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2019年10月23日

新選組の名を轟かせた「池田屋事件」 潜伏浪士捜査の背景




 新選組の名を轟かせた「池田屋事件」 潜伏浪士捜査の背景






 

           〜AERA dot.〈dot.〉 10/23(水) 17:00配信〜


            10-24-1.jpg
 古高俊太郎(ふるたか・しゅんたろう)近江出身 帰農した武士である郷士だった父の転職に従って上洛した後、桝屋の養子に入って商人を装った反幕府勢力工作員と為る。幕府の弱腰外交を批判する儒学者・梅田雲浜の弟子で、雲浜が安政の大獄により獄中死した為反幕府へと・・・
 
 〜週刊朝日ムック『歴史道Vol.6』では、幕末を大特集。剣と誠を貫き、滅び行く幕府に殉じた新選組。時には「壬生浪(みぶろう)」と蔑まれながらも、恐れられたその実力とは如何なるものだったのか。前回紹介した「新鮮組の剣と必勝戦術」が天下にその名を轟かせた、池田屋事件を解き明かす!〜


 池田屋事件前、新選組の解散をも憂慮して居た近藤/span>
 
 文久三年(1863)八月十八日、長州藩は突如、それ迄任じられて居た御所の警備の任務を解かれた。更に支柱として居た親長州系の公家等の参内も停止された。反幕府系の彼等と対立して居た会津、薩摩等の公武合体勢力が起こした政変である。
 程無く長州系の公家等は京都を追われ、不穏と目される長州系の活動家達も京都を離れて行った。だが、その後設立した、公武合体派の諸侯が重要施策の指針を合議する参与会議が、成果を得ぬママ解散してしまった。将軍徳川家茂は元治元年(1864)一月に2年続けて上洛したが、国を挙げた攘夷への道筋すら見出せて居ない。
 
 その頃、京都を追われて居た反幕府勢力が、回帰、潜伏し始めて居る事が公然と不安視される様に為って居た。四月二十四日、町奉行所は町触(まちぶれ)を発し、夜間の木戸門の戸締まりと、不審者への注意の徹底を呼び掛けた。町触には、もし不審者が乱暴し手に余る様なら殺害も認可すると迄示されて居る。

 治安勢力は確かに策動し始めて居た。四月下旬の事とある。河原町付近で起きた火災の折り、新選組は不穏な動きをした長州藩邸の門番を自称する男を捕縛・尋問の結果、250名の長州勢が京都に潜入して居るとの情報を得たと『島田魁日記』は伝えて居る。
 人数情報は相当に過大と思われるが、新選組はこの証言に反応、直ちに、島田、山崎丞、川島勝司等の隊士が確実な情報を求めて市中に潜って行ったと云う。

 だがこの頃、局長近藤勇は憂慮を抱えて居た。家茂の再東帰から4日後の五月二十日、近藤は、将軍帰還後も混沌とした政局が続く為らば、新選組の解散をも許可して欲しいとの上書を幕閣に提出して居た。新選組そのものが、成果も無く歴史の波間に沈んでしまう危機をも内包して居た時期に当たった。  
 更に六月一日頃、新選組は鴨川東岸で中間風の不審者2名を捕縛、彼等の口から不審者の情報等を得たとする同時代の風聞情報が『時勢叢談』(じせいそうだん)に伝えられて居る。島田や山崎等の探索に加え、こうした予期せぬ入手情報も、新選組には役立った事だろう。

 程無く一人の人物に辿り着く。四条寺町で薪炭商を営む桝屋喜右衛門と云う男だった。その実体は近江出身の反幕府活動家の古(ふる)高俊太郎で、商人を装い、潜伏中の反幕府勢力に様々なサポートを行なって居た人物だった。  
 桝屋の一軒隣には具足店が在った。この店を営んで居たのは播磨林田出身の活動家大高又次郎で、古高共々、潜伏者達の便宜を図って居た人物である。

 六月五日早朝、新選組から、組頭の武田観柳斎が率いる数名の隊士が桝屋に出張。喜右衛門こと古高俊太郎の身柄を拘束し壬生屯所へ連行した。併せて桝屋店内の捜索も行なわれた。
 古高連行の報に長州系の活動家達は騒然と為った。在京中だった肥後の宮部鼎蔵や長州の吉田稔麿等リーダー格の者達は、危機回避を優先させる。宮部と吉田は「壬生屯所へ討入り古高脱還を」と叫ぶ者達を長州藩邸に集めて説得し、一先ず動揺を鎮めた。
 古高がこの時点で何処まで自白したのかは判然としない。只、桝屋内の捜索で、火薬等が発見され、更に前年末に認めた活動家等の血盟状等も押収された。2日後の七日は、祇園祭本祭で山鉾巡幸が実施される。こうした時期に、漠然とした危機が提示されたのである。

 市中が混雑する中で、一人でも多くの不審者を捕らえ、不穏な出来事を阻止すべく、新選組は京都守護職に、治安勢力による至急の出動開始を要請した。ここ迄新選組解散を視野に入れて居た近藤勇にトッテモ緊急の状況と為った。当時、新選組の全隊士は約40名だった。
 山崎丞ら少数を、古高脱還に備えて屯所警衛に残したと観られ、総勢34名で出動待機場所の祇園町会所に集結した。オイオイ、治安勢力も出動体制を整える中、新選組は少ない隊士を機動的に動かす為、近藤勇と土方歳三の指揮する二分隊を編成した。

 四条通りを起点に近藤隊は鴨川西岸、土方隊は同東岸を北上しながら、潜伏浪士の捜索を行ない、二条通りから南下する会津兵と、三条通りで合流すると云う順路も決められた。その頃、吉田稔麿は常宿の四条小橋の池田屋を訪れ、急遽書面を認(したた)め、同志等を呼んで居る。未だ池田屋では何も始まって居ない。皮肉にも新選組の捜索開始後、会合は整えられて行ったのだった。


  文 伊東成郎 ※週刊朝日ムック『歴史道Vol.6』より   以上






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スーパー台風に今の政治が無力である理由 気鋭の学者が語る「弱者への被害の移転」



 




 スーパー台風に今の政治が無力である理由 
 
 気鋭の学者が語る「弱者への被害の移転」

          〜〈dot.〉10/23(水) 7:00配信AERA dot.〜


      10-23-32.jpg

       台風19号で大きな被害を受けた宮城県丸森町(c)朝日新聞社
 

 
 〜新進気鋭の哲学研究者である斎藤幸平・大阪市立大准教授が、資本主義と政治の問題に対し、世界的に知られる哲学者マルクス・ガブリエルと政治哲学者マイケル・ハートらと切り込んだ『未来への大分岐』(集英社新書)が3万部を超えるヒット作と為って居る。
 米国やドイツに留学経験があり、欧米の左派ポピュリズム運動や気候変動の問題に詳しい斎藤氏は、れいわ新選組の山本太郎氏とも親交がある。しかし、夏の参院選で突然巻き起こった「れいわ旋風」には、或る違和感を覚えて居ると云う。世界と日本の違いは何か。日本で相次ぐ災害に対し、今の政治に欠けて居るものとは。斎藤氏に語って貰った〜


              10-23-33.jpg

               斎藤幸平・大阪市立大准教授 


 ・・・世界を見渡すと、移民排斥や差別主義を扇動する「右派ポピュリズム」と、米国のバーニー・サンダース上院議員や英国のジェレミー・コービン労働党党首に代表される「左派ポピュリズム」が活発に為って来て居ます。今何故左派ポピュリズムなのでしょうか。 

 既存の政党がどれも似通った主張をする様に為る中で、自分達の声が反映されて居ないと感じる人々が増えて来て居ます。これは日本だけで無く、世界的な流れです。
 この30年間の新自由主義改革の元で、社会から見捨てられたと感じる人々の苦しみ、怒り、疎外感と云ったものが鬱積して居て、そうした感情が排外主義・ナショナリズムに結び着く傾向があります。欧州での極右政党の躍進等が、その兆候だと言われて居ます。

 しかし、人々の苦しみや怒りを排外主義的な方向では無く、寧ろ、より平等で、民主主義的な連帯社会を作り出す切っ掛けにしようとする人々の動きも生まれて居て、それが左派ポピュリズムです。只、これ迄日本では、海外の左派ポピュリズム運動を「反緊縮財政」と云う一面的な部分だけ切り取って伝える人達が多かった。
 『未来への大分岐』で、海外の左派知識人達と社会運動に付いて繰り返し議論したのは、もっと大きな視点で、左派ポピュリズムを考えたいと思ったからでした。

 実際、欧米の左派ポピュリズムが一番に取り組んでいる課題は「反緊縮」では無く、持続可能な社会をどの様に構想するかなのです。では、何故持続可能性がそれ程まで喫緊の課題に為って居るのか。それは、気候変動と云う危機が、これまでの予想以上に急速に深刻化し、人類の生存を脅かす程に為って居るからに他なりません。
 処が、日本では左派の中ですら、未だ気候変動への懐疑説が横行して居ます。だから、海外の左派ポピュリズムの核心を見落とすのでしょう。

 ・・・日本に甚大な被害を持たらしている昨今のスーパー台風には、海水温度の上昇が関わって居るとも言われて居ますが、気候変動に付いては、科学の領域の様に思えます。
 
 いえ、気候変動は社会そのものを含め全てを変えてしまうのです。例えば、気温上昇を2度に抑えたとしても、海面上昇が進み難民が2.8億人に迄増加すると云う予測があります。これに干ばつや熱波による農作物被害や飲み水不足が加わる。そう為れば、右派による排外主義が益々過激に為り、社会そのものも変えてしまうでしょう。

 問題は勿論左右の分断だけではありません。1%の超富裕層は、寒冷な高地のゲーテッド・コミュニティで今まで通りの生活を維持出来るかも知れませんが、将来の世代、取り分け、途上国の人々は自分達が二酸化炭素を排出して居ないにも関わらず、塗炭の苦しみを味わう。今話題のグレタ・トゥンベリ達が使う「気候正義」と云う言葉には、そう云った含意があります。
 又、もっと身近に日本国内で言えば、台風の被害が東京では最小限に抑えられて居るけれど、他方で、インフラの老朽化した地方程被害は大きく、更には高齢者達に復旧の負担が圧し掛かります。ホームレスの人々が避難所に入れ無いと云う事件もありました。これらは全て気候正義の問題です。
 しかも、こう云った弱者への被害の移転が、将来的にはもっと大規模なスケールで起きる事に為る。それに対抗する為には、人権や平等と云う理念を守る事が必要なのです。

 



 ・・・「正義」の為に、今の生活水準を諦め、エネルギーを使わ無い「脱成長」に向かうべきと云う事でしょうか。
 
 成長を諦めろ、中世社会の様に質素に生きろと言いたいのではありません。一つ参考に為るのが、欧米の左派ポピュリズムが今まさに中身を議論して居るグリーン・ニューディールです。それは、成長と持続可能性をどちらも擁護しながら、新しい社会を作ろうとする計画です。

 具体的には、再生可能エネルギーの導入や、無償の公共交通機関への投資、エネルギー効率の高い公共住宅建設への財政出動。これ等の新しい雇用創出で、石炭・石油産業の労働者達の新しい仕事を補います。貧困層でも車を電気自動車に買い換えられる様にする為のローンを国が提供する等。気候変動への取り組みを、新自由主義が作り出した分断を乗り越える契機にしようとして居ます。

 今の様な生活スタイルは持続不可能であると云う事は認識しつつ、新自由主義とは異なる新しい社会を作るアイデアが生まれて居ます。それも、トップダウンでは無く社会運動の側が積極的に提案して、政治家がそれに動かされて行くと云う方向に為って居る。そうした下からの動きが、欧米では年々、活発に為って来て居るのです。

 ・・・「下からの民主主義」は、未だ日本で根付いて居ないと云う事でしょうか。又、左派ポピュリズムは世界の政治を席巻して居るのに、何故、日本では広がら無いのでしょうか。 

 複雑な制度を熟知して居る専門家やエリート達が、トップダウンで制度を変え様とする傾向が、日本では未だ根強いですね。しかし、現代の様な、複雑な危機が同時多発的に起きて居る時代では、トップダウン型の政治は機能しません。
 欧米の左派ポピュリズムと言えば、前回の米国大統領選で大旋風を起こしたサンダースやコービンの活躍ばかりが注目されますが、好く観察すると、彼等を支えて居るのも社会運動なのです。嫌、寧ろ、社会運動が先にあり、運動が政治家を動かして居ます。
 サンダースの場合、2011年にウォール街を占拠したオキュパイ運動の人々の流れが強い。英国も、労働組合や協同組合の活動が盛んで、コービンを支える草の根の組織「モメンタム」が非常に活発です。

 ・・・その意味で、れいわ新選組が問題の現場に居る当事者達を候補に立て、2議席を得た事は、新しい兆しにも見えます。「れいわ旋風」をどう評価しますか。

 社会運動と繋がりが無く、エリート達だけで政治をして居た旧民主党に比べると、大いに進歩して居ると思います。太郎さんが参議院議員時代の6年間、貧困、労働、障害者問題等の現場に足を運んだ成果です。独自のネットワークから9人の当事者を候補に立て、運動と政治の繋がりを作ろうとした事は素晴らしい。旧民主党の政治家達とはそこが違う。
 但し「れいわ旋風」と呼んで持ち上げ過ぎる傾向には違和感があります。れいわの公約は経済が中心で、気候変動の話は何処にもありません。気候変動の影響を過小評価して居るのではないでしょうか。又「れいわに投票すれば日本の政治が変わる」「選挙に行けば、政治が変わる」と云うのは幻想です。数年に1度の国政選挙だけで盛り上がった処で、下から支える運動が無ければ、誰がリーダーに為っても結局は失望するだけです。

 ・・・山本代表は、「総理大臣に為る」と宣言して居ます。
 
 欧米のポピュリズム運動は、個々のテーマで協力者を少しずつ増やす地道な活動を続けて居ます。裏を返せば、サンダースやコービンが居なく為っても、草の根の組織があるので運動は継続出来る。米国史上最年少の下院議員に為ったアレクサンドリア・オカシオ=コルテスの様な新しいリーダー候補にバトンを渡す事も出来る。

 一方、れいわ新選組は山本太郎さんのカリスマ性への依存が強く、下からの運動が支えて居るとは言い難い。寧ろ太郎さんが、運動を耕し育てて居る段階です。とは言え、社会運動を耕し、政治と繋げ様とした点では物凄く大きな前進です。最早、日本でも左派ポピュリズムの力は否定出来無く為って居ます。

 ・・・では、今後、どう言った事が必要とされるのでしょうか。

 選挙が終われば、賢いリーダーに全てをお任せ、と云う傾向を『未来への大分岐』では「政治主義」と呼びましたが、その政治主義から脱して、自分達の手で社会運動を育て社会を変えて行く必要があります。社会の苦しみの現場にコソ、解決の糸口があるのですから。

 社会運動を育てると云う様な面倒なプロセスよりも「上から」の改革の方が、一見「効率的」に見えますよね。しかし、分断の深まる民主主義の危機や気候変動の問題等、この状況を作るのに最も加担して来たのは、国家や資本に近いエリート達です。
 だとすれば大衆の声を強くして行くしか無い。社会運動と政治の繋がりを欧米の左派達が忍耐強く作って来た点は、まさに見習うべき処なのです。


      聞き手 AERA dot.編集部 西岡千史   以上 


 【管理人のひとこと】

 山本太郎氏は北海道の辻説法を終え次は九州へと向かった・・・と迄は報道で存じて居るが、その後の活動に付いて管理人は承知しない。アノままの活動を続けて居るとすれば、それは選挙資金の獲得と知名度の高揚が目的なのだろう。
 彼が選挙期間中に主張して来たものが、2議員の誕生で終わってしまったのでは無く、次のステージへ移行する為の一つのステップにするべきだ。彼は、多くの野党議員と5%消費税への減税で纏まろうと動いて居るが、どうも上手く行かない様だ。
 社会運動と繋がりが無く、エリート達だけで政治をして居た旧民主党・・・と、斎藤幸平・大阪市立大准教授が一括する如く、社会運動へと拡がら無い政治行動は、単に少数の議員を獲得する為だけの動きに留まってしまいその結果で終わり、その先(政権獲得)へと発展しない。その様にに見えるが過去の歴史だった。
 山本氏の思想・行動理念が大きな社会運動へと繋がるか否かで、彼が総理大臣へと進む道が如何様にも開けて行けるだが・・・



 




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「即位の礼」まばたき禁止の一団 陸上自衛隊の花形「特別儀仗隊」を知って居ますか?




 「即位の礼」まばたき禁止の一団 陸上自衛隊の花形 「特別儀仗隊」を知って居ますか?

            
           〜文春オンライン 10/23(水) 11:00配信〜


      10-23-30.jpg

          特別儀仗を行う陸上自衛隊第302保安警務中隊


 〜国賓来日時の羽田空港等でのお出迎え。又は皇居、迎賓館、首相官邸等でのお出迎え。そうした時に、一際規律正しい動きを披露して居る一団を目にした事がないだろうか。
 着剣した銃剣を手にビシッとした制服を身にまとい、号令に一糸乱れぬ動きを見せる・・・この集団は、陸上自衛隊第302保安警務中隊から編成される特別儀仗(ぎじょう)隊。彼等が披露する特別儀仗は、日本ではこの第302保安警務中隊の隊員しか担う事の出来無い唯一無二の任務なのだ。
 一体、この唯一無二の任務を果たす隊員とはどんな人物なのか。そして特別儀仗ならではの厳しさや面白さとは? 陸上自衛隊第302保安警務中隊の飯田博臣2等陸曹に話を聞いた〜



 「国賓の来日」「防衛大臣の離着任」での儀式の様なもの

 ・・・先ず、ソモソモ第302保安警務中隊とはどの様な部隊なのでしょうか。

 「陸上自衛隊には例えば普通科、機甲科等色々な職種があるのですが、その中の警務科職種に当たります。保安警務中隊は各方面警務隊に配属されて居まして、第302保安警務中隊は東部方面警務隊の所属。そして我々だけが特別儀仗を担当する事が出来る事に為って居ます」

 ・・・その特別儀仗と云うのは、どの様なものなのでしょうか。

 「国賓が来日した際や防衛大臣・副大臣・政務官の離着任時に行う儀式の様なもので、我々第302保安警務中隊陸上自衛隊中央音楽隊で行います。
 特別儀仗隊には3個小隊があり、儀仗指導等を行う本部要員を含めて通常約100名で儀仗を実施しますが、状況によっては人員を減らして儀仗を実施する事もあります」

 ・・・それはその特別儀仗の重要性によって変わる、と云う事ですか。

「イヱ、そう云う事ではありません。受礼者や儀仗実施場所の広さ等を鑑みて防衛省や外務省等からの指示により編成が決められて居ます」

 「23年、700回以上」の特別儀仗に参加

 ・・・特別儀仗はどれ位の頻度で行われて居るのですか。

  「国賓の来日時等に行うので定期的ではありません。間が空く事もありますし、サミット等複数の国賓が来日する際には1日に何度も実施する事も。通算では2900回以上(2019年10月9日現在)特別儀仗を実施して居ます」

 ・・・飯田2曹ご自身はどの位参加して居るのですか。

 「私は平成8(1996)年に自衛隊に入隊して新隊員教育を終えてからズッと保安警務中隊に居ますから、もう23年位遣って居ます。だから細かい数字までは覚えて居ないのですが、700回以上には為って居ると思いますよ」

 「9人が横から見て1人に見えるのが理想」

 ・・・700回! と云う事は特別儀仗の通算実施回数の2割以上に飯田2曹が関わって居ると云う事に為るんですね。と為ると大分ベテランに為りますよね。もう特別儀仗も慣れたもの・・・

 「そうですネエ、中隊の中ではベテランの方に為ってしまいますね(笑)。でも、今でも儀仗の度に緊張しますよ。儀仗隊の動きはホンの少しのズレでもダメ。ミリ単位で動きを合わす事が求められます。
 1個小隊で横に9人ずつ3列に別れて並ぶのですが、並んだ9人が横から見て1人に見えると云うのが理想なんです。ですから少しでも気を抜き身体が前ノメリに為ったり、手に持っている銃がホンの僅か前に傾いたり、そう云う事があれば儀仗は台無しです。
 訓練では未だしも、本番では絶対に許され無い事。ですから、700回以上遣っても緊張はするし、緊張感を持って居なければいけ無いと思っています」

 ・・・ミリ単位とは凄いですね・・・訓練の様子を拝見しましたが、我々が見ても何がダメなのか判ら無かったのに厳しい指導の声が飛んだりもして居ました。

 「彼等は皆沢山訓練を積んで来た隊員達ですから、練度は相当に高いんです。だから皆さんが見ても何が良くて何が悪いのかはホンの微々たる差ですから判ら無いと思います。でも、我々が見たら一目瞭然。訓練で確りと合わせて、本番を迎えています」

 つま先は60度、足の開きは25cm

 ・・・相当な厳しさが伝わって来ますね。何でも、足を開く角度とかも決まって居るとか。

 「爪先は60度と決まって居ますね。後、整列休めの時には足を25cm開く。だから誰か1人でも少しズレて居るだけで目立ってしまうんです。これを身に付けるには・・・もう訓練しか無いですね。
 矯正具がありまして、最初は毎回爪先に宛がわれて『違う!』と怒られて。その繰り返し、何回も何回も遣るしか無い。姿勢にしても同じです。人間の身体はどうしたって楽な方に行くんです。何も力を入れずに自然に立つと、殆どの人は前傾します。そこをピシッと真っ直ぐに正して行く」

 ・・・言葉にすれば簡単そうですけど、10秒20秒だけと云う話じゃ無いですもんね。

 「少し気が抜けると、呼吸するだけで身体が前に出たりするんですよ。マア、これもミリ単位だから皆さんには判ら無いと思いますが(笑)。後は瞬(まばた)き。勿論人間なのでまばたきを絶対にし無いと云うのはムリですが、出来るだけし無い様にする。これは・・・訓練と云うよりはタダタダ我慢するしか無いですね」

 「絶対に瞬(まばた)き出来無い時間」

 ・・・飯田2曹程の練達者に為れば、瞬きゼロ何てことも・・・

  「イヤイヤ、流石に(笑)1度だけ、自衛隊音楽まつり祭の儀仗で1回も瞬きしないで遣り抜いた事もありますが、普段はどうしても3〜5回とかしてしまいます。只、目の前を総理や国賓の方が通る、これを巡閲と呼びますが、この巡閲の時だけは絶対瞬き出来ませんからね」

 ・・・注目度の高い国賓でしたら、テレビカメラ等が来て居る事もありますしね。

  「万が一瞬きでもしようものなら、それがバッチリカメラに抜かれてしまう。そんな事は許されませんし、自分も特別儀仗隊としてのプライドがあります。只ですね、瞬きばかりを意識しても身体が前に傾いたり、他の処に影響が出てしまう。身体の動きも含めて、全て無意識の内に意識すると云うのでしょうか・・・そのレベルまで練度を高めて置かなければいけ無いんです」

 雪が降る羽田空港で50分待ち続けた事も・・・

 ・・・詰まり身体で覚える、身体に染み込ませると云う事ですか。それもミリ単位で。肉体的には勿論ですが、精神的にも可なり厳しい任務なのだろうと想像出来ます。それに外で行う事も多いでしょうから、暑さ寒さも影響しそうですし。

 「暑いのはキツイですね・・・羽田空港だと周囲に日差しを遮るものが何も無いからもう暑くて暑くて。そういう処に20分〜30分と立って居ると・・・でも耐えるしか無いですから。
 頑張れ、頑張れ、と自分に言い聞かせて(笑)羽田空港と言えば、自分が未だ陸士だった時に真冬の羽田で儀仗があったんです。その時は雪が降って居たんですよね。で、50分位整列休めの状況で待ち続けて。もう手の感覚なんて完全に麻痺しちゃいましてね。銃を持って居るんですけどその感覚も全く無い。捧げ銃の号令が掛かっても、もう殆ど感覚が無いから上手く出来無かった。それが唯一、捧げ銃が上手く出来なったと云う苦い経験かも知れないです」

 ・・・そうした状況でも完璧な儀仗をしないといけ無い訳ですよね。嫌・・・一寸想像出来無い世界です。

 「今まで100%の儀仗をしたと云う経験は一度もありません。訓練でもそうですね。勿論見て居る人にも判ら無い程度ですけど、それでも僅かに捧げ銃で銃が動いたかなとか。究極は精密機械の様に動く事。
 私達も人間ですから難しいんですが、だからコソ究極を目指して行く。技量を維持するのでは無くて、常に向上ですよね。マア、私ももう40歳を超えましたから肉体的な衰え、反射神経とかも若い頃と比べると劣って来て居るのかナアと。プライドもあるから自分ではそんな筈は無いと思って居るんですけど(笑)」

 「オフの少年野球でもダラダラ出来無い」

 ・・・長年特別儀仗隊として活躍されて居ると、職業病の様なものもあるかと思います。何か思い着くものはありますか。

  「どうしても動きがキビキビしちゃいますよね。オフに少年野球のコーチをして居るのですが、お母さんお父さん方は私が自衛官だと判って居るから、ダラダラした処は見せられ無い。
 街を歩いていてもショーウインドウに映った自分を見て姿勢をチェックしてしまったり(笑)家の中だけですね、本当にリラックスするのは。家の中と家の外で全然違うと思いますよ。だから家族は私が外でどうなのかは判ら無いかも知れない。トランプ大統領が来日した時の儀仗をテレビで遣って居たら、子供に見せて『パパも此処に居るよ』とか言って居るんですけど(笑)」

 「即位の礼」の為に1カ月の集中訓練

 ・・・豊富なご経験をお持ちな飯田2曹ですが、これから楽しみにして居る任務等はありますか。

 「矢張り即位の礼ですね。普段は本番3日前からの訓練ですが、即位の礼では約1カ月程前から集中訓練を行います。それも何時もの市ヶ谷駐屯地では無くて、広い訓練場所のある朝霞訓練場に出向いての訓練。
 通常の任務や儀仗もありますから、それと両立させつつなので大変だとは思いますが一生に一度有るか無いかの機会ですから。私自身は列には入らずに儀仗本部でサポートをする事に為りますが、本当に楽しみですね」(※11月10日の天皇・皇后両陛下のパレード「祝賀御列の儀」でも特別儀仗が予定されて居ます)
 
 700回を超える儀仗隊としての豊富な経験を持つ飯田2曹を以てしても、時には過酷な場面も有ると云う特別儀仗。国賓の来日や即位の礼等、決して失敗の許され無い場面で見せる一糸乱れぬその動き。そこには、常人には真似の出来無い特別儀仗隊だけの鍛錬された技があるのだ。

 国賓の来日時のお出迎えや即位の礼等で活躍する陸上自衛隊第302保安警務中隊の特別儀仗隊。僅か数ミリの動きのズレも無く、言葉通りに一糸乱れぬ所作を披露する裏には、想像を絶する訓練の日々があった。特別儀仗隊はいかにして特別儀仗隊に為り得たのか。その裏側を飯田2曹に聞くインタビューの第2弾。


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           特別儀仗服を着た飯田博臣2等陸曹

 「170〜180cm、60〜75kg」特別儀仗隊に入る条件とは?

 ・・・飯田2曹は何故第302保安警務中隊、特別儀仗隊に入ったのでしょうか。

 「平成8年に入隊して横須賀で新隊員教育を受けて居た時に、駐屯地のイベントで儀仗隊が来て居まして、そこで儀仗を見てスゴいカッコ好い、と。鳥肌が立つ位感動したんです。それで自分も入りたいと思い、面接を受けて合格して入隊したのが始まりですね。それ以来ズッと第302保安警務中隊一筋で遣って居ます」

 ・・・国賓や陛下の前での儀仗をする部隊ですから、誰でも入れる訳では無いんですよね。例えば身体的な規定とかも・・・

 「そうですね、動きは勿論見た目の姿もピタリと揃わ無いといけ無いので、身長170cm〜180cm、体重60kg〜75kg以下と云う規定があります。身体が小さ過ぎても大き過ぎてもダメなんです。見た目を揃えると云う事では中隊には3個小隊がありまして、1小隊から3小隊まであるのですがそれは格の違いと云う事では無くて、身長順に為って居ます。
 1小隊が身長が高く、中間位が2小隊、3小隊がヤヤ低め。大きい人と小さい人が並んで居るとどうしてもバランスが悪く為ってしまいますからね」

 「高校生の頃から体型は変わって居ないですから」

 ・・・そしてその体型をズッとキープしていなければいけ無いと。

 「勿論。自分も高校生の頃から体型は変わって居ないですから。私だけで無く隊員は皆体型の維持は意識して居ると思いますよ。身体を鍛えて筋肉量が増えて大きく為り過ぎると云うのもダメですし。後はヘアスタイルも刈り上げは2分刈りが基本なんです。儀仗の本番前には皆散髪に行って揃えますし、ヒゲも朝剃って儀仗の直前に剃る。それ位、身だしなみには気を配っています」

 ・・・ヒゲなんて朝に剃ったらそれっ切りですよ・・・普通の人は。

 「マア朝の9時に儀仗があるならそれで好いんですけどね。でも昼過ぎだったら少し伸びてるじゃないですか。だから直前に剃る様にしないとダメなんです。銃剣や制服の管理も当然、これは儀仗隊と言うよりは自衛隊員に取っての基本中の基本でしょう」

 「即位の礼」 アイロンがけ・靴磨き・・・陸上自衛隊の花形「特別儀仗隊」の想像を絶する訓練とは

 一番厳しいのが「アイロンがけ」と「靴磨き」

 ・・・儀仗服は惚れ惚れする程にピシッとして居ますよね。

 「新隊員が入って来て一番厳しいのがアイロン掛けと靴磨きなんです。訓練服に2本線が入って居たりすると真っ直ぐ立って居ても真っ直ぐ見え無かったりするので、アイロン掛けはとても大事。靴磨きも同様で、普通に磨くのでは無くて我々は鏡の様に為るまでピカピカに磨きます。これは入隊してから一個上の先輩がミッチリ教えて呉れる。これが又大変なんですよね(笑)」

 ・・・では飯田2曹もアイロンがけの達人。

 「お蔭で家では私が子供の服までアイロンがけ担当ですから。偶には妻に遣って呉れと言うんですけど、『パパの方が上手でしょ』って言われちゃって(笑)。マア、実際私が遣った方が早いんですけどね」

 ・・・とは言えそこ迄アイロン掛けに熟達する等、若い男性隊員に取ってはナカナカ大変そうです。

 「新隊員は先ず基本教練を約3カ月位ミッチリ遣ります。毎日毎日姿勢を見られてミリ単位の動きを身体に叩き込む。それを1日中遣るともう疲れてクタクタに為るんですけど、その後部屋に戻ってからアイロン掛けと靴磨き。
 部屋に戻っても先輩と同部屋だから落ち着か無いのに、そこで慣れ無いアイロン掛けと靴磨きを徹底的に遣らされる訳ですからね。これは厳しいですよ。でも、こうした厳しい処で育って来る事によって、新しい後輩質にも教えて行く事が出来て儀仗隊の伝統が継承されて行くのではないかなと思って居ます。儀仗隊員なのは誰が見ても直ぐに判りますから、それで居て靴が汚かったら恥です」

 「3カ月の基本教練と審査」特別儀仗隊に仲間入りするまで

 ・・・今のお話で新隊員の基本教練と云うのがありましたが、儀仗隊に入る為にはそこでの教練が欠かせ無いと云う事ですか。

 「うちの部隊に配属されたら、先ずは約3カ月の基本教練。その後に儀仗審査と云うテストをして、それに合格すれば特別儀仗隊の仲間入りです。最初の基本教練で一番大変なのは・・・そうですね、個癖の矯正でしょうか。人間は誰しも個人個人の癖がありまして、基本教練の段階ではナカナカ直ら無いですね」

 ・・・飯田2曹も苦労されたのですか。

 「私の場合は普通に真っ直ぐ立って居る積りでも左肩が少しだけ上がってしまうんです。でもそれを無理やり真っ直ぐにして居ると、自分の体のバランスが崩れて居る様な気がして凄く遣り辛い。こう云う癖が皆あるんです。横から見たら少しだけお腹が反って居るとか、膝と膝の間が開いて居るとかですね。学生の時に遣って居たスポーツも関係して居るのでしょう」

 「お前は毎回銃口が傾いて居るな」ではダメ

 ・・・その癖の矯正をしつつ、動きも身体に覚えさせて行くと云う作業が新人隊員には待って居ると云う事ですね。ミリ単位の動き等想像もつか無いのですがどう遣って身に着けて居るのでしょうか。

 「最初は簡単には出来無いですよね。訓練して、怒られて注意されて、それを積み重ねて段々段々出来る様に為って来る。数年でマスター出来るとか、そう云うものではありません。儀仗審査をクリアして隊員に為ったからと言ってもマダマダ練度は低いですから。
 1個小隊は9人ずつ3列に分かれて並ぶのですが、練度が高い隊員が最前列に立つ事に為って居ます。だから皆そこを目指して技量を磨く。その為には、訓練の時に同じ様な事を言われて居ては話に為ら無い。『飯田、お前は毎回銃口が傾いて居るな』ではダメなんです。前回の訓練で言われたことを、次の訓練では意識して直していか無いと」

 訓練時間は午前の2時間ほど

 ・・・先輩からの教えもあるのでしょうか。

 「勿論教えて頂きますが、先輩によっても教え方が違うんですよね。自分が出来無い事を先輩に『どうすれば出来る様に為りますか』と聞いて、教えて貰った通りにヤッテも上手く出来無い。だけど他の先輩に聞いたらシックリ来るとか。そう云う経験を繰り返しながら練度を上げて、自分流を作って行くと云う処でしょうか。そして教える時にもそれが役に立って来る」

 「零細時間」で自分をどう磨くか

 ・・・成程。そうした地道な努力の積み重ねがあのピッタリ揃った儀仗に繋がって居る訳ですね。技量を磨く為には自分の時間を使った自主練みたいなこともして居るのですか。

 「訓練の時間以外では武器を勝手に使う事は出来無いので、訓練時間の合間に有る零細時間だけですね。全体での訓練だと他の人と合わせる事に為るので個人の技量を上げる時間は無い。ですから、零細時間を活用して個人練習をする訳です。先輩に見て貰う人も居ますし、大鏡の前で自分の世界に入って黙々と動きを確認して居る人も居る。その零細時間で自分をどう磨くか、そこで大きく変わりますね」

 ・・・訓練の合間の限られた時間での自己鍛錬で個人の癖などを直して行く。そうして練度を上げて行く。集中力も必要そうな印象ですが、そもそも訓練は毎日遣って居るのでしょうか。

 「いえ、基本的には儀仗が決まって本番の3日前からです。1年中儀仗訓練及び本番を遣って居るので皆練度が高い隊員達ばかりですから、3日あれば直ぐに出来る様に為りますよ。
 訓練時間は午前の2時間程。只、最初から全体で訓練するのでは無くて、先ずは小隊の中の班で訓練をして、それが上手く言ったら小隊、その後に中隊長の指揮下で全体の訓練をする。本番の予行は最後です。ですから、先ず大事に為るのは各班の班長。暫く儀仗の間隔が空いて居ると感覚が少しズレて居る事もあるので、そこをポンと引き出して行くのが班長の指導の腕の見せ処なんです」

 訓練では「一番下手」、本番では「一番うまい」と思ってやる


 ・・・矢張り訓練でも本番同様の緊張感を持って、と云う事に為りますよね。

 「勿論緊張感は大事。私も訓練だって緊張しますし、指導する時には緊張感を持った訓練をヤラセる事が必要なんです。余りフレンドリーに優しく遣り過ぎてもピリッと感が無くて上手く為ら無い。班訓練の段階で緊張感を与えて早く動きを揃えて行けるかどうかですね。
 但し、緊張感を作るだけでも指導する立場としてはどうだろう、と。凄い集中して厳しくビシッと遣って、合間にはリラックス。そのメリハリを上手く作って行くと段々全体の士気が挙がって行く。団結が生まれて来る。それを小隊訓練から中隊訓練に持って行く」

 ・・・そう云う指導すると云う立場のお仕事にもナカナカ遣り甲斐を持って居る感じですね。

 「自分が思って居るのは、訓練では一番下手だと思って遣って、本番では一番上手いと思って遣る、と云う事。私は少年野球のコーチもして居るのですが、儀仗隊での指導が役に立っていて『練習では自分が下手だと思って、試合では一番上手いと思って遣ろう』と何時も言って居ます。マア、少年野球では厳しくと云う訳では無くて楽しく、ですけどね(笑)」

 銃を掴んだ時のチャッ!と云う綺麗な音

 ・・・最後に、飯田2曹が儀仗に当たって一番大事にして居る事を教えて下さい。

 「儀仗隊長の号令に確り反応する事ですね。僅かに遅れたり早く行ったりするだけで乱れてしまって儀仗は台無しですから。指導の立場でもそこを一番に見て居ます。
 最初の銃を掴んだ時の音、それがズレるんです。揃うとチャッ!と云う綺麗な音がするんですけど、少しズレたら音の幅が拡がると云うか。前列に立って居ても判りますよ。後ろで少しズレてるナアとか。でもねえ・・・早いですね。遂この間まで列の中に入ってバリバリ遣って居たと思ったら、もう40歳を超えて指導して行く立場ですから。
 即位の礼での儀仗も非常に楽しみにして居るのですが、私は儀仗本部で隊員達をサポートする立場ですから。だからこれからも自分の技量を高めつつ、儀仗隊の伝統を後輩達に伝えて行ければ、と思って居ます」


 即位の礼でも晴れ姿を披露した特別儀仗隊(※11月10日の天皇・皇后両陛下のパレード「祝賀御列の儀」でも特別儀仗が予定されています)毎年恒例の自衛隊音楽まつりでも、彼ら儀仗隊が登場してオープニングを迎える。
 まさしく自衛隊の象徴にして花形とも言えるのが、第302保安警務中隊の特別儀仗隊なのだ。彼等を見た時には、一糸乱れぬ動きの裏にある、受け継がれて来た伝統と隊員達の訓練の積み重ねにも、思いを馳せてみてはどうだろうか。
        

     写真 佐藤亘 文藝春秋   以上

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