2016年05月09日
あると思うな共通認識!
保護者間でも、保護者と指導者間でも、子供同士でも、『共通認識』と言う物がある事を前提に話をする人がいます。
サッカー界の人は、『体育会系』の世界観で物事を推し量りがちです。
でも、そう言う事って・・・今の社会では、全く通らない世界観だと言えます。
いえ、それは間違っていると言う意味で・・・ではありません。
受け入れられ難い・・・と言う意味においてです。
今は本当に難しい世の中です。
以前なら、『当たり前』に思われていた事が、当たり前では無いのです。
これは、特にスポーツ界で・・・非常に大きな問題を引き起こす原因となっています。
例えば、『行き過ぎた指導』なんて現在問題視されている事の殆どは、以前ならスポーツ界なら当たり前の光景でした。
少年団であっても、子供が親の前で殴られるなんて珍しい事ではなかったのです。
そして、その事に意義を唱える保護者も殆ど居ませんでした。
子供達も親に一々報告する事も無かった・・・そう言えます。
仮に報告した所で、「どうせ、お前が悪いんだろ!」なんて逆に叱られてしまう位でしたから・・・。(^^;
ここには、『奇妙な共通認識』が確かに存在していたと言えますかね。
『ライフスタイル』にしても、その原動力となる『価値観』にしても、今程千差万別では無かった時代の話・・・そう言ってしまえばそうですよね。
今は、『個人主義』が強調される時代を超えた所に位置している気がします。
もう、個人主義なんて言う言葉を使う必要さえ無いのです。
それは、既に当たり前の共通認識となっているのですから・・・。
なのに、スポーツ界では・・・こちらの共通認識は無視して、未だに古い考えの下で活動している集団が、少なく無い様に見受けられます。
ちょっと、不思議な話ではありますよね?
サッカーの様にチームスポーツだと、どうしても集団での活動が多くなります。
しかし、今の個人主義が当たり前の世の中で、これをまとめるのは・・・少々大変な事なのです。
その為、古き良き(悪しき?)時代を知っている人達は、そちらへ傾倒して行く事が正しい道だと考えてしまいがちなのかも知れませんね。
そっちの方が楽だから・・・と言う事もあるかも知れません。
何れにしても、時代に取り残されてしまった人達とは言えます。
私も含め、人間と言う生き物は、悲しいかな楽な方へ、楽な方へ、と逃げて行く習性があります。(^^;
変化を求められても、中々重い腰を上げられないものですよね。
不安になってしまう事も少なくありません。
年を取れば取る程、変化に臆病になってしまうものなのかも知れません。
周囲から色々な声が聞こえると尚の事、その声に『反発』する事しか出来なくなってしまう事もあります。
何だか、それまでの自分が否定されているかの様に感じてしまう事だってあるのでしょうね。
そう言った事が、より一層暗い影を落として行く原因となっている気もします。
日本の個人主義は、欧米のそれと違って・・・『コミュニケーション』の希薄な個人主義だと言えます。
顔の見えない所でのコミュニケーション・・・例えば、電脳世界でなら何でも言えるのに・・・顔を付き合わせた状態では、控えめな態度を取る事しか出来ない・・・こう言う人は相当多いと言えます。
その為、『相互理解』と言う点に於いて、まだまだ劣るといえるのかも知れません。
それが、結局共通認識を持つ集団を作り難い世の中にしてしまっている気がします。
日本代表が、伸び悩んでいる原因の1つはそう言う点にあるのかも知れません。
個としては、一定のレベルに達している様に思えるのに、チームとして十分な結果を残せないのは、もしかしたらコミュニケーションが十分に取れていない事が原因なのかな・・・と思ったりもします。
選手間で共通認識と呼べる様な物が出来上がっていないのですね。
これは、保護者間でも、指導者と保護者の間でも、子供達同士でも一緒です。
十分なコミュニケーションが取れていない事が、色々な問題を表面化させていると言えます。
でもそれは、共通認識なんて存在しない事をしっかりと示しているとも言えそうです。
共通認識なんて、もはや幻想でしかない気がします。
「そんな事言わなくても・・・分るでしょ?」的な考えは、棄ててしまわないといけないのでしょうね。
何から何まで、1から10まで、全てにおいて『意見交換』が必要なのです。
そう言う事を繰り返して・・・やっと、共通認識的な物が生まれて来るのだと思います。
話す事、聞く事、その両方を徹底的に行わないといけませんと言う事なのだと思います。
今は、『常識』と言う言葉さえ、通用しない世の中なのだと言う事は、忘れてはいけない気がします。
共通認識があると言う前提自体が誤りだと言う事は、気が付かないといけない気がします。
日本からそんな言葉は、もうとっくに無くなってしまったと思わないと・・・。
それが、良い事かどうかは分りませんが、今はそう言う世の中だと言う事だけは知っておかないといけない気がします。
色々な経緯があって、一線を退かれた指導者の話も相当耳にする様になって来ました。
保護者間のイザコザも然りです。
指導者と保護者間のトラブルもそうですね。
ちょっとした『流行り病』の様にあちこちに広がりを見せています。
その殆どは、やはり『認識の甘さ』が原因と言えそうです。
今の日本は、『一発レッドカード』な世の中ですから・・・。
ちょっと、考えてみて欲しい事柄かな・・・とは思います。
サッカー界の人は、『体育会系』の世界観で物事を推し量りがちです。
でも、そう言う事って・・・今の社会では、全く通らない世界観だと言えます。
いえ、それは間違っていると言う意味で・・・ではありません。
受け入れられ難い・・・と言う意味においてです。
今は本当に難しい世の中です。
以前なら、『当たり前』に思われていた事が、当たり前では無いのです。
これは、特にスポーツ界で・・・非常に大きな問題を引き起こす原因となっています。
例えば、『行き過ぎた指導』なんて現在問題視されている事の殆どは、以前ならスポーツ界なら当たり前の光景でした。
少年団であっても、子供が親の前で殴られるなんて珍しい事ではなかったのです。
そして、その事に意義を唱える保護者も殆ど居ませんでした。
子供達も親に一々報告する事も無かった・・・そう言えます。
仮に報告した所で、「どうせ、お前が悪いんだろ!」なんて逆に叱られてしまう位でしたから・・・。(^^;
ここには、『奇妙な共通認識』が確かに存在していたと言えますかね。
『ライフスタイル』にしても、その原動力となる『価値観』にしても、今程千差万別では無かった時代の話・・・そう言ってしまえばそうですよね。
今は、『個人主義』が強調される時代を超えた所に位置している気がします。
もう、個人主義なんて言う言葉を使う必要さえ無いのです。
それは、既に当たり前の共通認識となっているのですから・・・。
なのに、スポーツ界では・・・こちらの共通認識は無視して、未だに古い考えの下で活動している集団が、少なく無い様に見受けられます。
ちょっと、不思議な話ではありますよね?
サッカーの様にチームスポーツだと、どうしても集団での活動が多くなります。
しかし、今の個人主義が当たり前の世の中で、これをまとめるのは・・・少々大変な事なのです。
その為、古き良き(悪しき?)時代を知っている人達は、そちらへ傾倒して行く事が正しい道だと考えてしまいがちなのかも知れませんね。
そっちの方が楽だから・・・と言う事もあるかも知れません。
何れにしても、時代に取り残されてしまった人達とは言えます。
私も含め、人間と言う生き物は、悲しいかな楽な方へ、楽な方へ、と逃げて行く習性があります。(^^;
変化を求められても、中々重い腰を上げられないものですよね。
不安になってしまう事も少なくありません。
年を取れば取る程、変化に臆病になってしまうものなのかも知れません。
周囲から色々な声が聞こえると尚の事、その声に『反発』する事しか出来なくなってしまう事もあります。
何だか、それまでの自分が否定されているかの様に感じてしまう事だってあるのでしょうね。
そう言った事が、より一層暗い影を落として行く原因となっている気もします。
日本の個人主義は、欧米のそれと違って・・・『コミュニケーション』の希薄な個人主義だと言えます。
顔の見えない所でのコミュニケーション・・・例えば、電脳世界でなら何でも言えるのに・・・顔を付き合わせた状態では、控えめな態度を取る事しか出来ない・・・こう言う人は相当多いと言えます。
その為、『相互理解』と言う点に於いて、まだまだ劣るといえるのかも知れません。
それが、結局共通認識を持つ集団を作り難い世の中にしてしまっている気がします。
日本代表が、伸び悩んでいる原因の1つはそう言う点にあるのかも知れません。
個としては、一定のレベルに達している様に思えるのに、チームとして十分な結果を残せないのは、もしかしたらコミュニケーションが十分に取れていない事が原因なのかな・・・と思ったりもします。
選手間で共通認識と呼べる様な物が出来上がっていないのですね。
これは、保護者間でも、指導者と保護者の間でも、子供達同士でも一緒です。
十分なコミュニケーションが取れていない事が、色々な問題を表面化させていると言えます。
でもそれは、共通認識なんて存在しない事をしっかりと示しているとも言えそうです。
共通認識なんて、もはや幻想でしかない気がします。
「そんな事言わなくても・・・分るでしょ?」的な考えは、棄ててしまわないといけないのでしょうね。
何から何まで、1から10まで、全てにおいて『意見交換』が必要なのです。
そう言う事を繰り返して・・・やっと、共通認識的な物が生まれて来るのだと思います。
話す事、聞く事、その両方を徹底的に行わないといけませんと言う事なのだと思います。
今は、『常識』と言う言葉さえ、通用しない世の中なのだと言う事は、忘れてはいけない気がします。
共通認識があると言う前提自体が誤りだと言う事は、気が付かないといけない気がします。
日本からそんな言葉は、もうとっくに無くなってしまったと思わないと・・・。
それが、良い事かどうかは分りませんが、今はそう言う世の中だと言う事だけは知っておかないといけない気がします。
色々な経緯があって、一線を退かれた指導者の話も相当耳にする様になって来ました。
保護者間のイザコザも然りです。
指導者と保護者間のトラブルもそうですね。
ちょっとした『流行り病』の様にあちこちに広がりを見せています。
その殆どは、やはり『認識の甘さ』が原因と言えそうです。
今の日本は、『一発レッドカード』な世の中ですから・・・。
ちょっと、考えてみて欲しい事柄かな・・・とは思います。
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