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2014年02月09日
399. SEKAI NO OWARI ルームシェア・ライブハウス・バンド名 「 AーStudio」
ギターのNakajinさん、ピアノのSaoriさん、ボーカルのFukaseさん、サウンドセレクターのDJ LOVEさんの4人組バンド。
2011年に彗星のごとく現れ、若い世代から熱狂的な支持。幻想的な世界観とメッセージ性の強い歌詞。
猟奇的な一般の市民は世界中で血の雨を降らし、「セカイ」中で一つになってこういうんだ「世界平和」…
昨年野外フェスティバル「炎と森のカーニバル」で3日間6万人を動員したそうです。
「初めまして」と鶴瓶さん。皆が頭を下げている中、Saoriさんだけがお茶を飲んでいて…。
そのSaoriさんとFukaseさんは、幼稚園〜中学校の友だち。FukaseさんとNakajinnさんは、小学校・中学校。FukaseさんとDJ LOVEさんとは高校の友だちと、4人の中心にいるのはFukaseさんのようです。
ちなみにDJさんは2代目で、初代の方は2008年に脱退されたそうです。
歌の特訓
「昔からそんなに(歌)うまかった?」と鶴瓶さん。
「歌は練習しました」とFukaseさん。「カラオケでずーっと…。ずっとパンクロックをやっていて、自分の声に合わないな…と思って」
カラオケ以外にもSaoriさんの自宅でも練習したそうです。Saoriさんは音楽大学に通っていて、自室を防音にしていたそうです。
「『シャウトを練習させてくれ』って、よくお母さんに怒られて…」とSaoriさん。
Nakajinさんはパンク時代も「一緒にやってました」「最初は2人だけでやっていて、夜通しシャウトしたり…」
「2人のシャウトを6時間ずっと聴くという…1曲も歌えない…」とSaoriさん。(笑)
こういう話の最中にSaoriさんのお腹がグー。空腹?
「リンゴ持ってきたって!」と鶴瓶さん。(笑)
ルームシェア
メンバー全員およびスタッフたちは共同生活をしているそうなのです。
「公共料金はみんなで割って」とSaoriさん。「3年くらい…」
「ケンカとかはせえへんの?」と鶴瓶さん。
「FukaseとSaoriはすぐケンカする」
「顔はやめて」とマネージャーがSaoriさんに頼んだのだとか。Saoriさんは激しい性格?
共同生活は、ある印刷所の下にライブハウスを作ったころから始まったそうです。その名は「club EARTH」。
「作りました、自分たちで…」とNakajinさん。ここで雑魚寝していたそうです。まさに寝食をともにした仲間ですね。
「なんか自信はありました」とNakajinさん。
「Saoriさんは?」
「思ってなかったです…」(笑)「シャウトの状態では絶対無理だと思ってましたね」
同居人の佐藤さんは、「Fukaseは歌が下手だった」。これに対し、カチンと来たのはSaoriさん。「ひどい!」
DJ LOVEさんは、「ムードメーカーだが、なんにもしなさすぎる」
ライブハウスの大家さん
世に出るにはその陰に強力な支援者がいるものですが、ライブハウスの大家さん、新井美和さんが、セカオワの応援団長と言えそうです。
「すごいよ、あの人…。あの人と出会ったから、今があるんちゃう?」と鶴瓶さん。
Nakajinさんがスーツを着て、借りる交渉をしたそうです。その結果、好きなように改装させてくれたそうで。
「当時から新井さんは『どうして私たちにこんなに優しくしてくれるんだろう』と…」とSaoriさん。
近所からの苦情はすべて新井さんが対応してくれたそうです。そしてCDができると、新井さんは町会長のところに持っていったのだとか…。
さらに武道館でのライブのとき、新井さんは赤飯を炊いて苦情を言っていた近所に配ったそうです。
「すごいですね…そういうことを言わないんです」とFukaseさん。
バンド名のルーツ
「長くなるんですけど」とFukaseさん。「ぼく自身が病院に行ったりとか、入院してたり、閉鎖病棟で…。ずっと病気で薬を飲んでたんですけれども…。そのときに発達障害でなにも…勉強も続かないということがあって…。ずっと入院したときから医者になりたくて、勉強…3年間くらい受験勉強してたんです…」
「ある日、ノート見たら自分の字だと思えなくなってしまって…。すべてやってたことが思い出せなくなって、そのときに世界が終わったと思った…。ここまで落ちたらなんでもできるだろうという瞬間から、何かを始めようと思って組んだのがバンドなんです」
それに共鳴したのが、NakajinさんやSaoriさん。
「(Nakajinは)塾の先生だったんで、数学を教えてもらって…」とFukaseさん。
「ええやつや…。ようおったな」と鶴瓶さん。(笑)
「ぼく学校行かなかったんですけど、毎日迎えに来てくれたんです」とFukaseさん。
Fukaseさんには人を惹きつけるものが備わっているようですね。
「もともと勉強とかできずに、通信簿も全部1だったので、自分に自信がなくて…」とFukaseさん。「こんなに出来ないんだから、何か出来るだろうと、一所懸命探して…今の音楽スタイル…」
今のFukaseさんの目標は、「このメンバーでずっとやりたい」「仕事が嫌だと思ったことは一度もない…」「楽しいから…」
私の周りの若い友人もセカオワが大好きで、どういうバンドか知りたい、と思っていたときの「A-Studio」への登場。
ああ、今日も長々と書いてしまった!でも、このバンド、短くまとめられません。
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2014年02月08日
398. 剛力彩芽 夢・髪型・ダンス・家族 「徹子の部屋」
「19歳でブレイクなさったんですけど…ご本名でいらっしゃる」と徹子さん。「今日初めてお会いするんですけど…。びっくりしたのはこんなにお顔が小さいのかと…」「本当にバランスがいい」
身長は162pとのことですが、大きく見えます。
自分の名前が好きだという剛力さん。結婚しても「できれば変えたくないですね」「強そうって言われます」
徹子さんは新人のころ(NHK時代)、「黒柳」という苗字が嫌だったそうです。
「大変でしょ?黒柳ってごちゃごちゃしてて…。書くのが大変で、NHKに『苗字変えたいんですけど。芸名付けたいんです』『何にしたい?』『白柳リリーっていうのが良いです』」
白柳リリー?
「『お前が良けりゃ、黒柳でもなんでも覚えてくれるんだから、それでやりなさい』と…」
その上司の方が賛成していたら、「白柳リリー」さんになっていたのですね…。「リリーの部屋」…。スナックの名前や…。
長い髪をバッサリ
剛力さん、幼いころからずっと髪は伸ばしていたそうです。
ドラマの役柄で「切ってください」と言われたとか。
「怖かったです。初めてのベリーショートで…」「生まれて初めてだったので…」今は「自分の性格にも合っている気がします」
ベリーショートにしてからのブレイク。「髪を切って」と言った方は恩人ですね。
お母さんやお姉さんも同時に切ったそうです。
「母が今、どんどん短くなって…」
踊りは5歳から
CMでの踊りが話題になりました。
「あなたずいぶん踊りうまいのね」と徹子さん。
「5歳から習ってます」ダンスコンテストで賞を獲ったこともあるそうです。
お姉さんと2人で激しいダンスをしていました。
「芸能界はどうですか?」
「…楽しいですね。私、9歳、10歳のころに芸能界に入っているので、そのときは大人の世界だったので、ドキドキして…」
「今はすごく楽しくて、幸せで…」
7歳で見つけた夢
遊園地で遊んでいた時のこと。雑誌のカメラマンが近づいてきて、「スナップ写真を撮らせてほしい」と。
初めてプロのカメラマンに写真を撮られたのですが、「すごく楽しくて…。『私はモデルになる』って…」
9歳で「美少女コンテスト」に応募。2次選考で落ちましたが、そのとき芸能プロダクションの人に声をかけられ、芸能活動をすることになったそうです。
しかし、オーディションには落ち続けます。
「ずっと落ちました。落ち続けて…」と剛力さん。「悔しくて…」「次はこうしようと考え続けて…」
雑誌「SEVENTEEN」の専属モデルに選ばれたのは15歳のとき。迎えに来てくれたお母さんとお姉さんにクルマの中で報告したそうです。「皆で号泣して…」
20歳になって
20歳になったときに、家族でお酒で乾杯したのだとか。
「お父さんが喜んで…」2人の娘と杯を交わすのがお父さんの夢だったのかもしれませんね。わかるなあ…と思う私(よしろう)でした。
ご両親はとても仲が良いそうで、お父さんがお母さんに送ったラブレターは、剛力さんのお守りになっているとのこと。「強くなれることがたくさん書いてあって…」
「いいお嬢さんだなあ…」とウルウルしかける私でした。家族構成が剛力さんのお宅と同じなので感情移入してしまいます。姉妹の仲がいいのも似てる…。
お姉さんは今、看護師になる夢を実現すべく頑張っているそうです。
珍しい名前なので「剛力彩芽って親戚?」と訊かれるそうですが、「妹です」ときっぱり答えるのだとか。
お父さんからの手紙
最後に徹子さんがお父さんからの手紙を読みます。ああ、苦手です、こういうの…。
彩芽へ手紙を書くのは初めてかもしれませんね。小さいころから出張ばかりで、あまり家にはいなかったパパですが、思春期を迎えても仲良くしていられるのはママのお蔭でしょうかね…。お互いに感謝しましょう。
最近の彩芽はたくさんのチャンスと支えてくれる方々に恵まれて、誰にでも味わえる訳ではない種類の充実感や達成感を得ているのだと思います。
画面に映る彩芽はいつも笑顔で、親バカ丸出しで、ニヤニヤしながら応援しています。娘としての彩芽はもう少し睡眠をとってほしいし、ゆったりと食事をとってほしいと思いますが、期待されている、必要とされているときに頑張ることは大切なことです。
パパが言うまでもないですが、信念を持って突っ走ってください。自分がなりたい夢を描き、周囲への感謝を忘れずに自分が何をすべきかをよく考えて行動すれば、万人が認めてくれることはないにしても、理解してくれる人はいるはずです。
5年後も10年後も、彩芽らしい、「剛力彩芽」であることを願っています。 パパより
徹子さんが読み始めてから泣きっぱなしの剛力さん。
「すみません…」「うれしいです」「仕事の相談、よく父にします」「これ、お守りにします」
この笑顔の陰に強力な家族の支えがあると…。これからもご活躍を。
2014年02月07日
397. ゆず まかない・太っていた・戦国時代・家系図 「あさイチ」
いきなり画面に登場。
「あんなに元気だった源ちゃんが…」と北川さん。「あさイチ」の直前に放映されている連ドラの話題です。
「朝から飄々と喋ってますね…」と岩沢さん。
ここで有働さん、井ノ原さんが現れます。「けっこう尺使いましたね…」(笑)
「ごちそうさん」の俳優さんのものまねをする北川さん。そして有働さんの言い間違いを揚げ足取りまくる2人…。子どもか!…いきなりのゆず色です。
「『ごちそうさん』に出てきたもので何が食べたいですか?」
「スコッチエッグから始まり、焼き氷…、かき鍋もおいしそうだったし、すじカレーも…」と北川さん。目が真剣です。
「完全におのぼりさんですね…。申し訳ないです」と気を遣う岩沢さん。
裏ゆず?
2人と仲のいい、西川貴教(T.M.R)さんへのインタビュー。
「シャイだし真面目だし、地元を大事にしていて…」とまずは持ち上げ、「常にモテることを意識している。すごくずるいんです。計算がね…。」そして、「紅白でずっと話していたんですけど…。卑猥で…」
「たくさん人がいるのに、どうして西川さんに…」とやや憤る2人。「でもありがとうございます。」
下ネタ(?)を振ってきたのは西川さんの方だったと言う2人。果たして…。
早すぎた成功?
横浜・伊勢佐木町でのライブが1997年。翌年には横浜・文化体育館でのライブ。2001年に東京ドーム。そして、2004年にはアテネオリンピックのテーマ曲「栄光への架橋」と、まさに順風満帆に見える2人です。
「爽やかな歌声で16年間、第1線…」と有働さん。
しかしなかなかご苦労もあったようで…。
デビューして間もないときに、ファストフード店にいたら自分たちの歌が流れてきて、すごく「とまどった」そうです。
「ただ必死でした…。『ツアー決まったから』『ええっ!』って…」
気が付いたらトップアーティストの仲間入り。
「ドームのころはいっぱいいっぱいで…。でも、ステージ上で自分を取り戻した…」と北川さん。
「大好きでやっていたものが」どんどんビッグビジネスになっていくのに違和感を感じて…。
「でも最終的には音楽に帰ってくるような…」
10周年のころは「すれ違い」があったそうです。2人で話せばいいことを、間にスタッフを通したり。そして2人の出した結論は、「もっと2人で過ごす時間を増やそう」でした。
「最初はちょっとぎくしゃくして…。敬語で話したり…」
「昔の彼氏、彼女が話すような?」と有働さん。
そうして取り戻した初期の感覚。10周年以降の活動はすごく自由になったそうです。
「今は楽しい…。ゆずをやっていることが」と北川さん。
モテ度・フェチ・コンプレックス
北川さんは中学のころまで全くモテなかったそうです。
「ぼくは中3まで肥満だったんです」「渡辺徹さんに似ていたからあだ名が『徹ちゃん』」(笑)「高校になってバスケットを始めてから今の自分に…」
「高校からはモテた?」と井ノ原さん。
「男子校だったんで…」(笑)
岩沢さんは「嫌われてもいない、すごくモテていたわけでも…」。
中学のころ、バレンタインのチョコをもらったそうですが、お返しをしなかったので大変だったとか。
「一番モテたのは幼稚園のころ…。あれ以上はきっとないですね…」
北川さんは「まかないフェチ」だそうです。
「食べるのがすごく好きで…、外で食べるのも好き」
メニューだけでなく、その店の、いわゆる「まかない」も食べたくなるそうです。
秘訣は「店員さんと短時間に仲良くなる」。名前を読んで意見を聴くのがいいのだとか。「最終的に『まかない』にたどり着き、それがメニューになる」こともあるそうで。
岩沢さんは「お家(いえ)フェチ」。お家とは?
「戦国時代が大好きで、家系図を見て、『ここで失敗した』とか、『こいつがダメだったんだ…』」と想像するのが好きなのだそうです。
「そういう見方もあるな…」とクールな北川さん。
北川さんのコンプレックスは「方向音痴」。
家を出てランニング。道に迷って「ディープな場所に入って…」(笑)
30分のつもりが2時間になることも…。
大変なのはクルマでのでのデート。「駐車場で、クルマを置いていた場所を忘れて…」「冬なのに汗がびっしょり…」
岩沢さんのコンプレックスは「声でした…」と過去形。
小・中の頃、音楽の時間の合唱で、自分の声が周りと合わない…。
「自分で歌うようになって、『キーってあるんだ!』」キーが合わなかったのですね。
司会の2人も含め、4人で「栄光への架橋」を歌って、ノリノリのゆず。いい意味でのアマチュアらしさを失わずにこれからも活躍してほしいものです。
2014年02月06日
396. 藤井フミヤ チキンカレー・趣味・山登り 「笑っていいとも!」
番組出演最多だとか。並んでいるのが和田アキ子さん。
「和田さんが(この後)出るかどうか分からないですけど、一応男子1位…」とタモリさん。(拍手)
「21のとき、多分初めてだと…。今51なんで…」(ええ!という声)「30年間、本当にお世話になりました」(拍手)
「え!?50過ぎた?若いね…」本当に若い…えらい違いや…。(誰と?)
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今日のお土産は
「タモさんがチキンカレー作るの、好きだってことで…」
「大好き」とタモリさん。
「自家製、チキンカレー用のカレー粉を9時に摺ってまいりました…。ガラムマサラも…」ガラムマサラ…ミックススパイスのようです。
「チキンカレー」で検索すると、「タモリのチキンカレーレシピ」が上位に表示されるそうです。(笑)
タモリさん、贈られた瓶を持って、「これ、配合、自分でやったの?」。
「これ、初めて作ったタイプで…食べてみないと分からないんです…」
「凝ってるね…。粒から全部?」
「全部…すごいにおいする」とフミヤさん。
タモリさん、ふたを開けて、「…ガラムマサラ…」とニヤリ。「売ってるのと全然違うね」
「こぼさないでください。すごいことになるんで…」
「凝ってるね…。おれもここまで凝ってないよ…」
「結局、シードと木の皮と根っこしか入ってないんで…。薬膳料理みたいなもんですね」とフミヤさん。
「そうそう、薬膳料理…」とタモリさん。「シードはどこで?」
「アメ横か六本木に、インド人のやってるお店があって…。そのどちらかで」
カレーはチキン
「やっぱりカレーはチキンだよな?」とタモリさん。
「チキンですね…。だいたいチキンしか作らない」
「おれもチキンしか作らない…。いろいろ食べて、やっぱりチキンが一番うまい…」
「だいたい1時間半くらいでできるカレーが好き」とフミヤさん。
「だいたいそうだ…。じゃあ、ルー使わないんだ?欧州風じゃない、インド風…」とタモリさん。
「煮込まない…。今日は少しスリランカ風…。コリアンダーが多め」とフミヤさん。
「コリアンダーが大好きなの!」とタモリさん。大きな声で。
「けっこう入ってます!」とフミヤさん。
「好きなんだよね…コリアンダーとクミンと…大目に入れる…」
「カーダモンも、ビッグカーダモンてやつが入ってる」とフミヤさん。
「おれ、知らない…。ほんと?」
コリアンダーもカーダモンもスパイスのようです。クミン等のにおいで盛り上がります。
「チキンは皮剥く?」とタモリさん。
「皮、全部取ります」とフミヤさん。インド人は皮を剥くそうなのです。
大量にできたカレーは毎日食べるのだとか。インドのカレーはさらっとしているそうで。
「だから日本人が毎日みそ汁を飲んで、飽きないのと同じ」とタモリさん。「普通に日本で出てくるカレーじゃない」
「カレー粉というのが無い…。組み合わせですね」とフミヤさん。
「好きだね?カレー」
「ハマっちゃいましたね…。シードから作るようになったのは、1年くらい前…」とフミヤさん。
山登り
フミヤさんの趣味として、山登りもあるそうです。
「山登り、どうですか?」とフミヤさん。
「おれは海の男だから…」(笑)「いつごろから?」
「4、5年になりますね…。山小屋泊まったらすごいラクですよ…。3時ごろ着くので飲んだくれてますよ…」
「どの辺まで行くの?」
「2800mとか…。1500mくらいは一人で行くんですよ…」「50代、60代の独り歩きのおじちゃん、おばちゃんがすごく多いんです」
「おれ、高所恐怖症だから…」
「山、関係ないでしょ?見えないし…」(笑)
いやあ、タモリさんとのカレー談義、ついていけませんでした。ただ、2人のチキンカレーへの情熱ははっきり伝わりました。
2014年02月05日
395. 石塚英彦A いいとも青年隊・牛肉ベスト3! 「笑っていいとも!」
「ご無沙汰しています…17年ぶりらしいんですよね」と石塚さん。
「会わないときは会わないね…」とタモリさん。
たくさんの花束の中に、「ゆず」や「山崎まさよし」の名前。そして「ファーストアルバム・ロケット」と。
「生意気ですけど、アルバム出していただいて…」(拍手)ゆずや山崎まさよしさんからも楽曲の提供があったようなのです。
いいとも青年隊
「ぼく、いいとも青年隊、2回落ちてるんです」と石塚さん。「劇団ひまわりから受けに来て、横澤さんから、質問30秒くらいしかなかった」横澤さんとは、「いいとも」初代のプロデューサー、横澤彪さん。
「それから今の事務所に入って」2回目のオーディション。「鼻にティッシュを入れて扇風機…ってやったら、温厚な横澤さんが『お引き取り下さい』」(笑)「『いいとも』ってドキドキしちゃうんですよ…」
牛肉が好き
グルメレポーターとして、全国を3、4周はしたそうです。
「周りすぎちゃいまして…。下町のレバーフライの店に行って、『こんなうまいもの、初めて食べたよ』って言ったら、お母さん越しにオレのサインが見えて…」(笑)「忘れかけてる…」
「相変わらず、肉、好きなの?」とタモリさん。
「大好き…。牛・豚・鶏の順に好き…。牛好きですね」「牛の何とも言えない人を幸せにする液体が出てるという…」
「部位で言うと、どこなの?」
「ぼくは断然、カルビ派ですね」
「ええ!その年でカルビいける?」とタモリさん。
「つぼカルビ」というのがあるそうです。つぼに入ったカルビ?
「最初からその状態で生まれたわけじゃないですよ」(笑)
細長いカルビがタレの入ったつぼに漬かっていて、食べやすい長さにハサミで切って、焼いて食べるという…。
「最初から切ってたらいいじゃない?」とタモリさん。
「それが醍醐味で…」
石塚さんの携帯(スマホ?)には全国の和牛店のメルアドが入っているそうです。「知床牛から石垣牛まで…」
牛肉ベスト3
「牛のベスト3は?」とタモリさん。
第3位は「米沢!」と即答。「米沢くん、次から次へと欲しくなる感じ。脂がしつこくない…。脂が決定的に違う」
ものすごく脂が多いのは大田原牛だそうです。
「あれ、脂食ってるだけでしょ?」とタモリさん。
「それはイケないことなんですか?」と食い下がる石塚さん。(笑)「ちょっと話が合わないですね…。よくシェフで、『余分な脂落としました』って言う人がいるんですけど、大嫌いです。脂に余分なんかないんですから…」
第2位は
「飛騨牛ですかね…。ちょっと酸味があるんですよね」
タモリさんも肉の酸味は好きだそうです。
「脂も感じながら酸味もあるんですよね」と石塚さん。
第1位は
「宮崎牛…チャンピオン牛に選ばれましたし…。4年に一度決めるんですが…」と石塚さん。
「…産地によって違うの?」とタモリさん。
「育て方も違うし、餌も違うし…」と石塚さん。「クオリティを揃えるのは大変なんじゃないですか?」
宮崎牛の特徴は、「ほんとにストレートに言うと、『超まいう!』なんですよね…。酸味もあるし、脂も噛みしめる喜びを与えてくれるし…」会場の方が引くほど宮崎牛を語る石塚さん。
「薄味」はキライ
「甘辛い、とか大好きです。一番嫌いな言葉は『薄味』『さっぱり」とか…。全然針振れないんです…」「辞書から、さっぱり、とか薄味とか、無くしてしまいたい…」
さらに「ケーキ屋に行ったら、『甘さ控えめで…』、じゃあ、ケーキ屋やめてしまえよ!」「甘くなりたくてケーキ食べるのに…」
ああ、そろそろ体のことも考える年頃では、と思うのですが、何を食べるかは本人の自由。余計なお世話ですね…。