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2021年12月08日

【特集】日米開戦80年目の真実



 【特集】日米開戦80年目の真実

 
 【特集1】日本人が大好きな「両論併記」に依って

 致命的な戦争が決定された・・・





 12-8-1.png 12/8(水) 7:01配信 12-8-1


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           新潮社 Foresight(フォーサイト) 12-8-2


 会議を何度も積み重ねて慎重に検討した筈なのに、後に為って「如何して、こんなバカ気た決断をしてしまったのか」と後悔する・・・そんな経験を持つ人も多いのではないでしょうか。80年前に決断された日米開戦は正にその典型例でしょう。
 歴史学者の森山優氏は、著書『日本はなぜ開戦に踏み切ったか「両論併記」と「非決定」』に於いて、日本の組織に好く観られる意思決定システムの致命的欠陥を鋭く指摘して居ます。

 支離滅裂な「国策」の文面


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            新潮社 Foresight(フォーサイト) 12-8-3


 第二次近衛内閣が組閣されて以降、開戦迄ザッと数えて10件以上の〔国策〕が決定されて居ます。しかし、その中身を検討すると、矛盾する内容が一つの〔国策〕の中に併記して在ったり、何とでも解釈出来る玉虫色の表現の羅列で在ったり、実際の行動に付いては具体性を欠いて居たりと、奇怪極まり無い文章のオンパレードです。
 例えば、森山氏は前掲書で、1941年1月30日に決定された国策〔対仏印泰施策要綱〕を例に挙げて居ます。

 コレは、仏印(フランス領インドシナ)関係とタイとの政治・軍事・経済的な関係強化を図る為、場合に依っては仏印に対して武力行使してでも目的を完遂すると云う強硬な内容でした。  
 処が、何時迄に実施するかと云うと、本文には「成るべく速に」と在るだけでした。そして、末尾には〔対仏印・泰施策要綱に関する覚〕なる文書が添付されて居り、ソコでは「三・四月頃を目標とし外交上最善を尽くすべし」と書かれて居る。更に添付された「記録」では「四囲の情勢に鑑み其時期及方法を決定」する事に為って居ました。  

 仏印への要求内容は、日本との独占的な政治・軍事的結合関係の構築(具体的には、航空基地・港湾施設の使用、日本軍の駐留に関する便宜等)でしたが、これに付いても末尾の「記録」では「変更する事在るべし」と為って居て、一体何が決まったのか判然としません。

 「両論併記」に依る非決定
 
 この様な支離滅裂な文章を読むと、当時の政策担当者の知性と能力に疑いが生じてしまいます。戦後に流布した「視野の狭い馬鹿な軍人が日本を戦争に引きずり込んだ」と云う通俗的なイメージに納得してしまいそうに為るでしょう。  
 しかし、森山氏は、結果論から軍人を馬鹿呼ばわりする事は簡単であるが、問題は個人の能力では無く〔組織が持つ行動原理〕にコソ存在したと指摘して居ます。

 問題は〔軍部〕が決して一枚岩では無く寧ろバラバラだった事に在り、だからこそコンセンサスを得る為に玉虫色の作文で問題を先送りするしか無かったと云うのです。  
 先に挙げた国策〔対仏印・泰施策要綱〕の様に、会議が紛糾した挙句に本文と矛盾する文章が末尾にベタベタと添付される事例は、日本型の意思決定システムの欠陥を示す典型例です。

 森山氏は前掲書で、その特徴を次の様に整理して居ます。

 (1)「両論併記」 1つの「国策」の中に2つの選択肢を併記する。2つ処か、多様な指向性を盛り込み過ぎて同床異夢的な性格が露呈する場合も在る。
 (2)「非(避)決定」 「国策」の決定自体を取り止めたり、文言を削除して先送りにする事で対立を回避する。
 (3)同時に他の文書を採択する事で、決定された「国策」を相対化ないしは、その機能を相殺する。  

 ・・・詰まり、政策担当者の対立が露呈しないレベルの内容で取り敢えず「決定した事にする」のが「国策」決定の制度で在ったと云うのです。

 日米開戦が「最も増しな選択肢」だった


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            新潮社 Foresight(フォーサイト) 12-8-4


 この様に、日本の意思決定システムは「船頭多くして船山に登る」状態でした。政治学者の丸山眞男は、日本の政治を神輿(みこし)に喩えて居ます。詰まり、確固たる中心が無く、多くの担ぎ手が押し合いへし合いして居る内に物事が思いも掛けぬ方向へ流れて行くと云う事です。  

 森山氏は前掲書で、日米開戦に至る国策決定の過程を詳細に検証した後に「コレで好く開戦の意思決定が出来たものだと感心せざるを得無い。その道は決して必然的では無く、何処かで一つ何かのタイミングがズレたら、開戦の意思決定は不可能だっただろう」と述懐して居ます。  
 取り分け興味深いのは、当時の政策担当者に取って日米開戦と云う選択は、他の選択肢に比較して〔目先のストレスが最も少ない道〕で在ったと云う指摘です。

 もし効果的な戦争回避策を取ろうとすれば、それ迄の組織の在り方や周囲との深刻な軋轢が予想されました。その様な組織内部のリスク回避を追求して行く中で、最も増しな選択肢を選んだ処、それが日米開戦だったと云うのが真相なのです。
 一見、日米開戦と云う決断は〔非(避)決定〕から踏み出した決定に思えますが、実は〔非(避)決定〕の構造の枠内に収まって居たのです。この様な日本型組織の意思決定の在り方は、完全に過去のものに為ったと言えるでしょうか? 日米開戦80年を機に、改めて考えて観る必要が在りそうです。





  日米開戦80年目の真実

 【特集2】「第一次世界大戦での楽勝」が日本の針路を狂わせた・・・



  12-8-1.png 執筆者 フォーサイト編集部  2021年12月5日


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 成功体験コソが失敗の原因に為る・・・この様なケースは現実社会で屡々見られます。偶々幸運に恵まれたダケなのに、それを「実力」や「必然」と過大評価して、状況判断を誤ってしまうのです。 
 80年前の日米開戦と云う無謀な決断の背景にも、その様な錯誤が在ったと指摘するのが、国際政治学者の細谷雄一氏が著した『歴史認識とは何か 日露戦争からアジア太平洋戦争まで』です。

 副題の通り、日米開戦に至る道則を日露戦争迄遡って分析して居る本ですが、興味深い事に、日本が国際社会の潮流から外れて転落して行く切っ掛けの一つに「第一世界大戦」を挙げて居ます。

 第一次世界大戦は「天佑」だった?


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 同書が強調して居るのは、第一次世界大戦がヨーロッパ諸国に与えた被害の大きさです。主な参戦国の戦死者数は、英国75万人・ドイツ293万人・フランス132万人・ロシア180万人・・・連合国側の戦死者の合計は529万人で同盟国側は481万人で在り、主要国の軍人だけでも1,000万人以上が戦死して居ます。
 コレに非戦闘員の死者を加えれば、その数は遥かに大きく膨れ上がります。コレだけ巨大な人的損失は、ヨーロッパの人々の心に計り知れ無い傷痕を残す事に為りました。

 他方で、日本はドイツに宣戦布告をしたものの、欧州戦線で激しい戦闘を行った訳ではありません。日本の関心は、飽く迄もアジア太平洋地域に於けるドイツの権益を奪い取る事に在り、その戦闘での戦死者は千人に満た無い程度でした。細谷氏は前掲書で、当時の元老・井上馨が、第一次世界大戦に付いて語った次の様な言葉を紹介して居ます。

 「今回欧州の大禍乱(だいからん)は、日本国運の発展に対する大正新時代の天佑にして、日本国は直に挙国一致の団結を以て、此の天佑を享受せざるをべからず」

 この様に、ヨーロッパに壊滅的な被害を齎(もたら)した大戦は、日本に於いては自らの国運を発展させる〔天佑〕に過ぎ無かったのです。戦争の恐怖と悲劇を学んだヨーロッパと、戦争に依り自らの権益と勢力圏を拡大した日本とでは、第一次世界大戦の記憶に大きな〔ズレ〕が在りました。

 歴史の転換点と為った「満州事変」


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 その後ヨーロッパ諸国が〔パリ不戦条約〕を結び戦争を違法化して、戦争を防ぐ事に大きな政治的情熱を注ぐ一方で、日本人はその様な新しい潮流に十分に留意する事無く、軍備増強と軍事力行使に依る権益拡大に邁進します。
 取り分け1931年9月18日に始まった〔満州事変〕が国際社会に与えた影響は甚大でした。日本の軍事行動の深刻さに付いて、イギリスの歴史家E・H・カーは、著書で次の様にその重要性を論じて居ます。

 「日本の満州征服は第一次世界大戦後の最も重大な歴史的・画期的事件の一つで在った。太平洋では、それはワシントン会議に依って暫く休止して居た争覇戦(そうはせん)の再開を意味した。世界全般に付いて見ると、第一次世界大戦の終結以後少なくとも露骨な形では現れ無かった『権力政治』への復帰を予告するもので在った」

 又、外交史家のザラ・スタイナーも同様に、満州事変がヨーロッパ国際政治に衝撃を与えた事を次の様に指摘して居ます。

 「日本の指導者達は、国際主義的な道則を歩む事を拒絶して、満州の問題に対して軍事的な解決を好んだ。これ等の事態の重要性は、単なる地域紛争の枠を超えて居た。日本の行動は〔国際連盟規約〕更には〔パリ不戦条約〕に対する挑戦でも在った」
 
 そして、国際連盟事務局で長年勤務をして事務次長迄務めたイギリスのF・P・ウォルターズも同じ様に「日本の満州占領は、国際連盟の歴史、更には世界の歴史に於ける転換点と為った」と述べて居ます。

 「成功は失敗の基」にも為る


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 この満州事変に伴う軍事行動がどの様な意味を持つか、多くの日本人には分かりませんでした。飽く迄もこの問題を、日中の二国間の問題としてノミ考えて居たからです。国際社会に於いてどの様な規範が〔論じられ尊重されて〕居るか、又それが国際秩序全体にどの様な影響を与えるかと云う視点が不足して居たのです。

 日本はこの後、国際社会で孤立して行きます。日本の軍事行動に共感する国は殆ど在りませんでした。結局、日本政府は1933年3月27日に、国際連盟のエリック・ドラモンド事務総長宛ての電報で、正式に〔国際連盟からの脱退を通告〕します。コレで日本の国際的孤立の道が定まりました。

 日本は第一次世界大戦で余りに簡単に勝利を得てしまった為、その後の国際政治に生じた大きな潮流を十分に認識出来ませんでした。国際社会の流れから孤立して、それを敵視する事で、日本は対米開戦と云う誤った道を進んでしまった・・・細谷氏は前掲書でそのように指摘して居ます。


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      細谷雄一『歴史認識とは何か 日露戦争からアジア太平洋戦争まで』12-8-9

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      細谷雄一『戦後史の解放II 自主独立とは何か 後編 冷戦開始から講和条約まで』12-8-11





  日米開戦80年目の真実

 【特集3】「正確な情報」が「無謀な開戦」に繋がったと云う痛恨の逆説



 12-8-1.png 執筆者 フォーサイト編集部  2021年12月6日

 近年、ファクトやエビデンスの重要性が盛んに指摘されて居ます。その裏には「正しい情報」に基づいて考えれば「正しい判断」を行う事が出来ると云う予断が見え隠れして居る様に思えます。しかし「正しい情報」が必ずしも「正しい判断」に結び着くとは限りません。
 経済学者の牧野邦昭氏が著した『経済学者たちの日米開戦 秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く』では〔正確な情報〕コソが、返って政策決定者達を〔無謀な開戦〕へと駆り立ててしまったと云う逆説を鮮やかに読み解いて居ます。

 覆された通説


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〔非合理的〕〔情報軽視〕と云ったイメージの在る日本陸軍ですが、実際には開戦前に多くの一流の経済学者を〔秋丸機関〕に動員して、日本の他アメリカ・イギリス・ドイツ等の主要国の経済抗戦力を詳細に調査して居ました。
 しかし、そこ迄して陸軍が正確な情報を得て居たにも関わらず、日本は80年前の12月に米英に宣戦を布告し、太平洋戦争に突入してしまいます。それは何故だったのでしょうか?

 これ迄の通説は、秋丸機関が米英と日本の経済抗戦力の巨大な格差を指摘する報告書を提出したにも関わらず、陸軍首脳がソレを〔国策に反する〕ものとして焼却処分してしまい、開戦に踏み切ってしまったと云うものでした。
 しかし、牧野氏は、焼却処分された筈の報告書を発見し、通説が事実と異なる事を前掲書で明らかにしました。しかも、報告書に書かれて居た情報は、特に極秘とされて居た訳では無く、秋丸機関の関係者達が雑誌等で自由に発表して居た事も分かりました。詰まり通説は誤りだったと云う事です。

 何故リスクの高い方を選択してしまうのか?


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 では、日本の指導者達は正確な情報に接する機会が在ったのに、何故米英と戦争すると云う非合理でリスクの高い選択を行ってしまったのでしょうか? 牧野氏は前掲書で、行動経済学を使って説明を試みています。
 経済学では「人間は合理的に意思決定する」と考えられて居ますが、実際には人間は非合理的に見える行動を取る事が好く在ります。例えば、以下の2つの選択肢の内ドチラが望ましいかと云う問題を考えてみましょう。

 A 確実に3,000円払わ無ければ為ら無い。
 B 8割の確率で4,000円支払わ無ければ為ら無いが、2割の確率で1円も支払わ無くても好い。


 Bの損失の期待値は3,200円(4,000円×0.8+0円×0.2)で、Aよりも損失は大きく為ります。従って人間が「合理的」で在れば、より損失の小さいAを必ず選ぶ筈ですが、実験をしてみると実際には確実に損失が生じるAよりも〔高い確率でより多くの損失に為るが、低い確率で損失を免れる事も在るBを選ぶ〕人が多い事が判って居ます(或る実験では92%がBを選択して居ます)詰まり、人間は損失を被る場合にはリスク愛好的(追求的)な行動を取ると云う事です。

 行動経済学による説明

 何故この様な選択肢が選ばれるのかを説明するのが、近年急速に発展して居る行動経済学に於ける〔プロスペクト理論〕です(D.カーネマンはこの業績等により2002年にノーベル経済学賞を受賞しています)

 〔プロスペクト理論〕では通常の経済学が財の所有量に応じて効用が高まると仮定するのに対し、或る水準(参照点)からの財の変化の量に注目します。簡潔に云うと、人間は現在所有して居る財が1単位増加する場合と1単位減少する場合とでは〔減少する場合の方の価値を高く評価〕するのです。
 その為、人間は損失が発生する場合には少しでもその損失を小さくする事望みます(損失回避性) そうすると、選択肢Aでは確実に3,000円を支払わ無ければ為りませんが、選択肢Bでは2割の確率で損失は0に為るので、人間は低い確率で在っても損失が0に為る可能性の或るBの方に遂魅力を感じてしまい勝ちなのです。

 更に〔プロスペクト理論〕では客観的な確率がそのママ人間の主観的な確率と為る訳では無く、心の中で何等かの重み付けをされると考えます(客観的には2割の確率でも主観的には3割と考えられるかも知れ無い)
 客観的な確率と主観的な確率の乖離は実証されて居り、自然災害等の客観的には滅多に起き無い現象は主観的には高い確率として認識される一方、生活習慣病に依る将来の死と云った客観的には高い確率で起きる現象は主観的には低い確率として認識されて居ます(だからコソ〔当選確率は極めて低いのに多くの人が宝くじを購入する〕〔将来ガンに為る確率が高いのに多くの人が喫煙する〕と云った現象が起きるのです)

 それ故、先程の選択肢Bで「1円も支払わ無くても好い」と云う確率が主観的に過大に評価され(例えば3割)AよりもBの方が望ましいと考えられて選択される事に為るのです。

 「ジリ貧」よりも「開戦」と云う判断


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 サテ、昭和16年8月以降の当時の日本が置かれて居た状況は、先程の選択肢A及びBと殆ど同じ様なものでした。日本の選ぶべき道は、政策決定者の主観的には2つ在りました。

 A’ 昭和16年8月以降はアメリカの資金凍結・石油禁輸措置に依り日本の国力は弱って居り、開戦しない場合、2〜3年後には確実に「ジリ貧」に為り、戦わずして屈伏する。
 B’ 国力の強大なアメリカを敵に回して戦う事は非常に高い確率で日本の致命的な敗北を招く(ドカ貧) 


 ・・・しかし〔非常に低い確率〕では在るが、もし独ソ戦が短期間で(少なくとも1942年中に)ドイツの勝利に終わり、東方の脅威から解放されソ連の資源と労働力を利用して経済力を強化したドイツが英米間の海上輸送を寸断するか対英上陸作戦を実行し、更に日本が東南アジアを占領して資源を獲得して国力を強化しイギリスが屈伏すれば・・・
 アメリカの戦争準備は間に合わず抗戦意欲を失って講和に応じるかも知れ無い。日本も消耗するが講和の結果南方の資源を獲得出来れば少なくとも開戦前の国力は維持出来る。

 詰まり、日米間の国力の巨大な格差を正確に指摘した秋丸機関の報告書を踏まえれば、開戦が無謀で在る事は判るのですが〔プロスペクト理論〕に基づけば、夫々の選択肢が明らかに為れば成程〔現状維持よりも開戦した方が未だ僅かながら可能性が在る〕と云うリスク愛好的な選択へと導かれてしまうのです。

 「正しい情報」が「正しい決定」に繋がるので在れば〔開戦回避〕と云う結論に為る筈ですが、実際は上記の通り、寧ろ〔正しい情報〕故に〔開戦〕と云う結論が下されたと考えられるのです。
 勿論コレは単純化した説明で在り、牧野氏の著書では、他の様々な要素(日本の指導者の長期的なビジョンの欠如、集団心理に依る強硬論の支持等)も、開戦の意思決定に重要な影響を与えて居た事が示されて居ます。

 現代でも〔正確な情報が在った筈なのに、何故この様な残念な結果に為ってしまったのか〕と疑問に思う事が屡々起きて居ます。そうした失敗を繰り返さ無い為にも、80年前の日米開戦の教訓から学ぶ価値が在りそうです。






 【特集】日米開戦80年目の真実

 【特集4】華族将軍の「タンネンベルク信仰」が玉砕精神を生み出した



 12-8-1.png 執筆者 フォーサイト編集部  2021年12月7日


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 今年12月8日、日米開戦すなわち真珠湾攻撃から80年を迎えます。日本は何故「必敗」の対米開戦に踏み切ってしまったのでしょうか・・・思想史研究者の片山杜秀氏が著した『未完のファシズム 「持たざる国」日本の運命』は、或る華族出身の陸軍将軍が「劣勢の日本軍が優勢なアメリカ軍を〔必勝の信念〕で包囲殲滅出来る」と云う狂気染みた論理を生み出してしまう過程を描いて居ます。

 小畑敏四郎の「タンネンベルク信仰」



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 華族出身の陸軍軍人で〔作戦の鬼〕の異名を取った小畑敏四郎は、第一次世界大戦時に観戦武官としてロシア軍に付いた経験が在りました。その際、強い影響を受けたのが、大戦最初期にドイツ軍の寡兵(かへい)がロシアの大軍を包囲殲滅した〔タンネンベルクの戦い〕です。
 云わば〔短期決戦+包囲殲滅戦(ほういせんめつせん)〕の戦法ですが、実はコレが成功したのはタンネンベルクの戦い位で、後は一度も実現されませんでした。

 処が〔タンネンベルク信者〕で在った小畑は、参謀本部作戦課長として陸軍の戦争指導マニュアル『統帥綱領(とうすいこうりょう)』『戦闘綱要(せんとうこうよう)』の改訂を主導した際に、コノ〔短期決戦+包囲殲滅戦〕を一般的戦闘法として綱領化します。
 即ち、速戦即決の殲滅戦で一気に決める。突然に天佑神助(てんゆうしんじょ)の様に訪れるかも知れ無い勝機を絶対逃さず敵を叩き潰す・・・そう云う戦争をしたい時は、外交や政治は無視して将帥の独断専行を認め無いと敵の意表も衝け無い・兵隊や兵器や弾薬が足りなくても気力と創意工夫と作戦で補えば、如何に劣勢でも勝てる・・・と大胆に主張したのです。

 この改訂からは、後の日米戦争に於ける補給無き戦闘やバンザイ突撃や玉砕の情景が透けて見えて来る様です。

 殲滅戦思想(せんめつせんしそう)の顕教(けんきょう)と密教(みっきょう)


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 処で〔作戦の鬼〕と呼ばれ、陸軍大学校の校長迄務めた小畑は、こんな戦争指導で本当に勝ち目があると信じて居たのでしょうか。
 片山氏は前掲書で、実は小畑も〔ソンな事は不可能〕だと確信して居たと分析して居ます。タンネンベルクの戦いを熟知して居た小畑は、ドイツ軍がロシアの大軍を包囲殲滅出来たのは、ロシア軍が素質劣等(そしつれっとう)だったからで在って、素質優等(そしつゆうとう)な相手には通用し無いと考えて居たと云うのです。

 新『統帥綱領』は建前、云わば〔顕教(けんきょう)〕でした。陸軍には一流国の大軍と戦う能力は無いので、アメリカやソ連と一戦を交えるナンてヴィジョンは端から無い。速戦即決の殲滅戦で勝てる弱い相手としか戦う積りが無い。
 でも、最初からその様に公言してしまうと軍の自己否定に為ってしまうので、表向きは「強敵相手でも包囲殲滅戦で勝てる」と強弁する。要するに「強い相手とは戦争しない」と云う本音は〔密教〕として、参謀本部の幹部の胸の内に留めて置く積りだったのです。

 皇道派の失脚が生んだ「玉砕精神」


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 処が、小畑に取って想定外の事態が発生します。1936年の「二・二六事件」です。この事件の余波で、小畑等が連なる「皇道派」の軍人が要職から悉く外されてしまいます。その一方で『統帥綱領』『戦闘綱要』の文言はそのママ生き残りました。
 その結果、密教として文章化されて居ない教義は忘れ去られ、顕教として書かれて在る文言だけがそのママ信じられて暴走して行きます。

 画して、装備劣悪で寡勢の日本軍が、装備優秀で多勢のアメリカ軍等を〔必勝の信念〕で包囲殲滅しようとする、如何にも無理筋の戦いが始まってしまったのです。更には〔必勝の信念〕がエスカレートして〔敵を殲滅出来ずとも味方が殲滅される迄戦い続ける〕と云う飛んでも無い哲学が生み出されて行きます。所謂玉砕精神です。

 相手の強さ弱さの次第に依って〔殲滅精神は容易に玉砕精神へと転倒してしまう〕・・・片山氏は前掲書でその様に指摘して居ます。小畑の失脚に依り、想定外の用いられ方をされた『統帥綱領』『戦闘綱要』は「狂気の沙汰」の教典と化してしまったのです。



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      片山杜秀『未完のファシズム 「持たざる国」日本の運命』12-8-20

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      牧野邦昭『経済学者たちの日米開戦:秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く』12-8-21



 【管理人のひとこと】

 日本の無謀な戦争への意思決定を、この様に多角的方面から考えた文章は少ないでしょう。私は初めて目が覚めた様な感覚を味わって居ます。特集1〜4迄の提言全てが正解だ・・・と云っても過言では在りません。
 私は「戦争は悪だが、自国が生き残る為には時には戦う事も在るかも知れ無い・・・」との肯定はしないが想像だけは否定し無い人間です。無論、この戦争の一部始終(私が知り得た)では、その全てが非人間的で在り非人道的でも在り到底肯定出来るものは何一つも在りません。

 特に敗戦・失敗だと認めても玉砕戦を敢行したり、初めから玉砕覚悟で作戦を立案したり、初めから食料も持たずに行動し病死・餓死を繰り返したり、自己の死を前提とした特攻攻撃には到底許す事の出来ない憤りを覚えます。余りにも人命を軽んじた戦いに勝利は無いのです。
 我が国の軍人の戦死者の大半は、終戦の一年間に集中して居ます。その死因の多くは病死・餓死なのです。立派に戦いそれで負けたなら、進んで敵に白旗を掲げて降り敵の温情を受け入れる・・・戦争には、この様な人道的人間的な戦いも在る筈です。
 何時の時代に為っても戦争を考えるのは、国民の義務で在り平和を希求する国民の権利でも在ります。12月8日は、多くの国民が新たな平和な思いを確認する日で在って欲しいものです。






















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