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2021年12月14日

もしも私が 立憲民社党の代表に為ったら 〔たかまつなな〕



 もしも私が 立憲民社党の代表に為ったら 

 したい事 68億円の交付金の使い道  今度コソ揚げ足捕りでは無い批判を



 Withnews 2021/12/14 07:00


        12-14-1.jpg

 コピーライトマーク withnews 提供  時事YouTuberとして政治や教育現場を中心に取材して来た〔たかまつなな〕さん 12-14-1


 若者に立憲民主党は知られて居無い〔NHKをぶっ壊す〕の方が遥かに認知されて居る。公文書改ざんや政治とカネの問題など、長期政権による弊害は国民も知って居る。それなのに野党第1党の立憲の支持率は上がら無い〔立憲は頼り無い〕この一言に尽きる。
 そして〔反対ばかりして居る〕と云うイメージが付き纏う。私も、批判ばかりするコメンテーターでは無く、提案をして行きたい。だから考えてみた。もしも、私が立憲民主党の代表だったら〜

 時事YouTuber たかまつなな



 メディア批判では無く メディアを作ろう

 枝野幸男さんと対談させて貰った時に「メディアは立憲が批判して居る処を切り取る」と云うメディア批判を繰り返した。でも、野党合同ヒアリングで官僚を吊し上げ、切り札がそれしか無いとは云え審議拒否をし、予算委員会で追及型の議員が質問する場面が続いたら、それは、ソコを取り上げられるのは当然だろう。

 メディアにもダメな処が沢山在る。だけど、誰もがメディアを持てる時代に、メディア批判をするのは私はナンセンスだと思う。メディアを作るべきだ。
 私はNHKに居たが、NHKで限界を感じ時事YouTuberに為った。今は、チャンネル登録者数が12万人居る。会社の常勤は2人・副業メンバー10名程と、クラウドファンディングで集めた600万円を基に遣って居る。可成りコストを抑えても、沢山の人にリーチが出来る。それが今のメディアの一つの形で在る。

 立憲民主党のYouTubeチャンネルは2万人程。YouTubeを一番上手く駆使して居る「れいわ新選組」は21万人、自民党・公明党は12万人、共産党は9万人、日本の維新の会は2万人程だ。
 自分達が伝えたいメッセージは何かを考え番組を造れる時代。野党第1党なのだから、私の個人チャンネルの様にチマチマ遣るのでは無く、もっと大きくメディアを作れる筈だ。YouTube戦略が上手かったのは東京都知事の小池百合子だ。コロナの感染状況を東京動画で伝えた。NHK等でも、この動画を切り取り報道番組で活用して居た。

 野党第1党が動いても大きなニュースには為ら無いかも知れ無いが、大手マスコミには担当記者が居て、それをウォッチして居る。自らニュースバリューを生み出せる様、自分のメディアを使いながら〔メディアミックス〕して行くべきだ。
 今回、私のYouTubeチャンネル〔たかまつななチャンネル〕では、立憲民主党の代表選挙で、各陣営の応援議員に出て貰い代理討論会を催した。

 立憲には、青柳陽一郎さんや大西健介さんの様な、政策に付いても真摯に話し具体的な提案も沢山して、若者の感覚を意識して居る人材が居る。それなのに、メディア露出を意識して居ない様に感じてしまう事は問題だと感じた。
 党幹部からすれば、個々の議員のメディア露出を抑えた方がコントロールし易いと思うかも知れない。野党がバラバラに為る事を恐れる気持ちは判ら無くも無いが「政権交代をしても大臣出来る人が沢山居ますよ」と安心感を与えられる攻めの姿勢で在るべきだ。

 党内の会議等もドンドン公開して、若手中堅議員の名前を覚えて貰う事は、メディアを持って居れば出来る。大手メディアのジャーナリストや演出家・ディレクター等を引き抜いて中身迄磨いて行く。党や議員の姿勢さえ在れば、手弁当でも動きたいと思って居る報道関係者は沢山居る。

 政党交付金でシンクタンクを作ろう

 令和3年度、立憲民主党は政党交付金は68億円貰える。このお金で政策立案能力を高めて欲しい。議員が陳情を受け、選挙に勝つ為に地元に帰り、メディアに出演し政策立案と勉強もするのは正直可成り厳しい。
 立憲民主党の代表戦では、大きなビジョンや政策に付いての論争が起き無かった。自民党では、河野太郎さんが掲げた年金制度改革に付いて、他の候補者が突っ込む事で、4候補の違いが浮かび上がった。

 ビジョンを掲げ、実行する為のロードマップが在れば信頼される。それを議員だけで対応するのはホボ不可能だ。立憲民主党の出した公約を専門家に見て貰うと「実現が乏しい」「的外れだ」と云う意見が屡々ブツケられた。
 野党は時間が在る。だからコソ、政策立案に時間を掛けられる。今、政策立案するなら、自民党や公明党に持って行った方が得だ。そう思わせ無い為にもシンクタンクを作るべきでは無いだろうか。専門のスタッフに加え、シンポジウムや勉強会等を沢山開き、普段から公約を作りその精度をアップして行く。「一番専門的な話が聞けるのは立憲のシンポジウム」そう思わせられる様な最先端の話が出来ればバリューが上がるだろう。

 アメリカやイギリスには政党毎にシンクタンク機能が在る。イギリスの場合は、それが税金で賄われて居り、野党にも払われて居るから、質の高い政策論争が繰り広げられるのだ。その流れをリードして欲しい。
 「コンな政府はダメだよネ」じゃ無くて「コンなルールが在ったらワクワクするよネ」「コンな街造り一緒にしない?」 コンな社会にしようと云う未来を語るスタイルをシンクタンクで造って欲しい。

 好い批判をしよう

 批判をするのは悪い事では無い、野党の役割の大きな一つに批判が在る。桜をみる会や学術会議は、共産党の機関紙で在る赤旗がスクープした。志位和夫さんに、何故それが出来るのか聞いたら「批判精神からだ」と言って居た。
 チョット調べただけだと、矢張り好い批判は難しくパフォーマンスに為ってしまう。だからコソ、自前の強いシンクタンクやメディアが必要なのだ。

 強い地方組織を作ろう

 自民への批判票が集まれば或る程度の議席は取れる・労働組合の支持が在れば当選出来る・共産党の票が在れば安心だ・・・でも、共産党や連合との連携は、多くの国民に取っては置いてきボリの議論に為って居ないだろうか。
 立憲自体の交渉力を強める為にも、地方組織をももっと強化するべきだ。地方組織が強く為ると、国会議員も政策に集中出来る。

 首長選挙の相乗り辞め様

 国政選挙だけが勝負では無い。地方議会では、首長選挙の際に相乗りと呼ばれる慣れ合いが行われて居る事が在る。現職の市長等を与野党皆で支持し市長選挙に圧勝する事だ。折角損在感が示せる首長選挙を相乗りしてしまうのは勿体無い。

 陳情のプラットフォームを作ろう

 現在はSNS等を活発にし、リプライ等で意見交換をする活動を議員個人の努力に頼ってしまって居る。陳情を判り易く見せる。此処に連絡すれば好いと云うプラットフォームを作る。分野毎に詳しい議員のリストや連絡先を掲載したサイトを1ページ造るだけで可成り違う。

 官僚を味方に着け様

 立憲は官僚を敵だと思って居るのでは無いかと好く思う。政権を捕ったら官僚との連携は不可欠だ。何処が政権に取っての穴で在るか等官僚だって判って居る。それを利用するべきだろう。
 でも、今の野党合同ヒアリングは正反対の方向だ。自分達が考えた公約がどの位実現可能性が在るのか・実現する為の壁は何か・その壁は如何遣ったら乗り越えられるのか・・・官僚の本音を知り知恵を借りた方が、自分達の目指す社会の実現は近いだろう。

 若者議員を当選させよう

 若手議員や女性議員を何処まで本気で当選させようと考えて居るのか。小沢一郎さんが比例で復活するなんて自民党よりも古さを感じた。年齢が若い人を比例の名簿の上にする。今の国会にはジェンダーとジェネレーションの多様性が無い。何がナンでも、若手議員を当選させる様な仕組みを作って欲しい。

 落選した人を育成し、次の選挙で勝たせる為に支える体制を作るべきだ。シンクタンクや議員秘書として裏方に廻る等、党全体の人事やスタッフの質を上げて行く事も両立して考え無ければいけ無い。若者が5人増えただけでも印象が違う。メディアバリューも在る。折角、世代交代を感じられる空気が醸成されたのだから、このママ高めて欲しい。

 「本当に出来る」強い野党に

 若者の投票率を向上する為には〔強い野党〕が必要だ。政権交代が起きる〔緊張感〕が大切だ。だから、今迄の古い政治、ドブ板選挙の様な処から抜け出して欲しい。
 「立憲民主党には政策立案能力もそれを担当出来る人材も豊富に居る。口だけでは無く本当に出来る」
 「批判も日本を前に進める為の批判で、揚げ足捕りでは無い」

 ・・・・そんな野党第1党を目指して欲しい。

                  ◇


 〈たかまつなな〉時事YouTuber「笑下村塾」代表取締役 1993年横浜市生まれ 時事YouTuberとして、政治や教育現場を中心に取材し、若者に社会問題を分かり易く伝える。18歳選挙権を切っ掛けに、株式会社笑下村塾を設立し、出張授業「笑える!政治教育ショー」「笑って学ぶ SDGs」を全国の学校や企業、自治体に届ける。著書に『政治の絵本』(弘文堂)『お笑い芸人と学ぶ13歳からのSDGs』(くもん出版)がある。


 【管理人のひとこと】

 新たな立憲民主党が始動し国会での論戦が始まった。無論、野党第一党として与党政権執行部に対する追及の第一線に立つ訳だ。新たな党の幹部が次々と質問に立ち、次いで旧幹部も登壇して居る。しかし未だに若い人や女性の質問者は出て来ない(12/14 12.10現在)
 参院では辻本氏が落選し或る意味の迫力が落ちた。が、コレを契機として従来の蓮舫氏を含む女性幹部から新たな実力在る女性議員の活躍の場が拓けそうだ。旧幹部は次世代の後継に力を尽くして欲しい。初めは上手く行か無くて当たり前、次第に第二の辻本・第三の蓮舫が現れるだろう。

















2021年12月12日

元徴用工・慰安婦で平行線 日韓外相が初対面




  元徴用工・慰安婦で平行線 日韓外相が初対面


 12-12-8.png 12/12(日) 11:42配信 12-12-8



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               林芳正外相 7日  12-12-9


 【リバプール(英国)時事】林芳正外相は11日(日本時間12日) 英中部リバプールでの先進7カ国(G7)外相会合の夕食会で、韓国の鄭義溶外相と短時間の立ち話を行った。

 【国会議員情報】林 芳正(はやし よしまさ)氏  林氏は元徴用工・慰安婦問題に付いて適切な対応を要求したが、鄭氏は韓国側の立場を改めて主張し、平行線を辿った。林氏の就任後、日韓外相の接触は初めて。韓国側から声を掛けて来たと云う。




 日本は20年後に経済規模で韓国に追い抜かれる

 その残念な理由とは・・・野口 悠紀雄



  12-12-1.png 12/12(日) 6:02配信 12-12-1



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          文章 野口 悠紀雄  一橋大学名誉教授 12-12-10



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                韓国文大統領 by Gettyimages


 韓国の賃金は日本より高く為った。様々な指標で韓国は既に日本を抜いて居る。30年前日本は世界のトップに居た。90年代末に両国は経済危機に見舞われたが対応が違った。韓国人は、大学を充実させ英語力を着けて競争力を向上させた。日本人は何もし無かった・・・その結果が今現れて居る。

 韓国は日本より豊かな国に為りつつ在る

 OECDのデータに依ると、2020年に於ける年間平均賃金は、日本が3,8515ドル・韓国が4,1960ドルだ。韓国は日本より豊かな国に為りつつ在る。実際、韓国は既に日本より強い経済力を持つ国に為って居る。様々な世界ランキングで韓国は日本より上位に在る。
 スイスの国際経営開発研究所が作成するランキングでは、2021年の順位は韓国が23位で日本は31位だ。「デジタル技術」では韓国8位・日本が27位だ。  
 国連が発表した電子政府ランキングでは、2020年で韓国は世界第2位で日本は14位だ。時価総額の世界トップ100位迄に入る企業を見ると、韓国のサムスンが14位に対して日本でトップのトヨタ自動車は36位だ。

 時価総額はサムスンが4,799億ドルでトヨタの2,444億ドルの倍近くに為って居る(2021年6月末現在) 韓国は既に2019年から5Gを商業化した。日本は何時に為るのか見当も着か無い。
 私は昨年秋に5G対応スマートフォンを買ったのだが、未だに5Gのサービスを利用出来ない。この様に、様々な指標が、韓国の経済力が日本を上回ってしまって居る事を示して居る。

 20年後に起きること
 
 豊かさを表す客観的な指標と見なされて居るのは〔1人当たりGDP〕だ。これで見るとどうか? 
 
 ドル換算での値を見ると、2020年で日本が4万0,146ドル・韓国が3万1,496ドル・・・未だ日本が高いがしかし問題は成長率だ。2000年から2020年の間に、日本の値は1.02倍にしか為ら無かったが韓国の値は2.56倍に為った。
 日本が停滞して居る一方で韓国が急速に伸びて居る。その結果、2000年には31.3%でしか無かった韓国の1人当たりGDPは20年には78%に為って居る。これ迄の 傾向が将来も続くとすれば、数年後に韓国が日本を追い越すのはホボ確実だ。そして、その後更に格差が広がって行くだろう。

 20年後には、日本が4万1,143ドルに対して韓国が8万0,894ドルと為りホボ倍に為るだろう。従って、人口が半分の韓国のGDPは日本とホボ同じに為る。  

 日本と韓国の1人当たりGDP(単位ドル)

 30年前、日本は世界のトップだった。世界の時価総額ランキングを見ると、1980年代末には銀行等の日本企業が上位を独占して居た。アメリカ企業より上位に在った。日本は世界一だった。韓国企業等見る影も無かった。 しかし、これはバブルに依るものだった。それが崩壊した後、何も残ら無かった。しかも、日本は、経済を立て直す努力をし無かった。
 その間に世界が大きく変わった。アメリカがIT革命を実現して新しい経済に向けて目覚ましく発展した。中国も驚異的な発展を遂げた。そして韓国も実力を着けた。日本が停滞状態に陥って居た間に、こうした変化が起きた。その結果が今現われて居るのだ。

 日本はG7のメンバーに留まれるか?
 
 1986年に作られたG7は先進国のクラブと云う事に為って居る。その基に為るG5は 1985年9月 にニューヨークで開かれた 会合で、円高・ドル安に向けての為替協調介入を内容とするプラザ合意を成立させた。日本がそのメンバーに為るのは当然の事で在った。
 経済窮状に陥ったアメリカを助ける為に、日本と西ドイツが機関車と為って世界経済を牽引するのが目的だったからだ。  

 しかし、事態は大きく変わってしまった。この様な状態では日本がG7のメンバーとして適切かと云う議論が起きても不思議は無い。G7に於けるアジア代表を、日本から韓国に交代すると云った提案が出され、これ迄見た様な指標を突き付けられた時日本は如何答えたら好いのだろうか?
 
 韓国の大学は、日本のズッと先を行く
 
 如何してこんな事に為ってしまったのか? 経済発展の源泉は大学に在る。ソコで大学の状況を見よう。イギリスの高等教育評価機関QS(Quacquarelli Symonds)が大学の世界ランキングを作って居る。それに依って世界のトップ100位迄に入る日韓の大学数を見ると次の通りだ。

 大学全般では日本5校に対して韓国6校だ。韓国の人口は日本の半分以下だから、人口当たりでみれば韓国は日本の2倍以上と云う事に為る。工学部を見ると、日本4校に対して韓国が7校 人口当たりでは韓国が日本の3倍程度に為る。  
 そして、コンピュータサイエンスに為ると日本が1校で韓国が3校 人口当たりでは韓国は日本の6倍だ。

 この様に、工学部やコンピュータ関係で韓国大学の躍進が目覚ましい。中でも注目されるのがKAIST(Korea Advanced Institute of Science and Technology)だ。1981年に作られたばかりの大学だが、それが世界のトップ100位に入って居る。

 英語力の目覚ましい向上
 
 英語力に付いても韓国人の能力向上は著しい。私と同世代の韓国人の英語力は可成り低かった。処が今では様変わりだ。TOEFL iBTの平均スコアで、韓国はアジアで第11位 コレは、英語を公用語にする香港とホボ同じレベルだ。それに対して日本は29か国中の第27位。  
 今の日本人の若い人達の英語力は、私達の世代に比べて可成り低下して居る。私の印象では、若い韓国人の英語力は上記の順位が示すよりズッと高い。或る国際会議で案内役に為って呉れた女性の英語はアメリカ人並みだった。KAISTでは全ての講義が英語で行われて居る。

 韓国人の英語力がこの様に高まったのは、1990年末のアジア通貨危機が切っ掛けだ。韓国経済は壊滅的な状況に陥りIMFの管理下に置かれた。それに対応してグローバル化を進め無ければ為ら無いと云う考えが広がった。大企業が採用に当たって英語能力を要求した。そして、人々は競って英語を勉強した。韓国政府も英語力教育を強化した。

 日本人は、何時に為ったら目が覚めるのか
 
 1990年代後半に経済危機に陥った点では日本も同じだ。90年代の金融危機で銀行の倒産が相次いだ。但し、それに対する対処が日本と韓国では大きく違ったのだ。韓国は人的能力向上の必要性に目覚め大学を向上させ英語の実力を着けた。それに対して日本は何も遣ら無かった。その結果が今現れて居るのだ。  

 ⊡ 日本人は、それを反省し現在の状況を何とか変え様と今努力して居るだろうか?    
 ⊡ 此処で述べた様な問題は、先般の総選挙で争点と為ったか? 
 ⊡ その後の経済政策に反映されて居るか?

 
 日本は今、信じられ無い程の状態に落ち込んでしまった。しかし、だからと云って何処かから救いの神が現れる筈は無い。こうした状況を変えたければ、日本人が自らが遣るしか無い。日本人は何とか目覚めて呉れないものか。



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            野口 悠紀雄  一橋大学名誉教授 12-12-11

 プロフィール 1940年 東京生まれ 1963年東京大学工学部卒業 1964年大蔵省入省 1972年イェール大学Ph.D.(経済学博士号)を取得 一橋大学教授・東京大学教授・スタンフォード大学客員教授・早稲田大学ファイナンス研究科教授等を歴任 専攻はファイナンス理論 日本経済論 主な著書『情報の経済理論』(東洋経済新報社、日経・経済図書文化賞) 『財政危機の構造』(東洋経済新報社、サントリー学芸賞) 『バブルの経済学』(日本経済新聞社、吉野作造賞) 『「超」整理法』(中公新書) 『ブロックチェーン革命』(日本経済新聞出版社、大川出版賞) 『戦後経済史』(日経ビジネス人文庫)など多数
近著に『リープフロッグ』(文春新書) 『「超」英語独学法』(NHK出版新書) 『「超」メモ革命』(中公新書ラクレ) 『良いデジタル化悪いデジタル化』(日本経済新聞出版)、『人生を変える「超」独学勉強法』(プレジデントムック) 『データエコノミー入門』(PHP新書)など




 【管理人のひとこと】

 管理人は韓国人を特別に贔屓にして居る訳では無い。只若い時代の10年近く大阪に居た事も在り、関西は三国人の人口が多く身近に接して居たので彼等とも深い交友を持った経験が在る。男女共にの交友で在ったが、中には特別な関係に進んだ女性も居た。彼等は何処も私達と変わらず、食べ物に独特なものが在った位だ。多くの人達が、戦前から日本に遣って来て日本で生まれた三世・四世で学校で学んだ人が多い。
 大阪人は身近に居るから特に彼等への偏見と差別感が強い。「悪」の代名詞として彼等を呼び捨てる。今の日本人の多くが持って居る〔日本人の持つ意味の無い優越感〕と同じである。日本人は普通に韓国人や中国人を意味も無く蔑視する・・・悪い特性を持って居る・・・そう感じて居る。
 しかしである・・・私達が徒に〔悪の安倍晋三長期政権〕で政治を劣化させて居る間に、他の国々は血の滲む様な政治的努力を続け同時に経済を発展させて来た。韓国の物凄い受験・進学競争風景は問題だが、彼等が努力して国際人として成功したのも〔経済発展〕の一助には為っただろう。
 日大の理事長の不正が問題に為って居るが、私学と政治家が絡んだこの様な不正は、何とも前時代的な遅れた政治で無ければ生まれようも無い、劣化した政治の産物だろう。
















2021年12月10日

「暴力団との交際を堂々とアピール」 ソンな人間に何故日本大学は牛耳られて居たのか?



 「暴力団との交際を堂々とアピール」

  ソンな人間に 何故日本大学は牛耳られて居たのか?





  12-10-10.png  12/10(金) 11:16配信 12-10-10




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  所得税法違反容疑で東京地検特捜部に逮捕された田中英寿氏   写真 時事通信フォト 12-10-11


 ■暴力団幹部と一緒に写った写真が次々と流出  

 住吉会の福田晴瞭会長(当時)・山口組六代目の司忍組長・弘道会傘下佐々木一家の山本岩雄総長(故人)と一緒に写って居る人間が大学を牛耳って居る理事長だったら、その学校の学生やOBは如何思うのだろう。
 日本大学の理事長だった田中英寿(74)が、11月29日に東京地検特捜部に逮捕された。田中は歴代の総長選で、自分の推す候補者を勝たせて来た。コンなエピソードが在ると週刊新潮(12月9日号)が報じて居る。  

 「13年前の総長選では自分が着いた候補の対抗馬を向島の料亭に呼び出し〔出馬を辞退して呉れたら5,000万円渡す。次期総長選は勝たせる様にするから〕と協力を仰いで居ました。余りに一方的な申し出に、その候補は断って居ましたが」(さる日大関係者)  

 気に要ら無い教授が居ると「夜道に気を着けろ!」と脅した事も在ったと云う。俺のバックには暴力団が居ると仄めかし我が物顔に振る舞って居た。

 ■対立して居た幹部は グラウンドの守衛に左遷  

 瀬在幸安(せざいさちやす)総長は田中(当時は常務理事)の言動に疑問を持ち始め、6人の弁護士から為る特別調査委員会を造り、疑惑の調査を指示したと週刊文春(12月9日号)が報じて居る。だが調査は有耶無耶に為り、反瀬在に転じた田中は、2005年の総長選では小嶋勝衛(こじまかつえ)を推して瀬在を破ったと云う。
 文春に依れば、その後、名古屋で行われたイベントに出席した小嶋総長に「会わせたい人が居る」と田中が誘った。行った先に居たのは「司(忍=筆者注)氏だったそうです」と、同大学の元幹部が話して居る。 田中が2008年に理事長に就任すると

 「先ず着手したのは学内に在る在籍を知らせる電光掲示板の『総長』と『理事長』の位置を入れ替える事でした。 それ迄は総長が上だったのを、理事長を上にし自らがトップだと宣言した。対立して居た幹部を左遷し、最終的に東京・稲城のグラウンドの守衛にする等、逆らう奴が居れば呼び出して〔北海道の大学施設の管理人が空いてるぞ〕と脅すのです」(週刊新潮 同)

 ■教育を食いものにする社会悪  

 逮捕の発端は、田中の側近だった大学理事の井ノ口忠男と医療法人「錦秀会」の藪本雅巳理事長が、日大医学部附属板橋病院の建て替えを巡り、大学に4億2,000万円の損害を与えた背任容疑で逮捕、起訴された事だった。  
 そのカネの一部が田中に渡って居るのではないか。特捜部は今年9月8日に阿佐ヶ谷の彼の自宅で1億円超の現金を発見、藪本からも約6,000万円を田中に渡したと云う供述を引き出して居た。  

 約5,300万円を脱税した所得税法違反容疑だが、特捜部は最初から、5年以下の懲役で在る背任では無く、10年以下の懲役の所得税法違反で遣る積りだったと、週刊文春(同)が報じて居る。それが証拠に、特捜部から上級庁には、コノ様な報告が為されて居たと云うので在る。  

 「特捜部は、全て当初の予定通り、田中を逮捕致します。予てよりご報告の通り、教育を食い物にする社会悪としての田中を、可罰に於いて重い量刑を科す本来目的の、所得税法違反による逮捕です。全ては狡猾な巨悪を油断させる為の〔死んだ振り〕が功を奏しました」  

 だが、立件・逮捕に至る迄には高いハードルが在った様だ。

 ■決定的な証拠を掴め無い中作戦を変え・・・  

 捜査の手が伸びると、田中は駿河台に在る日本大学病院に逃げ込んだ。ソコで行われた特捜部の任意の事情聴取では、一貫して容疑を否認し強気だったと云う。  

 「田中氏が背任工作のスキームを指示、或いは承知して居た事を証明する必要が在りましたが、それが難しかった」(司法担当記者)  

 田中はいちいち細かい事には口を出さ無い為決定的な証拠が無い。背任の共犯での立件は困難だと云う見方が広がったそうだ。そこで特捜部は、田中が会長を務める〔国際相撲連盟〕を使った金の出入りと、昨年行われた〔田中邸のリフォームを巡る支払いの疑惑〕へと戦線を拡大して行った。 
 だが、相撲連盟の方は任意団体で、会計報告の義務も無く突破口には為ら無かった様だ。 リフォームの方は、工事の窓口に為ったのは田中が信頼を置く相撲部のOBで、過つて日大の建設工事等の差配役を担った会社の元社員だった。
 
 その人間は田中の紹介で石川県の建設会社の営業部長に為り、日大の子会社・日本大学事業部にも籍を置いて居て、リフォームは件の会社が請け負い、日大工学部がコノ会社に発注した別の工事費用と併せて処理されて居たフシが在ったが、このルートも不発に終わった。  
 そこから特捜部は、脱税に焦点を合わせて行って要約逮捕に漕ぎ着けたと云うので在る。田中は逮捕されて理事長を辞任したが、彼には幾つもの疑惑が在る。冒頭書いた暴力団との強い繋がりが一つで在る。

 ■田中体制の集金マシンと化して居た「日大事業部」  

 週刊文春にはコンな話が載って居る。  

 「日大出身の或る親方が部屋を開いた際は、小雨の降る地鎮祭に、後に山口組若頭と為る高山清司氏が姿を見せたと言われて居た。田中氏と弘道会(司忍山口組六代目の出身母体=筆者注)の関係が密かに話題に為り、高山氏が田中氏の妻の優子夫人にエルメスのバーキンを一ダース送り、優子夫人が感激して居たとの話も耳にしました」(日大関係者)  

 田中の側近で在る井ノ口が牛耳って居た〔日大事業部〕と云う伏魔殿の実態も、明るみに出され無ければ為ら無い。 此処は別名「日大相撲部」と云われて居て、田中が率いる相撲部の関係者が複数採用されて居ると云う。その利益の大半は日大への寄付として処理されて居て、田中体制の集金マシンに為って居たと云われる。  

 薮本の政界人脈と豪遊振りも週刊新潮(10月21日号)と週刊文春(同)で報じられた。週刊新潮は、薮本が安倍晋三元総理と親しく、加計学園の加計孝太郎理事長等とゴルフクラブで撮った写真も掲載して居た。 口ひげを蓄えた面構えは如何にも〔政商〕と云われる雰囲気である。薮本の仲介で田中と安倍が会った事は無いのだろうか?

 ■「政治家に渡した裏金のことも全部ブチマケテ遣る」  

 田中との関係が最も強いのは相撲界だ。週刊文春によれば、

 「1983年には日大相撲部の監督に就任。田中氏が指導した角界の日大出身者は50人を超えて居ます。現役理事の境川親方を始め、木瀬親方や入間川親方、解説者の舞の海も居ます。 更に角界に力士を輩出し続ける鳥取城北高の石浦外喜義総監督や埼玉栄高の山田道紀監督も田中氏の薫陶を受けて居ます」(角界関係者)  

 薫陶ばかりでは無い。  

 「田中氏はその豊富な人脈を駆使し、日大に有望な学生を集め、高値で相撲部屋に力士を送り込む事で絶大な影響力を誇った」(週刊文春)と云う。田中は入院中に、こんな言葉を口にして居た様だ。  
 「俺が逮捕される様な事が在れば、今迄政治家に渡した裏金の事も全部ブチマケテ遣る!」  
 逮捕されたのだからぜひ、そうして貰いたいものである。

 ■日大の「暗黒の歴史」が繰り返されて居る  

 日大と云う大学には帝王やドンと云われる人間達が、莫大な私学助成金や学生達の学費を私して来た「暗黒の歴史」が在る。  
 1960年代後半、吹き荒れた学生運動の〔先駆〕と為ったのは〔日大闘争〕だった。  以前にも書いた事が在るから詳しくは繰り返さ無いが、当時〔帝王〕と迄云われた古田重二良会頭は、学費の相次ぐ値上げに怒った学生達を右翼学生や体育部の学生達に襲わせた。その中に相撲部の田中も居たと云われて居る。  

 古田は、学生達のデモ鎮圧の為に機動隊迄導入したが、遂には学生たちに屈し、3万5000人の学生が見詰める中で大衆団交に応じ要求を認めた。だが、当時の佐藤栄作首相が「日大の大衆団交は常識を逸脱して居る」と発言。
 約束は反故にされ、古田は会長として再び日大に戻るがその年に死去。アノ時、古田的なものを一掃出来て居れば、田中英寿前理事長も出て来無かったかも知れ無い。  

 田中は警察関係との繋がりも強い。 週刊新潮は、安倍晋三元首相時代、官邸の守護神と云われた警察庁出身の杉田和博前官房副長官もその1人ではないかと報じて居る。最も杉田は「サシでは無いと思いますよ。記憶に御座いませんね」と週刊新潮に答えて居るが。 警察官僚出身で衆院議員だった亀井静香も週刊新潮で「相撲取りからマンモス校のトップ迄行ったんだから、大人物だよ」と田中を擁護して居る。

 ■〔田中派〕の評議員が理事長に復帰させるのでは無いか  

 特捜部は、悪質な所得隠しに妻の優子も共謀して居たと見て捜査を進めて居ると云う。実刑も視野に入れて居るとも云われる。だが、もしそう為っても、数年後に再び田中が理事長に復帰する可能性が在ると囁(ささや)かれて居る様だ。  
 現在の加藤直人学長はアメフト事件(日大の選手が監督やコーチの指示で相手選手に危険なタックルをして負傷させた)当時、アメフト部の部長だったが、不祥事にも関わらずトップに就けたのは、田中の力が在ったからだと云われて居る。  

 今回の件で理事は総辞職したが、大半が田中派と云われる評議員はそのママで在る。彼等を理事に横滑りさせ、時機を見て田中を理事長に復帰させるのではないか。 こう云うケースは他にも在ると大学ジャーナリストの石橋嶺司が「揺れ動く日大〜田中色一掃かそれとも復権狙いか、今後のシナリオは」(Yahoo!ニュース 12月2日 7:54)で書いて居る。  

 「2008年の東京福祉大事件です。当時、総長だった人物がわいせつ事件により逮捕。総長も辞任し、大学は『今後、大学経営に関与させ無い』と表明します。しかし、服役後には大学職員(事務総長)として大学に復帰。2020年には学長としても復帰します」

 ■政界迄深く食い込んで居る日大を改革出来るのか  

 石橋は、こうしたシナリオは文科省も承知して居るから、田中派を学内から一掃した日大再建を考えて居ると云う。その切り札は年間90億円と云われる私学助成金。日大側が説明責任を果たして徹底的な改革を断行し無ければ文科省は、コレを減額、又は不支給にすると〔脅し〕て学内の田中派を一網打尽にすると云うので在る。  
 確かに学生数6万5,000人と云われるマンモス校でも、助成金が減らされれば学校経営に大きな支障が出るだろう。増してや、理事長が反社と深い付き合いが在ったと云うのでは、来年の志望者が激減する事も予想され、受験料収入が大幅にダウンするかも知れない。  

 それでは、文科省主導の日大改革が行われるかと云うと、私には大いに疑問で在る。安倍元首相時代の官邸に迄食い込んで居た田中グループが、文科省の官僚や大臣達を手懐けて無い筈はは無いからである。 彼等を饗応した際の明細や録音を録って居るかも知れない。それが〔ヤクザの流儀〕で在る。もし、それを公開すると云えば、それでも日大改革を遣ると云う気骨の在る人間が出て来るだろうか。  
 第2の日大闘争を起こせとは云わ無いが、良識ある教授・学生達が立ち上がり、学長の説明責任を求め、納得出来無ければ辞任を要求するべきである。  

 学外に新学長に相応しい人材を求める事を考えても好いのではないか。コノ機を逃さず、真の改革に着手し無ければ、日大は「マンモスの化石」に為る。 (文中敬称略)



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  元木 昌彦(もとき・まさひこ) ジャーナリスト  1945年生まれ 講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任する 上智大学・明治学院大学等でマスコミ論を講義 主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)『編集者の教室』(徳間書店)『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)近著に『野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想』(現代書館)等が在る


 【管理人のひとこと】

 悪夢の安倍晋三長期政権・・・政・菅・財・学・・・と、アラユル金の為る存在に根を生やし吸い上げる力・・・それが持ち切れ無く為り脆くも自ら退陣した。彼の行った悪行の数々は、今後何十年と事件が起こる度に名前が飛び出し続けるだろう。
 日大の金に纏わる事件にも、安倍晋三氏の身辺に及ぼす影響も計り知れ無い。コレだけの不正が永く続くには官憲との甘い付き合いが在ってコソでは無かろうかと疑問に思うのは当然。最近の官憲の甘い捜査は安倍氏の存在在ってのものだろうから、今度は確りとした存在感を示して欲しい。有耶無耶で済ますようなら未だ安倍氏の力は残っていると考えて好いだろう。


















     

日本が太平洋戦争に 総額幾らを費やしたか知って居ますか?



 日本が太平洋戦争に 総額幾らを費やしたか知って居ますか?

 国家予算の280倍 今で換算すると・・・




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              加谷 珪一 2017.08.16 12-10-5

 プロフィール 1969年宮城県仙台市生まれ  東北大学工学部原子核工学科卒業後 日経BP社に記者として入社 野村證券グループの投資ファンド運用会社に転じ企業評価や投資業務を担当 独立後は中央省庁や政府系金融機関など対するコンサルティング業務に従事  現在は、経済・金融・ビジネス・IT等多方面の分野で執筆活動を行って居る
 著書に著書に『貧乏国ニッポン』(幻冬舎新書) 『億万長者への道は経済学に書いてある』(クロスメディア・パブリッシング) 『感じる経済学』(SBクリエイティブ) 『ポスト新産業革命』(CCCメディアハウス) 『教養として身につけたい戦争と経済の本質』(総合法令出版)等が在る



 毎年、この時期(8月15日)に為ると太平洋戦争に関する話題がメディアで取り上げられる。アノ戦争に付いては様々な解釈が存在して居るが、その殆どが政治的な視点か軍事力に依るもので在り、経済的な視点での議論は多く無い。
 だが歴史を振り返ると、戦争と経済は切っても切れ無い関係に在り、経済力は戦争遂行能力そのもので在ると云うのが現実だ。経済と云う切り口で太平洋戦争を振り返った時、何が見えて来るだろうか〜



 国家予算の280倍を如何(どう)用意したのか?

 戦争には多額の費用が掛かる事は多くの人が認識して居るが、実際にどの程度の金額が戦争に費やされるのかに付いて詳しく知る人は少ない。突出して規模の大きかった太平洋戦争には、一体幾らの戦費が投入されたのだろうか?
 実は、太平洋戦争に於ける戦費の実態は好く分かって居ない。戦争中と云っても、日本政府は毎年予算を組み記録も存在して居る。それでも金額がハッキリしないのには主に二つの理由が在る。


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 一つは軍部が暴走し、東南アジアの占領地域に於いて軍票(手形の一種)や独自の現地通貨を乱発し、コノ財源を基に資金を現地調達した為、その分の金額がハッキリし無い事で在る。
 もう一つは、太平洋戦争が日本経済の基礎体力を完全にオーバーした戦争で在り、これに依って激しい財政インフレが発生。戦争期間中から既に日本円の貨幣価値が可成り毀損して仕舞ったからで在る。

 戦費の実態は好く分から無いと述べたが、或る程度までなら推測する事が出来る。旧大蔵省が戦後まとめた資料に依ると、太平洋戦争(日中戦争を含む)に於ける名目上の戦費総額(一般会計と特別会計)は約7,600億円と為って居る。
 金額だけ聞くと意外に少無いと感じるかも知れ無いが、日中戦争開戦時のGDP(厳密にはGNP)が228億円なので、戦費総額のGDP比率を計算すると何と33倍に為る。又、国家予算(日中戦争開戦当時の一般会計)に対する比率では280倍と云う天文学的数字で在る。

 最も、この数字には少々カラクリが或る。太平洋戦争の戦費は余りにも膨大で税金を使って調達する事は不可能だった。この為、戦費の殆どは日銀に依る国債の直接引き受けに依って賄われた。現在の量的緩和策にも通じる処があるが、日銀が無制限に輪転機を回すと云う事なので、当然の事乍らインフレが発生する。
 戦争中は価格統制が敷かれて居た事から余り顕在化し無かった(コレも現在に通じる)が、それでも戦争が始まると物価水準はドンドン上がって行った。

 この財政インフレは終戦後、準ハイパーインフレとして爆発する事に為った訳だが、戦費の実態を考える時には、このインフレ率を考慮し無ければ為ら無い。
 更に、日本軍は占領地域に〔国策金融機関〕を設立し、現地通貨や軍票(一種の約束手形)等を乱発して無謀な戦費調達を行った。これに依って各地域の経済は破壊され、日本国内を遥かに超えるインフレが発生したが、占領地域に於けるインフレの実態は好く分かって居ない。

 何れにせよ、占領地域では相当のインフレに為って居るにも関わらず、名目上の交換レートは従来のママ据え置かれたので、書類上、日本円ベースの軍事費が膨れ上がる結果と為る。

 無理にも程が在る

 当時の国内のインフレ率を適用し、更に現地のインフレ率を国内の1.5倍と仮定した場合、実質的な戦費の総額は凡そ2,000億円と計算される。仮にコノ数字が正しいと仮定すると、GDPとの比率は8.8倍に、国家予算との比率は74倍に為る。先程の比率に比べれば可成り小さく為ったが、それでも途方も無い金額で在る事に変わりは無い。

 現在の価値に置き換えれば4,400兆円もの費用を投入した事に為る。これ等の戦費負担に付いては、最終的には〔預金封鎖に依って国民から財産を強制徴収する形〕で埋め合わせが行われた。税率が高い人では資産の9割が徴収されて居り、富裕層の多くはコレに依って財産の殆どを失う事に為った。


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 では、戦争のもう一方の当事者で在る米国の様子は如何だったのだろうか。太平洋戦争は米国に取っても大きな戦争だったが、それでも日本と比べると相対的な負担は軽い。
 米国に於ける第2次世界大戦の戦費総額は約3,000億ドル。開戦当時の米国のGDPは920億ドルなのでGDP比は3.2倍と為る。

 米国は、太平洋戦争と同時に欧州では対独戦争を戦って居る。極めて大規模な戦争を2つ遂行して居るにも関わらず、この程度の負担で済んで居る事を考えると、米国経済の基礎体力の大きさが分かるだろう。因みに第1次大戦の時に英国が投じた戦費総額も当時のGDPの3.8倍程度で在った。国家の存亡を賭けた全面戦争で在っても無制限にお金を掛けられる訳では無い。

 〔GDPの3倍から4倍程度と云うのが、無理無く全面戦争を遂行出来る限界値で在る〕と観て好い。その点からすると、太平洋戦争は最初から無理の在った戦争と云う解釈に為らざるを得無い。
 ダイエー創業者の中内功氏が徴兵され戦地に赴いた際、日本軍が飢えに苦しむ中、米兵が基地内でアイスクリームを自由に食べて居るのを見て衝撃を受けたと云う話は有名だが、数字上の体力差はコウした日常的な光景にも反映される事に為る。

 日露戦争との激し過ぎる落差

 これ程無謀な戦争に反対する意見も無かった訳では無い。当時は、現在のGDPに相当する概念は無く、企業の生産力や輸送力等の統計データから国力を算定して居たが、一連のデータから対米戦争の遂行は不可能と云う分析は行われて居た。
 それにも関わらず、開戦が決断され、全土が焼け野原に為る迄それを止める事は出来無かったのは、何とも残念な事だ。

 太平洋戦争の特殊性は、明治期に行われた日清戦争・日露戦争と比較すると更に際立つ。日清戦争開戦当時のGDPは13億4,000万円で、戦費総額のGDP比は0.17倍だった。現在の日本に当て嵌めると約85兆円と云う金額に為る。一方、日露戦争の開戦当事のGDPは約30億円で、戦費総額のGDP比は0.6倍だった。

 両者ともそれ為りに大きい金額だが、決して拠出不可能な水準では無く、実際に、戦争終了後の日本経済に対して深刻な影響は与えて居ない。因みに日露戦争の戦費の多くは、当時、覇権国家で在った英国ロンドンのシティ(現在の米国ウォール街に相当)に於いて外債を発行する事で調達された。

 外債の発行は難航が予想されたが、英米の投資銀行が積極的に関与した事や、当時の日本側の責任者で在った高橋是清(後に蔵相・首相 二・二六事件で暗殺)が見事なプレゼンテーションを行った事で、ホボ全額の調達に成功して居る。
 世界の投資家を相手に、戦争の目的や合理性をアピールし、十分に納得させた上での外債発行で在る事を考えると、日露戦争は正にグローバルな経済・金融システムをフル活用した戦争と云って好いだろう。

 一方、太平洋戦争はグローバル・スタンダードで在った英国と米国の両方を敵に回し、親米感情が強い中国(国民党)とも戦争をしてしまった。日清・日露戦争とは正反対に、グローバルな動きに完全に背を向けた戦争で在った。
 日露戦争当時、シティで調達された英ポンドは日本には移送されず、そのママ英国の銀行に預金された。その理由は、英国から大量の近代兵器を輸入する必要が在り(三笠など当時の主力艦船の殆どは英国製)その決済がシティで行われるからである。

 大事な国家予算を外国の民間銀行に預ける事には抵抗が在ったと思われるが、当時の指導者はグローバルな金融システムを熟知して居り、合理的な決断をしたものと思われる。
 維新と云う半ばクーデターに近い形で政権を掌握した明治政府の指導者に対する評価は様々であり、筆者も全面的に賛美する立場では無いが、当時の指導者達に卓越したリーダーシップとリアリズムが存在した事は間違い無い。それと比較した場合、学歴選抜された昭和のエリートが著しく劣って居た事は認めざるを得無いだろう。


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 歴史は繰り返す

 歴史を知って居る今の私達が、現在の目線で当時の決断を批判する事は容易い。だが、一方で歴史は繰り返すとも云われる。
 「戦争は他の手段を持ってする政治の継続で在る」と云うのは、戦争論(クラウゼヴィッツ 1780年〜1831年)の有名な一説だが、政治や外交も最終的には経済問題に行き着く事が殆どで在る。詰まり、戦争は日常的な経済活動の延長線上に存在する事に為る。

 実際、各国の戦争遂行能力は、GDP(国内総生産)に比例して居り、経済体力を超えて戦争を遂行する事は出来無い。現実を直視せず、結果として日本経済を完全に破綻させてしまった太平洋戦争は、正に教訓とすべき歴史的事実だが、規模は小さいながらも私達は今でも同じ様な事を繰り返して居る。
 シャープの液晶投資や東芝の米ウェスティングハウス買収に無理が在った事は、当時から何度も指摘されて居たが、勇ましい精神論に搔き消され、社会で共有される事は無かった。日の丸液晶メーカーとして多額の国費が投入されたジャパンディスプレイは、大方の予想通り、経営が立ち行か無く為り、大規模なリストラを余儀無くされて居る。見え無い形で太平洋戦争の失敗は今でも続いて居るのだ。



 【管理人のひとこと】

 コレは、2017年8月16日に発表された論文で在る。12月8日の真珠湾攻撃の記念日と共に8月15日は終戦記念日として、共に改めて戦争を考える特別な日だ。
 単なる数字上の考えとして「国家の戦争に掛けられる総額は、GDPの3倍から4倍程度と云うのが、無理無く全面戦争を遂行出来る限界値で在ると観て好い。その点からすると、太平洋戦争は最初から無理の在った戦争と云う解釈に為らざるを得無い」
 との結論が書かれて居る。これは正確な計算からでは無く、今迄の各国(日本・米国・英国等)の経験値として導き出されたものである。
 我が国の「日中・太平洋戦争の実質的な戦費の総額は凡そ2,000億円と計算される。仮にコノ数字が正しいと仮定すると、GDPとの比率は8.8倍に、国家予算との比率は74倍に為る」
 と記される「現在の価値に置き換えれば、4,400兆円」と為れば、今の政治では到底戦争は賄い切れ無い。国民一人に10万円を配るだけでも青息吐息なのだから。













木村多江〔薄幸系〕から〔怪演女優〕へ



 木村多江〔薄幸系〕から〔怪演女優〕 

「面白い俳優に為りたい一心で突き進んで来た」




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                木村多江 12-10-2


 日本中に考察ブームを巻き起こしたドラマを映画化した『あなたの番です 劇場版』で再び〔怪演キャラ〕に挑み、よるドラ『阿佐ヶ谷姉妹の のほほんふたり暮らし』(NHK総合 毎週月曜22時45分)では驚きの再現度で阿佐ヶ谷姉妹を演じる等、女優・木村多江の進化が止まら無い。

 「面白い俳優に為りたい一心で突き進んで来た」と云う木村は〔怪演女優〕と呼ばれる事に付いても「嬉しいです。怪演出来る様な役って、ナカナカ出会えるものでは無いですから」と柔らかな笑顔。
 今年50歳と云う人生の節目を迎えて「今は又0歳に為った様な感覚」と云う彼女が、これ迄のキャリアを振り返りながら、転機や50歳と云う年齢の持つ意味に付いて語って呉れた。

 ◆『あな番』の台本は「脚本家からのラブレターで在り挑戦状」  

 2019年4月から2クールに渉り日本テレビ系で放送された『あなたの番です』 ドラマでは、幸せ一杯の新婚生活を始めた年の差夫婦が、住民達の〔交換殺人ゲーム〕に巻き込まれて行く様が描かれたが、劇場版はドラマとは違った〔もしもの世界〕が展開する。
 映画化が叶い、木村は「登場人物の殆どが居なく為ってしまって居るし〔私、出られるのかな?〕と思って居た」とお茶目に笑いながら「もしもの世界に為ると云う事で、又皆に会える!と嬉しく為りました」とワクワクしたと云う。  

 登場人物の誰もが個性的で「コノ人が犯人かも?」と思わせる様な怪しさタップリ。展開としても常に視聴者を驚かせる仕掛けが施されて居るが、木村は本シリーズの脚本に付いて「脚本家からのラブレターで在り、挑戦状の様」と分析。
 振り切った演技を求められる場面も在り「如何応えたら好いんだろうと云うプレッシャーも在り、そう思える様な機会を頂けた喜びと、遣ってやるぞと云う闘志が湧いて来る様な台本」と役者冥利(みょうり)に尽きるものなのだとか。  

 その言葉も納得な程、本シリーズで木村が演じた専業主婦の榎本早苗役も強烈な役処。ホンワカとした笑顔を持ち、誰からも好かれる様な住民会の会長・・・と思いきやドラマの第10話で早苗が豹変(ひょうへん)
一人息子を溺愛する余り、ミキサーを持って暴れ捲る狂気の女性と為ってお茶の間を驚かせた。

 早苗には〔ミキサー主婦〕との異名が着いたり「木村多江の芝居が凄い!」との声が上がり大いに話題と為ったが、劇場版では一体どの様な姿を見せて呉れるのか。  
 木村は「早苗は又遣らかして居ます」とコメント「水難事故に遭った様」と水に関わる場面が多いと明かし「私は余り泳げ無いので、家のお風呂でイメージトレーニングをして。アー、このシーンの事かと笑いながら楽しんで頂けたら嬉しい」と期待して居た。

 ◆薄幸女優から、怪演女優へ「40代はプレゼンの時期」  

 『あな番』を通して〔怪演女優〕と呼ばれる事も増えた木村。改めてドラマの反響を振り返って貰うと「10話を観た友達からは〔日本列島が震撼(しんかん)したよ〕と言われて(笑) これで暫く頑張れるなと思いました」と新たな遣る気にも繋がったと話す。  
 早苗が豹変する回の台本のト書きには「〔般若の様な顔をする〕と書いて在った」そうで「来た来た来たー!と思って」とニッコリ。

 「『あなたの番です』の台本にはセリフだけでは無く、そう遣って脚本家からの熱い要望が書いて在るんです。最も大事にして居たのは、何故早苗はそう為ってしまったのかと云う動機や彼女の人間性をキチンと出すこと。〔形で遣ら無い〕と云う事を大切にして居ました」と早苗の心に真っすぐ向き合った。
 早苗のことが「大好き」と破顔しながら「振り幅が大きくて、毎回チャレンジをさせて頂ける役。早苗は追い詰められて、焦ると人生の選択を間違えて暴走してしまうんです。でもそれって誰にでも在り得ること。人間の滑稽さ、弱さ、愚かさと愛おしさを表現出来る役だと思って居ます」と語る姿からも如何に役柄に愛情を注いでいるかが伝わる。  

 〔怪演女優〕と言われる迄には〔薄幸系〕と云われる役柄を演じる事も多かったが「20代はズッと〔コメディーを遣りたい〕と言い続けて居た」と云う。

 「でも私達は頂いた役を一生懸命に遣る事が使命。頂けるものを追求して行ったら〔薄幸系〕と呼ばれる様にも為って(笑) そう遣って歩みながらも、取り分け40代は〔似た様な役だけでは無く、新しい役も演じて行きたい〕〔プレゼンの時期だ〕と思ってお仕事に臨んで来ました。常に次のお仕事を頂けるか分から無い世界で生きて居るので、役者としてはプレゼンをして行くことも必要」

 と癒(い)やしのホホ笑みの裏側に、芯の強さと役者業への情熱が浮かび上がる。

 ◆50歳を迎えて「もう一度生き直しても好いのかな?」  

 今や出演作の途切れ無い売れっ子女優と為った木村だが「27歳位迄はアルバイトをしながら役者を遣って居た」と告白。
 「有名に為りたいと云うタイプでは無く〔面白い役者に為る為には如何したら好いだろう〕と云う事ばかり考えて居ました。面白いと云うのは、意外性や驚きを与えられる様な役者。観て頂く方の心に何か引っ掛かる様なお芝居が出来たらと思って居ました」と語る。

 役者としての転機は、子供の死を乗り越えて行こうとする夫婦を描いた映画『ぐるりのこと』(2008年)だった。

 「それ迄は、自分を出すのが凄く嫌だったんです。鎧(よろい)を着てお芝居をして居る様で、本当に自分が抱えて居る痛みは隠して居たかった。でも『ぐるりのこと』で、心の中で蓋をして居たものを沢山開ける事に為って。役者の本質が見える事で、観客の方の心にも触れるものが在るんだと感じる事が出来ました」

 と実感を込め「それからは、モッと木村多江がダダ漏れても好いのかなと思う様に為りました」と楽しそうにホホ笑む。  

 「改めて何故このお仕事が好きなんだろうと思うと、化学反応を起こす事が最高に楽しいんです。『あな番』も『阿佐ヶ谷姉妹の のほほんふたり暮らし』も、化学反応ばかり起きる様な現場。『阿佐ヶ谷姉妹』では安藤玉恵さんもそうですが、宇崎竜童さんや研ナオコさんも如何云う球を投げて来るか分から無い(笑)台本に書かれた事が立体的に為って行く過程が堪ら無く面白い」

 と充実感もタップリ。今年の3月には、50歳を迎えた。この事は木村に取って大きな意味を持つと云う。

 「父が49歳で亡く為って居るので〔私は49歳を越えられるのだろうか〕と思いながら生きて来た様な処が在って。逆に言えば49歳で死んでも好いと思える位、ボロボロに為ろうが走り続けて行こうと思って居ました。だからコソ50歳を迎えた時に、又0歳に為った様な感覚に為って。もう一度生き直しても好いのかなと云う気持ちに為って居ます」

 と胸の内を明かす。

 「50代は今迄と同じ様な速度で走る事は出来無いかも知れ無い。でも社会や誰かの為に役立てる様なお仕事をして行きたいと思って居ます。役者と云うお仕事を通して、皆さんの心を支えられる様な作品・勇気を与えられる様な作品。私は如何見られたって構わ無いから、楽しく笑って貰える様な作品に携われたらとても嬉しいです」

 と心を込めて居た。


 取材・文 成田おり枝  写真 高野広美   映画『あなたの番です 劇場版』は全国公開中


















2021年12月08日

【特集】日米開戦80年目の真実



 【特集】日米開戦80年目の真実

 
 【特集1】日本人が大好きな「両論併記」に依って

 致命的な戦争が決定された・・・





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 会議を何度も積み重ねて慎重に検討した筈なのに、後に為って「如何して、こんなバカ気た決断をしてしまったのか」と後悔する・・・そんな経験を持つ人も多いのではないでしょうか。80年前に決断された日米開戦は正にその典型例でしょう。
 歴史学者の森山優氏は、著書『日本はなぜ開戦に踏み切ったか「両論併記」と「非決定」』に於いて、日本の組織に好く観られる意思決定システムの致命的欠陥を鋭く指摘して居ます。

 支離滅裂な「国策」の文面


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 第二次近衛内閣が組閣されて以降、開戦迄ザッと数えて10件以上の〔国策〕が決定されて居ます。しかし、その中身を検討すると、矛盾する内容が一つの〔国策〕の中に併記して在ったり、何とでも解釈出来る玉虫色の表現の羅列で在ったり、実際の行動に付いては具体性を欠いて居たりと、奇怪極まり無い文章のオンパレードです。
 例えば、森山氏は前掲書で、1941年1月30日に決定された国策〔対仏印泰施策要綱〕を例に挙げて居ます。

 コレは、仏印(フランス領インドシナ)関係とタイとの政治・軍事・経済的な関係強化を図る為、場合に依っては仏印に対して武力行使してでも目的を完遂すると云う強硬な内容でした。  
 処が、何時迄に実施するかと云うと、本文には「成るべく速に」と在るだけでした。そして、末尾には〔対仏印・泰施策要綱に関する覚〕なる文書が添付されて居り、ソコでは「三・四月頃を目標とし外交上最善を尽くすべし」と書かれて居る。更に添付された「記録」では「四囲の情勢に鑑み其時期及方法を決定」する事に為って居ました。  

 仏印への要求内容は、日本との独占的な政治・軍事的結合関係の構築(具体的には、航空基地・港湾施設の使用、日本軍の駐留に関する便宜等)でしたが、これに付いても末尾の「記録」では「変更する事在るべし」と為って居て、一体何が決まったのか判然としません。

 「両論併記」に依る非決定
 
 この様な支離滅裂な文章を読むと、当時の政策担当者の知性と能力に疑いが生じてしまいます。戦後に流布した「視野の狭い馬鹿な軍人が日本を戦争に引きずり込んだ」と云う通俗的なイメージに納得してしまいそうに為るでしょう。  
 しかし、森山氏は、結果論から軍人を馬鹿呼ばわりする事は簡単であるが、問題は個人の能力では無く〔組織が持つ行動原理〕にコソ存在したと指摘して居ます。

 問題は〔軍部〕が決して一枚岩では無く寧ろバラバラだった事に在り、だからこそコンセンサスを得る為に玉虫色の作文で問題を先送りするしか無かったと云うのです。  
 先に挙げた国策〔対仏印・泰施策要綱〕の様に、会議が紛糾した挙句に本文と矛盾する文章が末尾にベタベタと添付される事例は、日本型の意思決定システムの欠陥を示す典型例です。

 森山氏は前掲書で、その特徴を次の様に整理して居ます。

 (1)「両論併記」 1つの「国策」の中に2つの選択肢を併記する。2つ処か、多様な指向性を盛り込み過ぎて同床異夢的な性格が露呈する場合も在る。
 (2)「非(避)決定」 「国策」の決定自体を取り止めたり、文言を削除して先送りにする事で対立を回避する。
 (3)同時に他の文書を採択する事で、決定された「国策」を相対化ないしは、その機能を相殺する。  

 ・・・詰まり、政策担当者の対立が露呈しないレベルの内容で取り敢えず「決定した事にする」のが「国策」決定の制度で在ったと云うのです。

 日米開戦が「最も増しな選択肢」だった


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 この様に、日本の意思決定システムは「船頭多くして船山に登る」状態でした。政治学者の丸山眞男は、日本の政治を神輿(みこし)に喩えて居ます。詰まり、確固たる中心が無く、多くの担ぎ手が押し合いへし合いして居る内に物事が思いも掛けぬ方向へ流れて行くと云う事です。  

 森山氏は前掲書で、日米開戦に至る国策決定の過程を詳細に検証した後に「コレで好く開戦の意思決定が出来たものだと感心せざるを得無い。その道は決して必然的では無く、何処かで一つ何かのタイミングがズレたら、開戦の意思決定は不可能だっただろう」と述懐して居ます。  
 取り分け興味深いのは、当時の政策担当者に取って日米開戦と云う選択は、他の選択肢に比較して〔目先のストレスが最も少ない道〕で在ったと云う指摘です。

 もし効果的な戦争回避策を取ろうとすれば、それ迄の組織の在り方や周囲との深刻な軋轢が予想されました。その様な組織内部のリスク回避を追求して行く中で、最も増しな選択肢を選んだ処、それが日米開戦だったと云うのが真相なのです。
 一見、日米開戦と云う決断は〔非(避)決定〕から踏み出した決定に思えますが、実は〔非(避)決定〕の構造の枠内に収まって居たのです。この様な日本型組織の意思決定の在り方は、完全に過去のものに為ったと言えるでしょうか? 日米開戦80年を機に、改めて考えて観る必要が在りそうです。





  日米開戦80年目の真実

 【特集2】「第一次世界大戦での楽勝」が日本の針路を狂わせた・・・



  12-8-1.png 執筆者 フォーサイト編集部  2021年12月5日


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 成功体験コソが失敗の原因に為る・・・この様なケースは現実社会で屡々見られます。偶々幸運に恵まれたダケなのに、それを「実力」や「必然」と過大評価して、状況判断を誤ってしまうのです。 
 80年前の日米開戦と云う無謀な決断の背景にも、その様な錯誤が在ったと指摘するのが、国際政治学者の細谷雄一氏が著した『歴史認識とは何か 日露戦争からアジア太平洋戦争まで』です。

 副題の通り、日米開戦に至る道則を日露戦争迄遡って分析して居る本ですが、興味深い事に、日本が国際社会の潮流から外れて転落して行く切っ掛けの一つに「第一世界大戦」を挙げて居ます。

 第一次世界大戦は「天佑」だった?


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 同書が強調して居るのは、第一次世界大戦がヨーロッパ諸国に与えた被害の大きさです。主な参戦国の戦死者数は、英国75万人・ドイツ293万人・フランス132万人・ロシア180万人・・・連合国側の戦死者の合計は529万人で同盟国側は481万人で在り、主要国の軍人だけでも1,000万人以上が戦死して居ます。
 コレに非戦闘員の死者を加えれば、その数は遥かに大きく膨れ上がります。コレだけ巨大な人的損失は、ヨーロッパの人々の心に計り知れ無い傷痕を残す事に為りました。

 他方で、日本はドイツに宣戦布告をしたものの、欧州戦線で激しい戦闘を行った訳ではありません。日本の関心は、飽く迄もアジア太平洋地域に於けるドイツの権益を奪い取る事に在り、その戦闘での戦死者は千人に満た無い程度でした。細谷氏は前掲書で、当時の元老・井上馨が、第一次世界大戦に付いて語った次の様な言葉を紹介して居ます。

 「今回欧州の大禍乱(だいからん)は、日本国運の発展に対する大正新時代の天佑にして、日本国は直に挙国一致の団結を以て、此の天佑を享受せざるをべからず」

 この様に、ヨーロッパに壊滅的な被害を齎(もたら)した大戦は、日本に於いては自らの国運を発展させる〔天佑〕に過ぎ無かったのです。戦争の恐怖と悲劇を学んだヨーロッパと、戦争に依り自らの権益と勢力圏を拡大した日本とでは、第一次世界大戦の記憶に大きな〔ズレ〕が在りました。

 歴史の転換点と為った「満州事変」


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 その後ヨーロッパ諸国が〔パリ不戦条約〕を結び戦争を違法化して、戦争を防ぐ事に大きな政治的情熱を注ぐ一方で、日本人はその様な新しい潮流に十分に留意する事無く、軍備増強と軍事力行使に依る権益拡大に邁進します。
 取り分け1931年9月18日に始まった〔満州事変〕が国際社会に与えた影響は甚大でした。日本の軍事行動の深刻さに付いて、イギリスの歴史家E・H・カーは、著書で次の様にその重要性を論じて居ます。

 「日本の満州征服は第一次世界大戦後の最も重大な歴史的・画期的事件の一つで在った。太平洋では、それはワシントン会議に依って暫く休止して居た争覇戦(そうはせん)の再開を意味した。世界全般に付いて見ると、第一次世界大戦の終結以後少なくとも露骨な形では現れ無かった『権力政治』への復帰を予告するもので在った」

 又、外交史家のザラ・スタイナーも同様に、満州事変がヨーロッパ国際政治に衝撃を与えた事を次の様に指摘して居ます。

 「日本の指導者達は、国際主義的な道則を歩む事を拒絶して、満州の問題に対して軍事的な解決を好んだ。これ等の事態の重要性は、単なる地域紛争の枠を超えて居た。日本の行動は〔国際連盟規約〕更には〔パリ不戦条約〕に対する挑戦でも在った」
 
 そして、国際連盟事務局で長年勤務をして事務次長迄務めたイギリスのF・P・ウォルターズも同じ様に「日本の満州占領は、国際連盟の歴史、更には世界の歴史に於ける転換点と為った」と述べて居ます。

 「成功は失敗の基」にも為る


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 この満州事変に伴う軍事行動がどの様な意味を持つか、多くの日本人には分かりませんでした。飽く迄もこの問題を、日中の二国間の問題としてノミ考えて居たからです。国際社会に於いてどの様な規範が〔論じられ尊重されて〕居るか、又それが国際秩序全体にどの様な影響を与えるかと云う視点が不足して居たのです。

 日本はこの後、国際社会で孤立して行きます。日本の軍事行動に共感する国は殆ど在りませんでした。結局、日本政府は1933年3月27日に、国際連盟のエリック・ドラモンド事務総長宛ての電報で、正式に〔国際連盟からの脱退を通告〕します。コレで日本の国際的孤立の道が定まりました。

 日本は第一次世界大戦で余りに簡単に勝利を得てしまった為、その後の国際政治に生じた大きな潮流を十分に認識出来ませんでした。国際社会の流れから孤立して、それを敵視する事で、日本は対米開戦と云う誤った道を進んでしまった・・・細谷氏は前掲書でそのように指摘して居ます。


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      細谷雄一『歴史認識とは何か 日露戦争からアジア太平洋戦争まで』12-8-9

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      細谷雄一『戦後史の解放II 自主独立とは何か 後編 冷戦開始から講和条約まで』12-8-11





  日米開戦80年目の真実

 【特集3】「正確な情報」が「無謀な開戦」に繋がったと云う痛恨の逆説



 12-8-1.png 執筆者 フォーサイト編集部  2021年12月6日

 近年、ファクトやエビデンスの重要性が盛んに指摘されて居ます。その裏には「正しい情報」に基づいて考えれば「正しい判断」を行う事が出来ると云う予断が見え隠れして居る様に思えます。しかし「正しい情報」が必ずしも「正しい判断」に結び着くとは限りません。
 経済学者の牧野邦昭氏が著した『経済学者たちの日米開戦 秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く』では〔正確な情報〕コソが、返って政策決定者達を〔無謀な開戦〕へと駆り立ててしまったと云う逆説を鮮やかに読み解いて居ます。

 覆された通説


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〔非合理的〕〔情報軽視〕と云ったイメージの在る日本陸軍ですが、実際には開戦前に多くの一流の経済学者を〔秋丸機関〕に動員して、日本の他アメリカ・イギリス・ドイツ等の主要国の経済抗戦力を詳細に調査して居ました。
 しかし、そこ迄して陸軍が正確な情報を得て居たにも関わらず、日本は80年前の12月に米英に宣戦を布告し、太平洋戦争に突入してしまいます。それは何故だったのでしょうか?

 これ迄の通説は、秋丸機関が米英と日本の経済抗戦力の巨大な格差を指摘する報告書を提出したにも関わらず、陸軍首脳がソレを〔国策に反する〕ものとして焼却処分してしまい、開戦に踏み切ってしまったと云うものでした。
 しかし、牧野氏は、焼却処分された筈の報告書を発見し、通説が事実と異なる事を前掲書で明らかにしました。しかも、報告書に書かれて居た情報は、特に極秘とされて居た訳では無く、秋丸機関の関係者達が雑誌等で自由に発表して居た事も分かりました。詰まり通説は誤りだったと云う事です。

 何故リスクの高い方を選択してしまうのか?


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 では、日本の指導者達は正確な情報に接する機会が在ったのに、何故米英と戦争すると云う非合理でリスクの高い選択を行ってしまったのでしょうか? 牧野氏は前掲書で、行動経済学を使って説明を試みています。
 経済学では「人間は合理的に意思決定する」と考えられて居ますが、実際には人間は非合理的に見える行動を取る事が好く在ります。例えば、以下の2つの選択肢の内ドチラが望ましいかと云う問題を考えてみましょう。

 A 確実に3,000円払わ無ければ為ら無い。
 B 8割の確率で4,000円支払わ無ければ為ら無いが、2割の確率で1円も支払わ無くても好い。


 Bの損失の期待値は3,200円(4,000円×0.8+0円×0.2)で、Aよりも損失は大きく為ります。従って人間が「合理的」で在れば、より損失の小さいAを必ず選ぶ筈ですが、実験をしてみると実際には確実に損失が生じるAよりも〔高い確率でより多くの損失に為るが、低い確率で損失を免れる事も在るBを選ぶ〕人が多い事が判って居ます(或る実験では92%がBを選択して居ます)詰まり、人間は損失を被る場合にはリスク愛好的(追求的)な行動を取ると云う事です。

 行動経済学による説明

 何故この様な選択肢が選ばれるのかを説明するのが、近年急速に発展して居る行動経済学に於ける〔プロスペクト理論〕です(D.カーネマンはこの業績等により2002年にノーベル経済学賞を受賞しています)

 〔プロスペクト理論〕では通常の経済学が財の所有量に応じて効用が高まると仮定するのに対し、或る水準(参照点)からの財の変化の量に注目します。簡潔に云うと、人間は現在所有して居る財が1単位増加する場合と1単位減少する場合とでは〔減少する場合の方の価値を高く評価〕するのです。
 その為、人間は損失が発生する場合には少しでもその損失を小さくする事望みます(損失回避性) そうすると、選択肢Aでは確実に3,000円を支払わ無ければ為りませんが、選択肢Bでは2割の確率で損失は0に為るので、人間は低い確率で在っても損失が0に為る可能性の或るBの方に遂魅力を感じてしまい勝ちなのです。

 更に〔プロスペクト理論〕では客観的な確率がそのママ人間の主観的な確率と為る訳では無く、心の中で何等かの重み付けをされると考えます(客観的には2割の確率でも主観的には3割と考えられるかも知れ無い)
 客観的な確率と主観的な確率の乖離は実証されて居り、自然災害等の客観的には滅多に起き無い現象は主観的には高い確率として認識される一方、生活習慣病に依る将来の死と云った客観的には高い確率で起きる現象は主観的には低い確率として認識されて居ます(だからコソ〔当選確率は極めて低いのに多くの人が宝くじを購入する〕〔将来ガンに為る確率が高いのに多くの人が喫煙する〕と云った現象が起きるのです)

 それ故、先程の選択肢Bで「1円も支払わ無くても好い」と云う確率が主観的に過大に評価され(例えば3割)AよりもBの方が望ましいと考えられて選択される事に為るのです。

 「ジリ貧」よりも「開戦」と云う判断


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 サテ、昭和16年8月以降の当時の日本が置かれて居た状況は、先程の選択肢A及びBと殆ど同じ様なものでした。日本の選ぶべき道は、政策決定者の主観的には2つ在りました。

 A’ 昭和16年8月以降はアメリカの資金凍結・石油禁輸措置に依り日本の国力は弱って居り、開戦しない場合、2〜3年後には確実に「ジリ貧」に為り、戦わずして屈伏する。
 B’ 国力の強大なアメリカを敵に回して戦う事は非常に高い確率で日本の致命的な敗北を招く(ドカ貧) 


 ・・・しかし〔非常に低い確率〕では在るが、もし独ソ戦が短期間で(少なくとも1942年中に)ドイツの勝利に終わり、東方の脅威から解放されソ連の資源と労働力を利用して経済力を強化したドイツが英米間の海上輸送を寸断するか対英上陸作戦を実行し、更に日本が東南アジアを占領して資源を獲得して国力を強化しイギリスが屈伏すれば・・・
 アメリカの戦争準備は間に合わず抗戦意欲を失って講和に応じるかも知れ無い。日本も消耗するが講和の結果南方の資源を獲得出来れば少なくとも開戦前の国力は維持出来る。

 詰まり、日米間の国力の巨大な格差を正確に指摘した秋丸機関の報告書を踏まえれば、開戦が無謀で在る事は判るのですが〔プロスペクト理論〕に基づけば、夫々の選択肢が明らかに為れば成程〔現状維持よりも開戦した方が未だ僅かながら可能性が在る〕と云うリスク愛好的な選択へと導かれてしまうのです。

 「正しい情報」が「正しい決定」に繋がるので在れば〔開戦回避〕と云う結論に為る筈ですが、実際は上記の通り、寧ろ〔正しい情報〕故に〔開戦〕と云う結論が下されたと考えられるのです。
 勿論コレは単純化した説明で在り、牧野氏の著書では、他の様々な要素(日本の指導者の長期的なビジョンの欠如、集団心理に依る強硬論の支持等)も、開戦の意思決定に重要な影響を与えて居た事が示されて居ます。

 現代でも〔正確な情報が在った筈なのに、何故この様な残念な結果に為ってしまったのか〕と疑問に思う事が屡々起きて居ます。そうした失敗を繰り返さ無い為にも、80年前の日米開戦の教訓から学ぶ価値が在りそうです。






 【特集】日米開戦80年目の真実

 【特集4】華族将軍の「タンネンベルク信仰」が玉砕精神を生み出した



 12-8-1.png 執筆者 フォーサイト編集部  2021年12月7日


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 今年12月8日、日米開戦すなわち真珠湾攻撃から80年を迎えます。日本は何故「必敗」の対米開戦に踏み切ってしまったのでしょうか・・・思想史研究者の片山杜秀氏が著した『未完のファシズム 「持たざる国」日本の運命』は、或る華族出身の陸軍将軍が「劣勢の日本軍が優勢なアメリカ軍を〔必勝の信念〕で包囲殲滅出来る」と云う狂気染みた論理を生み出してしまう過程を描いて居ます。

 小畑敏四郎の「タンネンベルク信仰」



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 華族出身の陸軍軍人で〔作戦の鬼〕の異名を取った小畑敏四郎は、第一次世界大戦時に観戦武官としてロシア軍に付いた経験が在りました。その際、強い影響を受けたのが、大戦最初期にドイツ軍の寡兵(かへい)がロシアの大軍を包囲殲滅した〔タンネンベルクの戦い〕です。
 云わば〔短期決戦+包囲殲滅戦(ほういせんめつせん)〕の戦法ですが、実はコレが成功したのはタンネンベルクの戦い位で、後は一度も実現されませんでした。

 処が〔タンネンベルク信者〕で在った小畑は、参謀本部作戦課長として陸軍の戦争指導マニュアル『統帥綱領(とうすいこうりょう)』『戦闘綱要(せんとうこうよう)』の改訂を主導した際に、コノ〔短期決戦+包囲殲滅戦〕を一般的戦闘法として綱領化します。
 即ち、速戦即決の殲滅戦で一気に決める。突然に天佑神助(てんゆうしんじょ)の様に訪れるかも知れ無い勝機を絶対逃さず敵を叩き潰す・・・そう云う戦争をしたい時は、外交や政治は無視して将帥の独断専行を認め無いと敵の意表も衝け無い・兵隊や兵器や弾薬が足りなくても気力と創意工夫と作戦で補えば、如何に劣勢でも勝てる・・・と大胆に主張したのです。

 この改訂からは、後の日米戦争に於ける補給無き戦闘やバンザイ突撃や玉砕の情景が透けて見えて来る様です。

 殲滅戦思想(せんめつせんしそう)の顕教(けんきょう)と密教(みっきょう)


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 処で〔作戦の鬼〕と呼ばれ、陸軍大学校の校長迄務めた小畑は、こんな戦争指導で本当に勝ち目があると信じて居たのでしょうか。
 片山氏は前掲書で、実は小畑も〔ソンな事は不可能〕だと確信して居たと分析して居ます。タンネンベルクの戦いを熟知して居た小畑は、ドイツ軍がロシアの大軍を包囲殲滅出来たのは、ロシア軍が素質劣等(そしつれっとう)だったからで在って、素質優等(そしつゆうとう)な相手には通用し無いと考えて居たと云うのです。

 新『統帥綱領』は建前、云わば〔顕教(けんきょう)〕でした。陸軍には一流国の大軍と戦う能力は無いので、アメリカやソ連と一戦を交えるナンてヴィジョンは端から無い。速戦即決の殲滅戦で勝てる弱い相手としか戦う積りが無い。
 でも、最初からその様に公言してしまうと軍の自己否定に為ってしまうので、表向きは「強敵相手でも包囲殲滅戦で勝てる」と強弁する。要するに「強い相手とは戦争しない」と云う本音は〔密教〕として、参謀本部の幹部の胸の内に留めて置く積りだったのです。

 皇道派の失脚が生んだ「玉砕精神」


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 処が、小畑に取って想定外の事態が発生します。1936年の「二・二六事件」です。この事件の余波で、小畑等が連なる「皇道派」の軍人が要職から悉く外されてしまいます。その一方で『統帥綱領』『戦闘綱要』の文言はそのママ生き残りました。
 その結果、密教として文章化されて居ない教義は忘れ去られ、顕教として書かれて在る文言だけがそのママ信じられて暴走して行きます。

 画して、装備劣悪で寡勢の日本軍が、装備優秀で多勢のアメリカ軍等を〔必勝の信念〕で包囲殲滅しようとする、如何にも無理筋の戦いが始まってしまったのです。更には〔必勝の信念〕がエスカレートして〔敵を殲滅出来ずとも味方が殲滅される迄戦い続ける〕と云う飛んでも無い哲学が生み出されて行きます。所謂玉砕精神です。

 相手の強さ弱さの次第に依って〔殲滅精神は容易に玉砕精神へと転倒してしまう〕・・・片山氏は前掲書でその様に指摘して居ます。小畑の失脚に依り、想定外の用いられ方をされた『統帥綱領』『戦闘綱要』は「狂気の沙汰」の教典と化してしまったのです。



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      片山杜秀『未完のファシズム 「持たざる国」日本の運命』12-8-20

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      牧野邦昭『経済学者たちの日米開戦:秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く』12-8-21



 【管理人のひとこと】

 日本の無謀な戦争への意思決定を、この様に多角的方面から考えた文章は少ないでしょう。私は初めて目が覚めた様な感覚を味わって居ます。特集1〜4迄の提言全てが正解だ・・・と云っても過言では在りません。
 私は「戦争は悪だが、自国が生き残る為には時には戦う事も在るかも知れ無い・・・」との肯定はしないが想像だけは否定し無い人間です。無論、この戦争の一部始終(私が知り得た)では、その全てが非人間的で在り非人道的でも在り到底肯定出来るものは何一つも在りません。

 特に敗戦・失敗だと認めても玉砕戦を敢行したり、初めから玉砕覚悟で作戦を立案したり、初めから食料も持たずに行動し病死・餓死を繰り返したり、自己の死を前提とした特攻攻撃には到底許す事の出来ない憤りを覚えます。余りにも人命を軽んじた戦いに勝利は無いのです。
 我が国の軍人の戦死者の大半は、終戦の一年間に集中して居ます。その死因の多くは病死・餓死なのです。立派に戦いそれで負けたなら、進んで敵に白旗を掲げて降り敵の温情を受け入れる・・・戦争には、この様な人道的人間的な戦いも在る筈です。
 何時の時代に為っても戦争を考えるのは、国民の義務で在り平和を希求する国民の権利でも在ります。12月8日は、多くの国民が新たな平和な思いを確認する日で在って欲しいものです。






















2021年12月07日

1941年12月8日 日米戦争開始から80年 特集



 【特集1】時代に翻弄(ほんろう)された「軍神」 

 真珠湾で戦死 前橋出身の岩佐中佐 事実を学び平和の糧に


 12-7-1.png 12/7(火) 6:04配信 12-7-1



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               岩佐中佐の肖像画 12-7-2


 太平洋戦争が始まった、旧日本軍に依る真珠湾攻撃から8日で80年を迎える。魚雷を備えた特殊潜航艇5隻を率いて米艦隊への攻撃を目指したのが、群馬県前橋市出身で当時26歳の岩佐直治中佐だった。真珠湾で戦死し、死後に〔軍神〕として称揚された一方、戦後は批判的に語られ、今は存在を知る人も少なく為って居る。関係者はその変遷を空しく振り返り、有識者は「時代に流されず、事実を客観的に学ぶ事が平和を維持する為に最も重要」と指摘する。


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      木々に囲まれ、ヒッソリと立つ岩佐中佐の墓 1日 前橋市本町の松竹院 12-7-3


 前橋市中心街に近い松竹院(同市本町) 1日に境内を訪ねると、木々に囲まれた岩佐中佐の墓がヒッソリと立って居た。中佐が残した句碑や、同級生が建てた墓標も立って居る。同寺で生まれ育った明峯悦子(めいみねえつこ)さん(77)に依ると、過つて12月8日の命日には、生前の岩佐中佐を知る人や海軍兵学校OB等が集まり賑わったと云う。だが、高齢化に依り訪れる人は減り、数年前からはホボ途絶えた。

 明峯さんは「時代が移り変わり、戦争への関心が薄れたと感じる。歴史が切れてしまった」と寂しそうに語る。同寺の墓標は、一周忌の後、旧制前橋中の同級生が建立したものだ。
 墓標を建設する為に土地の使用許可を求めた当時の申請書や許可証が、県立歴史博物館(高崎市)に所蔵されて居る。同校時代の同級生、伊藤清一さん(故人)が所有し親族が同館に寄贈した。

 同館の佐藤有学芸員は、墓標と関連資料に着いて、地域の歴史を伝えて行く上での重要性を説明する。「岩佐中佐の人柄を実際に知る人々の思いを現代に伝える貴重な資料」
 歴史に詳しい群馬地域学研究所の手島仁さん(62)に依ると、岩佐中佐は戦時中は「軍神」と称えられた一方、戦後は「出身地の前橋が空襲で狙われた」等とデマを流された事も在ったと云う。
 「美化や俗説から離れ、残された資料を基に客観的な事実を捉える必要が在る」と強調。イデオロギーや誤った情報の影響を受けた社会が、中佐を如何扱って来たかを学ぶべきだとして「正しい情報に基づいて判断する事が、平和を維持する為に最も重要だ」と話す。

 岩佐中佐は記者と同年代の26歳で戦死した。戦時中の1942年3月7日付の上毛新聞は、その死を「死に生く軍神九勇士」と称える。戦意高揚を煽る当時の紙面には大きな違和感を拭え無い。新聞を初めとするメディアは現代でも「一面的な歴史」を造りかね無い。責任の大きさと共に、戦争経験者が少なく為る中で歴史を検証し、伝えて行く大切さを改めて感じる。


 岩佐直治中佐 1915(大正4)年 前橋市に生まれる 旧制前橋中を卒業後海軍兵学校へ進み潜水艦の研究や訓練に打ち込んだ 41(昭和16)年12月8日 大尉として特殊潜航艇5隻を率いて米国のハワイ真珠湾へ潜入し26歳で戦死した 死後は2階級特進して中佐と為り戦死した部下と共に「軍神」と称えられた



 【特集2】迫力の3分の1ゼロ戦 手作りした群馬の66歳 

 5月から制作「戦争起こさぬ」思いも込め

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         3分の1サイズのゼロ戦を完成させた佐藤さん 12-7-4


 旧日本軍の真珠湾攻撃に依る1941年の日米開戦から8日で80年と為るのを前に、群馬県藤岡市東平井の佐藤丈夫さん(66)が、零式艦上戦闘機(ゼロ戦)をモデルにした模型を制作した。
 実機の3分の1サイズで、コックピット内を精巧に再現し、プロペラをモーターで動かせる本格的な仕様。4日から同市浄法寺に開設したギャラリーで公開する。佐藤さんは「戦争は二度と起こしてはいけ無い悲劇」とし、平和への思いを強調する。

 看板塗装業を営む佐藤さんはプラモデル作りを趣味にして居る。5月から本業の技術を生かして大型模型作りに挑戦し「三菱零式艦上戦闘機52号」のプラモデルや写真を参考にホボ1人で完成させた。
 縦3メートル・両翼3.65メートルの機体はアルミ複合板でフレームを組み上げ、ボール紙やシートを貼った後に塗装した。扇風機のモーターを活用したプロペラはスイッチで回り、主翼や尾翼も動かせる等細部に拘った。コックピットには知人に手作りして貰った操縦士の人形を乗せて居る。

 佐藤さんは「昔の写真を見ながら少しずつ制作して来た。模型は作品として同じ趣味の人に見て貰えたら」と話して居る。又、同市出身でゼロ戦の開発者として知られる航空技術者・堀越二郎(1903〜82年)にも触れ「堀越の優れた技術や造形美を後世に伝えて行く事も重要」と話して居る。

 ギャラリーは浄法寺の向かいに在り、ゼロ戦10機と「赤城」「大和」と云った軍艦のプラモデルを並べた自作のジオラマも展示する。午前9時〜午後4時半(土日のみ) 問い合わせは佐藤さん(電話1(プッシュホン)090-3699-1273)




 【特集3】「一生懸命遣った事が戦後、馬鹿みたいに言われて」

 〔戦闘機乗り〕最期に遺した「空しい人生」の言葉



 現代ビジネス 12/5(日) 6:02配信


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      昭和16年12月8日 日本海軍機動部隊の奇襲を受け、炎上する真珠湾 12-7-5


 昭和16(1941)年12月8日、日本海軍機動部隊に依るハワイ・真珠湾への奇襲攻撃で大東亜戦争(太平洋戦争)の火蓋が切られて、今年・令和3(2021)年12月8日で80年に為る。
 アノ日、日本海軍の6隻の航空母艦「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」「翔鶴」「瑞鶴」から発艦した350機(第一次発進部隊183機・第二次発進部隊167機)の攻撃隊は、アメリカ太平洋艦隊の本拠地、ハワイ・オアフ島の真珠湾を奇襲、僅か2時間足らずの攻撃で米艦隊と航空部隊を壊滅させた。
 
 アメリカ側は、戦艦4隻が沈没又は転覆したのを初め19隻が大きな損害を受け、300機を超える飛行機が破壊或いは損傷し、死者・行方不明者は2,400名以上・負傷者1,300名以上を数えた。
 一方、日本側の損失は飛行機29機と特殊潜航艇5隻・戦死者は64名(うち飛行機搭乗員55名)だった。しかし、この真珠湾の「大戦果」は、日本の開戦通告が攻撃開始時刻に間に合わ無かった事から「騙(だま)し討ち」と喧伝され、返ってアメリカの世論を一つにまとめる結果と為ってしまった。

 「リメンバー・パールハーバー」のスローガンの基、一丸と為ったアメリカ軍はその後、驚異的な立ち直りを見せて反撃に転じ、3年9ヵ月に及んだ戦いの結果は、日本の主要都市焼尽・降伏と云う形で終わる。  
 真珠湾攻撃に参加した日本側の飛行機搭乗員は765名。途中、故障で引き返した3機や機動部隊上空哨戒、及び予備員の人数は含まず。真珠湾で戦死した55名を含め、約8割に当たる617名がその後の激戦の中で戦死或いは殉職し、生きて終戦の日を迎えたのは148名に過ぎ無い。

 その殆どが今や故人と為ったが、此処では、筆者の四半世紀に及ぶ関係者へのインタビューを基に、アノ日、真珠湾の夜明けを見た男達の回想を9回シリーズでお届けする。


 真珠湾攻撃計画が伝えられた


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       進藤三郎大尉(昭和17年11月、南方戦線へ発つ前、東京駅にて)12-7-7


 進藤三郎(しんどう さぶろう) 第二次発進部隊制空隊指揮官 空母「赤城」戦闘機隊(零戦) 当時海軍大尉  明治44(1911)年 横須賀に生まれ呉で育つ 昭和7(1932)年 海軍兵学校(六十期)を卒業 飛行学生を経て戦闘機搭乗員と為る 
 昭和12(1937)年 空母「加賀」乗組として第二次上海事変で初陣 昭和15(1940) 第十二航空隊分隊長として、採用されたばかりの零式艦上戦闘機(零戦)13機を率い、中華民国空軍の戦闘機27機を撃墜(日本側記録) 損失ゼロと云う一方的勝利を納める 
 昭和16(1941) 空母「赤城」分隊長として 真珠湾攻撃第二次発進部隊制空隊を指揮 その後も第一線指揮官としてラバウル・マリアナ・フィリピンを転戦 筑波海軍航空隊飛行長として福知山基地で終戦を迎えた 終戦時海軍少佐 戦後は自動車ディーラー(山口マツダ)勤務 平成12(2000)年歿 享年88



 進藤三郎氏・インタビュー談

 昭和16(1941)年10月1日頃 各航空戦隊の司令官・幕僚・空母の艦長・飛行長・飛行隊長クラスの士官が、志布志湾に停泊中の「赤城」参謀長室に集められ、此処で第一航空艦隊司令長官・南雲忠一中将より「絶対他言無用」との前置きの元、真珠湾攻撃計画が伝えられました。
 「仕舞った。コレを聞いたからには休ませて呉れとは言え無いな」と観念しました。と云うのも、それ迄の長い戦地勤務で私の体は疲れ切って居て、黄疸の症状ま出出て来た為に、休養を申し出ようと思って居た処だったんです。

 零戦の初空戦を指揮


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 昭和15年9月13日、一方的勝利に終わった重慶上空での零戦初空戦を終え、漢口基地に帰投した進藤大尉 12-7-8


 昭和12(1937)年8月 第二次上海事変で初めて敵機と交戦して、15(1940)年9月には、制式採用されたばかりの零戦の初空戦を私が指揮する巡り合わせに為りました。それからハノイ基地に移って援蒋ルート(米英が蒋介石率いる中華民国政府を援助する為アジアに設けた輸送路)遮断作戦に従事し、それが一段落着いたら今度は「赤城」分隊長に発令された。

 私は「教官不適」と言われてたもんで、常に第一線部隊に出されて居ました。南雲中将の話を聞いた時「赤城」の戦闘機飛行隊長・板谷茂少佐が、ヤヤ興奮の面持ちで「進藤君、こりゃ、確り遣らんといかんな」と、声を掛けて来ました。私も「遣りましょう」と答えた。
しかし解散が告げられ、基地に帰る内火艇に乗り込む時にネ、板谷少佐が「俺達は死力を尽くして戦うだけだが、戦争の後始末は如何遣って着ける積りなのかな」と呟いたのを聞いて、こっちが本音なんだろうなと思いました。  

 板谷少佐の海軍兵学校五十七期と私の六十期は、ドチラも卒業後、遠洋航海でアメリカに行ってるんです。私は、8年前に見たアメリカを思い出しました。国土は広いし、街は立派だし、人々の暮らしは豊かだし、日本と比べてアラユルものが進んで居る。コンナ国と戦争しても勝てる筈が無い。それでももし戦争に為ったら、我々軍人は為るべく敵に痛い目を見させて、講和条件が有利に為る様全力で戦うしかありません。  
 空母搭載の飛行機隊は、洋上訓練や出撃の時以外、陸上基地で訓練を行って居て「赤城」戦闘機隊は、鹿児島の鴨池基地を拠点にして居ました。兎に角猛訓練でしたよ。編隊同士の空戦は勿論、洋上航法や通信、耐寒グリスを塗った20ミリ機銃に依る高度8,000メートルでの射撃訓練・・・

 母艦に搭載される零戦には〔クルシー〕と呼ばれる〔無線誘導による帰投装置〕が装備されて居ましたが、熊本放送局の電波を使って帰投訓練も念入りに遣りました。11月3日、南雲中将より機動部隊の各艦長にハワイ作戦実施が伝達され、その日の夜半、特別集合訓練が発動、翌4日から3日間に渉って全機・全力を以て、佐伯湾を真珠湾に見立てた攻撃訓練が、作戦に定められた通りの手順で行なわれました。  

 私の当時のメモには〈十一月四日 「ハワイ」攻撃ヲ想定 第一次攻撃隊 〇七〇〇(注:午前七時)発進、第二次攻撃隊〇八三〇発進。十一月五日 第一次〇六〇〇、第二次〇七三〇。十一月六日 〇五〇〇ヨリ訓練開始〉と書かれて居ます。激しい訓練で、攻撃隊の九九艦爆の中には不時着する機も出ました。

 最早引き返す事は出来ない


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 進藤氏が遺した真珠湾攻撃の機密書類の束。択捉島単冠湾で出撃搭乗員たちの打ち合わせが行われた11月24日から始まっている 12-7-9


 「赤城」が佐伯湾を出たのは11月18日の事です。機動部隊は一先ず北へ向かい択捉島単冠湾(えとろふとう ひとかっぷわん)に集結しました。湾の西に見える単冠山は、既に裾まで雪に覆われていましたね。
 11月24日、6隻の空母の全搭乗員が「赤城」に集められ、真珠湾の全景模型を前に、米軍の状況説明と最終打ち合わせが行われた。私が手元に残して居たハワイ作戦関連の軍機書類の日付はこの日から始まって居ます。

 11月26日、機動部隊は単冠湾を抜錨(ばつびょう) ハワイに向かいました。12月8日、私は第二次発進部隊制空隊・零戦35機の指揮官でした。真珠湾に向け飛行中、クルシーのスイッチを入れたら、ホノルル放送が聞こえて来た。陽気な音楽が流れて居たのが突然止まって早口の英語でワイワイ言い出したから、好くは聞き取れませんが、コレは第一次の連中遣ってるなと。  
 オアフ島北端、白波の砕けるカフク岬を望んだ所で高度を6,000メートル迄上げ、敵戦闘機の出現に備えます。オアフ島上空には、対空砲火の弾幕がアチコチに散らばって居る。それを遠くから見て、敵機だと勘違いして、接敵行動を起こしそうに為りました。途中で気づいて、何だ煙かと苦笑いしましたが。  

 第一次に遅れる事約1時間、真珠湾上空に差し掛かると、湾内は既に爆煙に覆われて居ました。心配した敵戦闘機の姿も見え無い。空戦が無ければ、地上銃撃が零戦隊の主な任務に為ります。私はバンクを振って(機体を左右に傾けて)、各隊毎に散開し、夫々の目標に向かう事を命じました。  
 私は「赤城」の零戦9機を率いてヒッカム飛行場に銃撃に入りましたが、敵の対空砲火は物凄かったですね。飛行場は黒煙に覆われて居ましたが、風上に数機のB-17爆撃機が確認出来、それを銃撃しました。

 高度を下げると、キナ臭い匂いが鼻を着き、余りの煙に戦果の確認も困難です。それで、銃撃を二撃で切り上げて上昇したんですが。銃撃を続行しようにも、煙で目標が視認出来ず、味方同士の空中衝突の危険も懸念される程でした。  
 私は、予め最終的な戦果確認を命じられて居たので、高度を1,000メートル以下に迄下げ、単機で再び真珠湾上空に戻りました。すると、立ち上る黒煙の間から、上甲板迄海中に没したり、横転して赤腹を見せて居る敵艦が見える。

 海が浅いので、沈没したか如何か迄は判断出来無いものの方が多いんですが、それでも、噴き上がる炎や爆煙、次々に起こる誘爆の凄まじさを見れば、完膚なき迄に遣っ付けた事は間違い無さそうだと思いました。  
 これは偉い事に為ってるナア、と思いながら胸が空く様な喜びが沸々と湧いて来る。しかしそれと同時に、此処で枕を蹴飛ばしたのは好いが、目を覚ましたアメリカがこのママ黙って降参する訳が無い、と云う思いも胸中を過ります。これだけ派手に攻撃を仕掛けたら、最早引き返す事は出来まい。戦争は行く処迄行くだろう、そうなれば日本は・・・私は、歓喜と不安、諦観が入り交じった様な妙な気分で、カエナ岬西方の集合地点に向かいました。  

 「赤城」に帰投すると、南雲中将が飛行甲板に降りて来て「好く遣った」と満面の笑みで私の手を握って呉れました。しかし残念な事に、居る筈の敵空母は真珠湾に在泊して居なかった。艦上では、第三次発進部隊の準備が進められて居ました。
 「蒼龍」の二航戦司令官・山口多聞少将からは「蒼龍」「飛龍」の発艦準備が完了したとの信号が送られて来ます。この攻撃隊を出撃させれば、1機辺り150発しか用意出来無かった零戦の20ミリ機銃弾は概ね尽きる処でした。

 一番辛い1年を過ごした


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      昭和18年 ラバウルにて 進藤氏はコノ時期が一番辛かったと言う 12-7-10


 私は当然もう一度出撃する積りで、戦闘配食のボタ餅を食いながら心の準備をして居ましたが、南雲中将が第三次攻撃は中止すると云う。それを聞いて、正直な処ホッとしました。詰めが甘いなとは思いましたが・・・
 無理を重ねて来た私は、そのママ祝勝会にも出ずに私室で寝込んでしまいました。それで、内地に帰って直ぐに軍医の診察を受けたら「航空神経症兼『カタール性』黄疸」 2週間の加療が必要との診断で「赤城」分隊長の職を解かれ、広島の実家で静養する事に為ったんです。  

 次に戦地に出たのは、昭和17(1942)年11月の事です。ラバウルを拠点にソロモン諸島のガダルカナル島やニューギニアのポートモレスビーの米軍機と戦って居た第五八二海軍航空隊の飛行隊長でした。私が休んで居る間にミッドウェー海戦で「赤城」も沈み、急激に戦況が悪化して居た。
 私としたら、此処での1年間が一番辛かった。毎日の出撃で搭乗割(編成表)は私が書くんですが、搭乗割を書くとね、そのうちの何人かは必ず死ぬんですよ。それを決めるのは私ですから・・・ソロモンの海に飛沫を上げて突っ込んだ艦爆や、空中で火の玉の様に為って爆発した部下の零戦の姿は今も忘れられません。  

 その後、空母「龍鳳」 次いで第六五三海軍航空隊飛行長に為ってマリアナ沖海戦・フィリピン戦に行き、沖縄戦の頃は第二〇三海軍航空隊の飛行長として鹿児島県の笠之原基地で零戦隊を指揮、それから筑波海軍航空隊福知山派遣隊指揮官として新鋭機「紫電改」の部隊を錬成中に終戦を迎えました。  
 二〇三空飛行長の時、司令が「うちもソロソロ特攻を出さ無きゃいかんだろうか」と言うので「うちの隊には一遍コッキリで死なせる様な搭乗員は一人も居りません、何遍も飛んで戦果を挙げて貰わなきゃ為らんのだから、特攻は出したくありません」と答えた事があります。司令は「ソウだな」と。司令部から何か言われて居たのかも知れませんが、私の隊ではソレっ切り特攻の話は出ませんでした。

 「戦闘機乗り」が最期に遺した「空しい人生」の言葉


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             進藤三郎氏(1996年 撮影 神立尚紀)12-7-11


 戦争が終わり、飛行服姿のママ基地から追い出される様に郷里の広島に帰ってみると、原子爆弾の焼け跡で遊んで居た子供達が私の姿を認め「見てミイ、アイツは戦犯じゃ、戦犯が通りヨル」と石を投げ着けて来た。
 真珠湾から帰った時は、道で会うと敬礼して呉れた子達です。もう遣る瀬無くてね・・・進駐して来た豪州兵にブラ下がる様に腕を組んで歩く日本人女性の姿を見た時、ツクヅク世の中が嫌に為った。一時は自決も考えましたが、終戦直前に生まれた長男が、差し出した人差し指を無心に握って来た感触がよみがえり死ね無く為ってしまって・・・我ながら情け無い気がしました。  

 生きる道を探そうと横須賀に出てトラック運転手を遣ったり、福島の鉱山で働いたり、そのうち創設された海上自衛隊から、航空隊要員として入隊を要請されてその気に為ったんですが、身体検査で不合格に為ってしまった。  
 それで、父が過つて勤めて居た東洋工業に入社して、ディーラーの山口マツダで車を売る事に為ったんです。ロータリーエンジンにはテコズリましたが、常務迄勤めさせて貰い67歳で退職しました。その直後に大動脈瘤が見付かり、生死を彷徨う様な大手術を受けて、今は自宅で静かに暮らして居ます。家内には内緒なんだが、心臓の機能が衰えて居て、医者には、何時止まっても可笑しく無いと言われてましてね。
 
 振り返ってみると、空しい人生だったと思いますね。戦争中、誠心誠意働いて、真剣に戦って、その事に聊かの悔いも在りませんが、一生懸命遣って来た事が戦後、馬鹿みたいに言われて来て。詰まらん人生でしたね・・・


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        神立 尚紀 カメラマン・ノンフィクション作家 12-7-6


 筆者注 進藤三郎氏は昭和15年 零戦のデビュー戦を指揮し、16年 真珠湾攻撃では第二次発進部隊制空隊指揮官を務める等、戦史に名を残す著名な戦闘機乗りだが、極限られた範囲の親しい相手を除いては、戦争の話をする事を最後迄好ま無かった。
 筆者の度重なる取材に応えて呉れたのは、海兵同期で親友の鈴木實氏〈中佐 零戦隊指揮官 戦後キングレコード常務〉の紹介のお陰で在る。進藤氏は平成12年2月2日、自宅のソファで眠る様に息を引き取った。


 筆者が制作協力した真珠湾攻撃80年関連番組「BS1スペシャル『真珠湾80年 生きて愛して、そして〜隊員900人の太平洋戦争〜」(仮)が、12月5日午後10時〜11時49分、NHK-BS1で放送予定です。 BS1スペシャル「真珠湾80年 生きて愛して、そして 〜隊員900人の太平洋戦争〜」
 (仮) 【放送予定】12月5日(日)[BS1]後10:00〜11:49

 80年前、太平洋戦争の口火を切った真珠湾攻撃には900人近い航空隊の搭乗員が参加して居た。彼等はその後、ドンな運命を辿ったのか。一人一人の記録を辿ると、半数近くが開戦から1年以内に戦死し、生きて終戦を迎えたのは2割に満た無かった。
 卓越する技量を持つが故に、危険な最前線に投入され続けた者。死を覚悟する一方、家を継ぐ為に縁談を急いだ者。前線の基地から妻に宛て、焦がれる様な思いの手紙を何通も送り続けた者。10年以上に渉り撮影して来た元隊員や遺族の証言を通して〔真珠湾の英雄〕とその家族の生と死を描く。



 【管理人のひとこと】

 海軍兵学校を卒業し飛行学生へ進み戦闘機のパイロットへ・・・軍人としては列記としたエリートを進み途中で病気に依る休養を経て、第一線の戦闘機隊の指揮官と為る。度重なる戦闘を経て終戦を迎える。誰にもヒケを捕ら無い素晴らしい経歴だろう。
 そして故郷へ帰り子をもうけ・・・定年迄、会社や家族の為に誠心誠意勤め上げる・・・その最後の言葉が《一生懸命遣って来た事が戦後、馬鹿みたいに言われて来て。詰まらん人生でしたネ・・・》では余りに虚し過ぎる。例え敗北した戦争だったと云えど、国民を代表する政府が決定した「戦争」に命令として参加し参戦した人達に、この様な感想を述べさせるのは、国家としては余りにも寂しい事だろう・・・「貴方達は実に好く遣ったのだ、心から感謝する、大威張りで生きて欲しい!」とエールを贈って当たり前なのです。この様な方達が無数に次々と亡く為られて行く・・・これが日米開戦から80年の経緯なのです。

















2021年12月05日

落選した候補者「立憲は連合の政党なのか?」




 「立憲は連合の政党なのか?」

  保守的な農村選挙区で敗れた立憲・候補が口にした本音




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           文章 InFact編集長 立岩陽一郎 12/5(日) 7:33 12-5-7



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             写真 つのだよしお アフロ 12-5-1 


 立憲民主党(以後・立憲)は泉健太代表による新執行部での体制が始まった。しかし先の選挙での敗戦を総括しないと再生は難しい。その際に避けて通れ無いのは、保守的な有権者が多い農村部での選挙対策だ。和歌山で敗れた候補者は「立憲は連合の政党なのか?」と選挙戦を通じて感じて来た疑問を口にした。


 農村地帯から為る和歌山2区

 和歌山県は広い。その広い面積は農村部が占めて居る。梅・柿・みかん・・・全国にその名を知られる果物王国だ。そして、ソレは農村部特有の保守王国でも在る。3区の二階俊博氏はその象徴かも知れ無い。その和歌山県かつらぎ町に藤井幹雄さん(61)を訪ねた。藤井さんは2区に立憲から出て敗れた。自宅のリビングで向き合って選挙に付いて尋ねると直ぐに出たのは次の一言だった。「選挙って理屈じゃ無くてイメージ」


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               藤井幹雄さん(61)12-5-2

 今回の選挙を数字で見よう。

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 自民党の現職に対してダブルスコアでの敗北と為った。藤井さんは振り返った。「出来る事は遣った。立候補を表明して1年在って、準備はして居た」
 藤井さんは和歌山市内に事務所を構える弁護士だ。地元から東大法学部に進み弁護士と為った。和歌山県の弁護士会長も経験。加えてトライアスロンや水泳のマスターズに出るスポーツマン。候補者として申し分無い人材だ。2019年の参議院選挙に立憲から出て敗れた。それが最初の選挙。今回は満を持しての選挙だった。

 「参議院選挙の時は準備も十分では無く、兎に角出て頑張ったと云うだけだった。今回は自民党を批判する声も多く、勝つ事を意識して選挙を戦った」

 しかしこの結果だった。

 「矢張り私には組織が無かった。自民党は『面』で選挙して居る。立憲は『点』でしか出来ていない。『点』と『点』を繋げられ無かった」

 吹っ切れた表情で淡々と語った。

 保守的な地域で戦うとは

 2017年の選挙結果を見てみたい。

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 自民党が常に7万を超える票を持つ。そして、自民党以外の浮動票も基本的に保守なのが判る。但し、共産党も手堅い票が有る。希望と維新の票も含めて、典型的な農村部の有権者の動向を見て居る感じだ。だから、此処で如何戦うか、否、如何負けたかを分析する事は立憲に取って重要だ。
 藤井さんが今回の選挙で善戦して居た事もこの数字から判る。しかし仮に、希望・共産・維新の票を足し上げても6万に届か無いのも事実だ。此処で勝つには、自民の票を切り崩さ無ければいけ無い。藤井さんは選挙戦で何を訴えたのか?

 「地域の代表として、この地域を如何するのかを訴えた。それと、嘘誤魔化しが罷り通る様な日本で良いのか。正常な日本に戻そう。当たり前の政治に戻しましょう」

 そう訴えた。そして、地域の地場産業で在る農業振興 「私は(実家が)農家。私は農業に一番近い政治家だと訴えた」 

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 勿論、藤井さんは弁護士としてジェンダーの問題や格差の問題に強い関心を持って居る。しかし、この選挙でそれを第一に主張しても有権者には届か無い。それが農村の選挙だ。或る意味で立憲的な部分を封印しての選挙だったと言える。

 野党共闘の在り方

 では、野党共闘は藤井さんの選挙には如何云う意味を持ったのか?

 「当然、候補者調整は重要です。共産党は私の事務所に入って居ませんでしたが、共産党の票は(私に)入って居ます。もし共産党が候補者を立てて居たら最初から勝負には為ら無いでしょう」
 しかし、それだけでは勝て無いのも事実だ。「保守層をヒックリ返すと云う事を目指したが、それが出来無かった」

 農村部に於いては、想像以上に共産党アレルギーが強かったとも感じて居る。「自民党では駄目だと言う人は多かった。そうした人が私を応援して呉れて居た」
 処が選挙戦の後半で、少し風向きが変わって来たと云う。藤井さんへの支持が浸透し自民党が慌て始めた時期、共産党が「選挙区は藤井、比例は共産」と連呼し始めた。すると・・・「これ迄支持して呉れて居たで在ろう人が離れ始めたんです。『藤井さん、共産党の候補なんか』と」

 応援して呉れる共産党の人には申し訳無いと思いつつ、共産党との距離を置か無いと拙いと云う思いが強く為ったと云う。では、連合は?
 「私は連合の推薦ですし、ビラの投函やポスターの張り出しは連合の方が遣って呉れました。事務所にも連合の人が来て呉れました」
 しかし「集票に繋がると云う事は少無かったと思う」と話した。「この地域には連合の組合員が少ない。元々連合の役割が選挙戦を左右すると云う地域では無いんです」

 冒頭の「選挙って理屈じゃ無くてイメージ」に付いて尋ねた。すると藤井さんは或るエピソードを語った。

 「朝日新聞のアンケートが在って、色々な論点をイエスノーで答える訳です」そこで「北朝鮮には圧力か?」と問われる。藤井さんは圧力だけでは拉致問題も核問題も動か無いと考える。だから「ノー」と答える。
 「防衛費を増額すべきか?」と問われる。藤井さんは安全保障は防衛費の増額だけでは無いと考えて「ノー」と答える。すると、紙面に出るのは、それ等に「イエス」と答えた他の候補と、それ等に「ノー」と答えた藤井さんと云う構図に為る。

 「それを見た人は『藤井は共産党やないか』と為る」

 メディアも「理屈じゃ無くイメージ」に加担した形だ。ソコに共産党の「選挙区は藤井、比例は共産」が加わるから、益々、共産党のイメージが強く為る。そして後半に失速。

 立憲は如何したら勝てるのか?

 では、どうすれば立憲は農村部で勝てるのか?

 「先ず、選挙協力は共産党と遣ら無ければいけ無い。それを遣ら無ければ、国民民主と同じ規模の政党に為ってしまう」

 しかし、それは候補者調整のレベルに留めるべきだと藤井さんは話した。

 「共産党とは選挙協力は必要に為って来るが、それに依ってウイングは左に広げる形に為った。では、右に広げる努力は如何だったのか?」

 特に農村部の選挙は保守を取り込まないと勝て無い。藤井さんは「保守を切り崩す」と表現した。元来が保守的な地域では、保守層への食い込みが選挙戦で求められる。それは風頼みでは不可能だ。しかし、右に広げると共産党の協力は得られ無いのではないか?

 「共産党が(票を)入れ易い構図を作ると云う事だと思います。小選挙区で在る以上、野党共闘は当然です。それは共産党に取ってもマイナスでは無い」

 処が、先の選挙では選挙協力以上の議論に焦点が当たってしまった。例の「共産党は閣外協力」だ。自公から「立憲は政権を取ったら共産党との連合政権に為るのか?」と問われ、立憲も共産党も「閣外からの協力」を強調。それが苦し紛れの印象を与える結果に為ったとは、私も思って居る。藤井さんは同感だと話した。

 「閣外協力等、ソモソモ言う必要は無かったんです。選挙協力をすると云う事は、自ずと合意出来る部分が有ると云う事です。それは合意出来無い部分も有ると云う事でも在る。それを素直に言えば良かった。
 そして、先ずは与野党が拮抗した緊張感有る国会を作る。その為に野党は選挙協力をしたと云う事を主張すれば『閣外か閣内か』と云った論争には為ら無かったと思います」


 「私は連合の候補者では無い」

 立憲は泉健太氏を代表とする新執行部が動き出して居る。新執行部に求める事は何か?

 「立憲の立つべき処を明確にする」

 そして、選挙戦を通じて感じて居た違和感を口にした。

 「立憲は連合の政党なのか?と云う事です」藤井さん自身、連合推薦の候補者だ。「しかし(私は)連合の候補者では無い」と言い切った。

 「連合は立憲のサポーターでは在る。最大のサポーターでしょう。ポスターを貼るのも大変ですから、そのサポートは助かる。しかし、立憲は連合の政党では無い」

 サポーターで在る事と、そのものの政党で在る事は違う。連合に何か言われれば執行部が動揺する様では野党第一党としても心許無い。

 「立憲は国民の生活に目を向ける政党です。その対象は労働組合員だけでは無い。自営業者もそうだろうし、身体を使って額に汗して働く全ての人の側に立つ。そう云う政党で無ければいけ無い。マネーゲームで儲けて居る人達の為の政党では無い」

 確かに、今回の選挙で立憲と共産の関係がクローズアップされた原因の1つに、連合の対応が在る。芳野友子氏が会長に就任するや、共産党との野党共闘を批判する主張を展開。自公の攻撃を受けて居ると思ったら後ろから撃たれる形と為った。
 そして「閣外協力」と云った苦しい説明を展開し、それが注目される結果と為った。それを考えると、連合に掻き回されて敗北したと云った印象さえ受ける。藤井さんは自分為りに選挙を総括した書簡を党の執行部に送って居る。そこには次の様に書かれて居る。

 「連合だけの顔色を見て居るだけでは、本来のターゲットにすべき無党派・中間層へのアプローチが遅れてしまう様に思います」
              
 藤井さんは選挙にはもう出無いと言った。

 「私の役目は終わりました。家族にこれ以上の負担は掛けられ無い。国会が解散する前に、藤井家が解散してしまいます」

 新体制発足早々に連合に芳野会長を訪ねた泉代表に、果たして藤井さんの声は届くのだろうか?




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              InFact編集長 立岩陽一郎 12-5-6

 InFact編集長 アメリカン大学(米ワシントンDC)フェロー 1991年一橋大学卒業 放送大学大学院修士課程修了 NHKでテヘラン特派員 社会部記者 国際放送局デスクに従事し、政府が随意契約を恣意的に使って居る実態を暴き随意契約原則禁止の切っ掛けを作った他、大阪の印刷会社で化学物質を原因とした胆管癌被害(たんかんがんひがい)が発生して居る事をスクープ 「パナマ文書」取材に中心的に関わった後にNHKを退職 著書に「コロナの時代を生きるためのファクトチェック」 「NHK記者がNHKを取材した」 「ファクトチェック・ニッポン」 「トランプ王国の素顔」など多数 日刊ゲンダイにコラムを連載中



 【管理人のひとこと】

 公表される記事の中で、落選候補を取り上げるものは数少ない。筆者はその数少ない貴重な記事を書いて呉れた。東大出の弁護士・・・地方では名士として尊敬された人物なのだろう。しかし、二度の選挙で落選し〈気力も財力も使い果たした・・・〉のだ。
 何せ、立候補するだけで何百万と取られ比例に重複すると更に何百万・・・選挙運動をするには、事務所や車両・応援員を何十人と・・・恐らく何千万と云う費用が必要と為る。コンナ選挙制度も問題だが、それを勝ち上がってコソの議員である。
 人の為に仕事したい・・・その思いは掛け替え無く高尚で立派なのだが、人には向き不向きもあり政治以外の面で人の為に働く・・・そんな弁護士は絶対必要とされる。政治だけが仕事では無いのだから。




















2021年12月03日

何時の間にか忘れられた NHKの受信料問題




 何時の間にか忘れられた NHKの受信料問題

 NHKの受信料には法的根拠が無い? 

 判決の根拠を突き崩す事態が続出





 12-3-10.png 12/3(金) 5:57配信 12-3-10



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             受信料問題 知らぬ顔のNHK 12-3-11


 〜今春問題に為って居た放送法改正案もスッカリ忘れられてしまった感が在る。NHKの受信料値下げ問題は如何為ったのか・・・ソモソモ通信の時代に、最早現行の放送法は時代遅れも好い処。最高裁が支持した受信料の法的根拠すら怪しく為って来て居るのだ・・・


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             早稲田大学教授 有馬哲夫 12-3-13
                
 
 10月31日の第49回衆議院議員選挙は思いの外、与党の自由民主党・公明党が善戦し、安定多数を確保する結果に終わった。立花孝志党首率いる「NHKと裁判してる党弁護士法72条違反で」は、色々と目立つ事には成功したが議席はゼロに帰した。
 「NHKのスクランブル放送を実現」と云う公約は、最早有権者の心に響か無く為って居る。次の選挙では公約に為ら無いかも知れ無い。  

 サテ、コロナ対策や衆議院議員選挙で忘れ去られて居る感が在るが、NHKの受信料の値下げが棚上げされて居る。現在、国民が平均で1週間に数分しか見ず今後も視聴時間が減り続けるのに、NHKの地上波デジタルの受信料はこのママ据え置きなのだ。
 NHKそのものの在り方の見直しも沙汰止みに為って居る。私の予ての主張は〔現行のNHK受信料を廃止しそのコンテンツはネットに移して、他の民放と一緒に共通プラットフォームで動画配信し、ソコに受信者は視聴料を払うか又は国が税金を投入する〕かと云うものだ。

 コレが放送から通信へ移行した現在の状況に相応しい遣り方だ。これに依って弱体化して居るコンテンツ産業、取り分けアニメ産業を強靭化出来ると考える。

 受信料に纏(まつ)わる法理的な解釈

 ソコで、これ迄書いて来た事とは少し角度を変えて、受信料に纏わる法理的な解釈、詰まりこれ迄の裁判所の判決が如何に〔放送の時代〕を前提として居て、それが現在の〔通信の時代〕にソグワ無いかを明らかにして行こう。 受信料判決の〔親判決〕と云うべきものが、2017年12月6日に最高裁判所大法廷で下された判決だ。

 NHKが受信契約の申し込みに応じ無い男性に対して起こした裁判で在る。最高裁迄争われた結果、大法廷は「受信契約を義務付ける放送法の規定は、憲法に違反しない」と云う初めての判断を示した為、当時可成り注目された。判決文は非常に長く、色々な論点が盛り込まれて居るが要点をまとめると次の二つに為る。

 1. NHKだけが公共の福祉の為に、遍(あまね)く日本全国に於いて受信出来る様に放送を行う事を目的として居る。
 2. NHKは民間放送とは違って営利を目的としない〔公共的性格〕を持って居り、広告が禁じられて居るので受信料を徴収する事が出来る。

 受信料を徴収出来無い一つ目の根拠
 
 先ず〔1〕の点だが、NHKが過つて「遍く日本全国に於いて受信出来る様」離島に至る迄電波のリレー網を整備した事、その為に多額の資金を継ぎ込んで居た事は事実で在る。これは素直に評価し無ければ為ら無い。  
 しかし、このリレー網は現在必要無い。今では、宇宙空間に在る衛星から衛星波で日本全国に放送出来る。事実、衛星放送のアンテナとチューナーさえ在れば、日本の何処でもBS日テレ・BS朝日・BS-TBS・BSフジ・BSテレ東を受信し視聴出来る。  

 地上波アナログ放送の時代は、NHKのみ全国的リレー網を持って居た為に、民放は全国何処でも視聴出来る訳では無かった。地方ではNHKプラス民放1局又は2局と云う時代が長かった。現在でも民放5系列を全て視聴出来る県は少ない。  
 処が、衛星放送が始まってからは、NHKだけが「遍く日本全国に於いて受信出来る」放送局では無く為ったのだ。

 NHKが設備投資した放送リレー網も、それ迄に得た受信料収入で減価償却は終わったと見るべきだ。この段階で「遍く日本に於いて受信出来る」ので、民放とは違って、受信料を執る事が出来ると云う根拠は無く為って居る。

 政府の広報機関と化す
 
 では〔2〕は如何か。確かに減行法ではNHKは広告収入を得る事を禁じられて居るので〔法律を変えて広告収入を得ても好い事にすれば〕如何か。
 日本だけ見て居ると気が付か無いが、世界では公共放送が広告を流すのは珍しく無い。韓国・中華民国・スリランカ・ドイツ・フランス・イタリア・スペイン・アイルランド・アイスランド・オーストラリア・ニュージーランド・ベルギー等の国々では公共放送が広告収入を得て居る。  

 これ等の国々の公共放送は、受信料や国からの交付金が収入の大部分を占めて居て、広告収入はそれ程多く無い。しかし、それは受信料・交付金が入るからで在って、コレ等に頼る事が出来無いと為れば、広告放送への力の入れ方も違って来るだろうし、それに依って収入を大幅に増やす事が出来るだろう。  

 それでは、広告を流す事に依って〔公共的性格は損なわれる〕だろうか。答えは、そもそもNHKは民放には無い〔公共的性格など持って居ない〕ので、損なわれるものは何も無いと云うものだ。
 寧ろ、NHKは受信料制度が在るが為に殆ど〔政府の広報機関〕と化して居て、報道機関として〔民間放送には無い大きな欠陥を持って居る〕好く勘違いされて居る事だが、不偏不党・表現の自由を確保する事・健全な民主主義の発達に資する事は、NHKノミに課された責務では無い。

 それは、民放を含めた放送全体が果たさ無ければ為ら無い放送法上の義務だ。従って、コレ等の事はNHKだけが持って居る公共的性格では無い。NHK独自の公共的性格が在るのか、と云えばそれは見当たら無い。歴代の総務省のNHK受信料を審議する委員会のメンバーは「NHKの公共性とは何か」と問い続けて来た。詰まり公共性等無いのだ。NHKはこの公共的性格と云う点でも、受信料を徴収する根拠を持って居ない。

 イラネッチケー訴訟
 
 次に少し前に話題に為った〔イラネッチケー訴訟〕で在る。東京都文京区在住の女性が、NHKを相手どって、NHKの電波を減衰する装置《イラネッチケー》を取り付ければ、NHKと受信契約を結ぶ義務が無い事の確認を求めて裁判を起こした。  
 これに対し20年6月26日 東京地裁は原告の訴えを認めた。詰まり《イラネッチケー》やそれに類したものを取り付ければNHKと受信契約を結ぶ義務は無いと云う事だ。  

 NHKはこの判決に対して直ちに控訴した。21年2月24日、控訴審は「受信出来無くする機器を取り外したり、機能を働かせ無くさせたり出来る場合は、その難易を問わずNHKの受信設備に当たる」と判断、原告が敗訴した。  
 しかも、驚いた事にコノ判決は〔公共放送と民間放送の二元体制を維持する為には、NHKを観ない人も受信料を負担する事を放送法は求めて居る〕と述べて居る。  

 実は〔親判決〕でも同様の事を言って居る。「NHKは、民放との二本立て体制の一方を担う公共放送事業者として・・・テレビを設置する者全体に支えられる」と。又、21年の判決は、親判決の原理詰まり・・・

 「NHKだけが公共の福祉の為に、遍く日本全国に於いて受信出来る様に放送を行う事を目的として居る」
 「NHKは民間放送とは違って営利を目的としない公共的性格を持って居り、広告が禁じられて居るので受信料を徴収する事が出来る」


 ・・・を踏襲して居るのが判る。電波を受信出来るか如何かと云う技術的な点はホボ無視して居ると言って好い。言い換えれば、地上波アナログの時代の論理で受信料の徴収を正当化して居る。

 「最初からNHKの主張に乗るつもり」

 21年3月4日付「デイリー新潮」の「NHK受信料は税金と同じ扱い?イラネッチケー控訴審で書かれた理解不能な判決文」でも原告代理人の高池勝彦弁護士はこう言って居る。

 「マア、高裁は最初からNHKの主張に乗る積りだったと云う事です。NHKは公共放送が設立された意義を申し立て、民放との二元体制の維持を主張しました。
 スポンサーを付けた民放に対し、スポンサーに影響されず受信料で賄われるNHKと云う2本が在ってこそ、バランスの取れた放送が出来ると云う訳です。高裁もこの二元体制の維持に同調し、その為には公平に支払わせると云う訳です」
 

 高池氏が言う様に、この判決は「最初からNHKの主張に乗る積りだった」 詰まり、公共放送とは何か・何故二元体制が必要なのか・それを維持する事が必要なのか・・・と云う問いには全く答えて居ないし、考えてすら居ないと云える。  

 以上、受信料判決に於ける時代錯誤な解釈を指摘したが、放送から通信への移行が進んで居る現在では、更に判決の根拠を突き崩す事態が進行して居る。

 全てスマホで済ませる時代に

 先日、親戚の若者から話を聞いてビックリした。テレビ受像機は持って居無いと云う。プロジェクターにファイヤースティック(Fire TV Stick・配信動画を見る為のアマゾンが販売する端末)を挿し込んで、壁に映像を映して見て居ると云う。
 同じ事はモニターにファイヤースティックを挿しても出来る。パソコンは持たず、全てケータイで済まして居ると云う。

 と云う事は「NHKの電波を減衰する装置」《イラネッチケー》も要ら無いと云う事だ。  NHKが金科玉条の如く盾にして来た放送法64条1項には「協会の放送を受信する事の出来る受信設備を設置した者は」と在る。
 動画配信は放送では無く通信だ。詰まりファイヤースティックは電波を受信する為の設備では無い。それを挿すプロジェクターやモニターも電波を受信する為の設備では無い。これは完全に放送法が適用出来無い。放送では無いからだ。

 放送法に基づいて間接的ながら支払い義務を負わせて来た受信料も徴収出来無い事に為る。こう言われても、ケータイを持って居ればNHKに受信料を払わ無ければ為ら無いと云う19年3月12日に出た判決結果を覚えて居る人が居るかも知れない。
 アレはワンセグと云う放送を受信出来る端末だから出た判決だ。電波を受信し無ければ問題無い。実際ケータイでも、最近のタイプはワンセグ等を受信しないので、NHKに受信料を支払う必要が無いとメーカー自身が宣伝して居る。

 テレビ受像機を買うか
 
 周知の事だが若者達はテレビ放送を殆ど、或いは全く見て居ない。Twitter・LINE・Facebook・Instagram・TikTokの閲覧や投稿に可成りの時間を費やして居て忙しい。見るものもYouTube・Netflix・アマゾンプライム・U-NEXT・ディズニープラス〔動画配信〕だ。
 これではNHKは基より民放の放送番組の入り込む余地は無い。これ迄テレビ放送の長時間視聴者と云えば私の様な60代以上の老人だった。しかし、私もSNSの閲覧や投稿に忙しく、暇な時に見るものもYouTubeやNetflix等でテレビ放送では無い。  

 動画配信に慣れてしまったので、好きな時間に好きなだけ見る事が出来、好きな処で中断し再開し・巻き戻し・早送り自由・・・で無ければ不便を感じて仕方無い。こう感じてテレビ放送視聴を辞めて居るのは私だけでは無いだろう。  
 とすれば、この先、誰がワザワザNHKに受信料を払う為にテレビ受像機を買うだろうか? 老年層もプロジェクターやモニターにファイヤースティックで、動画配信を見る事を選ぶだろう。もう受信料もNHKも終わりだ。

 日本版Netflix
 
 NHKはNHKプラスと云う動画配信サービスを始めた。現在200万人が登録して居ると云う。イギリスのBBCは既にiPlayerと云う同様のサービスを始めて居る。初めこそ登録者数を増やしたが最近は頭打ちに為って居る。
 当然で在る。放送なら、限られた公共の電波の既得権益に守られ余りライヴァルも居ないが、動画配信サービスは前述の巨人達が熾烈な競争を繰り広げて居る。そこではBBCと云えども弱小事業体だ。

 それでもソコへ出て行か無ければ座して死を待つのみ。ヨーロッパ各国の公共放送もBBCの後を追って居る。NHKを含め日本の放送チャンネルも不可避的に通信に移行して行か無ければ為ら無い。
 全チャンネルが一緒に為って日本版Netflixの様なものを作り、ソコに優れたコンテンツを投入して行か無い限り、他国の動画配信サービスに伍して視聴者を惹き付ける事は出来無い。  

 NHKを解体し、日本の放送業界を〔通信の時代〕にも生き残れる様に再編成し無ければ為ら無い。受信料を払うとすれば・或いは国費を投入するとすれば、この日本版Netflixに対してだ。
 
 これ迄日本のコンテンツ産業はテレビ放送産業に搾取されて来た。安く買い叩かれ、高視聴率を上げても何のボーナスも無かった。広告収入の慢性的減少に依って、コンテンツ産業はテレビ放送産業に依って制作費を抑えられ青息吐息に為って居る。
 動画配信為らば、ヒットを出せば次回作からは好条件で契約出来、収入の面で見返りが在る。ソコに制作奨励金の様なものを出せばコンテンツ産業の強靭化に為る。

「鬼滅の刃」の大ヒットで見え難く為って居るが、実は世界に誇る日本のアニメーション産業でも中国に依る〔静かなる侵略〕が進行して居る。手遅れに為ら無い内に根本的対策を打つ必要が在る。新政権も、是非、この観点は忘れ無いで貰いたい。



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 有馬哲夫(ありまてつお) 12-3-12 早稲田大学教授 1953年生まれ 早稲田大学卒 東北大学大学院文学研究科博士課程単位取得 メリーランド大学・オックスフォード大学等で客員教授を歴任 著書に『原発・正力・CIA』『歴史問題の正解』等 


「週刊新潮」2021年12月2日号 掲載  新潮社



  【管理人のひとこと】

 この有馬哲夫教授のご意見に賛同される方々は、是非この記事を拡散して頂きたい。決してNHKを誹謗中傷するのでは無く、法的にも現実的にもNHKの主張する根拠は現在は完全に消失して居る。これ以上税金の掛かる訴訟は控え、先ずは経営規模を1/10に縮小し〔通信事業者〕として再出発すべきだ。
 これに依り〔存在根拠〕を得られ社会的必要性も生まれるだろう。現在は、ニュースや解説は三流以下だし単なる政府の伝達機関に過ぎない。巨大なエンターティメントの企業としては、規模が必要以上に大き過ぎ他(民放)を不必要に圧迫するだけだ。一体、不払いの視聴料を獲得する為に多数の職員や下請けを使い訴訟する・・・その費用は、支払われた視聴者の視聴料なのだ。NHKは一体何様の積りなのだろう・・・











 

『第18回 好きな女性アナ』 テレ朝弘中アナがV3


 

 『第18回 好きな女性アナ』テレ朝弘中アナがV3 

  揺るぎ無い独自ポジションを構築した〔絶対王者〕の貫禄



  12-3-1.png 12/3(金) 8:40配信 12-3-1



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圧倒的な人気を誇る テレビ朝日の〔弘中綾香アナウンサー」が3連覇を達成(撮影・田中達晃・パッシュ)12-3-2

 
 ORICON NEWSでは、毎年恒例の『好きな女性アナウンサーランキング』を今年も発表。18回目と為る今回は、テレビ朝日の〔弘中綾香〕アナウンサーが1位に選ばれ3連覇を達成。今年も人気は変わらず、レギュラー番組も5本を担当。昨年から感じさせる〔長期政権〕が現実のものと為った。


 ■10〜30代から絶大なる支持 

 批判を恐れず〔局アナ〕の概念を更に拡張させた胆力に羨望  

 オリコンの取材に「次回はもう辞退したい(笑)」と漏らして居たテレビ朝日の〔弘中綾香アナウンサー〕だが見事に3連覇を飾った。今年は2月21日の30歳の誕生日当日に発売したフォトエッセイ『弘中綾香の純度100%』(マガジンハウス) 7月7日にフォトブック『ひろなかのなか』(講談社)と2冊の書籍発売の他、アニメ『ドラえもん』でアナウンサー役として出演等更に活動の幅を広げた。

 大物タレントとの絡みも物怖じせず〔弘中ポジション〕をキープし続けて居る彼女。自由な発言に付いて「毒舌」との指摘には「私は只思った事を言って居るだけ」としつつ、「〔夫々違って好いじゃん〕と云う様な多様性が叫ばれて居る今、私に求められて居る事は象徴的かも知れ無い」と現代女性の新たなロールモデルの一つとも為って居る。  
 また『激レアさんを連れてきた。』のフィリップ芸やキャッチーなコメントセンスも人気の弘中に「メイクもお洋服もバラエティもエッセイも何でも熟して憧れ」(奈良県10代・女性) 「可愛くて頑張り屋な処が好き」(高知県20代・女性)と10〜30代から支持を集めた。  

 レギュラーで在る『ノブナカなんなん?』は10月から水曜19時のゴールデンタイムに昇格。『あざとくて何が悪いの?』は12月31日に年越し番組として放送される等、更に活躍のフィールドを増やして居る。

 ■安定したアナウンス力 

 バラエティで明かしたプライベートも話題に


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             有働由美子アナウンサー 12-3-5


 昨年3位から1つ順位を上げた〔有働由美子アナウンサー〕 キャスターを務める『news zero』(日本テレビ系)での活躍は勿論、先日の選挙特番でも政治家に対し、自身の意見をハッキリぶつける姿勢に好感の声が寄せられた。  
 又、10月放送の『しゃべくり007 2時間スペシャル』(日本テレビ系)では、これ迄余り語ら無かったプライベートを明かし話題に。妹からのタレコミや酒豪話・初恋エピソード等知られざる姿の告白に〔有働さん〕がトレンド入りした程。

 これ迄は「アナウンサー」に徹して来た有働アナだが、視聴者に見せた新たな側面が彼女の持ち味である「視聴者目線の言葉」をより生かし、ランクアップに繋がった様だ。 実際にアンケートでも「飾ら無い処が好き。親近感が在る。自分の言葉で伝えて呉れるし、誰にでも忖度しない。大変だった事を表に出さ無い。頭が好さそうで頼れるし、相談に乗って呉れそう」(大阪府40代・女性)
 「報道もバラエティも幅広く対応出来るので」(千葉県40代・女性)との意見が多く、世代別で40代・50代の支持は1位に。  

 勿論、本懐で在る安定したアナウンス力も評価。加えて「原稿読みが抜群に上手い。頭の回転が好い。品が在る。さり気無い気遣いが出来る。有働さんの様な年齢の重ね方をしたいです」(茨城県30代・女性)と云う意見も在り、親しみ易さや裏表の無い姿に〔大人の女性〕としての憧れ的存在にも為りつつ在るのかも知れ無い。

 ■初のTOP3入り 

 高いアナウンス力と時に〔抜けている〕姿の対比に好感


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      初のTOP3入りを果たした〔徳島えりかアナウンサー〕(C)日本テレビ 12-3-3 
 

 日本テレビ〔徳島えりかアナウンサー〕が3位に登場。今年4月から『シューイチ』の新MCに就任した際には「驚きと喜びと・・・でも未だ信じられ無いと云う気持ちが入り混じった感情です」とコメントして居た。
 夕方の情報番組『news every.』では、鈴江奈々アナウンサーの産休入りを気に、後任として木・金を担当。入社10年目だけに安定感在る高いアナウンス力を持ち、爽やかな美貌と知的な印象に好感が持たれて居る。  

 その一方で「女子アナ界一のAKB通」で在り〔柏木由紀推し〕を公言して居る彼女。他にも、アニメ『名探偵コナン』好きで「〔コナン検定〕1級」だと明かす意外な一面も。そんな気さくな人柄を見せつつ、如才無く司会を行なう姿に「聞き取り易い上に噛んだりしてるのを見た事無いから」(大阪府20代・女性) 
 「綺麗なお姉さんと云う印象で憧れる。仕事の出来るイメージ。笑い方が意外と豪快で親近感が湧く」(大阪府20代・女性)と、世代別で10〜20代で2位を獲得し、若年層からの支持を集めて居る。  

 「『シューイチ』で確り進行する姿が良い。時に抜けて居る処も好感が持てる」(岐阜県20代・女性)等、キッチリした情報番組での所作に対し、バラエティで見せる〔抜けた感〕のギャップが好いと云う意見も散見された。

 ■バラエティや歌番組・ラジオでの活躍がランクアップのカギに



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               岩田絵里奈アナウンサー 12-3-6


 その他注目は、昨年初登場だった日本テレビ〔岩田絵里奈アナウンサー〕が、8位から6位にランクアップ。今年は同ランキング殿堂入りの水卜麻美アナの後任として、『スッキリ』総合司会に抜擢。視聴者に新しい風を吹き込んで居るのが印象的だ。  
 加えて『世界まる見え!テレビ特捜部』や『沸騰ワード10』での進行も注目すべき点。「大御所にも臆せず発言出来る点が素晴らしいです」(山口県30代・女性)と、ビートたけしや所ジョージ等大物タレントとの遣り取りを見ても、来年は更なるランクアップが期待される。


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  好きな女性アナランキングに 初登場したTBS・江藤愛アナウンサー(撮影 近藤誠司)12-3-4


 8位に登場したのが、TBSの〔江藤愛アナウンサー〕 2018年の宇垣美里アナ(現在はフリー)以来のTBS局アナのTOP10入りと為った。2009年にTBS入社で、同期は田中みな実アナ。
 キャリアも長くアナウンス力も定評の在る彼女は『ひるおび!』や『CDTV ライブ!ライブ』『THE TIME,』バナナマンのせっかくグルメ』(ナレーション)等、担当番組のジャンルも幅広い。そんな江藤アナのTOP10ランクインは意外にも初。

 コメントでは「ニュースでのアナウンス力・バラエティーでのツツが無い進行、ドチラも非常に上手く、真面目な印象も好印象。今テレビ局全局で一番のアナウンサーだと思う」(東京都30代・男性)と彼女のアナウンス力は絶賛されて居る。本人も「〔女版安住アナ〕に為りたい」と語った事が在り更なる飛躍が期待されて居る。

 今回、弘中アナが3連覇を達成。5回連続首位で獲得出来る〔殿堂入り〕に着実に歩を進めて居る。これ迄人気アナウンサーはTOP10内で固定され、その年々で順位の変動が在る位だったが、昨年は日本テレビの岩田アナが、今年はTBS江藤アナが初登場を果す等、TOP10変動も活気を帯びて来た。  
 女性アナウンサーと云うと、一昔前迄は〔アシスタント〕的な立ち位置が多く誰が担当しても変わら無い様なイメージを持たれ勝ちだった。しかし、昨今は確りと各々の個性を出し〔この人の変わりは居無い〕と云う〔代替不可能〕を出せる人物がTOP10に並び、順位を上げて居る。  

 弘中アナも「局アナらしく無い」と云う特異な見え方をされる事も在るが、根幹の部分では局アナとしての範疇で対応して居るのが判る。今年は、常連アナの並び替えでは無く新陳代謝も確りと行なわれて居る事から、改めてアナウンサー〔ブランド力〕の高さを感じるランキングと為った。

 元フジテレビ高島彩アナウンサーは2008年に、日本テレビ水卜麻美アナは2017年に、夫々5年連続で1位の為殿堂入り

 【調査概要】

 ⊡ 調査時期 2021年11月9日(火)〜11月15日(月)
 ⊡ 調査対象 計1000名(自社アンケートパネル【オリコン・モニターリサーチ】会員10代・20代・30代・40代・50代の男女)
 ⊡ 調査方法 インターネット調査
 ⊡ 調査機関 オリコン・モニターリサーチ



 【管理人のひとこと】

 管理人も、弘中アナが進行を切り回す『激レアさんを連れてきた。』の愛好者で毎週楽しく拝視聴して居る。フリップや語彙の特異さ(ヤンチャな江戸っ子弁を多用)に突飛な着想の展開・・・と毎度新鮮な驚きと共に笑いを頂いて居る。バラエティー番組ならではの、新たな知識の発見の喜び、これを捕り上げるTVマンの有意な資質、聞き手のオードリー若林氏の力の抜けた感の弘中アナへの突っ込み的遣り取り、余りにも馬鹿気た紙芝居・・・全てが弘中アナの苦心の作品なのであるが、若林に幾ら貶(けな)されても何の苦にもせず堂々と切り抜け遣り通す。
 実に見事な進行を続け、意図する通りにフィニッシュへと着地させ、周囲を唖然とさせる・・・その全てが彼女の持つ、笑いを生み出す素質で在り努力で在り存在そのものなのだ。小さな赤ちゃんの様な可愛らしさに紛らせ、全てが許されるかの様に自由自在に駆け回る・・・弘中アナのワンマンショーだ。今後の活躍も期待して居る。














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