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どうぶつえん その2

キリンとマンション。

都会の動物園の醍醐味は、
こうした背景にあると思います。
マンションの前にキリン。
とてもわくわくしませんか?



もしも動物園にえさが無くなったら、
2階に住んでる私が草をあげる。
そんな想像をしてたらずっとこの場所にいました。

ひさしぶりにしっかりと見たアザラシ。



ガラスの向こう側はとても狭い空間に見えるのに、
泳いでいる姿はとても気持ち良さそう。
家族なのか、数匹ですれちがう姿はかわいらしかったです。
満足そうに目をつむっていたのはお父さんだったのかな。


もふもふの定番。


ハムスター!ではなく、ねずみ。
ねずみたちはあっちこっち動き回り、
誰彼踏み、食べては眠り、
手に持ってるものを落としたら忘れ。
集まっては重なる。
その繰り返しでした。

なぜこんなに同じ事ばかりするのだろう。
そのわりにのんきなんだろう。
同じことを動物たちにも思われているのでしょうか。

(つづく)

どうぶつえん

上野動物園にショートトリップ。

ときどき動物の『もふもふ』を求めてやってくるのがここ。
イチゴのパイの実持ってレッツゴー。


ラマと石。
石とラマ。



うん。動かない。
ラマも石も、閉館まで同じ場所にいらっしゃいました。





続いては、
ペンギンサラリーマン。
電車の中で立ってるペンギンみたいだ、という話に同意。


彼ら、子供にわーわー言われても動かず。
動かないんじゃなくて、動けない、の図。
満員だから。



比べてアリクイってばずーっと動き回っている。


もうほんとにずーっと。
ぐるぐるぐるぐる。
その様子をじっと見ていたら、顔がしっぽに見えてきた。
そして、頭を見失った首にも見えてきた。
背中の模様も気になってきた。



とても哀しそうなしまうまさん。



なにがあったのかな。
かんがえてみよう。
●たいせつなボーダーの黒が1本なくなった!
●ちょっとだけバランスの悪い自分を鏡で見た
●かかとってどこ? 悩み、人間の足を見ている
●恋
●暑い
●身長を考えている

うーん。


以前、黒柳徹子が言っていた話。
動物の写真を撮るときはきちんと「撮らせてください」と言うと
すてきな写真が撮れると。

うーん。

結構話しかけたんだけど。
ということは、これがベストショットなわけです。

どうぶつたちは住み込みの仕事なのですから疲れますよね。




(つづく)

ハンサムという名のもとに

以前、お絵描き教室のブログをアップいたしましたが、
こちらの教室をおしえてくれたのは、
イラストレーターの永井ひでゆきさん。
なぜタイトルにハンサムと出したかというと、
梅佳代さん連載の「街角のハンサムさん」で紹介されていたからです。

最初、これまたとある知り合いに永井さんとハンサムの話を聞いたとき、
なぜか私は椎名桔平を想像していて、
イラスト、霊界、ハンサム、お絵描き。
全く結びつかない存在にもやーっとしたものです。

しかしお会いした感想は、お兄ちゃん。
従兄弟のお兄ちゃんに
両腕を引っ張られてぐるぐる回って遊んでもらったことを思い出しました。
ハンサムとか椎名桔平とか、ほんと勝手にすみません。
(ハンサムを否定しているわけではありません)

そんな永井さん、最近ではあの6次元でイベントを開いていましたよ。
その名も「コケナイト」。
(イベントは残念ながら終了)
「コケはともだち」という本の出版に合わせたものです。

コケはともだち




永井さんはこちらのイラストを担当されているそうです。

永井さんそれだけでなく、
いろんなものが見えるらしいですから。
(それは永井さんを紹介してくれたある人の話につながっていく。
詳細は後日)



永井さんは本当に多才です。
ハンサムなだけでなく多才なので、
そのうちananの表紙を飾ってくれることを想像しています。



「コケはともだち」
「コケはともだち」
繰り返してみると、不思議なきもち。
すべるのも怖くない。

この写真見ていると、ほんと、みなとさん。
見えてるんでしょうか。


SHIBAURAHOUSE

うまれたてのSHIBAURAHOUSEに取材に行ってきました。
本仕事はちょっと別にありましたが、
内見も含めて初見!!

まわりの空気がぴたっと止まる、シンプルで清潔感溢れる建築でした。



階段もかっこいい。
すべりだいのようで遊びたくなります。


かわいらしいウサギが3匹。



すわってーすわってー

このイス、金沢21世紀美術館にもありました。

そうです。
SHIBAURAHOUSEの設計者、
建築家ユニット妹島和世+西沢立衛/SANAA さんデザインのものなのです。

SHIBAURAHOUSE

とっても開放的で、気持ちのいい場所でした。

例えるならプールのよう。








今後の展開はまた後日報告します。

お絵描き教室 その3



人は(もちろん動物も植物もだけれど)
なにかを生み出す事ができて、
それによって誰かを感動させる。
こどもたちに会うとそんな単純なことで
いちいちわくわくするのです。
ありがとうー。




こどもたちの絵はいつでも無限の可能性を持っている。
なぜなら、意味と経験で結ぶことを大人よりも自由に出来るから。



その可能性をいっしょに楽しんでひろげていくのは大人の責任です。
もちろんその環境をつくってあげることも。
矢野さんの関わり方、とても勉強になりました。



高円寺おえかき教室のお問い合わせはこちらまで
mizuisu@vivid.ocn.ne.jp
矢野まり

お絵描き教室 その2

先日のお絵描き教室でのこどもたちの絵です。




テーマは作られておらず、全て矢野さんのきっかけづくりと
こどもたちの思いつきで描かれていきます。



なので、うずうずしている子もしばしば。
何を描こうかな。
何したらいいかな。
だけど、その顔はとってもかっこいい。
そして生まれた絵もとってもかっこいい。



(つづく)

お絵描き教室 その1

ある紹介で、高円寺のお絵描き教室に参加してきました。
アーティスト矢野まりさんが運営しています。

実は私、お絵描き教室なるもの初体験でした。
小さい頃、通っているお友達はいましたが、初めての入門。
しばし緊張しながらたたくドア。
中にはすでに元気いっぱいの男の子がひとり。
スケッチブックを埋め尽くす絵を描いていました。
数分でいっきに描きあげた様子に感動。
エネルギーがあふれております。

次々に子供たちが登場し、
みんなとにかく元気いっぱい。
生徒さんは同じ幼稚園に通うお友達なのだそうで、
やってくるなり大騒ぎ!
こんなに元気な子供たちの描く絵は
いったいどんなものなのだろう。
ドキドキわくわく。

使いたい道具や用紙は自由。



のびのびとそれぞれの好きなように描いていく絵。




出来上がると見せてくれる絵と笑顔。
こちらも思わずにっこり。
私もつられて絵を描いたりして。

子供たちが使った紙に
色鉛筆で描き加えて、どうぶつにしてみました。
どんなどうぶつかわかるかな??




こどもたちが色やかたちに真剣に向き合っている姿は
自然と私の手を動かしました。
いっしょに時間を過ごして、ただただ赤や黄色などに向き合う。
それだけでずいぶんとどっぷり頭が動き回りました。
子供たちはやっぱりすごい。
吸収したものを頭の中で広げて
こんなふうにまっすぐに表現するんだもの。
それをつなげたり大きくできるのは大人の力。
いっしょに大きくなりたいな。



今回の教室での子供たちの絵、すてきな作品ばかりだったので、
次回は作品をアップいたします。
おたのしみに。

高円寺おえかき教室のお問い合わせはこちらまで
mizuisu@vivid.ocn.ne.jp
矢野まり

かんたん魔法

ときどき、生活の中に魔法をかける

それは写真を撮るってこと

写真を撮ると、

時間が止まる

止まった時間を見る事ができる

それは前後の時間スイッチを無限にする

頭の中で動き出す


ことばたち

その昔、
ラリー・クラークの展示がワタリウム美術館で開催されていたとき。


ポエトリーリーディングのイベントがありました。
ポエトリーリーディングというと、
小さいときに、読み聞かせ会での想い出が最後。
ほのぼのな印象が強かったものですが、
このイベントでは荒々しかった。
暗がりで。
丸くなって、囲まれて。
まわりにはラリー・クラークの写真があるわけで。

ビッチ!
とか簡単に出てくるんじゃないかと思った。

そこで園子温さんたちが読んでいた詩の中に、
敬愛なるジャック・プレヴェールのものがありました。


ことばたち




彼の詩はとても好きです。
原文で読んでいたわけではないので、
高畑さんの翻訳で感じたことですが、
すごく寂しくて、深いところにある詩です。
まるまるとはしていない。
ほそくて、すり切れそうで、
風に揺れてなびくと飛んでいってしまいそう。
どうか忘れないで、自分にしっかりと言いたくなったり。

その彼の詩を、他人の口を通して聞いたのは
そのイベントが初めてでした。
やはり他人が読むとリズムが全然違う。
リズムが違うだけで、
匂いがまるで違う。
失われそうで弱い儚さというより、むきだしの脆さ。

園さんの脚色もあったのでしょうが。
どくっとだらっとした血のような。
ぎらっとした汗のような。
しっかりと生の匂いを感じて、
そうか、と見回しました。

ラリー・クラークの写真に潜む孤独感と
かっこよさ、小さくて広い感じ。
教室の中は安全で、
そこから見る窓の外は不穏できれいで。

匂いの感じる作品は時に痛く、
だけど忘れてはいけない気がする。

あんな矛盾、を知っていないとちょっと世界は苦しいと思う。



ただそのまま

部屋の中には、
ただ置いただけ、
ただ吊るしただけ、
のもので溢れています。

でもよく見ると、
そのものたちは
その瞬間のかたちを持っている。

それが美しくてたまらないのです。
風にゆれた紙とか髪とか草とか
そういったものもしかり。

次に見たときには、
また別のかたちになっていて、
それもドキドキします。

ことばもきっとそう。
ドキドキ。

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プロフィール

しらくまいく子
携帯アプリのシナリオライターと、    『するところ』のライター、ポエガールをしています。
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