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2020年02月06日

日本最恐の心霊スポットから生まれた「犬鳴村伝説」その誕生と現在




  日本最恐の心霊スポットから生まれた

 「犬鳴村伝説」その誕生と現在


             〜現代ビジネス 2/6(木) 11:01配信〜


          2-7-1.jpg

 日本最恐の心霊スポット

 〜福岡県の山間部「犬鳴峠」には、もう使われ無く為った旧道と廃トンネルが在る。過つて、その「旧犬鳴トンネル」の傍に、こんな看板が立てられて居るとの噂が流れた。 

 〔この先、日本国憲法通じません〕

 その不穏な文言を無視して奥に踏み入れば、ボロボロの小屋が点在する集落を発見するだろう。しかしそれには、命の危険を覚悟し無ければ為らない。未だ山中に人目を避けて暮らす「犬鳴村」の住人達に襲われるからだ。
 「犬鳴村」とは、江戸時代より厳しい差別を受けた為に閉鎖された謎の集落で、行政記録からも地図からも抹消されて居る。村人は今も自給自足で暮らして居るが、非常に排他的であり、侵入者を発見した途端、斧等で攻撃して来ると云う・・・

 勿論、この「犬鳴村伝説」は、無責任なデマである。元々心霊スポットだった旧犬鳴トンネルに、恐らく1990年代、架空の「犬鳴村」に纏わる伝説が付け加えられただけだ。それだけなら、全国各地に点在するローカル怪談の一つに過ぎ無い筈なのだが・・・そう単純な話で終わら無いのが、犬鳴村伝説の厄介な処だ。
 この場所に纏わる噂や心霊話は、日本の怪談カルチャーにおいて、何処か別格扱いされて居る。旧犬鳴トンネルは未だに「日本最恐の心霊スポット」と呼ばれ、今年2月にはホラー映画『犬鳴村』も公開される。2020年代の今もなお、犬鳴村伝説が人々の注目と恐怖を集めるのは何故だろうか〜



 日本最恐の心霊スポットから生まれた「犬鳴村伝説」その誕生と現在

         2-7-2.jpg

 犬鳴村伝説はこうして出来た

 此処からは、犬鳴村伝説の成り立ちを簡単に解説して行こう。架空の「犬鳴村」のモデルと為ったのは、過つて犬鳴川上流に在った集落だろう。しかしこの村は犬鳴ダム建設に当たり(1970年着工〜1994年竣工)ダム底に沈んで居る。住民は1985年に完成した移転先用の宅地、又はその他エリアへと次々に引っ越して行った。   (参照『若宮町史』下巻)
 トンネルの方に付いては、1975年に新道・新トンネルが開通した為、旧道及び旧隧道の通行者はホボ途絶えた。そして日本中で必ず起こる現象として、使われ無く為った廃トンネルはアッと云う間に心霊スポット扱いされて行く。

 1979年、10km程離れた力丸ダムにて、女性の強姦殺人事件や保険金殺人事件がタテ続けに発生した事も影響して居るだろう。とは云えこの時点では、只の全国に好く有る心霊トンネルの一つと云うだけだったが・・・1988年末、決定的な事件が発生する。
 このトンネルを現場に、不良少年グループが「車を貸さ無かった」と云う些細な理由で、地元青年をリンチの末に焼き殺したのだ。この残忍な殺人事件は寧ろ現実的な恐怖だが「若者が殺された白いセダンがトンネルに出没する」等の怪談にフィードバックされ、心霊としての恐怖を煽って行く原因にも為った。ちなみに事件に関係した車は軽自動車でセダンでは無い。

 その後も、肝試しに来た若者達が自動車事故に遭い、死亡や重軽傷を負うケースが2件発生(1992年及び2001年)これも又「犬鳴の祟りに遭った」と云う解釈を呼び、交通事故や不良に襲われると云う現実的な恐怖と、心霊的な恐怖がドッキングされる。こうして旧犬鳴トンネルは「日本最恐の心霊スポット」と呼ばれる様に為ったのだ。

 斧を持った男達に追い掛けられ・・・

 それと並行する形で「犬鳴村」に付いての噂も又1990年代〜2000年代初めに掛けて醸成されて行く。現在、この伝説に付いて簡単に確認出来る最古のネットログは、2ちゃんねる(現・5ちゃんねる)にて1999年10月30日に立てられたスレッド「犬鳴峠」だろう。

 そこには先ず、当時のテレビ番組『特命リサーチ200X』(日本テレビ)のサイト上、調査依頼ページからコピーされた文章が貼られて居る。「匿名希望」の投稿者からで、リクエストのお題は『日本に在って日本で無い村』
 
 投稿者によれば、犬鳴峠の畔道(あぜみち)の先には地図に無い村があり〔この先、日本国憲法通じません〕と云った立て札が掲げられて居る。知り合いが車で訪れた際「キレた(イった)目」をした4、5人の男に斧を持って追い掛けられた。プレハブ小屋やボロボロの木で戸を打ち付けられた家を見た知り合いも居る。ソコは「江戸時代以前とても酷い差別を受けて居て何時からか外界との接触を一切断った村で、現在もなお警察や国家権力の介入が出来ない『特別なんとか保護(?)地域』なんだそうです」等ナド・・・

 現在迄語り継がれる犬鳴村伝説の要素が、ココで全て出揃って居る事が分かる。同文章は今でも簡単に検索出来るので、為るべく全文を一読して貰いたい。

 ホームレスの小屋 山中のテント・・・

 未だ福岡近郊のローカルな噂ではあるが、この時点で犬鳴村に纏(まつ)わる伝説の基本形態は作られて居た。例えば2000年9月18日付で、読売新聞が犬鳴峠の心霊スポット化を取り上げた記事が参考に為るだろう。
 記事内では、旧犬鳴トンネルの心霊の噂は、矢張り廃道と為ってから始まったと推察しつつ「その頃、旧道付近に夜の住人達が出没して居て、これが幽霊話に転化した」と云う地元産業建設課職員の談話を続ける。

 「旧道沿いの山中にホームレス数人が小屋を建てて住み、漢方薬店から依頼された業者が、夏の夜間、付近にテントを張り、夜行性のマムシを求めて彷徨って居た・・・と云うのが、幽霊の正体だと指摘する」 (2000年9月18日 読売新聞 西部夕刊「遠望細見」)
 ホームレス達の小屋に、山中に建てられたテント・・・先程の投稿文にあった「プレハブ小屋」や「ボロボロの木で戸を打ち付けられた家」そして犬鳴村の謎の集落とは、これ等を見間違えて居た可能性が高いのではないだろうか。

 実際に看板が足って居た?

      2-7-3.jpg

 そして犬鳴村伝説のシンボル〔この先、日本国憲法通じません〕の看板に付いて。心霊スポットサイト「朱い塚」管理人の塚本守氏は、福岡出身でもあり、未だ噂がローカルだった当時の状況を好く知って居る。
 塚本氏によれば、その頃の犬鳴峠付近の住人は、若者達の「心霊スポット突撃」により発生するトラブルに頭を悩ませて居た。廃車の不法投棄の他、肝試し中のポイ捨て、面白半分にマネキン人形等を置くケース(次に来た者の恐怖を煽る為だろう)もあり、一帯にゴミが散乱して行く。又暴走族の集会や、畑を荒らす行為も頻発して居たと云う。

 業を煮やした住人らは「監視カメラ作動中」「警察に通報します」等、違法行為を警告する看板を設置。中には可成り強い文言を手書きしたものも有った様だ。皮肉な事に、それが伝説の要である〔この先、日本国憲法通じません〕と云う看板のイメージに繋がったとも推察出来る。
 又「実際に、日本国憲法通じませんの看板が他って居たと云う証言も複数名から聞いて居ます」(塚本氏)とも云う。 「肝試しの若者がイタズラで」若しくは「地元住民がイタズラに耐え兼ねて」例の看板が設置されたとの話は、1990年代前半から出回って居た。

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 但し少なくとも、塚本氏が現地を訪れた1996年には看板は撤去されて居たらしいので、正確な真偽の程は不明だ。

 ネットが噂を全国区にした

 これ等の光景を、肝試しに来た若者達が目撃して居た。そして又彼等が街に帰った後、大袈裟にその情報を語り廻って行く。そうした伝言ゲームにより、犬鳴村の歪んだ噂が形成されて行ったのだと考えられる。1990年代後半には、地元福岡の若者の口コミで、或は2ちゃんねる誕生前のネット空間において、犬鳴村に纏わる噂は囁かれて居た。
 そしてコノ噂が全国区に広まったのは、1990年代末から2000年代初頭。言わずもがな、日本におけるインターネットの普及・発展と足並みを揃えてと云う事だ。

 中でも矢張り、1999年5月の2ちゃんねる創設と、同年10月に立てられた「犬鳴峠」スレッドの影響は強かった。先述した匿名希望者の投稿依頼文がインターネットに拡散する事で、犬鳴村伝説は福岡のみ為らず日本中へと広まって行ったのだ。
 その後も暫らく、2ちゃんねるや個人ホームページ等において、犬鳴村に纏わる考察が積み重ねられて行く。中には現地取材するものが居たり、想像を膨らませた枝葉を付け足すものも居たり……。

 犬鳴村と云う物語が持つ「隠されて居るが本当に有るかも知れない、リアルな恐怖」は、インターネット普及期のコンテンツとしてピッタリだったのだろう。「ズッと隠されて居た謎が、インターネットと云う情報革命により暴かれて行くのではないか」と云う無邪気な期待。1990年代末からゼロ年代初頭に掛けては、そうした時代の空気が確かにあった。※同時期のネット伝説にはもう一つ「杉沢村」と云う重要トピックが有るのだが、ここで触れる余裕は無い。

 当時のネット住民達が熱く議論・検証し、或は自分達で情報を肉付けして行った物語コソが、犬鳴村伝説だったのだ。こうした良くも悪くも膨大なエネルギーが込められた噂は、最早成熟してしまった現代ネット社会では起こり得無いだろう。短期間で消費され忘れられて行く、ここ最近のオカルトネタと比べれば、或る意味で羨ましくもある。

 だから未だに語り継がれて居る
 
 駆け足の記述と為ったが、以上に挙げた諸要素によって、犬鳴村伝説は作られ広まって行ったのだろう。現場付近における多くの事件・事故の発生。ホームレスやマムシ採り業者、不法投棄の注意看板等、誤解を生じさせる目撃情報。そして何より、インターネット普及期における独特の熱気。
 最恐心霊スポットとしての旧犬鳴トンネル、そして架空の犬鳴村は、これ等多くの偶然が重為って生まれた。そして、ココまで数奇な偶然が重なる場所は、日本全国を探しても他に見当たら無い。だからコソ、犬鳴村伝説は未だに人々に語り継がれて居るのではないだろうか。


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 名前吉田悠軌(よしだゆうき) 生年月日1980年 出身地 東京都八王子市 出身 中央大学附属高校・早稲田大学第一文学部 職業 オカルト怪談研究家・怪談師・ライター・オカルトマガジン編集長

          吉田 悠軌 怪談・オカルト研究家   以上







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【今をつなぐ】「ヤッホ、ヤッホ」の声が消える? 人口43人の集落で伝統のクマ狩りが存続危機




 





 【今をつなぐ】 「ヤッホ、ヤッホ」の声が消える?

 人口43人の集落で 伝統のクマ狩りが存続危機


            〜FNN.jpプライムオンライン 2/6(木) 20:03配信〜


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                新潟県村上市の山熊田集落


 山形県との県境、朝日連峰に連なる山々の間に在る新潟県村上市の山熊田集落。厳しい自然と向き合う山の暮らしの中で、クマ狩を始めとする伝統文化が大切に受け継がれて来た。
 しかし今、ここに暮らすのは僅か16世帯43人。過疎化が進み、猟師は足ったの4人と為ってしまった。存続の危機に向き合いながらも、生き物の命に対する敬意や誇りを背負い、伝統を守り続けるムラの営みを追った。


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          正月は猟師が集まり、全員で「おのぼり」を行う

 集落の伝統を守る為、厳しい雪山で行う狩猟

 山熊田の猟師、58歳の大滝国吉さんは、猟師の頭領の家で行われた新年会に参加して居た。国吉さんは30年以上クマと対峙して来た山熊田のベテラン猟師だ。そこでは山熊田ならではの儀式『おのぼり』が行われて居た。捕らえたクマの霊を慰め、その年の大猟を祈るものだ。上座に座る頭領から左右に分かれ、コップ一杯に注がれた清酒を2杯飲み干して行く。

 1月、国吉さんは雪が積もった山の中へ猟銃を持って向かった。木の穴の中に居る冬眠中のクマを狙うアナグマ猟だ。予めクマの居そうな木を調べ、穴に居るかどうかを見て歩く。この日、朝から雪山を何度も昇り降りし、5箇所も回ったが、クマを見付ける事は出来なかった。

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            木の穴の中にクマの姿は無かった

 何故雪深く厳しい山に入り、狩りに行くのだろうか。

 「それが自然だからだ。環境が厳しくても、獲物を取る為には、そう云う厳しさがあって初めて捕れる話。楽な事だけでは到底出来無い。昔の文化、狩りを村中で遣って居た時代が有ったから、今ココにこの集落が残って居る。その事を確り繋げて行くと云う気持ちもある」

 国吉さんは、山の暮らしを愛し、狩猟に対する哲学を持って居る。

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             クマの肉は参加者で平等に分け合う

 狩猟の伝統を背負うが、次の世代が居ない悩み

 或る日、山熊田の猟師仲間がアナグマ猟でクマを仕留めた。体重150 kg にも為るオスのクマを慣れた手付きで捌(さば)いて行く。肉は同じ重さにして人数分に分けられ、持ち帰る際にはクジを引いて公平に為る様にすると云う。山熊田では山の恵みを猟の参加者で平等に分け合う仕来りが今も続いて居るのだ。
 その理由に付いて「うちの集落は陸の孤島みたいな小さな集落で、自分達で助け合うと云う精神なんで」と話す国吉さん。その後猟師達は皆で集まり山の恵を頂く。今日食べるのは熊の肉を入れた味噌仕立ての鍋と、丸毎茹でたクマの舌だ。

 「命を貰うと云う事は、矢張り最後迄責任を持っていか無いといけ無い事。クマをチャンと大切に、皆で責任を持って食べる処迄遣ると云う事が一番肝心だと思います」

 獲った以上は、皆で食べて供養する。ソコには、狩猟の伝統を背負う誇りや、生き物の命に対する敬意が秘められて居た。その狩猟の伝統を受け継ぐ山熊田の猟師達だが、今、過疎化と云う問題に直面して居る。

 「昔から続いて来たクマ狩りの伝統を引き継いで、何とか頑張ってる次第です」と話すのは、山熊田で最年長の猟師、74歳の大滝幸男さんだ。「何とか今の若い人達に頑張って存続して行って貰いたい。でも残念な事に若い人達が居ないんだよね」と続ける。

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            1965年頃には30人余りの猟師が山熊田に居た

 1965年頃、クマを仕留めムラに帰って来た男達に、子供達が嬉しそうに駆け寄って居る写真がある。この頃、山熊田の猟師は30人余り。しかし高齢化や若者の流出等により猟師は減少し、今は50代が3人、70代が1人と、足った4人に為ってしまった。
 国吉さんは「うち等も大分歳に為って来て、若い人が居ないんでね。このママ行くとうち等の世代で終わりかなと云う寂しい気持ちも持って居る」と目を伏せた。山熊田で最年少の高校生がこの春学校を卒業。遂にムラに高校生以下の住民は居なく為った。

 1年で最も大切な巻狩りの結果は・・・

 4月、国吉さん達山熊田の猟師は、1年で最も大切にする春のクマ狩りに臨む。冬眠明けのクマを集団で追う伝統の猟“巻狩り”が行われるのだ。勢子(せこ)が声を上げてクマを追い上げ、待ち場と呼ばれる山の頂上で撃ち手が仕留める。山には勢子達の「ヤッホヤッホ」と云う声がコダマし、ムラに春の訪れを告げる。

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                  伝統の猟“巻狩り”

  雪がどれだけ消えたか、猟場を下見する国吉さんは「コレを一年中待ってたんさ。クマが何処から出て来るか、それを考えるだけでもワクワクするよ」と話すが、去年の春は、約20年振りにクマが捕れ無かった。参加者も経験者も年々少なく為り、撃ち手の居る待ち場迄クマを上手く追い上げられ無く為ってしまったと云う。

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              入念に猟銃の手入れをする国吉さん

 巻狩りの伝統を取り戻したい山熊田の猟師とその仲間総勢14人は猟場へ向かった。道中、猟師達が慌ただしく動き始めた。向かいの山にクマを見付けたのだ。早くも訪れたチャンス。しかし移動するクマを囲み、巻狩りの陣形を整える余裕は無い。しかしライフルを構えても、距離が遠く引き金を引け無い。そうこうする間にクマは逃げ仕切り直しと為った。猟場に入ると、雪の上にクマの足跡が無いか必死に見て回る。

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 「カクマピラ(山の地名)居たぞ多分。カクマピラを巻く様な配置をしなければいけ無いぞ」無線で仲間に呼びかける。「駄目だ駄目だ、アガリト(山の地名)へ行った」足跡を辿り懸命にクマの行方を追うも、又も見失ってしまった。日没から逆算するともう時間が無い。クマは確認出来ないが、巻狩りの陣形を組む事に為った。
 国吉さんの役割はモクラ。モクラとは猟場で一番高い峰のこと。全体を見渡して指示を出すの役割も意味する。山頂付近には撃ち手の猟師が到着し、木陰に隠れクマを待ち構える。

 「ヤッホ!ヤッホ!」勢子が谷底から声を挙げ、巻狩りが始まった。しかし勢子が幾ら声を上げてもクマは姿を現さ無い。クマは捕れ無いのか、猟師達が諦め掛けたその時。

「バーン」 猟場に1発の銃声が響いた。「捕れたぞ!」国吉さんが満面の笑みを見せた。「オテンガラ(お手柄だ)!」クマを仕留めた猟師を称える山熊田伝統の言葉が零れた。崖の様な山を駆け下りると、横たわる大きなクマの姿があった。山熊田はクマを授かったのだ。伝統の巻狩りでは無かったものの、クマが捕れた事に安堵の思いが広がって居た。

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 「アチコチで足跡は見付けたけど、ナカナカ姿が見付から無かった。皆が諦め切れ無くて、意地を出してこの峠まで来たから、好い結果が挙がった」

 全員の力で大きなクマが捕れた

 要約桜が咲いた4月末の山熊田で、クマ祭りが2年振りに開催された。猟師達はこのクマ祭りでしか行わない伝統の儀式に臨んだ。“山の神様”とするトチノキと、ムラの公民館の前の二手に分かれ、神様に感謝の気持ちを捧げるのだ。

 「ヤーッホ!」「ヤーッホ!」

 山からムラへムラから山へ、クマ狩りの時と同じ声が3回往復した。春の訪れを告げる“鳴り声”が、山熊田に再び響いた。国吉さんに山熊田がどんなムラか聞いた。

 「そんな事は判ら無い。只、俺はココに住んで、住み好い自分の家だと思って居るし、何処にも無い世界一の家だと思ってるから、ココを絶対残したいと思ってるだけだ」

 山熊田の伝統がこの先も残って行くのか、それは誰にも分から無い。只、この村に生きる人達の営みが、私達に失った何かを問い掛けているのは確かだ。この小さなムラに、これからも伝統の春が訪れることを願う。
 

 【今をつなぐ】この記事はNST新潟総合テレビで2019年5月に放送した番組を再構成した読み物です。日本の市町村の内、およそ半分は若者が流出し高齢化も進む「過疎」に直面して居ると言われます。
 FNN.jpプライムオンラインとYahoo!ニュースによる連動企画記事では、こうした地域を活気づかせ様とする人々の奮闘や思いを通して、過疎地域の問題に付いて改めて考えます。




 




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安倍首相補佐官 海外出張でも公私混同の疑い 厚労省女性幹部とコネクティングルーム宿泊


 

 安倍首相補佐官 海外出張でも公私混同の疑い 

 厚労省女性幹部とコネクティングルーム宿泊


               〜文春オンライン 2/5(水) 16:00配信〜


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                和泉洋人補佐官 コピーライトマーク共同通信社


 和泉洋人首相補佐官(66)が、大坪寛子厚生労働省大臣官房審議官(52)との海外出張の際、ホテルの部屋割りを巡って外務省に異例の要望を出し、二人の部屋が繋がって居るスイートルームに宿泊して居た事が「週刊文春」の取材で判明した。

 2018年9月17日、インド・デリーで行われた「インド高速鉄道に関する第8回合同委員会」和泉補佐官は日本側の団長として参加したが、訪印には大坪審議官を伴って居た。

 「宿泊先は、ニューデリーの中心部にある五つ星ホテルの『タージマハルホテル』だったのですが、手配に当たり、関係者に補佐官ロジ対応事項として周知徹底されて居た事が有りました。それは『和泉補佐官と大坪審議官、お二人の部屋の接続を重視して宿舎を確保する』と云うものです」(外務省関係者)

 「週刊文春」は、インド出張における部屋割りを記した内部文書を入手。それによれば、和泉氏の部屋は712号室(エグゼクティブ・スイート)大坪氏の部屋はその隣の710号室だ。取材班がインドに飛び、同じ部屋に宿泊して確認した処、和泉氏と大坪氏が宿泊した712と710は、内扉で繋がって居り、自由に往来可能な「コネクティングルーム」だった。

 大坪氏は直撃取材に「だから何? そう云うホテルがあるかも知れないけど、私は承知してません。失礼ですよ!」等と回答。和泉氏には書面で事実関係を質した処「回答を差し控える」として居る。厚労省出身で労働問題コンサルタントの田岡春幸氏が指摘する。

 「室内で行き来出来る『コネクティングルーム』は事実上同じ部屋に泊まって居るのと同じ。民間企業であれば、男性上司から女性部下に対するセクハラとして認定される事案です。更に、公費を使っての出張として適切とは言えません」

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 和泉氏と大坪氏を巡っては、昨年12月に「週刊文春」が「京都不倫出張」を報じた。公費で京都に京大iPS細胞研究所の山中伸弥所長を訪ね、研究費削減を通告した約1時間の面会後、腕を絡ませて京都観光をしたり、かき氷を食べさせ合う等3時間に渉ってデートした様子が論議を呼んだ。菅義偉官房長官は記者会見で「公私は分けて居た」とし、二人の行動を問題視しない姿勢を示して居た。

 巨額の税金を使った海外出張で、何故二人はコネクティングルームに宿泊したのか。京都出張に加えて、海外出張でも和泉補佐官の公私混同疑惑が浮上した事で、高い倫理観が求められる公務員として適切な行動だったのか、二人が行動を共にしたミャンマー、中国等計4回の海外出張などはどの様な対応だったのか、今後、説明が求められそうだ。
 2月6日(木)発売の「週刊文春」では和泉補佐官と大坪氏の他の海外出張を巡る疑惑や、山中教授のiPS細胞研究の費用削減を巡る国会答弁が虚偽だった事を明らかにする新証拠等に付いても詳報して居る。


     「週刊文春」編集部 週刊文春 2020年2月13日号   以上










 首相補佐官に海外「不倫」報道 血税でスイート宿泊指摘に逆ギレ

            〜まぐまぐニュース!  2/6(木) 13:55配信〜


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 既に公費での「京都デート」が報じられて居た安倍首相補佐官の和泉洋人首相補佐官(66)と、不倫関係にあるとされて居る厚生労働省大臣官房審議官の大坪寛子氏(52)が、海外出張でも公私混同して居た疑いがあると週刊文春が2月6日発売号で報じて居る。不倫の出張費が「血税」であった場合、多くの国民から批判を浴びそうだ。

 「2人の部屋の接続」を重視

 週刊文春が報じたのは、2018年9月17日にインド・デリーで行われた「インド高速鉄道に関する第8回合同委員会」に付いて。
 日本側の団長として和泉補佐官が参加したが、大坪審議官を伴って居たと云う。ホテルの手配に当たり「和泉補佐官と大坪審議官、2人の部屋の接続を重視して宿舎を確保する」と云う事が、関係者に「補佐官ロジ対応事項」として周知徹底されて居たと云う。

 実際に週刊文春が入手した部屋割りの内部文書によると、和泉氏の部屋は712号室(エグゼクティブ・スイート)、そして大坪氏の部屋はその隣の710号室だったとして居る。週刊文春によると2人が宿泊した712号室と710同室は、内扉で繋がって居る「コネクティングルーム」だったと云う。我々の血税で行なわれたと思われる「海外出張」不倫、考えるだけで気分が悪く為るのは私だけであろうか。

 「だから何?」逆ギレ回答

 大坪氏は、何故コネクティングルームに宿泊したかと云う問いに「全員一緒だったと思いますよ。同じフロア貸し切ったんじゃない?」と回答。事実関係に付いて問うと「だから何? そう云うホテルがあるかも知れないけど、私は承知して居ません。失礼ですよ!」と強い口調で「逆ギレ」回答したと云う。

 以前報じられた「京都不倫出張」

 以前報じられたのは、2019年8月9日にiPS細胞研究所(CiRA)の山中伸弥所長に面会する為の京都「不倫」出張だった。
 午前中に面会を済ませると、二人はハイヤーに乗り観光地巡り。和泉氏は自分のスプーンで大坪氏にかき氷を食べさせたり、貴船神社では腕を絡ませて参道を歩く等して居た。週刊文春はこの日以外にも、仕事帰りにハイヤーで大坪氏を自宅迄送り届けたり、都内で手繋ぎデートやエスカレーターでハグする様子を複数回確認。しかし、交際に付いては2人とも否定。大坪氏は「男女って…大分お爺ちゃんですよね。幾つだと思う?」と回答して居る。

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 不倫男の虚偽答弁

 和泉氏は京都不倫出張の際、山中教授に「来年からストック事業に国費は出しません」と告げた。この面会に付いて立憲民主党の早稲田夕季議員が昨年11月27日の衆議院科学技術特別委員会で質問すると、一旦質問を引き取り、後日「20年度から支援をゼロにすると伝えた事実は無い」とする報告書が理事会に提出された。
 しかし、面会で和泉氏と大坪氏が山中氏に提示した、大坪氏作成のA4判の文書には「法人に対しては国費を充当しない」と記されて居た。証言や文書とは異なる回答に、虚偽答弁の疑いが懸かって居る。

 不倫女の異例の出世

 立憲民主党の杉尾秀哉氏は29日の参院予算委員会で「貴女のバックに和泉補佐官が居て、貴女は厚労省で異例の出世をして来た。和泉氏のバックには菅官房長官や安倍首相が居る。虎の威を借るナントカでは無いのか」と非難、異例のスピード出世に付いて触れた。何故異例の「出世」と云われるのか。これに付いてはダイヤモンドオンラインが迫って居る。

 大坪氏が就いて居るのは「官房審議官」この「官房審議官」は一般的に、本省の課長(特に局の総務課長)又はそれに相当する職に就く事が必須
 それ等を務めずに官房審議官の職に就くと云う事は、任期付き任用で最初から官房審議官と云った場合を除き、先ず在り得無いと云う。しかし、大坪氏は、本省の局総務課長級処か課長級の職を経験せず、出向先でも平の課長級の職に就いて居た程度だったと云うのだ。これでは「異例の出世」と云われるのも頷ける。果たして2人が「不倫関係」を認める日は訪れるのだろうか。そして、不倫出張に使われた「血税」は返還されるのだろうか?


        週刊文春 ダイヤモンドオンライン MAG2 NEWS    以上









 京大・山中伸弥教授を恫喝 霞ヶ関を牛耳る 最悪カップル

 菅官房長官の信頼の厚い和泉洋人・首相補佐官 和泉氏と只ならぬ関係にある大坪寛子・厚労省審議官の二人が日本の医療行政を歪ませて居る

               〜FRIDAY 2019年12月29日〜 

 「今、医療に携わる人間の中で、最も評判が悪いのが、大坪寛子・厚生労働省大臣官房審議官(52)でしょう。彼女は慈恵会医科大学から厚労省に入った医系技官ですが、医師としての実力は大したことはありません。処が、菅義偉官房長官の信頼が厚い和泉洋人・首相補佐官(66)と極めて近い関係に為った事で、飛んでも無い権力を握ってしまったのです」(厚労省の行政に詳しい医師)

 今年8月に和泉補佐官と大坪氏は、山中伸弥教授が所長を務める京都大学iPS細胞研究所を訪問。予算削減を一方的に通達し、山中教授を「恫喝した」と医薬専門メディアで報じられた。一方の山中教授は会見を開いて予算削減の理不尽を訴え、最終的に削減は見送られる見通しに為った。そこに週刊文春が二人の京都旅行と銀座デートを報じたのだ。

 「和泉補佐官と大坪氏の『只ならぬ関係』が厚労省内で噂される用に為ったのは夏頃でした。内閣官房に出向して居た大坪氏は7月に厚労省に戻って来て審議官に抜擢されます。しかし、課長に為った事の無い大坪氏が、何故(課長よりも上の)審議官を遣るのかと話題に為り、和泉補佐官と『昵懇(じっこん)の仲』だった事が判明した」(全国紙厚労省担当記者)

 前出の医師が続ける。

 「山中教授と同じ様な手口で予算をカットされた『被害者』の話は好く耳にします。厚労省には自由に使える数十億円規模の『調整費』と云うものがあり、大坪氏がその予算を握って居る。その為、彼女の傍若無人な振る舞いを知っていながら、誰も表立って批判する事が出来ないのです。只、疑問なのが、何故彼女はそんなに権力を行使したいのかと云う事。威張りたいだけで日本の医療行政がネジ曲げられて居るとしたら、彼女の罪は大きいと思います」

 それにしても、この「最悪カップル」がこれ程の権力を握って居るのは何故か・・・『官邸官僚』の著書があるジャーナリストの森功氏はこう説明する。

 「和泉補佐官は菅官房長官の腹心と言われ、その威光を背景に自分の好きな様に政策を進めて来ました。元々は国土交通省の技官ですから、国土交通分野の政策には以前から強かったのですが、最近はそれに限らず『官邸官僚』として省庁に関係無く首を突っ込んで居て、医療分野迄牛耳ろうとして居るのです」

 無能な人物が能力以上の権力を握ると組織を根っこから腐らせる・・・そんな恐ろしい状況が、この国の中枢で進行して居る様だ。


          『FRIDAY』2020年1月3日号より   以上


           和泉補佐官の登場 加計問題にて・・・

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 安部首相補佐官和泉氏とは


  「公費で京都不倫出張」疑惑の和泉洋人首相補佐官 安倍首相の為ならナンでも遣る男! 前川元文科次官を恫喝した過去も

              〜LITERA 2019年12月12日 06:00〜

 「桜を見る会」問題で国民から不信の目を向けられている安倍政権に新たなスキャンダルが発覚した。「安倍首相補佐官と厚労省女性幹部が公費で『京都不倫出張』」

 そう、明日発売の「週刊文春」(文藝春秋)が、加計学園問題で暗躍した安倍首相の側近・和泉洋人首相補佐官と厚労省の大坪寛子大臣官房審議官の不倫関係疑惑、そして公費を使った京都出張での「デート」現場をスクープしたのだ。
 既に「文春オンライン」では記事の概要を伝えて居るが、そこでは、和泉首相補佐官と大坪大臣官房審議官が腕を組んで階段を降りる様子を収めた写真等が公開されて居る。「週刊文春」の直撃に対し、大坪大臣官房審議官は往復の新幹線代の支払いが公費である事を認める一方、二人共交際を否定して居るが、写真を見る限り、公私混同の誹りは免れ無いだろう。

 首相補佐官とも有ろう人物が、公費を使って不倫旅行・・・これが事実ならその倫理観の欠如に呆れるが、しかし、和泉氏なら十分有り得る話なのかもしれ無い。何しろ、和泉氏は安倍首相の為に、通常の行政手続きを歪め、各省庁に露骨な圧力を掛けて来た倫理もクソも無い人物だからだ。

 ソモソモ、和泉首相補佐官は国土交通省出身で、現在は政府が名護市辺野古で進めて居る埋め立て工事で関係省庁を統括して居る人物であり、新国立競技場の管轄を文科省から取り上げやり直しコンペを仕切ったのも和泉首相補佐官だと云われる。
 元々は民主党・野田政権時代に内閣官房参与として官邸入り、そのママ安倍首相が留任させると云う異例の人事が行われたが、その背景には和泉氏と付き合いが長かった菅義偉官房長官の後押しがあったとされる。

 しかし、和泉首相補佐官の存在に大きな注目が集まったのは、前述の様に加計学園問題だった。前川喜平・元文科事務次官が、獣医学部新設を巡って和泉首相補佐官から「総理は自分の口からは言え無いから、私が代わりに言う」恫喝され、この他にも獣医学部新設を早く認める様に複数回言われた事を証言したからだ。

 しかも、和泉首相補佐官は前川氏に圧力を掛けただけでは無かった。NHKがスクープした「10/21萩生田副長官ご発言概要」と云う文書では〈総理は平成30年4月開学とお尻を切って居た〉と云う決定的な文言の他、こうも記されて居たからだ。
〈内閣府や和泉総理補佐官と話した。和泉補佐官が農水省とも話し(中略)畜産やペットの獣医師養成とは差別化出来ると判断した〉
〈和泉補佐官からは、農水省は了解して居るのに文科省だけが怖じ気付いて居る、何が問題なのか整理して好く話を聞いて欲しいと言われた。官邸は絶対遣ると言って居る〉


 何と和泉首相補佐官は農水省に迄直接手を回し、萩生田光一官房副長官(当時)迄動かして居たのだ。この後、萩生田官房副長官は獣医学部新設の条件に「広域的に」「限り」と云う文言を追加する様指示。これにより獣医学部新設に名乗りを上げて居た京都産業大学が事実上振り落とされてしまった。

 要するに和泉首相補佐官は、正に安倍首相の代わりと為って加計学園の獣医学部新設を実現させた、最大のキーマンとも言える人物なのだ。実際、2017年6月に日本記者クラブ主催の記者会見に出席した前川氏は、「全体のシナリオを描いて居た」人物として和泉首相補佐官の名を挙げた。

 「私の目から見ますと、和泉総理補佐官が一番のキーパーソンではないかと」「10月21日付けの萩生田副長官のご発言の内容を見ても、萩生田さんは和泉さんと話をした結果として、それを文科省に伝えて居る。矢張り情報発信源に為って居るのは和泉さんではないか。和泉補佐官が一番全体のシナリオを描いて全体の統括もして居る、そう云う立場にいらっしゃったのではないかと思って居ます」

 だが、和泉首相補佐官は加計学園の獣医学部新設を実現させるべく「全体の統括」をしただけでは無かった。アノ読売新聞を使った前川氏の告発潰しでも和泉首相補佐官は暗躍して居たのである。

 2017年5月「総理のご意向」文書が飛び出た際に前川氏の実名告発の動きがある中で、読売新聞は同月22日付で「前川前次官 出会い系バー通い 文科省在職中 平日夜」と報道。本サイトでも繰り返し伝えて来たが、これは、官邸が前川氏の告発を潰す目的で読売にリークして書かせたものだ。そして、読売に記事が出る前日、前川氏に揺さ振りを掛けたのは和泉首相補佐官だった。前川氏はこう証言して居る。

 「21日に和泉補佐官からのアプローチも有った。文科省の藤原誠初等中等教育局長からのショートメールだった。(自分の携帯から着信記録を示して)これです。『和泉さんから話を聞きたいと言われたら、対応される意向はありますか?』それに対しては『ちょっと考えさせて』と返信した」
 「和泉さんが私の口を封じたかったのではないかと思って居る。丁度私が加計関係の文科省内部文書に付いて、メディアの取材を受け始めた時だ。前川が喋って居るとの情報が伝わったのではないか」
 (サンデー毎日2017年12月10日号 毎日新聞出版)

 「明治日本の産業革命遺産」でも安倍の意向を受けて文化審議会の反対派委員を排除

 実名告発を潰す為に脅しを掛ける・・・これが首相補佐官の仕事なのかと衝撃を覚えずに居られないが、実は加計学園問題以外でも、和泉首相補佐官は安倍首相の意向を形にする為恫喝と圧力を掛けて居た事が判って居る。

 それは、2016年に世界遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産」を巡っての事。「明治日本の産業革命遺産」は幼少時から安倍首相と家族ぐるみの付き合いで、加藤勝信厚労相の義理の姉でもある加藤康子氏が中心に為って推し進めて居たプロジェクト。
 「週刊新潮」2015年5月21日増大号に掲載された康子氏のインタビューによると、自民党が野党に転落して居た頃、安倍氏は康子氏に「君が遣ろうとして居る事は『坂の上の雲』だな。これは、俺が遣らせて挙げる」と声を掛け、更に、総裁の地位に返り咲いた3日後「産業遺産遣るから」と、電話を掛けて来たと云う。  

 そして、安倍首相が血道を上げたこの「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録でも、安倍首相の名代として現場に介入したのが和泉首相補佐官だった。実は「明治日本の産業革命遺産」を世界遺産の国内候補にする為、和泉首相補佐官が候補を決める文化審議会の委員から反対派の委員を排除する様圧力を掛けて居たのだ。文化庁を外局とする文科省の事務方トップの事務次官を務めた前川氏はこう証言して居る。

 和泉氏は文化庁の幹部に対し、文化審議会の委員から日本イコモス委員長西村幸夫氏を外せと言って来た。日本イコモスは産業遺産の推進に消極的だった経緯があり、兎に角怪しからんから外せと。結局、西村氏は委員から外れました」 (週刊朝日 朝日新聞出版 2017年6月23日号)

 これ等のケースを見ればもうお判りだろう。安倍首相がこれ迄のルールや行政手続きをヒックリ返してお友達に利権を優遇したい時、安倍首相の代わりに現場に圧力を掛けゴリ押しをするのが和泉首相補佐官の役目だったのだ。
 そして、安倍政権では、和泉氏の様に安倍首相や菅官房長官の意向を汲んで動けば、官僚としての倫理観ナンて欠片も無くても官邸に重用され出世出来てしまう。嫌、安倍首相の為に平気で不正に手を染める事が出来る、そう云う倫理観の無い官僚コソが出世すると云うべきか。

 そう考えると、今回の京都不倫出張と云う「公私混同」疑惑も、安倍首相の右腕なら何をしても許されると云う慢心の結果、起こるべくして起きたスキャンダルと言えるだろう。
 森友・加計問題や「桜を見る会」でハッキリした様に、安倍首相が平然と私物化して来た事で、安倍首相の側近や親しい政治家達も又同じ様に振る舞い、最低限の倫理観さえ崩壊させてしまった。今回の「週刊文春」のスクープは、単なる不倫スキャンダルでは無く、安倍政権の腐敗を裏付けるものだと言って好いだろう。









 安倍の虚言は今年もアクセル全開! 2018年、安倍首相が着いた真っ赤な嘘とインチキを総まくり(前編)

           LITERA 編集部     以上 




 不倫疑惑官僚・大坪氏が答弁に “コネクティング”を認めた!
                
               〜女性自身 2/7(金) 20:37配信〜


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        1月29日 参院予算委員会での大坪寛子厚生労働省大臣官房審議官


 既婚者である和泉洋人首相補佐官(66)と、シングルマザーである大坪寛子厚生労働省大臣官房審議官(52)不倫疑惑。「週刊文春」が昨年12月に2人の“京都デート”を報じた事で明らかに為ったものだが、更に分春は2月6日発売号で、2人がインド出張に行った時、“コネクティングルーム”と云われる内部の扉で繋がって居る部屋に泊まって居たと云う続報を打った。

 2月7日に行われた衆議院予算委員会で、大坪氏がこの疑惑に応えた。質問したのは、立憲民主党の早稲田夕季衆議院議員(61)。税金を使った出張中の不倫疑惑とあって、議場では「税金だぞ」「ドコが出張だ!」と云うヤジが飛んだ。

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               立憲民主党の早稲田夕季衆議院議員

 早稲田議員は週刊文春の報道を元に、2年前のインド出張の際、2人が“コネクティングルーム”に泊まった事、そしてそのフロアに泊まったのが和泉氏と大坪氏と和泉氏の秘書官だけで、他の出張メンバーは別のフロアに泊まった事を指摘した。それに対して、大坪氏は出張が公務である事を強調した上でこう答えた。

 和泉秘書官は体調を崩されて、官邸の中で倒れられた事があります。救急搬送されまして入院加療を暫らく受けられて居た事が御座います。元々公務なので行く予定でしたが、その際に秘書官の方から相談を受けて居ります。
 現地の医療体制とか機内の医療の整備に付いて、色々と確認をしたり、そう云った遣り取りがありました。その際に、秘書官から連絡を受けられる場所と云う事で、和泉補佐官の部屋を秘書官と私とで挟む形で万全の体制を取った」


 部屋に泊まった事は認めた大坪氏。彼女は医師から官僚に転身した経歴を持つ。通例では、首相補佐官には医師は同行せず、緊急時には現地の医療機関に頼るのだが・・・大坪氏の言う事を素直に受け取れば、現地インドの医療体制が信用出来無いから自分が一肌脱いだと云う事なのか。
 更に、大坪氏が過去に行ったミャンマー・インド・中国・フィリピンの出張は全て、和泉氏と一緒だったのではないかと指摘されると「(専門分野の)ヘルスケア関係のものに関しては、私が同行する事も御座いますし、他の者が同行する事もある」と正面から答え無かったが、一緒だった事に付いて異存は無い様。早稲田議員に4回の出張が全て“コネクティングルーム”かと問われるとこんな言い訳。

 「部屋の配置に付いては、基本的には、外務省が作って下さる配置に従って居る。全てどうであったかは、細かい処は記憶にありません」

自分の上役に当たる男性の部屋と、内扉で繋がって居る部屋に泊まる経験なんて、滅多には無さそうなもの。他にもそう云う事があったら覚えて居そうなものなのだが・・・一方、外務省の担当者はインドのホテルの部屋割りが「補佐官室からの指示であった事」を認めた。
 東出昌大(32)と唐田えりか(22)・鈴木杏樹(50)と喜多村緑郎(51)の不倫が世間を騒がして居るが、大坪氏と和泉氏の不倫疑惑には税金が使われた疑いがある。

 ヤツレタ様にも見えたが、質問に対して淀み無く答えた大坪氏。野党は和泉補佐官を国会に呼ぶことと、出張に関する書類を全て開示する事を要求して居る。


 「面従腹背やめよう」宣言の藤原文科事務次官は官邸べったり! 安倍首相と一緒に加計学園式典出席、前川喜平に“口封じ”画策
 安倍首相ごり押し「軍艦島」の世界遺産報告書から「朝鮮人の強制労働」を削除! 国際公約を反故にして徴用工問題消し去る安倍政権

                    以上



 【管理人のひとこと】

 和泉・安倍晋三首相補佐官とは、物語として何度も映画化された「幕府の隠密」所謂、柳生但馬守の様な役目なのだろう。為政者の本音を汲み取りその威を借りて陰で暗躍する・・・正に、為政者のダーティーな面を全てフォローする影のヒーローなのだ。和泉補佐官の権力に誰も楯突くことは御法度なのである。
 又は、犬公方として知れる徳川綱吉将軍のお側役の柳沢吉安の役目か・・・吉安はその功労により、初代甲府藩藩主から川越藩主と為った人物で、好悪両面が歴史に残されて居る。将軍の政治力が弱いからこの様な側近の権力が蔓延(はびこ)るのか、又は強力な将軍なので影の権力も増大するのか・・・私には判らぬが、歴史的にもこの様な側近の暗躍で政権は何れ崩壊するのが常だ。強力な安倍政権も、基礎の部分から腐り始め、既に全身にシロアリが食らい突いて居るのがハッキリする事態へと転げ落ちた。

 古来から存在する不倫・浮気が、令和の現在に為って、何か社会問題に迄発展しそうな具合に変化し出した様だ。これでは迂闊に浮気は出来ない世の中に為った。無論、不倫も既婚者からすると浮気の一つなのだが、相手が独身者と為ると話がヤヤコシク為る。互いに既婚者同士の浮気為らば、犠牲者はその配偶者であり、訴訟されると罰金か慰謝料を支払わされる羽目に為るのでご注意願いたい。
 しかし、タレントや芸能人の浮気や不倫は、外野席から見て「冷やかし半分」で見てらるが、首相補佐官、それも今を時めくイケイケの安倍首相の懐刀と云われる66歳の秘書官と、方や52歳のシングルマザーの審議官の不倫・・・大人なのだから不倫は自由だし楽しんで貰うのも自由だ。が、それを公務出張の中に取り入れては為ら無いだろう。その辺の判断が狂う程迄に熱く為ってしまった・・・老いらくの恋は恐ろしく不潔で残念だ。確りとした処分を願う。











  











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