入口(インテイク)・後退翼、そしてホボ同じ推力を持つエンジン等、好く似ています。それでもMiG-15がF-86を上回る高性能を発揮して居たのは、その軽量に大きな原因があると言われます。


  




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    ソ連(中国)のMiG-15(前)と米軍のF-86。写真:Classic Jet Aircraft Association


 




 MiG-15は空虚重量3,582kg、F-86は5,046kgあり、MiG-15はF-86に比べて約30%軽量な機体と為っており、この差が決定的な運動性能の差と為って現れていると考えられました。
 F-104の開発にあたりミグ・ショックの克服を目指したアメリカは、技術者を現地朝鮮に送り調査を行います。その結果、無駄を省いてシンプルに取り扱える基本性能の高い戦闘機が必要との結論に至り、小型・軽量のF-104が開発されることと為りました。

 試作1号機は1954年3月に初飛行し、最初はアフターバーナー未装備のXJ-65-B-3エンジンであった為水平飛行では音速を超えることはありませんでした。7月に為ってアフターバーナー着きのJ65-W-7エンジンに換装してマッハ1.51を記録、その後試作2号機がマッハ1.79を達成しています。
 無駄をそぎ落とした小型・軽量の機体は、概ね期待された高速性能を発揮したものの、アメリカ軍は矢張り重装備志向であった様で、F-104の採用は少数かつ短期間に留まります。しかし、全体の生産数は2,578機と多く、これは日本や西ドイツ・イタリア・台湾等アメリカの同盟国や友好国等世界15か国もの国々に供与されたからです。


 




 西ドイツ向けに改良された戦闘爆撃機型のF-104Gは、ヨーロッパ各社でライセンス生産も行われ1,122機が生産されました。G型は各部を強化し垂直尾翼を拡大しフラップを改良しています。これ等の改良からは旋回性能の向上などが想像されます。
 そして、このG型を元に造られたのが航空自衛隊向けのF-104J/DJ型(DJは複座型)です。1962年から導入され、三菱重工のライセンス生産により178機が造られました。専守防衛を旨とする自衛隊機である為、爆撃能力は有して居らず専ら防空の為の迎撃能力に特化しています。愛称は栄光、又その形状から三菱鉛筆とも言われました。1995年に退役しています。

 




 それでは、次のレポートを参照します



  F104の虚像と実像 より引用します
 

 四発の大型プロペラ旅客機「コンステレーション」シリーズで、ダグラスのDCシリーズに切り込んだロッキードも、遂に四発大型ジェット旅客機の開発に遅れをとり、更に、ボーイング707の先見の明に服して、その開発を諦めた。
 しかしこれは、民間機の部門を一時中止したと云うだけであって、軍用機では次々と名機を送り出していたのである。詰まり、軍用機の開発と生産で追われていた為に、四発大型ジェット機の開発まで手が回らなかったと云う事である。


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            F-80C Shooting Star


 1  F86Dへの繋ぎ役F94A

 戦中から戦後に掛けての、ロッキード軍用機のピカ一は、何と言ってもP(F)80「シューテイングスター」だった。これを改造してRF80C「シューティングスター」写真偵察機が生まれた。これはF80C(戦後PからF=Fighter の頭文字に変えられた)の機首の武装を取り去って写真機を装備した偵察型である。
 更に、後席を設けて複座とし、練習機としたT33Aへ発達した。これは世界最初の本格的ジェット練習機で、操作が容易なのと射出座席などあらゆる装備が着いているので、実用機と殆ど差が無く、米空・海軍をはじめ世界各国で使われた。

 日本にも、航空自衛隊の主力ジェット練習機として60機供与され、川崎航空機で約210機が国産化されている。現在の航空自衛隊幹部のパイロッ卜出身者は、殆どこの機体のお世話に為っており、“ティー・サン・サン”(T33)に愛着を持っている。
 只、設計が古い為、最大時速は1000キロに満たず、又燃料消費量が大きくて航続力の少ないのが欠点であった。
 1949年にはF80を基礎として機首を伸ばし、そこヘレーダーを入れて、複座の全天候戦闘機としたF94Aが造られた。これは未だ適当な全天候戦闘機が無く、ノースアメリカンF86Dに代わるまでの繋ぎ役となった。朝鮮戦争にも多数出撃している。


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          ロッキードXF-90  World Weapon  


 

 


 エンジンが強化(推力3000キロ)され、最大時速は1030キロ、実用上昇限度1万4800メートルと好くなっている。F94B及びCも造られた。更に1949年6月には、浅い後退翼を持ったXF90戦闘機を初飛行させている。現在から見れば、F80とF104の中間的な設計であるが、出現当時は革新的戦闘機として騒がれた。
 しかし、未だ大出力のジェット・エンジンが無く、ウェスチングハウスJ46推力2700キロ2基とした処に難があり、最大時速も1200キロ前後だった為に不採用と為った。このエンジンを推力3140キロ二基に換装したXF90Aも試作されたが、矢張り採用され無かった。とは言え、このテスト結果が、後のF104に生かされたことは勿論である。


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         航空自衛隊のジェット練習機T33A「若鷹」 T33A

     ロッキードF80戦闘機を複座に改造したもので、世界最初の本格的ジェット練習機と為った




        f94.jpg ロッキードF94A

 ロッキードF94A :複座の全天候戦闘機でノースアメリカンF88Dに代わるまでの繋ぎ役だった



  




  2  夢の飛行機VTOLの挫折

 離着陸の滑走無しに、詰まり飛行場の全く要ら無いVTOL垂直上昇機は、飛行機が未だ夢だった時代から、レオナルド・ダ・ビンチのスケッチにも現れて居る様に盛んに研究されていた。しかしこれが容易で無い事は、飛行機の歴史が証明する通りで、ヘリコプターとして実現したのが40年足らず前だった。
 その後、ヘリコプターは順調な発達を遂げて行ったが、回転翼によら無い型式・・・推力の変向、主翼取付け角の転換で垂直に上昇するタイプは、多くの試作機が造られたにも関わらず殆ど成功していない。 

 只一つ、イギリスのポーカー・シドレー「ハリヤー」が、推力変向式ジェット・エンジンを用いて、垂直上昇戦闘機を完成し実用化しただけである。矢張り、何トンもある機体を回転翼を用いずに垂直上昇させ、垂直降下させることの難しさは並大抵のことでは無く、ジェット・エンジンの推力を巧みに利用することによって初めて可能に為った。
 
 そうは言っても、戦中から戦後に掛けて飛行機そのものをVTOL化させ、防空戦闘機として用いようとする試みはしばしば行われた。離着陸に要する時間や、場所を全く必要としない利点は、堪らない魅力があったからである。
 その一環として、アメリカ海軍では1950年頃から、各メーカーにその可能性を打診しテスト機を作らせようとした。これに応じたのが、他ならぬロッキード社とコンベア社で、両社とも二重反転式の大直径プロペラを付けた飛行機を上向きに垂直に立てて、大きな十字型の尾翼で支えるようにした。

 只、ロッキード社のXFV1が主翼を普通の先細翼としたのに対し、コンベア社のXFY1は三角翼を採用したので、支えは主翼と上下二枚の垂直尾翼であった。しかし両機とも、何のことは無いヘリコプターの変形で、二重反転にしてトルクを消した大直径のプロペラを、回転翼代わりとしただけの話である。

 XFY1の方は、一応、垂直離着陸とその後の水平飛行に成功したが、いかにも操作が難しくベテランのテスト・パイロットにして初めて可能だったと云う。
 ロッキードのXFV1は、1954年3月からテスト・パイロットのハーマン・サルモンによって、エドワーズ空軍基地でテストされたが「上昇、降下のエンジンの調節が困難だし、パワー不足ではどうしようも無い」と言って、サジを投げた。VTOL戦闘機開発中の涙ぐましい一コマだが、結局はこれ以上は無理とわかり開発は中止された。


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  実用化した唯一の垂直上昇戦闘機、イギリスのポーカー・シドレー「ハリヤー」


 それでは つづきを その2に 要約F104の開発が始まります



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2019年04月04日

釜山で1年暮らした記者が考えた・・・日韓関係どうなる?




 【管理人より】


 私は、その道の専門家と称する評論家の分析や提言以上に、何事の思い込みや前提を持たず、生(なま)で得た実際の経験に基づいた色々な想いを共有することの方が大切だと考えています。今回、ネット上でこの記事が目に留まり、早速ご紹介したい。短い文章なので〈旅行記〉の積りで楽しんで頂きたい・・・



 日韓関係どうなる?釜山で1年暮らした記者が考えた



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          韓国の高校生と一緒に〈ちぢみ〉作りを楽しむ記者







 西日本新聞 4/4(木) 11:43配信  より引用します


 1965年の国交正常化以来「最悪」と言われる日韓関係。元徴用工訴訟では韓国の最高裁が日本企業に賠償を命じ、レーダー照射問題等で感情の溝も広がった。一方で、両国の往来者数は20年前の4倍に当たる1千万人を超えた。
 韓国市民の目に、今の日韓関係とその未来はどう映っているのか。1年間、釜山市で暮らし、時に意見や疑問をぶつけながら考えた。


 歴史問題は意外に冷静

 大通りに面した幅2メートル程の歩道を人が埋め尽くす。釜山市の日本総領事館前で、徴用工像を設置しようとする市民団体とそれを阻止する警官隊が一歩も引かずに対峙(たいじ)する。釜山に着任した昨春から何度も目にした光景だ。

 「日本は謝罪しろ!」「警察は道を空けろ!」

 市民団体はシュプレヒコールを繰り返し、水風船を総領事館に投げた。現場ではしばしば唯一の日本メディアだったこともあり、自分が批判されて居る様な感覚に陥った。
 地元紙・釜山日報の記者に打ち明けると「でも日常生活でアナタに嫌がらせをする人はいないでしょ?」と慰められた。確かに釜山の人々に助けられることはあっても、日本人だからといって非難されたことは無い。

 20年前に韓国人との結婚を機に釜山に移り住んだ日本人女性(49)は、

 「昔は人が多い場所で日本語を話すこともはばかられた」

 と振り返る。当時の韓国は、日本の映画や歌等が解禁され始めた頃。今では書店のベストセラーの棚に日本人作家の翻訳本が並び、街には日本料理店が溢れる。反日感情は時と共に薄れつつあるのだろうか。

 「正直、歴史問題には関心が無いんです。それよりも僕達の世代は国に対する不満が大きい」


 



 釜山市内の病院に勤務する高薫基(コフンギ)さん(31)はコボした。徴兵制の負担は重いのに、若者の失業率は昨年まで2年連続で9%前後と高い。不動産価格も高騰し、上の世代よりも将来の見通しは厳しい。こうした世相を反映して日本で就職を目指す若者も増えている。
 昨年度、約100人の卒業生が日本に就職した釜山外国語大の鄭起永(チョンギヨン)総長によると、日本語学科の学生の内、親が日本での就職に反対するのは1割程だと云う。

 「日本批判の政治家の発言には意図があることを見抜き、政府間の関係悪化に左右されず、合理的に考える人が増えたのではないか」

 と分析する。


 




 見え無い「反日」根強く

 日常生活では見え辛い「反日感情」だが、この数年で慰安婦問題を象徴する少女像の設置は韓国内で100体を超え、その多くは寄付金で建てられた。

 「今は歴史に無関心な若者が多過ぎる。日本が我々の文化を奪い、植民地にした事実と、それに対する恨みは消えていない」

 自営業男性(42)は活動に理解を示す。釜山大4年の黄石済(ファンソクチェ)さん(27)は、

 「日本の首相が元慰安婦のお婆さんに直接謝罪しない限り、被害者の名誉は回復しない」

 と考える。学校の授業で歴史問題に関心を持ち、元慰安婦から〈最後まで一緒に闘って欲しい〉と手を握られた。卒業後は少女像を設置した市民団体のメンバーに為る積りだ。そんな黄さんを団体は〈未来世代の主人公だ〉と称賛する。
 過去には日本の首相が〈お詫びの手紙〉を元慰安婦への償(つぐな)い金に添え、村山談話では植民地支配と侵略の歴史を謝罪した。それでも黄さんは〈お婆さん達は謝罪を受けた覚えは無いと訴えている〉と言う。

 「安倍首相は憲法を改正して、再び戦争が出来る国にしようとしている。過去の反省すら否定して居る様に見えるんです」

 日本の政治への高い関心と共に、一度謝れば〈水に流す〉のが美徳とされる日本の文化や考え方との違いを私は感じた。


 




 「揺るが無い人」に希望

 市民団体の行動は時に過激に為る。警官隊と揉み合いに為る事も多い。抗議集会の側を通り掛かった釜山市の会社員男性(32)に、市民の対日感情も悪化しているのかと問うと、首を振ってこう説明して呉れた。

 「韓国では過つて軍事政権による弾圧が続いた。市民団体は声高に叫ば無いと注目され無かったので、そのやり方を踏襲して居るのではないか?」

 集会の回数は増えても集まる顔触(かおぶれ)に大きな変化は無い。人数が急増している訳でも無い。日本統治時代に小学時代を過ごした80代男性は、市民団体への苦々しい思いを明かす。

 「日本人も70代以上は韓国に対してスマナイと云う思いを持つ人は多い。なのに何十年も前のことを引っ張り出して、子や孫の世代を苦しめて何に為るのか?」

 だが、その思いを公にすることは無いと云う。

 「言えば問題に為るだけ。関わら無いのが一番好い」

 韓国では今年、日本の統治に抵抗した「三・一独立運動」から100周年を迎えた。植民地時代に日本に協力した人物の責任を追及する動きが活発だ。関係改善を望む人達も、声を上げ難い空気が漂う。日本語教師の李(イ)セボムさん(35)は人々の気持ちをこう代弁する。

 「今は日本について悪い情報を見聞きしても、直接日本に行ったり、インターネットで内容を確かめたり出来る。最悪と言われる韓日関係も冷静に見ている人が実は多いんです」



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           昆雅之さん


 釜山の魅力を動画で伝え、日本の視聴者と韓国人の交流会を開いて来た釜山在住の日本人の昆雅之さん(45)も揺らが無い。

 「日韓の間に、一緒に食事が出来る人間関係を少しでも増やしたい。人として向き合えば、相手への思いやりも生まれるでしょう」

 関係悪化を直ぐに解決する妙案は無い。でも希望はあると確信している。

 西日本新聞社


 





 【管理人のひとこと】


 そうなのです・・・この様にナチュラルな心で、実際にその人の顔を見て坦懐(たんかい)に言葉を聞く・・・そして、感じたものをストレートに報道することこそが人の心に届くのです。私達の様に過去の歴史に囚われず、現実の状況をそのまま受け取り未来を思考する。
 敢えて、何らかの意思の元に現状を替え様とはせず、そのまま受け止める心の広さと深さも必要なのです。怒る当事者の心に沿い、黙って聞き届ける。徒に反論せずに真摯に聞く態度が相手の警戒心を解き胸の閊(つか)えも少しは薄らぐのです。

 



 彼等も、何時までも過去の歴史の遺恨(いこん)を持ち出し、現在の日本の人達に罵声を浴びせることが、現在の韓国人に対してもどれ程の利益に為るのか・・・そう思いながらも、何らかの行動せずには居られ無いものが在るのでしょう。
 それに対して「反韓」「嫌韓」で応酬するのは大人気無いと気付くべきです。彼等の胸が収まるまで、こちらは聞き続けるのが礼儀であり唯一の解決方法だと諦めるしか無いのです。過去の歴史の加害者としての幾ばくかの心が在ればですが・・・歴史とはそう云うものです。

 「俺達には私達には関係無い!」と言ったら通る問題でも無く「嫌、俺達・私達の責任だ!」とも言い切れ無い・・・歴史とはそう云うものです。国家の犯した罪は未来永劫に続くのであり、それを負って生きて行く宿命を背負っている。それが責任ある人間の姿だとするべきなのでしょう。

 例えば、アメリカが落とした原爆の問題ですが、日本人としては「既に勝敗は決まっているのに、民間人を狙った原爆投下は人間として許せ無い」と云う考えがあります。逆にアメリカの多くの人は「戦争を早く終わらせ、双方の犠牲者を極力少なくするには、最善の方法だった」とする考えもあります。
 確かに、連合軍が上陸し一斉に日本を攻撃すると、当時の日本人(婦人・老人・子供達も含めて)は挙って戦い、その犠牲者は民間人だけでも天文学的数字に跳ね上がるでしょう。両方に言い分はあるのです。何れ戦争は、仕掛けた側も仕掛けられた側も共に不幸から逃れず多くの遺恨を残すだけで、戦争したことが自体が悪なのです。

 歴史を大切にする・・・かと言ってイスラエルの様に、紀元前の話を持ち出し、昔、我々が住んでいた地であるからと、現に住むアラブ人を追い出して国を建設する・・・と云う様なものまで肯定する必要はありません。縄文時代に住んでいた人達(民族)が、その後世界各地に散り散りに住み「何時かは日本の地に新たな国家を作る」と言われても困るのですから・・・



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2019年04月03日

安倍氏の憲法改正に弾みが? 自衛隊は戦力で無いのかの矛盾



 安倍氏の憲法改正に弾みが? 自衛隊は戦力で無いのかの矛盾!




 護衛艦の英訳はデストロイヤー(駆逐艦) 世界有数の〈軍隊〉を隠そうとして起きる矛盾


 




 BUSINESS INSIDER JAPAN 高橋 浩祐氏 4/2(火) 12:10配信  より引用してます


         
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          護衛艦「しらぬい」が海自大湊基地に配備


 毎年3月は、海上自衛隊の新たな護衛艦や潜水艦が就役することが多い。年度末に合わせての竣工は一般の建設建築の現場でも多いので不思議なことでは無い。
 2019年も三菱重工業長崎造船所で新造された護衛艦「しらぬい」が海自大湊基地に配備された。同時に、低振動で静粛性に優れ世界有数の高性能を誇る「そうりゅう型潜水艦」の10番艦「しょうりゅう」も3月、川崎重工業神戸工場で建造され海自呉基地に配備された。

 海自はこれで護衛艦48隻・潜水艦19隻の体制を整えたことに為る。2018年12月に閣議決定された新たな防衛大綱に基づき、防衛省はこれを護衛艦54隻・潜水艦22隻に増やす事にしている。


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          日本の潜水艦「そうりゅう型」 


 サテ、ここまでは本稿の前置きである。日本語で書けば何も問題は無い。しかし、イギリスの国際軍事専門誌ジェーンズ・ディフェンス・ウィークリー(JDW)の東京特派員としての筆者がこうした記事を英語で書く時には厄介なことが起きる。
 ジャーナリストは普段は取材や記事執筆の裏側を明かさ無いものだが、今回はこうして書く機会を得られたので、思う処を記したい。日本の防衛や安全保障、更には憲法の在り方を幅広く考えるヒントに為ると思うからだ。


 




 ユルク使い過ぎている「護衛艦」


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            護衛艦「いずも」ヘリコプター空母


 先ず1つ目の問題として、日本は「護衛艦」と云う言葉を余りにユルク使い過ぎて居ることだ。海自は現在、保有する護衛艦の数を48隻とカウントしている。
 一方「ジェーン年鑑」で有名な、筆者が所属するジェーンズでは、日本はヘリコプター空母4隻・駆逐艦38隻・フリゲート6隻とキッチリ分類している。

 ジェーンズが発行する「Jane's Fighting Ships」は世界の海軍の国際基準に為って居る。そのジェーンズから見れば「ひゅうが」や「いずも」と云ったヘリコプター空母も、「ちょうかい」や「あしがら」と云ったイージス駆逐艦も、「あぶくま」と云ったフリゲートも、 海自は全て「護衛艦」と呼んでしまっている。
 本来は大雑把に護衛艦48隻と言わずに、他国の海軍と同様に、ヘリ空母4隻・駆逐艦38隻・フリゲート6隻と個別に分類すれば好いだけの話だ。

 ちなみに、空母とは本来の「航空母艦」の名称の通り、海上での航空基地として多数の軍用機を搭載し、それを離着させられるだけの全通甲板型の飛行甲板や格納庫等を備えた艦のことを指す。その上でジェーンズでは、日本の「いずも」「かが」「ひゅうが」「いせ」の4隻は、自衛の為の機関砲やミサイルしか搭載せず、主としてヘリコプター運用の為の軍艦とみなし「ヘリ空母」に分類している。
 駆逐艦とは、水上戦闘艦の1つに分類される。巡洋艦より小型の快速艦で、砲や魚雷等を主要兵器とし、敵の主力艦や潜水艦、航空機を撃破するのを任務とするが、偵察から船団護衛まで用途は多い。
 フリゲートは、イギリスやカナダでは駆逐艦より小さく、速度性能の高い護衛(エスコート)用の軍艦を指して来たが、アメリカでは駆逐艦以上の大きさに為っており、定義が各国の海軍で異なっている。

 何故日本は全て護衛艦と呼ぶのか。日本は憲法9条で「軍隊」を持たず、必要最小限度を超える「戦力」を持て無い事に為って居るから、ヘリ空母でも駆逐艦でも何でも「護衛艦」と云うマイルドな表現でひとまとめにしている。
 憲法で軍隊として認められていない自衛隊が、戦前の空母や駆逐艦と云った日本海軍を想起させる様な呼称が使えず、護衛艦と云う呼称を独自の定義で編み出して使って来た為にこの様な事態に陥っている。


 




 英語では全てデストロイヤー

 百歩譲って、ここ迄は国内事情で理由が判る。しかし、より大きな2つ目の問題は、海自がそれ等48隻の「護衛艦」を全て、英語の表記では、諸外国の海軍の「駆逐艦」に当たる「Destroyer」に分類して居る事だ。

 具体的には、海自は48隻の護衛艦に以下の艦種記号を付けて分類している。

 ・DD (Destroyer護衛艦
 ・DDH (Helicopter Destroyerヘリコプター搭載護衛艦
 ・DDG (Guided Missile Destroyerミサイル護衛艦
 ・DE (Destroyer Escort護衛駆逐艦)だ。

 この為、日本の護衛艦48隻は全てDestroyerに仕分けされている。そのdestroyerの本来の英語の意味は、飽くまで「駆逐艦」だ。日本国内では「護衛艦」と云うソフトな語感で呼んで居ても、英語に為ればdestroyer、詰まり駆逐艦に為り、攻撃性の有無を巡る言葉の響きが内と外ではまるで違って来る。
 日本国内では「護衛艦」と云う防御的な言葉が使われていても、海外からすれば「デストロイヤー」と云う攻撃的な艦船と受け取られている。


 




 日本だけにしか通じ無い「言霊主義」

 何故海自は護衛艦をdestroyerに分類するのか。海上幕僚監部の広報担当者に聞くと、1960年に発令された「海上自衛隊の使用する船舶の区分等及び名称等を付与する標準を定める訓令」に基づき、そうした記号を付け区分していると云う。しかし、国際的にはヘリ空母やフリゲートとみなす艦船も、海自は全部、護衛艦にカウントして居る為、どうしても海外とは艦船の分類別の数が違って来てしまう。
 ジェーンズでは、「DD000」「DDG000」と云う艦種番号が付いている日本の護衛艦のみを駆逐艦とみなしている。そして「DDH000」と云う艦種番号が付いている護衛艦をヘリ空母、「DE000」と云う艦種番号が付いている小型で近海警備用の護衛艦をフリゲートと夫々分類して居る。

 前述の通り防衛大綱では、日本語では将来の「護衛艦」の整備規模数として54隻が目標に掲げられている。そして、その英語版では「護衛艦」の対訳として「Destroyers」が使われている。ロンドンにいるピーター・フェルステッドJDW編集長に防衛大綱の英語版を見せると、日本がdestroyer 54隻の整備を目指して居る事に大変驚いていた。
 何故なら、前述の通り現在のジェーンズのカウントではdestroyer(駆逐艦)38隻に留まって居るからだ。編集長は日本が近い将来、そんなにdestroyerを持てる訳ないではないか、防衛省は艦船の分類別カウントの仕方を間違って居ると思うので、是非問い合わせて呉れと指摘された。筆者は、その背景を説明するのに翌日未明迄時間が掛かった。一概に「護衛艦=destroyer」と呼び変えるのは対外的にも非常に良く無いのだ。

 実は軍事防衛問題を英語で書いていると、こうした日本だけにしか通じ無い「言霊主義」の問題に沢山直面して居る。

 




 自衛隊は既に世界有数の軍隊


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          垂直離着陸するF35


 そもそも、自衛隊と云う既に世界有数の軍隊を「軍隊」と認めていない可笑しさ。更には、必要最低限度を超える「戦力」を保持しないと言いつつ、今では世界最新鋭のステルス戦闘機F35を147機も取得しようとしている矛盾。
「戦力」を保持しないと言いながら、最近では、戦闘機に搭載して敵の射程圏外から艦艇を攻撃出来る長距離巡航ミサイルを開発する方針さえも示した。更には、今回指摘した様に、護衛艦と云う日本にしか通じ無い定義の言葉を使い、それを自己理由で対外的には英語で全部destroyerと呼ぶ自己矛盾と誤魔化し。

 因みに、憲法9条第2項は英文では以下の様に為って居る

 “land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.”  (陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない)

「war potential」の部分を日本語では「戦力」と訳して居るが、本来は、文字通りに訳せば「潜在的に戦争を遂行出来る能力」のことだ。「潜在的に戦争を遂行出来る能力」とは一体どの様なものだろうか。
 連合国総司令部(GHQ)内に設けられた憲法制定会議の運営委員会のメンバーだったチャールズ・L・ケーディス陸軍大佐によると「政府の造兵廠(ぞうへいしょう)或は他国に対し戦争を遂行する時に使用され得る軍需工場の為の施設」を指す。同大佐は「戦争放棄」の条文を起草したと言われている。

 war potentialが、かなり幅広い意味を有して居る事が判るだろう。詰まり「陸海空軍その他の戦力(war potential)はこれを保持しないと云うのであれば、厳密に言えば、事実上の陸海空軍である自衛隊の存在は勿論のこと、戦闘機や戦車を量産して来た三菱重工業も、装甲車を製造するコマツも「戦争を遂行する時に使用され得る軍需工場の為の施設」と云うwar potentialを持って居ることに為り、憲法違反の存在と為ってしまう。

 可笑しくは無いだろうか。三菱重工やコマツの様な日本一流の企業を憲法違反と読み取れてしまう様な条文があれば、本来なら改正するのが当然だろう。日本国憲法を英語でしか読め無い外国人は、特に日本の今の矛盾を感じている筈だ。


 




 世界第2位の海軍

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            海自P1哨戒機


 韓国海軍駆逐艦が海自のP1哨戒機に火器管制レーダーを照射したとされる問題では、海自隊員が「this is Japan navy(こちら日本海軍)」と名乗っている動画が公開され話題に為った。
 その言葉通り、アメリカに次ぐイージス艦6隻(就役済み)を保持する海自は、国際的にみれば、既に世界第2位の海軍だ。


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            解説 イージス・システム搭載護衛艦


 こうした矛盾は、筆者の様な軍事防衛の国際報道の現場では未だ良いものの、日本の国連平和維持活動の現場にも大きな支障をもたらして来ている。詳細は別の機会に記したいが、軍人にしか出来無い業務であるのに、自衛隊員を軍人扱い出来無いままで派遣して居ることで、現場の自衛隊員に危険をもたらしている。
 憲法9条は、キッチリと実態に合う様に改正しリセットをした方が好い。今の憲法9条は裸の王様に為って居る。このままでは、憲法9条が死文化・形骸化されて、益々蔑(ないがし)ろにされてしまう危険性がある。

 リーガルマインド(遵法精神)のある民主国家為らば、何時までも拡大解釈で軍拡をするより実態に合う様「国の最高法規」である憲法を改正し、キチンと自衛隊に対する歯止めを掛ける方が好ましい。自衛隊をキチンと軍隊と認めた上で、Negative list(遣ってはいけ無いことのリスト)を作った方が遥かに歯止めが掛かる。今は自衛隊を軍隊と認めていない為、他国の様にそうしたリストが作れ無い。

 振り返れば、戦前の大日本帝国では明治憲法の下、天皇が持つ軍の最高指揮権である統帥権について軍が拡大解釈して政治の介入を阻止・戦線を拡大させて行った。現在の日本ではシビリアンコントロールが十分に確立されては居るものの、防衛当局が次々と他国領土への攻撃能力を持ち、専守防衛の枠を超える様な「戦力強化」を行って居ることに不安を感じる国民は多い筈だ。

 済し崩し(なしくずし)では無く、真っ正面から憲法改正で臨まなければ禍根を残すだろう。 以上


 高橋 浩祐 国際ジャーナリスト 英国の軍事専門誌「ジェーンズ・ディフェンス・ウィークリー」東京特派員。ハフィントンポスト日本版編集長や日経CNBCコメンテーターを歴任。


 






 【管理人のひとこと】


 「済し崩し(なしくずし)では無く、真っ正面から憲法改正で臨まなければ禍根を残すだろう・・・」


 将(まさ)にその通りです。安倍氏の個人的・人間的欠点と至ら無さから、多くの人達が彼の勧める「憲法改正で自衛官の人達の法的向上を図りたい・・・」とする思いがストレートに国民には届か無い。その言葉の裏にキッと何か隠してるのでは?又別の悪巧みをして居るのだ・・・と疑心暗鬼から免(まぬが)れ無い。
 その感情が持たれるのは決して可笑しくは無いのです。何故なら、以前の安保関連法案の改正問題で、多くの疑問に真正面から答えず・答えられず、野党も徒(いたずら)に拡大解釈し追求せずには収まら無い、その様な醜態を犯してしまったのですから。


 




 この様な大切な問題を議論するには、もっと多くの時間を掛け、多くの人達が理解・納得出来る様に、丁寧に理路整然と回答出来る準備をすることが最低限必要でした。国民の多くが納得出来るだけの中身の研究もせず準備もせず、短期間で逃げ切ろうした。
 恐らく安倍氏や担当の閣僚・官僚自身にも確りとした理解が不足したまま強行突破した・・・モリカケ問題と同じ、安倍氏個人への不信感が一番の原因なのでしょう。アメリカからの強い要求があり、短時間に強引に進め無くては為ら無い事情があり、アノ様な荒っポクみっとも無い国会運営に為ったのです。でも、どうしてか選挙には強いのですネ、他に喧嘩相手も居ないからでしょうか?


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 それにしても、今回のレポートを読むと、世界から見た日本の持つ矛盾がハッキリと表に現れてしまい、それを見逃す様な事は出来なく為ります。
 海外に派遣された多くの自衛官達は、国際的に見ても非常に肩身の狭く、立場のアヤフヤな身分(軍隊・軍人として認められ無い中)で、生命を賭した活動を強いられたのです。詰まりは、自分達の生命は自分達の器量で守るしか無かった。団体として、国家からの何らかの法的保護も無い訳です。身を護る法律も団体としてでは無く、個人としての国内の刑事訴訟法で守られるだけです。

 矢張り、これは拙いことです。筆者の指摘した様に、現場活動のネガティブリストさえ作れない環境で、海外へと派遣するのは余りに無茶であり法的にも重大な人権を左右する問題です。この意味で、自衛隊の立場を法的に鮮明にしようとの「憲法改正」には賛成しない訳には行か無いでしょう。
 平和を希求する現憲法の下で、改憲を主張するのは〈平和を蔑(ないがし)ろにするのか?〉との厳しい追及もありナカナカ難しい問題ですが、既に日本の軍事力は確実に強大化されている。これは事実であり、それに対する強い歯止めが必要です。それには、憲法で自衛隊を認め、その法的対象として確りとした法律で縛ることが必要で、その為の憲法改正であれば多くの人達も納得すると思う。それが可能に為る訳ですから。


 




 憲法の陰に隠れた今までと異なり、確りとした法律の下で国民(国会)が監視し管理し監督する・・・国民の多くが心から応援出来る。
 自衛隊を、災害救助に便利に利用するだけで無く〈我が国を守る〉との崇高な任務を遂行する自衛官を管理するシビリアンコントロールも、ハッキリとした法律の下で確立される。コソコソとした、憲法解釈変更・拡大解釈を続けて来たのはソロソロ限界なのです。ここで終止符を打つべきでしょう。

 残念ながら現在の自民党では、安倍氏しか首班へと担ぎ上げる人が存在しないのでしょうが、安倍氏のママだと憲法改正は国民の多くが納得しないでしょう。でも、彼以外の人であれば意外とスンナリと国民投票での過半数もあり得るのではないか、岸田氏でも石破氏でも小泉氏でも・・・早いとこ交代して貰いたいのは私だけでしょうか?



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2019年04月01日

田原総一郎が語る 「30年続いた「平成」とはどんな時代だったのか ?」


 

 【管理人より】 

 31年目を迎え、今月一杯で平成が終わる。新たな時代「令和」を迎えることと為り、メディアでは夫々の企画で「平成とはどんな時代だったのか?」を総括した番組が連日報道されている。
 が、我等が政治評論家の田原総一郎氏の記事を目にしたのでご紹介する。記事は、2017年の12月のもので決して新しいものでは無いが、その結論や思考は少しも色褪せては居らず、今でもその指標は少しも外れては居ず時間的にも遅れてもいない。これから、日本が向かわなければ為らない目標を我々に問うている。


  

 30年続いた「平成」とはどんな時代だったのか?


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  田原 総一朗 2017年12月22日  から引用します


 




 2018年、日本は「ポスト・グローバリズム」に挑(いど)め!


 2018年は、実質的に平成最後の年に為る。およそ30年間続いた「平成」とはどんな時代だったのか、ここで振り返ってみたい。1989年に昭和天皇が崩御(ほうぎょ)され平成の時代が幕を開けた。奇(き)しくもこの1989年と云う年は、世界的にも実に様々な出来事が起こり大転換期にあったと言える。

 同年6月4日に、中国では天安門事件が起こり、11月9日にはドイツでベルリンの壁が崩壊した。ベルリンの壁崩壊を受けて、12月2日には米国のブッシュ大統領とソ連のゴルバチョフ書記長によるマルタ会談が行われ米ソ冷戦の終結を宣言した。日本では不動産バブルがピークに達し、1989年12月の日経平均株価は3万8957円を記録した。

 悔しい思い

 この年、僕には非常に悔しい思いをした出来事があった。当時、僕は「今の景気は泡の様なものだ。近い将来は完全に落ち込むだろう」と考えていた。日本の地価はうなぎ登りに上昇し〈日本を売れば、米国が買える〉と迄言われていた時代だ。こんなものは嘘っパチではないかと感じていたのだ。
 『日本の震撼(しんかん)』と云うテーマで、文藝春秋で記事を書くことにした。8カ所のシンクタンクを回りこの景気について専門家に尋ねた。どのシンクタンクも「今の状態は〈虚〉の景気では無い〈実〉の景気だ」と主張した。更には「今の状態を〈虚〉の景気だと言えば、貴方のジャーナリスト生命は危うく為りますよ」と云う言葉まで投げられた。

 それでも疑念は消え無かったが、僕は、最後の最後で「虚の景気」だと言い切れずに、曖昧な記事を書いてしまった。今でも残念に思う。その2年後に実際にバブルが崩壊した。
 100兆円規模の不良債権が発生し、日本は「失われた20年」に突入して行ったのである。日本は長期低迷が続き深刻なデフレに陥った。デフレから脱却する為に打ち出されたのが、安倍晋三首相の経済政策〈アベノミクス〉である。


 




 平成は、グローバリズムから始まった


 平成の時代を語る上で、もう一つの大きなキーワードは「グローバリズム」である。1980年代、米国のレーガン大統領と英国のサッチャー首相が、あらゆる規制を緩和する経済政策を打ち出した。所謂〈レーガノミクス〉〈サッチャリズム〉と呼ばれるものだ。
 当時の日本の首相であった中曽根康弘氏もそれに乗っかり、小さな政府・グローバル化・規制緩和等を盛り込んだ経済政策を推進した。〈新自由主義〉と呼ばれる政策である。


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 時を同じくして、1985年にソ連ではゴルバチョフ氏が最高指導者と為り〈ペレストロイカ(再構築)〉を提唱した。それ迄堅持していた一党独裁体制を止めると云う事である。これがソ連崩壊へと繋がって行く。
 ゴルバチョフの登場によって米国は「どうやらソ連は我々の敵では無い。敵は、日本ではないか?」と考え始めた。当時の日本は、米国に電化製品や自動車を中心とする多くの製品を輸出していて、米国の対日貿易赤字はドンドン膨らんで行った。所謂、日米貿易摩擦が深刻化して居た。
 米国は、日本に自由化を強く要求した。更には、対日貿易赤字が膨らむ原因は日本円が安過ぎるからだと主張し、1985年のプラザ合意で、先進国は協力して為替レートをドル安に進めることに合意した。


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             前川リポートの提出

 
 当時の大蔵大臣は竹下登氏である。この時、日本円は1ドル=240円台で推移していたが、プラザ合意の後はアッと云う間に150円台まで高騰した。更に米国は、日本の輸出を縮小させる為に「無理矢理でも内需を拡大しろ」と要求して来た。
 これにより、日本の産業構造や政策の在り方を示した「前川リポート」が公表される。内需の拡大や金融の自由化・国際通貨価値の安定等が盛り込まれた。こうして強力な内需拡大策が進められ、1980年代後半に掛けて空前のバブルが巻き起こったのである。


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 同時に中曽根首相が進めたのは自由化である。国鉄の民営化・電電公社の民営化・専売公社の民営化も行われた。これがグローバリズムの始まりである。ヒト・モノ・カネが国境を越えて世界市場で活動する巨大な潮流である。平成と云う時代は、将にグローバリズムから始まったと言えるだろう。


 




 欧米ではグローバリズムの歪みが無視出来無く為った


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 処が、グローバリズムの歪みは徐々に無視出来なく為って来た。象徴する出来事が、2016年11月の米大統領選挙でドナルド・トランプ氏が勝利したこと。或は2017年6月の英国EU離脱(ブレグジット)である。
 詳しくは、本コラム「米国の問題は製造業と金融業の内部対立だ 」でも述べたが、グローバル化が進んだことで、米国企業は生産拠点をメキシコやアジアの国々へ次々と移して行った。その結果、デトロイトを初めとする旧工業地帯では失業者が溢れ返ってしまった。特に白人労働者の失業が急増し「米国第一主義」を唱えるトランプ氏の支持層に為ったのである。
 米国では、グローバリズムによってウォールストリートを中心に富裕層が増えた。こうして、貧富の格差が拡大したこともトランプ氏の支持を強めた一因と為った。国内の労働者の間では不満が高まり「反エスタブリッシュメント」の勢いが増して行った。こうして米国は「分断」されてしまったのである。


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           フランスとドイツの仲直り


 EU各国でも同様の流れがあった。過つて欧州は、過去二度の大戦で全土が戦場に為ったことで、二度と同じ過ちは繰り返さ無いと云う「不戦の誓い」を立てた。こうして欧州を一つにしようとしてEUが誕生した。これは理想の形だった。EU圏内の他国間の移動は自由、貿易も関税無しで自由に出来、通貨も統一された。処が、そこにも歪みが生じ始める。
 1991年にソ連が解体すると、貧しい東欧諸国から沢山の人々が職を求め、欧州の豊かな国々へと流入した。更には、イスラム国(IS)の問題で空爆されたシリア等から数百万の難民が押し寄せて来た。こうして、英国では国民が仕事を奪われる形に為り、国内の反発が強まったのである。

 更にEUには、域内の貧しい国を豊かな国が助けると云うシステムがある。英国は助ける側だから、国民がその為にお金を負担し無ければなら無い。すると「何で、自分達は仕事を奪われ、しかも金まで出さ無ければならないのか」と云う不満が高まって行った。これが英国のEU離脱の原因である。
 米国や英国だけでは無い。フランス・オランダ・ドイツ、多くの国で極右政党が勢いを増した。来年(2019年)前半にはイタリアで総選挙が行われるが、右派が躍進する可能性がある。


 




 日本こそ、各国協調の要(かなめ)に為るべきだ


 欧米でグローバリズムの歪みによる嵐が吹き荒れる中、日本だけが安定している。安倍自民党は、過去5回の選挙で何れも大勝している。与党が勝ち続ける国なんて、世界を見回しても今は日本しか無い。理由は幾つかある。

 一つ目は、日本は東洋の島国なので、移民や難民の問題に直面していないこと。
 二つ目は、国内の格差がそれ程大きく無いと云う事だ。日本は大企業の経営者でも年収は精々数億円程度である。一方、米国の経営者の年収は数十億円と桁違いに多い。欧州でも日本の5〜6倍はある。
 三つ目は、最も大きな問題だ。日本の政党は、経済政策と云う点では与野党全てがリベラルなのである。

 基本的に自民党は保守と云う立場を取っているが、経済政策で言えば相当リベラルである。(詳しくは、本コラム「消費税の引き上げなんてどうでも好い事だ 」参照)バラマキの様なリベラル的政策を続けて来た事で、日本の借金は1000兆円を超える規模にまで膨らんでしまった。更に問題なのは、自民党のみならず野党も全部リベラルだと云う事だ。
 過つて民主党が政権を取った時「民主党は自民党とは全く違う政治をやる」と主張して居たものの、中身は殆ど変わら無かった。一つ差があると言えば、自民党の方が経験豊富である分、政権運営が上手い。違いはそれだけである。
 
 四つ目の要因は、野党が非常に弱いと云う事だ。野党は何処もアベノミクス批判を繰り返すが、全く対案が出て来ない。日本国民は、アベノミクスに賛成して居る訳では無いが、野党から真面な対案が出ないから、消極的選択として自民党に票を投じているのである。 
 五つ目は、自民党内の政治家達が皆、安倍首相のイエスマンに為ってしまったことである。本コラム「“茶坊主”ばかりの自民党が崩壊するシナリオ 」でも述べたが、中選挙区制の時代は自民党内に主流派・反主流派・非主流派があり、活発な議論が行われていた。処が、小選挙区制に変わってしまったことで、反主流派も非主流派も無くなってしまった。
 一つの選挙区から1人だけが当選すると云う小選挙区制では、執行部の推薦が無ければ自民党から立候補出来ない。すると、主流派の議員だけが当選する様に成ってしまう。結果的に、自民党内の殆どが安倍首相のイエスマンに為ってしまうと云う構図である。


 




 僕が期待している政治家は3人

 僕は過つて、石破茂氏と谷垣禎一氏に「中選挙区制に戻すべきだ」と話したことがある。すると石破氏は「仰(おっしゃ)る通りだが、中選挙区制には反対だ。何故ならば、中選挙区制では一人当たり1億円以上のコストが掛かるからだ」と言った。
 昔は、政治家のスキャンダルと言えば〈金権スキャンダル〉だった。しかし今はそんな話は殆ど聞か無くなった。選挙にお金が掛から無く為ったのである。だから、今騒がれているのは〈不倫スキャンダル〉ばかりなのである。
 選挙にお金が掛から無く為ったことは悪いことでは無いが、その分、自民党の中で論争が起こら無く為ってしまった。首相に「NO」と言える政治家が殆ど居なくなってしまったのである。

 只僕は、石破茂氏・小泉進次カ氏・河野太郎氏には期待を抱いている。彼等は言いたいことを言える人物だ。孤立を恐れて居ない。選挙で圧倒的に強いと云う理由もあるのだろう。

 この様に様々な問題を孕んでいるものの、日本の政権は安定している。経済も雇用も安定している。欧米の様に反グローバリズムの嵐は起こっていない。
 世界の主要国が〈反グローバリズム〉〈自国ファースト主義〉に傾いて行けば世界経済は停滞する。外交にも悪影響が出るだろう。だからこそ、政治が安定している日本こそがグローバリズムへの不信感を払拭(ふっしょく)する為に行動しなければならないと僕は思う。

 各国が再び協調する為に、日本に何が出来るのか。2018年は「ポスト・グローバリズム」が一つの大きなテーマに為るのではないかと思う。

 以上


 




 
 【管理人のひとこと】


 田原氏の言葉は、何時も迷いが無く明快だ。そして、彼が一つの主張を形作る為に、限りない取材と研究を続け、確固たる裏付けをしてから発表する。だから、中途半端な批判には鋭く反論する。
 その姿は、まるで武士が頭に鉢巻を固く結び、上半身をタスキ掛けして用意万端な準備を済ませ、手入れの行き届いた愛刀を腰に指し、草鞋(わらじ)を固く結んで決闘へと出掛ける・・・その姿を彷彿(ほうふつ)とさせる。この様な男でありたいと、誰もが思う好骨漢だ。
 時には取材目的とズレたり、自分の思惑と違う結末だってあるだろうが、失敗は失敗と認め決して言い訳はしない。この様な政治評論家が二度と現れるだろうか?

 サテ、確かに田原氏が指摘したような現状分析は、今現在も余り変化してない。少し付け加えるなら、米朝会談があり一・二度の対談を経て〈話の場〉は出来たものの、物別れに終わり、これと云った進捗(しんちょく)は無い。北朝鮮は相変わらず核を捨て切れず、取引のレートを探しているが、次はどちらがボールを投げるのか、固唾を飲んで見守っている状況だ。
 そして、イギリスのEU離脱も、イギリス政府の離脱案が国会の反対に遭い、メイ首相の辞任で多数を得ようとしてもナカナカ承認されず、もう一度の国民投票を要求する議員も出て先行きが案じられる。グローバル化の先がこの様な事態へ進むとは、上手く行かないものだ。


 




 「世界の主要国が〈反グローバリズム〉〈自国ファースト主義〉に傾いて行けば世界経済は停滞し外交にも悪影響が出る。だからこそ、政治が安定している日本こそがグローバリズムへの不信感を払拭(ふっしょく)する為に行動する。各国が再び協調する為に日本に何が出来るのか。2018年は〈ポスト・グローバリズム〉が一つの大きなテーマに為るのではないかと思う」

 詰まり彼は、日本が何を為すべきなのかをハッキリ指摘している。世界経済を円滑に動かすには、究極には自由貿易が推進されることだ。国内の事情を考慮し関税で守ろうとしても、作られた泥の壁は何れは溶けて消えてしまう運命だ。トランプ氏が強行して作るメキシコ国境との壁も、何れは無用の長物と為るのは、中国の万里の長城のごとくである。

 ポスト・グローバリズム・・・グローバリズムの弊害である、行き過ぎた新自由主義・金融至上主義・富の一極集中・情報の超巨大私企業での独占・・・等を根絶する強い権限を持った、国際管理監視執行機構の設置が必要ではなかろうか?折角の先端技術の利便性の独占を禁止し、世界共通の財産として世界人類で共有する構想だ。
 例えばコンピューターのOSをフリーにしたり、AI技術の国際的開発等だが、一国・一企業が独占出来ぬ様にする。言わば戦後の日本の財閥解体の様なショック療法が必要だ。これには、国際的な独占管理禁止機構が必要だろう。(各国には夫々あるだろうが、その上部の監督・監視・是正・執行権を持つ強力な機構だ)


 




 これには、アメリカ・中国を初めイノベーション開発に努力し名を挙げた人々への対価が必要と為る。素晴らしい開発には諸手を挙げて素晴らしい対価を払うが、その利便性(果実)は全世界が味わうことが肝要なのである。その交通整理する機関としての世界的な国際管理監視執行機構だ。IAEA(国際原子力機関)のITイノベーション版である。
 アマゾン・グーグル・フェイスブック・アップル等、世界的なIT寡占超巨大企業の強制解体を視野に入れた国際ルールの作成が先ず第一歩のルール作りだ。資本・売り上げ・従業員数の何れでも好いのだが、私企業(中国の国営企業)が最大どれだけ膨れ上がるのかの基準を設け、寡占状態の監視・監督・解体の強制等の強い権限を持つ。何処まで許されるのか、その許容範囲は何処までなのか・・・独占の状態がどれだけの被害を与えているのか、どれだけの人々が影響を受けているのかの被害者の利益代表としてのルール作りである。

 人間も何時までもバカでは無い。世界を基準に置き、富や利便性・文化の甘受性の平等の為の基準作りは人間の責任において為されるべきで、企業の利益の為に他の人々がこれ以上の被害を受けては為らなく、被害を出さないルールは必然的に必要と為る。そのルール作りに参加する訳である。




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新しい元号 「令和」に決定!




 



 
 【管理人より】

 4月1日、新たな年度を迎えた本日、来る5月1日より元号が改訂されるが、その一月前の今日、新たな元号の名称が閣議決定され、天皇の承諾を得て菅官房長官によって11時40分に「令和(れいわ)」だと、広く国民へ発表された。
 「令和?」この聞きなれ無いチグハグな印象を与えるのは「和」が20数度使用され馴染みがあるのに対し「令」の文字が使われるのが初めてのことだから。「令」「れい」「レイ」・・・とは音からしての印象は何となくクールな響きがあり「和」「わ」「ワ」の文字でなごやかな温かい雰囲気で納める。「令和」と組み併せて使用することで、何れバランスの取れた好い文字だと落ち着くことだろう。サテ、色々なニュースが飛びかう中、下記記事を取り上げ様・・・


 




 元号から過去を知り歴史を学ぶ 「新元号がその切っ掛けに為れば」

 

 日本近世史専門 山本教授 3/31(日) 8:02配信  スポーツ報知 より引用します


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       元号について語った 東大史料編纂所の山本博文教授


 4月1日午前11時半、平成に代わる新元号が発表される。飛鳥時代の「大化」(645年)に始まり、中断を挟んで「大宝」(701年)以降は1300年以上続いて来た元号は国民生活に定着し、日本は世界で唯一元号を使用する国家と為った。
 日本近世史が専門で天皇関連の著作も多い東大史料編纂(へんさん)所の山本博文教授(62)は「歴史を学び、過去を知ると云うことは大切なこと。新元号がその切っ掛けに為れば」と語る。ソモソモ元号とは、何か・・・元号の特徴や改元の意義なども聞いた。(久保 阿礼)

 「大化の改新」「応仁の乱」「享保の改革」「明治維新」・・・歴史の教科書などを通じて、これまで時代の象徴として国民の間で親しまれて来た元号。世界の中で今も使用しているのは日本だけだ。

 元号は、紀元前2世紀の中国・前漢の武帝が定めた「建元」が最初とされアジア諸国に広がった。日本では「大化」から2度の使用中断を経て、701年の大宝律令で元号が制度化された。その後、約1300年もの間は途絶えること無く使われて来た。
 西暦は「無限」に続くのに対し元号は「有限」で今回の様に変遷する。各国の時の権力者が、時間と空間を支配する為改元して来た。

 山本氏「権力者にとって領土とは空間を支配することですが、元号は時間を統治すると云う概念から考えられたのでしょう。権力者自らの治世を特別な言い方で表現すると云う事です」


 


 

 歴史上、改元の理由は主に4つあった。

 〈1〉代始めの改元 天皇が退位・譲位し、代替わりが行われた時に行う。
 〈2〉祥瑞(しょうずい)改元 縁起の良い出来事が起きた時に行う。
 〈3〉災異改元 地震災害や病気の流行など恐れを振り払う。
 〈4〉革命改元 年号を干支(えと)で表した際に「辛酉」と「甲子」に当たる時は革命が起こるとされ改     元した。


 「大化」から江戸最後の「慶応」までの1.223年間には243の元号があったが、単純計算で約5年に1度のペースで誕生している。

 山本氏「元号には西暦の様に規則性がありません。期間が長かったり極端に短い元号もあります。聞いただけでは、どの時代を指すのか認識出来ない元号も多いですね」

 日本では明治維新の際に、天皇一代に一つの元号と云う「一世一元の制」が定められ、元号は国民生活との結び着きを強めて来た。1910~20年代の自由主義的な風潮などを「大正デモクラシー」と表現したり、日常でも「過去の象徴」として「昭和の男」等と使うこともある。
 今回は天皇陛下の生前退位で初めて新元号が事前に発表されるとあって、漢字二文字に国民的関心が集まっている。

 山本氏「元号の成り立ちや意味等、ナカナカ意識することは無かったのでは無いでしょうか。それが今回の様に注目が集まるのは非常に良いこと。昭和には『和』と云う漢字がありますが、平和などを連想させます。アンケートで人気のある『安』の字も『安らかでありたい』と云う心情の表れでしょう」

 これまでの元号は中国の「尚書」「易経」等から出典されて来たが、その歴史が変わる可能性もある。

 山本氏「今回、初めて日本の文献から元号が選ばれるのではないかと言われています。新元号は国民生活が豊かで安らかに為る様な言葉に為るのでは」


 



 
 海外では中国・ベトナム・朝鮮王朝が過つて使用


 日本以外で元号が使用されたのは中国・朝鮮王朝・ベトナム。中国では前漢から使用されたが、1911年辛亥革命による清王朝の滅亡で元号は無くなった。
 朝鮮王朝では新羅・百済・高句麗の三国時代から独自の元号を使用していたが、新羅が中国王朝の冊封体制下に入り中国の元号を使った。その後、太平洋戦争後に使用を辞めた。ベトナムでは北部を統一した前黎朝によって元号が制定され、一時期を除き1945年に王朝が滅びるまで独自の元号が使われていた。

 “本家中国”では元号の多くが漢字2字で構成され、「書経」「易経」「後漢書」「史記」などを典拠としている。日本も中国に倣い、こうした中国古典を基に元号が作られており、「天平感宝」「神護景雲」など、奈良時代の5例を除き、全て漢字2文字で構成される。

 以上


 





 関連記事



 新元号予想、一般応募1位は?


 2019年4月1日 6時13分スポーツ報知より引用 4/1am06.00発



  新元号予想一般応募1位の 「安永」

 
 新元号の予想を一般応募している酒類通販サイト「年号ワイン.com」の最新集計での1位は「安永(あんえい)」だった。栗原周平代表取締役によると、ここ最近は「永」の字が着く予想が急上昇。半月前に圏外だった「永光」が4位に躍進していると云う。「新元号に『永』が付くかも」と云う雰囲気が、日本中に漂って居ると云えそうだ。

 2019年1月21日のヴィンテージワイン専門店「年号ワイン.com」の『新年号予想ランキング』ユーザー投票の結果 上位10位まで、この中にズバリ正解はあるのだろうか?

 ・1番人気は「安」

 応募総数1551通の結果を集計して導き出された今回のランキング。基本的には数千ある漢字の中から2つを組み合わせる為、人気の漢字等は無く「余り被ら無いのでは?」と思いきや──。ランキングを見てみると「安」の字が断トツで人気があるようだ。

 ・新年号予想ランキング

 1位: 安久(60通)
 2位: 安永(46通) その後トップへ
 3位: 安始(32通)
 4位: 栄安(31通)
 5位: 安明(25通)
 6位: 永安(21通)
 7位: 永和(20通)
 8位: 永明(19通)
 9位: 安成(17通) 
 10位: 和平(15通)
 10位: 安栄(15通 )


 以上


 





 【管理人のひとこと】


 これで「新元号当てフィーバー」も「令和」決定で一段落した。今まで一番人気だったそうな「安永」を予想した人には悪いが、一旦「令和」に決定されると「安永」の響きがとても古臭く平易な印象と為るのはどうしてなのだろう。決まったからには文句を言っても始まら無い・・・と、長いものに巻かれるのが好きな国民性だからなのだろうか。
 どうやら元号とは、今では世界では我が国しか使って無いそうだ。ソリャアそうだろう、時間・歴史を示すものが幾つもあっては、それで無くともヤヤコシく不便だ。何故この様な不便で無駄な元号に執着するのだろうか・・・これも天皇を戴くことに誇りを持つ国民性なのだ。確かに役所の書類や免許証にも併書されるし、自分の生年月日も何時とは無しに自然に覚えてしまわされる。

 我が国が天皇制を続ける限り「元号」もまた続くのだろうが、何時かの時代には消えて無く為りそうな予感がし、消え行く旧弊を名残惜しそうに追い掛けるのも、それを懐かしみ愛する国民性故なのだ。「元号の在った時代が懐かしい・・・」と未来の人が呟くのを考えたく無いのだろう。
 この懐かしく不便で面倒な元号を、私は、昭和⇒平成⇒令和と3代を生きて行く事に為ってしまうのだが、実感として、元号と共にハッキリと時代区分するのは難しいと考えている。


 




 身近な処から思い返すと、明治の末期に父親が生まれ母は大正生まれ。明治は、ご一新の明治維新があり、日本は急激に開国され、手始めに日清・日露戦争へと海外へ侵略(何れも戦場は外地)を開始する。大正の時代はイデオロギーとしての反戦思想や民主主義思想が活発と為るが、世界的不景気へと突き進み昭和を迎える。
 やがて日本は台湾・朝鮮・中国への本格的侵略を実行し遂には、アメリカ・イギリスと戦い敗れ(本土空襲等はあったが主戦場は海外)戦後の混乱と復興を迎える。日本が経済大国として世界二位へと躍進したのは昭和の時代だった。
 以来平成の30年間は、今に続く政治的・経済的には不毛の時代だったが、一つだけ、戦後以来の平和は享受している。戦争は、何度かの休戦を経験したが100年間続いたのだから、これは一つの大きな日本の実績には違いない。

 サテ、新たな「令和」の時代、我が国は何処へ向けて歩むのか・・・何時までも平和でありたいのは基本だが、黙って待っていても来ない。積極的な平和推進活動と国民を豊かにする経済復興に賭けるのが何となく考えられる道筋だ。
 元号一番人気の「安永」に対して「令和」を比較すると、前者は何となく「受け身」のニュアンスの「願望」があり、後者の「令和」は、自ら動いて平和を築く能動的な「行動」が頭に浮かぶ。積極的に行動して平和を掴み取り、積極的に行動して経済復興を目指す・・・これが、この元号の使命と為れば幸いである。


 




 次に「令」の文字の所以(ゆえん)を参照します


 


 常用漢字4665 教育漢字4E61 7級 画数:(5) 部首: 部首内画数3
 
  れい・りやう  
   いいつけ・おさ・よい 
 意味 @いいつける・命じる・いいつけ「令状」「命令」 Aのり・きまり・おきて「訓令」「法令」 Bおさ長官「県令」  Cよい・りっぱな「令色」「令名」 D他人の親族に対する敬称「令室」「令嬢」

 その他の用例 禁令(きんれい)・訓令(くんれい)・号令(ごうれい)・司令(しれい)・指令(しれい)・辞令(じれい)・政令(せいれい)・勅令(ちょくれい)・伝令(でんれい)・法令(ほうれい)・命令(めいれい)・律令(りつりょう)
 「令」から始まる言葉△令外官(りょうげのかん)△令旨(りょうじ)△令法(りょうぶ)  以下 略




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