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2019年05月31日

【沖縄特集】 辺野古基地と生活 



 


 

 
 【沖縄特集】 辺野古基地と沖縄の生活




 その1 沖縄県が「万国津梁(しんりょう)会議」の初会合 

 辺野古移設問題を日米の専門家らが議論



 5/30(木) 21:17配信 毎日新聞より引用します


 沖縄県が「万国津梁(しんりょう)会議」の初会合 辺野古移設問題を日米の専門家らが議論


      5-31-10.jpg

                玉城デニー沖縄県知事

 

 沖縄県は30日、米軍基地問題に付いて専門家から意見を聞く「万国津梁(しんりょう)会議」の初会合を県庁で開いた。米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設問題等を委員5人が議論した。今後、3カ月毎に会合を開き、取りまとめた意見を玉城(たまき)デニー知事に報告する。
 冒頭で玉城知事は「戦後74年を経過した現在も沖縄に米軍基地が集中し、県民は過重な基地負担を強いられて居る。日本を取り巻く安全保障環境の変化等を踏まえ、基地の整理・縮小に向けた議論をして頂きたい」と挨拶した。


           5-31-11.jpg

              元内閣官房副長官補の柳沢協二氏


 会合は冒頭を除き非公開。県によると、辺野古移設問題の他、沖縄の米軍基地面積の約7割を占める米海兵隊の駐留の必要性や米国の軍事戦略の変化等で意見が交わされた。委員長を務める防衛省OBで元内閣官房副長官補の柳沢協二さんは終了後「沖縄県民と日本政府の間に大きな溝があるのはどちらにトッテモ不幸だ。この現状を何とかしたい」と述べた。
 他の委員は、沖縄国際大の野添文彬(ふみあき)准教授▽米ジョージ・ワシントン大のマイク・モチヅキ准教授▽元外務省国際情報局長の孫崎享(うける)さん▽琉球大講師の山本章子さん。 【遠藤孝康】

                  以上



 





 【関連報道】



 その2 沖縄差別は令和の宿題 

 大城立裕さん 「平成は本土との異化が進んだ」


 毎日新聞2019年4月27日 07時30分(最終更新 4月27日 10時23分)より引用します


         5-31-12.jpg

                  大城立裕氏


 平成を振り返り「沖縄の人々が誇りを強くし、本土への劣等感を克服した」と語る大城立裕さん

 沖縄に取って平成とはどんな時代だったのか。首里城が復元され、歌手の安室奈美恵さんがスーパースターの階段を駆け上がる等独自の文化が全国的に再評価された一方、過重な米軍基地負担は変わらず、事件や事故が繰り返された。沖縄初の芥川賞作家、大城立裕(おおしろたつひろ)さん(93)は言う。

 「ウチナーンチュ(沖縄の人)としての誇りが増幅した一方、本土側の沖縄差別は今も続いて居る」 
 「平成以前、本土に同化し様と云う思いあった」



 




 大城さんは、平成(1989〜2019年)は沖縄の人の意識に重要な変化があった時代だと振り返る。「単純な言い方だが劣等感が抜けた。平成以前は本土に同化しようと云う思いがあったが、平成は異化が進んだ」 
 住民の4人に1人が命を失った1945年の沖縄戦後、27年に渉る米国統治で本土の経済発展から取り残された沖縄。1972(昭和47)年に本土復帰を果たすも社会基盤整備が遅れ、本土で就職や住宅を借りる際に差別を経験する出身者も居た。


 平成と沖縄

 「劣等感」から脱する下地は昭和末期の80年代に作られたとの見方を大城さんは示す。「しまくとぅば(沖縄の言葉)」で歌うミュージシャンの喜納昌吉(きなしょうきち)さん等が活躍し、沖縄独自の文化を再評価する潮流が生まれた。
 多くの人が沖縄のアイデンティティー(主体性)に自信と誇りを持ち始めた中、1992(平成4)年に沖縄戦で焼失した首里城(後に世界遺産登録)が復元。日本全国で「アムラー」現象を生んだ安室さんがデビューしたのも同じ年だ。

 2001(平成13)年にはNHKドラマ「ちゅらさん」がヒット。大城さんは「国民の沖縄へのシンパシー(共感)は随分高まった」と振り返る。観光客数も伸び続け、2018年度は過去最多の999万9000人を記録。沖縄県の玉城(たまき)デニー知事は26日の記者会見で「平成は戦争も無く、沖縄の経済が良い形で推移する中で締め括りを迎える。令和の時代も伸びしろを更に伸ばしたい」と胸を張った。


 




 時代が進み、基地負担更に重く

 一方で全国の米軍専用施設の7割が集中する過重な基地負担は、時代が進んで更に重く圧し掛かって行く。1995(平成7)年に米兵3人による少女暴行事件が発生した。沖縄の怒りは頂点に達し、翌1996(平成8)年に日米両政府は米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)の返還に合意する。大城さんは事件を機に沖縄の人達の意識が「異化」へ向かったと分析する。「アイデンティティーの増幅と共に『ヤマト(日本本土)の犠牲に為りたく無い』と云う抵抗意識が発展した」

 「最低でも県外移設」と掲げた民主党政権が2010(平成22)年に辺野古移設に回帰すると、多くの沖縄県民は過重な基地負担を「構造的差別」と捉える様に。2014(平成26)年には「イデオロギーよりアイデンティティー」と訴えて辺野古移設に反対した翁長雄志氏が知事と為り、2018(平成30)年に後継として玉城氏が抵抗のバトンを引き継いだ。

 それでも安倍政権は辺野古沿岸部の埋め立てに向けた土砂投入を辞めず、政府と沖縄の溝は深まるばかり。大城さんは「辺野古移設が『唯一の解決策』である筈が無い。今の日本の為政者は沖縄を犠牲のままにして置く事に痛みを感じていない」と指摘。その上で言う。 「未だ続く差別の構造は令和へ持ち越された宿題だ」 【比嘉洋、遠藤孝康】

 おおしろ・たつひろ 1925(大正14)年生まれ。那覇市在住。琉球政府通商課長や沖縄県立博物館長をしながら執筆。67(昭和42)年に「カクテル・パーティー」で芥川賞を受賞した。代表作に「小説 琉球処分」など。沖縄の伝統芸能「組踊(くみおどり)」の創作も手掛け、天皇陛下とは沖縄の歴史や文化を巡って懇談を続けて来た。

                   以上



 





 その3「毎日・社説」「辺野古」反対が多数 最早埋め立ては辞めよ


 政府は10日、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設計画を巡り、地元の県や市との「普天間飛行場負担軽減推進会議」を約2年9カ月振りに開いた。
 玉城デニー知事就任後、県との対話を重ねて移設への理解を得たい政府だが、反対する県との溝の深さが改めて浮き彫りに為った。日米両政府が普天間返還で合意してから12日で23年。返還の道筋が見え無いまま政府と県の確執は深まる。

 「負担軽減推進会議」第5回 2年9カ月振りに開催

 会議の開催は、翁長雄志前知事時代の2016年7月以来で5回目。政府側は菅義偉官房長官▽河野太郎外相▽岩屋毅防衛相▽宮腰光寛沖縄・北方担当相の4閣僚、地元側は玉城氏と松川正則宜野湾市長らが出席した。

 玉城氏は、14年に政府と県が合意した飛行場の「5年以内」の運用停止期限が今年2月で切れた事に関し「運用停止に付いて移設工事と切り離した協議をすべきだ」と提案。新たな停止期限を設定する為「3カ月から6カ月程度」で集中的に協議する様要請した。政府側は、作業部会の開催に応じる姿勢を示したが、期限設定には「飛行場の危険性除去に付いては努力したい」と述べるに留めた。

 更に、玉城氏は、日米特別行動委員会(SACO)に県を加えた新たな協議の枠組みの設置を要求したが、菅氏は「日米両政府で話し合いを進めており、必要は無い」と突っぱねた。安倍晋三首相は、翁長氏とは就任後4カ月間面会に応じ無かった。しかし、玉城氏に対しては、昨年10月の就任8日後に面会する等「対話重視」の姿勢に転換。翌11月には県との集中協議も実施した。
 只、2月24日の県民投票では7割が埋め立てに反対する等県側に軟化の兆しは見られ無い。今月21日には衆院沖縄3区補選を控えて居る。会議開催で県民の反発を和らげたい政府だったが、逆に政府と県との根本的な立場の違いが一層鮮明に為ったのが実態だ。

 玉城氏は会談後、辺野古移設について記者団に「基本的に工事の中止・中断を求める立場だ」と強調。菅氏は記者会見で「粘り強く説明しながら埋め立てを進めたい」 と述べた。 

 【古川宗、野間口陽】

                以上



 





 その4「辺野古移設」迷走、先見えず 


 「橋本龍太郎首相とモンデール駐日米大使の会談から12日で23年だ。沖縄は待ち続けて居る。直ちに運用停止に踏み切るべきだ」

 共産党の赤嶺政賢氏は10日の衆院外務委員会で、辺野古移設に反対した上で「普天間の5〜7年以内の返還」を決めた1996年の日米合意が、なお履行されていない現状に不満を示した。河野太郎外相は「政府は今後も沖縄の負担軽減、普天間の全面返還に全力で取り組む」と応じたが、返還への道筋は示せ無かった。

 日米合意は、95年に起きた米海兵隊員による少女暴行事件が契機だった。県民の反基地感情が高まり、橋本氏とモンデール両氏は「基地負担軽減」の目玉として普天間飛行場の返還で一致した。
 だが、移設先や工法を巡る政府と県等の調整は難航する。政府と名護市は2006年、辺野古沿岸部を埋め立てる現行案で合意するが、09年に「最低でも県外移設」を掲げる民主党の鳩山由紀夫内閣が発足すると、問題は再び迷走。鳩山内閣は最終的に現行案に戻り、それ以降変更は無いが、沖縄側では2014年に翁長雄志氏が知事に、2018年には後継の玉城デニー氏が知事に就任し、政府と国の対立は激しさを増している。

 政府は昨年12月に土砂投入を強行したが、今後は埋め立て海域で見付かった軟弱地盤の改良工事が待ち受ける。県は、防衛省が年内にも行う設計変更の承認申請を認め無い方針で、法廷闘争に発展する可能性が高い。
 改良工事自体も3年8カ月掛かると試算されており「普天間返還」の前提と為る移設完了の時期は見通せ無い状況だ。 【木下訓明】

                 以上



 





 その5「辺野古」反対が多数 最早埋め立ては辞めよ!


 毎日新聞2019年2月25日 東京朝刊より引用します


 辺野古埋め立てへの反対票が多数を占めた。政府は直ちに埋め立てを辞め、沖縄県と真摯(しんし)に解決策を話し合うべきだ。
 米軍普天間飛行場の辺野古移設を巡り、埋め立ての是非を問う沖縄県民投票が昨日実施された。この問題の原点は、市街地に囲まれた普天間飛行場の危険除去にあると云う政府の主張はその通りだ。しかし、在日米軍施設の7割が集中する沖縄県内に代替施設を引き取って貰いたいのなら、県民の多くが納得することが条件となる。
 明らかに政府は県民の理解を得る努力を怠って来た。2度にわたる知事選で「辺野古ノー」の民意が示されても聞く耳すら持た無かった。

 外交・安全保障は国の専権事項だから地方は口を挟むなと云う議論は間違っている。確かに政府が全国的な見地から責任を負う分野ではあるが、基地の立地に自治体が異議を申し立てる権利まで否定するのは暴論だ。住民の反感に囲まれた基地が円滑に運用出来る筈がない。
 安倍政権は2013年当時の仲井真弘多(なかいまひろかず)知事による埋め立て承認を移設正当化の根拠として来た。だが、仲井真氏は知事選で県外移設を公約して当選し、その後に変節したのであって、埋め立て承認は民主的な正当性を獲得していない。

 住民投票が政策決定の手段として万能なわけでは無い。投票率は5割強に留まった。しかし、民主主義が十分機能し無い為、沖縄は繰り返し意思表示をせざるを得無く為ったと考えるべきだろう。その過程では県民同士が異なる意見にも関心を持ち、共に沖縄の将来を考えることが重要だ。
 その意味で政権与党の自民、公明両党が自主投票の立場を執り、県民と話し合う役割を放棄したことは残念だ。政府は投票結果に関わらず工事を続ける方針を示している。だが、たび重なる民意無視は民主主義を軽んじることに他なら無い。

 しかも、埋め立て予定区域に広大な軟弱地盤が見つかり、そもそも辺野古に大規模な飛行場を建設する計画の実現可能性が揺らいでいる。最早普天間の辺野古移設は政治的にも技術的にも極めて困難に為った。政府に今必要なのはこの現実を冷静に受け入れる判断力だ。

                  以上



 






 【管理人のひとこと】


 この問題は、単に沖縄県だけのものでは無く、私達国民全てが真摯に考えなくては為らぬ大き過ぎる問題だ。だから随時、これに関連するニュースは優先的に報道する責任がメディアに求められ、私達も関心を持って受け取り、更に為すべきは「辺野古への移転」の意義を政府に問い掛ける必要がある。
 特に、直接の当事者であるアメリカ軍側の「移転の必要性とその根拠」を正直に示す必要があり、それに伴い、政府の国民への懇切丁寧な説明が不可欠と為る。最近では「米海兵隊の沖縄駐留の意義・価値」「米国・日本共通の必然性」が失われて居るとする言葉が、米軍・海兵隊・アメリカの軍事専門家から漏れて居る。

 「日本政府がお金を使い、我々(海兵隊)を沖縄に縛り付けたいのなら、我々は甘んじてそれを受ける。(それ程の必要性は無いのだが・・・そこまで引き留めたいのを無視は出来無い)」
 大方がこの様なニュアンスなのだ。沖縄県民の反対の総意を無視して強行する政府の思惑は、我が国の防衛に役立てたとの思いのものだろうが、再度アメリカ側と協議する必要があるのではと思う。

 海兵隊の本拠地はアメリカ本土に在り、彼等は持ち前の機動力で寸時に目的地に移動出来る事を本分にして居る。即時移動・展開・・・それが目的の戦闘組織である。彼等の駐屯地が、アメリカ本土でも沖縄でもグワムでも何らの問題も無い。なのに、沖縄に駐屯すればその経費の殆どを日本で負担する。
 特に現在の安倍政権は「抑止力」としての米海兵隊の沖縄駐留を強く願い、日本国民の多くと地元沖縄県の強い反対を捻じ曲げてでも「辺野古への移駐」を強行して居る。日本の首相がそれ程まで拘(こだわ)るなら、我々もそれを支持するしか無いだろう。早く円満に解決して欲しい・・・それがアメリカの本心だろう。

 日米の軍事的地域戦略・・・これは、安倍氏の思い込みだけで判断せず、広く専門家に「効果的日本の防衛」を基礎とする研究を続け、最適な防衛環境を作り上げて欲しい。



 



 大変!これから彼の家でお泊りだ!【アウトクリア】autclear









2019年05月29日

日本の労働生産性が半世紀も先進国ビリの理由



  





  【ネットニュースより】



 日本の労働生産性 

 半世紀も先進国ビリの理由



 5/29(水) 4:50配信 東洋経済オンラインより引用します



 


 


        5-29-4.jpg

      筆者  経営コンサルタント・経済アナリスト 中原 圭介氏



 日本の労働生産性が半世紀も先進国ビリの理由


 〜日本の高度成長はモノづくり産業が支えたが、労働生産性を見れば1970年以降、先進7カ国で最下位に沈み続けている。何故改善出来ないのか〜



 日本経済の未来を考える上で、今後の労働生産性の水準は最も重要な指標の1つだと言えます。現状はどうなのかと云うと、2017年の日本の1時間当たりの労働生産性は47.5ドルであり、経済協力開発機構(OECD)加盟35カ国の中では20位と下位に甘んじて居ます。
 オマケに、この労働生産性の水準はアメリカの72.0ドルの3分の2程度に過ぎず、データが取得可能な1970年以降、先進7カ国の中で最下位の状況が続いて居るのです。

 将来に渉って労働力の減少傾向が避けられ無い日本において、今の経済規模を維持して行く為には、労働生産性の向上が不可欠であることは間違いありません。AI(人工知能)やRPA(ロボットによる業務自動化)を活用しながらオートメーション化を進めて行く方向性、或は、生産性が低い産業から生産性が高い産業へと投資・人材を移動させて行く方向性など、生産性を引き上げる為の処方箋に異論は少ないでしょう。



 




 海外で稼ぐ企業が増える程、日本の生産性は低下する


 但し、各国の労働生産性を単純に比較して、ランキングで日本の位置を確認すると為ると、或る種の強い違和感を持たざるを得ません。と云うのも、こうした労働生産性に関する国際比較では、簡易に数字を比較する以前に留意し無ければ為らない問題点が少なくとも2つはあるからです。

 1つ目の問題点は、日本企業の稼ぎ方が大きく変わって来て居ると云う事です。過つての日本の製造業では、国内で自動車や家電を造り、それを海外に輸出するのがお決まりのパターンと為って居ました。
 処が今や、現地のニーズに合わせる為だけでは無く、生産効率を一層高める為に、現地での生産を大幅に増やし続けて居ます。大企業・中小企業に関わらず、生産性が高い企業程、アメリカや中国、東南アジア等に拠点や工場を持つ様に為って居るのです。取り分けグローバルに活動する企業は、収益性を出来る限り高める為に、国際的且つ効率的な投資を常に心掛けて居ます。

 実の処、日本企業の海外への直接投資の残高は、2018年9月末時点で185兆円にまで拡大し、過去10年間ではアメリカやアジアを中心に3倍近くに増えて居ます。製造業の工場建設や小売業の拠点新設に加えて、M&A(合併・買収)の件数も年々増加して居るのです。
 その結果として、日本企業の海外での稼ぎを示す直接投資収益は、2018年に初めて10兆円の大台を突破して居ます。日本企業は過つての様に輸出で稼ぐのでは無く、海外展開を進めることによって現地で稼ぎ、その収益を日本国内に戻す流れが強まっていると云う訳です。

 しかしながら、グローバルに事業を展開する企業が海外で賃金の安い従業員を雇い、高い付加価値を生み出して居たとしても、それは国内の付加価値額には加算され無い仕組みに為って居ます。


 【労働生産性=国内のアウトプット(付加価値額又は生産量)÷インプット(労働投入量又は労働者数×労働時間)】

 と云う式で計算されるので、日本企業の生産性が海外で飛躍的に上がっても、国内の生産性の上昇には一切繋がら無いのです。即ち、生産性の高い企業が国内での生産を縮小、海外での生産を積極的に進める事で、日本の労働生産性は私達が実感して居る以上に低下して居ます。日本の様に海外で稼いでいる企業が多い程、労働生産性は低下して行く関係にあると云う訳です。


 




 中小零細企業の割合が圧倒的に高いと云う弱み


 2つ目の問題点は>、日本では企業全体に占める小規模企業(零細企業)の割合が高いと云う事に加えて、中小企業が支える雇用の比率は、先進7カ国(米・英・独・仏・伊・日・加)の中で最も高いと云う事です。

 日本では全企業の99.7%が中小企業であるのに対して、アメリカでは99.7%、ドイツでは99.5%、イギリスでは99.9%と大きな違いは見られません。処が、日本の卸売業・小売業等のサービス業では、アメリカやドイツ・イギリスと比べて小規模の企業の割合が高く、国土が狭いにも関わらず事業所数が多過ぎると云う難点があるのです。
 例えば卸売業・小売業の分野では、従業員が10人未満の事業所数のシェアはアメリカでは50%程度であるのに対して、日本では80%程度と可なり高い状況にあります。

 各国の中小企業の定義は、従業員数や売上高・総資産でも違いがあり厳密には一律に比較出来ない。例えば、従業員数で判断すれば、アメリカの中小企業は500人以下・ドイツは500人未満・イギリスは250人以下で日本は製造業・建設業が300人以下・卸売業・サービス業が100人以下・小売業は50人以下と為る。
 その上、日本では中小企業が支える雇用の比率が一貫して70%前後で推移して居るのに対して、アメリカでは50%前後・ドイツやイギリスでは60%前後と日本より低い状況にあります。その為に、日本の中小企業はアメリカの中小企業と同じ付加価値を生み出す為に、2倍以上の従業員を雇って居る計算に為って居ます。

 現実に、卸売業・小売業・サービス業で従業員が5人以下、或は製造業・建設業・運輸業等で従業員が20人以下の小規模企業(中小企業の中の分類)は企業全体の90%近くを占めて居て、雇用全体の25%を担って居るのです。中小企業又は小規模企業は平均的に生産性が低く、日本全体の労働生産性の水準を大幅に引き下げて居ると云う訳です。


 




 賢明な政治家や専門家達であれば、日本は労働生産性を高めようと、様々な対応策を考えて行くと同時に、以上の様な日本の抱える問題点を踏まえた上で、本質的かつ慎重な議論をし無ければ為りません。
 日本経済に取ってグローバルに活躍する企業が増えるのが好ましいと云う前提では、労働生産性を必ずしも大幅に引き上げる必要性は無く為って来るからです。現時点では日本とアメリカの労働生産性は30%超の開きがありますが、今後の日本企業による海外進出の増加を加味すれば、およそ半分の15%程度の差に縮めるだけでも経済の底上げは十分に出来るのではないかと考えて居る次第です。

 但し、アメリカとの差をおよそ半分の15%程度に縮小するだけでも、どうしても避けて通ることが出来ない道があります。日本の非製造業に属する中小企業が、アメリカの中小企業に比べて圧倒的に生産性で劣って居る事を考えれば、中小企業の中でも小規模企業を今の半分に淘汰し無ければ為ら無いと云う事です。
 地方程小規模企業の割合が大きいので、小規模企業の大幅な削減は地方の疲弊に結びついて行くことが避けられません。例え経済全体で合理化を進める為とは言え、今の安全網が無い状況下において、多くの小規模企業をドラスティックに淘汰してしまって好いのでしょうか。

 非常に心配して居るのは、多くの経済の専門家達が労働生産性の国際比較では日本の生産性が著しく低めに出ると云う要因を余り考慮すること無く、生産性の向上そのものが最も大事であると大合唱して居る処です。その考え方の中には、中小企業の大半を潰した先の視点が含まれていないからです。
 中小企業の思い切った淘汰を進める為には、それによって失われる雇用が容易に他の産業に移動出来る様にして置かなければ為りません。即ち、雇用の受け皿と為る新しい産業が幾つも創り出されていなければ為ら無いのです。それは、労働市場の流動性を高める以前にどうしてもやって置かなければ為ら無い事です。さも無ければ、日本はリーマンショック期のアメリカ並みに失業者で溢れ返ってしまうでしょう。



 




 解決策の「成長産業育成」は素振りだけだった日本


 だからこそ、2019年4月4日の記事「令和の時代に国民が豊かに為る足った1つの方法」で申し上げた様に、これからの日本は新しい成長産業の育成に力を入れて行く事が必要不可欠であるのです。
 そこで政府が成長戦略として実行し無ければ為ら無いのは、生産性の低い産業・企業を金融緩和や補助金によって延命させることでは無く、そう云った産業・企業で働いて居る人々の為に新しい雇用を生み出すこと、換言すれば、生産性の高い成長産業を創り出すと云う事です。


 当然のことながら新しい成長産業には、工場の海外移転や自動化が進む製造業や、AIやRPAの導入で人員削減が進む業界、賃金が低いサービス業等からの雇用の受け皿にも為って貰います。
 こんな簡単なことは判って居る筈なのに、何故政府がこれ迄成長戦略を推し進めることが出来なかったのかと云うと、その成果が目に見える形で表れて来るまでには、普通に考えて10年単位の時間を要することに為るからです。政治にとって何よりも優先されるのは、成果が出るのがズッと先の政策では無くて、目先の選挙で投票して貰える政策を実行すると云う事です。

 ですから、政府は目先の景気を何とか好くしようとして、バラマキ的な支出を繰り返して来たと云う訳です。従って、政府は成長戦略を実行する素振りは見せるものの、結局の処、日本の将来を考えて真剣に取り組もうとはして来なかったのです。今、本物の政治が求められて居ます。



 中原 圭介 経営コンサルタント・経済アナリスト


 




 参考資料 労働生産性の国際比較 2018  公益財団法人日本生産性本部

 1. 日本の時間当たり労働生産性は 47.5 ドルで、OECD 加盟 36 カ国中 20 位
  OECD データに基づく 2017 年の日本の時間当たり労働生産性(就業 1 時間当たり付加価値)は、 47.5 ドル(4,733 円/購買力平価(PPP)換算)。米国(72.0 ドル/7,169 円)の 3 分の 2 程度の水準に相当し、順位は OECD 加盟 36 カ国中 20 位だった。名目ベースでみると前年から 1.4%上昇したものの、順位に変動は無かった。主要先進 7 カ国でみると、データが取得可能な 1970 年以降、下位 の状況が続いて居る。

 2. 日本の 1 人当たり労働生産性は84,027 ドル。OECD 加盟 36 カ国中 21 位
 2017 年の日本の 1 人当たり労働生産性(就業者 1 人当たり付加価値)は、84,027 ドル(837 万円)。 ニュージーランド(76,105 ドル/758 万円)を上回るものの、英国(89,674 ドル/893 万円)やカナダ (93,093 ドル/927 万円)と云った国をやや下回る水準で、順位でみると OECD 加盟 36 カ国中 21 位 となっている。

 3. 日本の製造業の労働生産性は 99,215 ドルで、OECD に加盟する主要 31 カ国中 15 位
 日本の製造業の労働生産性水準(就業者 1 人当たり付加価値)は、99,215 ドル(1,115 万円/為替レ ート換算)。円ベースでみると着実に上昇を続けて居るものの、近年は為替レートの影響でドルベース の水準が伸び悩んでいる。順位でみると OECD に加盟する主要 31 カ国の中で 15 位と為っており、 昨年から順位を 1 つ落として居る。

                  以上


 





 【管理人のひとこと】


 生産性の問題・・・何度も言われ聞かされ判って居るのですが、何とも難しい問題です。もう一度考えを洗い直してみましょう。

 生産性が低いのは、夫々の企業が持つ個々の生産性の問題と、その企業が属する業界や環境に対し、国としての政策が上手に機能して居るのか・生産性を挙げる政策と結び付いて居るのか・・・も検証しなくては為りません。グローバル化や規制改革に血道を上げる割には、結果として成功したと取り上げるべくものが何一つありません。
 例えば、以前にタクシー業界の規制を取っ払い経営の自由化を推し進めましたが、結果として、全てのシワ寄せが弱小企業と運転手個人に降り掛かり、今や業界の給与体系は散々な目に遭って居ます。無規制に料金の競争やドライバーが溢れたりし、業界自身も今や元気の無いものへと凋落してしまった。勿論、中には元気な企業もあるのでしょうが・・・

 労働市場も然(しか)りで、大手の人材派遣会社のみが闊歩(かっぽ)し非正規社員が勤労者の半分以上占める様な歪な構造へと変化してしまった。一体誰が好かったのか・・・間違っても勤労者に優しい政策では無かったことだけは確かです。
 某経済評論家が「失業して居るよりは非正規でも、仕事があるだけ幸いだ。政治は雇用の絶対数を上げる努力はするが、その中味まで介入出来ない」とアベノミクスの成功を支持していました。しかし、雇用率が高い(失業率が2.8%と低い)のは、少子高齢化による人手不足と非正規の無制限の増加があっての事で政策が寄与した訳では無い。家計の所得が落ちたので、高齢者やパートに出る人が増えたのも原因で、相対的な人数が増えたに過ぎ無い。

 この様な未熟で独り善がりな政策は、00諮問会議とか00ワーキンググループとか、為政者の指名による偏(かたよ)った人選による一部の人達の意見がそのまま通る様な在り方にも一因がありそうです。中には、業界で改革を押し進め成功した体験を持つ人達も含まれて居る様ですが、押し並べて為政者のお気に入りで、何となく嫌な感じが払拭され無いのです。
 先ず、現状の遣り方を続ける様では、国を挙げての生産性の向上は諦めるしか無い様です。5年10年100年先の将来を見据えて物事を考える事が可能な人・・・そんな政治家を私達が選び育て上げる事から始めなければ日本は変わり様も無いのです。



 



 




 
 
 
 
 




2019年05月28日

日本初のアフリカ人学長の挑戦と理念


 

 





 【ネットニュースより】



 日本初のアフリカ人学長の挑戦と理念



「グローバル」と「ダイバーシティ」掲げて奔走


 5/28(火) 7:30 配信より引用します



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               ウスビ・サコ学長


 京都精華大学のウスビ・サコ学長は式辞で、生まれ育った西アフリカのマリ共和国の文化や言葉を織り込む。それも、必ずである。

 小雨模様だった今年3月の卒業式は「マリは乾燥地帯で、雨の日が一番お目出度い。だから本日は、マリ的には非常に天気が好いのです」と云う挨拶から始まった。4月の入学式では、母語のバンバラ語で「皆さん、故郷の家を出て、新しい家へようこそ」と語り掛けた。
 世界の広さを感じ想像して欲しいからだと云う。2018年4月の就任から1年余り「日本で初のアフリカ出身学長」と話題に為ったサコ氏は「グローバル」と「ダイバーシティ」を掲げて奔走して居る。

   (文・松本創、写真・浜田智則/Yahoo!ニュース 特集編集部)


 




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                京都精華大学 



 アフリカ・中南米・南アジア・・・「留学生を4割に」


 「スイマセン遅く為って。昨日中に京都へ戻る積りが、帰れ無く為って」
 朝からの取材と撮影を依頼していた日、東京出張から直接大学に戻って来たサコ氏は、30分程遅れてタクシーで到着した。今、53歳。前の日は、ナイジェリアとジャマイカの在日大使館を訪ね、交換留学や大学間連携の話をして来たと云う。
 「セネガル大使館にも行きたかったけど、上手く予定が合わへんかったから、又今度やナ」

 マンガ学部を持つ事で知られる京都精華大の留学生は、大半が中国や韓国・台湾等の東アジア出身者だ(留学生が3割強を占める)。日本のマンガやアニメーションを学ぶ事が目的だと云う。建築や住空間を専門とするサコ氏が学長に為ってからは、それを新たな国や分野に広げ様とし、アフリカや南アジア・中南米と云ったエリアも視野に入って来た。

 サコ学長の誕生と同時に学校法人の理事長に為った石田涼氏(57)はこう言う。

 「様々な国から提携や交流の話が来るのは、間違い無くサコさんの存在が大きい。只、ここまで海外の注目を集めるとは私達も思っていませんでした。話題性やグローバル化を狙って出身国や肌の色の異なる人を選んだのでは無く、飽く迄大学と云う共同体の一員として、学長に相応しい人を選挙で選んだだけなので」


 




 サコ氏は、京都精華大に着任して18年に為る。自身は「この大学で、自分が外国人だと意識したことは無いし、外国人だから学長に選ばれたとも思っていない」と繰り返し語って来た。
 学生の指導や自分の研究だけで無く、大学の校務や対外折衝から様々な雑用まで日本人と全く同じ様に熟(こな)して来たと云う自負もある。石田氏も「言葉や文化の違いから校務に消極的な外国人教員も居る中で、サコさんはそう感じさせる処が無かった」と言う。
 現在、京都精華大の留学生の割合は10%台。これを「4割にまで高めたい」とサコ氏は学長に為った時から語って居る。この春入学した学部生・大学院生は964人で、この内外国人留学生は322人で33%を占めた。


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       話し始めれば熱っポク、時間を超過することもシバシバ


 その新入生達を前にした入学式で、サコ氏はグローバル化する世界とダイバーシティの必要性を熱っポク語った。

 「グローバル化はテクノロジーの進歩と深く関わります。それによって国や地域を超え、互いが互いの現実についてリアルタイムで話し合えるチャンスが与えられる。世界の若者達が地球の未来を一緒に考えて行くプラットフォームが多様に出来ており、世界を変革する希望も生まれました。この希望を現実にする為には、他者との違いを認識し、尊重する姿勢を学び、自分の価値観を形成する事が求められて居ます」


 




 マリ共和国出身の学長が、日本の古都の小さな芸術系大学を世界へ開こうとして居るのだ。マリ共和国から中国そして日本へ。サコ氏の人生は変化に富んでいる。

 1966年にマリの首都のバマコで生まれた。苦学して税関職員に為った父親は厳しく、長男のサコ氏はスパルタ式で育てられた。中学教師だった遠方の親戚宅に小学4年生から預けられ、水道も電気も無い家で暮らしたと云う。炎天下、片道5キロの通学路を歩く。夜はベルトで鞭打たれながら勉強した。「甘えるな」が父の方針だった。 
 成績優秀で数学が得意だったサコ氏は、高校卒業時に国費留学生に選ばれた。本人は旧宗主国のフランス行きを望んだものの行き先はマリ共和国政府が決める。命じられた留学先は改革開放から間も無い中国だった。北京で1年間中国語を学んだ後、南京工学院(現在の東南大学)に入り建築を専攻した。この間、留学生排斥運動にも遭遇したと云う。

 1990年、夏休みの旅行で初めて日本に来た。アフリカ人3人による気ままな旅。長逗留(とうりゅう)した先は、中国で知り合った日本人留学生の実家で、東京の下町の商店街に在った。そこで日本人の印象が変わったと云う。

 「中国で接していた日本人留学生と云えば、レトルトカレーとインスタントのスープばかり食べ、何をするにも効率とお金の話をする。『ロボットみたいな人達』と思って居た。だけど、その家の人達は、温かくて凄く人間臭い普段の生活が見えた。お父さんは下着姿で家の中をウロウロしてるし、商店街の人達も連日の様に歓迎会を開いて呉れる。居心地が好くて2週間位居座ったよ」/span>

 実は、サコ氏らの滞在が長引くに連れ、その家の人達は「何時まで居る積りなんだろうか」と困って居たらしい。だが、ハッキリ言わ無いから伝わら無い。一方のサコ氏等には、特段の予定が無く急いで中国へ戻る理由も無い。「負担を掛けて申し訳無い」と云う感覚も当時は無かった。日本の常識を知った今から思えば「とてもマリ的だった」とサコ氏は笑う。
 「結局、その家の人から『京都で祇園祭と云うのが開かれる。是非見に行った方が好い』と強く勧められ、最後は新幹線の切符まで渡された。別に行きたく無かったんやけど、そこまで言うならシャアナイなと」

 処が、その約1年後、サコ氏は京都に舞い戻ることに為る。中国留学を終えれば、母国で国家公務員に為る予定だったのに、国の経済情勢が悪化し、帰国しても直ぐに公務員に為れる見込みが立た無く為ったからだ。それなら再留学を・・・そして関西を目指した。


 




 「日本へ来たのは好いけど、日本語も出来ず大学院へ入る当ても無い。滞在費は3カ月分だけ。大阪の日本語学校に入り、英会話スクールでアルバイトしながら兎に角必死で勉強した。少し話せる様に為ったら大学院を探した。幾つかの大学に電話して教授に会いに行き、自分の研究テーマを話して・・・それで京大の大学院に入れる事に為った」
 日本で経験した異文化ゆえの苦労やスレ違いを、今では笑い話として話せる。だが当初は違った。言葉の問題だけでは無い。貧しいアフリカの国の出身であること・黒人であること・イスラム教徒であること・・・日本で暮らした28年間、偏見や無理解から来る差別や衝突はシャワーの様に数限り無く経験した。

 サコ氏には「日本のお父さん」と呼ぶ人が居る。京都・西陣で織物会社を経営する小野内悦二郎氏(81)所属する京都北ロータリークラブがサコ氏の京都大学大学院時代の奨学金の窓口に為って居た。小野内氏は海外出張が多く外国人との接点も多かった為、サコ氏のカウンセラー役を任されて居た。小野内氏は、京都に来た頃のサコ氏を好く覚えている。

 「今よりズッと痩せてヒョロリとして、自信が無さそうに見えました。月1回の(ロータリークラブの)例会にサコ君も出席するんですが誰も近寄ろうとしない。彼が話し掛けても、会員は『英語は分からんから』と逃げるんです。サコ君は『僕は日本語で話しているのにナア』と言うてました。彼が自信無さそうに見えたのは結局、日本人の側が上手く交われ無い事の裏返しやったんでしょう」


 




 サコ氏はその後、日本人女性と結婚し2人の息子を育てた。そうした中でも壁や悩みがあった、と小野内氏は振り返る。しかし、サコ氏は自らの来歴や経験して来た壁を決して深刻に語ら無い。関西弁で飄々と笑いに包む。学長室での取材では、例えばこんな風だった。

 「いちいち気にしてたら、もう、遣ってられへんことばっかりですよ。だけど、それ等を差別だと僕は思って無い。只単に、相手を知ら無い理解が足り無いから起こるだけのこと。マイノリティーが被害者意識を募らせて怒りの声を上げても、ナカナカ受け入れて貰えない。マジョリティーの側もビビッてしまうからね。大事なのは双方が歩み寄ること。ジャあ、そう云う関係を作って行くにはどうしたら好いかを考えた方が好いでしょう?」


 




 「違いと共に成長する」の真意とは

 京都精華大は、サコ氏の学長就任と同時に「ダイバーシティ推進宣言2018」を発表した。「違いと共に成長する」と云うその理念に、サコ氏の発想が好く表れている。

 「年齢・人種・性別・身体的特徴・性表現等表面的に認識され易いもの」から「国籍・宗教・家庭環境・出自・働き方・性自認・性的指向等表面からは認識され難いもの」迄を対象とし、それ等を理由とした差別や排除が起き無い様にするには、どうすれば好いのか。その取り組みの方向性を具体的に示した内容だ。
 教員の中で女性や外国人の比率を上げる為、同等の能力であれば他の候補者より優先して採用する事が明文化された。同性パートナーの居る教職員にも、男女の夫婦と同等に就業規則が適用される様に為った。異なる文化や価値観を理解する為の学内イベントも継続的に開かれている。サコ氏自身がマリ共和国のカレーを振る舞い、祖国の生活や文化を紹介した事もある。


 




 京都精華大学は1968年の開学時から「自由自治」「人格的平等」を掲げ、民主的な大学運営を徹底して追求して来た歴史がある。5学部・4研究科の専任教職員が全員出席する「教職員合同会議」が3カ月に1回。学長・理事選挙の選挙権・被選挙権も、全ての専任教職員に与えられて居る。過つては、学長から食堂職員や用務員迄一律の給与体系だった時代もある。
 そうした流れに沿う形で「違いと共に成長する」は登場した。ダイバーシティ推進センター長を務めた矢澤愛さんは、サコ氏と共に理念の実現に向けて走り回って来た。

 「(サコ氏からは)上下関係を感じることが無いし、どんなに意見や立場が違う人でも、取り敢えず話を聞こうとしますよね。それと、怒ら無い。理不尽で辛い自身の体験も一旦笑いに昇華させて話します。凄いなあ、と」

 矢澤さんはシングルマザーで「働き方と云う意味ではマイノリティーです」と言う。フランクな語り口は初対面の人にも緊張感を抱かせ無い。矢澤さんが続けた。

 「理不尽に直面すると、どうしても怒って相手を責めてしまう事があったんです。でも、それだと相手が引いて逆に伝わら無いんですね。サコさんは『楽しく遣って、周りを巻き込んで行こう』と云う遣り方。国籍や肌の色だけじゃ無く、〈違い〉の生じる切り口は無数にあって、誰もがマイノリティーに為り不自由を感じる可能性があるんだと思います」


 




 民主主義が進めば多様性を損なう?

 1年余り前の取材で、サコ氏は次の様な事を語って居た。学内選挙によって就任が決まった直後である。

 「精華大は、民主主義と平等主義が徹底して居るから僕は学長に選ばれた。だけど、民主主義が徹底していると云う事は、多様性が進んでいないと云う事でもある」

 民主主義が進めば多様性も進む・・・普通はそう考えそうだ。サコ氏の発想は逆である。この4月、どういう意味なのかを再び尋ねてみた。

 「皆が同等の権利を持ち平等に扱われると云う事は、全員が差異の無い平準で無個性な数の一人に為ってしまう恐れがあると云う事。僕が好く話す〈しょうが焼き弁当〉の話の様に、個々の宗教的背景や健康状態や好みも全部無い事にして『平等なんだから全員一緒で好いだろ』と為ってしまう。民主主義と多様性って、両方実現しようとするのはナカナカ難しいと云う事です」

 〈しょうが焼き弁当〉の話とは、サコ氏の経験談だ。お昼時に行われた大学の会議で「全員、同じ弁当で好いね?」と豚肉のしょうが焼き弁当が用意された事がある。サコ氏はイスラム教徒であり、豚肉を口に出来ず全部捨てたと云う。 
 市場原理主義に基づく「グローバル化」は、一方で世界中の人々の個性と多様化を押し殺して居るのでは無いか・・・そうした考えが、サコ氏にはある。昨年10月には、アフリカ初のノーベル文学賞受賞者と為ったナイジェリアの詩人、ウォーレ・ショインカ氏が京都精華大を訪れ、サコ氏との対談で同じ様な考えを披露した。

 「今日、世界の一極化が進むことによって、人間の価値を認め無い風潮がもたらされている」「グローバル化によって、マクロでは均質化と一極化が進み、ミクロでは分裂と対立の時代に入った」と。


 




 グローバル化の負の側面に対し、サコ氏はここ数年、警告を発し続けて居る


 今年の入学式でサコ氏は、ショインカ氏の言葉を引用し、その一例として祖国で起きた事件を挙げた。

 「私の出身国であるマリ共和国でも、遂先月、民族間の対立により村が焼き打ちされ、150人以上が殺害される事態が起きました。殺し合いが在った民族同士は長年共存し互いの価値観を尊重して着た筈です」

 グローバル化は、因襲的な束縛から個を解放する一方で、地域や民族の対立を顕在化させ、経済や教育の格差を広げ、人々に不安や分断をもたらしている・・・学長に為る前からサコ氏は、様々な処でそう警告を発して来た。だからこそ今、ダイバーシティ、詰まり多様な価値観を共存させる努力が必要なのだと。

 「先ずはお互いの違いを認める。皆同じでは無い事を知る。そして、個々の存在が自立出来る様にする。小さな大学からでも、そこから始めて行くしか無いんじゃないかナア」

 入学式で配布された冊子。47人の教職員からのメッセージと谷川俊太郎の詩が贈られた。



 松本創(まつもと・はじむ)ノンフィクションライター。新聞記者を経てフリーに。関西を中心に人物ルポやインタビュー、コラムを執筆。著書に『ふたつの震災 [1・17]の神戸から[3・11]の東北へ』(西岡研介氏との共著)『誰が「橋下徹」をつくったか 大阪都構想とメディアの迷走』『軌道 福知山線脱線事故 JR西日本を変えた闘い』など。

 この記事へのご感想やご意見、又は「Yahoo!ニュース 特集」で今後取り上げて欲しいテーマをお寄せ下さい。

                    以上




 【管理人のひとこと】


 市場原理主義に基づくグローバル化は、一方で世界中の人々の個性と多様化を押し殺して居る
 今日、世界の一極化が進むことによって、人間の価値を認め無い風潮がもたらされている
 グローバル化によって、マクロでは均質化と一極化が進み、ミクロでは分裂と対立の時代に入った

 以上、ウスビ・サコ学長の指摘する処は、全てが現在の世界に当て嵌まり、悪いことに我が国では、その一番の短所が全て網羅(もうら)されてる様だ。グローバル化の影に為る部分が集約され、一挙に噴き出したかの様な有様を迎えて居ると言っても過言では無い。それは全てが政治の失敗であり、その政治を許し作り出した私達やメディア全てが負わ無くては為らぬ重い十字架だ。
 何時までもこの様な事を続けては、この国は疲弊(ひへい)し尽くし再起の元気も喪失してしまう。今が、子孫に残すべく日本の国を作り直すラストチャンスかも知れない。



 






「実態を知らぬ〈嫌韓〉の罪深さ」




 




  「実態を知らぬ〈嫌韓〉の罪深さ」

 
  新大久保駅転落事故から18年


  勇気ある韓国人留学生が未来に託した 「日韓の架け橋」




  AbemaTIMES 5/27(月) 10:03配信 より引用します



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                辛潤賛さん

 
 先週金曜日、JR新大久保駅に1人の韓国人女性の姿があった。辛潤賛さん(68)は今から18年前、この駅で大切な長男を失った母親である。毎年の命日には、事故現場と為ったこの駅を欠かすこと無く訪れて居ると云う。
 2001年1月26日、JR山手線・新大久保駅で線路に落ちた人を助け様とした二人の男性が犠牲に為った。その内の一人である李秀賢(イ スヒョン)さんは当時、日本語学校に通って居た韓国からの留学生で当時26歳だった。


 




 事故現場と為ったホームに立ち、悲しみの余り今にも崩れそうな身体を懸命に維持しながら「何時もここに息子が居る様な感じがします」と涙ながらに話す辛さん。18年前の1月26日、一体何が起こったのか・・・


 




 東京・新宿の或る日、この日に行われて居たのは、3月に亡く為ったイ スヒョンさんの父であるイ ソンデさんを偲ぶ会。ソンデさんは息子の死後、日本と韓国の学生を繋ぐ奨学金制度を設立。この日は外交官等の関係者を含む80人を超える人が献花に訪れて居た。


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           26歳で亡く為った息子の李秀賢(スヒョン)さんを偲ぶ慰霊碑の前で 


 スヒョンさんは、高麗大学に在学中の25歳の時に日韓の貿易関係に興味を持って来日した。スヒョンさんが通って居た赤門会日本語学校の新井時賛理事長は当時のことを、

 「自分は必ず『日韓の架け橋』に為るんだと話していた。明朗活発で非常に運動も好き。音楽も好き、勉強も好きの稀にみる好青年。絵に描いた様な学生だった」

 と振り返る。自らの命を顧みず勇気ある行動を起こしたスヒョンさん。その行動を称えられる一方で、母親が大切な息子を異国の地で亡くした悲しみは想像を絶する。
 又、この日は両親の活動を追ったドキュメンタリー映画「かけはし」が上映された。その映画では、来日した韓国の学生と日本の学生が、交流を深めながら歴史認識の違いを知り成長して行く姿が描かれている。
 来場者した中高年の女性等が「凄く色々と考えさせられる」「今まで過ごした時間の中で今日が一番、有意義な時間の過ごし方だった」と映画の感想を述べれば、若い夫婦は「子供が立派に育つ様な親でいなくてはいけ無いと感じた」と話した。


 




 現実を受け入れられず、霊安室で眠る息子の携帯に電話を掛けた 


 近年、その関係が悪化の一途を辿る日韓関係。こう云った状況の中、スヒョンさんの母親はどの様な思いを抱いて18年間を過ごして来たのだろうか。18年前の事故当日、第一報を聞いた時の気持ち等も含めて話を伺った。

 「連絡があったのは夜1時過ぎでした。大怪我をしたと云う事だけ聞いたので、足が不便に為るのか? 腕は不便に為るのか? 等ケガの事ばかり考えて居た」

 そう話した辛さんの思いは来日直後に一変する。成田空港に降り立ったご両親を待ち受けて居た報道陣の余りの多さに「只事では無い」と云う事を悟った。しかしこの時点では、息子の死を知ら無かったと云う。その後、警察署の霊安室でスヒョンさんの遺体と対面することに為る。
 「これはうちの息子では無い」
 現実を受け入れる事が出来なかった辛さんは、その場でスヒョンさんの携帯電話を鳴らした。しかし、スヒョンさんの死と云う辛い現実は揺るが無かった。スヒョンさんの夢は、事故の翌年に開催されるサッカーの日韓W杯で通訳をする事だった。その夢は叶う事は無かった。この事故を経て、日本を恨んだことは無いのか? その問いに対しては次の様に答えた。

 「生前、スヒョンが日本が韓国より技術的な面で可なり発展して居ると言って居た。だから私も駅の機械は優れて居ると思って居た。スヒョンもそれを信じて行動を起こしたのだろう。事故後に実際に駅に行ってみたらホームドアやストップ装置も無くて、その時は凄く恨みました」 


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            赤門会日本語学校の新井時賛理事長


 「日本と韓国の架け橋に」亡き息子の遺志は未来の学生に託された


 しかし、辛さんの思いは或る出来事を機に変化したと云う。

 「葬式が行われたその日は凄く大雪だった。でも事故を通じてスヒョンの事を知って呉れた多くの方々が、手紙を書いて参列して呉れた。頂いた手紙を1枚1枚読んで居る内に気持ちが切り替えられる様に為りました」


 




 翌2002年には、全国から寄せられる支援金を元手に、アジア人の留学希望者を支援するLSHアジア奨学会を設立。「日本と韓国の架け橋に為りたい」と云う息子の遺志を継ぎその活動は続けられて居る。
 その理由に付いて辛さんは「息子は夢を叶える事が出来なかったが、同じ夢を見る留学生も沢山居る。スヒョンの強い遺志が多くの人を動かしたんだなと感じて居ます」/span>と語って呉れた。果たしてこの18年間は、そんな辛さんに取ってどの様な年月だったのか・・・辛さんは「息子は無くしてしまったけど遺志を受け継いだ18年間だった」と穏やかな笑顔で答えて呉れた。


 




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               三谷紬(つむぎ)アナウンサー


 実際に話を聞いたテレビ朝日の三谷紬アナウンサーは、

 「事故が起きた2001年は小学一年にも為って居らず、事故の事は殆ど知ら無かった。事故が起こって、息子さんが亡く為ってから失意に落ちるのでは無く、その後を見据えて、これからの留学生の事を支援しようとしたお母様やお父様の活動に心を打たれました。自分自身、何か嫌な事があったらそこで落ち込むのでは無く、次の事を確り考えた人生を送りたい」

 と静かに語った。この事件を受け、今日に至る迄日本では様々な変化があった。外国人留学生は2001年の約7万8000人から2018年では約29万8000人に増加。更にスヒョンさんの様な悲惨な事故を未然に防ぐ為の駅ホームドアの設置や緊急停止ボタンの設置に防犯カメラの増加等、事故の教訓は着実に生かされて居る。


 実態を知らずに〈嫌韓〉に走る「罪深さ」


 こう云った民間レベルで進む交流を受け、今後の日韓関係について意見を求められた国際政治学者の舛添要一氏は、

 「矢張り政治が問題。文大統領も安倍首相も確り政治の判断をすべきだし、政治判断をフォローするメディアも同じことだ。
 今だから話しますけど、3年前に失脚した大きな要因の一つは『日韓関係を良くしよう』とした事。当時の朴大統領に会いに行った矢先に批判が増えた。政府が日韓関係改善に取り組ま無かったから関係は物凄く悪かった。責めて地方の政府から改善を図るべきと考えた。
 東京とソウルは姉妹都市に当たる。しかし、(東京は)ヘイトスピーチが物凄かった。日韓の歴史認識において間違って居る点は間違って居ると申し上げるが、それ以上に〈政治の意思〉が確りし無ければ為ら無い。要約朴さんと安倍首相が話せる様に為ったら政権交代・・・非常に悲しいですね」



 


 

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 と持論を展開した。ネット問題に詳しい文筆家の古谷経衡氏は舛添氏の話を受けて、

 「スヒョンさんの事故の翌年のW杯辺りからネット右翼(ネトウヨ)と呼ばれる人達が出て来た。
 2003年から2006年に至る迄、それ等の人々はこの事故に付いて『事故自体がねつ造だ』と言って居た。韓国民団(大韓国民団)や日本メディアが韓国を美化する為にワザワザねつ造したとも。舛添さんが叩かれて居た時に、何の根拠も無い『舛添は在日コリアンだ』と云う噂も流された。
 ネット右翼の台頭に伴い、韓国人と実際に、又は通訳を介して話した事も無い人達が『韓国は滅亡する』『韓国人は嘘つきだ』『韓国人は盗人、詐欺師だ』と言い続けて来た。後に逮捕された或る人物に関しては、韓国に行ったことすら無かった。これが実態だ。韓国では反日本など売っていない、日本だけだ。この状況をどの様に考えるか」


 と語気を強めた。続いて大阪で生まれ育ったと云うタレントの時人は、

 「周りに海外の人が多く〈何が嫌なのか〉は分から無いが、シンプルに軽蔑したり差別したりと云う事があった。理由も判らずに『嫌韓』で居る人が多いと思う。僕もそうだが、こう云った事を知る事が出来れば、実態を分から無いまま差別して居る人が減る筈だ」


 




 と話した。最後に三谷アナは

 「日本で韓国がブームに為ったり、多くの韓国人が日本を訪れて居る。民間同士の交流は増えて居て嬉しい。一方で政治が可なり緊迫して居る状況だが、我々は政治に付いて何も言う事は出来無いのでモドカシイ」 

 と云う辛さんの言葉を代弁した。なを、映画「かけはし」は5月31日に大分で、6月25日の韓国での初上映を経て、7月7日に大阪、8月30日〜31日は沖縄で上映される予定だ。


                  以上



 





 【管理人のひとこと】


 管理人(私)が、駅のホームから線路に落ちた人を目撃したら一体どの様な反応をするだろう・・・と考えてみた。先ずは近くに駆け寄りその場を確認する「何が在ったのだ?」と。そして「落ちてしまい動け無い」状況なら大声を張り上げ廻りを見廻し駅員を探す。同時に「非常ベルを探して押して呉れ!」と叫び続ける・・・
 咄嗟にその様な行動が出来るか確信は無いが、その時間帯の電車の本数にもよるが、自ら線路に降りて助け出すまでの行動が出来るかどうかの自信は無い。

 スヒョンさんは恐らく「危ない!」と判断し、咄嗟に後先も考えずに線路に飛び降り救助に臨(のぞ)み、不幸にも電車に撥ねられてしまった。その時、彼は自らの危険は一切頭に浮かば無かったのだ。そんな事考えたら行動出来るものでは無い。危ない助ける、それしか無かった行動だ。何とも勇気ある行動だろう、私にはとても出来ない。日本だ韓国だとの国とは一切関係無い、人間としての咄嗟に出た尊い行動だ・・・有難う、ご冥福をお祈りする。


 




 管理人はこのニュースを聞いて心で泣いた覚えがある。何と立派な事が出来る人間なのだろう。何? 一人は韓国から来た留学生? 自分には到底出来ない立派な行動をする人だ・・・感謝とお詫びの気持ちしか無かった。私達は犠牲者に何を報いる事が出来るだろうか。
 責めて、日本の国民の多くで、残された肉親の方々に心からの感謝とお悔やみを捧げたいとの思いで一杯だった。政府や関係者は、特別な感謝と褒賞をさせて頂くしか報いる方法は無いと思った。

 〈嫌韓・嫌中〉〈ヘイト〉・・・何と人間の悪い面を強調する感情だろうか。国を人を嫌悪する・・・過去の戦争の際に敵国に対する、言われも無い意図的に作られた感情の事だ。「ネトウヨ」も同じなのだろうか、関心も無いので判らぬが、人や国を憎んで一体何が生まれるのか・・・単なる憂さ晴らしなのか、虐(いじ)めに似たこの感情を人は捨てられ無いものなのか・・・
 例え戦争で敵味方に別れても、一旦国を離れて個人に戻ったら同じ人間同士。そこには、人間としての感情が嫌でも現れる筈で、喜びも悲しみも分かち合う人間の関係が生まれる筈。一つの原因も無く何の因果関係も無いのに、廻りのムードに押し流されるのだけは慎みたいものだ・・・



 



 










2019年05月27日

日本史に於いて、天皇は 如何なる存在だったか?(歴史街道)




 




 【管理人】


 世界史と異なり日本史の取っ付きの悪さの一つには、古代において、天皇が大きな政治的影響を与えて居るにも関わらず、その存在がアヤフヤな上に、更に後継争いの内紛や私闘が続き酷く入り乱れて居る事で、途中で嫌気が指して来る事にある。
 記・紀は神話だとしても、その実相が判らず仕舞いのままでは、どうにも先に進ま無いのです。教科書でもこの辺りはハッキリとした記述も無く曖昧なままで済まされてしまう。行く行くは、権力と権威に離れて行くのだが、この辺りのモヤモヤを少しは晴らして呉れるでしょうか。歴史研究家の河合敦氏のお話です。





 日本史に於いて、天皇はいかなる存在だったか【古代〜応仁の乱編】


  PHP Online  5/27(月) 12:08配信衆知(歴史街道)より引用します



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               河合敦氏(歴史研究家)


 





 天皇と云う存在を読み解く鍵は、激動の時代にこそあるのでは?


 現在発売中の月刊誌『歴史街道』6月号では、『「天皇と日本史」の謎』と云う特集を組み、天皇が戦乱といかに向き合ったかを探って居る。しかし、「天皇と日本史と云うと、少し難しそう・・・」と云う方の為に、これだけは押さえて置きたい天皇と日本史の関係に付いて、歴史研究家の河合敦氏に解説して頂こう。先ずは、古代から応仁の乱頃迄をご紹介します。



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              大山古墳「真の被葬者は?」


 「大王」から「天皇」へ


 災害等の被災地をお見舞いする皇族の方々の姿を見て、天皇と云う存在を身近に感じる方も多いでしょう。また「令和」と云う新たな時代を迎え、天皇について考える人も居る事でしょう。しかし「日本人に取って天皇と云う存在がいかなるものなのか」と問われると、答えに窮してしまう人は少なく無い筈です。
 或る面で、日本史は天皇の歴史と言っても好いかも知れません。天皇は政治的な実権を握り続けた訳ではありませんが、天皇無くして日本の為政者は権力を維持出来無かったからです。ここでは、天皇と云う存在を考えるヒントとして「天皇と日本史」の流れを解説して行きましょう。

 先ず3世紀後半辺りに、現在の奈良県に当たる大和地方を中心とする畿内の政治勢力によって、ヤマト政権(大和朝廷・倭王権)が成立し、四世紀中頃迄には東北地方中部まで勢力を広げたと考えられます。
 ヤマト政権は近畿地方を中心とする豪族達の連合政権で、そのリーダーが「大王(おおきみ)」後の天皇と為ります。大王に付いては様々な説があり、呪術を掌る司祭者的存在として豪族に擁立されたとも、当初は複数の豪族が交代で大王を務めたとも言われます。

 やがて、全国を平定して行く中で、天皇は司祭者から武人的な性格へと変化して行きました。古墳の副葬品からそれが窺えるのです。
 現在の歴史学の世界では『日本書紀』『古事記』の記述を全て史実とするのは難しいとされ、神武天皇から始まる歴代天皇も、何処からが実在の人物とするかは様々な議論があり定まって居ません。
 
 何れにしても、古代において天皇が強大な権力を持って居たかと云うと、そうではありません。七世紀前半頃迄は、地方を平定して行きつつも、そのまま地方豪族に民の支配を任せて居るからです。豪族を強力に支配すると云うより、豪族の上に立つ象徴的な存在だったと言えるかも知れません。


 




 天武天皇による武力での中央集権国家成立(壬申の乱)


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 しかし大化元年(645)の大化改新を機に、天皇の権力は徐々に強まって行きます。中国に隋・唐と云う強大な中央集権国家が成立した事で「侵略され支配を受けるのでは」と云う危機感が国内に高まり、唐の様に天皇を中心とした中央集権化を進め様と云う動きが出て来るのです。
 その中で特筆すべきは、天武元年(672)の壬申の乱でしょう。大海人皇子(後の天武天皇)が武力によって近江朝を倒し、強大な権力を手にした事で、中央集権化が急に進んで行く事と為るのです。

 皇族を上位とする新たな氏姓制度である八色の姓の制定、豪族の私有民を禁じ所有地の一部を公収する公地公民富本銭と云う貨幣の鋳造、国史の編纂事業も開始されました。
 「天皇」の称号「日本」の国号も、天武の時代に用いられる様に為ったと言われます。様々な見方がありますが、この天武の時代に、日本は大きく動き出したと位置付けられるのではないでしょうか。

 天武の後は、天皇の権力が比較的強い時代が続きます。特に桓武天皇・平城天皇・嵯峨天皇等、平安初期の天皇は強い権限をもって親政を行ないました。一方で、奈良時代から藤原氏(北家)の力が強まり、平安中期に為ると天皇の外戚(母方の親戚)の地位を独占する様に為ります。


 





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                摂関政治


 その結果、9世紀後半から藤原氏の当主が外戚として摂政や関白と為り、天皇を奉じて政治を主宰する摂関政治を始めます。これは、平安時代の通い婚と云う結婚制度が関係して居ます。貴族の夫婦は同居せず、天皇の皇子等も母方の家で育てられました。これによって、天皇は摂関家の影響下に置かれ、余り表に出無く為り朝廷の象徴的な存在と為って行くのです。


 武士の台頭と皇統の分裂


 摂関政治は、11世紀後半に転機を迎えます。治暦4年(1068)170年振りに摂関家を外戚としない後三条天皇が即位。後三条は摂関家に遠慮無く政治を行なった為、事実上、摂関政治は終焉しました。
 後三条が在位わずか五年で世を去ると、その第一皇子・白河天皇が即位します。すると白河は、応徳3年(1086)に僅か8歳の我が子・堀河天皇に譲位。処が慣例を破り、白河は上皇と為っても権力を手放しませんでした。

 自らの御所に財産を管理する院庁を開き、朝廷の太政官や国司等に院宣(上皇の命令文)を下し、有能な近臣を集めて政務に大きく関与する様に為ったのです。これが院政で、以降、鳥羽・後白河・後鳥羽に至るまで約百年間続く事に為ります。

 白河は、異母弟の輔仁親王に皇統を渡したく無かった為に、この異例の政治形態で権力を握り続けたと考えられます。又白河は、武勇に優れた武士を引き立てて北面の武士と云う親衛隊を組織しました。この様な軍事力を持った事も、院政を可能にした一因ではないでしょうか。


 





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                  平清盛


 北面の武士の中には、平清盛の祖父・平正盛も居て、やがて院政下で力を蓄えた平家が台頭する事と為ります。そして、保元の乱・平治の乱を経る事で武士の世と為り、平家を倒した源氏によって初の武家政権である鎌倉幕府が樹立されるのです。但し、幕府の支配は当初、西国にまで及んで居らず朝廷と幕府で権力を二分する形でした。


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              源頼朝が征夷大将軍 鎌倉幕府成立 


 この関係を大きく変えたのが、承久3年(1221)の承久の乱です。この戦いに敗れた後鳥羽上皇は配流され、以後、朝廷は幕府の介入を受ける様に為り、実質的に天皇も幕府の意向で決まる状態に為りました。ここに、天皇は政治的な権力を失う事に為ります。
 最も、権力は失っても、天皇の権威は失われた訳ではありません。幕府は政権維持の為に、源氏の血統が3代で途絶えてしまうと、摂関家そして天皇の血筋に連なる人物を将軍に祀り上げ続けました。


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                    後鳥羽天皇


 鎌倉中期、天皇家を二分する出来事が起きます。文永9年(1272)後嵯峨法皇が亡く為った後、天皇家は持明院統と大覚寺統に分裂して皇位を巡って争う様に為ります。これが後に、南北朝の争乱にも関わって行くのです。


 




 簒奪(さんだつ)の危機、そして財政逼迫へ


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                 後醍醐帝


 文保2年(1318)、大覚寺統の後醍醐天皇が即位します。やがて親政を始めた後醍醐は倒幕を目指す様に為りました。これは当時、朱子学が日本に入って来たことが影響したとの説もあります。
 朱子学には「君臣の名分を正して、絶対王権を確立する」「覇者では無く王者が政治を執るべき」と云う考えがあります。これを突き詰めると「天皇が直接、国政を見るべき」との結論に至ります。実際にその様に思ったかは判りませんが、兎も角後醍醐は執念で幕府を崩壊に至らしめ、元弘3年(1333)建武の新政を始めました。処が、政権は僅か2年で、足利尊氏の離反を招きます。

 余りに独裁的な手法により、武家だけで無く公家からも反発され、尊氏による室町幕府樹立へと繋がって行くのです。尊氏が京都を占領し、持明院統の光明天皇を擁立すると、後醍醐は吉野に逃れて南朝を開きました。こうして南北朝時代を迎えますが、元中9年(1392)室町幕府の3代将軍・足利義満の手によって合一されます。
 これは天皇家に取って大きな出来事ですが、新たな危機が迫って居ました。足利義満は長男の義持を将軍とし更に次男の義嗣を天皇にして、自身は公武の上に君臨し、天皇家を簒奪しようとしたとの説があるからです。


 




 しかし応永15年(1408)義満が急死。後を継いだ四代将軍・義持には全く簒奪の意志は無く、しかも朝廷の政務を後小松天皇と公家達に一任しました。こうして危機を脱したかに見える天皇家ですが、応仁元年(1467)に応仁の乱が起きると、京都の市街地が焦土と為り、大変なことに為りました。

 当時の朝廷は、幕府の保護を受けて居る様な状況でしたが、乱によって幕府は衰退し貴族も地方に避難してしまいます。これによって朝廷の財政は逼迫し、明応9年(1500)に後土御門(ごつちみかど)天皇が亡く為った際には、43日後に要約葬儀が執り行なわれる程でした。
 更に言えば、その後の後柏原(ごかしわばら)天皇が即位式を挙行出来たのは、何と天皇に為ってから22年目のこと。この頃が天皇家に取って一番大変な時期だったと言えるかも知れません。


 ※本稿は、歴史街道2019年6月号特集『「天皇と日本史」の謎』より、一部を抜粋、編集したものです。

 河合敦(歴史研究家)




 






 【管理人のひとこと】


 日本史音痴の管理人は、この説明を得て初めて天皇が何たるかの何千分の1位は理解した様な錯覚を得ました。流石、河合敦先生の判り易く端的なご説明でした、ありがとうございます。冒頭の設問に在る様に「天皇と云う存在を読み解く鍵は、激動の時代にこそあるのでは?」との回答は何なのだろう。
 激動の時代とは、大化の時代の壬申の乱や平家が勃興した保元の乱・平治の乱に鎌倉幕府の成立・後鳥羽上皇の承久の乱で天皇の権力が消滅・・・等の歴史が変化する激動の時代と共に天皇の存在が変化する・・・を指して居るのでしょうか。
 天皇とは・・・の回答は、何時の時代に為っても、現在の令和の時代でさえも、我々には判り難い天上の事を指して居るのでしょうか。管理人が考えるには矢張り、古代から今まで日本民族の象徴だったのでしょう。言い換えれば短絡的ですが、庶民が何も考えずに発する「お天子様・・・」で有り続けるのです。詰まりは、歴史的な国民と天皇の関係は、その意味では何も変わっては居ないと考えても好さそうです。


 
 







問題の本質は少子化ではない 企業投資で経済は復活できる



 




 問題の本質は少子化では無い 


 企業投資で経済は復活出来る


 ダイヤモンド・オンライン 5/26(日) 6:00配信より引用します 



 『日本経済 低成長からの脱却 縮み続けた平成を超えて』



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       松元 崇 著(NTT出版/1900円)の紹介記事



 現在、日本の経済成長率は、主要先進国の中でも最低と為る1%程の低い水準を続けて居り、日本経済は世界の中で相対的に縮み続けている。こうした流れの中で、今回紹介する『日本経済 低成長からの脱却』は、日本型格差社会の到来への強い危機感を炙(あぶ)り出す。
 加えて、選択と集中の時代に為った今日でも、日本企業が成長の為に投資を行えば、大企業も中小企業も成長するボトムアップ型の経済成長を達成出来ると云う。

 本書は、日本が潜在能力をフルに活用する為に、数多くの提案をして居る。先ずは、第2次世界大戦後に出来上がった独特の終身雇用制が制約と為り、投資に失敗した時に不要な人員を抱え込ま無ければ為ら無い事が、企業に取って大きなリスクに為って居ると云う事実を認識すべきだと云う。
 その上で、日本で解雇されて転職することに為っても、次の職を見つけ易い様な仕組みを整備して置く必要があるとして居る。取り分け、これ迄の輸出企業が牽引(けんいん)して居た経済成長を、全ての企業が牽引し、国民一人ひとりがその能力を十分に発揮する様に変革する為には、相当の投資が必要であるとして居る。

 著者は、第2次安倍晋三政権で内閣府の事務次官を務め、アベノミクスの旗振り役として活躍した人物である。本書でも、スウェーデンが過つて20年間でGDP(国内総生産)比約2割にも相当する増税を行って、今日の活力ある福祉国家を築いた話が紹介される。しかし、こうした負担を伴う働く世代への投資の議論にまで踏み込むには、国民の幅広い理解が不可欠だと指摘する。
 中でも、評者が興味深く読んだのは、スウェーデンの充実した社会保障が、流動的な労働市場を下支えすると云う形で選択と集中の為の投資を担保して居ると云う固有のメカニズムである。


 




 詰まり、企業が選択と集中を行った場合に解雇された従業員が、本人の努力次第でキャリアアップし、より高い所得を得て行く事を充実した社会保障で助けて居る。そうして、選択と集中の時代に企業が発展し同時に従業員も、より高い所得を得られる様に為ると云うウィンウィンの関係が作り出されて居る事を強調して居る。

 マクロ・エコノミストの立場からすれば、金融政策や財政政策の失敗が、1人当たりの労働生産性が伸び無く為った本質的な原因だとし勝ちである。本書では、構造改革の視点からその原因を特定し、成長の為に国民の負担で新たな投資を実行すれば、日本経済は復活を果たせるとの根拠が確りと解説されて居る。

 (選・評 第一生命経済研究所経済調査部首席エコノミスト 永濱利廣) 

                以上









 【管理人】


 著者は「第2次安倍晋三政権で内閣府の事務次官を務め、アベノミクスの旗振り役として活躍した人物だ」とある。果たして、現在の状況を企画し実行した言わば張本人が、何を寝惚(ねぼ)けた事を言ってるのだ・・・と思わずに居られ無いのだが、彼が為すべきなのは、第一にアベノミクスへの専門家としての評価だ。
 今の状況を見て、どの様に成功したのか又は失敗だったのかを謙虚に反省し・・・専門家としての忌憚(きたん)無い考えを聞きたい。スウェーデンを例に挙げ、増税で今の様な経済成長を出したとするが、その表面的事象を捉え日本に持ち込んで評価するのはどうなのかと思う・・・日本経済を引っ張る組織の官僚として、余りにも考えが浅過ぎるのでは無いだろうか。

 国民の多くが「この20年のデフレを変えられ無かったアベノミクスは、大失敗以外の何物でも無い」との評価が強い。現在の日本の経済力や成長力は、先進国の中では最低のラインを這いずり回って居る。更に、GDPの過半を為す国内消費=内需の綻(ほころ)びの中での増税を企図して居るのは、誰が考えても可笑しな政策だろう。次に、別のレポートを紹介します。
 


 





 世界的ベストセラーの著者が教える


 「日本企業が〈新しい力〉を手にする法」



 「NEW POWER」著者ジェレミー・ハイマンズ氏インタビュー



 ダイヤモンド編集部記者   片田江康男



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 『NEW POWER これからの「新しい力」を手に入れろ』著者のジェレミー・ハイマンズ氏 



 ・・・著書『NEW POWER これからの世界の「新しい力」を手に入れろ』は米「ニューヨーク・タイムズ」や英「フィナンシャル・タイムズ」等各国メディアで絶賛されて居ます。ここで語られて居る「ニューパワー」とはどの様なものなのでしょうか。

 ニューパワーはメソッドであり、21世紀のインターネット全盛の時代に於けるマインドセットとして提示しました。ニューパワーは「潮流(カレント)」の様に広まるもの。多数の人々によって生み出され、オープンで、対等な仲間に依って運営されて行くものです。
 一方で「オールドパワー」は「貨幣(カレンシー)」に似て居ます。限られた少数の人々が持って居て、その人達は強大な権力を蓄え行使出来ます。閉鎖的である事も特徴です。オールドパワーは持てば持つ程増長されパワフルに為って行きます。その為、人々はそんなオールドパワーを兎に角獲得し、一度得たらそれを所有し続けることを考えて居ました。

 具体的な例として分かり易いのが、2017年後半に世界中で起こった、セクシュアルハラスメント問題を告発する「#Me Too」です。
 ハリウッドの大物映画プロデューサーのハーヴェイ・ワインスタイン氏は、多くのセクハラ疑惑を告発されました。このワインスタイン氏はオールドパワーを背景に伸し上がった人物。ハリウッドでの影響力、それに依って得た富を背景に、自分の味方には報酬を与え敵は処罰する。巨大なヒエラルキーを作ってその頂点に君臨して居ました。まるで神の様な存在に為って居たのです。

 その一方で、セクハラを受けた被害者達は次々に告発し、それに依って世界的に大きなムーブメントに発展しました。エネルギーの潮流と言っても好いでしょう。被害者達はそのムーブメントに簡単に参加することが出来ます。オールドパワーの様に、そのムーブメントを誰か1人が運営したりコントロールしたりすることはありませんでした。
 仮に「#Me Too」のオフィスを探し「リーダーに会いたいんですが」と言ったって、そんなリーダーは居ない訳です。今は誰もがインターネットを使って居て、繋がって居る時代です。ネットが誕生した約20年前もこうした状況は予想出来ましたが、当時は今の様に誰もが参加し潮流を起こす事が出来る様な状況ではありませんでした。


 




 ・・・ニューパワーが新しい社会の重要な要素に為ると気付いた切っ掛けは何だったのでしょうか。


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              ヘンリー・ティムズ氏


 本書のもう1人の著者であるヘンリー・ティムズと4年程前、米「ハーバード・ビジネス・レビュー」に、ネットがどの様に世界を変えるのかと云う事をテーマに論文を寄稿しました。当時、代表的な二つの考え方があり「ネットが兎に角全てを変える」と云うものと「全く変わら無い」と云うものでしたが、私達はその両方とも間違って居ると考えて居ました。
 そこで私達はパワー・・・詰まり意図した効果を生み出す能力に的を絞って考えました。その時、ポイントに為るのは「皆が参加出来る」と云う事でした。

 この変化に依って、これ迄の様にパワーが1カ所に留まって居る事は無く、常に動く世界に為ると云う事が分かって来ました。そして、社会のパワーの在り様が変われば、企業のビジネスモデルも変化して行くだろうと考えました。
 例えばエアビー&ビーやフェイスブックは、こうした大きな社会変化のダイナミズムの中で生まれたものなのです。


  




 変革を主導する「シェイプシフター」は組織内に居る筈だ


 ・・・著書では「ニューパワー・マトリックス」を提示して居ます。横軸に組織の価値観がニューパワーかオールドパワーかを、縦軸には組織のビジネスモデルがニューパワー・モデルかオールドパワー・モデルかを表し、企業をそのマトリックス上に記しました。日本企業をこのマトリックス上に配置すると、どう為るのでしょうか。

 多くの日本企業は、組織もビジネスモデルもオールドパワーの価値観のママです。と云うのも、今まで日本企業はそれで上手く行って居たからです。日本企業、例えば製造業なら効率性や品質と云った点で世界から評価されて来ました。階層によって分かれた組織が最適で、消費者や従業員等が自由にプロジェクトに参加出来る参加者意識と云ったものは必要無かった訳です。
 只、これからもそれで好いかと云うとそうでは無いでしょう。成長して行く為には、既存の従業員や組織から生まれる事が無かった様なクリエーティビティやイノベーションが必要です。その為には、熱烈なファンだけでは無く、自分達に批判的な意見を持つ人達でさえも巻き込んで、一緒にプロジェクトを進める必要が出て来るでしょう。
 従来は給料を支払う従業員だけをマネジメントすればそれで好かったのですが、これからは給料を支払わ無い、それ以外の群衆迄も企業はマネジメントし無ければ為ら無いのです。


 




 ・・・日本企業が組織に於いてもビジネスモデルに於いてもニューパワーを取り入れるには、何が鍵と為るのでしょうか。

 伝統的な企業がニューパワーの取り込みで成功した例として参考に為るのが、デンマークの玩具会社のレゴです。レゴは、それ迄のメーンの顧客である子供達だけでは無く、大人のファンも取り込むことに成功しました。ファンの作品を発表出来るプラットフォームを整備し、そこで投票出来る仕組みを運用し始めました。それが切っ掛けで、レゴはコミュニティーの運用に成功し、それによって収益も大きく改善しました。

 しかし、一気に会社を変えることは困難です。そこで重要なのが、変化を先導するリーダーです。それが本書の中でも提示して居る「シェイプシフター(変身能力者)」です。組織で長年働いて居て忠誠心があり、他の同僚からの信頼が厚い人です。変革する必要を感じて居り、変革しない場合の危機感を持つ人です。只、ディスラプター(破壊者)とは違います。


 ・・・既存の組織の文化や価値観に染まって居ない外部の人材であるディスラプターの方が機能する様に思えます。実際に多くの企業がそうして居ます。

 確かに、ディスラプターはそれ迄の企業の価値観に縛られていない故に、変革を生み出す事が出来るケースもあるでしょう。只、その組織や業界の知識が無い人が、本当に変革を主導出来るのでしょうか。私は大企業であればある程、組織の内部からシェイプシフターを探す方が正しい遣り方だと思って居ます。
 シェイプシフターと為り得る人材は、組織内に居る事が多いのです。組織の変革に向かって行く事を歓迎する人、それ迄の階級型の組織に当て嵌らず、顧客や専門家等様々な人と繋がりを持ち、イノベーションを起こせる様な人材は必ず居るものです。重要なのはそう云う人達にミッションを与える事です。

 私は、オールドパワーが既に廃れて居るから捨てるべきだと言っている訳ではありません。実際に未だ健在です。重要なのはニューパワーを理解して、それをオールドパワーとブレンドすること。企業に取っては、ニューパワーはこれから成功する為に鍛え無ければ為ら無い新しい〈筋肉〉だと云う事です。

(構成/ダイヤモンド編集部 片田江康男)


 




 ジェレミー・ハイマンズ  Jeremy Heimans

 ニューヨークに本拠を置き、世界中で21世紀型ムーブメントを展開する「パーパス」の共同創設者兼CEO。「ゲットアップ」共同創設者。194ヵ国、4800万人以上のメンバーを持つ世界最大規模のオンラインコミュニティ「アヴァース」共同創設者。

 ハーバード大学、シドニー大学で学び、マッキンゼー・アンド・カンパニーで戦略コンサルタント、オックスフォード大学での研究員を経て現職。世界経済フォーラム「ヤング・グローバル・リーダーズ」世界電子政府フォーラム「インターネットと政界を変える10人」ガーディアン紙「サステナビリティに関する全米最有力発言者10人」ファスト・カンパニー誌「ビジネス分野で最もクリエイティブな人材」フォード財団「75周年ビジョナリー・アワード」等に選出。
 ヘンリー・ティムズと共にハーバード・ビジネス・レビュー誌に寄稿したニューパワーに関する論文は、同テーマのTEDトークが年間トップトークの1つに為り、CNNの「世界を変えるトップ10アイデア」に選ばれる等大きな話題と為った。


                  以上


 





 【管理人のひとこと】


 「独特の終身雇用制が制約と為り企業が活発な投資を出来無かった」とは「その投資が失敗した場合に余剰な人員を自由に解雇出来無かったからだ」との解釈の様で、現在「終身雇用の廃止」や「副業の自由」との声が使用者側から盛んに出て居る事の流れと同じ。
 これも「企業が儲かれば自ずと従業員側も高い報酬が貰える」とする考えと同じで、実際にはそうは為ら無い現状をどう捉えて居るのだろう。大企業には史上最大の利益が社内で積み上げるばかりで、分配もせず投資もしない。これは、将来への不安があるからだ。

 現状と同じであれば将来の伸び代は考え難く、とても投資は出来ず社員への分配も増やせ無い・・・詰まり、デフレ状況では一切の投資は出来ないと云う訳だ。確かにそうである、消費が伸び無いのに高性能の設備を入れても売り上げが伸びる訳でも無く、省人化設備を入れると人手が余ってしまう。企業は自由に従業員を解雇できないからだ・・・と為る。
 それでは、日本の企業が従業員を自由に解雇出来れば、果たして企業が活発に投資し景気が上向くのだろうか。解雇された多数の事業員の生活はどうなるのだろうか・・・そのセーフティーネットの構築無しにはこの様な身勝手が可能な訳は無い。これは、飽くまでも企業側の一方的言い分ダ。

 それで無くとも我が国は円安で輸出の増大が「善」だと思い込まされて居る。円安の影響は、輸入品が高く為り国民生活を圧迫する事にも繋がる。その事を忘れて居る。確かに円安だと海外からの観光客が増え、インバウンドが増長するが、日本の価値自体が減少する事でもある。
 我が国は、先ずは内需の拡大を狙いその障壁を一つずつ取り除く事から始めなければ為ら無い。先ずは、国民の消費意欲を高め国内産業の発展無しにはデフレから脱却出来ない。但し、企業が利益を還元しなければ今のままの状態が続く。それには、どうしたら好いかは既に結論は出て居る。



 








2019年05月24日

ファーウェイ排除はどう転ぶ? 米中「5G戦略」の違いを徹底解説




 




 【ネットニュース 経済】



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 米中「5G戦略」の違いを徹底解説 ファーウェイ排除はどう転ぶ?



 5/24(金) 7:10配信 ビジネス+IT 2019最新 より引用します



 2019最新 米中「5G戦略」の違いを徹底解説 

 ファーウェイ排除はどう転ぶ?


 〜5G戦争の行方を、両国の戦略を比較して読み解く〜


 




 2019年5月20日、米グーグルがファーウェイへの一部ビジネスを停止したことが報じられた。トランプ政権は米国内の次世代通信規格5Gネットワーク建設で、中国の華為技術(ファーウェイ)の通信機器の採用を安保上の理由から認めず、欧州や日本等にも同社排除の圧力を掛けている。
 「米中貿易戦争の一環」「中国の世界テクノロジー制覇の野望である中国製造2025を潰す為」等の解説が為されて居るが、中国との5G競争において米国が同分野で何をしたいのか、何に為りたいのかと云う「鮮明なビジョン」が一向に見えて来ない。米中5G戦争の本質は、実は戦略の欠如による米国の迷走にあるのではないか・・・


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        明確なゴールに向かい、中国の5G戦略は進んでいる



 中国の5G戦略は明瞭、国家目標と完全合致している


 米国のテクノロジーにおける優位を覆(くつがえ)し、将来的に世界的な技術のリーダー、更には政治の指導的地位に上り詰める目標と道筋を掲げる中国の思考は、極めて明確で戦略的であり且つ現実的だ。


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 先ず、国家の進むべき方向性と云う「戦略」がハッキリと定められ、その目的を実現する為の「戦術」として、強大な指導力を持つ中国共産党の力で5Gや人工知能(AI)等の最先端技術分野の開発や商業化が、迅速かつ効率的に実行されて居るのだ。
 習近平国家主席が2017年10月に中国共産党大会で再確認した「政治・経済・社会の全てを党の統制下に置く」と云う従来からの大方針に基づき、国有企業・非国有企業を問わず、最先端テクノロジーが共産党独裁と「中華民族の偉大なる復興」の礎であると位置付けられて居る。

 この大方針の下で、明確な国家目標(戦略)と現実的かつシナジー効果の高い産業支援策(戦術)が打ち出され、独裁ならではの迅速で総合的な意思決定により驚異的な発展を遂げて居る。
 事実、中国政府は2017年11月に、自動運転・スマートシティ・医療映像・音声認識の4部門から為る人工知能(AI)国家プロジェクトを認定し着実な成果を挙げて居る。又、2025年迄に国内の全世帯の80%にワイヤレスの5G機器やサービスの利用に不可欠な光ケーブル通信を普及させる計画を実行し、広大な国土の高速データ化を急ピッチで進めて居る。

 これは、3Gや4Gの開発や展開で米国に後れを取った反省に基づき、数年来の長期的な計画で行われて居る。米コンサルティング大手デロイトが2018年8月に実施した調査によると、2015年以来の中国の5Gインフラ投資は、米国の投資額を240億ドル(約2兆6690億円)も上回って居り、米国の3万基に対して35万基の基地局を建設、建設済総数は米国の20万基に対し、中国が190万基に及ぶ。この先、中国は更に4000億ドル(約44兆4838億円)相当の5Gインフラ投資を行うとされる。

 技術開発面でも中国のリードは開く一方だ。独調査企業IPlyticsが1月に発表した5G分野の代替の効か無い技術特許出願数の統計によれば、中国が34%14%の米国を引き離し、現行の4Gの1.5倍以上のシェアを握る。


 




 世界を侵略しつつあったファーウェイに排除の手


 こうした中、ファーウェイや中興通訊(ZTE)に代表される中国のテクノロジー企業は5Gに関して、あらゆるニーズに応えられるラインアップを自国で製造して自国内で普及させて居り、更に高品質・安価を武器に世界中でシェアを拡大中だ。

 例えば、商業用の光ケーブル等の通信基盤、ルーター等の通信機器、アンテナや制御装置等基地局機器、データのストレージシステム、5G携帯端末向けのモデムチップ、コネクテッドカー向け5G通信モジュール、そしてこれ等全ての連携に関わるソフトウェア等、総合力で他国の競合を圧倒して居る。
 特筆されるのは、これ等の5G機器は戦略的に他社製品との互換性を欠くものが多いことだ。現行の4G世代の通信機器や基地局にファーウェイ製品を採用すれば、将来的には5G機器も自動的にファーウェイ製品を使う事に為る。

 更に消費者向け商品においても、中国企業は5G携帯端末や5Gテレビ等周辺機器で世界に先駆けて、次々とイノベーティブな新製品を発表して居る。中国製品はシェアの面でも伸びて居り、米調査会社IDCによると、1〜3月期の世界スマホ出荷台数で、首位の韓国サムスン電子や米アップルが落ち込む中、ファーウェイがメーカー別のシェアで2位に為った。

 こうした中、5月20日にはトランプ政権によるファーウェイ排除の意を受けた米グーグルがファーウェイの新規発売アンドロイド端末向けのライセンス契約を変更し、PlayストアのアプリやGmailアプリの利用が出来なく為る様にすると報じられた。追い討ちを掛ける様に、ファーウェイにスマホ用の半導体等核心的な部品を供給する米クアルコム・米インテル・米ザイリコム・米ブロードコムがハードやソフトの供給を停止したと伝えられた。
 加えて5月22日には、ソフトバンクグループの英半導体設計会社アームが米国の規制に従い、ファーウェイに対して米国を原産地とする技術が含まれる契約停止をしたと報じられた。


 




 日本を含む海外で人気機種に為りつつあったファーウェイのスマホは、基幹部品の供給を絶たれ、更にアンドロイド端末の最大の魅力であるPlayストアのアプリが使え無い事で、消費者に取っての魅力も失い売上が落ち込む事が予想される。ファーウェイのスマホ部門の最大の危機である。
 これに加えて、ファーウェイ製の5G基地局や通信機器に対する米テック企業の部品やソフトの供給も遮断され、日欧メーカーも追随を余儀無くされれば、ファーウェイの経営そのものが揺らぐ。

 だがここで、アンドロイド後継としてグーグルが開発中のFuchsia(フューシア)OSを凌(しの)ぐスマホOSをファーウェイが開発して世界に広め、Playストアのアプリ以上に魅力的な海外向けの中国製アプリを提供し、臥薪嘗胆(がしんしょうたん)と自力更生で5G基地局や通信機器の部品も自給自足出来る様に為れば、ファーウェイはピンチをチャンスに変える事が出来るかも知れない。

 そうした「大逆転」が必ずしも夢物語として否定出来ないのは、中国が推進する「社会主義市場経済」の効率性と米国が信奉する「自由主義経済」の非効率性が、米中テック戦争の本質であり、米国がその非効率性と非合理性を対中禁輸や構造改革強制等の禁じ手でしか補え無いと云う現実が存在するからだ。


 社会主義市場経済こそが5G進展の原動力か


 この様な中国の5Gにおける決定的なリードは、1930年代から1950年代に掛けて5カ年計画に代表される計画経済(統制経済)に基づき、総合的に定められた産業目標を次々と実現させて世界を驚嘆(きょうたん)させた社会主義国家のソビエト連邦の成功を彷彿(ほうふつ)とさせるものがある。
 だがソ連はその後、大成功をもたらした計画経済そのものが硬直化して経済が非効率化し、行き詰まって米国に屈した。1991年のソ連の崩壊で「歴史の終わり」が意識され、米国式の規制撤廃と民間主導の自由主義経済コソが最も効率や生産性が高いと信じられる様に為る。

 そうした中で中国はソ連の失敗に学び、1990年代から自由主義経済を取り入れた「社会主義市場経済」を推進し、計画経済の長所と自由主義経済の長所の好いとこ取りを成功させた。それが5G分野における価格競争力や自力開発の高効率性や高生産性を生み、市場における勝利に繋がって居る様に見える。


 




 内輪争いで後れを取った米国


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 一方で、効率的かつ生産的である筈の自由主義経済が上手く機能せず、非効率から5G分野で中国に大幅に後れを取って居るのが米国だ。
 インターネットを発明し、アップル・クアルコム・グーグル・シスコ・アマゾン・マイクロソフト・インテル等のイノベーターの巨人を輩出、コンピューターのチップやソフトウェア、クラウド上の革新的なサービスを効率的に生み出し、3Gや4Gの開発や展開で先行した米国らしく無い。

 5G標準規格を策定する日欧米中韓の標準化団体3GPPにおいて、米国の参加企業であるアップル・クアルコム・インテル等は4月まで自社の利潤最大化を目的として互いの特許訴訟合戦を繰り広げて居た為、その間に標準化のリーダーシップにおいても中国に先行されて居る。
 イノベーションによる利益より、訴訟による「濡れ手で粟(あわ)」を優先した米国勢の内輪争いの結果、インテルは5Gモデムチップの開発を4月に放棄し、重要な米5Gプレーヤーが一社失われた。


 




 5Gの基幹と為る通信網の欠乏


 5G分野で、あらゆるビジネス向けお呼び消費者向けの製品やサービスを揃える中国に対し、5G通信機器や基地局を設計製造する企業は米国には一つも無い。5G実現に必須の光ファイバー接続に関しても、米国はおよそ1190万世帯しかアクセスを持た無いのに対し、中国は2億世帯の国家目標に近づいて居る。差は開く一方だ。


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           スーザン・クロフォード法科大学院教授


 ハーバード大学のスーザン・クロフォード法科大学院教授「先進5G無線ネットワークを実現するには、光ファイバーを至る所に張り巡らさ無ければ為ら無いが、米国にはそれが無い」と指摘する。5G通信機器を設計製造する米企業が無いだけで無く、ソモソモ基幹の通信網が欠乏して居るのだ。
 クロフォード教授によれば、中国の様に光ケーブル網整備を国家目標として米政府が推進し無かったことに大きな原因があると云う。同教授は「通信インフラ整備を、独占企業のコムキャストベライゾンAT&Tに丸投げする事により、米政府はIT政策における役割を事実上放棄した」と批判する。

 独占状態の中で絶対的な価格設定力を持つ米通信会社は、既存の通信網から最大の利潤を得ることに集中し、光ケーブル網をアップデートする動機付けが低く為って、米国は中国に後れを取ったとクロフォード教授は説明する。


 




 規制により生産性が低い米国の5G


 新自由主義的なモデルを信奉して来た米国では「規制撤廃と民間企業の最大利潤追求が最適の市場効率をもたらす」と信じられて居り、そのドグマが国家計画を極端に排除して、総合的な国家戦略の策定を妨げ、全体像・総合性・統一性・長期ビジョン・戦略可能性を低減させて居る。

 トランプ大統領は、中国が既に5G計画のロールアウト期に入った4月に為って、ヤッと204億ドル(約2兆3000億円)相当の補助金や規制緩和から成る米国版の5G計画を発表した。「我々のアプローチは民間主導だ。中国の様に政府では無い」と述べ、補助金で民間の通信会社やケーブル会社による地方での光ケーブル等の高速通信網の普及を後押しする考えを表明。
 トランプ氏は「米国が世界的なプロバイダーに為る為の競争に勝つ」「5Gが米国の農業をより生産的にし、製造業をより競争力のあるものに変える」「他のどの国もこの強力な産業で将来、米国を上回る事を許さ無い」等と訴えた。

 しかし米国の5G計画は、高い周波数帯を使う事で電波が届き難い「ミリ波」と呼ばれる帯域を採用する事が決定して居る。これにより、より多くの基地局建設が必要と為り、コストが嵩(かさ)む非効率が指摘されて居る。しかも、これが米国独自の「ガラパゴス規格」と為って、更に効率を下げる恐れがある。
 これに対して、中国を初め世界的に優勢な6GHz未満のsub-6帯域は、遠く迄電波が届き、建設する基地局の数が少なくて済む為安上がりである。

 翻(ひるがえ)って、米国でsub-6帯域は米軍が既に確保しており、民間に明け渡したく無い事情がある。この様に米国は規制緩和をうたい乍ら、実は規制による非効率や生産性の低さが存在する。
 更に、安価なファーウェイの基地局や通信機器を米通信企業が導入する事をトランプ政権が禁じた為、米企業はファーウェイ製品よりも30%程価格が高い欧州競合のノキアエリクソン製品を購入せねば為らず、その財政的負担増によって政権の大目標である早期5Gネットワーク建設が大幅に遅れる可能性が指摘されて居る。


 




 資本主義の非効率と社会主義の高効率


 こうした中トランプ大統領は2月に、未だ存在し無い「6G」ネットワークを「可能な限り早く」実現する事を望んで居るとツイートしたが、米国では未だ6G開発を総合的に取りまとめる組織さえ無い。

 I want 5G, and even 6G, technology in the United States as soon as possible. It is far more powerful, faster, and smarter than the current standard. American companies must step up their efforts, or get left behind. There is no reason that we should be lagging behind on・・・ Donald J. Trump (@realDonaldTrump)2019年2月21日


 一方、中国政府の工業情報化部5G無線技術作業グループでリーダーを務める粟欣氏は、中国における6G開発が、5Gロールアウト直後の2020年に公式に開始されると明らかにして居る。
 加えて、トランプ大統領が国家AI計画を打ち出したのは、中国に約2年遅れた今年に入ってからだ。しかも、各プロジェクトに潤沢な予算が付けられて居る中国と比較して、新たな財源が未だに確保出来ていない。民主党と連携して4月に発表した2兆ドル(約220兆円)のインフラ整備計画にもブロードバンド整備が盛り込まれたが、矢張り財源が未解決だ。

 こうした一連の混乱は、中国の様に国家目標や大戦略がハッキリして居らず、利潤追求企業の既得権益が強い為、総合的かつ効率的に目標に向かって一致して動け無い事が大きな要因である。
 社会主義的な統制経済に為ることを恐れる余り、公債・優遇税制の活用促進や政府保証の実施によって民間の投資リスクと資本コストを下げてやり、投資を呼び込む事が出来無く為って居る。そうこうする内に、効率や生産性の面で資本主義に劣る筈の社会主義に追い抜かされ様として居るのが現状だ。


 




 要約国家ビジョンが見え始めたが


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            ニュート・ギングリッチ元米下院議長


 こうした現状を憂いて居るのが、共和党強硬派のニュート・ギングリッチ元米下院議長である。同氏は「帯域割り当てが政府に保護された独占を生み出し、競争の無い環境で企業が利潤の最大化に走って居る」と独占企業を批判。 「米国は中国を破る為に中国の様に為るのでは無く、イノベーションを確保する為、競争による補助金支給を導入し、基地局を建設した業者が帯域を市場価格で販売すれば好い」と提言した。

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                民主党のクロフォード教授
 

 最終的には市場のメカニズムに依存しながらも、政策決定を民間に丸投げするのでは無く、方向性を国家が示すべきとの考えを持つ点において、民主党のクロフォード教授と共和党のギングリッチ元米下院議長が同じ認識を持って居る事が興味深い。
 翻って、トランプ大統領による5G計画の発表は、国家ビジョンの大切さが遅まき乍ら米国でも認識され始めた事を示唆して居る。


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            ジョナサン・グルーバー教授
 

 マサチューセッツ工科大学のジョナサン・グルーバー教授らは「連邦政府のインフラ投資予算を全米の地方に分散させたテクノロジー研究開発ハブに投資し、人とモノとサービスの動きを盛んにして、米経済を刺激すべきだ」との国家計画案を提案した。米国でも中国に刺激を受け、国家戦略の重要性が再認識されて居る。
 一方で、中国の国家戦略の効率性と合理性は5G等「応用研究」の段階では大いに機能して居るものの、創意工夫やイノベーションの継続を生む「基礎研究」とは対極にある。この先10年後、5G時代が終わる時に中国の快進撃は止み、ヤガテソ連の停滞期の様な非効率と非合理性が支配する様に為る可能性は高い。

 何故なら、社会主義市場経済は米国主導の自由貿易・グローバル化に基づいた中国製品やサービスの世界市場展開など資本の論理を前提に組み立てられて居り、その資本主義的な国際秩序が新冷戦や新ブロック経済化で巻き戻されれば効率性や合理性を失うからだ。
 禁輸など米国の封じ込め政策で追い詰められれば中国は判断を誤り、資源の非効率な集中やムダ使い、非合理的な政治判断が続出するだろう。

 元来、効率性・合理性と中華民族の復興と云う「中国夢」や共産党独裁は究極的には相反するものであったのが、自由貿易・グローバル化の受容で一時的に効率的に見えて居たに過ぎ無い。
 この様に米中テック戦争においては「米国モデル」の非合理性や、「中国モデル」の限界が見えて来た。


 




 我が国の立ち位置は・・・


 グローバル化が終焉を告げる中、日本が現在の中国の様な活力を欲し、尚且(なおか)つ中国の停滞を見据え「失われた30年」を乗り越えて国家百年の大計を立てるのであれば、米中の成功や失敗に学びつつ、他国が作った国際秩序からは一定の距離を取る事が重要なのかも知れ無い。

 開かれた市場を前提とした経済の有り方が意味を失いつつある世界において、戦後高度成長期の日本の準統制経済や通商産業省の護送船団方式(政府が国家プロジェクトのテーマ設定を行い、同業種の企業を集め、欧米技術に追い着き追い越すことを目標とする産官共同体制)等が、再び見直される時が来るかも知れ無い。

 在米ジャーナリスト 岩田 太郎


               以上


 





 【管理人のひとこと】


 「日本は、米中の成功や失敗に学びつつ、他国が作った国際秩序からは一定の距離を取る事が重要・・・」との指摘には誠に残念な思いがする。既に我が国は、このレースの中では競技場の観客席の中か、それとも何周も遅れたラストランナーなのかも知れ無い。
 政府が続けた、遅れ過ぎた過小な社会投資では今更国際競争の元へとは戻れ無い、そんな大きな後悔を持たざるを得ない。今更追いつか無い現実をマザマザと思い知らされる。グローバル化に構造改革・規制改革・構造特区・・・と次々と手を打って来た様に見え、結果としては政権に都合の好いお抱え御用経済学者のお小遣い稼ぎや、刎頸(ふんけい)の友の事業のお手伝いに終わってしまった。全ては、そんな人を何年も選んだ私達国民の責任だ。



 






 

2019年05月23日

寒冷化の再来と世界史の変貌 



 


 


 実は「温暖化の産物」だったモンゴル巨大帝国の続編


 寒冷化の再来と世界史の変貌




 〜前回で見た様に、モンゴル帝国の建設と繁栄の前提に温暖化があった。では、その前提が崩れた時、歴史はどう動いたのか〜


 14世紀と17世紀に訪れた2度の世界史的な危機の影響に付いて『教養としての世界史の学び方』(共編著)を上梓した岡本隆司氏が解説する。


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          岡本 隆司氏 京都府立大学文学部教授


 




 寒冷化の再来と世界史の変貌


 14世紀以降、地球は寒冷化に向かいます。そこで起こった数々の混乱は、ヨーロッパの歴史学において「14世紀の危機」と呼ばれて居る現象で特に「黒死病(ペスト)」が有名です。
 ヨーロッパばかりではありません。モンゴルが被った影響も大きく、これで帝国は解体し消滅しました。ユーラシアの統合は愚か、西アジア・中央アジア・東アジア夫々の政権による地域内部の統治さえ、維持出来無く為るのです。


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               ペストの蔓延


 




 寒冷化で痛め着けられた世界の中でも、中央アジアの立ち直りは早かった様で、ティムール朝が興起します。ティムール朝はモンゴル帝国の統治システムを殆どそのまま援用し、遊牧民と商業民が分業しながらタイアップし繁栄を誇りました。
 処がこの政権も短命で、15世紀に北方の遊牧勢力に滅ぼされると、中央アジアを包含する巨大なユーラシア統合の時代は終焉を迎えます。人類の歴史上でもこれがホボ最後と為りました。

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                 ティムール朝

 遊牧民・商業民・農耕民の分業と提携で広域統合を果たすのがモンゴル帝国やティムール朝のシステムだとすると、16世紀以降、その後継政権に相当するのはオスマン帝国・イランのサファヴィー朝・インドのムガール朝等です。ヤヤ遅れて17世紀の東アジアの清朝を含める事も可能でしょう。


 




 何れも遊牧起源の人々を中心に勃興した政権ですが、複数の集団を支配する君主は多数派を占めるには至って居ません。オスマン帝国はトルコ系の君主を中心にギリシア人・アラブ人を統治しましたし、サファヴィー朝もトルコ系遊牧民が大多数のイラン人を支配し、ムガール朝はペルシア=トルコ系のムスリムがヒンドゥーの人々を治める形でした。成程モンゴル帝国の遺制に間違いありません。
 しかし大きく違うのは、それ迄ユーラシア史を牛耳って来たシルクロード上の境界地域との関係が何れも希薄に為って居る事です。シルクロードの幹線を占めて居た中央アジアが地盤沈下したと言い換える事も出来ます。


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               オスマン帝国の領地の拡大


 




 16世紀以後は最早中央アジアにヘゲモニーは無く、オスマン帝国サファヴィー朝もムガール朝も、そして東アジアの明や清海の方にベクトルが向いて居ました。政権の出自は遊牧世界でも、興隆のエネルギーを得て居たのは海からに他なら無かったのです。


 地中海とシルクロードの凋落


 それでは、そんな16世紀以降の世界を持たらす転機に為ったのは一体何か。所謂大航海時代です。寒冷化は「黒死病」を初めとして、地中海・ヨーロッパを痛め着けました。そこからルネサンス・近代が出発します。以上は世界史の常識ですが、以下は少し非常識な事かも知れません。
 都市国家と商業資本を中心としたイタリア・ルネサンスは、シルクロードの文明と近似するアジア史の継承形態です。地中海世界がそもそもローマ・イスラームを受けたオリエントの一部でした。ローマがギリシアの分派であり、ギリシアがシルクロードの最西端に位置するシリアの分派だったからです。 

 草原のシルクロードは、馬を使えば速く往来出来ます。地中海は船を使う事で効率的な航行が可能です。詰まり、シルクロードと地中海上は点と点を結んでホボ同じ役割を果たして居た訳で、両者はシリアを中継点に1本のハイウェイで繋がって居ました。
 ルネサンスの成果に、地球球体説の提唱航海技術の向上があります。その知識・技術を前提として、15世紀末にコロンブスが西回りの航海に出てアメリカ大陸を「発見」しました。こうして大航海時代が始まります。


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 この大航海時代は、地中海の位置付けを決定的に変えました。世界のハイウェイとしての意味を失って、ローカル線と化したのです。イタリアが凋落したのもその為です。丁度同じ時期、中央アジアでティムール朝が滅びシルクロードが地盤沈下して居ます。恐らく偶然ではありません。
 交通の幹線と世界史の舞台が海洋に変わったと云う事です。こうしてアジア史も海によって規制される時代に突入したのです。所謂「新大陸」のアメリカを手に入れた以降の西欧は、只管(ひたすら)近代化・強大化のプロセスを辿りました。これは2段階に分けて考えると判り易いでしょうか。

 先ず16世紀の大航海時代です。スペイン・ポルトガルが先鞭(せんべん)を着け各地に植民地を設けて、アメリカ産の銀でアジア物産を買い捲(ま)くった時期です。インドからは綿織物、中国からは生糸や茶と云った具合で、ヨーロッパはその一方的な購買者・消費者でした。ヨーロッパは寒冷地なのでこうした産物が出来なかったのです。
 担い手はヤガテ、オランダ・イギリスに代わります。戦国から江戸の日本で、南蛮から紅毛に交替したのを思い浮かべて頂くと好いでしょう。

 更に転機に為ったのが「17世紀の危機」です。これは大航海時代の後に、火山の噴火等で訪れた世界的な寒冷・不況期を指します。世界中何処も等しくこの「危機」に直面したのですが、そこで突出した動きを見せたのがヨーロッパ、特にイギリスです。
 イギリスは所謂「危機」に対処する中で、銃火器の採用とそれに応じた軍隊の革新・軍事革命を達成し「財政軍事国家」を形成しました。新しい軍隊の維持運営に掛かる膨大な費用を賄う為、財政が巨大化した国家を形成したのです。
 それに留まりません「財政軍事国家」は民間の経済発展をも促し、加えて科学革命による技術革新を活用して産業革命が成就しました。


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 アメリカも単なる銀の供給地では無く為って来ます。アフリカから黒人奴隷を北米大陸や西インド諸島に運びそこで収穫した綿花や砂糖等をヨーロッパに運び、ヨーロッパから鉄砲や綿布等をアフリカに持ち込む三角貿易です。イギリスはこの貿易でアジア物産購入の費用を捻出した訳で、グローバルな世界経済は既に形成されて居ます。
 ヤガテ軍事革命による植民地征服と産業革命による工業製品輸出で、アジア貿易も黒字に転じました。19世紀は西洋の世界制覇の時代と為ります。


 近代西洋史観と現代


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               産業革命


 




 以後の近代史・世界史は、世界の西洋化であって現代の我々にも直結する歴史です。「17世紀の危機」を含む地球の寒冷化がその出発点に位置して居ました。産業革命以後、機械制工業と化石燃料の利用が普及し、それは今も続いて居るので、気候変動が及ぼした歴史的な影響は、我々には感知し難く為りました。

 季節・気温の変化に伴う生態環境の条件、それが持たらす生産・流通のサイクル、社会の在り様は何れもそうです。ソモソモ科学革命から産業革命に及ぶ近代化とは、ヨーロッパによる自然征服・寒冷化克服のプロセスでしたから当然かも知れません。
 近代の欧米が世界を制覇した事で、その制度・ルール・観念がグローバル・スタンダードに為り、今日に至って居ます。その為「世界史」と云えば近代西洋史観が中心に為り、アジアがヨーロッパの「ネガティブ形態」としてしか捉えられ無く為りました。気候変動と生態環境に応じてアジアが築いて来た多くの史実は、現代人が理解し難いものに為ってしまったのです。


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                イタリア・ルネサンス


 イタリア・ルネサンスが西洋近代の源流だとしますと、それはアジア史の分派ですので、西洋を見るに当たっても、アジア史に対する正確な理解が必要に為る筈です。しかし、現代の西洋中心史観では必ずしもそうは為って居ません。


 




 以上に見て来た通り、アジア史は軍事・経済・政治の各セクターを夫々異なる種族・集団が担うシステムを取って居ました。互いに異なる言語・習俗・技能でまとまった遊牧民・商業民・農耕民が互いに分業しつつ提携して居たのがアジアだったと言えます。
 気候変動に左右される生態環境から、多元的・複合的な制度を導入し、多種多様な集団が共存出来る体制を作り上げて来たのです。

 それに対して、近代の欧米は国民国家をスタンダードにして居るので、均質一体化の体制が前提です。アジア史で通例の多元性・複合性が欠如して居て、その欠如した構造を自明の前提として、現代の歴史学・社会科学が組み立てられて居ます。最新の「グローバル・ヒストリー」でも、アジア史・世界史が十全に理解出来無い所以(ゆえん)です。
 現代の新興国の台頭に対しても、こうした視点は重要だと思います。所謂新興国は、中国にせよインドにせよ、過つてアジア史を構成して来た国家です。西洋化・近代化を経たと言え、その基盤には歴史的な多元的・複合的な体制がある筈で、そこを見誤ら無い事が変転常無い現代世界に向き合うのに不可欠では無いでしょうか。


 岡本 隆司 :京都府立大学文学部教授

              以上


 





 【管理人のひとこと】


 中央アジアで勃興したモンゴルがユーラシアを席巻した切っ掛けは、寒冷期から温暖化への転換期でした。そして、彼等を衰退させたのが再びの寒冷化だったのです。黒死病・ペストがユーラシア大陸を蔓延します。今度は、寒冷化に伴うウイルスが原因です。
 モンゴル帝国⇒ティムール帝国と変遷し、やがてシルクロードは彼等の衰退と共に地盤沈下し趨勢の文化は西へと移動し、後継として、オスマン帝国・イランのサファヴィー朝・インドのムガール朝へと変遷します。更にシルクロードと地中海で結ばれたルートから更に西へと動き、海の時代の大航海時代へとバトンタッチされて行く・・・遠大なロマンを旅する様なお話でした。

 そこかに始まる近代史は、今に続く現代史引き継がれるのですが、文化の主流はヨーロッパへと完全に流れ、アジアは影の歴史へと追いやられます・・・それは、地球の温暖と冷却化の影響を受けた大きな歴史のリズムなのでしょう・・・



 




 




 


何故 原発はダメ 廃止しよう云うのか? その5



 

 


 何故 原発はダメ 廃止しよう云うのか? その5


 これ迄の40年間で日本では核発電設備が次々と建設されて来ました。その結果、合計の発電量は毎年大きく為って来て、2010年現在はピークに為っています。(この様な直線的な伸びは、自由経済では考え難い現象で、核発電が官僚主導の計画経済として推進されて来たことを物語っています)


 5 原発の寿命


 核発電設備には寿命があります。世界的には30年と言われて居ます。何故寿命があるかと云うと、普通の火力発電設備は部品を取り替えて居る内に全部が新品に為ったりして寿命は無限です。ボイラーでもタービンでも半年も休止すれば交換出来ます。ですから、一度火力発電所が建設されたらズッと発電し続ける事が出来ます。

 しかし核発電の設備は部品交換が出来ません。圧力容器や格納容器等の主要部品を交換しようとすると、何年も冷やして放射能が落ちて来る迄作業が出来ません。その間ズッと発電せずにそこに立って居る訳ですから、新しい場所に新設し無ければ為ら無いのです。

 30年と言われて居た寿命を延ばして、日本では40年使うことにして来ました。更に福島では40年が過ぎても使って居て、地震の揺れで津波が来る前に配管がズタズタに為りました。
 核発電設備の寿命は40年。政府や電力会社が安全を言うなら、今後はこれは厳守されねば為りません。すると、今後の40年でこれ迄の40年間に作られて来た核発電設備が次々に寿命を迎えます。これまで40年間に新設して来たのと同じペースで廃炉に為りますから、今後新設が無ければ次の40年間で2050年に日本の核発電はゼロに為ります。


 




 もし2010年のピークを維持したいと思えば、今後40年間に廃炉に為る分をソックリ新設し無ければ為りません。詰まり、これ迄40年間に作って来たのと同じペースで核発電設備を新設し続ける事で、要約現状を維持出来るのです。
 ましてや政府の核発電政策は、更に核発電を増やして総発電量の40%〜50%にしようと云うものです。その為にはこれ迄の40年に倍する核発電をドンドン新設し続けねば為りません。

 このことは政治家や評論家を含めて多くの人々に取って盲点と為って居ます。何もしなければ現状が維持出来ると思って居る人が殆どですが、そうでは無くて、何もし無ければ核発電は消えて無く為ります。
 NHKテレビの報道ですが、核発電を増やすべきだと云う人は1%しか居ません。「減らすべき47%」と「全廃18%」で65%の人が核発電を減らす事を望んで居ます。しかし「現状維持27%」の中には、何もし無ければ維持出来ると思って居る人が居て、今迄と同じ様に作り続け無ければ現状維持は出来ないと云う事を知ら無い人が多いと思われます。
 そう云う人々も「減らす」に勘定すると、国民の80%以上の人が核発電を減らすべきだと考えて居る事に為ります。


 




 この様に、福島の惨状を見て国民の多くが核発電の縮小廃止を求めて居ますから、現状維持等出来ず、増してや増設等出来ません。即ち、2030年に電力需要の40%以上を核発電で賄(まかな)おうと云う政策は実現不能です。逆にこのままでは早晩、核発電の比率は20%を切り10%に落ちて行きます。
 そう為ると、事故の危険を冒(おか)して足ったの10%では一体何の為に遣っているのか、何の意味があるのかと云う事に為るでしょう。詰まり、既に政策は破綻して居ると云う事です。

 世界の核発電の発電設備容量と世界の太陽光や風力での発電設備容量ですが、地球温暖化防止の切り札の様に言われた割には核発電は全く増えて居ません。太陽光や風力は2000年頃までは横ばいでしたが、21世紀に為って急加速し、2010年に遂に核発電の発電設備容量を追い越しました。これが世界のトレンドです。日本では全くと言って好い程遣っていません。
 特に洋上での風力発電はヨーロッパで有力視されて居て、2010年以降、急速に拡大しようと云う意欲的な計画があります。


 




 核発電の歴史 増殖炉の失敗

 今から60年程前に核発電は人類の夢のエネルギーとして登場しました。しかしそれは結局は一時の夢でしかありませんでした。核発電には全く将来がありません。核エネルギーが夢のエネルギーと思われたのは、燃料がホボ無限だと云う話だったからです。
 核分裂するウラン235はウラン全体の1%しか無く、99%は核分裂し無いウラン238です。ウラン235しか使え無いならウラン資源は直ぐに枯渇してしまいますが、増殖炉では炉の中でウラン238がプルトニウム239に変化し、プルトニウムは核燃料に為るので核燃料が増殖して行きます。それを再処理すれば核燃料は幾らでもリサイクルされて増加すると思われて居ました。

 しかし増殖炉は技術的に難しく、世界中が既に撤退してしまいました。日本だけが「もんじゅ」を遣っていますが、一度再開した途端に炉内に金属部品を落として抜け無く為ってしまい、核反応炉の中は燃料が一杯で止めも出来ず只冷やし続けるだけで電気も出来無いと云う、全く危険でバカバカしい状況に為り、担当課長が自殺した程です。
 その金属部品は要約回収されましたが、稼働の見込みは建って居ません。増殖炉の冷却剤は10年前に爆発したナトリウムですから、何時又爆発大火災に為るかも知れません。今度爆発が起きれば、炉内にプルトニウム燃料が沢山充填されて居ますから大変な事に為ります。

 「もんじゅ」が福島の様に為ると、プルトニウムが大量に入って居ますから、日本の殆どが疎開対象に為ります。こう為ったら日本は終わりです。


 




 夢のエネルギーである為には、核燃料をリサイクルして使う必要があります。その為の施設が青森県六カ所村の再処理工場です。しかし工事が遅れ金額が嵩(かさ)み、再処理は技術的にも未完です。そして、もんじゅが成功し無ければ核燃料サイクルは出来ませんから再処理する事に意味が無く為ります。
 残る意味は、使用済みの核燃料を廃棄する為の処理工場と云う事ですが、それも又、ハッキリとした方法が決まって居ません。その内日本中が使用済み核燃料で溢れ返ります。今福島でプールに入って居るだけでも相当の量に為ります。それが各地の核発電設備でドンドン溜まって行きます。

 野田政権は、核発電の新設はしない寿命が来たものは廃炉にする20年で核発電を無くす、と云う方針ですから、額面通りだとすれば「もんじゅ」も「再処理」も今や無用のものです。予算も削られ始めています。54基の核発電の敷地内に沢山の核廃棄物が山積みに為って居ます。ヤガテ、日本のアチコチで核廃棄物の山が出来るでしょう。


 



 〜平成のバカな先祖の置きみやげ これより先は立ち入るべからず〜


 そんな看板が立つ廃棄場が日本中に溢れます。これは子孫に対する犯罪です。フィンランドでも核発電の新設で、核廃棄物をどうするかが問題に為って居ます。開けるな、近寄るな、と云う警告の看板を立てるにしても、10万年後にこの地域に住む人々はフィンランド語が読めるだろうかと真剣に議論されて居ます。この「10万年後の安全」と云う映画は今全国で順番に上映されています。



 まとめ


 まとめるとこの様に為ります。核発電は「安くて、安全で、必要で、地球温暖化防止に為り、政策は着々で、将来性がある」、と云う事で推進されて来ましたが、ここ迄述べて来た様にその様な話は全て虚構でした。
 これ等は数値で比較出来る「ダメな理由」ですが、他にも、健康被害、労働搾取、危険な労働、データの捏造、事故隠し、やらせ、地元民の分断支配、不正選挙、買収工作、権力による冤罪捏造、倫理の欠如等、数値化出来ない反社会的な要素が多々あり、核発電は日本中に、アリトアラユル悪徳をばら撒いて来たと言っても過言ではありません。


 では、何で未だ核発電を遣っているのでしょう。本当に不思議ですね・・・


              完結


 

  


                           

何故 原発はダメ 廃止しよう云うのか? その5




 




 何故 原発はダメ 廃止しよう云うのか? その5 



 5 原発は熱効率が悪く地球をより温暖化する  


 アル・ゴア米国元副大統領の「不都合な真実」と云う映画で、CO2が地球温暖化の原因だと言われ、二酸化炭素の排出を減らすには化石燃料を燃やさ無い核発電が好いと云う説が、実(まこと)しやかに言われて居ます。
 しかし二酸化炭素説は科学的に確定した話ではありません。因果関係は逆で、太陽等の活動によって地球が温暖化した事で海中から二酸化炭素が放出されて増加したのだと云う説もあります。又、地球は寒冷化に向かって居ると云う説もあります。地球温暖化説や二酸化炭素説の真偽は別にして、実際は核発電は地球を加熱して居ます。


 




 熱効率の低い原発


 例えば、最新の火力発電は熱効率が50%近くあり、利用されたエネルギーと捨てられたエネルギーがホボ等しいので、割った値は1に為ります。そして、熱機関の効率が過去300年間直線的に上昇して来たことが分かります。
 処が核発電はその上昇ラインから外れて、効率が悪く人類のトレンドに乗って居ません。折角の核エネルギーで只お湯を沸かして居るだけでは利用方法としてセンスが無く、その上、核燃料棒のジルコニウムの被膜が高温に耐えられ無い事から、核発電は300度C以下で運転されて居ます。その為、熱効率は33%しか無く67%が捨てられて居ます。
 利用したエネルギー(33%)と捨てたエネルギー(67%)の比率は0.5に為ります。一方、新鋭火力発電所は500度C以上の高温で運転されて居ます。核発電は効率が悪いのです。

 二酸化炭素説を認めたとしても、核発電は地球温暖化を抑止しては居ません。効率が悪いからです。核発電で100万kwを発電する為には300万kw分の熱が必要で、200万kwが海に捨てられます。新鋭火力発電なら200万kwの熱で100万kwの発電が出来、捨てるエネルギーは100万kwと半分で済みます。
 又、核発電は消費地から遠い所に作られるので、送電ロスが大きく6%位に為りますから、都会で100万kwを得る為には発電所で106万kwを発電し無ければ為りません。しかも核発電は途中で止められず、電力需要が減る夜間でも夜通し運転し続け無ければ為らず夜通し排熱を出して居ます。
 又、海水温が上昇すると海水に溶けて居た二酸化炭素が放出されますから、余り二酸化炭素の削減にも為りません。


 




 世界は既に原発不要のトレンドを迎えている

 核発電を増設して、電力需要の大きな部分を原発で賄うと云う日本政府の長年の政策目標は実現不能に為って居ます。先ず、これは世界の核発電建設の歴史ですが、1980年代までは急増して来ましたが、スリーマイル島事故、チェルノブイリ事故でブレーキが掛かりそのまま急降下して来ました。
 そして最近、二酸化炭素排出を減らす為に原発を再度推進しようと云う動きがあった中で、今回の福島の事故です。核発電への期待は一気に冷えました。同時に、二酸化炭素が地球温暖化の主因だと云う説の怪しさも露呈されて来ました。世界的には、少なくとも先進国では核発電はもう終わって居ると云う事です。


 その6につづく


 





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